2018.6.23 緊急座談会「自衛隊と憲法」|みやぎ弁護士9条の会

緊急座談会

「自衛隊と憲法」

2018.6.23(土)

宮城野区文化センター

主催/みやぎ弁護士9条の会

~憲法9条に「自衛隊」を書き込むことが議論されているのに、その当事者の話を聞かず判断できるのでしょうか!?~


柳澤 協二 氏(元内閣官房副長官補・自衛隊を活かす会代表)

林 吉永 氏(元航空自衛隊幹部候補生学校校長・元空将補)

松竹 伸幸 氏(かもがわ出版編集長・自衛隊を活かす会事務局長)

コーディネーター:草場 裕之(弁護士)

コーディネーター:大橋 洋行(弁護士)

開会挨拶者:佐久間 敬子(弁護士)


2018.6.23 緊急座談会「自衛隊と憲法」|みやぎ弁護士9条の会

司会 それでは、定刻となりましたので、講演会を開会いたします。皆さま、本日は、お忙しい中、みやぎ弁護士9条の会主催の講演会にお越しいただき、誠にありがとうございます。私は、本日の司会を務めますみやぎ弁護士9条の会の中野と申します。よろしくお願いいたします。本日は、緊急座談会「自衛隊と憲法」と題しまして、元内閣官房副長官補で、自衛隊を活かす会代表の柳澤協二様、元自衛隊幹部候補生学校校長・元空将補の林吉永様、かもがわ出版編集長で、自衛隊を活かす会事務局長の松竹伸幸様の御三方を講師にお招きし、自衛隊の現状から9条加憲論まで、自衛隊と憲法に関わる問題を様々な視点から取り上げて、ご議論いただく予定です。

 なお、コーディネーターは、みやぎ弁護士9条の会の草場裕之弁護士と大橋洋行弁護士が務めます。それでは、座談会に先立ちまして、みやぎ弁護士9条の会の代表世話人である佐久間敬子弁護士より開会のご挨拶を申し上げます。


佐久間 敬子 弁護士 皆さま、こんにちは。土曜日は、何か、色々楽しい行事があるようですが、これも楽しい集会でございますので、大勢お集まりいただきまして、大変ありがとうございます。今、ご紹介いただきましたみやぎ弁護士9条の会の代表世話人の一人を務めております弁護士の佐久間敬子でございます。よろしくお願いいたします。(拍手)

 私たちのみやぎ弁護士9条の会ですが、2006年の12月に設立されました。ちょうど憲法改正国民投票法というものが上程されていて、世の中で改憲が実現するんじゃないかということで、大変な危機や危機感がありました。各地で9条の会が設立されまして、私たちもこの現行憲法のすばらしさに自身を持って仕事をしてきたという関係からですね、何とかこの憲法を守っていきたいということで、設立をしたわけです。

 その後、改憲の動きが少し鈍ってきたというふうに思いまして、少し活動が停滞しておりましたけれども、昨年の5月3日のあの有名な安倍首相の改憲メッセージ、しかも、2020年の施行を目指すというふうに期限を切ってきたということで、戦後の憲法9条というものが非常な危機に晒されているというふうに思いました。昨年の衆議院選挙では、改憲勢力が3分の2を超えて、発議されれば、これが進んで行くという状況になっているということも、私たちの危機感を一層強めております。

 それで今年の3月ですが、再建総会を開きまして、今日お越しいただいております柳澤協二先生に記念講演をしていただきました。その後、5月ですが、朝日新聞の記者で軍事ジャーナリストだった田岡俊次さんにもお越しいただきました。そのテーマが、「自衛隊と9条」というテーマでありました。

 私たちは、9条とそれから平和主義の問題については多少勉強はしておりますけれども、安全保障とか、防衛とか、自衛隊の実態とか、そういうことはあまり分っていないという反省の下にですね、今回、自衛隊加憲論ということが出されてきているということで、こういう問題にも、やはり目を向けなくてはいけないと、ちょっと遅かったかもしれませんが気が付きまして、柳澤先生、田岡俊次先生、こういった方から色々学びました。

 その中で、私が感じたことはですね、今の政権の安全保障政策というのは、外交的な努力はあまりしないで、力を誇示すると、そういうふうに傾いてはいないだろうかということでございました。そして、また、ある意味では、リアリティに欠けている政策が出されている。そして、それによって非常にある意味で、無駄な高額の武器等を購入していると。そういうような実情ではないかというふうに思いました。

 今回、3回目の講演ということで、「自衛隊と憲法」ということで、テーマを設定いたしました。これは、前2回の講演に引き続いて、これの延長線ということで考えております。それで、自衛隊あるいは日米安保、9条の関係、後程、講師の皆さまと、それからコーディネイターから、おおよそ3つの見解があるというご紹介があると思いますが、多様な意見がある中で、平和国家であり続けるために、私たちは、どんな強調・協力体制が組めるかと、広い協力体制を組むために、できるだけ一致点を見つけて、この非常に危うい状況を乗り切っていきたいと。そういうような問題意識から、今回のテーマを設定いたしました。

 今日お越しの先生方は、自衛隊に所属して現場でお働きの方、軍事と政治の狭間で安全保障に携わってきた方、憲法9条と自衛隊というものを本当に真剣にお考えになっておられるエキスパートの3人の先生方でございます。こういう方々のお話を聞いて、私たちも少し視野を広げたいというふうに思っております。特にですね、憲法9条を変える必要はないという世論は大半でございますけども、自衛隊に対しても非常にいい印象を持っている国民の皆さんが多いんですね。災害救助については、約80パーセントの方が非常にいい働きだというふうに考えております。それから、それと合せて、やはり、国の安全確保も自衛隊の人にお願いしたいんだというような意見が60パーセントぐらいあるようなんですね。私たちは、今回の自衛隊加憲論というものに対抗するために、こういうような世論の動きというものもよく知っていなければならないというふうに思いました。

 今回のテーマは、当面の危機的な状況をいかに乗り切るかということと共に、戦後71年近く9条とそれから自衛隊、安保というものがどういう関係にあるのかということで、厳しい意見が戦わされ、あるいは、ちょっとこれがお座なりになってきたかもしれません。そういうことを長期的に考えるという両局面からですね、講師の先生方にお話を賜れば、大変ありがたいなと思っております。

 今日は、あの開戦73年目ということで、沖縄慰霊の日ということになっています。先程、街を何か流している車がありました。沖縄から来ているのかどうか、私は分りませんけれど、キャラバンみたいな車でございました。今、沖縄では、辺野古に土砂を搬入するということで、8月にそれが迫っているということで、現地は大変緊張に包まれていると思います。そしてまた、後程お話があると思いますけども、沖縄だけじゃなくて、南西諸島、石垣島とか宮古島、奄美ですね、ああいう所に、自衛隊が非常に増強されていると。そういう状況もあります。

 私たちは平和国家であり続けたい。しかも、世界に開かれた平和国家であるということを目指していきたいと思っておりますが、このためには、一体私たちはどんなふうにこれからですね、考えて、行動していったらいいのかということで、今日は、よく三人の先生方のお話をしっかりと聞きたいと思っております。

 3時間と長い討論会でございます。先生方には大変恐縮でございますし、ご参加の皆さんもお疲れになるかもしれませんが、大変刺激的な議論が展開されるというふうに期待しておりますので、最後まで、どうぞ、この討論会にご参加いただけますようにお願いいたします。今日は、本当にありがとうございます。


司会 ありがとうございました。それでは、早速座談会に入らせていただきたいと思いますが、進行予定について若干ご案内申し上げます。本日の終了時刻は午後5時を予定しております。途中、午後3時30分頃からですね、10分程度の休憩を予定しております。また、座談会の最後には、質疑応答を予定しております。本日の配付資料の中に、質問用紙も入っております。ご質問のある方は、その質問用紙にご記入の上、質問箱を持って会場内を回る係にお渡しいただければと思います。

 なお、本日は、受付で、講師の先生方のご著書を販売しております。本日は、消費税抜きでの販売となっておりますので、若干お得です。是非この機会に、お買い求めいただければと思います。

 それでは、座談会に入りたいと思います。ここからの進行は、コーディネーターの草場弁護士、大橋弁護士にお願いいたします。


草場 裕之 弁護士 それでは、自己紹介をさせていただきます。私は弁護士をしております草場と申します。よろしくお願いいたします。

大橋 洋行 弁護士 皆さん、こんにちは。本日コーディネーターを務めさせていただきます弁護士の大橋と申します。よろしくお願いいたします。

草場 弁護士 御三方から、それぞれ自己紹介をお願いします。松竹さんから、どうぞ。


松竹 伸幸 かもがわ出版編集長・自衛隊を活かす会事務局長 どうも、皆さんこんにちは。今日、3人来ているわけですけれども、私以外は防衛省と自衛隊を代表されるような方が来ていて、私の役目はそうでいうものではありません。実は、12年前まで、私は、共産党中央委員会の政策委員会で、安保外交部長という肩書で、安全保障や外交を担当しておりましたが、12年前に退職して、かもがわ出版に入って、編集長をしております。最初に作った本が、防衛省の幹部の方々に書いていただきましたけれども『我、自衛隊を愛す 故に、憲法9条を守る』ということで、まさに本日のテーマになっている「自衛隊と憲法9条をどう両立させていくかと」いうか、そういう問題意識で、この12年間努力をしてきました。

 8年前に、柳澤さんの最初のご著書を作ったわけですけども、実は、当初、柳澤さんに対して、9条の会から講師依頼があった時、柳澤さんは、「9条の会なんか絶対行かない!」というような状況でしたが、その後、色々話し合う中で、今日のような会にも出ていただくことになっている。それで、一緒に柳澤さんにお願いして、4年前に「自衛隊を活かす会」を作って、それで、林さんや何人かの自衛隊幹部の方々とお付き合いができるようになって、先月は、神戸市の弁護士会9条の会に、別の陸上自衛隊の陸将の方をお連れいたしました。そういう元々護憲派だった私がですね、なぜそういうことをするようになったのかということを語るのが私の役目かなあと思っています。よろしくお願いいたします。


柳澤 協二 元内閣官房副長官補・自衛隊を活かす会代表 柳澤です。3月に引き続いての仙台ということで、何を、自己紹介今さらしたらいいんだという感じもあるんですけれど、私は、こういう活動と言うのか、あるいは、発信行動をしているのは、一体何なんだろうなと自分で考えてみるんですね。それは、私は、安倍さんが嫌いだし、安倍的なやり方も、嫌いなんだけれど、それは別に、安倍が憎いからやっているというよりはね、やはり、これは、その自分が40年間やってきた防衛官僚の仕事の中で、色んな経験もさせていただいたし、仕事上の人間関係もできてきたわけですね。林さんなんかとのお付き合いも、現職の頃からのものでありますしね。

 たぶん私は突然変異の少数派だと思うんですが、組織を離れて考えてみると、何が一番大事なのかと言うと、組織の論理にこだわっていたらいけないということなんですね。自分の発想、自分の思考の枠組みをちゃんと作っていかなきゃいけない。私にそうさせた一番大きな理由は、一つは、イラク戦争以降であったなと、自分で振り返って思うんですね。

 前にも話しました。自衛隊がイラクに行っている時に、官邸で、それを監督する立場にずぅっといて、誰も死ななくて良かったねと。あれは一体何だっただろうというようなことを考えていく時に、それは当時のあの政府の論理の中では、検証し切れないわけですね。そこで、自分なりの、もう非常に知識なんていうのは限られたものだと思いますが、自分のその思いを大事にしながら、一体何なんだろうということを考えて、そして、それを発信をして、さらに、勉強をしてというそのサイクルを繰り返していくそういう流れの中で、松竹さんから誘われて、論壇デビューをしてしまったということになるわけですけれど。

 それを別に全然まずかったとも何とも思っていない。で、ここまできたら、本当に誰にも遠慮はいらないし、私は、一昨日も、立憲民主党の集まりに行って、「小手先で問題を解決しようとしたって、ダメだ」と。第一、民主党政権時代に、公約をひっくり返して、辺野古を受け入れちゃったあなた方が、今さら、どんな顔して、辺野古に反対していったらいいのということをね、ちゃんと深刻に自己批判を考えなければダメだよという趣旨の話もさせていただいています。

 それは自分自身にもはねっ返ってくることなので、そして、そういうものをしっかり残していかなければいけない。どうせ、もう後元気に生きたって、何年とは言いませんけどね、そんなに先が長いわけではないので、そういう所に自分のやるべきことを見つけ出したという思いがあるから、だから、色んなことも考え、色んなことを発信し、そして、今まで考えていたことが違っているんじゃないかということも、自分なりに、追求できるようになったのかなあと思っています。

 そういう観点で考えると、松竹さんに紹介されて、例えば、9条の会、最初は抵抗があったけれども、何回か行っているうちに、名前は何でもいいやと思うようになったのも、こういうことをやっていくのが、自分のこれからの人生の意義なんだと思いだしたものですから、右だろうと、左だろうと、同じお話をしているんです。

 ところがある時、京都府の一つの町の9条の会で私を呼ぶ時に、反対をする人がいたと。何で防衛官僚なんかを呼ぶんだと。だけど、そういう人たちに対して、だからこそ、何を考えているかということをちゃんと聞いてもらう必要があるんだろうとも思っていますし、聞いている方々も、しっかり 受け止めていただいて、お互い人間同士として、あるいは、国民同士として、つながる所はあるわけだし、そういう所から新しい日本の将来に向かったある一つの社会の流れというものができていくに相違ないんだということを信じながら、死ぬまで、こういうことをやっていきたいなと思っている次第です。何か自己紹介なんだかよく分りませんが、よろしくお願いします。


林 吉永 元航空自衛隊幹部候補生学校校長・元空将補 林でございます。よろしくお願いします。今日は、お招きいただきましてありがとうございました。実は、今、お話しました柳澤の下で、国際地政学研究所の理事、事務局に務めております。元航空自衛官でありましたが、絶体絶命の仕事に遭うこともなく、今があります。自衛官は、命がけで国を守り国民を守る職業です。その命の捨て所とは、国の存亡がかかる一大事に臨む時です。日本の安全と平和、皆さまの生命財産の保護に「身を賭して」尽くすということです。

 柳澤との話ですが、「命がけだったけれど生き延びることができた。国民の税金で養われ、その時を迎えるはずが生命(いのち)を永らえていることに感謝しなければいけない。退官後の人生をのんびりと過ごすのではなく、お礼奉公しよう。まだ何か公に尽くせること残されているのではないか」ということで、日本の安全保障に関わってお役に立てる活動をしていこうと、NPO法人国際地政学研究所を設立いたしました。私は、現在、地理学と政治学を結びつける地政学の講座を開設して、ひと月に二回、様々な立場で仕事をお持ちの市民の皆さまと勉強をさせて頂いております。

 実は、柳澤が防衛研究所所長時代に、私は部下で、戦史部長を拝命しておりました。所謂「軍事史」に関わる研究を担当する部署の部長です。そのような関係もございまして、戦争や平和、軍事の歴史を通して今日的示唆を求める「軍事史」に深く付き合い勉強する機会がありました。航空自衛隊のユニフォームを脱いでから、柳澤の下で勉強させていただきました。今日、その一端をご紹介して、お役に立つことができればと思っております。どうぞ、よろしくお願いいたします。


草場 ありがとうございました。それでは、草場の方から、今日のこの緊急座談会の大きな目的みたいなものをちょっと話させていただきます。もう既に自己紹介が刺激的な感じで始まっておりますが、私たち弁護士9条の会は、日米安保条約はどういうものか、あるいは、自衛隊と憲法の関係をどう見るかということについては、様々な意見があります。決して日米安保反対、それから、自衛隊は違憲だという意見でまとまっているわけではありません。様々な意見がある中で、今の憲法9条は守ろうよねという所で、一致して活動しているわけです。そういうかけ声はあるんですけれども、実際に憲法と自衛隊を共存させるような方向で考えていらっしゃる方の意見は、あまり立ち入って聞いたことがないので、その辺の所を聞いて、私たちも防衛や軍事の知識を持って、騙されないようにするという意味もありますけれども、こういう方々と対話をすることによって、多くの国民との対話を広げていくし、それから9条を守るという一点で結集するには、どういうことが必要なのかということを考えることができるようなそういう場を設ける必要があると思って、今日の会を開きました。

 今スライドで映しておりますのは、今年3月1日のNHKの世論調査です。これはちょうど安倍政権がですね、連休前に、もりかけ問題でかなり追い込まれて、支持率が急落した時に、行われたNHKの世論調査です。これを見ていただくと分るように、自衛隊明記について賛成が28パーセント、反対が23パーセント、分らないが——まだ答の出ていない方が——38パーセントという数字です。この賛成と反対は、世論調査の会社によって違うんですけれども、ほぼこういう状態が続いています。安倍政権に対する批判が強まっている状態で出た世論調査です。こういうことを考えますと、私たちは、この1年、2年の間に、憲法9条を巡って、様々な危ない所に立たされる可能性がありますので、今日のお話を力にして、また、運動を進めていかなければいけないと思っております。それでは、進行は大橋の方から質問する形で進めていきたいと思います。


大橋 はい、それでは、よろしくお願いいたします。今日、座談会のテーマとして取り上げていきたいなあと思っていることはですね、緊急座談会「憲法と自衛隊」というこの一枚もののレジュメのですね、「座談会のテーマ」という所に、ざっとまとめてあります。ここに書いてあるテーマ、どれだけ細かくお伺いできるのかというのは、ちょっとやってみないと分らない部分もあるんですが、こちらとしてはこちらのテーマについて、今日、大きく話を訊いていきたいというふうに思っております。流れとしても、大体こういった流れで訊いていきたいなあというふうには思っております。

 そこで、まず、「はじめに」にですね、この9条の改憲の話が出ている。これはかつてないぐらい強い力で、この9条改憲論というのは強まっていってきているだろうという理解は、皆さんと全く共通なんだと思います。そんな中で、今日のこの講演会のレジュメにも書きましたが、自衛官、自衛隊の方の話を聞かずに、判断できるのでしょうかということを書かせていただいております。

 今日、林さんに来ていただいておりますので、まず、今日の座談会のスタートの初めとしてですね、今のこの9条改憲の話が出ているというこういう現状、それから、こういった点について、元自衛官としてどういうことを考えたか、あるいは、もっと言うと、現役の自衛隊の方々はどういうふうにこういうことを捕えているのか、今日お話いただきたいテーマについて、少し林さんの方からまとめてお話いただきまして、その林さんのお話を受けた後で、柳澤さんと松竹の方から若干補足をいただくという形で進めさせていただきたいと思います。ちょっと、林さん、まず、よろしくお願いします。


 ありがとうございます。お役に立つかどうかは分りませんが、問題提起するという形で、色々お話を申し上げます。それから、自衛隊を代表するということになりますと、ワールドカップ・サッカーでどこかの国の選手がハンドして、PKを取られ、負けて、帰国して殺されるという話がございましたが、そのような目に遭いかねませんので、実に希(まれ)な話を林がしたとお考え下さると助かります。

 さて、先程、佐久間先生からも、お話ございましたけれども、今年の2月、内閣府の調査では、自衛隊の存在を認める割合が90パーセント、それから、リスペクトしていると、「自衛隊は役に立っているし、いいね、頑張ってるね」と認めるのが80パーセントという数字が出ております。これは、今まで潜在的には、侵略を拒否する防衛力、顕在的には、各種災害に対する自衛隊の救難、支援、それから、海外における平和維持活動の成功にその理由があると思っております。

 私は、自衛隊の存在について、これぞと言える公の言葉として、1950年1月23日、第7回国会本会議の施政方針演説で、吉田茂首相が発した言葉を重視しております。

 それは、「戦争放棄に徹することは、決して自衛権の放棄を意味するものではありません。わが国の安定的な安全保障は、国民が自ら平和と秩序を尊び、重んじ、価値観を共有する他の諸国とともに国際正義にくみする精神、態度を内外に明瞭にするところに根ざしております。そして、国民が世界平和のための貢献を惜しまない姿勢を内外に示すことによって必ずや報われる平和主義の基本理念であります。」「もし日本に軍備が無ければ、自衛権があっても自衛権を行使する有効な手段が無い事態を招く危惧が生じます。そこで、脅威が及ばないように、我が国が専守防衛に徹し自衛権行使に必要な自衛手段を保有することは国内外の認めるところであります」と、自衛隊に最低限度の防衛力を装備し、日本国の防衛義務を付与する根拠が示されたことです。

 自衛官にとって、吉田首相の言葉は極めて重要だと思います。総理大臣は自衛隊の最高指揮官ですから、上司(指揮官)の命令に服従しなければならない自衛官は、上司の意図、上司の命令を具体的にどのように自分の持ち場で実行するか問われます。従って、部下は上司の意図を汲み取ろうと努めます。その意味において、吉田首相は、極めて明快に、憲法に斯く斯く然々、自分たちの平和国家を作るという意志を示しました。最高指揮官から、「自衛官である諸君は、このように働きなさい」、と明確に示されたわけでございます。

 このように指揮官が意図を示しますと、自衛官は、指揮官の意図、任務を果たす精神——ミッションと言いますが——を共有して、指揮官に対する信頼を高揚させて、任務を遂行することができます。

 歴代の総理大臣を見ましても、吉田首相以来、自衛官に対し最高指揮官自ら意図を明確に示した方が一人もおられません。むしろ、自衛官は、表に出さなくても、心の中で失望感を抱いているケースが多いのではないかと思っております。

 吉田首相は、日本の国の形(かたち)を「平和国家」としました。当時、講和条約を締結するためには、2度と戦争しない平和国家である必要がありましたし、それを世界に発信して「かつての戦争をした日本と違う平和国家になった」と認めてもらう必要がありました。

 従いまして、吉田首相の本音としましては、国を防衛するための防衛力が必要だ、しかし、軍隊を保有し、軍事力を持つということは、講和条約から遠くなるということで、「自衛隊は軍隊でない」ということをはっきり言っていくわけであります。ここに、本音と建前が見事に示されています。これが分かれば、自衛隊云々と非難の的になっても、制服自衛官の立場からは「誇り」が生まれても、不満は出ません。

 吉田首相のもう1つの考えは、経済復興の最優先でした。軍事優先に投資していては、経済復興の速度が遅滞します。そこで吉田首相は、世界最強のアメリカ軍を日本に駐留させて、日本の防衛を託すという、実に賢い防衛政策を選択したわけです。表に出して言えませんが、この発想は、一種の「傭兵」です。今日、在日米軍に日本の防衛・安全保障の一翼を担って貰っているのですが、そのために日本が負担する思いやり予算は、約4千5百億円です。しかし、私の航空自衛隊勤務の体験から申し上げますと、日本に配備されている米空軍のF-16とF-15の機数が約150機です。1機の価格が約100億円しますから、合計で1兆5千億です。それを飛ばして、ミサイルや機銃弾を搭載して、勿論、パイロットや整備員も必要ですから、航空作戦に供するということになりますと、その3倍の4兆5千億円の経費がかかります。それを4千5百億円で雇っていると思ったらいかに安上がりか。トランプ大統領が腹を立てるのも無理ないわけです。しかし、これを正直に言ってしまうと、アメリカ全体に分ってしまって、日米安保体制維持のためアメリカに支払うお金を吊り上げられてしまいます。現状維持のために、私たちは、黙って有難いことだと思っていなければいけないのだと思います。

 さて、今日のお話しの核心は、元自衛官の立場から、憲法9条をどう評価してきたかということです。まず、最初に申し上げなければならないことは、「憲法9条は、自衛隊を行動させる、特に、近年のように、海外において行動させるという点で、現憲法9条があるから、それが基になって慎重に、いいのか悪いのかという議論が行われた」ということです。政治家の頭の良し悪しは別にして、議論することが大事だし、その議論が国民の耳に、目に触れることは重要なことです。これから「自衛隊に何をさせようとしているのか」、政府——内閣——は、その内容についてどのように方向づけて、決心をするのかを可視化しているということでは、憲法9条の役割は極めて大きいと考えます。

 次に、私の航空自衛隊の体験から、現憲法9条があるからという文脈で、自衛隊が行ってきた次のことが「自衛隊の存在が憲法9条に違反しているならば、『できなかった』はずだ」という問いかけをしてみたいと思います。

 つい最近までは、「北朝鮮のミサイルが飛んでくるかもしれない」ということで、Jアラートが出されました。そうすると、自衛隊の部隊は、地対空ミサイルを緊急配備して、いつ北朝鮮のミサイルが飛んで来ても撃ち落とせる態勢を維持します。この緊急の防空態勢については、国民の間に理解が行き届いています。日本国民の1人として「憲法9条違反」などと批判など致しません。

 ところが、1970年代に、航空自衛隊が地対空ミサイル——当時は「ナイキ」ミサイル——を即応に近い待機につけていました。すなわち、現在のJアラート発令時の地対空ミサイル配備同様、いつでも撃てるような状態で、待機させておりました。これは、全国各地に展開していた幾つもの地対空ミサイル部隊に課せられていた24時間の待機任務でした。その名目は、平時における対領空侵犯措置です。簡単に言えば、日本に入ってくる国籍不明機、日本の領空を侵犯する、日本国の主権を侵害する航空機を領空外に追い出すための行為が対領空侵犯措置です。

 この任務にミサイル部隊が配備されるというのは正常ではありません。一度ミサイルを発射してしまったら、途中で部隊の管制装置を経由、指令して自爆させない限り、対象機に命中して撃墜してしまうことになります。この行為は、戦時における防空作戦そのものに該当しますから、戦争になってしまうという行為です。これは、ソ連極東空軍が樺太沖で大韓航空機の領空侵犯に対して、戦闘機の空対空ミサイルを発射して旅客機を撃墜した事件を思い出させる国際的に非難を浴びる行為です。平時の対領空侵犯措置としては実に不適当です。このような対領空侵犯措置の任務が航空自衛隊に与えられていました。自衛隊が憲法9条に違反しているのであったならば、この任務を付与できるはずがありません。

 次に申し上げたいのは、今、申し上げました対領空侵犯措置の実施時、1987年12月9日、ソ連の爆撃機が在沖縄米軍の嘉手納基地上空を領空侵犯、沖縄本島を西から東海上へと横切って飛行しました。この時、航空自衛隊南西航空混成団、現在は、南西航空方面隊になっておりますが、当時の司令官が信号射撃を指令しました。信号射撃というのは、1分間に4千発の速度で20ミリ弾が発射される戦闘機搭載機銃に、熱効果で光を発する曳光弾を実弾と混在させて発射し、日本の領空を侵犯した航空機に領空外退去を促す行為です。

 この事件は、戦後、日本の戦闘機が、日本以外の他国、外国航空機、しかもソ連軍用機と識別ができている航空機に対して、「実弾を撃った」という初めての出来事でした。この事案は、ニュースのトップ記事として扱われました。この案件についても、憲法9条と関係づけて、航空自衛隊が行った信号射撃はおかしいと、疑問を呈する、あるいは非難する人は1人もいませんでした。ごく自然に「信号射撃の行為」が受け止められたということです。

 さらに、2014年7月には、閣議決定によって、「集団的自衛権行使の容認」という日本の防衛・安全保障政策の大転換が行われました。この集団的自衛権を行使するということは、他の国と一緒に戦うということです。 アメリカは、孤立主義を捨てて、NATOに加盟し、集団的自衛権行使を容認する時に、国民を交え意見を公聴すること2年間をかけて議論を尽くしました。バンデンバーグ上院議員が主宰した委員会の決議と言うことで、「バンデンバーグ決議」と言います。最終的には、国民の67パーセントが賛成して、他国のために戦争してアメリカ人の血を流すことを決心したという第二次大戦後のアメリカにおける実に重大な軍事上の「孤立主義」からの政策転換でした。2年間かけて、国民的覚悟を促しています。それが今日のアメリカの軍事力運用の基本的な理念になってきたわけです。

 しかも「バンデンバーグ決議」は、アメリカが「集団安全保障」上、同盟国に求める要件となりました。即ち、同盟国とのギブアンドテイクは、片務的ではないということで、1951年9月、日米安保条約締結時は、その片務的内容に対してアメリカ国民のブーイングが高まり,トルーマン大統領が国民への説明に苦慮しています。

 ところが日本では、集団的自衛権行使を容認する、即ち、「他国の安全保障に日本人が血を流して貢献する」重大事を閣議決定されてしまいました。私は異常事態だと思っています。このことも憲法9条と自衛隊という文脈での議論は低調でした。それは、自衛隊の存在が憲法9条に違反していないからです。

 本件については、議論を尽くさず決定に至りました。当然、内閣は「自衛隊が集団的自衛権を行使すること」について憲法9条違反だなどと、誰一人疑っていません。ところが、決定の主役であった安倍首相は、自民党の党大会において「自衛隊の憲法9条違反を解消するために『加憲』が必要だ」と、天に向かって唾を吐きました。安倍首相は、「現憲法9条は自衛隊の存在を憲法違反としているから憲法を改正するまで持っていきたい」と明言したわけです。支離滅裂も、ここまでに至ると精神分裂も伴ったかと疑いたくなります。党内で「おかしい」と発言する党員がゼロであったことについては論外でした。

 注目すべきところは、武器を使用する時の正当性が集団的自衛権行使の容認で法的に拡大していったことです。その次の年、2015年4月に決定されました関連法制では、「合理的判断に基づいて自衛隊の武器使用が許される」と、7カ所にわたって記述されている法律が制定されました。ところが、軍事という文脈、軍人の立場における「合理性」は、「殺戮と破壊を是とする」性格があって、一般に言われる「合理性」は、軍事上のそれと真逆で、「人の営みにおいて理に適った道理」を言います。

 従いまして、安倍首相の言うように、「憲法9条が自衛隊の存在を違反としているから憲法を改正しなければならない」のであれば、集団的自衛権行使もそのための法改正も、明らかに憲法違反であって、安倍首相の下で行われてきた全ての防衛・安全保障行政を問い直さなければなりません。既に「憲法9条の理念」は、まず、日本の個別的自衛権を妥当とし、「国民が世界平和のための貢献を惜しまない姿勢を内外に示すこと」によって国連の平和維持活動に参加するのであって、吉田首相の国会における施政方針演説のとおり、今日まで続いていると認識できます

 もう1つ私が重大な課題として提起したいのは、「憲法9条に自衛隊の存在を明記する」ことで「国際社会における自衛隊の性格、自衛官の身分」がどのように変わるのかということです。言葉としての「自衛隊」は、これまで以上に定着します。それでは「憲法をいじる意味」はありません。この点については、石破茂議員の主張、「国を守る軍隊の否定は極めて異常、国家が成り立つ根幹に必要な組織をきちんと書くのは実に当たり前」は「正論」で、論理矛盾はありません。他方で、自衛隊という言葉が使われ続け、自衛官が現在の身分のままであるならば、「加憲」は何の意味も成しません。

 南スーダンに陸上自衛隊が派遣された時の実話をご紹介します。南スーダンにおいて秩序維持の任務に就いている国連軍現地司令官が、軍事的衝突が頻発し、死傷者が発生しました。国連に派遣されている各国の派遣部隊も例外なく攻撃の対象とされているため、各国の派遣部隊指揮官を召集して、国連軍として組織的防御を行うことを決心、各国部隊の持ち場を指定し役割を与えることになりました。余談になってしまいますが、この事態は、この事態を真っ向から否定していた稲田当時防衛大臣の発言がまやかしであったことを証明しています。

 「日本の部隊は、この正面を守ってくれ」ということになったのですが、その当時、日本の陸上自衛隊の部隊は、現地国連部隊の防御任務に適った武器の使用が禁じられていて、共同作戦に参加できない状態でした。そのために、当時の現地指揮官は、断腸の思いで「私どもはその作戦任務に参加できない」と「傍観する立場」に引き下がったわけです。そうしましたら、実に、後進の国々の軍人から、冷笑を浴びせられたと、笑われたということであります。

 この件は、次の部隊が派遣される際に法的に改められ、国連の防御戦闘の作戦任務である「共同防護」、「駆けつけ警護」にも参加可能となっています。この決定も「憲法9条が、自衛隊を違憲」としているのであれば「絶対認められない行動」になるわけです。私が特に申し上げたいのは、南スーダンで「恥ずかしい目に遭わされた自衛官は、軍人ではなかった」ということです。

 次に「自衛官は軍人に非(あら)ず」とはどのようなことかを申し上げます。

 1971年の7月31日、航空自衛隊松島基地所属のF86F戦闘機が岩手県雫石上空で全日空機と衝突して墜落、全日空機の乗客、搭乗員は全員死亡という大惨事が発生しました。後に裁判で明らかになるのですが、これは、全日空機が飛行訓練中の2機編隊F86Fの1機に追突、当該戦闘機パイロットが脱出——ベイルアウト——した事故でした。このパイロットは、戦闘機の戦技訓練を受けている最中でした。2機編隊の編隊長は、この事件発生時、教官パイロットとして後輩パイロットの指導に当たっていました。基地へ帰るなり、編隊指揮官であった教官は、逃げも隠れもできない部隊の中で手錠をかけられ、業務上過失致死の容疑で逮捕、留置場に拘置されました。裁判結果は、禁固3年の実刑判決でした。ここには、命がけで国防任務に就いている立場に対する名誉も尊厳もありません。自衛官として通常、ひたすら国防を思ってやってきたことなど顧みられない罪人の扱いを受けました。

 1982年の11月、浜松基地を離陸した、空中戦技研究チームであるブルーインパルスが公開飛行中、編隊の1機が墜落して、パイロット1名が殉職する事故が発生しました。不幸にして、その墜落地点近傍に居た小学生が火傷を負ったため、殉職したパイロットは業務上過失傷害で、被疑者死亡のまま送検され有罪判決が下されました。

 国の叙勲制度、および防衛省(当時は「防衛庁」)の表彰制度では、ひたすら国の防衛・安全保障のために、身を犠牲にすることを覚悟し務めた隊員を顕彰しその名誉を讃えています。この2件の事故当時者に対しては、当然のことですが、「刑事罰を受ける事故」さえ無ければ、それまでの実績を踏まえた叙勲であるとか、褒章であるとか、顕彰の対象となっていたに違いありません。しかし、自衛官の身分は、国際スタンダードで言う「軍人」ではありませんから、軍事法廷で裁かれず、例外なく「犯罪」の前科によって一切の顕彰対象外となります。自衛官としての退職についても、依願退職ではなく、免職が原則ですから、彼らは、顕彰どころか、極めて厳しい処罰を受けることになったわけです。

 これと同じようなことが南スーダンで起こる可能性がありました。国対国が正規軍同士で戦う、所謂「伝統的戦争」と違って、冷戦時代以降、別けても冷戦終焉後は、新たな戦争が盛んになっています。その戦争では、正規軍と確認できない、軍服を着用していない相手と戦わなければなりません。自衛官は、市民である非戦闘員と脅威の対象である敵戦闘員の識別ができない状況の中、戦闘任務を遂行しなければならなくなっています。その「新たな戦争」によって生じた混乱の秩序回復や、破壊された国家再建のため国連が平和維持活動を推進しており、日本も参加しているわけです。

 特に冷戦が終わってからの戦争は、大国のパワー・ポリティックスによるコントロールが効かなくなりました。抑圧されていた民族同士、同じ部族内の主導権争い、正規軍ではない戦闘員によるテロや施設破壊、抑圧する側への武力闘争など、これら低強度紛争と言われる武力衝突では、戦闘員が軍服を着て活動しているとは限りません。皆さまもご承知のように、テロリストは、誰だか分かりません。爆弾を抱いた自爆テロに女性、子供までが使われています。そういった相手に対して武器を使用することになりますが、その場合、自衛官が全く戦闘に無関係の市民を射殺してしまったら、その自衛官はどうなるのでしょうか。日本の国内法では、逮捕です。殺人になります。しかし、国際スタンダードでは、軍人の制度で裁かれます。軍事の世界では、犯罪や過失、あるいは、名誉が独自の規範で裁かれ、一般社会とは切り離されています。自衛官の場合は、この基本的な部分が単に「公務員扱い」であって、安倍首相の主張に従って憲法9条に自衛隊が明記されたところで、自衛官の身分は、現状のまま「公務員である自衛官」に過ぎません。そこには、先にお話ししたような事例が今後も生じていくと考えられる根本の問題が残されるわけです。

 そして、この自衛官の身分という文脈においては、もう1つの問題があります。それはこの問題に考えが及ばないシビリアン・コントロールが存在するということです。優れたシビリアン・コントロールは、軍事について、すなわち戦争の本質および軍事力の役割について、正鵠を得た優れた知見があって、日本の場合で言えば、自衛隊をどのように行動させるか、現在の瞬間において、および、長い先の将来、日本の「国家の命運」、「国際社会における武力行使の正当性の担保」について決断し、その決断に責任を負うことができる政治的活動を言います。ご承知のように、日本では、戦争を経験した人がいなくなりました。アメリカにおいても、戦争を体験した軍歴、あるいは軍に所属したことがある国会議員が数えるほどしかいません。日本の国会ではゼロです。しかも日本においては、学校教育で国防・安全保障を教えていませんから、国防・安全保障をさして分かっていないということになります。その分かっていない政治家がシビリアン・コントロールの責任を負っているのが現実です。

 さて、自衛官は、入隊に際して、「命がけで任務を遂行する」と宣誓します。自衛官は、さらに入隊後、自ら、「一身の利害を超えて公に尽くす。事に臨んでは身をもって職責を完遂する」精神に徹していきます。憲法9条は、日本国民が自衛官に求めている「任務遂行の法的バックボーン」でもあります。自衛官が自分自身で作り上げていく真の職業意識の核心に憲法9条が存在します。その憲法9条が改憲・加憲・修文の俎上に載せられているわけです。現在進められている「加憲」は、自衛官の「使命感」のバックボーンになる期待は持てません。加憲は、かなり遠い将来まで、「自衛隊」という言葉の持つ悩ましさが払拭できない「自衛隊」であり続ける強力な根拠となってしまうからです。それは、自衛官が「国際スタンダードの軍人」となることからも遠ざけることになると危惧します。

 この職業意識は、いわゆる、国際スタンダードという文脈からすれば、自衛官に限らず、国際的にそれぞれの活動が期待される警察官、海上保安官、消防士についても同様です。公務中に、彼らに何か不測の事態が起きた時に、国はどのように彼らの名誉を守るか。あるいは、彼らをどのように処分するのか。国民の皆様にとっては縁遠い事件であるかもしれません。しかし、自衛隊の海外派遣部隊の日報問題では、シビリアンのリーダーが全く責任を取らないで、トカゲのしっぽ切りで事の収拾を付けているのは腹立たしく、シビリアン・コントロールをシビリアン自ら傷つけているのではないかと考えます。防衛関係法令に「自衛隊の最高指揮官が明記されている」にもかかわらず、憲法9条にも、総理大臣が自衛隊の最高指揮官であることを明記すると言われていますが、書かれなければ、最高指揮官の印象が薄くなるのでしょうか、また、シビリアンのリーダーとユニフォームの間に真の「統率」と「服従」が成り立たないのでしょうか。

 シビリアン・コントロールの問題は、民間の方にも及びます。自衛隊が海外派遣されますと、例えば、海賊対処任務が付与されてから海上自衛隊が前線基地としているジプチでは、通信電子機器の保守管理の一部が日本の企業に委託されています。もし、派遣されている企業の技術者が基地に対する攻撃に巻き込まれ死傷するような事態が発生した場合、国の対応は、保障など、どのようになっているのでしょうか。シビリアン・コントロールは、「ああしてはいけない、こうしてはいけない」というネガティヴ・リストを作るだけではなく、個人や組織に重大かつ危険な任務を負わせる場合、「不測事態において、国が、個人や組織が被った生命財産の損失を補完するポジティヴな制度にも目を向けてほしいものです。

 さて、この加憲のメリット、自衛隊を明記するメリットはどこにあるかと考えてみました。メリットは、良し悪しは抜きにして、安倍首相の代に憲法を変えたという歴史が残りますが、それだけのことです。加憲は、さらに「自衛隊の最高指揮官は内閣総理大臣である」と書き込む案があるとされています。防衛大学校の卒業式では、安倍首相は訓示において「君たちの最高指揮官は私だ」ということを7回言われたそうです。これは、「自衛隊の最高指揮官」へのこだわりとも言えます。憲法9条への書き込みは、総理大臣が自衛隊を自由に動かせるようにダメ押しすることになります。国家において政府与党が絶対多数を占めている限り、与党案件は可決されていきます。この現象は、民主主義の落とし穴である「指導者原理」と同じです。「指導者原理」は、ヒトラーが民主的に選挙に勝って、首相に就任して打ち出した「多数決で決する」民主主義に則(のっと)った「独裁原理」です。指導者が独自に、こうと決定したことも、事後、国の議会で承認されれば、それは民主主義の手続きを経たことになります。国家の防衛・安全保障に関わる緊急事態に際して、「自衛隊の行動に関わる決定」が閣議によって首相が決定しても、「国会の事後承認を得ればいい」ということになるわけです。このように慮(おもんぱか)ると、「憲法9条への『自衛隊』、『総理大臣が最高指揮官』の加憲」は、悩ましい危惧を思い起こさせます。

 改めて憲法9条の価値を考えてみます。私は、「憲法9条」は、日本が防衛・安全保障という文脈において武器を使用する場合、即ち、今日のように海外において国際貢献を担う任務を付与された自衛官が武器の使用を迫られた場合に、その正当性を担保するもの、その正当性を計るリトマス試験紙であるという考えを持っております。先に申し上げましたように、過去、柳澤は、防衛庁(当時)勤務時、あるいは内閣官房副長官補時代、「自衛隊の海外派遣」に関わる政策決定に関与してきました。「憲法9条」を前提に合法性、正当性を確認しつつ自衛隊の海外派遣を可能にしてきました。「憲法9条」は、「正当性」のチェックを果たしてきたと言い換えることができます。従って、現在の憲法9条が無くなる、あるいは変更される内容如何では、チェックが効かなくなることになるわけでもあります。

 私たちは、「憲法9条」について、自衛隊が行う武力行使のチェック機能を果たしてきたという価値観を持たなければいけません。ですから、国会で、中身はともかくとして、時間をかけて議論をすることは極めて重要であり、議論できるのは、現在の「憲法9条があるからだ」と言うこともできます。

 さて、自衛隊の存在感について触れておきます。自衛隊は、批判を交えてあれこれ言われ70年近く存在してきました。しかし、今日では、実に好意的に見られる存在となっております。私が亜細亜大学法学部非常勤講師として安全保障の講義を担当していました時に、私の講座を選択していた釜石出身の三年生が、3.11東日本大震災直後、ボランティアで行方不明の方々を捜索していました。その時、彼から私にメールが送られてきました。「先生は、航空自衛隊だったですよね、今、陸上自衛隊の人たちと一緒に行方不明の人を捜しています。その時に、遺体が発見されると、陸上自衛隊の人——隊員たち——は、全員、手袋をとって、素手で遺体を運んでくれました。すごいことだと思います」と。彼は、素直に感激をした——すごく打たれた——のでしょう。現在の若者の素直な、一つの感情、感性に、私は、かえって強く感激しました。これは、自衛隊に対する国民の率直なリスペクトの表現であると思います。

 憲法9条は、既に、自衛隊の存在を否定的に見る根拠ではありません。自衛隊を批判的に見る「リスペクト」の障害でもなく、「自衛隊の違憲論争」とも関係なくなっています。むしろ、私たちは、「憲法9条」の存在を価値観として扱わなければなりません。それを若者が、理屈抜きに、肌で、実に身近に感じてくれたと思っております。

 憲法9条の位置付けについてさらに付言いたします。「刀の紙縒(こより)」を御存知でしょうか。これは、薩摩武士が「武士のたしなみとして」使っていたと言われています。喧嘩っ早いと言われた薩摩武士は、感情に任せて直ぐに刀が抜けないように、紙縒を作って、刀の柄に結びつけていました。徒(いたずら)に刀を抜いて、殺傷しない——喧嘩をしない——ということです。浅野内匠頭はこれでお家を潰す失敗をしております。ですから、当時の薩摩武士にとってこの「刀の紙縒の緒を切る」ということは、命がけの一大事、大変なことでした。私は、「憲法9条」を、その位置付けとして考えたいと、このように思っております。

 柳澤が今まで内閣官房副長官補としてやってきた危機管理の正面で、自衛隊を動かす仕事というのは知恵を働かして、憲法9条に遵じて、あるいは下位の法律を作ることによって、70年間、戦死者を出さない自衛隊の運用を、別けても海外派遣を行ってきたわけですから、この政策については、「柳澤も刀の紙縒であった」と考えが及ぶわけです。

 さらに、シビリアン・コントロールについて若干触れておきます。先程申し上げました「合理的判断」の問題です。合理的判断というのは、シビリアン・コントロールの世界では、軍人の合理的判断とは乖離しています。軍人の合理的判断は勝つために、殺し、破壊することを是としています。ところが、それと真逆(まぎゃく)がシビリアンの合理的判断になるわけです。この乖離した双方の接点を設けなければなりません。それを作るのは軍人の責任ではありません。それは政治の責任です。それ故に、政治家は、国の命運を左右する防衛・安全保障をよく勉強しておかなければならないわけです。自衛隊の三等空佐から「お前は馬鹿か」と罵(ののし)られて「クーデターだ」と騒ぐ政治家議員がいました。浅学菲才のクーデターの何たるかを知らないということでもあるわけです。

 このようにシビリアン・コントロールそのものについては、シビリアン・コントロールが劣化して、軍事的合理性に「そうだ、そうだ」と言ってしまうことによって、軍事的合理性が勝ってしまいます。大東亜戦争前の日本に先祖返りをしてしまうわけです。この問題が示唆する重大性は、自衛隊の武器の使用、あるいは、不幸にして戦争に至った場合、その正当性を失ってしまうことにならないかという危惧の発生です。従って、私は、政治が武力行使について勇ましくなるのは極めて危険ですから、そのための歯止めとしても、「現在の憲法9条」を「存在価値」として評価したいと考えております。先程申し上げましたように、加憲の発端は、「憲法を変える」作為であって、しかも、安倍首相の「自分が首相でいる時に」という意志が強く顕われているように感じられて仕方ありません。根拠の無い妄想になるかもしれませんが、もう一つは、歴史上、戦争への暴走を喚起した「指導者原理」に進む危惧です。

 そして、加憲が憲法9条のチェック機能を弱める——失わせる——というということは、自衛隊を動かし易くしますが、正当性が欠落する問題が残ります。一部には、自衛隊を軍隊にすべきという言葉もあります。しかし、別途、自衛官の身分が軍人として扱われるのであれば、「軍隊」に拘(こだわ)る必要はありません。むしろ、戦後70年の平和な状態の日本の安全保障政策は、自衛隊を受け容れ、専守防衛を維持しながら成功してきました。その自衛隊をモデルにして、世界各国が軍隊の性格を変えていくことができるのであれば、国際社会の防衛・安全保障の安定が促されるのではないでしょうか。日本が国際社会の秩序維持にリーダーシップを発揮する意志があれば、政治家が「日本の戦後の防衛・安全保障政策をモデルとして発信する」ことも一考ではないでしょうか。

 「憲法9条が、日本の防衛安全保障を制約している」というのは、改憲賛成派の正論であって、客観的な正論ではありません。結論的には、「憲法9条に自衛隊および、その最高指揮官を明記することによって、自衛隊を使い易くする」ことになります。そうしますと、「自衛隊の行動に歯止めをかけようとする『チェック』が疎(おろそ)かになる」わけで、「指導者原理」に陥ってしまうわけです。その傾向は、チェック機能が弱くなる、イコール自衛隊の行動に関わる議論が少なくなり、国民の自衛隊の動きに対する関心が薄れていくということにも重なっていきます。それは、むしろ、日本の武力行使に対して、ネガティヴ・リストが希薄化して、ポジティヴ化が優ることと同義かもしれません。蛇足ですが、ネガテイヴとポジテイヴの程よいバランスを考えることも重要です。

 さらに、国民が自衛隊を容認している割合が90パーセント、リスペクトしている割合が80パーセントという数値は、むしろ危険な意味を持っている一面があります。「国民の多くが泣いている時に、自衛隊がヒーローになる」わけで、国民は救助の手を差し伸べられて感謝し、その献身的な姿勢にリスペクトが寄せられているわけです。自衛隊の活躍が評価されることは、国民が困難に遭って自衛隊に助けを求めている時であって、国、国民という文脈では望ましい状態ではありません。従って、通常時においては、「自衛隊の30パーセントが自衛隊シンパであり、30パーセントはニュートラルであって、30パーセントは、表に出てくることがなく、役立っているかどうか分からない自衛隊に金を使うのは無駄使いではないかと思い、残る10パーセントが自衛隊は無い方がいいとする」このようなバランスが国の中にあって、国際社会を見回しても日本が一番安定して平和であるというのが理想的であると常々考えております。

 湾岸戦争時、「ブーツ・オンザグランド」と、アメリカの安全保障担当のキーパーソンで日本担当のリチャード・アーミテージが「一緒に戦わなければ本物じゃない」と言ったことについて申し上げます。国際社会の多数国が、軍隊を派遣して、イラク戦争や湾岸戦争で戦っているのに、「日本は金だけ出してお終いか」と非難する言葉がクローズアップされました。先程申し上げましたように、日本の生き様を世界に発信し続け、自衛官が南スーダンで馬鹿にされても、日本流のやり方でその立場が認められつつありました。イラクでは、派遣部隊の帰国時、日本に帰らないで欲しいという、地元民の運動さえあったと聞いています。その積み重ねが行われている時に、日本が集団的自衛権行使を容認し、武器使用に関わる制約を緩めていきました。

 結局、自衛隊は、本質的に国際スタンダードと乖離しながらも、並の普通のどこの国も持っている軍隊になりつつあります。私は、そうではなくて、「軍事力の役割を、戦争を抑止する最大最強の機能となるように軍の性格を変えていく」ことに関心を寄せたいのです。日本の防衛・安全保障政策が世界を変えていくという考えに基づけば、日本独自の発想で、自衛隊の維持、あるいは、憲法9条を維持していくこと―-戦後70年の日本の生き様への回帰——について理解が寄せられるのではないかと思っております。

 最後に、憲法の99条では、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」と謳われています。本日お話させて頂いたことには、この義務に命がけで臨んでいる自衛官に、精神的支柱をどう与えるかということについて、シビリアン・コントロールが足を引っ張っているのではないかと、自衛隊OBとして心を痛めている気持ちを籠(こ)めていますこと、ご斟酌(しんしゃく)頂ければ幸いです。以上をもちまして、私のプレゼンテーションを終わります。


大橋 ありがとうございます。少し長い時間を取って、林さんの方から、今、林さんの方でお考えになっている内容についてお話をいただきました。色々話を聞いている中で、非常に示唆に富むと言うか、はっとするようなことがあったと思います。特に、例えば、9条の所ですね。なぜ、今加憲をしようと思っているのか。それが誰のためのメリットなのかという所は、非常に明快ですし、それから、この9条は、ただ単に守れば良い、守っていれば平和になるということを超えて、正当性担保のリトマス試験紙となっている。もし、仮に、これが変ってしまえば、チェック機能がそこで廃れるんだというような所は、非常に特異な指摘だなあというふうに思いました。

 それから、もう一点、最後の当たりで、好ましいリスペクト、今のこれだけ自衛隊に対して支持が多いというのは、逆に、これはバランスを失した状態なんじゃないのかという指摘などもですね、非常に聞いて面白い指摘だなあというふうに思いました。

 今、林さんの方からお話いただいたのを、ちょっと踏まえてと言うのも難しいですが、柳澤さんと松竹さんに、何か補足という形でお願いできればと思います。まず、柳澤さんの方からお願いします。


柳澤 はい、林さんは、実は、年代から言うと、私よりももう5つ上で、専門が、今、歴史家なもんですから、ちょっと時々私もついていけないお話が、あの吉田茂の話とか出てくるんですけれど、日頃よく会話してますんで、思いは非常によく理解しているつもりなんですが、一つあの雫石の事故のお話やらありました。それは、自分のために、自分の利益のために、やってるんじゃなくて、一生懸命やった。しかし、人間どっかで、それは、過失はあり、間違いはあるから、それで、一生懸命であったが故に、何かあった時に、どうそれを本当に受け止めてくれるのかという所、これはやはりあの自衛隊の中で、ずぅっと特に部下を持つ立場の方々がね、いつも考えていることなんだろうと思うんですね。だから、そういう理由で、一気に軍隊にしろという話ではなく、そこは、やはり実は、国民にも一緒に考えていただきたい。そういう問題なんだということだと思います。

 そして、実は、雫石の話について言えば、あれは、飛んでいた自衛官の過失というよりは、ああいう所で、同じ高度で同じ時間帯に、毛色の違う飛行機が混在すれば、危ないに決まっているんでね、それを、政策として、どう分けて、どのように全体のその監視をして、その情報を伝えて、その安全な形で訓練をさせるかという、そっちの政策の問題・行政の問題が、実は、本質的なことであったんだと思うんですね。

 そういうことになると、今度は、政治との関連が出てくる。そして、もう一つのシビリアン・コントロールのお話、そして、海外任務のお話もありましたけれども、やはり、本当に、海外に行くようになってから、分ったことなんですけどね。私が、やってた頃は、それは、憲法の解釈の範囲内、当時、そう言うと、国会で散々野党から、私は怒られたんですけれどもね。

 それは何だと言ったら、アメリカの戦闘行動とは一体化しませんというもうギリギリの所、そして、海外に行っても、自分から積極的に武器を使うようなことはしませんという、その2つが、あの海外任務について、あったわけですね。それが、実は、一昨年の安保法制で、その縛りがなくなっちゃったということですね。

 そういうことをやらせるのであれば、ちゃんと最後までやれるような形の制度にしろということなんです。そして、そういうことをすれば、当然危険が増すわけですから、今までは、さっきもスーダンの話でもありましたように、戦場になるような危ない所には、行って何かをしろという義務は与えなかったわけですね。だから、積極的な武器使用はしなくてもよかった。

 今度は、そういう仕事をしろという法律を作って、現に命じたわけですね。そうなんだけれども、じゃあ、それで、殺したり殺されたりした時に、一体国はどう責任を取るんだという所が全く問題にされていない。あたかも、工夫すれば、死なないで済むんですみたいな国会答弁がある。その何て言うか、その無責任さに対して、現場で、そういう思いをする組織であるが故に、感じるその矛盾というものがある。

 だから、そこでは、また、2つの答が出るわけですね。やはり、ちゃんとやれるように軍隊にしてもっと自由に撃てるようにしてくれという、それも1つの解決なんだけれども、しかし、それはそれで余計な危険が伴うということにもなる。そうではなくて、そういうことができないんだったら、そもそも海外任務で武器を使わせるような仕組みを作るなということが、もう1つの答としてあるんだろうと思うんですね。

 やはり、1番大きなポイントというのは、最後は、国民との関係ということなんですね。実は、この話は、私は、1番最後のテーマで申し上げようと思ったんですが、それは、憲法9条と自衛隊をどう整合させるか。それをね、実は、自衛隊に訊いたって、ダメなんです。それは、つまり、憲法9条の下で、自衛隊に何をやらせたいのか、どこまでの仕事をさせて、そして、どこまでの危険を国民として自衛隊にやらせようとするのか、そして、その結果、起きる戦死のような状況が起きた時に、どこまでそれをきちんと国民の側が拾ってあげられるのか。実は、そこは、その憲法の条文がどうだとか、その憲法の解釈がどうだではなくて、まず、やはり、国民という要素が入ってこないと、憲法9条と自衛隊の存在というのはね、解決できない問題なんだと思っています。

 だから、自衛隊を書き込めば、何か問題が解消するって話は、全くそんなことはなくて、むしろ、問題が顕在化していくということなんだろうと。そこの所の覚悟もなしに自分がやりたいから、変えるって一体何だというのが、林さんの締めくくりのお話だったというふうに思います。

 あまり皆さん普段聞き慣れない言葉を聞いていただいた。そのことに意味はあると思いますけれども、それは、まさに国民が決めることなんですよと。皆さん方、どうするんですかということを、その具体的な問題意識として、提起されたんだろうなというふうに思って、聞かしていただきました。


松竹 まず、林さんが、冒頭ですか、「自分のような考え方というものは希なんだ」と先程おっしゃいましたけれども、1つそれに関連して、お話しておきたいのは、私は、冒頭に、11年前に、『我、自衛隊を愛す故に、憲法9条を守る』という本を作ったと言いましたけれども、これは、かもがわ出版にとっても、非常にそれまでと違う種類の本でしたので、どこで売るかというのは悩んだんですね。すぐに、憲法記念日の集会とかがありましたけれども、持っていったら、「かもがわ出版は変質した」というふうに、憲法記念日に参加されるような方々から言われるようなことがありました。

 だから、そういうこともあって、より広い所に届けないとダメだと思って、あの本の帯はですね、加藤紘一さんという、防衛庁長官をやって、自民党の幹事長もやっておられた方にお願いをした。まさか、OKしていただけるとは思わなかったですけれども、その帯には、「自分は改憲派なんだけれど、しかし、そういう志を持った人たちをね、敬意を表して」ということを書いていただいたんですね。でも、これも、実は、当時を思い出しますけれども、宮城県で言えば、宮城書房なんかでは、帯は外して売られたと言うか、そういう扱いでありました。

 それで、その本を、しかし、これはやっぱり自衛官の方々に売らないとダメだと思って、あの『朝雲』というですね、20何万部か、自衛官向けに発行している新聞がありますけれども。そこに広告を出そうと思いまして、『朝雲』の広告局に手紙を出しました。そうしたら、1ヶ月ぐらい返事はなかったんですけども、結局、「OKです」ということで、自衛隊員が読む『朝雲』の一面に、「憲法9条を守る」という広告が載ったわけですねえ。

 それから、1年後ぐらいに、また、別の本の広告を載せることになった時に、その広告局の人が、「是非、一度お会いしたい」と言って、お会いしたんです。もう10年経ったから時効だと思うんで、言うんですけれども。やっぱり、そういう広告の依頼があった時に、こんな本の広告を出すべきかどうかという、激しい議論が、『朝雲』の広告局の中であったそうです。賛成派、反対派、入り乱れて、結論が出なかった。それで、どうしようもないから、当時の防衛庁の広報課に、お伺いを立てたらですね、「こんなの載せるのは当然だろう」と言われたので、広告は載せることになったんですって、というふうに説明していただいたんですね。

 それで、その防衛庁の中にも、だから、『朝雲』の中にもですけれども、こういうまとまらないぐらい、実は、こういうのも大事だという立場の人は、沢山いるんですから、是非、そのことを理解してくださいということで、その方が帰る時、ふっとカバンの中からですね、白いコピー用紙を20枚ぐらい、10枚ぐらいかな、出してきまして、何かと思ったら、自衛隊の駐屯地にある書店の名簿ですね。「『朝雲』の広告に出すのもいいけれども、直接そういう書店にも連絡を取って、こういう種類の本を置いてくれないか」ということを言っていただいたというか、だから、林さんのようなことを考えておられる防衛庁の方や自衛官の方はやっぱりおられるということです。それで、広告に載ったから、自衛官の方々から、直接退職する時の餞別で配りたいからっていうんで、70部くれみたいな電話を沢山いただきました。そのことを一つは知っていただきたいということです。

 もう一つは、自衛隊に対するリスペクトをめぐる問題で、大橋さんも、興味深く聞いたという話をされました。私もそうなんですけれども、でも、その自衛官のことを別にリスペクトしなくても、アンチでもいいよというのを、自衛官だった林さん自身が言うから、すごく納得できるというか、ああ、だから、アンチのままでいいんだと思うのですね。もう自衛隊の海外派遣はやっぱりイヤだと。批判すべき所は当然批判するんです。違憲論の方は、やっぱり、違憲論を堅持して言うんでしょう。けれども、私が大事だと思うのは、その自分の立場や見解を堂々と言いつつですね、同時に、しかし、リスペクトする面もやっぱりあるということは大事だと思うんですよね。

 それで、私が柳澤さんに、8年前に、本を書いていただいたのも『抑止力を問う』という本なんですけれども、柳澤さんは、当時、私にとっては、お会いしたことはなかったけれども、敵だったんです。だって、敵というか、だって、我々が「イラクへの自衛隊派遣は憲法違反だ」って、宮城だって、裁判をしましたよね。その時に、官邸で、イラクの自衛隊を統括していた方でした。その前は、私にとってと言うと、もう旧ガイドラインになりますけれども、いわゆる新ガイドラインを推進した日米安保強化という仕事をしてこられた方ですよね。

 でも、その柳澤さんが、退職後、民主党の鳩山さんが辺野古の県外移設という公約を裏切る過程で、それはおかしいと言うんで、沖縄に海兵隊は要らないんだということを朝日新聞に書かれたので、私は、その一点の行動にリスペクトしたのです。その年の秋に沖縄県知事選挙が予定されていて、当時の安保反対の革新共闘の候補では勝てないと思い、安保賛成の人からも、こういう声が上がっているみたいなこういう本を出したいということでお願いし、応えていただいたのです。そこは、やっぱり共感ができたので、本を作って、出してもらった。そうしたら、この本を出す過程で、色々なことが分かる。その後、柳澤さんが『官邸のイラク戦争』という本で書かれていますが、自分がそうやって統括してきた自衛隊のイラク派遣ということに対して、本当は心に色々の傷があると言うか、悩みがあると言うか、何か総括しないとダメだって考えておられた。

 外から見てたら、「あいつは、憲法違反のことを一番上でやっているだ」みたいなことだったけども、でも、よくよく話し合ってみると、やっぱり、違うということがあるんですね。結局、今、改憲、護憲と分かれていますけれども、そういう点では、先程28パーセントというふうに表示された方々、あるいは、それ以外の方々が、何十パーセントという方々に、「お前たちの意見は間違っているよ」というふうにもう接近しちゃうと、それはもう対話の態度がなくなってしまうと思うんですね。どこか、やっぱり、気持ちが通じ合うという所がないと、対話が始まらなくて、やっぱり、対話が始まらないと、深く理解し合って、意見交換して、考え方を色々変えていくということもできないんじゃないかなと思っております。


大橋 ありがとうございました。今、本当に聞いていただいて、それぞれ色んなニュアンスがあって、背景があって、立場があって、ただ、何か大きな目的については、共通をしていると。こういった大きな目的を達成するために、色んな考えを持っている。でも、この部分は共有できるよねという形で、活動を続けていくというのは非常に大切なことなのかなあというふうに思っております。今日の趣旨もそういうところだというふうにご理解いただければなというふうに思います。

 次も、御三方に、ちょっと、お話いただくんでなくて、実は、本当に私が、素人的に訊いてみたいというのがあるんで、少しだけお伺いしたいなと思っている所があるんですけど、自衛隊に対する世論というのが非常に肯定的であるというのが、先程から色んな所からデータも出させていただいている所ですし、3名の方々からもいただいているところかと思います。

 これは、柳澤さんにお伺いしたいんですけれども、この自衛隊に対する世論が非常に肯定的であるというのは、事実だと思うんですが、こういった信頼とか、世論が肯定的な所の背景にあるものと言うか、それは、例えば、宮城県で言えば、東日本の大震災があった時の印象というのが非常に大きいと思うんですね。こういった災害対策に対する所の感謝だとか、信頼の部分なのか。あるいは、その国防ですね、よく国を守ってもらっているということに対する信頼なのか。このあたりの所について、どういった所が、背景と言うか、背後にあるのか?柳澤さんの方でまとめてお話をお願いします。


柳澤 はい、私は、89年、90年に、防衛庁の広報課長というのをやっておりましてね、あの頃、内閣府の世論調査があって、あ自衛隊に対する好感度や支持は段々上がっていった。90%までは超えていなかったと思いますけどね。そうなんだけど、その理由としてね、片や、日本が平和であった最大の理由は、1番多かったのはね、憲法9条があるからという答えなんです。

 自衛隊を支持する理由の所でも、国を守るために頑張っているからという、本来の役割の所が1番じゃなかったんですね。やっぱり、災害派遣というのがね、8割を超える支持の理由になっていた。それは、それで当然であるわけだし、それはもう意識的に、それをやってきていたわけですね。自分たちが国民から受け入れられなければ、何の仕事もできないんだということを深く認識していたからなんですね。それが、各国の軍隊と、実は、全然違う所になっているんで、それは自衛隊としての非常に大きな特徴だったと思います。

 それが、最近ではね、やはり若い人たちが、特に、北朝鮮がミサイルを撃ったとかということがどんどん喧伝されていく中で、戦争になったらどうするだろうという心配が大きくなってきているわけですね。そういう中で、自衛隊の本来のその国防任務に対する支持というのが、それが高まっているんだけど、ただ、私がそこで心配しているのは、自衛隊がやってくれるんでしょう。それはありがたいです。それなりに日本が戦争になる時に自衛隊が命を張ってやってくれるんだよねというのは、そうなんだけど、それは自衛隊だけじゃできないんですよ——終わらないんですよ——という所を必ずしも認識してない。

 何て言うのか、他人事なんですね。自衛隊がいざそのためにあるから支持するんだと。しかし、仮に戦争になって、ミサイルが飛んでくれば、国民にだって被害が出るんです。その時に、自衛隊が被害を出さないようにしてくれるのか、自衛隊が何とかしてくれるのか。できないんです、そんなことはね。

 そういう所も含めて、国民がどこまで我慢をし、どこまで自衛隊を受け入れるのか。

 端的な話は、今、山口とか秋田にイージス・アショアを配備する話も出ていますね。配備によるリスクは端的に言うと、戦争になった時に、真っ先に攻撃の目標になるんですよということ。それは、軍事的には、当然の常識的なリスクがあるんだけど、そこの所を政府も一切説明しないわけですね。そして、国民もそこの所を認識しない。飛行場があれば、騒音が大変ですねとか、騒音も大変だけど、私は、一番大変なのは、騒音以上に、いざという時に、ミサイルの標的になるリスクをかかえているということなんだと思うんだけど、そこら辺の所は認識されていない。

 災害派遣は目に見えて、みんなにとってね、必要なことだということ、それはそれでいいんだけど、戦争というのはやっぱり非常にまだ架空のものであり、抽象的な心配があるが故に支持するが、しかし、それは我が事とは思っていない。だから、やればやるほどいいじゃないかみたいな発想にどんどんいってしまうという。そこの所が、だから、支持されているから、それで、良かったねというだけでは済まない。その先の課題が今ある。

 そういう中で、自衛隊を憲法に書き込めば、じゃあ、そこの問題は解決するんですかと言えば、やっぱりしないんですね、そこはね。有事の際の国民の被害の対処の仕方とかね、あるいは、自衛隊だけじゃダメだなあ、俺たちも、竹槍持って行ってこうということも有り得るわけですね。そういうことも含めた支持、そういうものが本当にどのぐらいあるのか。それを考えると、さっき林さんがおっしゃったようにね、三割ぐらいが本当の支持というのがちょうどいいバランスで、確かに、そんなものなのかなんて、私もそんな感じがしてきますね。


大橋これは林さんにちょっとお伺いしたいとなと思っていたんですが、先程から出ているように、自衛隊に対する信頼が非常に高いということが、しかも、支持もされている。このことについて、これは自衛隊の現役の、例えば、自衛官の方々はどういう受け止め方をしているのかなということは、ちっと伺ってみたかったんですね。つまり、いや、そういうふうになっているけど、実際には、そんなふうに受け止めてないよというふうな感じなのか、それとも、そういう支持があることはありがたいなと感じているのか。内部の雰囲気と言うか、意見・議論というのはどういう感じなんですか。


すごく嬉しい。ありがたいと言うより、嬉しいという気持ちです。しかし、過剰な「負担、期待に対して応えられない現実が目の前に来ている」ということについて、自衛隊自身が今心配し始めています。皆さまが被害に遭われた3.11大震災の時に、2桁以上の行方不明が出ている市町村が22ありました。その時に、陸上自衛隊の自衛官は、最大1日に7万人投入されました。陸上自衛隊7万人というのは陸上自衛隊の自衛官総数の半分になります。

ところが、南海トラフ大震災では、この3倍強の市町村が同じような状態に陥るだろうと言われております。72時間が勝負の時に、1人の自衛官が72時間連続不眠不休で働くことは絶対できません。常時、現場で活動している自衛官の数は、2交代制にして、半数の出動で3万5千人、あるいは全陸上自衛官出動で7万5千人になります。そうすると、皆さまも頭の中で計算しておられると思いますが、自衛隊の現在員総数でも対応能力が十分ではありません。ここで不足する部分をどうするかを皆さんも考えるし、政府には責任があるはずです。幼稚園の園児が頭を両手で抱えて、北朝鮮のミサイルが飛んできたら、これで自分を守りなさいと、テレビに映し出された、あのような状態では、お寒い限りです。もっと根本的にかつ具体的に役立つ対策を考えていかなければいけません。

 だから、期待されることはすごく嬉しいし、リスペクトされていると思うし、「自分たちに何ができるか」と一心不乱に自衛官は考えています。でも、おそらく予想されている大震災が起きたら、「何で俺の所へ来ないんだ」という非難を浴びることが目に見えています。例えば、10個市町村に5百人ずつ分けられたとしたら、仙台市は5百人程度では絶対に足りません。そのような「自衛隊は何をしているんだ」、「自衛隊は俺たちを見捨てるのか」という不満に「欠落が転嫁される」ことについて、現役の自衛官たちは本当に悩み、ジレンマを感じています。

 ですから、皆さまから期待されれば期待されるほど、その辺(あたり)については、どのようにしていくのかということを、自衛隊自身も考え、皆さんも一緒に考えるわけですが、それ以上に安倍首相に考えて欲しいわけです。

 こんな例があります。第二次世界大戦中に、難波三十四という陸軍中佐(後に大佐)が、空襲を受けた時に、住民保護をどうするかという担当幕僚として、陸軍省で仕事を命ぜられました。その時に、東京が火の海になるという被害見積もりを立てて、このようにしなければいけないという計画を立てましたら、陸海軍から、「1機たりとも東京の上空には敵機の侵入を許さないんだ。お前は、何を考えておるんだ」ということで、難波は左遷されてしまいました。

 策も無く、ただ「分かったことを言うな。無い袖は振れないんだから仕方ないだろう」と言われるのが見える、東京空襲対処失敗の二の舞が起きるようなことでは困ります。不足する住民保護、被害復旧に当たる人的な不足をどのように補完するのか、深刻に、かつ、真剣にみんなで考えていかなければなりません。ちょっと脱線しましたけれども、このような気持ちでいます。


大橋 今、災害対応の関係で7万人というようなお話があったんですけれども、済みません、これも、本当に全く素人的なお話で申し訳ないんですが、この災害対応に当たっていただいた自衛官の方というのは、すごく身近に感じているという感じなんですけど、この災害対応に当たっている方と、例えば、海外に派兵されていくという方というのは、同じ方なんですか。全く別なんですかというのは、すごく素人的に訊きたかったことなんですが、これは、柳澤さんにお伺いすればよろしいですか。


柳澤 大雑把に言えば、同じ人です。特に、陸上自衛隊は各方面が持ち回りで、海外に行く任務もしているし、それぞれの師団とか駐屯地で、災害が起きた時のね、どのぐらいの人数を集めて、どう対応するかというプランを持っているわけですね。だから、災害の時は、それをやりますと。順番がきたら、PKOなりなんなりの海外にも行くということになる。だから、1人で何役もしなければいけないというのが実態です。その傍らと言っちゃいけないけど、こっちが本務なんですが、演習場で、大砲を当てる訓練やなんかも同時にやるわけですね。それが自衛隊のもう一般的な姿だと思います。


 補足と言うより、事例を申し上げます。3.11で派遣された自衛官は、最大7万、24時間働くとすれば、現場でいるのは3万5千人でした。その5月に、オサマ・ビン・ラディンが殺害されました。それによって、自衛官が削減されました。オサマ・ビン・ラディン殺害に対する報復、いわゆる、報復テロ事件に警戒、対応するために、陸上自衛隊は、災害派遣の現場から隊員を引き抜きました。たぶんお気付きになっていないと思いますが、それが今の陸上自衛隊の実態です。


大橋 ありがとうございます。もう1つ、これはちょっと今の質問とは少しずれるのかもしれないんですが、これも先程の林さんのお話の中で、結局、今回の憲法に加えるという加憲のメリット、これは、結局、安倍さんのメリットだというお話があったと思います。で、安倍さんのその話の中で、先程ちょっと話に出ていましたけれども、2017年5月3日にですね、安倍首相がメッセージという形で伝えた中では、結局、自衛隊は憲法に違反するかもしれないけれども、何かがあれば、命を張って、守ってくれというのは、あまりに無責任だという発言があったんで、すごく記憶に新しいところなんです。その前の2016年の9月の衆議院本会議の所信表明演説の中でも、立ち上がって、この場から拍手を送ろうじゃないですか、ということで、拍手を行なわせるという所も、見ている私としては、非常にショッキングな話なわけですね。

 こういうシーンでありますね。ただ安倍さんって、色々な所で、自衛隊に対する感謝だとか、あるいは、自衛隊は違憲かもしれないという議論をなくすべきだという発言をどんどんどんどん積極的にやっていると思うんですが、こういう発言・行動に関して、自衛隊の内部では、どんな受け止められ方なんですか?もし分れば、分らなければ、分らないで結構なんですよ。

 

 違った事例で、すり替えさせていただきます。私が現役時代に、社会党のみなさんが自衛隊を視察によく来られました。その時に、社会党の議員の皆さまは、自衛隊員に走り寄って、両手を取ってですね、「ありがとう」とやるんです。これには、隊員も戸惑い、参ってしまいます。感謝されるわけですから。ところが、自民党の議員の皆さまは、上から目線です。それに対して、隊員は敏感に反応いたします。「何だ!」と。

 もう一方で感激したのは、橋本龍太郎首相です。自衛隊観閲式の時に、「手袋をしたまま、隊員と握手したいんだけど、いいだろうか、林さん」と問われるくらい、気遣いの方でした。橋本首相は真に身近に隊員と接したいと思っていました。ですから、上から目線の議員をつかまえて、国防・安全保障を考えるには、もっともっと自衛隊員の中に入らなければダメだと言っておられました。ところが、自衛隊に気軽に入っていって実情を知りたいと思う議員がいても、手続きや儀礼や、想定問答まで準備させる、結果的に面倒だから自衛隊に足を運ばなくなるし、訪問があったらあったで内局から詳細な報告を求められるといった部隊側も面倒くさがるようになる悪循環が生じます。橋本首相は、防衛庁内局に対しても、「門を狭くしているのは内局である。何をしているんだ」と事務次官に説教されていました。

 ですから、すり替えましたけれども、そのような国会議員の態度如何が隊員に、直接に響いてくるということです。私個人の感情を交えてお話しますと、ご自分のファッションにこだわってTPOを無視した部隊視察、海外派遣部隊の視察、艦艇乗艦時のファッションを見れば「指揮」や「統率」に全く無関心な大臣と思ってしまいますし、加えて上から目線で、言葉だけで言われても、反応は、どこかの国で一斉に儀礼的拍手をするのと変りません。


松竹 自衛隊内部の声ということで、私は自衛隊員ではないので、自衛隊の声は自分自身としては知らないんですけど、実は、今、林さんとですね、それ以外の自衛隊の陸将だった方2人、3人の方の本を編集して作っている最中なんです。そこでも、当然自分の自衛官としての人生で体験してきた色んな思いを語っていただいて、最後に、安倍さんの加憲論について、色々とお話を伺いました。

 それで、確かに林さんがおっしゃっていたように、「いや、もう加憲論は全然ダメよ」みたいなことを言う方は、林さん1人と言えば、1人なんです。ある1人の方はですね、自衛隊を加憲していただくことは本当にありがたいことだと、安倍さんの自衛隊に対する愛情を感じるということまで言っております。しかし、同時に、そこはやっぱり我々は注目しないとダメだということだと思うんですけども、もしこの加憲案が議論されていって、国民投票になっていって、でも、世論調査を見ると、やっぱり割れているじゃないですか。だから、安倍さんが加憲を提起したことを切っ掛けに、再び、「自衛隊は、違憲なのか、合憲なのか、いいのか、悪いなのか」ということが国民の中で、深刻な対立で発展したら、その狭間で自衛隊は本当に仕事がしにくくなる。

 だから、「そういうふうになるぐらいだったら、もう今のままでそっとしておいてくれよ」というそういう方もおられます。その辺のね、複雑なその自衛隊の中の、もちろん、そこまで考えている人はそんなに沢山いたのかどうか分りませんけれども、その心情にね思いを馳せるということが、私は護憲派の側には、求められるんじゃないかというふうに思います。


大橋 ありがとうございます。時間が大分経過してきましたので、ちょっと最後この1点だけ、訊いてお話しいただいた上で、一端休憩に入りたいと思いますが、先程、災害対応の一方で、海外に派遣されるという話をさせていただいたんですが、実は、色んな報道なんかによるとですね、平和的な活動に従事しているとは言えですね、今、スクリーンに映させてもらっていますけれども、実際に派遣自衛官の自殺者数ということで、報道がされております。こういった報道なんかを見ると、平和的な活動に従事しているとは言いながら、我々には全く見えない。

 もしかすると、こちらが見ようとしないからなのかもしれませんが、やはり、見えにくい部分があると思います。そうすると、実際には、この第一線で活動している自衛官の方々というのは、非常に過酷、少なくとも、精神的に非常に追い詰められた状況にあるんではないのかということをすごく懸念するわけです。こういった実際の第一線で活動している自衛隊の方々の置かれている状況、精神的な状況も含めて、どんな状況なのかということをお聞かせいただければと思います。まず、林さんの方から。


 はい、ありがとうございます。実は、アメリカでこの件について、国際会議がありまして、発表する機会を得て、行ってまいりました。世界でも私立の、日本の江戸時代中期に創立されました古い大学だと言われておりますクリーブランドにあるケースウェスタン大学で会議が開催されました。おかしなことに、会議場は、PTSDを専門に研究する、日本の京セラのトップである稲盛氏が寄付した「イナモリ・センター」でした。ここでは、ポスト・トラウマティック・ストレス・ディスオーダー(PTSD)と言われる、特に、軍人を対象に、戦場で受けた精神的後遺症研究が集中的に行われております。さかのぼれば朝鮮戦争、特に、ベトナム戦争、あるいは、湾岸・イラク戦争、アフガン紛争で、アメリカ人が——軍人が——かなり深刻なレベルで精神がさいなまれています。ドラッグやアルコール依存症、自閉症、敵が自分を狙っている錯覚に陥った精神錯乱による銃の乱射、孤立、虚脱、集団レイプを味方から受けた女性兵士の人間関係拒絶症など様々です。どうすれば立ち直れるのか、ベトナム戦争でアメリカの敵として戦ったベトナムからも軍人や学者が参加して協力的議論が行われました。

 PTSDを社会的病巣としてその問題をどのように解決するか、国を挙げてのプロジェクトとして、大学に一つのシステムが構築され、国が大学に研究を委託して解決策を模索しているわけです。まことに残念ながら、この研究を委託されている機関が置かれているのがイナモリ・センターです。あの京セラの稲盛さんが寄付した研究施設です。日本にはそのような寄付も話もありません。日本政府の後手に回った政策のために、自殺が起き、人殺しまで発生しかねないわけで、軍事に関わらず、諸犯罪、災害の後遺症から立ち直るための施策を国家が主導して推進しなければなりません。自衛隊内で起きている様々な「隊員のストレスと、それが原因の悲しい出来事」は、基本的に、かつ、最終的に国が手当てをしない限り、隊員個人の深刻な負担になっていると想像できます。

 どのように国がカバーしていくかは、政治の責任でもあります。法律や制度に関わってくることですから。専門的にそれを学習、研究する機関が必要ですし、優れた専門家を育てなければなりません。日本の政策、行政には、全く満足できません。カウンセリングと称する制度を作って、カウンセラーが定期的に通ってきます。部隊へカウンセラーに来て頂いて、当人と面接して話を聞いて頂きます。それでお終いです。プライバシーの保護ということから、カウンセラーと自衛隊の指揮官など管理者とのやり取りはありません。ストーカーの被害を警察に訴えても、適当に対応されて、被害者が殺害されてしまうといった事件と変わらない体質が潜在しています。そういった実態を改善するために、真剣にこの問題については、大所、高所から取り組まなければなりません。現役自衛官はそのような環境において、実に忍耐強く任務に就いているという印象を持っております。


大橋 ありがとうございます。柳澤さん、お願いします。


柳澤 はい、実は、私はイラクの検証をやっていかなきゃいけないと思っていた中で、出くわしたのは、この問題なんですね。新聞報道で初めて知ったんですけど、イラクに派遣されて、戻って来た隊員の内で、当時29人、今は、30何人だと思いますが、自殺者が出ているというのは、これは何なんだと。私も官邸にいて、聞いている状況は、とにかく危ない場面はあったけれど、何とかみんな元気でやっていますと。そして、全員無事に帰って来て、良かったねという思いで、総括をしようとしていたのが、こりゃあ、何だと。無事に帰って来たやつが、当時ね、イラクの任務が終えると、クェートで2週間ぐらい、あのウォーミングアップの逆ですね、クーリングダウンということで、少し休暇を与えて、帰って来るんですが、そして、もちろん、1発の弾も撃ってないから、殺したり、殺されたりするような現場に直接行ったわけではない。

 しかし、寝ている枕元で砲撃音がするとかね、そういう状況の中で、やはり、あの精神的なあのダメージが相当あったんだろうなと。イラクに出す隊員というのは、特に、精神的には、図太いやつを選んで出している部分もあるので、行って帰った隊員がね、延べ1万人います。延べ1万人の中で、30人自殺が出るということは、今日本全体で、自殺率というのは、人口10万人当たり、20何人なんですね。それが、イラクに派遣された自衛隊員は、一桁少ない1万人当たりで30人ということでしょう。これは、やっぱりね、普通じゃないなあということですね。

 しかし、役所は——防衛省は——これが公務に起因する、つまり、イラクのPTSDが原因の自殺だということは認めていない。それから、自殺していなくてもね、ぶっ壊れちゃった隊員の話も、幾つか、報道でも聞きましたし、そういう所も本当にその何て言うか、援護や治療の制度もできていないし、その自衛隊の中でも、それを何とかしていかなければいけないという発想もないし、そういうことは、やっぱり、言葉にしてはいけないみたいな雰囲気もあるんだろうと思うんですね。

 だから、そこら辺も含めて、もちろん亡くなった人に対する手当ってすごく大事だけど、実は、こういう戦場に出すということは、亡くなってない人に対するケアというのがすごく大きな社会の負担としてあるんだなあというのを、改めて、実感させられたんですね。そういう所が、全く議論されていない所が、まだ問題意識も、その政治の場で持たれてないということ自体が本当にその自衛隊員の不幸かなという感じがします。


大橋 ありがとうございます。松竹さん、お願いします。


松竹 いいです。


大橋 よろしいですか。はい、ありがとうございました。開始から1時間半程度経過しましたので、ここで、10分程度休憩を取りたいと思います。大体そうですね、45分頃から再開したいと思います。よろしくお願いいたします。


司会 それでは、45分になりましたので、講演会・座談会を再開したいと思います。座談会の最中に、また、質問箱を持って、係が回りますので、質問用紙はその際に箱にお入れいただければと思います。それでは、よろしくお願いいたします。


大橋 はい、それでは再開させていただきます。前半部分では、大分自衛隊と9条との関係について、内容の濃いお話をいただきました。最後は、自衛隊員の自死の話についても触れさせていただいて、その内容についてもお話いただいたという所でございます。

 後半なんですけれども、今のこの世界情勢、東アジア情勢を前提として、自衛隊とか9条をどう考えていくべきなのかというあたりについて、話をお伺いしていくという所から始めたいというふうに思っております。実は、今前半まで聞いていただいた中で、色んな質問をいただきました。質問が非常に沢山きているので、実は、1個1個を取り上げて、訊いていくというのが難しいという所がございますので、今、ざっと見させていただいて、適宜差し挟みながら、コメントをいただくということで、御三方からにはもうご了承いただいております。

 今、申し上げたように、世界情勢、東アジア情勢の話をしていくということを、まず、後半の取っ掛りにしようと思ったんですが、実は、質問の中で、結構多いのがですね、今現在の自衛隊って、どういう規模なのかとか。それから、自衛隊の人員とか、あるいは、志望する方の数ですね、自衛隊に入ろうとする方の数だとか、そういった面についての、大分具体的な質問が出ております。それから、自衛隊の今現在の装備の面で、どういった実力があるのかというこのあたりの所を、まず、初めに、少し解説をいただいてから、この世界情勢との関係でのお話に入っていきたいと思います。

 今、言っている質問が結構ございますので、まず、柳澤さんの方から、本当に私なんか気になるのは、自衛隊員になりたいという方の数が増えているのかとか、それとも減っているのか。あるいは、この装備ですね、本当に私は全然詳しくはないんですけど、どのくらいの装備になっているのか。それは、諸外国と比べて、どういうレベルにあるのかとか、その辺の所について、少し柳澤さんの方からお話いただければなあと思います。ざっくりとした質問で申しわけないんですけど、よろしくお願いします。


柳澤 実は、私もいわゆるマニアではないので、最近のことは、あまりよく知らないんですが、本当にざっくり言いますと、規模で言うと、陸軍が15万6千になったんですかね、今。おそらくその実員は、それの少し内輪の数字ということ。たぶん、林さんがさっき言われたあの3.11の時に、7万人出たけど、それが陸上自衛隊の総力の半分ぐらいなんだよということだろうと思います。

 それは、人数で戦力をカウントするのが陸上自衛隊の特質なんですね。海空の場合は違います。海の場合は、船の数で見ることになるんですが、今主要な軍艦というのか、水上艦艇が54隻という数になっています。これは、冷戦の時は、60隻だったんですね。冷戦が終わって、予算も減らして、54隻になった。それを今の政権は、防衛費を増やしながら、船の数を、特に、あのミサイル防衛も兼ねて、イージス艦を中心に増やす。そして、ヘリ空母のような形のもの、これは、海外で展開するような装備、それから、米軍と一緒に戦うための装備を増やしているという状況になっているんだろうと思います。

 ちなみに、そういう船一隻にはどのくらいかかるんでしょうか。おそらく、イージスシステムを積んだ防衛艦というのは千4百億円ぐらいなんですね、1隻がね。海上保安庁と議論すると、「海上保安庁の1年分の予算だね」とよく言うんですが、でも、そういう状況にある。そして、航空自衛隊の場合は、主力はF15という戦闘機なんですが、古くなったF4ファントムの後継機F35というアメリカ製のスティルス性能を持った航空機を入れるということが決められている。合せて、今、その航空機の数が、戦闘機で250機ぐらいになるんでしょうか。

 それは一応世界の最新鋭のレベル、本当の最新鋭をAとしますと、Aダッシュぐらいの所にあるだろうと。それはトータルとして言えば、核の戦力を除けば、通常兵器だけで言うと、おそらく、世界で5本の指に入るぐらいの規模と、それから、質の面で、そういう物を持っているんだろうと思います。

 しかし、こういう軍隊の強さというのはね、それだけで量れるものではなくて、自分だけの力で、どれだけの期間戦えるかということを考えなければいけない。だから、そういう派手さはないけれど、実は、ミサイルを予め船に何十発か何発か積んで出かけるわけですね。撃ち尽くしちゃったら、どうするのということです。港に帰ってまた積むわけですが、あるいは、補給艦が持っていって積むわけですが、その在庫もなくなっちゃったら、どうするのか。それはどんな優秀な高い船を持ってたって、そこで、戦闘力はなくなっちゃうわけですね。そういうのをトータルに踏まえた所で、本当に何番目かと言うと、実は、よく分りません。

 もう1つの側面としては、自衛隊だけでは戦えないということを申し上げましたけれど、例えば、その隣の大きな国とね、戦争になって、お互いにサッカー場のように、その離島で戦争をする、あるいは、その周辺で戦うということを考えた場合に、どんどんやられるわけですね。やられたら、どんどん新手を、また投入するわけですから、どっちがその消耗に耐えるんですかということです。あるいは、そのミサイルで撃ち合おうとしたってね、国土に同じ数だけのミサイルを落とした時に、どっちが先に音を上げるんですかというようなことをね、考えないと、国全体としての戦争の能力というのは、実は、量れないということなんですね。

 自衛隊というのは、専守防衛に今までは徹ししていましたが、どうも最近、例えば、今年の国会の施政方針演説で、安倍首相が言われているのは、敵基地を攻撃するとは言っていないが、そういう能力を持った長距離巡航ミサイル、アメリカが、あのシリアの化学施設を攻撃するのに使ったあのミサイルを導入する。あるいは、イージス・アショアというのを導入するというね。じゃあ、それで浮いたイージス艦は何に使うのということになってくる。おそらくアメリの空母機動部隊と一緒に戦えるようにするのかもしれないけれど、結局、それをどうやって使っていくのかということが全く議論されていない。だから、数だけとか性能だけではなくてね、どう使われようとしているのか、あるいは、そのミサイル防衛システムを入れると、それによってどのくらい防御ができて、どのくらい防げないのか。そうすると、そこにそれだけの金を投入するのが妥当なのかどうかということです。防衛費が予算全体の100パーセントなんてことはないわけですからね、どこまでを、防衛力に、自衛隊にやってもらうのか。それは当然足りないわけですから、足りない部分を誰がどうするのかということも考えていかなければいけない。それははっきりしていて、足りなかったらアメリカが助けてくれると思って、やっているわけですね。

 しかし、それは、またそれで、本当にそうなのかということも考えなければいけないし、逆に、そういうことで、アメリカがやる戦争に巻き込まれていくことになれば、今の数ではとっても間に合わないような軍備が必要になってくるという側面もある。そういうことをトータルに考えていくことが必要なんだろうと思っております。

 私流の解説をすれば、そんな所なんですが、募集の話は、林さんの方が多少情報があるかもしれませんが、私が聞いている限りでは、最近、民間の景気がいいもんですから、非常に苦戦しているというふうに聞いております。


 募集の件について、私は、当時の名称で、地方連絡部長をやっておりました経験から申し上げます。バブルの時期には、本心から自衛隊を職業として選択、志願して来る若者は、実に貴重な僅かでした。人材が社会的に求められている数に不足していた時代では、自衛官の募集は、高等学校でも落ちこぼれの皆さんを採用していたというのが現状です。

 ところで、世間の景気が悪くなってまいりますと、就職難が自衛官の募集状況を一変させます。私が校長をやっておりました幹部候補生学校では、女子が40倍、男性が30倍、これが一般大学からの公募でございます。ただ、ここで校長をやって非常に心強く感じましたのは、彼らが、職業軍人を志願してくるということです。どこにも行く所がないからではなくて、自衛隊の幹部を目指して来るという若者が募集数が40倍・30倍という数字であったことが、若い人たちに対する、私自身が感じた魅力でもあります。

 それから、戦う力ですが、冷戦崩壊については、航空自衛隊の場合、日米共同作戦がソ連のパワー・ポリティックスに対して十分に機能していたと考えます。冷戦時には、ソ連が極東に2,400機の軍用機を展開しておりました。対する日本の戦闘機は千歳と三沢に合計100機、それから三沢の米軍が75機でした。

 ところが、これにミサイルを搭載して防空作戦を行っても、命中率が50パーセント程度でしたから、戦闘機1機で4機しか撃ち落とせません。当時、ソ連の2,400機の3分の1である800機を撃ち落とせば、攻めて来ないという抑止の数的な効果の基準がありました。アメリカのF16が三沢に展開する前は、まるで大東亜戦争時代と同様、百発百中の命中でなければ抑止を成り立たせる勝負にならない劣勢に立っていました。命中(撃墜)率50パーセントをベースに、どれだけ優位に立てるかという凌ぎあい・鬩ぎ合いをしていたわけです。冷戦構造の中では、2,400機が一度に攻めて来ても、日本では、その3分の1以上を叩き落とせるという力を日米共同作戦において見積もっていました。ヨーロッパ正面と、この北西太平洋地域において、ソ連の西側を上回るパワー・ポリティックスを行使できる兵力整備が困難に陥って行ったから「ギヴアップ」したという形を作れたわけです。

 それよりも大きな問題は、今、柳澤が申し上げましたように戦える力、弾が何発あるかということです。戦闘機は8発のミサイルを積みます。そして、飛び上がって、戦闘して、降りて来て、撃ち尽くしていたら、また、8発を積んで出撃して行くわけです。空対空ミサイルの場合、8発搭載できる状態を1ベイシック・ロード、1BLと言います。2回目に、全機満載できれば、2ベイシック・ロード、2BLと言うわけです。しかし、1980年代、航空自衛隊がどれだけ戦える能力があったかと言うと、1.6から1.9BL、すなわち、2回目の出撃時には、保有戦闘機の1部がミサイルを搭載できない状態だったということです。

 あくまでも計画上ですが、有事には90日間でようやく3BL、3回出撃分のミサイルを補充する計画が作成されていました。現在は分かりません。今申し上げましたのは、1980年代の防衛上、秘密とされていた数値です。既に、現在は大きな変化が起きておりますので時効で宜しいかと思いますのでお話しました。

 そのような計算をした場合に、日本の防衛力がどれほどのレベルかは、今、柳澤がお話し申し上げましたとおりです。「実態としてどれだけ戦えるのか」というのは、政治家の皆さんが、シビリアン・コントロールの立場で知見を持って分っているのかという部分と、自衛隊が戦える自信を持っているのか——どこまで戦えるか——どこまで持つか——という部分が、相互に摺り合わせができて、防衛目標を達成できるだけの人的、物的手当がなされてこその問題であり、答えかと思います。無知なシビリアン・コントロールが「戦え」と命令しても、燃料弾薬が尽きていたら戦えません。

 ですから、北朝鮮のミサイル攻撃に備えて、パトリオットとかPAC3とか言っておりますけれども、皆さまは、限りなく撃てると思っておられるのではないでしょうか。実態は、1回撃ってしまったら、もう次が無いということになりかねないわけです。この実態は、防衛予算の枠組みの中で決められます。すなわち、弾薬燃料が決め手になる継戦能力は、財務省が決めているということになるわけです。

 こういった事情をお分かりの上で、どれだけ自衛隊が戦えるのかということについて、過剰な期待をしないようにお願いをしたいと、このように思うわけでございます。


大橋 おそらく、そういう具体的な話というのは聞いていない我々の方では、自衛隊はそれなりの戦力なんだとかということをいろいろな所で聞いて、色々あるのかなあというふうに思っていたので、ちょっとやっぱり具体的なお話を聞くとですね、多少驚くなんてふうに思っております。

 ただ、実際に本当にそういう戦争というような状況が起きないようにやっていくことは当然重要なことですし、それこそが、私たちの考えている道ではあると思うんですが、一方で、じゃあ、先程ちょっと後半の部分で話を訊きたいというふうに言っていた現在の東アジアの情勢ですね、これについて少し具体的に考えながら、現在の情勢を踏まえて、自衛隊とか、それから憲法9条について、どう考えていくべきなのか。ちょっとこのあたりについてご意見をいただければなあと思います。

 まず、中国との関係で、少しお伺いしたいなあと思っているんですが、まず、留意すべき点、もちろん、もっとあるかもしれないんですが、1つは尖閣諸島の問題がある。それから、もう一つがあの南シナ海の方に、中国が進出していっているというような話も聞こえてくる所でございます。その意味で、今のその2つの点についてですけれども、南シナ海は、今の地図で言えば、フィリピンの北の方ですね、フィリピンの左側、西の方にあるものですね。

 ちょっとこの2点について、絞ってお話を伺いたいと思うんですが、まず、尖閣諸島の関係で少しお伺いしたいんですけれども、尖閣諸島の話も、実は、私の感覚では、数年前までは大分取り上げられていたと。ところが、最近なんかあんまりニュースでも出てこないし、それは以前に比べると、静かになっているのか。それとも、ただ取り上げられなくなったのか。このあたりがちょっと私は分らない部分がありましですね。ちょっとこのあたりの尖閣諸島の現状はどうなっているのかというあたりについて、これは柳澤さんの方から、よろしいですか?


柳澤 はい、中国は毎年7パーセントの経済成長をし、そして、10パーセントを超える国防費・国防予算を伸ばして、そして、今や数から言うと、アジアではアメリカを上回るのか、匹敵するぐらいの軍艦を持っているような状況だろうと思います。やがて、2035年ぐらいには、アメリカを上回るのかもしれないというね、さらに、性能面で言うと、アメリカの得意分野は、コンピュータと宇宙ですね。その分野でも、中国が追いつき、追い越してくるだろうという趨勢にあると言われています。

 それで何をしたいのかということが問題になるんですが、尖閣について言うと、今年は日中平和友好条約締結の40周年なんですね。で、当時、尖閣の領有権は棚上げということでやろうよということになった。主権はどっちのものだということになると、これは議論したって話は尽きないのでね、そこは。だから、争わないようにしましょうという前提で、国交回復が成り立ったんだけど、2008年頃から、中国の公の船が尖閣の領海に入って来るようなことで、その時に何があったかと言うと、日中の戦略的互恵関係の合意文書というのができたわけですね。

 それに対する、反日派と言うのか、中国軍の中の強硬派が、やっぱり、当時はいたんですね。それが、その胡錦濤政権に対する反発もあって、日本に対して、挑発的な行動を若干取るようになったのが、大体2008年。だから、日中友好でいこうと言うと、それに対するその裏返しのようなね、中国内の権力闘争が影響して、尖閣の問題がまた、取り上げられ始めたんだと。

 そして、その折りに、日本も、ちょうど民主党政権に政権交代をして、2010年でしたか、その流れの中で、あの中国の漁船が海上保安庁の船にぶつかるようなことをするんで、それに対して民主党政権は、自民党もできなかったことをやるんだというんで、船長をとっ捕まえて、2週間拘留して、しかし、なかなか謝らないもんだから、その内、外交問題になっちゃうんで、現場のせいにして、無罪放免するみたいなね、そういう対応を取ってきている。

 野田政権になって、石原都知事が「尖閣を買って、人間を上陸させる」と言ったもんで、「これは大変だ」ということで、当時民有地だったんですね、尖閣は。で、地主さんがもう手放したいというので、都が「自分が買う」と言った。 それじゃあ、困るからというので、「国が買います」ということにして、現状変更しないようにした。

 ところが、国有化というのは、やはり、旗印の問題としては、中国から見ると、大きな現状変更だというふうに受け止めた。そして、その日本の現状変更を許さないという意味で、国有化の問題以来、さらに活発に船を入れるようになってきた。ただ、これは軍艦ではなくて、海警(かいけい)というね、巡視船、巡視船だと言ったって、ちゃんと大砲を積んでいるやつですが、それが入ってくるようになった。

 それから、一昨年の末ですが、南シナ海で、あれは国際仲裁裁判所が「中国が埋め立てているようなことは法律違反だ」と言った。それに対して、安倍さんが、法の支配というのを訴えて、あちこちの国を回って、言った。それに対して、中国は、尖閣へわっと船を入れてくるんですね。あれは、だから、そうやって、法の支配とか言って、南シナ海のことを日本は言っているけど、お前の足下は大丈夫なのかという、そういう外交メッセージとして、お互いにそういう嫌がらせをやり、鼓舞しているという状況で今日まできている。海上保安庁も、大体あの現場にほとんど2分の1の勢力を割いているわけですが、相手の入ってくる船との間には、「いつものことだね」っていう、そういう安定感はある。だから、あまり取り上げられなくなってきているんだろうと。

 もう1つ、時々取り上げられているのは、中国の国産空母が、この間公海に出ましたとか、空母を守るための部隊が、沖縄と宮古の間を通って出ていますとか。台湾の南のバシー海峡を通って出ていますとかね。それを海上自衛隊が追っかけてますみたいな話が出る。これは大変だということになるんだが、これは、しかし、中国の立場からすると、自分が太平洋に出ようとすると、その出口しかないわけですね。だから、それは、当然太平洋に出て訓練しようと思えば、そこを通るんだということになるわけで、これは、じゃあ、何のために太平洋に出るかと言うと、それはアメリカの空母が来ちゃうと、中国本土が危険に晒されるわけですね。

 だから、中国は、今、西太平洋で、アメリカの空母が勝手に動き回れないように、空母に対する「接近拒否」と呼ばれていますが、空母が近づけないような態勢を作ろうとしている。これは中国から見れば、すごく防衛的なことなんだよということになる。しかし、こちら側から見ると、今まで出ていなかった船が出てくれば、そりゃ物騒なことだというふうに受け止められる。この中国の問題の本質を考えると、2つあって、1つは、アメリカと中国の海を巡る、海のコントロールをどうするかという問題が物事の本質であるということ。そして、尖閣については、これは何て言うか、ナショナリステックなお互いの日中の感情のぶつかり合いという側面があるということですね。

 だから、両者を同じように軍事力だけで解決しようと思っても、たぶんできないので、本質的には、尖閣の問題というのは、政治がどのように妥協して決着をするのかということなんだろと。私の個人的な意見は、中国が「国有化が気に入らない」と言うんだったら、沖縄県の県有地にすればいいんじゃないかと。あそこに、何も無理に国境を引かなくたって、何も困らないでしょう。そもそも辺境の海に国境を引こうとするために争うのであれば、そういうやり方だってある。しかし、それは感情が許せないわけですね。

 しかしながら、感情がぶつかり合ってね、陸上自衛隊が、東北方面隊も予算が減らされて、どんどんその西の方に予算が持っていかれているらしいんだけど、島を取られたら、陸上自衛隊が行って、取り返しました。取り返したら終わりじゃなくて、相手は、また取りに来るわけですね。そうやって、どんどん損害が大きくなっていく。そんな戦争をお互いにして、得になるわけがないという認識もあるわけですね。だとしたら、そんな形で決着しようとしないのが政治に課せられた役割なので、それは政治が何とかしなさいと。しかも、それは日本の問題なのだから、それを何とかしなさい。

 しかし、南シナ海とか西太平洋の問題は、これはアメリカと中国の覇権争いの話なので、そこに日本がどう加わっていくかというのは、自衛隊でやるのか、外交でやるのか、やり方もあるわけですから、それはまたちょっと別な話として、考えていかなきゃいけない。人によっては、北朝鮮の問題が片付いたら、アメリカは、今度は、中国向けに色んなことをやってくることになるじゃないかという見通しもある。

 今の所は、米中はお互いに挑発し合っているけれども、しかし、本気で戦争をする——したい——とは思ってないという状況が続いているということだと思います。それを、だから、我々に対する直接の脅威だと思うかどうかという所は、まさにそこは受け止め方の問題ということになってくるんだろうと思います。

 ついでに、結論まで言っちゃいますとね、つまり、米中の覇権争いの話に日本がどう加わっていくのかというのは、そのように認定して、あるいは、平時からの米艦防衛任務を適用して、それで、自衛隊も一緒になってやっていけば、それは、自衛隊が、今度は、中国軍の敵になっちゃうわけですね。そういう形で、アメリカの米中の覇権争いに巻き込まれるような法律が、今、できちゃっているわけですね。

 しかし、そういうことで臨んでいくのが日本にとっていいことなのか。米中が戦えば、当然、沖縄に、ミサイルがまず飛んでくることを考えなければいけないわけですから、日本が戦場になるリスクをあえて犯して、あえて米中の戦争に加わろうとするのが正しいやり方なのかどうかということ。そして、その尖閣の話は、これは、日本の主権の問題であり、中国が言う主権の問題であるわけですから、その主権と主権のぶつかり合いというのは、それはもう当然お互いの主権という大事な名誉のぶつかり合いですから、妥協の余地がないんです。だから、そこを軍隊に任しちゃいけない。政治が何とか解決しなければいけない問題なわけですね。物事の性質に合わせて、そして、どういう対応の仕方が日本にとってよいことなのかということを考えていかなければいけない。

 いずれにしても、こういう状況が何年かは続く、非常にうっとうしい状況であるというふうに言えると思っています。ちょっと長くなりました。


大橋 ありがとうございます。感情的な衝突もあって、妥協できないからこそ、逆に、こういうのは軍事で解決してはならないんだという所は、まさに大きな指摘だというふうに思います。ちょっと、林さんにもお伺いしたいんですけども、尖閣の問題に関して、今度、自衛隊とか、自衛官の立場から、何かこういう見解を持っているんだということがあれば、教えていただきたいんですが。


 地図をここに出していただいておりますが、軍事的に申し上げますと、ここの日本列島から、台湾、フィリピン、東南アジアへ弓状に延びるラインを、中国は、第一列島線と名付けております。それから、その外側、日本の東ですが、太平洋のこのラインを第二列島線と名付けています。その他にもう一つ、軍事的に中国軍がアメリカ軍の接近を拒否するA2/ADという中国のラインがございます。A2というのはアンチ・アクセス・アゲンストUSAです。それから、ADというのはアンチ・デナイアル・アゲンストUSAです。

 日本を包み込むこのラインの外で軍事的にアメリカを阻止しようというのが中国の線です。それに対して、アメリカは、オフ・ショアーと言いまして、海軍力と空軍力で対抗し得る作戦を企図しています。米中相互が軍事的にこのような線引きをして、それぞれが対峙して、作戦計画を立てています。

 その両者の作戦計画の中で、日本はどのようになっているのかと言いますと、今回ありました米朝会談で、日本がつんぼ桟敷に置かれていたのと同じような状態に置かれているわけです。ただ、自衛隊は、この軍事的対峙にどのように対応するか、「自分たちの役割は何か」と、真剣に取り組もうとしています。従って、こういった軍事的な鬩ぎ合いを考えた場合に、今、柳澤の方からお話ございましたように、軍事的解決は極めてまずい方向へ向かいますから、やはり政治的・外交的に解決していかないと、日本が戦場となる戦争になってしまうという現実的問題があるわけです。

 この想定については、自衛隊は極めてセンシティヴに最悪事態を考えているはずです。これは、この地図を見ながら、今お話しいたしましたが、この地図の日本列島を寝かせて考えてみてください。その場合、明確に分かってくることは、中国が太平洋に出て行けない地理学的環境に置かれているということです。東シナ海も南シナ海も、中国の池でしかありません。中国が太平洋の覇権をアメリカと二分しようとした時に、まさに太平洋の進出経路上のチョークポイントである尖閣が日本のコントロール下に在って、中国にとって障害となっていることが明白です。

 極めて蛇足ですが、日本海を通過してスノー・ドラゴンという中国の砕氷船が北極海に進出し、アイスランドを訪問しております。ロシアは、これに対してロシアの経済水域を通る時は中国の通知を受け入れました。帰路は、公海である北極点を通過したため、ロシアへの通報は行っていません。その当時、中国の砕氷船の航海に、ロシアは極めて神経を尖らしたわけです。

 その時に、ロシアは日本にアプローチしてきました。それは、日本海における中国海軍の進出、北極海へのルートを日露で阻止できるような体制を作ろうとしたわけです。

 ところが、クリミア併合事件が起きて、日本がロシアと絶交状態になることによって、ロシアは、日本をあきらめて、中国に近づくわけです。このように、東アジア、北西太平洋地域の情勢を軍事的に捉えますと、今、柳澤がお話ししましたように、「防衛・安全保障上極めて重大な問題」について、政府あるいは、与党はどれだけ考えているのかが心配です。加えて、憲法9条をいじることによって自衛隊の行動「実力行使」を安易にするということが、安全保障環境をかえって厳しくすると言いますか、この地域の秩序を崩壊させてしまう恐れが生まれると言えるのではないでしょうか。


大橋 今の林さんのお話の中にあったように、自衛隊をこの地域に動かしやすくすることが、かえって、この地域のバランスを崩すというお話もあったと思うんですけども、ちょっと先程の地図をもう1回出していただきたいんですが。尖閣とちょっと離れた南シナ海の所に、中国が実際出ているという話、これは色んな報道なんかでも聞く所であると思うんです。

 これは、ちょっと松竹さんにちょっとお伺いしたいと思うんですが、要するに、そうした国際秩序というものを保つために、南シナ海で、現に中国が進出してきている。そのことによって周辺の地域に非常に危機が高まっている時に、日本が、例えば、言葉では積極的平和主義という言葉もある。こういった所の秩序を維持するために、日本がより積極的に関わるべきだ。その関わり方として、この自衛隊の存在というのが大きいんだということを実際におっしゃられる方というのは少なくはないと思うんですね。

 で、こういう具体的に言うと、例えば、南シナ海の方に、そういう中国とその周辺諸国に抱える問題がある時に、例えば、ここは、今日本の関わり方についてどう考えてきたのか。そのことは自衛隊だとか、あるいは憲法9条を改正することとどう考えていくべきなのか。そのあたりの所をちょっと松竹さんの考え方をお聞かせいただければと思います。


松竹 大変難しいお話ですけれども、まず、日本の関与・関わりで言うと、自衛隊が関わるということはありえない、やってはならないことですよね。やっぱりあの第二次大戦で、日本がやっぱり進出して、それだけが理由とは言いませんけれども、ここの争いが、中国のものかベトナムのものか、フィリピンのものかという争いになっている1つの要因は、やっぱり日本の進出にあったわけですから、そこに再び自衛隊が出て行ってですね、何らかの秩序を構築するということは、やっぱりやってはならないことだというふうに思いますよね。

 あんまり日本は大したことはできないと思うんですけど、私がこの問題でね、今日のテーマと関わって、我々が考えなければならないのは,ここで日本が何をやるかというよりも、その議論の作法と言うか、今、この尖閣に関わってね、柳澤さんや林さんが、やっぱり政治的な解決が必要なんだって——軍事的解決はダメなんだって——というふうにおっしゃった。それは南シナ海でも同じことですよね。

 でも、私が思うのは、すみません、尖閣の話にちょっと戻っちゃいますけど、米中の大きな対決、どこが支配するのかみたいな対決構図は残っているにしても、安倍さんだって,一時期頃のような何か「中国行け行け」みたいなふうに今はやっていないですよね。最近も、あの海空連絡メカニズムについて、不測の衝突を避けるために、お互いの軍隊が連絡を取り合うという体制という、これは2007年に安倍さんが第一次政権の時に、柳澤さんが下にいた時ですかね、提起されて、「ああ安倍さんは大事なことをするな」と私は思って見ていましたけれども、それを今になって再び復活させて、やっぱり中国とそういう不測な事態が起こらないようにする配慮もあるし、かつ、一時期と違って、経済的にも「一帯一路」に参加しないと言っていたのに、参加するって言っている。

 おそらく、安倍さんの大きな戦略は、この改憲を前に彼は、中国とあんまり衝突したってあんまり得にならないということはおそらく考えていると思うんですね。で、かつ政治的解決をしなければならないと、防衛省関係者、自衛隊関係者も言うということ、それはすごく大事なことで、そういう方向でいこうねということでいいと思うんです。

 で、安倍さんは、そこを落ち着かせておいて、しかし、北朝鮮1つあれば、国民世論は相当怖がって、もう改憲には十分だよねと思っていた所に、この米朝会談ということで、焦っているというのが、おそらく、今の状況かなと思うんです。

 ただ、私は、先週、愛知に行って、あの尾張旭で、山尾志桜里さんとちょっと対談してきたんですけど、そこでも、9条の会の関係者が多かったので、話題になっていたんですけど、3千万名署名というので、東アジアは、大丈夫だ、政治的に解決できると主張する。で、自衛隊を派遣する必要はないんだというそういう攻め方をすると、やっぱり、自衛隊は必要ないんですねと、よく9条の会という人は、そもそも自衛隊は必要ないと思っているわけですねみたいな受け止め方をされて署名が進まない。

 だから、そういったことで言うと、平和的に解決しようという訴えだけじゃなくて、やっぱりそこに自衛隊を明記して、さらに強く関与していくことはダメだと言うか、そういうやっぱり、自衛隊論とセットにして、物事を言っていかないと、この問題を別に東アジアをどう解決するかということを宣伝するわけじゃなく、そういうことを宣伝するんだけど、それは改憲との関わりで問題にしていくわけですね,我々はね。だから、そういう所でもね、やっぱり、自衛隊の在り方みたいな所とセットにして、訴えていく必要があるんだと私は思います。


大橋 実際、この南シナ海の問題について、今日も、この憲法9条の関係で取り上げていったのは、本当にある地元の議員の方の本なんかを読ませていただくとですね、南シナ海は日本にとって重要な海域であって、中東から日本のタンカーがここを通るから、封鎖されてしまったら、日本としては危機的な状況に陥る。平時や停戦時は元より、集団的自衛権行使のための要件である存立危機事態が成立したなら、海上自衛隊による掃海活動——海を掃除する活動——です。あれを行う。中国艦船が蒔いていった機雷を片っぱしから掃海艇が取り除いていく。

 そうすると、中国としても海域を押さえることができないということが書いてありますね。要するに、蒔いていった機雷をどんどんどん自衛隊が拾っていきなさいということが書いてある。そんなことが、そもそも可能なのかということ、そんなことをやるのが、妥当なのかというところを、林さんに1つ、ご意見をいただいた後、柳澤さんの方からもご意見をいただければと思います。


 空の立場で、海の話をさせていただくことに自信がありませんが、掃海をしなければいけないほど機雷を蒔くという活動が発生するのは、ほぼ有事に近い状態です。大橋先生がおっしゃったように、日本の存立の危機的状況がおそらく発生しているのでしょう。しかし、外洋のそこまで出かけて行って、機雷を掃海して、日本のタンカーとか輸送船の航路の安全を機雷掃海して確保することは極めてリスクが高いですから、金がかかっても遠回りをすると考えます。ですから、そのようなリスクは犯さず、回避するというのが私の発想です。


柳澤 最近ではね、インド太平洋みたいな言葉が出てきているんですけれども、中東からインド洋を経てマラッカ海峡を通って、南シナ海を通るルートというのは、日本は、83パーセントですか、中東にエネルギーを依存しているのはですね。中国も、やはり80パーセント依存しているわけですね。

 で、南シナ海、マラッカ海峡を通るのに心配をしているのは、実は、中国なんですね。マラッカ海峡の両側には、アメリカの友好国がいて、アメリカの軍艦は、実は、シンガポールに基地を持って、常駐しているわけですから、中国が今南シナ海でやっているのは、資源の話もあるだろうし、それから、今、南シナ海の島を実効支配している数から言うと、台湾とかベトナムとかが、先行グループでね、結構いい島を先に取っちゃてんですね。それで、ろくな島がないから、今、中国が埋め立てをやっているわけですね。

 そこで、むしろ中国は、アメリカに邪魔されたくないという意図で、彼らはやってる。まして、そこに機雷を蒔いて、自分の船が通れなくなっちゃったら,お手上げになるので、だから、この話は、一方的にあいつらが悪いやつで、通商路を破壊していって、ということだけではなく、海洋の特徴、自然の特徴というのは、今や、お互いにとって必要なものになっているであるが故に、その相手から邪魔されないために、自分は一定の力を持つんだという発想を、今、みんな持っているわけですね。

 しかし、もう一方で、そこは、お互いの利益のために、その節度をもって、ルールをもってやっていこうよという協力関係が一番作りやすい所でもあるということでね、そこで、自衛隊も機雷掃海をやるって、それはいざとなったら、やれるかもしれないけど、機雷を蒔くこと自体がもう戦闘行為ですからね。それを排除すること自体も、それはもう戦争するということです。

 つまり、戦争となれば、さっきから言っているように、南シナ海で戦争すると言いったって、中国と戦争すれば、中国は、出てきた自衛隊を追っかけ回すのは大変手間がかかることですから、基地にいる間にやっつける方が軍事的には合理的なんですね。基地はどこにあるんですか、沖縄にあり、西日本にあるわけですよね。じゃあ、そこにミサイルを撃った方が速いわけですよね。それが、戦争になった場合の軍事的合理性なんでね。

 だから、いちいちその南シナ海に出て行って、お互いにその船を捜しっこして、やっつけっこするようなことよりは、本気でやるんだったら、日本がまた戦場になる。あの中国との関係っていうのは、そういう非常に日本にとって難しい関係にあるということを考えずに、中国にやられたら、大変だから、それはやられたら、大変に決まっているけれど、やられないための、お互いやったら損だという事実はあるわけですからね。それをどう生かして、戦争にしないようにするか。政治家が考えるのは、そっちなんだろうというふうに私は言いたいと思います。


大橋 ありがとうございます。中国との関係について、今、大分色んなお話しをいただきました。やはり、この政治がやるべき部分というのは非常に多いというお話を伺って、大変貴重だというふうにお伺いいたしました。

 で、もう一つ、先程あの松竹さんの話の中にも出てきましたけれども、北朝鮮との関係で、米朝首脳会議というのが、歴史上初めて実現したというニュースは、まさに今月でしたので、本当に記憶に新しい所だと思います。少しこの件について触れたいと思うんですが、なかなか難しいとは思うんですが、この米朝首脳会談についてどう評価していますかという質問してみたかったんです。どなたにお伺いしたらよろしいでしょうか。柳澤さんから、まず、お伺いしてよろしいでしょうか。


柳澤 私はね、これを評価するということは、トランプとキム・ジョンウンを持ち上げることになっちゃうから、あんまり素直にね、よくやってくれたという意味での評価は、しようとは思わないんです。しかし、これは大変大きなことであることは間違いないのでね、それは、何かと言うと、要は、彼らが非常に優れたリーダーであるが故に、こういう合意ができたんだということではなくて、核問題を解決しようとしたら、北朝鮮が核を持つ動機って何だ、アメリカに滅ぼされないための体制保障がほしいからだろうということになれば、今度、両リーダーが体制保障をしてやると。そうなら核は要らないだろうと。こういう合意をしたわけですね。

 だから、それはそれでね、物事の道理に合った本質的なことをちゃんと知ってか、知らずか、知らないけれど、ちゃんとそういう合意をしたという意味では、そこは、道筋として正しい合意だったんだということですね。しかし、それは、検証可能で、逆戻りできないとか、そういう細かい手順ができてないから、また、北朝鮮に騙されるぞとか、そういう心配はもちろんある。しかし、今は、両方の独裁者的なトップリーダー同士がね、「やるんだ!」と言っちゃったんだから、後、何があったって、やらざるを得ないわけですね。その意味はすごく大きいんだろうと思っています。そうやって米朝の間で、敵対関係がなくなる。敵対関係がなくなれば、戦争の心配がなくなるということになったならば、ミサイルも要らなくなる——核も要らなくなる——こういう道筋なんですね。

 今まで、北朝鮮が核を手放すために、軍事的な圧力をどんどん加える。圧力をかけて、無理矢理やらせようとしていた。強要しようとしていたんですね、力づくで。それじゃあ、私は、解決しないよとずぅっと言ってきた。その力づくで強要するんじゃなくて、まず、相手が一番欲しいものをちゃんとあげなさい。そうすれば、解決するよということを、私は、ずぅっと言ってきたんです。

 その流れを作ったという意味では、私は良かったと思っています。ただ、それが素直にいくかどうかというのは、お互いの疑心暗鬼はまだ残っているので、それがちゃんといくように、我々も含めて、国際世論がしっかり監視していかなければいけないという課題があるんだろうと思いますね。

 それで、まず、1番のターゲットとご褒美を決めちゃったわけですね。それを保障するために、米朝の敵対関係って、そもそも朝鮮戦争の話ですから、朝鮮戦争を解決しようということも合意しちゃっている。そこでは、中国と韓国が出てくるわけですね。

 そして、その次に、その日本やロシアも含めて、それをどう保障して、支援していくかっていうそういう三層構造になっているのだから、今、日本って何もできない、置いてきぼりじゃないかという、そのとおりなんで、つまり、日本は、そこに、まだ関わる立場ではない。だけど、それを邪魔するようなことはしてはいけないので、むしろ、それを促進していくという立場で、やっていかなきゃいけないんだろうということになってくると思います。


大橋 1つの取っ掛りとしては、今まで本当に想像もしなかったようなことが起きているのかなあというふうに、少なくとも、外形的には、そう見えるのかなあというふうに私なんかも、感じてるんですね。その中で、今、柳澤さんの言葉の中で、邪魔しないようにというお話がありましたけれども、今、このタイミングでですね、日本が、例えば、この9条を改正するんだと。で、その9条の改正の中味なんてことはあまり分らないと言う人も、少なくともこの9条を改正するというメッセージというのはすごく大きいインパクトを持つんだと思うんですね。今、この時期に、特に、このアメリカと北朝鮮の関係が、今、こういう状況になってる中で、憲法を改正するというようなメッセージを国際的に発するということに関しては、どうお考えでしょうか。これはやっぱりやるべきじゃないと考えるべきなのか。それとも、それとは関係ないと考えるべきなのか。これは林さん?


 軍事的に申し上げます。今、大橋先生がお話になりましたように、北朝鮮がどのような態度、行動に出てくるか。日本は、憲法9条について、自衛隊を明記して、戦える体制を政策的に、かつ明確に外へ出すわけです。その場合、北朝鮮は日本を一層の脅威として考えるでしょう。今までは、核と弾道ミサイルで、北朝鮮の自国防衛の発想がありました。それを非核化という方向で進めるならば、核と弾道ミサイルの組み合わせに代わる通常兵器で軍備を整備するに違いありません。

 さらに重ねて申し上げますと、今、通常兵器に限れば、北朝鮮の海軍・空軍の実力は韓国、日本に太刀打ちできない状態ですから、当然のことながら、日本がポジティヴな憲法9条の変更を行った場合に、日本は脅威であるということで仮想敵として、彼らは当然のことのように、通常防衛力装備の整備を急ぐでしょう。

 非核化にかかる金を日本とか韓国に出させながら、その金は全て通常兵器の整備に回されるということが十分考えられるわけです。

 ですから、いずれにせよ、北朝鮮が通常の防衛力を整備していくのは間違いないと考えますが、その辺についての言及は軍事的に考えるべきだろうし、お金が本当に非核化のために使われるかどうか見ていくべきです。理屈としては非核化するから、通常整備が必要だということで、まず、軍事力整備最優先で北朝鮮が金を使うということは有り得るわけです。先程申し上げましたように、50機の戦闘機、1機百億円で5千億円、運用するためには、1兆5千億円かかります。「はい、日本はお金を出してください」、裏を返せば、そうなってしまうわけです。そのように考えております。


松竹 皆さん方の中にも、韓国へ行った方は沢山いると思います。板門店なんかにも関心持って行かれたと思うんですけど、私は、それだけでなくて、ピョンヤンにも行ったことが、若い頃ありまして、国際会議で行って、会議中ちょっと部屋に戻ったら、北朝鮮の人が部屋でごそごそ捜していて、やっぱり,噂どおりのすごい国だなあと思った経験もあります。それ以来、北朝鮮の国家体制というか、この問題はすごく関心を持って眺めていまして、あの人権委員会理事会の報告なんかにもよく目を通した時期もあります。

 4年前に国連の人権理事会で報告が出されまして、日本政府は、核兵器禁止条約の翻訳はしないのに、その北朝鮮の人権状況の報告は450ページもあるんですけど、全部翻訳をして、外務省のホームページに載っておりますけれども、それなんか非常によく分る、興味深い。本当に閉ざされた国ですけど、脱北者が何万人もおりますので、詳しく聴き取って、1人だけの証言だけでなくて、色々クロスさせて、確かめながら報告をしています。

 その中で、結論として、要するに北朝鮮というのは普通の独裁国家ではなくて、世界史の中にも幾つか現われた全体主義国家だと。要するに、ナチスのような国家だというような結論付けをしております。そういう国と合意をして、まず、合意したものをどう実現させていくかっていう非常に難しい課題に我々は直面しているんだと思うんですよね。

 ただ、私が思うのは、やっぱり、この間の対応というのは、94年の合意とか、6カ国協議の合意とかがあったけれども、結局、アメリカの側からすれば——その内北朝鮮の体制は崩壊するだろう——そこに望みをつないでやってきたという面があるわけですよね。でも、やっぱり崩壊しなかった。90年台に、百万、2百万死んだと言われる苦難の行軍の時期を乗り越えて、実は、今、金正日時代よりも、金正恩になってから、GDPの伸びはぐっと増えてきているんですね、韓国なんかも言っておりますが。

 やっぱり、もうこれだけの制裁があっても、自給自足でやっていけるだけの物を作って,その上にちょっと市場経済化して、やってきてるという状況なんですね。だから、おそらく、金正恩さんは、中国みたいな所を目指していると言うか、いわゆるナチスの全体主義ということではなく、しかし、自分の独裁体制は維持するけど、経済的にはうまくやっていくみたいな所を目指していると思うんですね。

 私は、でも、それはそれで今の状態からは進歩だと思うんで、かつ、やっぱり、非核化を進めるためにも、あの深刻な今の全体主義国家から少しは前進して、人権を少しでも、良くしていくためには、あの戦後の東南アジアが経験したようなね、やっぱり開発独裁体制ぐらいまでは、していく必要があると思います。

 だから、私は、そのためには、やっぱり日本は経済的な支援で、今の枠組みではね、全てのものが解決しなければ、何もお金は出しませんよというのが状況ですけども、今の深刻な問題を解決するためにも、拉致も含めてですね、あるいは、非核化の約束を北朝鮮に絶対やらせるためにも、日本がやるべきことってということをおそらく真剣に考えなければならない時期に、今来ているんだなあと思います。


大橋 ありがとうございます。北朝鮮との関係でも、本当に今月に入ってこんな大きな動きになるということは、本当に、今年に入った頃なんて、想像していなかったところなんですけれども、その中でも、何か今までと全然違う発想が必要になってくるのかなあというふうに思っていたところでございます。

 もう一つ、これはよく色んな所で世の中を変えていく時に使われる言葉で、これは私自身が非常に気になっている言葉なんですけれども、テロ対策、どんな議論でも、変えていく時に、特に、東京オリンピックがあるから、テロ対策なんて言葉がポンと使われると、何となく、皆さん納得してしまって、「ああ、そうだね。それだったら、そこは変えないといけないね」と言って、色んな法律も変えられてきたんだと思うんですね。

 これから先、また、テロ対策ということがどんどんどん叫ばれてくるのかなと思うんですが、このテロ対策の上で、果たして自衛隊って何かやるべきことがあるのか。それとの関係で、じゃあ、テロ対策と9条ってどう考えるべきなのか非常に難しいテーマだと思うんですが、少し、ご意見をいただければと思います。これは、どなたに、まだ決めてなかったんですが、どなたか、じゃあ、柳澤さんからお願いします。


柳澤 テロって何なんですかと言うと、テロって犯罪なんですね。犯罪として対策をしなければいけないわけですね。根底には、国際協力をも含めて、そういう動きがあります。つまり、テロっていうのは、戦争じゃない。犯罪か戦争かの違いは、何かと言うと、それは軍隊がやることなのか警察がやることなのかということが違ってくるわけですね。今までの実態を見ると、9.11のテロに対してね、ブッシュ大統領が「これは戦争だ!」と叫んで、軍隊を投入していくわけですね。アメリカは、他に得意技がなかったから、アフガニスタンに行って、タリバンを滅ぼす。しかし、今は、また、そのタリバンが盛り返して来て、アルカイダも入って来て、どうやってそのアフガニスタンで、和平合意を作るかみたいなことで、今、散々その展望のない状況が、アメリカ建国以来最長の戦争と言われていますね。もう18年続いているわけですね。

 イラクでも、「テロ支援国家だ。テロの根源だ」と言って、フセイン政権を戦争によって、軍隊の力で倒した。しかし、それがまたテロの温床になったというね。だから、我々も経験したのは何だというと、軍事力、武力で,戦争によって、テロを根絶することはできない。むしろ、拡大再生産しているんじゃないかということを、そういう教訓を得た。やはりテロというのは、社会政策であり、警察政策であり、法治機構の問題なんだということを考えなければいけないんだと思います。

 そういう意味では、色々これから問題になってくるのは外国人のチェックの問題とか、それから、一方では、その資金の問題があってね、この間、銀行で自分の金を下ろすのに、ATMで「10万円しか下ろせないの」って文句言ったら、考えてみたら、私が官邸にいた時に、作った政策なんでね。色んなその政策の相乗効果で、テロの根っこを締め付けなければいけないというのと同時に、それから、これは、人によっては、嫌なんでしょうけど、監視カメラを付ける。警察官が駅に立って、見える形で、現場で抑止しているというようなところがある。

 この間、しかし、新幹線で、ああいう事件があった時にね、じゃあ、チェックできますか、イヤ、できないよねって話なんですよね。あの東京駅の混雑を見ているとね、あそこで、チェックなんか入れたらね、それこそ、さすがの日本人も、暴動を起こすぐらいの話。その利便性とあるいは、そのプライヴァシイの保護とどう両立させていくかということが、実は、非常に本質的に大きな課題です。

 もちろん、アメリカはもう戦争を始めちゃったたわけですが、日本がその尻馬に乗って、その戦争のお手伝いをするというようなことで、対応するのは、物事の本質において、対処として間違っているわけだし、そうして、そういうことをやっていけば、今、彼らのターゲットはアメリカなんですね。イスラム原理主義者のにっくき敵はアメリカなんで、その神も仏も一緒にまつってくれる日本人なんていうのは、あまり、それ自体がターゲットになってないのが、日の丸を付けた軍隊が行けばね、やはり、ターゲットになっちゃうという危険もあるわけです。

 だから、テロ対策は必要なんです。大事なんだけど、それをどういう形でやるのか、そして、それは、市民的な権利、自由を——人権を——保護しながら、そのどこまで譲れるかということを、実は、そこがすごく国民合意が求められていることなんだろうというふうに思います。

 それ抜きに、テロ対策だからと言うんで、何でもやっちゃうというのは、これはもう非常に危険でもあるし、それから、最後に言おうと思っていたんだけど、国を守るというのは何かと言えばね、国の姿を守ることなんですね。1人1人の命を全部守り切れるわけにはいかない。国の姿って何ですか。憲法に何て書いてあるか。それは基本的人権の尊重ですよ。それから、国民主権ですよ。国民主権と基本的人権の尊重されるそういう国を守るのが国を守るということなんで、そういう国を壊してまでね、テロ対策の名の下に政策を進めていくことが、問題なわけですね。

 だから、憲法の問題というのは9条だけでない、秘密保護法の時も反対がありました。共謀罪の反対がありました。そういう形で、9条の平和主義も含めてね、やはり、国の姿が壊される。じゃあ、国の姿が壊されるのを誰が守るのか?それはまさに国防の問題だが、それは自衛隊がやれないんですね。そこは国民がやらなければいけない。国民には、国防、まさに国の姿を守る役割があるんだということだと思います。


松竹 簡単にですけど、自衛隊を活かす会は、柳澤さんが代表、私が事務局長でやっておりますけれども、4年間ずぅっと色んな議論を続けてきて、一年目に、自衛隊にはどういう役割があるんだろうということで、連続的にシンポジウムをやったんですね。その内の一回で、「対テロ対策と自衛隊の役割」と銘打って開こうといたしましたら、お呼びした学者の中の酒井啓子先生から、「こんな役割は自衛隊にないわよ」と言われまして、タイトルそのものを「対テロ対策における日本の役割と自衛隊」というふうに変えました。実際、この現場でも、テロ問題を担当している防衛大学校の先生に来ていただいて、色々議論しましたけど、「自衛隊の役割はほとんどないよね」ということは、おそらく一致した——当時の防衛大学校の先生も含めた——状況だと思います。

 しかし、同時に、その時に、もし、1つあるとしたらということで、話題になったのは、やっぱり、そのテロが発生しているような所へ行って、色んな紛争の対立があるわけじゃないですか。その対立を宥めるというか、終わらせるというか、そこでの役割はあるんじゃないかということが、その場で出たわけではないですけれども、ありました。

 例えば、日本は、ネパールで、いわゆる毛沢東一派の集団のテロがあって、それを何とかしようというんで、それを終わらせる合意ができた時に、日本の自衛隊が、非武装丸腰でですね、2年間、武器を持たずに行って、その武装解除——武器を収めてくる——というような役割を果たしたというようなこともありますので、そういうテロが発生していた時にね、日本がね、戦後、やっぱり人を殺していない——武力行使はしたことはない——というそこの強みを活かして、何かやることは有り得るんじゃないかなあという議論がありました。


 今、柳澤が、戦争か犯罪かということで、テロについて語った部分についてですが、実は、イギリスのマーガレット・サッチャーは、「アイルランドのテロに対して、絶対軍隊は使わない」と宣言し続けました。なぜならば、テロは犯罪だから警察マターであるということです。ところが、ジョージ・ブッシュ・ジュニアが、戦争宣言をしてしまったわけです。

 と言うことは、クラウゼヴィッツの理論からしますと、「戦争は政治の継続である」という言葉があります。中世までは、戦争は、神の名においてやっていました。しかし、これがなくなりますと、クラウゼヴィッツが出てきて、「戦争は政治の継続だから、正義である」という言い方をしたわけです。それが、つい最近まで、ずぅ~っと続いてきたわけです。現在でも続いています。ということになりますと、ジョージ・ブッシュ・ジュニアが「これは戦争だ」と、しかも、「十字軍だ」と言いました。

 この言葉は、テロリストに正当性を与えたことになるんです。「政治の継続」だから「言い分」は双方にあって、第三者が「言い分」の妥当性を決めます。

 桜美林大学の加藤朗先生が言っておられるように、まさにハイパー・ステイト、限られた土地とか国を地上に持たずに、インターネットの世界で、軍をコントロールして戦争をしようとした場合に、それをどう食い止めるかという発想が出てくるわけです。そうしますと、憲法9条の中において、ポジティヴに戦う姿勢を押し出して、しかも、アメリカと一緒にやる。今、柳澤が言いましたように、極めて危険な状況を日本自ら作ることになると考えます。

 その辺について、やはり、国として、直接的な、国民ぐるみのコンセンサスを持たない限り、今、戦争として扱っているテロと戦っていけません。現在は、アメリカの言う通りにやることが一番で、しかも追随型です。アメリカ、トランプ大統領の考え方、やり方イコール安倍首相の考え方、やり方ですから、そのような考え方が変わらない限り、日本は、極めて危険な状態に陥っていくと考えられます。


大橋 ありがとうございました。テロ対策に関しても、非常に示唆に富んだご意見をいただいたなあというふうに思っております。もう5時までですので、もう10分を切ってしまいましたので、本当に最後に、御三方から、ご意見をいただいて、終わりにしたいと思います。最後に、やはり、いただきたいのは、憲法9条をどうやって活かしていくかという点について、皆さまの考え方を3分程度に詰めてお聞かせいただければなあというふうに思っております。

 9条を守っていれば、平和になるんだ、そんなことなんて有り得ない。よくそのような批判を受けることがあるんですけども、ただ、9条があることで、今日の話でも、色々出てきましたけれども、色んな良い面がある。よりこれをどうやって活かしていくのか。特に、憲法9条というものが守られていたとして、自衛隊が存続するということ自体は,少なくともしばらく続くということ、これは間違いないことだというふうに思っております。

 そんな中で、現法のこの9条の持っている平和主義、これを現実の政治の中でどうやって活かしていくべきなのか?こういった所について、それぞれお話をいただいて、今日の講演会を終わりにしたいと思います。松竹さんからよろしいでしょうか?


松竹 今日の長い討論の結論として、3分と言われても、なかなか何を言うのかなあって考えておりました。それぞれあるんでしょうけど、でも、私にとっては、私の主な仕事は編集ですから、だから、結局9条を守るという護憲派として9条を守るという立場で、そう主張するけれども、やっぱり、1つ1つの自分のその主張は本になって現われてくるということなんですよねぇ。

 例えば、今、この米朝首脳会談の話が出ましたけども、早速この7月中旬ぐらいには、『米朝首脳会談後の世界』という本を出します。柳澤さんにも書いていただきましたし、太田昌克さんという共同通信の核問題の第一人者も、陸上自衛隊の幕僚長だった富澤暉さんという方や、北朝鮮経済の第一人者である今村弘子先生とか。

 やっぱりその何て言うんですか?その時々に、9条を活かすためにやらなければならないヴィヴィッドなやっぱり問題ってあるんですよね。だから、留まっていてはいけないと言うか、その時々によって考えて、自分は何をするのかをやっぱり考えていくということが大事だって思うんですね。

 だから、林さんを含む3人の本を作っていると言いましたけれども、その3人の本の監修は、柳澤さんにお願いして、皆さんにお配りしているその中に監修の言葉を書いていただきましたけども、私にとって見ると、本当にそれを自分でも話を聞いてみて、すごく新鮮な驚きが沢山あって、何人かの方の丸ごとの人生を、やっぱり、知るということ自体が大事です。

 例えば、その1人、渡邊さんという方を神戸にお連れした時、9条の会で、護憲派の方から、「いや、自衛隊と言ったら、対米従属の軍隊だろうって。あんたは何をしてきたんだ」みたいなことの質問があるんですよね。その渡邊さんがおっしゃっていましたけれども、「いえ、いえ、って、自分にはそんな実感は全然ないって。例えば、陸上自衛隊と米軍が共同演習をしたら、米軍というのは外制軍だから、日本の市街地でも平気で通って、ソ連と対峙するような訓練をするっていうのです。陸上自衛隊は、止めてくれと。そこには国民が住んでいるんだから、通らないでくれって主張する。だから、対米従属と言われるけど、自分の実感としては、どうやって国民の命をちゃんと守るために、アメリカにいいものを言うたというつもりで、やって来たみたいなことを言っておられました。

 だから、本を買ってってくれという商売なんですけど、でも、本当にその現状に留まっていないでね、勉強し続けるというか、国民投票なんかは生涯なかったことですから、相手も真剣でやってくるんわけですけれども、自分も留まらないで、勉強していかなければならないんじゃないかなあというふうに思います。


大橋 ありがとうございました。林さん、お願いします。


 はい、今日、お話し申し上げましたように、憲法9条は自衛隊の武力行使に関するリトマス試験紙でなければいけない。チェックする機能を果たしていけばいい。そのように思います。ただ、その前提としては、シビリアン・コントロールが優れていないといけない。前が良かったということになりますから、劣化しているという言い方は不適当かと思いますから、「成熟していないシビリアン・コントロール」と言いましょう。それ故に、憲法9条には、「シビリアン・コントロールはかくあるべし」ということを加筆した方がよほどいいと、そのように思っております。


柳澤 憲法を活かすというのはね、9条を活かすというのは、つまり、憲法9条を変えずにいた方が、日本は、より安全になるんだ——より平和が保たれるんだ——というその道筋を示さなければいけないということなんですね。

 そこで、今回の北朝鮮の例を見てもね、国と国が対立をするから、戦争になるかもしれない——ただ、力が必要になる——抑止力に頼らなければいけない——ということになる。そして、戦争が現に起きていなければ、ああ、平和が良かったなということになるのか。

 しかし、抑止力を持つためには、ずぅ~っとその軍拡をし続けなければいけない。何か相手が勘違いした場合に、戦争になるかもしれないというリスクの上にずぅっといるわけですね。それは、国民がそういう平和を望むのであればね、それは、軍拡やればいいんです。軍拡しかない、答がね。

 しかし、そうじゃなくて、国同士の戦争のもとになるような対立をなくしていくということができれば、軍隊なんかなくたって、極論すればね、対立がなければ、戦争にならないでしょうっていう意味で、本当に戦争の心配をしなくていい状態ができるでしょう。それが、憲法9条が目指した平和であり、それは、国民1人1人として、どういう平和を自分は欲しいんだということを考えていく。それがその憲法と国を守ることと、国の安全というものを両立させる1つの哲学です。それは、国民が、やはり責任を持って選択しなければいけない。

 では、軍事的に力を持って解決しなければ、どうするか。それは、どこかで妥協しなければいけないですね。だけど、それは無駄に命を落とすよりも、ここで、少しぐらいの損をしたっていいじゃないかというそういう割り切りが必要になってくるわけです。そのことが通じる雰囲気を——社会を——作っていかなければいけないということ。

 だから、これは結構大変なことなのですね。だから、私は、一つの提案としてね、自衛隊に対してはどうか。要は、力によって争い事を解決しない。しかし、何にもしないで、ぼうっとしていたらね、出来心が起きて一発殴られちゃうかもしれないということを考えると、専守防衛の自衛隊は、やはり、私は維持して、そして、災害派遣やなんかでも頑張ってもらう。それは、それで国民にとってもいいことなんじゃないか。

 しかし、その自衛隊を使って、中国を牽制するとかね、北朝鮮の敵基地を攻撃できるようにするとか。そういうことをやっちゃうと、かえって、相手を刺激して、余計危険になるんだよという所を認識していく。そうすると、その専守防衛という抑制の効いた、さっきの林さんの言葉で言えば、その刀の紙縒、それにつながる抑制の原点として憲法9条なのです。だから、力が強くなって平和になる。力が強いから、平和になると考える人にとっては、憲法9条は最悪でしかないんですね。

 そうじゃなくて、根っこにある対立関係を話し合いで解決しましょう。そのためには、多少のことは我慢しましょうという人にとって、初めて憲法9条が国を守るための力として使われるということになるんだろうと思います。

 時間がきちゃったけど、もう一言だけ、言わせていただくと、余計なことかもしれないけど、私は、最近抵抗を感じるのは、あの官邸の前でね、「憲法守れ!安倍やめろ!」と言っているお年寄りの人たちが結構頑張っておられるんですが、あれは本当にメッセージになるんだろうかということを考えるんですね、我々の目的は憲法9条を守ることが目的なんでしょうか。そうじゃない。それは手段なんですね。何のための手段なのか。それは余計な戦争を絶対してはいけない。あの戦争によってあらゆる物事を解決しようとしてはいけないということを実現することのための手段として、憲法9条がある。

 だから、守るべきは、すごく理屈で言えばね、憲法9条そのものではなくて、憲法9条によってこうありたいと我々が考えていた国の姿を守ることが目的なんですよということ。そこまで上げてくれば、あるいは、引いて考えて議論をしていこうとすれば、その「憲法を守れ!安倍やめろ!」というメッセージよりもはるかにね、その違う意見の人との話し合いのベースができていくのではないかというふうに私は思っているんですね。

 そんな所を、是非あの護憲派の人たちにも、それはすごく危機感をお持ちなのはよく分ります。しかし、危機感があるが故にね、一歩引いて、もっと根本的な所から取り組みをし直すということが是非必要なんじゃないかというふうに私は感じております。今日はありがとうございました。


草場 本当にありがとうございました。3時間あっと言う間に、過ぎてしまいました。本当はもっと沢山の話を伺えればいいんですが、この続きは、皆様方がお書きになった書籍を販売しておりますので、サイン付きでお買い求めいただきたいと思います。今日は、まとめの挨拶は、特に予定しておりません。閉会宣言ということで、1分だけお話しをさせていただきます。

 林さんが「9条はリトマス試験紙だ」とおっしゃっていました。つまり、私たちの国で、自衛隊が新しい装備を持ったり、あるいは、海外で新しい行動をしようとする時に、それは、常に憲法問題になって、国会で議論されてきたんだと思います。憲法9条2項は、戦力不保持、そして、交戦権の否定ということですから、それとの関係で、自衛隊が何ができるのかということが、常に、憲法問題であって、それは政策の問題に過ぎないということではなかったという意味で、大きな国民的な議論がされてきたんだと思います。そういう意味で、自衛隊を書き込むということは、これからの自衛隊の在り方が、単なる政策問題になってしまうという意味で、大きな変化になるんではないかというふうに、改めて感じました。

 憲法9条が持っている平和を志向していくという、それを守るかどうか、そして、最後柳澤さんがおっしゃったのは,別に、市民運動を否定されているわけではなくて、もう少し戦略を考えた方がいいのではないかというご提案でした。そのことも含めて、また、御三方と親しくお話ができる機会があれば、大変いいと思っております。今日は本当にありがとうございました。


司会 柳澤さま、林さま、松竹さま、本当にどうもありがとうございました。ここで、講師の先生方にはご降壇いただきたいと思います。講師の先生方に、皆さま、改めて、大きな拍手をお願いいたします。

 皆さま、本日は、お忙しい中、お越しいただき、誠にありがとうございました。本日の講演会はこれにて終了となります。みやぎ弁護士9条の会では、今後も、このような講演会など企画していきたいと考えております。次の企画等決まり次第、また、広報していきたいと思いますので、どうぞ、今後ともよろしくお願いいたします。本日はどうもありがとうございました。