自衛隊は尖閣を守れるか

シンポジウム

自衛隊は尖閣を守れるか

2016.12.24(土)
10:30〜
16:30

千代田区立日比谷図書文化館 
会費 1,000円
(資料代)

主催/自衛隊を活かす:21世紀の憲法と防衛を考える会


12月24日に開催したシンポジウム「自衛隊は尖閣を守れるか」は130名の参加で成功裏に終了しました。元空将の織田邦男さん、元2等海佐の伊藤祐靖さんなど新しい方々も参加。この間、マスコミなどの参加が定着してきたのに加え、アメリカ大使館、ロシア大使館などからも出席があり、「自衛隊を活かす会」が防衛問題の選択肢を提示するものとして注目されています。今後も意欲的な企画を考えております。引き続きよろしくお願いします。


Ⅲ. 関連企画 18:30 open 19:00 start 21:00 end
2016クリスマスイブ♪伊勢崎賢治ジャズヒケシ

伊勢﨑賢治(Tp)& 坂本千恵(p)& 田中洋平(b)
place:喫茶茶会記

自衛隊は尖閣を守れるか

司会/松竹伸幸/自衛隊を活かす会事務局長 皆様、おはようございます。年末の大変慌ただしい中、3連休の中日に朝から夕方までの企画にご参加頂きまして本当にありがとうございます。只今から「自衛隊を活かす会」のシンポジウム「自衛隊は尖閣を守れるか」を始めたいと思います。私は司会を務めさせて頂きます「自衛隊を活かす会」の松竹です。ご協力よろしくお願い致します。

 シンポジウムを計画した時には、アメリカ大統領選挙が今回のような結果になるとは想像していなかったのですが、トランプさんのいろいろな発言が日本の自衛を考えるきっかけを与えてくれていると思っています。私達もいろいろと勉強して、「自衛隊を活かす会」として、来年以降の糧にしていきたいと思います。

 報告の順番ですが、尖閣で何か事態が起こるとすれば、通常は海、空、陸の順序での対処が想定されますので、その順序で報告をお願いしています。そして最後に「自衛隊を活かす会」の柳澤代表が報告するという順序で進めてまいります。

 午後の討論の時間が大変長いです。「会」の他のメンバーも討論に加わるからでもありますが、大事なテーマで皆さん方の中にも意見を言いたいこと、聞いてみたいことがあると思いますので、たっぷりと時間を取っています。本日はよろしくお願い致します。

 最初のご報告は、伊藤祐靖さん、元2等海佐・特別警備隊先任小隊長にお願いしています。伊藤さん、よろしくお願い致します。


伊藤 祐靖 元2等海佐・特別警備隊先任小隊長

伊藤 祐靖

元2等海佐・特別警備隊先任小隊長

 只今ご紹介に預かりました伊藤でございます。本日は元空将、元陸将と並み居る先輩方がおられます。軍事組織と言いますか、自衛隊におきまして、2等2佐と空将、陸将との階級差と言いますか、持っている権限の違いや及ぼす影響の違いというのは非常大きなものがあります。

 そもそも最初から、なぜ私だけ2佐なのかという気がしましたが、これは私の職種の特殊性から来ているのではないかと思いました。今、作戦の推移が海からではないかというお話がありましたけれども、私は海上自衛官ではありますが、特殊部隊におりましたので、特殊戦の観点からお話をさせて頂きたいと思います。

 まず、私が部隊におりましたのは10年前ですので、当時は出来ませんでしたが、現在は出来るようになっているという話もあると思います。そもそもそうあるべきですし。残念ながらその逆もあり得る話で、当時は出来たけれども今は出来ないということも、もしかしたらあるかもしれません。ですから現在の能力を持ってという話ではありませんし、そもそもクリティカルと言いますか、細部についてのお話をするのは軍事作戦上あり得ないことので、雲をつかむような話にはなりますが、それだけだと面白くもなんともないので、この世界においては常識だけれども皆さん方には面白い話といいますか、イメージングが出来るようなところに話を絞っていきたいと思います。

 まず、特殊戦となったら、恐らく最初に降りてくるのはSpecial Reconnaissance、特殊偵察というオペレーションだと思います。事の推移がどう起きるか分かりませんが、政府が重大な決心を行う場合には偵察をします。政府が重大な決心の理由が必要だからです。偵察で一番最初に飛ぶのは航空自衛隊の偵察機だと思いますが、それだけでは十分な情報が得られない場合には、我々のところにオーダーが入ってくる可能性があると思っております。これが特殊偵察になります。特殊偵察とは一体何かというと、肝の部分は「現地へ行く」ということです。本日の命題は「尖閣を守れるか」ということですので、どのタイミングで来るかは分かりませんが、政府が重大な決心をするために情報が欲しい。情報要求が上がってきて我々が行くと。具体的には島へ上がって情報を取って来るということになりますので、最終的には隠密上陸をするということになります。

 隠密上陸となると大きな3つの分かれ道がありまして、空から行くか、水上から行くか、水中から行くか、という話になります。

 空から行く場合はパラシュート降下、もしくはヘリボーンと言ってヘリコプターを超低空で飛ばして行く場合があります。ヘリボーンでもファーストロープと言って太いロープを使って降りる場合と、ただ飛び降りる場合があります。飛び降りる場合でも海に飛び降りる場合もありますし、平地に降りる場合、山頂に降りる場合などいろいろあります。水上からアプローチするとすれば、音の出ないカヌーもしくは手漕ぎボートを使うこともありますし、泳いでいくこともあります。水中の場合は遠方で水中に入ってスクーターを使用して近づき、そこからはフィンを使って泳いでいくということになると思います。

 そして、島に到着したら何をするのかというと、偵察ミッションであれば偵察。そのまま帰ってくる場合もありますし、その場に留まる場合もあります。留まるのはなぜかというと、その情報を元に政府が重大な決心をした場合、部隊が上がってくるとなれば部隊を誘導する必要があるからですね。そうすると次のミッションは、島の中に隠れて何日間か、何週間かは分かりませんが、そこにいる、これが2番目の作戦条件になります。

 3つ目は上陸地点の安全化を図ります。どの部隊が来るかは分かりませんが、部隊が上陸したいのであれば最も脆弱なのが上陸、海から陸へ上がっている最中ですので、その時点の安全化です。具体的な数字は申し上げられませんが、上陸している最も脆弱な部隊へ飛翔物が届かない半径何百メートルかを安全化、敵がいないようにします。これをクリーニングと言いますが、クリーニングをして作戦中は攻撃を受けないようにすると。部隊が上がってしまえば、部隊が行きたい場所へ誘導して連れて行きます。

 部隊の作戦が綺麗にいけばそれで構いませんが、戦線を一時的に離脱する場合は離脱誘導もしますし、本格的に離脱する場合には残置情報収集──小野田寛郎さんがやられたように──、再攻撃をするための人員を現場に残していくということはあると思います。

 ですから作戦の順番としては、我々の特殊戦が最初に始まるのではないと思いますが、作戦の大きな曲折において情報を取る、もしくは大部隊を誘導するという局面を持つのはおそらく特殊戦であろうと思っています。私からは以上です。ご質問があればいつのタイミングでも構いませんし、答えることの出来る範囲で限度いっぱいまでお答えしようと思います。


司会 どうもありがとうございます。続きまして、元空将の織田邦男さんにお願い致します。


織田 邦男 元空将・航空支援集団司令官

自衛隊は尖閣を守れるか
織田 邦男

元空将・航空支援集団司令官

 皆さん、おはようございます。ご紹介頂きました織田でございます。始める前に昨年の安全保障論議ですが、本当におかしいなと思った点があります。しかしながら、そのおかしさに気づいていない日本人がまたおかしいなと思うのです。何がおかしいかというと、安全保障論議をする時に憲法論議から始める国は間違いなく日本だけです。普通、安全保障論議というのは、どういう脅威があって、どういうことが起こりうるかという国際情勢の議論からはじめます。そしてそういう情勢下でどのようにして主権と独立、平和と繁栄を守るか、そのための戦略や戦術をどのように立ててやっていくか、そのためにどのような法制が必要か、というところまで来てはじめて憲法論議になるのです。ところが昨年の安全保障論議は国際情勢の議論が全くありませんでした。衆議院の議論で北朝鮮が出て来たのが1回です。中国は1回も出てきませんでした。参議院でようやく中国の問題が出て来ました。法律は特定の国を相手にするものではないということは分かります。そのため国会の外で、例えばアメリカでは、シンクタンクやメディア、大学、そして国民の間で国際情勢の議論が喧々囂々と行われます。その議論を経て出てくるのが安全保障法制なのです。

 そういう意味で、まさに象徴的だと思いますが、安全保障法制が成立した後、野党五党が廃止法案を出してきました。しかも代替案はありません。ということは、論理的には今の法制が最適だということです。本当に最適なんでしょうか?国際情勢認識の共有が図られていないから代替案が出てこないのです。非常に奇妙なことなのですが、メディアを含め日本国民はその奇妙さに気が付いていない。70年前にジョン・フォスター・ダレスが講和条約調整の特使として来日した際、あまりの日本の能天気ぶりを見て「まるで不思議の国のアリスだ」と言いましたが、日本人はあれから全く変わっていないということです。

 今日は「自衛隊は尖閣を守れるのか」というテーマです。尖閣に攻めてくる、あるいは尖閣の領有権を奪取する可能性があるのは中国ですから、まず中国について若干お話しさせて頂きます。

 私がアメリカに留学している時に、天安門事件で亡命した中国人ロケット科学者──今は残念ながら中国の刑務所に入っています。多分もう出て来られないでしょう──、その彼に大変お世話になりました。彼に中国とはどういう国かということ質問したのですが、彼から即座に出てきた言葉は「2人のカールを愛する国だ」という言葉でした。「2人のカール」それは、カール・フォン・クラウゼウィッツとカール・マルクスです。カール・マルクスは皆さんご存知だと思います。カール・フォン・クラウゼウィッツは、「戦争論」という古典的名著を出した人です。

 2人に共通しているのは、力の信奉者ということです。「戦争が止まるときは両者の武力が均衡した時だけ」、平和というのは戦間期をいうのだと。そして「戦争は血を流す外交、外交は血を流さない戦争」である。ですから中国は孫子の言う「不戦屈敵」、戦わずして勝つというのを最善としています。そのために現在は「三戦」(世論戦、法律戦、心理戦)でもって、戦わずして自分の意図を相手に押し付けようとしている。またクラウゼウィッツは「流血を覚悟して初めて流血無き勝利が得られる」とも言っています。中国はまさにこういう考えなの持ち主なのです。

 鄧小平の時代、彼は「韜光養晦」を主張していました。当時、中国には実力がありませんでしたので、外交というのは頭を下げ、手揉みをしながら下手にやるものだということです。「屈辱に耐え、実力を隠し、時を待つ」とも言っています。ですから、田中角栄との会談の際、「尖閣についてどうしますか」と田中角栄が質問したら「それは今は話したくない」と言いました。今は領有する実力がないので「棚上げ」するという意味です。これに田中首相は返事をしなかったので、中国側は今でも「棚上げ」に日中で合意したと主張しています。

 毛沢東も「敵進我退、敵駐我攪、敵疲我打、敵退我追」との漢詩を残しています。敵が進めば我は退く、敵が止まればこれを撹乱し、敵が疲れれば打つ、敵が逃げれば追いかける。まさに力の信奉者そのものです。

 中国は経済成長では2010年に日本を抜いて、GDPは世界2位になりました。2014年の名目GDPは日本の2倍です。あるエコノミストは2020年にはアメリカを抜くのではないかとも言っております──私はこれには懐疑的ですが。

 もう一つの力の源泉である軍事力については、28年連続2桁の伸びです。今年の日本の予算は0.8%増と言っていますが、0.8%増といってもいろいろなものに取られて新規の事業というのは本当に限られています。中国の場合、二桁、つまり10%以上の伸びを28年間やってどうなるかというと、1989年の44倍、過去10年で3.4倍に膨れ上がっている。経済力も軍事力も力をつけてきた中国は、今や「韜光養晦」をかなぐり捨て、「積極有所作為」と習近平は主張しています。つまり出るところに出て、取れるものは取ってこようという方針に転換したわけです。

 一方、領土領域についての中国の考え方ですが、我々は人民日報などが書いていることを分析して、どういう考えを持っているかをきちんと認識しておかなければなりません。

 一言で言うと国境は力が決めるということです。自らが文明の中心であり、影響力が同心円に広がる。力があるときは同心円は広がるが、力が弱まれば小さくなる。その影響力の範囲が国境だという考え方です。そして中国の影響下にある国は中国に来て臣下の礼をとりなさい。そうしたら統治権を認めてやる。我に従う限り悪いようにはしないと。これは華夷秩序、冊封・朝貢体制そのものです。人民日報も書いてあります。「我に従うものは昌(さか)え、我に逆らうものは亡びる」と。清の時代、欧米列強にボロボロにやられてシュリンク(縮小)していたが、今は実力を回復し、もともと支配していたところを取り返せるようになった。それが領有権の範囲だということです。

 私も現役時代に防衛交流で訪中し人民解放軍の将校と話をしたことがあります。彼らの考え方は古代の中華帝国と全く変わっていません。彼らは二言目には「なぜ日本は中国に逆らうんだ」という言い方をします。日本は中国の影響下にある国じゃないかと。だから中国はそういう考え方なのだということを前提に中国と対峙しなければならないのです。

 南シナ海は2,000年前から管轄権を確立している。国連海洋法条約ができたのはせいぜい30年前だろう。尖閣は600年前から中国が支配している。また琉球はもともと中国のもので、沖縄と呼ぶのは間違いだと。これは先日も環球時報が書いていました。そういう考え方を頭に入れて、最近の中国の動きを簡単に説明します。

最近の中国の動向(国際法違反のオンパレード)

 アメリカの歴史学者であるエドワード・ルトワックは、2008年ぐらいから中国は変わりだした、「チャイナ1.0」の平和的台頭から「チャイナ2.0」の対外強硬路線に変わり、強面で対応するようになったと言っています。実際に中国の動きを見てみるとその通りなのです。

 2008年、中国は北京オリンピックを成功させ、リーマンショックからもいち早く立ち直ります。2009年には「韜光養晦」から決別。2010年にはGDPが世界第2位と力をつけてきた。力をつけた中国は当然外に出て行きます。「積極有所作為」ということです。2013年11月には防空識別圏を一方的に設定し、12月には南シナ海で米海軍イージス艦「カウペンス」にも妨害するようになりました。

 この時に何があったか、これは大きな歴史の節目だと私は思うのですが、2013年9月にオバマ大統領は「アメリカは最早世界の警察官ではない」と「世界の警察官」放棄発言をしました。そこから何が始まったかというと、一気呵成に南シナ海の南沙諸島の埋め立てが始まったのです。18ヶ月で2900エーカー埋め立てというもの凄い速度です。そして自衛隊機に対する異常接近、米軍機に対しても平気で妨害するようになりました。

 2015年9月の米中首脳会談では、オバマ大統領が「埋め立てを中止しろ」と言うのですが、これを拒絶しました。オバマの力は落ちるところまで落ちていましたので、中国としては当然の対応です。ただ、その時に習近平は「軍事化を図る意図はない」とポロっと言ったのです。しかしながら、先日のCSIS(Center for Strategic and International Studies・戦略国際問題研究所)のレポートでも分かるように、埋立地にミサイル、戦闘機を配備しており、平気でこの約束を破っています。

 2016年3月の米中首脳会談では、「『航行の自由』を口実に中国の主権を犯すいかなる行動も容認しない」と強面に出てきます。それに対してレームダックのオバマはなすすべがない。その後、ファイアリー・クロス礁に軍用機を着陸させたり、仲裁裁判所の裁定を「ただの紙くず」と言い放つようになります。

 2016年9月の米中首脳会談では、オバマが仲裁裁判所の裁定遵守を要求しても、もう馬耳東風です。習近平は「南シナ海の主権と権益は断固守り続ける」と明確に拒絶しました。自分達のものだから自分で守り抜くということです。まさに力の信奉者だから非常に分かりやすいです。

 今後どうなるかということですが、中国は軍事力でみますとまだまだアメリカにはかないません。それは人民解放軍も分かっています。ですから米国とは事を構えたくない。これはまず第一の前提です。今はトランプ政権がどう出るかを見ています。今後は、トランプ政権の外交政策によっては、国際情勢は流動的になるのでしょう。アメリカは中国とディール(取引)をする可能性もあります。

 尖閣についても「核心的利益」と言っています。「核心的利益」の1丁目1番地は台湾ですから、12月3日にトランプが台湾の蔡英文総統と電話をしたことでみんな仰け反りました。──これは確信犯なのかどうか分かりませんが。

 中国は「核心的利益」と言っているものは決してあきらめません。2014年にオバマ大統領が訪日した際、「尖閣は安保条約5条の対象」と明言しました。尖閣の領有権はあきらめないが、アメリカとは事を構えたくない。このジレンマの中で中国が今後どういう形で出てくるかを考えなくてはいけません。その際、もう一つの考慮要素は、中国の最優先の課題、コアな国益についてです。まず第一は共産党の一党独裁体制の存続です。これが危うくなれば、国内の不満を外に向けるために、戦争をしてでも一党独裁体制は守り抜こうとします。そして、二番目が国内社会秩序の維持と分離独立の排除です。これらがコアなのですが、それを支えるためには経済成長が欠かせません。この経済成長が三番目のコアです。中国の経済成長はグローバル経済に依存していますから、経済成長の障害は避けたい。つまり、国際社会で孤立したり、制裁を受けたりすると経済成長に悪影響がある。経済成長がダメージを受けると第一、第二のコアも実現できなくなる。

 他方、尖閣は核心的利益ですから諦めるわけがありません。そこで出てくるのが「不戦屈敵」です。「三戦」(世論戦、法律戦、心理戦)で実効支配を奪取しようと狙ってくる。「サラミ・スライス戦略」も言われています。1本のサラミを盗ればすぐ分かるが、少しずつ切り取って食べていくといつの間にか無くなるということです。実際に中国は「サラミ・スライス戦略」でインドから国境のアクサイチン地方というスイスと同じ広さを盗ってしまいました。モディ首相は安倍首相との雑談の中で話しておられました。──インドもなかなか鷹揚な国です。

 もう一つは、POSOW(Paramilitary Operations Short of War)と言いまして、軍事ではなく準軍事作戦で実効支配を奪うというやり方です。どういうことかと言いますと、海軍を出さずに海上警察局、海警(コーストガード)を出す。また、伊藤さんからお話がありましたように、人民解放軍を出さずに武装民兵、漁民に偽装した民兵を出してくる。これがまさにグレーゾーンです。つまり武力侵攻ではないので日本の法律では防衛出動を下令出来ません。従って自衛隊は出動できません。自衛隊が出動しないなら当然米軍も出動しません。法律的には計画的かつ組織的な武力攻撃がないと武力攻撃事態には認定されないようになっています。もし自衛隊を出すとしたら海上警備行動か治安出動ですが、これは絶対にやってはいけない。愚の骨頂です。警察権という手足を縛った状態で軍を出すというのは最悪な結果を招く恐れがあります。しかも「先に軍を出したのは日本だ」という口実を中国にあたえることになる。

 中国は“White Ship Strategy”といって、海軍を出さないで白い船=コーストガード(海警)を出すといわれています。しかし、海警の船はほとんどが軍艦と同じ性能を持っています。船体構造は軍艦構造ですし、武装も76ミリという重機関砲を装備しています。海上保安庁の船(民間船)の構造は全く違います。海上保安庁は民間構造で一重なので、ぶつかって穴が空いたら沈みます。軍艦は二重になっていますから簡単には沈みません。今、中国は軍艦を白いペンキで塗って海警にして出している。だから、“White Ship Strategy”というわけです。

 そこで問題は、陸には民兵がいて、海には海警(公船)がいるのですが、残念ながら空には航空警察といったものはありません。空は最初から中国海空軍vs空自でガチンコ勝負なのです。そしてまた、空の熾烈な様子は非常に一般人には分かりにくいということです。

2016年9月25日 中国戦闘機、宮古海峡上空を通過

 尖閣の実効支配を巡る熾烈な戦いは既に始まっています。ミサイルを搭載した中国戦闘機Su-30に対して、こちらもミサイルと搭載した航空自衛隊の戦闘機がスクランブルして、対領空侵犯措置をしています。対領空侵犯措置で領有権の実効支配が守れるのかという話です。最近の動きを見ると2016年9月25日に中国の戦闘機が初めて宮古海峡上空、つまり第一列島線を通過しました。第一列島線を通過というのは、鄧小平の懐刀の劉華清という戦略家が書いた論文を鄧小平が受け入れて中国の方針になっているのですが、第一列島線、つまり九州から種子島、沖縄、先島諸島、尖閣、台湾、フィリピンを結ぶ線より西を2010年までに内海化するという戦略です。そして第二列島線、これは東京から小笠原、硫黄島、グアム、サイパン、テニアン、オーストラリアに至る線ですが、第二列島線より西を2020年までに内海化するという戦略です。

 ということで、2016年9月25日に初めて中国の戦闘機が第一列島線を通過したのです。第二列島線については、2014年に民兵による小笠原海域のサンゴ略奪事件というのがありました。2020年にむけ計画は着々と進んでいると思います。

 この時の中国の発表は、Su-30など40機以上が宮古海峡を通過し、西太平洋海域で訓練したということでした。日本の防衛省の発表は、空自が緊急発進し、戦闘機を含め8機を確認したということでしたが、どちらが正しいかは分かりません。

2016年11月25日 宮古海峡

 2016年11月25日には、宮古海峡上空を中国軍の爆撃機と情報収集機と、それに随伴するSu-30が上図のように通過しました。これは防衛省発表の資料です。この動きについて、私は某インターネットテレビで独自の分析を公開しています。この日はトランプと蔡英文との電話会談(12/3)の1週間前です。トランプは2週間前から電話会談の打診を受けていたということですから、私は計画的な行動だと思います。

 台湾の新聞をある人から見せてもらったのですが、一番重要なのは爆撃機がバシー海峡から来ているということです。爆撃機がバシー海峡から太平洋を通って宮古海峡から帰るというのは初めてなのです。台湾は戦闘機を発進させたとは書いていないのですが写真を撮ったと書いてありました。爆撃機に接近して写真を撮るのは戦闘機にしか出来ないので、戦闘機を発進させたのでしょう。

 Su-30という戦闘機が上がって来て、宮古海峡を通って、太平洋上で爆撃機、情報収集機編隊とランデブーして護衛して帰ったということです。なぜSu-30は最初から護衛出来ないかというと、台湾を一周するには航続距離が足りないからです。空中給油機が随伴していないということは、空中給油機との連携はあまり出来ていないのだろうと想像しています。

 ただ、レーダーのない太平洋上で、このようにジョインナップして帰れるというのは、凄い示威行動で、太平洋上で作戦能力があるぞと、蔡英文に──勿論、日本に対しても──、警告してるわけです。その警告にも関わらず、1週間後の12月3日、トランプと蔡英文が電話会談をしました。

 電話会談から1週間後の12月10日、今度は逆コースで爆撃機が随伴する戦闘機とともに宮古海峡を通って、太平洋上に出て台湾を一周して帰っています。

2016年12月10日 中国軍機の動き

 この時に少しニュースになりましたが、訓練中の中国機に航空自衛隊の戦闘機が妨害弾、フレアを発射したということですが、日本側は否定しています。中国軍機に対して「近距離で妨害を行った事実はなく、妨害弾を発射し中国軍機と人員を脅かした事実も一切ない」ということです。どちらが正しいか。この分析については、インターネットテレビを見て下さい。ただ、言っておきますが、私は現役に聞いたわけではありませんので、──現役に聞いたというとすぐに犯人探しが始まりますから、私は現役とはノーコンタクトですから──。官房長官は、「事実と明らかに異なることを一方的に発表したことは極めて遺憾」と言っています。これにはいろいろな意味があると思うのですが、ここでは申しません。

 力の信奉者の中国が、空軍を使って空の実効支配を取ろうとしているということです。陸と海の動きとは明らかに違います。

緊急発進回数の推移

 上表は緊急発進回数の推移です。昭和33年から始まって、これまで年間2万5千回ぐらいスクランブルが上がっています。青で囲っている部分が旧ソ連が主体で、ピンクの部分が中国が主体です。1976年6月にはベレンコ中尉亡命事件がありました。1987年12月にはTu-16が沖縄を領空侵犯して、初の信号射撃をしました。1989年には冷戦が終結、1991年にはソ連が消滅したら徐々に減ってきたということです。先程も申しましたように、中国の国防費は28年間連続で2桁の伸び、10年間で3.4倍になっています。実力をつけてくると当然、「積極有所作為」になるということです。

 緑の矢印の部分は今回の主題とは全く関係ないのですが、私が部隊にいて戦闘機で何回もスクランブルで上がった現役の期間です。平成4年に飛行隊長を終え、その後は管理職です。

 私は日本政府も含めて日本の認識は非常に甘いと思います。昔は爆撃機でした。Tu-16、Tu-95という爆撃機に私も何回もスクランブルで上がって対処しました。爆撃機と戦闘機では圧倒的に戦闘機が有利です。我々が戦闘機で上がっていってミサイル射程のところについて追いかけ回すのですから、爆撃機は蛇に睨まれたカエルみたいになります。ですから向こうもバカなことはしません。

 ところが今は戦闘機なのです。最初からパリティ(同等)なんですね。しかも、中国空軍の歴史は非常に浅いですからパイロットも未熟で何をするか分からない。2001年にはJ-8(殲撃8型)という戦闘機が米軍のP-3Cに衝突し、墜落して行方不明になりました。P-3Cは海南島に緊急着陸せざるを得なかった。何をするか分からない。歴史が浅いからそういう軍隊なのです。旧ソ連時代は爆撃機による偵察活動と訓練でした。今は戦闘機による実効支配争奪なのです。尖閣の領空を中国が自由に飛べるようになってしまったら、日本が実効支配しているとは言えません。だから、航空自衛隊も今、本当に大変な思いをして、スクランブルで上がって対処しようとしているところです。

 昔の旧ソ連のパイロット達は洗練されていました。私もスクランブルで上がって、帰るときに相手のコックピットを覗いて敬礼して帰ったら、向こうも敬礼して「ああご苦労さん」と。「お互い国のためだよね」といった感じでやっていました。今は何をするか分かりません。未熟であることは否めない。だからこそ非常に気をつけてやらなければいけません。2012年12月13日はY-12というプロペラ機が領空侵犯しました。2013年9月9日には無人機も出てきています。

国・地域別緊急発進回数(過去5年間)

 上図は緊急発進の回数です。ロシアは訓練と偵察ですから増えたり減ったりです。中国は一貫して増えています。今年上半期で中国は407回です。全ての合計で594回ですから、今年は1,000回を超えると思います。1,000回を超えるのは昭和33年以降で初めてです。594回のうち、ロシアは30%、中国は約70%です。全体で251回増加しているということです。

 対領空侵犯措置について、日本は平時において領空を守れるのかという話です。先程も言いましたように、陸には警察があり、有事には陸上自衛隊が出て行きます。海は平時は海上保安庁が、有事には海上自衛隊が出て行きます。空は平時から航空自衛隊です。対領空侵犯措置というのは政府答弁で「公共の治安維持」と言っていますから、これは警察権の行使という位置づけなのですね。では、平時の警察権から、有事の自衛権の行使へと切れ目なく実効的に対応出来るのか?ということです。これについて、私はいろいろなところで法的欠陥があるということを論文で指摘しておりますが、昨年の安全保障法制でも手付かずでした。

 よく頭に入れて帰って頂きたいのですが、領空と領海は全く違います。領海には無害通航というものがありますが、領空には無害通航はありません。領空は「絶対的かつ排他的」な主権を有します。国際慣例では、軍用機が領空侵犯したら退去させるか、強制着陸させるか、従わない場合には撃墜してもいいとなっています。この国際慣例が実施できて初めて実効支配をしていることになります。問題は日本の法律で「それをできますか?」ということです。

 オバマは訪日した時に「尖閣は安保条約5条の対象範囲にある」と言いました。それは非常に心強いし、外務省もよく言わせたなと私は思うのですが、5条を読んで頂いたら分かるように、「日本の施政下にある領域に対する攻撃」は、アメリカは日本と一緒に対応するとなっているのです。施政下、つまり実効支配していなければ5条の対象ではないのです。

 竹島は実効支配していないですから、安保条約5条の対象ではありません。竹島上空は航空自衛隊も飛べません。北方四島も同じで5条の対象ではないのです。固有の領土だと主張はしていますが、実効支配していないから施政下にはないわけです。だからアメリカも竹島は5条の対象だなんて決して言わないですよね。アメリカは他国の領有権については決して明言しない方針です。アメリカにとっては実効支配しているか否かが重要なのです。

 問題は、自衛隊法には対領空侵犯措置だけ、権限規定がないということです。自衛隊法では、6章に任務規定が書かれています。自衛隊はポジティブリストですから、やっていいことだけが書かれている。つまり、自衛隊法に規定されていない場合、自衛隊を1ミリたりとも動かすことはできません。そうすると事細かく規定していなければいけませんが、規定されていないところがあるということです。第6章の任務規定に基づいて、第7章で権限規定が書かれています。つまり第6章に規定する任務を遂行するために「自衛隊はどこまで権限が行使出来るか」が書かれているのですが、不思議なことに対領空侵犯措置にけ、権限規定が無いのです。その理由は後で言います。

 ご参考までに諸外国はどのようにやっているかということですが、最近の例としては2014年3月23日にトルコ軍がシリア空軍の戦闘機MiG23を撃墜した例があります。トルコとシリアは戦争状態ではありません。平時です。トルコ国境に接近するシリア空軍のMiG23に対して4度警告して、警告にもかかわらず1機がトルコ領空に侵入しました。その時点でミサイルで撃墜しました。領空には絶対的かつ排他的な主権があるということです。軍用機の侵入は強制着陸または退去で、これに応じなかったから撃墜したわけです。これに対して国際社会で批判する国は1つもありませんでした。独立国家として正当な自衛行動だということです。

 それはシリアの飛行機だからではないかと言われる方もいるのですが、トルコは1年後の2015年11月14日、ロシア空軍の戦闘爆撃機Su-24を撃ち落としています。

2015年11月24日 トルコ空軍F16 ロシア空軍Su-24を撃墜

 今話題になっているシリア北部のアレッポ周辺をロシアが2015年9月28日からISへの空爆を始めました。その時に、左の図にありますようにトルコ領が張り出しているのです。飛行時間にして50数秒ですが、そこを何回も領空侵犯されたわけです。10月にロシア機が領空侵犯を何回も繰り返す。その度にトルコはロシア大使を呼んで厳重に注意します。排他的かつ絶対的な主権ですから当然です。やはり相手がロシアですから、ちゃんと手順を踏んでいるのですね。それでも繰り返すので、今度はNATOとして抗議声明も出しています。それでも領空侵犯をやった。トルコが再度警告すると、ロシア軍幹部が「すみません」ってトルコに釈明に来ています。それでもやったので、ついに撃墜したということです。撃墜されたパイロットは生き残ったのですが、警告は聞こえていないとか言っていました。プーチンは一応、形通りの抗議はしましたが、本気で制裁をするわけではないし、ロシアの方に非がありますのでしょうがないかということだったんでしょう。ロシアはその後、1回も領空を侵犯しなくなりました。それが抑止力なんです。トルコは領空を断固として守っているということです。

 では、航空自衛隊はそれが出来るのか?自衛隊法に権限規定がないということは何を意味するのかということですが、自衛隊法を作った時のいろいろな学者や事務方の人の論文を読み漁ると、制定当時はネガティブリストの考えだったようです。つまり対領空侵犯措置は領空に入ってからでは間に合わないから公海上でやりますと。公海上で対処するためには、国際法、国際慣例に従ってやればいい。だからあえて書かなかったのだ、と宮崎弘毅さんが書いています。当時はネガティブリスト解釈でしたので、書いていないからやれないというのは間違いであるとも書かれています。しかしながら長年の国会答弁の変遷を受けて、今や自衛隊法に書いていなければ1ミリたりとも自衛隊は動かせませんということになっているのです。だから、権限規定がないということは任務遂行のための武器の使用は出来ないということなのです。

 そこで最後の手段の「撃墜」なしに、退去や強制着陸させることが出来るのか?という問題に行き着くわけです。断固として領空を守れと言いながら、武器使用の権限は認めない。これは現場からすると政府のダブルスタンダードに思えるから問題なのです。本当にこれは真のシビリアンコントロールなのか?ということです。

 自衛隊法第84条には次のように書かれています。

自衛隊法84条「領空侵犯に対する措置」


 「防衛大臣は、外国の航空機が国際法規または航空法その他の法令の規定に違反してわが国の領空の上空に侵入したときは、自衛隊の部隊に対し、これを着陸させ、またはわが国の領空の上空から退去させるため必要な措置を講じさせることが出来る」

 これが任務規定です。自衛隊の各種行動で唯一「権限規定がない」ということですね。

 我が国の国家意思はどちらにあるのですか?というのが現場のパイロット、私も現役時代は非常にそれは疑問に感じました。しかし、今は爆撃機ではなく戦闘機で出てくる切迫した問題なのです。

我が国の国家意思はどちらに?

 元裁判長が論文に書いています。「権限規定がないということは、自衛隊機には領空侵犯措置の任務は付与するが、侵犯機がこれに応じない場合でも、武器を使用してまで領空から退去あるいいは強制着陸させるべき強制的権限を与えないという国家意思と解さざるを得ない」と。つまり、権限規定がないということは、領空侵犯されても良いという意味だと。もし武器を使用して行動したら裁判所から刑事処分を受けますよ、ということまで書かれています。

 一方で、安倍総理も言っておりますが、領空は断固として守り抜く、受け身ではなく能動的に行動する、国際法及び自衛隊法に従い、厳正な対領空侵犯措置に邁進してもらいたいと。国際法に従いということですが、それが出来るのですか?ということです。残念ながらこれは相反するのですね。だからここははっきりしなければいけません。

 蛇足ですが、撃墜したら「すぐに戦争になる」という人がおられますが、撃墜権限があるから直ちに撃墜するというものではありません。撃墜という最後の手段があるから、警告に従わずに領空に入ってきたら、国際法に従って、退去あるいは強制着陸させることが出来るということです。

 自衛隊機が絶対に撃ってこないとなれば、領空に入っていくらでもやり放題です。操縦者は自由意志で操縦していますから、強制着陸というのは、従わないと撃墜されるという恐怖がないと強制することは出来ないのですね。船とは違って飛行機は強制的に停止させることは出来ませんし、縄で引っ張ってくるわけにも行かない。領空侵犯させないというという抑止力は能力+意思です。能力は持っています。武器も持っています。航空自衛隊のパイロットの能力は極めて高い。しかし、国家の意思というのは何に現れるか、それは法律です。

 こういうことを言うと全然知らない人は「パイロットに撃墜の権限を与えたら、いつ戦争が起こるか分からない」と言うのですが、現場に撃墜権限を与えてほしいなんて誰も言っていません。撃墜には高度な政治判断が必要ですから、総理大臣しか判断出来ないでしょう。

 仮に中国軍戦闘機によって領空侵犯され放題になってしまって、安倍首相が航空総隊司令官に「今度入ったら撃ち落とせ」と命じたとしても、私が航空総隊司令官だったら、「総理、お言葉ですが、法的根拠はなんでしょうか?」と聞かざるを得ない。撃った部下が刑事処罰を問われるようであれば、というような状況なんです。ですから、権限は最悪に備えて、最上限まで法律で定めておいて、状況によって武器使用については、部隊行動基準(ROE)で政治が示す、というのが正しいわけです。それがシビリアンコントロールです。最高指揮官の選択肢を法律が縛るのではなく、政治がこれを縛るべきなのです。

 もう時間があまりありませんが、新安保法制のグレーゾーン事態について少しお話します。現下の情勢では、これが一番蓋然性が高いわけですが、昨年の安保法制では全く手をつけられなかった。しかも運用でカバーするとされました。中国がどのように尖閣を取っていくかというと、海警であり、民兵です。そういう時は第一義的には海上保安庁と警察が対処します。漁民が上陸した時に自衛隊が行くわけがない。しかし、海保と警察の能力を超える場合には自衛隊を投入するというのが政府の考えですが、それは私は間違いだと思います。向こうが軍を出してこない限りは、軍は出すべきではありません。国際的にみて自衛隊は軍なのです。日本が先に軍隊を出したとの口実を中国に与えるだけです。ではどうするかというのは後ほど述べます。

 問題は、中国の軍を使わないPOWSOW(Paramilitary Operations Short of War)に対処できるのかです。

中国のPOSOWに対処できるのか?

 上の図は、侵害に対する国際的対処と我が国の対処の一般的相違の図です。POWSOW(Paramilitary Operations Short of War)、準軍事的行動はグレーゾーンを狙って領有権を奪取しようとするわけです。日本では「平和時から緊急事態まで」(from peacetime to contingency)と言っていますが、国際法上は、戦時と平時しかありません。従って、アメリカは「平和時から戦争まで」(from Peacetime to wartime)という区分で、日本のいうグレーゾーンでも自衛権行使はできますが、日本の場合はできません。ですから、議論しても噛み合わないわけです。

 グレーゾーンを狙ってくるのにどう対応するかというと、法律を変えて自衛隊も自衛権行使ができるようにしておくことは必要です。その上で、向こうが軍を出さない限りは自衛隊は出さないのです。だとすると海保、警察がぎりぎりまで対応できるよう、その能力を上げるしかないわけです。それを「運用でカバーする」つまり発令の迅速化によって自衛隊を出動させて警察権行使をさせようとしていますが、それは間違いだと思います。

 武力攻撃事態以前の自衛権行使は諸外国では当然認められていますが、日本では認められていません。それを「マイナー自衛権」と呼んでいたのですが、「北岡ペーパー」では「マイナー自衛権」という言葉は誤解を生じるため使用しないとしています。しかし、自衛権行使はできるように法律を改正すべきだということを懇談会報告書では書いてくれています。ですが、昨年の安保法制では手付かずであったというわけです。

 グレーゾーン事態における自衛隊の投入については、与野党を通じて安易に考えているようですが、それは国際的にみて間違いです。自衛隊は国際的に見て軍隊です。軍隊というのは最後の手段ですから、相手が軍隊を出さない限り出してはなりません。

 それを海保と警察が対応出来ない場合は自衛隊を出すと言っていますが、今の法体系では防衛出動が下令されない限り、自衛隊の武器の使用は警察権に縛られます。警察権は比例の原則がありますから、向こうが小銃だったら小銃です。正当防衛・緊急避難以外は武器を使用してはならない。相手を傷つけてはならない。こんなことで自衛隊の手足を縛ったまま出動させても任務は果たせないどころか、武装民兵にも必ず負けます。負けるような戦いをするなというのは大東亜戦争の貴重な教訓ではないでしょうか。

 何よりも「中国の思う壺」です。中国は軍を出したくてしょうがない。先に自衛隊を出したら中国は心理戦、世論戦で全世界に大々的にプロパガンダを流すでしょう。トランプ政権に対しても「悪いのは先に軍を出した日本だ」と。トランプに投票した低所得者層は日本のことなんかほとんど知らない、尖閣を知っている人なんかいないですよ。心理戦でやられたら、米国世論は「日本が悪い」となる可能性は大です。そうすれば安保条約も適用できなくなることもあり得るでしょう。

 ではどうするべきか。まずは海保と警察の強化(任務、権限付与、装備充実)です。海保については海上保安庁法第2条を見て頂いたら分かりますが、領域警備は任務にありません。任務に規定されていないけれど、涙ぐましい努力で実質上の領域警備をやっているわけです。

海上保安庁法第2条


 「海上保安庁は、法令の海上における励行、海難救助、海洋汚染等の防止、海上における船舶の航行の秩序の維持、海上における犯罪の予防及び鎖圧、海上における犯人の捜査及び逮捕、海上における船舶交通に関する規制、水路、航路標識に関する事務その他海上の安全の確保に関する事務並びにこれらに附帯する事項に関する事務を行うことにより、海上の安全及び治安の確保を図ることを任務とする」

 海上保安庁の任務は「海上の安全及び治安の確保」です。なぜこのようになっているかというと、海上保安庁は1943年、マッカーサーの占領下で創設されました。当時は再軍備はしない、再軍備と誤解されたくないということで、海保庁法25条で軍隊としての活動をしないということをあえて書いています。任務は「海上の安全及び治安の確保」ですが、これで事実上の「領域警備」を海上保安庁の皆さんはやっているのです。全く頭が下がります。

 諸外国のコーストガードは準軍事組織なので、日本でいうところのグレーゾーンでも自衛権行使は出来ます。第4軍と言われる所以です。アメリカは海兵隊がありますから第5軍と言われていますが。

 今は「海上の安全と治安の維持」ですが、「領域警備、臨検活動、船団護衛等」が出来るように改正しなければいけないということです。中国は軍艦に白いペンキを塗って、76ミリ砲だとかCIWS(Close In Weapon System)、つまりミサイルが飛んできてもそれを撃ち落とす装置まで装備しています。

 今の日本に最も欠けているのはリアリティーの追及です。先ほど申しましたような、法律の欠陥や中国の実情を見ようとしません。だから「弱さの自覚」が無くなるのです。右寄りの人は「中国は簡単にやっつけることが出来る」なんて言ってみたり、左寄りの人は「尖閣など中国にやればいい」と言う人までいるわけです。

 少なくとも日本はガチンコ勝負で中国とやったら負けます。負ける戦争はやったらいけないのです。向こうは核を持っているのですから。日本一国では中国に対峙できないし、尖閣も守れないわけです。良し悪しは別として、5つの傘(核、攻撃力、情報、シーレーン、軍事技術)をアメリカに全面的に頼っているのが現実の姿です。

 だから、日本が中国の台頭と対峙して平和と安全を確保出来るのは、日米同盟の活性化しかありません。中国もアメリカとは事を構えたくない。中国の高官が言っています。「中国にとって最も良い日米同盟というのは、ここぞという絶妙な瞬間に機能しないことだ」と。中国は絶妙の瞬間に機能しないように持って行こうとしてるのです。

 「日本が巻き込まれる、巻き込まれる」って壊れたレコードのように言う人もいますが、逆なのです。アメリカを巻き込む知恵が今日本には求められている。そう言う意味で集団的自衛権行使は必須です。それは戦争する国づくりでも、アメリカの手先になることでもないのです。リアリティーを追求し、弱さを自覚したら当然出てくる帰結です。

 日米ガイドラインを昨年改定しましたので、対A2/AD戦略を支援する「共同計画」を策定する。A2/AD(接近阻止・領域拒否:Anti-Access/Area Denial)というのは、アメリカが活動するのを阻止する中国の戦略です。それに対するアメリカの作戦を支援するというのは、日本の防衛そのものです。同盟は「ガーデニング」だと言われます。ちょっと野放しにしていたら草ボウボウになるわけです。少しづつでも常に手入れしていかないといけない。

 同時に尖閣は独力で領有権を守らなければいけません。なぜかというと、中国は軍を出してこないからです。アメリカが尖閣は安保条約の対象と言う限り、安保の対象にならないように出てくるわけですから。だから、海保、警察の強化と空自への「権限規定」を追加して、中国の領有権争奪を未然に防止する。安保法制のさらなる改善が必要です。私は安保法制は一歩前進だという立場です。一歩前進ですが、まだまだ改善すべきことは沢山残っている。

 これからの時代、憲法9条を大切にする方も結構ですが、日本が戦争を放棄しても、戦争が日本を放棄してくれません。戦争という言い方が悪ければ、紛争といっても良いですが。

 アメリカ人は「オストリッチ・ファッション」だと日本人を馬鹿にします。オストリッチとはダチョウです。ダチョウは危機が迫ってきたら穴に首を突っ込んで、危機を見ないようにして危機から回避したと思い込もうとする。現実を直視することが今日本人には求められています。

 同時に「軍からの安全」から「軍による安全」が求められています。戦前、軍が暴走して先の大戦の原因になったことから、自衛隊法は自衛隊が暴走しないようにがんじがらめにして、結局使えないようにしている。

 私は防大を出ましたが、民主主義の教育が徹底していますので、暴走するような馬鹿な奴はいません。そんな奴は4年間でクビになったり、自分から辞めていきます。防衛費を5兆円も使っていて、使えないように縛るというのは自己矛盾です。これからは「軍による安全」つまり、いかに自衛隊を使って平和と安定を保つか、という「軍による安全」への発想の転換が必要だろうと思います。

 新安保法制は先ほども言いましたように、私はかなりの前進だと思います。しかしながら、まだまだ不十分。国民的議論の始まりの始まりだということです。何よりも欠けているのは、中国という国はどういう国で、今後どう出てくるかという国際情勢認識です。

 同時に「反米」でも「親米」でもない「活米」の知恵が日本に求められています。日本の国益を守るために、いかにアメリカを活用するかということです。「巻き込まれ論」から「巻き込み論」へ、アメリカをうまく利用するということが大切です。

 最後に、ワシントンに安全保障を「丸投げ」していた時代はもう終わりました。冷戦の時代はそれでもよかったのです。今や国民一人一人が安全保障を我がこととして考えることが求められているのです。


司会 どうもありがとうございました。それでは陸ということで、元陸将の渡邊隆さんです。よろしくお願い致します。


渡邊 隆 元陸将・東北方面総監

島嶼防衛 ー陸上部隊の戦い方
渡邊 隆

元陸将・東北方面総監

 渡邊と申します。私は防大を含めますと40年間、陸上自衛隊の制服を着て36年間勤務をしたことになります。人生のほとんどを制服を着て過ごしておりますので、もしかすると皆さんと違ったものの考え方をしているのかもしれません。私はどちらかと言うと極めてリアリスティックに物事を考える方です。有事であれ、大規模災害であれ、そこで事態が起きているわけですから、さてこれをどうしようかと考えるよりも何よりも、まずそこにいる以上は何か行動を起こさなければいけない。自衛官というのは基本的に行動の人であるということを、第一に考えながら勤務をしていたつもりです。

 退職を致しまして今はいわゆる普通の人間になりましたが、40年間で染み付いた生活態度、風習というものはなかなか変わらないもので、今でもちょっと家が揺れるとどこかで地震が起きているのだろうと飛び起きることになります。テレビをつけてどこが震度幾つだと確認したとしても、自分自身ではどうすることも出来ないわけですが、ただやっぱりどうしても考えてしまう、何か動かなければいけない、そういうようなことを考えながら今は生活をしています。

 織田先生が中国について大変示唆に富んだお話をして頂きました。実は中国について、いろいろと悩んでいる国は日本ばかりではありません。アメリカもそうです。悩んでいるという意味は、異なった2つの意見が並存するという意味です。長い間、中国に対してウォッチをしていると、中国に対して殊更好意的にものを考える人と、中国に対して殊更否定的にものを考える人が、両極に分かれて同一出来ないという事態に至ります。これをアメリカでは、「パンダハガー」と「ドラゴンスレイヤー」と言います。「パンダハガー」というのは、パンダを抱きしめる、中国大好き、という人ですね。「ドラゴンスレイヤー」というのは、中国の別名は竜ですので、竜を倒す戦士──ゲームの中の英雄の名前ですが──、これをドラゴンスレイヤーと言います。「パンダハガー」と「ドラゴンスレイヤー」が両立していること自体が、中国に相対する統一した方針を持てない大きな原因なのだと思います。特に国会の議論では、なるべくその議論にならないように中国を前面に出さない、そういうような議論が続いてきたのではないかなと思います。

 今日は、陸上部隊の戦い方という形で、尖閣をどう守るのか、一般論でいうならば島嶼防衛について少しお話を申し上げたいと思います。

尖閣諸島 魚釣島 南小島 北小島

 尖閣諸島の主要な島は魚釣島と南小島、北小島です。島自体は無人島ですし、貴重な資源があるのかどうかも分からない、今のところ経済的な価値があるかというと議論のある島々です。

 ですから、この島をミクロで見るのではなく、大局的に広い視点でこの島がどういう位置付けにあるのかということを見ていかなければいけません。列島線については織田先生からお話がございました。ロシア、韓半島、中国大陸から日本を見る方というのは、こういう形で日本を見ているのだな、ということを我々は考えなければいけないと思います。

地政学的環境、列島線

 我々は4つの大きな島につながる列島国家です。この列島国家は、ユーラシア大陸の東側を防ぐように一連の島々の線によって構成されているということです。

 冷戦時代、あまり南の方は気にされませんでした。主体となったのは、北側半分、この地図でいうところの左側半分です。焦点になったのは、旧ソ連の極東艦隊が日本海からオホーツクを経て、太平洋に出る場合には3つの海峡、宗谷海峡、津軽海峡、対馬海峡を経なければ出られないという地政学的な極めて特徴的な特性を持っていたからであります。冷戦が終わり、こちらの方については関心が薄れました。関心がなくなったわけではありません。現在、アメリカとロシアは、冷戦崩壊後かつてないほどの緊張状態にありますが、今、焦点はこの地図でいうところの右半分、南側に移ってきているように思います。

 尖閣諸島は、この赤い点線のどちら側にあるかと言いますと、点線のこちら側、中国寄りにあります。中国から見れば、列島線の内側にあるエリアだということを我々は深く認識をする必要があると思います。

沖縄を中心とした同心円の地図

 地理的に言いますと、これは沖縄を中心に同心円を書いている地図ですが、強調したいのは、沖縄や南西諸島という地域は、東京よりも台湾や香港、上海の方がずっと近いということです。この辺の距離感覚はしっかりと抑えておかなければいけません。何かあった時に東京から駆けつけるより、日本の本州から駆けつけるよりも、ずっと近いところに相手側がいるということです。それは台湾であってもフィリピンであっても中国であっても全く同じ条件です。

 尖閣諸島の地理的な位置関係を具体的なキロ数で表すとこの図になります。尖閣諸島から台湾の北端までは約170キロ。中国本土までは約330キロ。沖縄本島までは約410キロ。石垣島までは約170キロですから、同一の距離関係にある微妙な位置に尖閣諸島が位置している。この位置は地理学的な特性ですから、我々がどうこうするようなものではありません。尖閣諸島を引っ張ってこっち側に持ってくるわけには行かないわけですから。それを前提に我々は考えないといけないだろうということになります。

 問題は、島の防衛を我が国がどう考えているかという前に、島はどのくらいあるのか、ということです。我が国は島国であるにもかかわらず、実は島についての定義があまり明確ではない珍しい国です。海上保安庁が我が国の領海内の治安を維持するために、島を確認するわけですが、海上保安庁の調査では、現在6,852の島があるとしています。但し、面積が1K㎡以上ある島は323しかありません。地図上に○○島、○○岩など具体的な固有名詞を持っている島は4,917あります。

 一言で島嶼防衛と言いながら、全ての島を守るのか、有人島を守るのか、領土なのだから一定の規模を持つ価値ある島を守るのか議論になるところですが、その辺の議論は今まであまりされたことはありません。有人島は418あります。ここは島で実際に我が国民が生活をしているわけですから、その国民の生命や財産を守る、そういう意味でも守るべき大きなエリアの中に当然含まれるものであろうと思います。ちなみに海上保安庁とは別に国勢調査も行われています。国勢調査では無人島含めて6,430の島が、本州4島以外に存在しているということが分かっています。

 毎年出される防衛白書、「日本の防衛」という防衛省が発刊する本の中では、島嶼防衛について、島はこのように守りますとこのように書かれています。

島嶼防衛(防衛白書・第Ⅲ部第1章第1節)


 「安全保障環境に即した部隊などの配置とともに、自衛隊による平素からの常時継続的な情報収集、警戒監視などにより、兆候を早期に察知することが重要である。事前に兆候を得た場合には、敵に先んじて攻撃が予想される地域に、陸・海・空自が一体となった統合運用により、舞台を機動的に展開・集中し、敵の進行を阻止・排除する。事前に兆候が得られず万一島嶼を占領された場合には、航空機や艦艇による対地射撃により敵を制圧した後、陸自舞台を着上陸させるなど島嶼奪回のための作戦を行う。」

 島嶼防衛を簡単に略しますと、次の5つになります。

①安全保障環境に即した部隊などの配置

②平素からの常時継続的な情報収集、警戒監視

③事前に兆候を得た場合には、敵に先んじて攻撃が予想される地域に、陸・海・空自が一体となった統合運用により、部隊を機動的に展開・集中し、敵の進行を阻止・排除する

④万一島嶼を占領された場合には、航空機や艦艇による対地射撃により敵を制圧──即ち③項でいう事前に兆候を得られなかった場合には、敵にその島を取られてしまうわけですが、まずは陸上部隊を出さずに、航空自衛隊や海上自衛隊が射撃をすることで制圧をしてしまいましょうということです。

⑤陸自部隊を着上陸させるなど島嶼奪回のための作戦を行う

 このような5段階が白書に書かれております。これは、もし島を巡る戦いに日本が巻き込まれた場合に、我が国が取るべき一つの方策を、国として国民に知らせた非常に根拠のあるものです。これが軍事的に正しいかどうかを論じているわけではなくて、「このようにするのですよ」ということを国民に紹介した、きわめて明解な文章なのだろうと思います。

 私は陸上部隊の戦い方を述べるわけですが、これを見る限り、陸上部隊の出番はあまりないということはお分かりだろうと思います。既に④までの間で、敵が退くなり、あるいはこちらに仕掛けるようなことを断念をするのであれば、それでいいのだと言っているわけです。万万が一、最後の最後にどうしようもなくなった時にだけ、その島を奪回をするのだ、という言い方をしています。ですから、陸上自衛隊がこのような作戦に出て行く時は、そのような事態なのだとまず思って頂きたいと思います。逆に言うと、陸上自衛隊を出す、地上部隊を出すということは、最後の最後の手段なのですよということになります。それほど地上部隊を出すということは、国家として重大な決断を要する事態なのであるとまずご理解を頂きたいと思います。

 その背景にあるのは、地上部隊──普通の国は陸軍と言っていますが、我が国は陸軍という組織はございませんので、陸上自衛隊になりますが──、地上部隊、陸上部隊は島嶼作戦にあまり向いている部隊ではございません。もともと地上部隊、陸軍という組織は、地域を確保する能力に大変優れています。地域を占領し、その地域を占領したことによって、その占領しているエリアの住民の安全を守る、これが出来るのは最終的には地上部隊だけです。

 ただ、海を隔てた島に地上部隊を派遣をするということは、歩いてはいけないわけですから、船か飛行機に乗っていかなければいけないわけです。地上で繋がっている限り、陸軍はどんな嵐であろうと確実にそこに行ける、そういう意味では地形・気象の克服能力が大きいという、極めて強じん性のある部隊ですが、間に海があったら別という話になります。

 経海能力、海を越えて部隊を派遣する、部隊をプロジェクションする、プロジェクション・フォースと言いますが、そういうことについて、現在は非常に能力的に制限があるということになります。

 そして、一度、地上部隊を派遣してしまえば、ある一定の期間、継続的に作戦が遂行出来る、これも地上部隊の大きな特性になります。継続的作戦遂行能力大ということです。ただ、その前提は、継続的にいわゆる後方支援、陸上では兵站と言いますが、補給が必要になります。船の場合は燃料や弾薬、食糧などを積んで、燃料、弾薬が切れるまではずっとそこにいることができます。もし、交代をさせなければいけない時は、新しい船がその現場にやってきて、現場で交代をして、船は再補給のために港に帰るということになります。航空自衛隊の場合には、飛行機ですので自分が発進した基地か近くの飛行場に戻っていくということになります。現場に留まる能力という目で見れば、陸上部隊、陸軍が一番、継続的に力を発揮出来るということですが、人は食事を1日に3回しますし、車を動かせば燃料を使いますし、もし戦闘になって行動すれば、極端に消費をすることになります。その都度、後ろから逐次補給をしていかなければ戦闘は成り立たない。そこに人がいるだけでは戦うことは出来ないということになります。そういうこともあって、陸軍、陸上部隊というのは、極めて鈍重で柔軟性がない、逆に言えばだからこそ、陸上部隊を使う時には慎重になりましょうね、という意味合いがあります。

 島嶼防衛の方法は大きく2つあります。①事前配置。取られる前にあらかじめ配置をしておく。②奪還。取られたら取り返す、です。

①、事前配置する島というのは、相手にとって間違いなく重要な価値があるということですが、例えば尖閣だけではなく、他にもあるという場合には、ピンポイントで部隊を事前配置するという意味で、非常に戦略的な判断事項が重要になってまいります。第二次世界大戦を例にとると、日本は台湾と沖縄にどれだけの部隊を置くかで相当迷いました。結局、両方のバランスを考慮して部隊を配置しました。そのために、沖縄に本来配備されている部隊を抜いて、台湾に持って行った、米軍は台湾を侵攻せずに沖縄を侵攻した。これが実は沖縄の悲劇の原因の1つです。そういう歴史的な事実があります。

 「守るに足らず」と言うのですが、本来これは「攻めるに足らず」と言うべきのものです。「孫子」はそのように言っています。攻める方がたくさん人が必要だというのが「攻者3倍の法則」で、3倍ぐらいの勢力を集めないと相手に勝つことは出来ない。したがって「攻めるに足らず」ということわざになるわけです。ただ島嶼防衛のこの場合は、「守るに足らず」になります。ここも守らなければいけない、あそこも守らなければいけない、どんどん配置をしていくと、1ヶ所に配置出来る兵力はどんどん減っていく。なるべく「ここだ」と決めたところに部隊を集中すべきなのですが、この判断が非常に難しいということになります。

②、奪還についてです。奪還をするわけですから、そこに部隊を持っていく必要があります。その時には取られているので、最初に海上自衛隊と航空自衛隊、いわゆる海空戦力が自由に動き回れるような、そういう体制を取らなければ、部隊をそこまで持っていけません。今は「制海権」と言いません。まず「海上優勢」、「航空優勢」がなければいけないということと、海から陸に攻めていくわけですから、アメリカの海兵隊のような水陸両用戦能力を持たなければいけないということになります。

 織田先生からお話があったように、①、事前配置はそこに軍隊を置くということですから、実は相手にとって理由を与えてしまうことになります。およそ、国が戦争を起こす大きな理由が2つあります。1つは自国民保護、我が国民が危険に晒されているのでこれを守らなければいけないという理由です。2つ目は相手がそこに出てきたのだから、自分も軍隊を出す、いわゆる「相手に合わせて出す」という意味で、事前配置というのは諸刃の剣というところがあります。

 自衛隊法の第103条という、一番最後の方に書かれている極めて特徴的な条文があります。これは防衛出動が下令をされたならば、すなわち、日本が有事と規定されて、もう戦争ですよ、ということになった場合は、次のことができますと書いてあります。その第1項が、土地・物資の収用です。尖閣は国有地になりましたので、一定の問題はないわけですが、地上に生えている草も木も国有財産になりますので、それを勝手に自衛隊が使うわけにはいかない。それが民間の誰かの土地であるならば、なおさらのことです。ただ、戦うためには準備が必要であるということで、防衛出動が下令をされたならば、そこの土地、物資が収用できます。これがいわゆる戦場になります。

 第2項というのは、第1項規定した戦場のエリアの外のエリアを「第103条2項地域」と言います。ここは戦場の後ろの地域ですから「後方地域」と概念的に規定ができます。この場合は、土地・物資の収用の他に、そこにいる人に対して、業務従事命令が出せます。第1項は戦場ですから、そんなところに普通の人がいるわけにはいかないので、もしそこに住んでいる人がいれば退去して頂く、国民保護と言いますが、戦火の影響を受けないように避難して頂く必要がありますが、その後方エリアでは、戦場の作戦を有効にするために、例えば輸送や衛生、医療ですが、そういうものに関して業務従事命令が出されます。島嶼防衛の場合は、この1項、2項の考え方が明確に適用出来ないということになります。

 もし尖閣で戦いが起きた時に、そもそも戦場がどこなのか、例えば石垣島は戦場の外なのか内なのか、沖縄本島はどうなのかということを明確に規定しないと作戦は成り立ちません。もし沖縄本島の飛行場から発進した飛行機や部隊が尖閣に行くならば、沖縄も戦場なのではないか。沖縄には米軍がいて多くの方々が生活をしている。このようなところは我々はあまり議論をしたことがありません。そこは明確にしなければいけない。ここまでが1項地域ですよ、ということは、防衛大臣が指定をします。これは国として「ここから先が戦場ですよ」ということを宣言するに等しい行動になります。そうやってみてみると、尖閣の位置、距離関係から、どこが戦場で、どこが後ろから支える後方地域なのか、ということをある程度考えなければいけません。

12式対地艦ミサイル

 写真は陸上自衛隊がこれから開発し、改良しようとしている「12式地対艦ミサイル」という、地上からミサイルを発射して、海上にある船を攻撃することが出来るミサイルの1つです。射程は明らかになっておりませんので、約170キロ離れている石垣島から撃てるかどうか分からないのですが、もし石垣島からミサイルが飛んでしまえば、石垣島は戦場になってしまいます。

 今は非常に武器の性能が上がって、非常に広範囲に戦場が指定をされる傾向にありますが、政治的に、あるいは戦略的に、戦場を限定しようと思えば思うほど、射程の長い、足の長い兵器というものは、どのように使えばいいのかということを真剣になって考えなければいけないということになります。

海上自衛隊の護衛艦「いずも」

 これは海上自衛隊の護衛艦「いずも」です。非常に大きな船です。空母だと思う方がいらっしゃるかもしれませんが、空母ではありません。あくまでも護衛艦と海上自衛隊は言っております。ジェット機が離発着する機能はついていませんので、我々が一般的に考えているいわゆる空母ではないのですが、非常に大きな飛行甲板を持っている船です。

 この船は船内に陸上自衛隊の装備や車両を沢山詰め込めるように出来ています。海上自衛隊が使っている無線周波数と陸上自衛隊が使っている無線周波数は違います。無線機も違います。ですから、ついこの間までは陸上自衛隊の無線機を使って、海上自衛隊の無線機と交信することは非常に難しいことでした。この海上自衛隊の「いずも」は、船の中に陸上自衛隊の通信施設を内蔵しています。司令部が上陸して島に行く間までの間は、海上にあっても陸上部隊が指揮通信をすることが出来る、そのような統合作戦にとって有利な機能も最近になって考えられるようになってきました。

 尖閣を守れるかということですが、今年、陸上自衛隊は沿岸監視隊という部隊を与那国島に配備することになりました。沿岸監視隊ですから監視するだけで戦力は持っておりません。このような情報を収集する部隊を除けば、地上部隊を常駐させたり、長期にわたり駐屯させることは軍事的には疑問ではないかと私は思っています。それが誤ったシグナルにつながるからです。今まで南西諸島は、沖縄本島の他は、宮古島に航空自衛隊のレーダーサイトがあるだけでしたので、南西諸島防衛が非常に重要だというのであれば、当然、国の全体的な防衛としていろいろな配備を考えなければいけません。しかし、その島を守るために常に地上部隊、しかも戦力を持った部隊を常設的に置いていくことが本当に軍事的に妥当かどうかということを考えておかないといけないだろうと思います。

 島を敵に取られた後に取り返すという奪還作戦は、非常に難しい作戦です。これを専門的に行うアメリカの海兵隊のような組織を持って、常日頃から本当にしっかりと訓練をしていかなければなかなかこの作戦はうまく行きません。

 一方で、事前に配置するという作戦は、いつ行うのか、また、敵がこないところに事前配備しても意味がないので、そういう意味で非常に適時の政治的な決断と適切なシビリアンコントロールが必要になると考えます。

 部隊を派遣するということはその部隊を維持することにもなるわけです。皆さん意外と驚かれるのですが、陸上自衛隊の作戦部隊は、多くても数日分ぐらいの補給物資しか持っていません。今は隊員の食事や燃料、弾薬をはじめ、いろいろなものが重要な時代になってまいりましたので、そういうものをいっぱい持って行動するとそれだけで一杯一杯で、なかなか軽易には行動出来ない。部隊はなるべく軽く、軽易に動かした方が良い。ましてやその部隊が歩いて行くだけではなくて、車両に乗り、時には船に乗り、航空機に乗りということになれば、なるべく軽く、小回りが利くように作った方が今の作戦では有利です。そうなると、部隊にはなるべく重たいものを持たせないようになる。ということで、本当に数日分ぐらいの補給物資しか持っていません。

 逆に言えば、数日後には必ず再補給をしてやらなければいけないということです。そういう意味で、継続的な作戦支援が出来る体制になっているかどうかというのは、地上作戦の前に大変重要になってまいります。

 最も優先される後方支援は、何よりも後送(衛生救護)、負傷者を後ろに下げる作戦です。我が国のように非常に少数精鋭で戦う軍隊は──日本全体がそうなっていますが──、何よりも貴重な人命を確保することが第一です。次に弾薬です。弾がなければ戦えないということです。

 この後送と補給が非常に難しい。海兵隊では事前集積船のように1会戦分の補給物資を大きな船(事前集積船)に積んで近くに置いておくというようなことをしていますが、それは全世界を戦場としている米軍だから出来ることであって、使うか使わないか分からないものまで非常に大きな予算を確保している、これもアメリカの戦い方の1つなのだろうと思います。そういうものを持たない自衛隊の場合は、やはり継続的に燃料や弾を運んであげなければいけない、それが出来るかどうかというのが勝敗を握る鍵になります。

オスプレイV-22とチヌークCH-47の比較

 左の写真が今とりだたされているオスプレイ、V-22というのが正式名称です。右は現在、陸・空の自衛隊が使っているCH-47、チヌークと呼ばれる大型ヘリコプターです。ご覧のように基本性能は圧倒的にオスプレイが良い。どちらを使いますかと言われれば、能力に優れているオスプレイを使うのは当然のことです。ただ問題は、あまり信頼性がないといろいろなところで言われている飛行機であることは間違いがない。今までに出現しなかった新しいタイプの航空機ですから当然ですが、このオスプレイが安定的に飛行するまでには相当な時間がかかってここまで来ている。それは初期の空を飛ぶ物体が全部そうであったのと全く同じです。

 私達、地上の部隊から言わせて頂くと、空を飛んでいるものはいずれは落ちる。これは冗談で言っているのではなくて本当のことなんです。だからこそ、しっかりとした安全を確保することが極めて大事なわけです。

 2018年編成予定と言いますから間も無くですが、陸上自衛隊は水陸機動団というアメリカの海兵隊のような海から陸、陸から海へという、海と陸の両方を戦えるような部隊を作ろうとしています。実は現在、九州の西部方面隊の隷下に、普通科連隊1個部隊がおりまして、もう十数年、アメリカの海兵隊と一緒に共同訓練を行っています。これは国民の目にはなかなか目に触れることはありません。共同訓練は常にアメリカに派遣して行うからです。この部隊が日本の近海でアメリカと一緒に大規模な上陸作戦を行うと、非常に政治的にセンシティブだということもあって、ほとんどアメリカで訓練を行っております。その部隊を3つ増やして、3倍ぐらいにして3,000名ぐらいの大きな部隊にしてしまおうというのが今の構想のようです。直接聞いていませんので単に想像するだけなのですが。長崎県に司令部を置きます。各連隊は、AAV中隊、ヘリボーン中隊及びボード中隊(強襲戦闘偵察用ボート)、このような中隊になります。

アメリカ海兵隊 AAV 水陸両用強襲輸送車 上陸用戦闘車

 これはアメリカの海兵隊が持っているAAV(水陸両用強襲輸送車)、いわゆる上陸用戦闘車です。こんな感じで浮かぶこともできますし、地上を走ることも出来る、水陸両用車ですね。

強襲戦闘偵察用ボート部隊 ゾディアック

 これが強襲戦闘偵察用ボート部隊です。ゴムボートです。ゾディアックとも言います。ゴムボートなら弾で撃たれたら空気が抜けちゃいますよね、というとその通りなのですが、非常にうまく作ってあって、1発の弾では全部の空気が抜けないような強い構造になっていますし、中は鋼鉄があったり、非常に高速で機動出来るボートです。これはアメリカで訓練をしている写真です。US Militaryというアメリカの広報誌に載っていますが、この写真は日本の自衛隊です。日本の自衛隊がアメリカで海兵隊と一緒に訓練をしている写真がアメリカの雑誌に載るということですね。アメリカの海兵隊がボートを操作して、そこに陸上自衛隊の西部普通科連隊が一緒になって行動をする、最初のうちは海兵隊からいろいろと教わりながら、ようやく最近、実力が海兵隊並みになってきたという報道がされています。

 ちなみに、米海兵隊というのは、陸海空の戦う機能を併せ持つ、少数精鋭の総数20万人の戦闘組織です。主として太平洋戦争で日本と戦った経験が米海兵隊の基礎を築きました。

 おそらく、尖閣防衛のような事態になれば、陸上部隊が出て行くことになるのかもしれません。皆さんにご理解頂きたいのは、何もない時に陸上自衛隊が島の防衛のために行動することはほとんどありえないということをご理解を頂いて、陸上自衛隊がこのような事態に出て行くときは、本当に最後の最後なのですよということです。おそらく、陸上自衛隊が出て行くまでの間にいろいろなことが起こり、海上自衛隊、航空自衛隊が活躍をされ、その結果として、やはりここは国としてなんとかしなければいけないというような非常に重い政治決断、決心の下に陸上自衛隊は動くのだ、ということを改めて強調させて頂いて話を終わりたいと思います。


司会 どうもありがとうございました。最後に自衛隊を活かす会の柳澤代表から報告があります。よろしくお願いします。


柳澤 協二 元内閣官房副長官補、自衛会を活かす会代表呼びかけ人

尖閣…戦争と平和の論理
柳澤 協二

元内閣官房副長官補、防衛庁運用局長、自衛会を活かす会代表呼びかけ人

 冒頭、司会からもご挨拶申し上げましたが、今日は暮れの大変な時期に寒い中を開場前からお並び頂くような形でご参加頂いた方もいらっしゃいます。皆さんのいろいろお話を聞いてやろうという熱意が私どもの非常に大きな支えになっておりますということで、改めて御礼を申し上げたいと思います。

 私に言わせれば、日本人というのは戦争というものの経験がないわけで、政治家も含めて、もっと言えば現職の自衛隊も含めて戦争の経験がない。ですからどうしても、抽象的な論理だけで結論を出したり──私も同じ立場なのですが──、あるいは感情的に勢いだけで結論を出したりしがちな部分があります。それは右も左もそういう傾向にあると思います。

 そこで、自衛隊の運用というより、戦争というものは実際に何だということを、戦争をしないためにも戦争をしないとは一体どういうことなんだということを考えないといけない。いわゆる戦争学の視点をなんとか取り入れていかなければいけないということで、まだまだ勉強不足であるのですが、そういう流れでこの尖閣の問題を整理してみたいと考えたわけです。

 まず、尖閣戦争とはどういう戦争かについてです──紛争といっても良いのですが──。今は戦争の状態ではないといっても、先ほど織田さんからもありましたように、別の手段を持ってする外交的な戦争と捉えても良いのだろうと思いますが、それはどういう種類の、どういう性格の戦争なのだろうかということをまず考えてみたいと思います。

 戦争の要因、国家が戦争をする動機は大きく、利益、恐怖、名誉です。これは古代ギリシャのトゥキュディデス以来受け入れられている常識だと私は思っておりますが、そこで、尖閣とは一体何か。利益か、名誉か、恐怖かということですね。先ほど渡邊さんも少し言っておられましたが、1971年に国連からどうも尖閣のあたりから膨大な埋蔵量を持った石油が出そうだというレポートが出ましたけれども、最近はそんなものは出そうにない、ということになっています。だから利益、特に経済的利益のための戦争、争いということではないだろうと。率直に言えばナショナリズム、あるいは主権のシンボルとして日中両国の間で取り扱われている、言わば主権の戦争、戦争の要因で言えば、名誉のための戦争ということになるのかなと思います。

 そういう戦争はどうやって始まるのか。どんな戦争でも一緒なのですが、取ろうとする側からすれば「今やらないと、今を逃せば取れない」ということになります。守ろうとする側から言えば、「このままいったらジリ貧になって、やがて取られてしまって守れなくなる」という軍事バランス、将来の軍事バランスに対する一種の恐怖とでも言うのでしょうか、それらが引き金になる。積極的な行動を起こす側の動機はその辺りにあるのだろうと思います。問題はそういうことでいつでも始まりうることだろうと思うのですね。当然、軍事バランスやお互いの意図に対する誤算というものもあるでしょう。戦争は間違った判断でも始めることは出来る。しかし、戦争を終わらせることは間違っていたら出来ない、ということなのです。そこに戦争というものを深刻に受け止めなければいけない点があると思っています。

 主権のかかった戦争というものは、主権というのは相互に譲るわけにはいかないのです。ここでこの程度なら譲っても良いとパーセンテージで分けるわけにもいかない。それが本来の主権の持っている意味ですから、つまり領土の絶対的な支配というのが主権の一番大きな特徴になっているわけですから、どっちの言っていることが正しいか悪いかではなくて、お互いに主権だということは、お互いに引けない争いだということになるわけですね。

 これで軍隊を出す熱い戦争になった場合にどうするか、始めちゃったら終われないのです。どちらかが疲れ果てて音を上げるまで島の取り合いが続く。どちらが損耗に耐えることが出来るか、いうところまでいかないと論理的には戦争は終わらない。そういう戦争になっていくということですね。

 1つの単純な答えは、やっつけてしまえば良いというのはその通りなのですが、やっつけるということはどういうことなのか、ということです。そして、やっつけたからといって、そこで終わりになるわけではありません。なぜなら、やられた相手は次に体勢を立て直してもう一回取りに来るわけです。何度でも同じことが繰り返される。それがこの名誉の戦争の持っている性質なのだということです。

 よく、中国軍と自衛隊とで島の取り合いをやったらどちらが強いのですかと聞かれますが、どっちが強いと言ったって、率直に申し上げるならば、今はだいたい同じような近代的な海軍力とか、航空戦力とか、数的にはほぼバランスして、やがて中国の方が上回って来るのだろうと私は思うのですが、そこは戦術的な能力などは多分、自衛隊に一日の長があると私は日本人ですから贔屓したいと思うのですが、仮にそれで1回勝つかもしれない。1回勝てたとしても、2回目、3回目になった時に勝てるかどうかはそれは分かりませんね、ということになります。少なくとも、どちらが先に音を上げるかというところまで考えていかないといけない。つまり、戦場で勝ったって、それは始まりであって終わりではないということを考えなければいけないと思います。そこで政治というものが出て来ることになるわけです。

 仮に相手をやっつけるということだけで考えてみると、戦場で優位に事を運ぼうとすれば、相手よりも優勢な兵力をそこに集中し、投入しなければいけないということですが、無限の戦力をそこに投入出来るわけではないので、どこかに限界があるわけです。どうもこのままでの戦力では勝てない、しかし、この島を取らなければいけないということになると、相手が出て来る前に、相手の軍隊がいるところを先に先制攻撃をするということになります。端的にいえば、佐世保の相浦駐屯地に陸上自衛隊の部隊がいるから尖閣が取れないということなら、相手はまずそこにミサイルを撃って、陸上自衛隊の部隊を全滅させれば安心して島を取れる、軍事的な対応としてはそういうシナリオでやりたい誘惑に駆られて来るわけです。しかしそれをやってしまったら、もちろん日本だって黙っていないのだが、さすがにアメリカだって黙っていないでしょう。それは本気の戦争になってしまうということですね。

 そこで仮にアメリカが報復として中国本土を攻撃する、中国だって黙っていられないからアメリカに対抗措置をとる。これは日本にとっては生存を賭けた大戦争になっていってしまうということです。どうも中国はそこまでのことをやる気はなさそうだ、ということなのですね。では、それはなぜか?ということなのです。

 主権は絶対に譲れないというのはその通りなのですが、主権は譲れないけれども、あらゆるコストを払ってやるかというとどうもそうでもない。その間にあるものをしっかりと見極めていかないといけなのだろうということですね。

 戦争で暴力の応酬がどんどん拡大していく、それが戦争の本来の進み方、性質なわけですが、それがどうしてそうならないのか。そこには戦争を行う国の政治目的が優先している、政治目的を超えた戦争をしようとは思わないということがあるのだろうということです。戦争のコストがそれを上回っているのであれば、そういう戦争にはならないという一般的な法則が成り立つのだろうということです。

 戦争によるコストとは何かと言えば、戦えば兵隊は死ぬわけですから、戦死者が出ることに対して社会がどれだけ許容性を持っているかということですが、日本は今まで経験がない。中国は多少経験はあるけれども、今の中国で若い兵士が戦死することに対する許容がどれぐらいあるかということは分からない。今、多く兵隊が死んでもさらに戦争を続けられている国というのは、アメリカしかありません。だからアメリカというのはある意味で特異でグレートな国だと私は思うのですが、その辺はやはり確実に社会に反映していくということだと思います。

 さらに当然ながら貿易は止まり、投下した資本は帰ってこない、株価は大暴落をする、世界中の経済がめちゃくちゃになる、そういう損失は誰が考えても分かるわけです。そして国際的にも、これは先に手を出した方、拡大させた方が、あるいは非人道的な、戦場と関係ないところを爆撃するようなことをすれば、国際非難も受ける。そういうコストをかけてまでやるのですか?というと、どうもそこはやりそうもないのだろうと。しかし、それがどこで止まるかは今は分からない、というところが、この問題を非常に不安にさせている要因なのだろうと思います。

 どこまでやるか、ということが分かっていれば、そこまでに対する備えをすればいいし、さらにそのコストを高めるということが出来る。コストを高めるということは、1つは抑止力という側面がある。しかし、政治目的を下げるという側面もあるわけです。コストと政治目的のバランスですから。政治目的を下げるということは、何もしゃかりきになってそこを取りに行かなくても良いようにするというような方策だと思うのですが、今はどうもはっきりしない。

 多分、中国の目的は、織田さんがおっしゃるように、尖閣の実効支配をどんどん自分よりに有利にしていくということ、やがて取れるものなら取ってやろうという目的があるのでしょうが、その目的がどこから出てくるかというと、国内における支配体制の維持のためなのだろうということ、だからそれによって国内の支配体制が揺らぐようなことがあれば、そういうことはあえてやらないだろうというふうにもカウント出来る、あるいは国内の支配体制が磐石であり続けることが出来るならば、何もあえてコストのかかる戦争に訴えなくても良い、という側面もあるのだろうと思います。

 そして、日本側の対応は一体どうなのか。有り体に言うと、中国に主張をやめろと言っても聞かないでしょう。そのために戦争ができるのかという問いは双方にかかってくる。相手が主張を引っ込めないとすれば、棚上げなら良いのか。それともこの際だから、こちらの主権を相手にも事実上認めさせるということを目的にしているのか。どうも政治目的がはっきりしない。「現状変更は許さない」と言うが、じゃあ変更を許さないその「現状」って一体なんなのですか?ということです。

 時々、海警の船が大挙して入ってきて、うろうろして帰っていく、そこまでは現状なのですか?そうではなくて、そういうことがもう現状変更なのですか?そこをはっきりさせないと、何を守っているのかということが分からない、ということですね。

 実は、国民が考えなければいけないのは、中国と自衛隊とどっちが強いかではなくて、実はそういうところを考えていかなければいけないのだろうと私は思います。

 一方で戦争はダメだよね、というのはそれはその通りで、先ほど申し上げたように、戦争にはいろいろなコストがかかり、ダメージも受けます。

 では、平和であれば良いということだけ考えた時に、何もコストがかからないかというと、決してそうではない。やはり平和のコストというのはあるのです。

 戦争をさせないということで、戦争のコストを上げるという抑止という側面を強めていこうとすれば、相手だってどんどん強くなってくる、そういう戦争に耐えていくだけの国力が必要だし、ことによればミサイルの2〜3発とんでくることぐらい、まあ、通常弾頭のミサイルが2〜3発落ちてきても、日頃、日本中で起きている事故や災害と比べば大した話ではないから、その程度は受け止めようか、という覚悟をするかということですね。それがなければ抑止というのは長期的には成り立たないのだろうということです。

 そういうのも嫌だ。とにかく戦争は嫌だということならどうするか。妥協し、和解することなのですが、平和でよかったねということばかりではなく、中国の言うことをかなり聞かなければいけないという、その屈辱に我々は耐えられるのか、その心理的負担は、決して小さいコストではない。

 どちらにしても、何も国民が損をせずに、このまま自衛隊と海上保安庁が守ってくれてよかったね、いざとなればアメリカが出てきてよかったね、という話ではないということです。平和であるためにも、覚悟が必要だということを考えなければいけない。

 その場合にどうするか。当然、中国は自己中心的な大国として自己主張を強めています。こういう相手とどう付き合うかということが問われてくることになる。そこで、今日本がとっている方策は、別の大国に依存をしていく、つまり同盟という選択が一つある。しかし、「活米」というのはいい言葉なのですが、なかなか小さい側の国が大きい国を活用していくというのは、言うべくして難しい、私はなかなか大変なことだと思う。結局、従属あるいは巻き込まれの恐怖という危険をどう自ら認識した上で、アメリカと付き合っていくのか、という課題がそこでもあるのだろうと。

 もう一つの選択として、トランプなんかが出てきて、「金を払わなければ守らない」と言うなら、「じゃあ、勝手にしろ。自分で核を持って自前でやるからいいよ」と、大見得が切れるか。しかし、どうもそれは、とてもじゃないが、そんなことをやったら国力が破綻するということです。防衛費が0.8%増えた、史上最高の額になったと防衛省が喜んでいるようだが、それで日本が守れるのですか?という答えを出しているわけではないわけです。足りないところはアメリカが何とかしてくれるという確信がないから。

 そこでもう一つ、フィリピンの大統領が最近やっているらしいのが、機会主義的大国政策です。機会主義的な大国政策をどういう言葉で言ったらよいか分からないのですが、どちらにもつかずにその時々で上手く立ち回ろうということです。

 これも長続きするのかという問題がある。こういうことをやって行って、自分が寄るべき同盟国の大国を怒らせてしまったら、いざという時に助けてもらえないという、見捨てられの恐怖が今度は付きまとってくることになる。

 同盟国から見捨てられるだけならよいけれども、あっちに行ったりこっちに行ったりしているやつは世界中から信用がなくなるという心配もあるので、そういうことを貫いていく上で、世界から見捨てられないための理念なり価値なりをどう見出していくのか。

 実は、私はこの方向を個人的にはもっと追求していきたいと思っています。そういう方針をとるということは大変に怖いことです。ただ、中国と非常に近い位置にあって、具体的に島を巡る紛争、戦争に至るような要因を抱えている同盟国である日本とフィリピンとで、なぜこんなに対応が違うのだろうか?多分、その背景にあるのは、フィリピンというのはアメリカの植民地であったわけです。日本に軍事的にも占領されているわけですね。その前はスペインの植民地だったわけですが、大国の支配を受けてきたというルサンチマン(恨みの念)がフィリピンの民衆のDNAの中にあって、そこに訴えるということが非常に支持を高める要因になっているのだろうと。

 日本の場合はどうもそうではない。アメリカに従属して、安全を委ねてきた、それに慣れっこになっちゃって、それで良かったねという心理が優っているから、大国支配に対するルサンチマンはないのですね。その代わり、自分もかつてあの地域を軍事的に席巻した大国であったという、ノスタルジックな感情が一部にある方もいらっしゃるのだろうと。だからドゥテルテ大統領みたいな方向性が、日本の国民の気持ちの中からふつふつと湧き上がってくるようなものにはならないと。そういう国民精神、時代精神的な違いがあるのかなと思います。

 すごく難しいことなのだけれども、今の日本のやり方だけが歴史的、国際的にみて唯一の道ではないということを認識した上で、やはりこの道しかないという結論が出るならばそれはそれで私は排除はしないけれども、一度そういうことも考えてみたいということです。

尖閣をめぐる政治動向

 尖閣の問題が、どうしてややこしくなってしまったのか。背景にはもちろん中国自身の大国としての方針があるのですが、私の記憶、経験の中で言うと、第1次安倍政権の時に、それまで小泉さんが行っていた8月の靖国参拝をやめる、そして安倍総理が就任して一番最初に訪問したのは北京なのです。ちょうどその日に北朝鮮が核実験と称することをやって、急遽総理は帰ってきたのですが、そうやって中国と戦略的互恵関係という合意を作って、それが実ったのが次の福田康夫総理の時に、戦略的互恵関係の文書として結実するわけです。有り体に言うと、意見の違う問題は棚上げにして、共通の利益のある分野をどんどん追及していきましょうと言うことが書かれていた。

 私はやはりそれは無理がある、棘として刺さっている部分をそのまま放っておいて、こっちにいいことがあるよね、痛くない方で一緒にやろうねと言ったって、やはり痛い方を放っておくわけにはいかなかったのだろうなと思います。

 2008年6月に温家宝が日本にやってきて、日中戦略的互恵関係の合意文書を取り交わした。その年の12月に初めて中国の政府の船が尖閣の領海を侵犯するということが起きるわけです。これはやはり中国国内の一種の路線対立の影響もあったのだろうと思います。

 そして、民主党政権に変わって2010年、中国漁船が海上保安庁の巡視船に衝突する事件が起こります。民主党政権は自民党がやれなかった強硬な対応をとるということで、船長を拘留して、その間、私の見るところでは、外交的な水面下の交渉を全くせずに、最後は現場の地検のせいにして船長を釈放するような失態を演じるわけですが、中国国内ではそれに対して、反日の暴動のようなことも起きてきたということですね。

 2014年、先ほどの織田さんのお話にもあった、小笠原沖に200隻の中国漁船がサンゴを密漁しに出てくるのですが、この事件の少し前に何があったのか、私は思い出せないのだが、何かのカウンターアクションとしてやったのだろうという記憶があります。前後して中国が東シナ海の上空に防空識別圏(ADIZ・アディズ)を設定するということもやっています。

 2016年、記憶に新しいところでは、仲裁裁判所の判決が出て、中国の南シナ海に関する主張をほぼ全面的に否定するような判決を出してくる、日本政府はこの判決は強制力があるんだ、国際ルールに従え、ということで外交攻勢をかけていくわけです。8月に入って中国は初めて十数隻の公船を尖閣の領海に入れてくるということをやる。

 中国のやり口は、中国の立場からするとリアクションという意味づけを彼らはしているのだと思うのですが、どういうメッセージが来ているのかということです。2014年の小笠原沖サンゴ密漁にしても、その頃、海上保安庁が尖閣に専従する体制を確立したと思うのですが、「尖閣を一生懸命やっているのはいいけれども、小笠原どうするの?あんたたち両面作戦出来るの?」という嫌がらせをして、日本にそういうメッセージを送っているのかなと私は見ました。

 これははっきりそうだなと僕は思ったのは、今年8月の領海侵犯は、ASEANを通じてハーグの仲裁裁判所の判決を受け入れるべきだという外交攻勢をかける日本に対して、「南シナ海の問題でいろいろ言っているけれども、尖閣は大丈夫なの?」というメッセージを送って来ているということです。

 ただ問題は、それが既成事実になっていっているということです。偶然このタイミングでやっているというよりは、やはりそういう時期を選んでやってきているという、どうも中国のやり口はそういうことなのかなと思います。

 もう一つ言えるのは、中国というのは大国ですから、遺棄化学兵器を処理している商社員を逮捕するとか、日本企業を焼き討ちするとか、いろいろなことが出来るのですね。大国というのはそれだけの対抗手段を持っている。だから大国ということなのですが。

 そういう中で日中の政治の対立があるのですが、はっきり言って、民主党政権の尖閣国有化が大きな引き金を引いた、政治の失敗だと私は思います。自衛隊を増強する、海上保安庁を増強する、戦争に勝てる体制を作るということをしていますが、政治の失敗を軍事でカバーすること、政治の失敗を戦争で取り戻すことは出来ません。逆はかろうじてできたとしてもね。政治が戦争の目的を決めるわけですから、その政治が失敗していたら、戦争も絶対に失敗するということを言いたいと思います。

 問題はアメリカがどう出てくるかです。尖閣の戦争が日本の主権を守る戦争であるとすると、言い換えればアメリカの主権ではないということですから、尖閣に海兵隊が出ていって、アメリカの青年が戦死するような事態をアメリカ世論は認めないということだと思います。

 アメリカが公式にとってきた政策は、日本と中国に対する二重の抑止なのだろうと私は思っています。オバマは2014年4月に日本に来て、先ほども話にあったように、「尖閣は安保5条の範囲だ」と言いました。それは、中国に対して「だからお前は余計なちょっかいは出すなよ。本当に攻めて来たらアメリカも黙っていないぞ」というメッセージであると同時に「だから日本はあまり騒ぎ立てるんじゃないよ」という、日本と中国に対する二重のメッセージという意味があったのだろうと思います。

 アメリカにとっての国益は何かというと、南シナ海と琉球列島は、第一列島線と置き換えてもいいわけですが、ここはアメリカがこの地域の覇権を維持するためのコーナーストーンとして、戦略的にも非常に重要なポイントであるわけです。南シナ海は中国が内海化したいというところを、アメリカは中国の勝手にはさせないということがアメリカのポリシーになるわけです。東シナ海はアメリカがどこまで本気になってやっているのか見えにくいところがあるのですが、少なくとも、東シナ海を抜けた西太平洋を中国の海にすることをアメリカは絶対に認めない。そのための拠点が第一列島線、つまり沖縄の米軍基地であり、あるいは南シナ海でのプレゼンスということになってくると思うのです。これはアメリカの主権を守る戦いではないのです。アメリカにとっては覇権の戦争なのですね。問題は、日本にとって主権の戦争という名目で、アメリカの覇権の戦争に参加していくというようなところは、戦略的に慎重に考えなければいけません。戦われているものが違うということをよく考える必要がある。

 アメリカが考えているらしい戦争のシナリオは、中国の中距離ミサイルが空母や基地を狙って飛んでくるだろう、だからアメリカは一旦その射程外に引いて、体勢を立て直して、遠距離から中国のミサイルを撃つインフラを同時に破壊するような戦争の仕方が理屈の上では考えられるけれども、政治的にそんなことは出来ないよねということで、みんなが考えている。

 中国もそういう本気の戦争をしたくはないから、先ほども話がありました、サラミスライスというようなことで、アメリカが本気にならないような対応をとる。アメリカもオバマが尖閣は安保5条の適用範囲といった時の質問のやり取りの中で、「南シナ海でどこがアメリカにとってレッドラインなのか」という質問にオバマは答えていないのですね。レッドライン、これ以上やったらアメリカも黙ってはいない、というところを言ってしまうと、本当にそうなった時に、やらなければいけなくなって困っちゃうからですね。そこが非常に曖昧なところです。中国も本気でどこまでやるのか、アメリカの様子を見ながらやれるところまではやるけれども、本当にそれ以上やるのか。

 アメリカも南シナ海で埋め立てられた島が本当にけしからんのだったら、チャンスは今です。今爆弾を落として破壊するのが一番確実で手っ取り早いのですね。やるのは今でしょ、という話なんだけれども、なぜやらないのか。それは戦争になっちゃうからです。そこが一体どういう論理なのかというところですが、少なくとも主権の問題ではないから、交渉やディールの余地がある、そのディールの落ち着きどころが見えていない、というのが、今我々が見ている国際情勢の煩わしさ、鬱陶しさ、心配なところだと思います。

 問題は日本は最前線の国家だということです。中国とアメリカが戦争すれば、日本に必ずミサイルが飛んできます。そうしないと戦争に勝てないからです。それを踏まえた上で考えていく必要があります。

 よく「どれだけ防衛力があれば島を守れるのですか?」聞かれるのですが、そんなものに答えはないんです。多々益々弁ず(数が多ければ多いほど都合がよい)ということであって、防衛力というのはどうせ足りないのです。100%絶対なものはない。絶対のものを作ろうとしたら、相手はそれを超えるものをまた作ってくるわけですから、終わりがないわけです。

 この戦争の性格、あるいは何を守るのかというところをしっかり踏まえた上で、政治が足りないところをどうするのか、政治がリスクを背負ってくれないといけません。それは一体なんなのですかということですね。アメリカじゃないのです。尖閣に限って言えば、中国の方針というのはあるのかもしれないが、今日の事態は政治の失敗が招いた対立関係ですから、ここをなんとか政治の責任で解決する以外に、戦争によってバラ色の未来が出てくるような性質の問題ではないと私は思っています。午前の部にお付き合い頂いてありがとうございました。


20161224_自衛隊は尖閣を守れるか

司会 時間になりましたので、午後の討論を開始したいと思います。午後の討論は柳澤さん進行でお願いしておりますので、よろしくお願いします。


柳澤 それでは討論者として自衛隊を活かす会の加藤朗、伊勢﨑賢治からコメントと言いますか、挑発的意見を頂きたいと思っていますが、その前に時間配分の不備もありまして、まず元海上自衛隊の伊藤さんから補足発言を頂きたいと思います。よろしくお願い致します。


伊藤 祐靖 元2等海佐・特別警備隊先任小隊長

伊藤 言い足りなかった部分のお話をさせて頂きますが、私がここに呼ばれたのは経歴から考えて、必ず尖閣というと特殊戦が絡むので、その具体的な話を求められているのかなと思っておりました。しかし、どうもそういうことではなくて、戦争と平和の論理とか、そちらの方のお話ということですので、いくつかお話をさせて頂きたいことがあります。

 私が就いていた職というのは、実際にそうなった場合にどうするのか、オーダーが入ってきた時に具体的にどうするのかという、特殊戦に関する作戦立案が私の専門でした。1999年3月に能登半島沖事案という事件がありましたが、これは私のいた海上自衛隊の特別警備隊、つまり特殊部隊が創設されるきっかけとなった事件です。

 この時、私は現場におりまして、いろいろなものを見ました。「こういうことが起きるんだ。こんなことが発生してしまうんだ」ということをいくつか見ました。これが今日のテーマに繋がるのではないかと思いますので、その話をさせて頂こうと思います。

 事件の詳細につきましては簡単にお話ししますが、能登半島付近、正確に言いますと富山湾ですが、富山湾内にいる不審船を捜索しろというオーダーが入りました。それに伴い、私の乗っておりました「みょうこう」と「はるな」、「あぶくま」の護衛艦3隻に対して緊急出港がかかりました。

 緊急出港して富山湾に入り、翌日の昼には2隻の不審船を発見しました。私の乗っていた「みょうこう」が1隻発見、「はるな」がもう1隻を発見し、追跡をしました。その時点では、海上警備行動が発令されていない以上、海上自衛官、海上自衛隊には何の権限もありません。これは海上保安庁の所掌業務ですので、海上自衛隊は発見はしておりますが、海上保安庁に渡すために場所の報告をしているに過ぎませんでした。海上保安庁の到着を待ったということです。

 その日の夕方、日没の5分〜10分ぐらい前に、新潟から出港してきた海上保安庁の高速巡視船がくっつきました。いよいよ立ち入り検査が始まるというところで、この不審船が突如速力をあげて、速力25ノット以上の増速をして、高速による逃走を開始しました。

 それで本格的な追跡劇が始まるのですが、その後、何時頃だったか忘れましたが、海上保安庁の巡視船は威嚇射撃を行った後、「母港の新潟に帰投する燃料に不安があるため帰ります。ご協力ありがとうございます」と言って帰って行きました。「こんなことが起きるんだ」というのが、私の正直な感想です。私は今52歳ですが、私のびっくりランキング断トツナンバー1です。日本人が拉致されているかもしれないのに、船尾を向けて帰っていく。帰投するのに不安があるというのは、燃料はあと半分残っているということですから、そんなことが本当に起きるのかというのは驚愕でした。現実にはそういうことが起きる。なぜ起きるかというと、命令というものがあって、「帰ってこい」という命令があれば、「いやそうじゃないんですよ」とは現場としてはなかなかならないし、我々がいるのが自衛隊、軍組織とすれば、海上保安庁は警察組織ですから、そういうところで育っている人間というのは、上からの命令を一旦ご破算にして、「それはおかしい」というのは言いづらいということがあって、あたかも海上保安官がダメな奴だと言っているように聞こえるかもしれませんが、止むを得ないとは言いませんけれども、非常に難しいものがあるという、これが最初の1つです。

 もう1つは、海上自衛隊の船しかいなくなりましたので、海上警備行動が発令されます。海上警備行動とは何かと言いますと、一時的に海上自衛隊へ警察官職務執行法の権限を渡すとがいうことです。ですから職務権限上、海上保安官と同じようなことが出来るということです。

 私はこの審議が官邸においてなされているという情報が艦内に流れた時に、直感的にかかるわけがない、絶対にかからないと思いました。結果としては大外れでしたが。政治に絡んでいらっしゃる方がいらっしゃったら大変失礼ですけれども、日本の腰抜け政治家がそんなことできるわけがない。「戦後初めてなんだ。そんなことするわけがない」と思いました。

 でも腰抜けでもなんでもなく、その件について細部は知りませんが、結果としては海上警備行動が発令になりました。そして、警告射撃を行いますが止まりません。その後、警告射撃によって止まったわけではなく、エンジントラブルとは思いますが停止。日本海のど真ん中で、その工作母船、不審船は停止を致しました。

 これで立入検査を行う準備がなされ、行かせる寸前にまでなりました。その時の私の立場は「みょうこう」の航海長ですが、副業ではないですけれども、教育訓練係士官もやっておりました。要するに艦内の乗組員の教育訓練を担当していますので、自分の船の練度、レベルをよく知っています。その時、この立入検査の訓練は1回もしていません。訓練をしたことがないどころの騒ぎではなくて、立入検査にはいわゆる下士官に幹部が1名ついて行くのですが、下士官はロングガン、つまり小銃についての訓練はします。もちろん実弾も行います。ただ、拳銃については触ったこともない、もちろん撃ったこともない。弾の込め方も知らないのです。立入検査というのは狭い相手の船内に入っていきますので、小銃は持っていきません。拳銃がメインです。下士官に拳銃を持って入らせます。2つ目のびっくりは、訓練もしていない、能力がないことも分かっている、ボディーアーマー、つまり防弾チョッキもまだ装備されていません。この状態で行かせるのかということなのです。

 向こうは北朝鮮の工作員が待ち構えています。しかも人の家、人の庭の中ですから、地の利は全部持たれています。私らは旧海軍が使用していたのと同じ形の内火艇という小さいボートで乗り移ろうとしますから、時の利もありません。地の利もない、時の利もないのに、撃ったこともない、触ったこともない拳銃でもって、北朝鮮の工作船に乗り移って、拉致されている最中の日本人を取り返すことが出来るのか。これは厳しいという限度を超えている話だと思いました。「みょうこう」の乗員は全員そう思っていました。行く彼らも思っていました。

 待ち構えているのは北朝鮮の軍事訓練を受けた工作員、それもレベルの高い者であることは間違いない。万が一、銃撃戦の末、こちらが有利になったとしたら、彼らは自爆装置を持っています。この事件の2年後に奄美大島沖で発見され、引き上げられた工作船を見たら、やはり起爆を4ヶ所に分散配置した自爆装置を持っていました。行けばどう考えたって全滅ということは分かっている。当時、六本木だったと思いますが、東京の防衛庁の真ん中の意思決定権者まで伝わったかどうかは別として、現場の乗組員は全員知っています。やったことがないのですから。先ほどの海上保安官のことを言う資格はないというのはここにあります。教育訓練係で一番よく知っている私が「それは無理です」と言ったって何の意味もない。「ただの犬死にになる」ということは正直、一言も言っていないのです。私は教育訓練係士官として止めるということもしませんでしたし、船の指揮官たる館長に意見具申もしませんでした。

 もう1つのびっくりは、実際に行く彼らです。彼らは最初は「ドッキリカメラか?」という顔をしているわけですね。「それはないでしょう?平成のこの世に海上自衛隊の船乗りの俺が銃撃戦で戦死?それはないない!理由とかではなくて、ありえないんですよ!」という顔です。口にも出していましたし。

 しかしそれがどんどん現実味を帯びていくと、だんだん暗い顔になります。それはそうです。彼らが一番よく知っていますから。乗り移る前にやられるだろうなと思っていますから。どんどん現実味を帯びて、どんどん暗くなって、最後の最後、いよいよ向こうが止まってしまって、行く、となったら、突然、表情が変わって、悲壮感も何もないのです。笑ってはいませんけれども、清々しいというか、自信に満ち溢れた顔をしていて。その直前に、私の直接の部下が私のところに来て、「航海長、私が立入検査員に指定されていました。私の任務は手旗です。」──現在でも手旗信号は使っています。ここまで科学技術が発達してまいりますと、電波を発信するということは自分の位置を極限されてしまう原因の1つになりますので、極力出したくない。目が届く範囲であれば、手旗を使ったり、発光信号を使ったりするということをやっています。ですから、手旗信号という能力を持っている人間がおります。「みょうこう」から20数名を派遣するわけですから、当然、指揮官は無線機を持っていますけれども、無線が壊れた時のために手旗要員をメンバーの中に入れてあります──。

 彼は「私が手旗要員です。この真夜中で真っ暗な中──ちょっと距離は言えませんが──、あの距離で手旗信号は絶対に書けません。書けないし読めない。私が行く意味はあるのでしょうか?」こんなものは誰が考えたって行く意味はないと思います。そんなことは言えませんし、私はなんと言ったかというと、「ブツブツ言うな」と。「今、日本という国家が、あの船に拉致されている最中かもしれない日本人を何が何でも取り返すと決心したんだ。国家としての意思を発揮しようとしているのだ。その時に、国家が意思を発揮する時に、誰かが犠牲にならなければいけないとすれば、それは自衛官なのだ。我々なのだ。出来る出来ないの話ではないのだ。やれることをやってこい」と言いました。

 こんなに綺麗にかっこよく言ったわけじゃないのです。もうちょっとたどたどしく、汚い言葉で言いましたが、私は彼に反論して欲しかったのです。彼を行かさざるを得ないと思っていましたが、ただ彼に反論して欲しくて「そんなこと言ったってね」って言うだろうと思っていたのです。彼は一言も言わず、私の顔を1、2秒じっと見て、目をぱっと見開いて「ですよね」と。「ですよね」と言って行ってしまったのです。言っちゃった私の方が、「行っちゃうの?お前?それで行っちゃうの?お前に行かれると俺はずっと引きずるんだけれども──」という感じです。

 長々とお話ししましたが、私の中のあの事件ではもっといっぱいあるんですよ。あるのですが、今日の議題に近いとすれば、まず3つのびっくりです。1つ目は、海上保安庁が帰っちゃうの?それってありかよ、というのが1つ目。2つ目は、行かせるのかと。能力がない、訓練も1回もしたこともない、触ったこともない人間を行かせるのかと。3つ目は、お前、行っちゃうのかと。この3つです。

 この3つを考えれば、シビリアンコントロールと現場の人間との関係というのは、実はびっくりするほどシビリアンコントロールが効くということですし、びっくりするほど本番はスムーズに事が流れます。だからこそ、今日ここでお話をする、戦争と平和の論理かもしれませんし、自衛隊を活かすという議題、この現実をよく知った上で、じゃあどう使うのと。10年前の現場の声ですが、こう使ってもらいたい、このように整備してもらいたい、というのは20年間いた人間としてはありますし、それと国民のコンセンサス、意思というのが一致できれば非常に意味のある時間になるのではないかなと思います。是非そういう意味でこの後の時間を使って頂きたいなと思います。私からは以上です。


柳澤 ありがとうございました。今お話された事件は1999年3月でしたよね、海上警備行動を自衛隊の歴史が始まって以来、最初に発動したその時、実は私は防衛庁の運用局長という立場で、官邸のオベルームにいて、海上保安庁の船の状況とかを見ながら、これは海上警備行動発動すべし、みたいな議論をしていたんです。事が終わって「みょうこう」見に行った時に、同じような話を聞きました。防弾チョッキもないんです。撃ったこともないんですよって。今のお話の中で、その手旗の隊員さんが「ですよね」って言う、とにかく何か欲しいのですね。何か意味づけが欲しいので、そこで納得するわけです。納得しないとやれないことですからね。それだけの葛藤があることなのに、私はその時知らなかった。仮にあそこで誰か亡くなっていたら、私もずっと引き摺っていたのだろうと思います。

 私は正直に言って、そういうことを分からずに大臣と官邸に進言をしたのを今でも覚えています。そういうことをシビリアンが本当にやらせていいのということですね。大概の人は「知らなかったんからしょうがないだろう」と。官僚組織というのはそうやって自分を免責を出来るのだけれども、経験したこともない、本当にそんなことを出来るのだろうか、私はそういう思いで、今、南スーダンの駆け付け警護ですとか、米艦防護の武器使用権限がオープンになったとか、そういうのを見ながら、実際に現場でことにあたる隊員の命がかかっていることですから、そうさせることにどれだけの自分の中に正当性と覚悟があるのか、というのを問い続けていかなければいけないし、国民の立場で見ると、「だって自衛隊ってそのためにいるのだから、それはあなたたちの仕事なのだから、勝手にやれば」と言われてしまうならば、それこそ犬死なのですね。やはり、そこを国民がどこまで覚悟をして頂くのかということを考えなければいけない。

 それを自衛隊にやらせたくないなら、今度は別の覚悟を持たなければいけない。そういうところに国民自身もと言いますか、日本の国がそういう覚悟を持たなければいけない時期に来ているのだな、ということを痛感します。改めてそんなことを思い出しながら聞かせて頂きました。ありがとうございました。


伊勢﨑賢治 東京外大教授 自衛隊を活かす会呼びかけ人

伊勢﨑 賢治

東京外大教授・自衛隊を活かす会呼びかけ人

 伊藤さんとは別の機会で対談させて頂きました。面白い対談だったと思っていまして、現代ビジネスのウェブサイトhttp://gendai.ismedia.jp/articles/-/49300で見れますので、ぜひお読みになって下さい。

 織田さん、渡邊さんの発表に非常に触発されまして、2つのポイントをお話しします。

 まず警察権行使vs自衛権行使。これを、与野党の両方が、シームレスにと言っているのです。これは本当に困ります。なぜかというと、国際法の世界では、この両者は、日本人が考えるほどシームレスではないのです。警察権の行使と自衛権の行使の間には、戦時国際法・国際人道法という厳格な壁が存在するのです。それをシームレスだということは、つまり、この壁が存在しないということですので、これ外に向かって宣言するということは、いわば、相手がPOWSOWで挑発しなくても済む状況を日本自らつくっていることになります。まあ、平時における、仮想敵国に対する、常態的な宣戦布告ですね。更に、軍事力を警察権として使う、つまり戦時国際法・国際人道法で統制されない野放図な打撃力を保持するという、国際法に対する非常に無謀な挑戦ともとれます。

 そもそも国際法でいう自衛権の行使とは「交戦」ですので、日本人にとって根源的に非常に分かりにくい。そこを説明します。

 戦争でも、侵略という形のそれは、戦前から、つまり憲法9条が出来る前から戦時国際法で違法化されています。

 国連ができてからは、それは更に制限され、加盟国に許されているのは、自衛権の行使だけです。それが国連憲章第51条で規定されているわけです。それが個別的自衛権と集団的自衛権。これらは、安保理が審議、決定し、行使する集団安全保障の措置が取られるまでの間に暫定的に行使が可能とされている。別の言葉で言うと、地球上で行使される「武力の行使」は、これら3つの言い訳しか許されていません。超大国アメリカであろうと、中国であろうと、この3つのどれかで説明しないと「武力の行使」が出来ないという仕組みを作るまで、人類はやっと来たと考えて頂きたいと思います。

 個別的自衛権と集団的自衛権とは、日本人が考えているほど隔たってはいません。ていうか、むしろ「ぺア」として考えられています。集団的自衛権は、超大国によって冷戦時代のアフガン侵攻やベトナム戦争など、いわゆる緩衝国家で起こった代理戦争のためにに悪用されて来たわけですが、個別的自衛権とどちらが危険か。日本人の場合、「個別的自衛権は憲法9条が認めている、集団的自衛権はダメ」みたいな感じで、集団的自衛権の方が怖い、だから安倍政権に反対するんだ、というようなマインドセットがありますが、実は個別的自衛権の方が怖いのです。

 9.11の後、アメリカが報復攻撃として何千キロも離れたアフガニスタンのタリバン政権を攻撃したのも個別的自衛権です。去年のパリのイスラム国によるテロ事件を受けてフランスはシリアでISに対する空爆を始めましたが、これも個別的自衛権の行使です。個別的自衛権に距離は関係ないのです。

 個別的自衛権でも集団的自衛権でも一旦行使されると、それは「交戦権」の行使になります。

 ご存知のように、アメリカやフランスのような「紛争の当事者」により交戦権の行使を規制するのが、戦時国際法・国際人道法、いわゆるジュネーブ条約とかハーグ条約として知られるものです。つまり、人類が、戦争つまり交戦において、紛争の当事者の非人道性を排除するために人類が歴史的に積み上げて来たルール。それが国際人道法、戦時国際法です。紛争の当事者が、やってはいけないこと、使ってはいけない武器、そういうものをルール化してきた弛み無い積み重ねです。そのルールの中では、敵に対する報復、敵地攻撃、つかの間の敵地占領まで許されています。併合しちゃいけないとか、占領しても、非占領民をちゃんと扱えとか、その非占領下の社会の政治風習を根底から変えちゃいけないとか、やってはいけないことを定めたルールですね。

 日本は交戦できるのか。出来ません。なぜなら憲法9条に「国の交戦権は、これを認めない。」とあるからです。ですから、日本人で出来ると思っている個別的自衛権というのは、実は国際法の個別的自衛権ではないのです。

 個別的自衛権の行使というのは交戦であり、それが相手をノックアウトしない軽いジャブであろうと、必要最小限であろうがなかろうが、全てを交戦として律するのが国際法の考え方なのですね。交戦として縛られない武力の行使はあってはいけないのです。

 でも、日本はそれを「ある」と言っているのです。交戦ではない自衛権の行使で「ある」と言っているのす。これは日本が独自に定義したものです。それを日本は「自衛権」と規定しているわけです。なんだかよく分かりません。これは後で説明します。

 今問題なのは、今日の議題ではありませんが、国連の集団的的安全保障の措置の典型である南スーダンのPKOの話です。日本人に根源的な交戦に対する理解が及ばないというのは、日本人の特質かもしれません。なぜかというと、昔は、「紛争の当事者」になるとは考えられてはいなかった国連が、現代のPKOでは「紛争の当事者」として交戦するからです。南スーダンがまさにそうなのです。

 (国際法でいう)交戦権と、(日本が勝手に規定した)「自衛権」の関係は、日本では唯一、防衛省のHPだけが、この矛盾を公表しています。多分、自虐的な意味があるのだと思います。歴代の内閣が、国会の答弁でどのように日本の「自衛権」を定義してきたか、これを読んで頂きたいのです。

憲法と自衛権(4)交戦権 (下線部分は防衛省ホームページ http://www.mod.go.jp/j/approach/agenda/seisaku/kihon02.html より)

「憲法第9条第2項では、「国の交戦権は、これを認めない。」と規定していますが、ここでいう交戦権とは、戦いを交える権利という意味ではなく、交戦国が国際法上有する種々の権利の総称であって、相手国兵力の殺傷と破壊、相手国の領土の占領などの権能を含むものです。」

──これが、まっとうな国際法の交戦権の表記です。つづいて、

「一方、自衛権の行使にあたっては、わが国を防衛するため必要最小限度の実力を行使することは当然のこととして認められており」

──誰が認めたかは知りません。これは、多分、日本は日本国憲法の中で13条で、政府には国民の生命、自由、幸福追求の権利を保護する義務があり、それに必要な最小限度の実力を持てる、と。つまり、自衛隊は、9条でその存在を否定され、同じ憲法の13条で復活しているわけです。つづいて、

「たとえば、わが国が自衛権の行使として相手国兵力の殺傷と破壊を行う場合、外見上は同じ殺傷と破壊であっても、それは交戦権の行使とは別の観念のものです。」

──これは、英語に訳して世界に発信はできません。単なるジョークとしか映らないでしょう。
僕が建国に関わった東ティモールという小国の国軍は総勢3千名、自動小銃ぐらいしか持っていません。これが、自衛のために打撃力を行使したら「交戦」として戦時国際法・国際人道法に統制されるのです。世界屈指の軍事大国の日本の……最小限だとしても……打撃が交戦じゃないなんて……。

 交戦として制限されない自衛権の行使はあってはいけないのですが、日本は「ある」と言わなければならないのは、9条の第2項のためです。

 日本国憲法は英語の原文で読まれるのが一番良いと思います。特に9条第2項は。ニュアンスが日本語訳と全然違います。

CHAPTER II. RENUNCIATION OF WAR
Article9


 2)In order to accomplish the aim of the preceding paragraph, land, sea, and air forces, as well as other war potential, will never be maintained. The right of belligerency of the state will not be recognized.

 War potential、直訳すると「戦争に使える潜在能」が「その他の戦力」となっているわけですが、英語ですと、占領者として日本に竹槍でさえ持たせたくなかったニュアンスが分かります。

 憲法9条2項で否定しているものは2つあって、戦力と交戦権、戦時国際法で制限された交戦に入る権利ですね。

 今までの日本の憲法論議というのは、どちらかと言えば、戦力のことに集中してきました。自衛隊の問題だからです。実は交戦権のことは、あまりを語られてこなかった。タブー化してきたのとも言えます。

 交戦権を放棄すれば、当然のこととして、戦力つまり常備軍を持つ必要はありません。しかし、戦力つまり自衛隊がなくても、「交戦」は出来ます。竹槍でも交戦出来るわけです。たとえ竹槍でも国家の意思として敵に立ち向かったらそれは「紛争の当事者」の交戦として制限されなければいけない。それが国際法の考え方なのです。

 でもこう言ってしまうと、自衛隊の存在と役割をめぐる政局が成り立たない。だから、上記のような日本でしか通用しない「自衛権」のロジックを組み立て、それを前提として、与野党の政局を運営してきたのです。

 交戦権、英文の「The right of belligerency of the state」が、国際法とかけ離れたところで、ただ9条の整合性のためだけに、屁理屈を積み上げてきた。国際法が支配する現場に送られる自衛隊がたまったものではありません。

 戦争における非人道性を排除しようとしてきた国際社会の努力とは裏腹に。地球上で許される武力の行使を、やっと、個別的自衛権、集団的自衛権、集団安全保障の3つに封じ込めたのに、日本は「自衛権」という4つ目のカテゴリーを勝手につくった。必要最小限であれば、交戦ではない、というものを。

 この矛盾が最も現れているのがPKOです。

 一昔前までのPKOでは、この交戦ということを考えななくても、なんとか、“もった”のです。しかし、今はまったく違います。

 それは、1999年8月にアナン国連事務総長(当時)の名前の元に出された事務総長告示「国連部隊による国際人道法の遵守」によるPKOの革命的変化です。

 国連は国ではないですから、「紛争の当事者」にはならないという考えが定着していました。だから、国連は戦時国際法、国際人道法の管轄外であるという考え方がされていた。

 ところが、世界は内戦の時代を迎えて、国連がPKOのように国連の指揮の下に武力介入するようになった。ある武力の主体として打撃力の行使をしてしまえば、それは「紛争の当事者」の交戦として統制されなければならないのですが、国連は「紛争の当事者」になれるのか?がPKOの世界各地で展開するも、議論されてきました。あまり行使することを前提としない武力の介入として、正当防衛が基本の警察権の行使ぐらいで現場はもっていました。

 しかし、1994年に、ルワンダ虐殺が起きてしまうのです。政権と反政府武装勢力の間の停戦を見届けるために、両者の同意でPKOが武力介入するのですが、その停戦が崩壊。政権側のフツ族が、少数派のツチ族を虐殺し始めた。PKOの受け入れを合意した政府側が悪事を働くのです。虐殺を止めようとすれば、必然的に、PKOが政府側と交戦することになる。

 国連は躊躇したのです。そしてPKOは撤退。100日間で百万人の住民が犠牲になりました。これがトラウマ的な経験値となり、後に国連は、長年の争点であったた「紛争の当事者としての国連」の議論に終止符を打ちます。

 それが、上記の1999年のアナン事務総長の告知なのです。現場の国連部隊、国連加盟国に対しする、国連史上初めての宣言です。PKOのような国連部隊に国際人道法の遵守を義務付けたです。

 繰り返しますが、戦時国際法、国際人道法というのは「紛争の当事者」を律するものなのです。「紛争の当事者」にならないのなら、別にこれを批准する必要もない。以前の国連はそういう前提だったのですが、1999年を契機に、その前提を大変換させたのです。

 つまり、この時点で、日本の自衛隊は、PKOに参加出来るわけがないのです。

 先ほどの織田さんのお話の中でも、自衛隊が行動した時の「軍事的な過失」をどう裁くのかという話が出ました。軍事的な過失とは、つまり、戦時国際法・国際人道法違反です。この1999年の国連事務総長の告示第4条では、国連部隊が国際人道法違反を犯した場合、どのように法的な責任を取らせるのかについて明確に義務付けているのです。

事務総長告示「国連部隊による国際人道法の遵守」


第4条(国際人道法の違反)

 国際人道法に違反した場合、国連部隊の軍事要員は、それぞれの国内裁判所で起訴の対象となる。

(引用)国際連合広報センターホームページ http://www.unic.or.jp/news_press/features_backgrounders/1468/

 PKOのような国連部隊は、通常、受け入れ国と「地位協定」を締結します。「国連地位協定」と呼ばれるものです。そこでは、日米地位協定のような二国間の地位協定より、裁判権に関して、派遣国に有利です。つまり、国連要員は、「外交特権」を有するのです。PKO部隊も、「平時」においては“シビリアン”として、その特権を享受します。しかし、それが交戦に入った時その特権は失われ、国際人道法の統制下に入ります。そこでの過失、つまり国際人道法の違反は、派兵各国の司法制度しか裁くものが地球上には存在しません。国連には軍事法廷はないのです。世界政府になっていませんので。

 だからこの第4条では、派兵国に国際人道法違反を扱う法整備を義務付けているのです。

 普通の国の軍隊というのは軍法を持っています。その軍隊が、国外のどこに行こうと、軍事組織の行動の瑕疵を軍規の観点から裁く法体系です。

 日本はどうでしょうか。軍事的過失、国際人道法違反を裁く法体系を持っていますか。

 いえ、ありません。刑法で裁くしかありません。しかし日本の刑法には国外犯規定があり、日本人が海外で起こした過失は裁けません。法の不在だけではありません。「戦場」で証拠集めをする立件能力も含めてです。

 つまり、この第4条をもってしても、日本には、PKO部隊を出す最も基本的な資格がないのです。

 この国際人道法を裁く法体系の不在の問題は、PKOのような自衛隊の海外活動だけではありません。織田さんが言われたように、日本の国防における問題でもあります。だって、日本の領土領海内でも自衛隊の自衛のための打撃力の行使は交戦であり、国際人道法によって統制されるのですから。

 もう一つの織田さんの言葉で「活米」というのは、秀悦だと思います。これは、米軍の世界最大の「宿主」として日米関係を考えることに他なりません。それは同時に日本社会と駐留米軍の関係をいかに有効なものにするかです。これは地位協定の問題です。

 地位協定は、米軍と日本政府との問題というより日本社会との問題に焦点が当たりがちですが、「自衛隊」にとって日米地位協定はどうなのでしょうか? 何も問題はないのでしょうか?

 地位協定はSOFA(Status of Forces Agreement)です。先ほど渡邊さんよりアメリカで自衛官が訓練されているお話と映像がありましたけれども、その時のパスポートは何かといったら、「公用パスポート」なんです。JICA(国際協力機構)なんかの専門家と同じです。外交パスポートではないので、外交特権も、日米地位協定で米軍人と軍属が享受するような裁判権上の特権は何もありません。

 つまり、訓練でアメリカ滞在中の自衛官が、「公務」で自動車を運転中米市民を轢いても、一次裁判権は日本にありません。自衛隊員が公務内、公務外であろうとも、アメリカに裁判権がある。この意味で日米関係は「互恵的」ではありません。

 アメリカの宿主をしている国は沢山ありまして、アメリカが持っている地位協定は100以上あるそうです。地位協定の問題というのは、裁判権、環境権、基地や空域の管理権が一番の焦点となるのですが、アメリカは、全てのNATO同盟国で「互恵性」を認めています。日本と同じ敗戦国のドイツやイタリアにもです。つまり、ドイツ軍とイタリア軍が、渡邊さんのプレゼンで扱ったような訓練のためにアメリカに駐留する時は、公務内の事故において一次裁判権を有するのです。

 日米間にはそれはありません。ドイツやイタリアは白人だし、NATOという軍事同盟だからしょうがないと言う向きもあるでしょうが、アメリカはこの互恵性を、二国間の地位協定において、例えば、フィリピンとイスラエルに認めています。

 イラク、アフガニスタンにおいては、「準互恵性」を認めています。例えば、アフガニスタンにおいて米兵が公務上の過失を犯した場合、一次裁判権はアフガニスタンにはありませんが、アメリカの軍法会議に立ち会う権利を地位協定で明記してあるのです。これも日本にはありません。

 横田空域みたいなものは他には存在しません。韓国を除いて、ドイツ、イタリアを含む全てのNATO諸国、そしてPartnership for Peace (PfP)という旧ソ連邦構成国とも、そして、イラク、アフガニスタン、フィリピンにおいても、全て受け入れ国の主権の下に米軍の基地、空域、海域は管理されています。米機が落ちた現場を米軍兵士が封鎖するなんてことは、あり得ません。主権国家の中で、事故によってつくられる日常を破る有事を管理する、日常から隔離するのは、その国のまず警察権であり、必要であれば軍隊であり、外国軍であるハズはありません。

 「活米」、僕は非常に良い言葉だと思います。アメリカを巻き込むということは、日本の国のあり方がまず問われる問題だと思います。従属ではない活米とはどういうことなのか。

 60年間ずっと変わっていない。まるで占領下のような地位協定は、日米地位協定しかありません。

 「活米」をどのように実現していくのか。どこから手をつけるのか。僕は地位協定から始めるのが一番良いと思います。これは反米ということではありません。活米するために地位協定を考す。こういう発想があってもいいと思います。


加藤 朗 桜美林大学教授・自衛隊を活かす会呼びかけ人

加藤 朗

桜美林大学教授・自衛隊を活かす会呼びかけ人

 皆さんの発言を受けて、私の方からは3点ばかりお話ししたいと思います。1番目が自衛権の問題、2番目が中国の問題、3番目が今日のテーマであります尖閣をどう守るかという問題についてお話ししたいと思います。

 伊勢﨑さんから自衛権の問題が提起されましたが、私の基本的な考え方は、日本国家には自衛権はないと考えております。と言いますのも、「国家が固有に持つ権利」と言う自衛権について、衆議院の憲法審査会でも、自然法概念から日本には自衛権があると規定をしています。しかし、自然法は人間に対して与えられた法であり、擬人化した国家に対して自然法を適用するのは基本的に間違いだと思っているからです。

 したがって、日本国家には個別的自衛権も集団的自衛権も含めて自衛権はありません。私達一人一人個人が自然法に基づく自衛権を持っていると思います。皆さんが一人一人自衛権を持っているのです。

 私たち一人一人が持っているこの個人の自衛権をいかに利用するかは、私たち一人一人が判断する問題です。武装して自衛するという人もいるでしょう。いや非暴力で一切の暴力は行使しないという人もいるかもしれません。それは全て一人一人皆さんの判断です。

 武装して自衛する人達が、集団で集まって民兵組織を作り、自分達を守るということは、十分許されます。国家が個人の武装権を奪うのは、明らかに自然法に反することですので、基本的には一人一人に対して、武装権を認めるべきだと私は考えております。

 これが、日本国家における自衛権の問題で、全てはここから考えるべきだと思っています。皆さんが自分の自衛権をどのように行使するかということは、一人一人が判断する問題であって、国家が判断する問題ではありません。それが第1点です。

 第2点目は中国の問題です。皆さんの中には、今日この様に話し合っているけれども、中国とも仲良く出来るじゃないの?そうすれば戦争なんてないでしょうという、いわゆるリベラル国際主義、リベラル平和主義と言っていいのでしょうか、そういう考え方をお持ちの方がいらっしゃるかと思います。中国も豊かになればなるほど、自由や民主主義という私達と共通の価値観を持つ国になっていくだろう、そうなれば尖閣の問題などもなく、仲良くやっていけるのではないだろうか、と思っていらっしゃる方がいるかもしれません。

 ところが、中国の行動を見てみますと、豊かになればなるほど専制主義的になっていっている、これまでの国際理論と全く逆方向の発展をしています。中国は、西洋の自由民主主義に対する東洋専制主義の優位だという思想的な裏付けと言いますか、正当化を行おうとしています。

 国際関係論の理論では、私達は基本的に西洋の国際関係論を習っておりました。しかし、2000年頃から国際関係論の中に中国学派というのが出てきました。それは東洋専制主義がいかに西洋の自由民主主義よりも優れているかということを立証しようという学派です。

 この典型的が、張維為という人が書いた書籍『中国震撼 チャイナ・ショック』です。日本語版も出ています。驚いたことに、中国の出版社が日本に科学出版社東京という出版社を設立して、中国の宣伝をやっています。これはある種のプロパガンダと見てもいいかもしれません。これは日本の書評で取り上げられることはほとんどありませんでした。

 ところが今、世界の思想界で大きな影響を及ぼし初めているのが趙汀陽という人が書いた『天下體系』です。これが欧米で大変な話題になってきています。

 ヘンリー・キッシンジャーが2016年6月に『国際秩序』という本を書きましたが、その中で明らかに趙汀陽の論文を引いて、中国はこれから天下体系、全ては天の下にあるという政治思想で世界を見ていくだろう、国際秩序を構成していくだろうと主張しています。

 今、中国が正統性秩序として掲げているのは共産主義ではありません。彼らは共産国家の樹立を目指しているわけではありません。それこそ朝貢体制、冊封体制の思想の下に世界を構築しようとしています。「天」は、民心を掌握する限りにおいて政治は正統性を持つという概念です。だから、国が平和で安定であれば、そこに指導者、政府は正統性を持つという考え方です。

 だから専制であれなんであれ、国民が平和で安定していれば、それは正統性を持つ政府だということですね。それは国内に限りません。世界全体がそうです。13億人もの人間が平和で安定な暮らしを維持している中国が、今の政治イデオロギーで世界を支配してなんの問題があるだろうか?みんなが平和で安定であればそれでいいじゃないか、という考え方がどんどん広まってきています。

 何が問題かというと、そういう東洋専制主義的なイデオロギー、ある人は「イーストファリア体制」と言っているのですが、それと我々が慣れ親しんでいる西洋型の国際秩序、いわゆるウエストファリア体制、この「イーストファリア」と「ウエストファリア」の対立なのです。これは基本的に何の対立かというと、ルールの対立です。現在の基本的な国際ルールを変えていこうというのが中国の考え方なのです。

 基本的なルールが変わっていく、その最も焦点になっているのが、第三番目の問題である尖閣や南シナ海の問題です。彼らは主権概念を元に南シナ海や東シナ海の問題を考えているわけではありません。それこそ中国3千年、4千年、6千年の歴史の中で、我々はここを管轄していたという、歴史的正統性を持って現在の南シナ海、東シナ海の問題を考えています。

 ここで主権概念をいくら持ち出してもあまり意味がありません。なぜなら中国は違うルールで行おうとしているわけですからです。例えてみれば、サッカーをしていたはずなのに、いつのまにかラグビーをしているという、そういうことになってきていると思います。そういう状況の中で、尖閣の問題を考えていく必要があります。

 尖閣問題は、単純に尖閣の主権の問題ではありません。これは彼らが持っている冊封体制、あるいは昔ながらの中華帝国の管轄権の問題です。

 そういう文脈で考えると、尖閣の問題は必然的に琉球の問題に関わってきます。私達は尖閣の問題を考える時に、沖縄の問題も一緒に考えていかないと、どうにもならないだろうと思います。一年ぐらい前に、半分冗談のように、いずれは琉球問題が出てくるだろう、その時に日本はどうするのだろうか、と考えていましたが、本格的に琉球問題を考える必要が出てきたと思っています。


柳澤 ありがとうございました。これをまとめろと言ったって、なかなか大変な話なのですが──。

 まず幾つか私から補足をお願いしたいと思います。今の加藤さんの最後のところで、尖閣は必ず琉球の問題になるということであるとすると、日本としてはそれをどのように考えるか、どう守ろうとするのか、あるいはどのように扱っていけば良いということになるのか、そこまで仰って頂かないと私は完結していないと思います。


加藤 国民党政府が政権を握っていた1930年代に「中華國恥圖」、「恥の地図」というものを出しました。昔、中国はここまで勢力圏があったにもかかわらず、今ではこれほどまでに外国勢力に侵略されたという地図です。その地図の中には琉球が入っていました。つまり、中国人には琉球は我々のものだという思いがあるのでしょう。

 私のところにも留学生がおりますが、彼らに核心的利益を奪われたらどうするの?と聞くと、「戦争だ」と言うのですね。核心的利益の中には台湾だけでなく、尖閣も入っています。今のところ中国政府は琉球を核心的利益とは言っていませんが、国民の中には琉球を中国の勢力圏と考えている人も多いのではないでしょうか。我々の意識とは全然違います。

 考えてみると、琉球というのはある意味でフィリピンに似ているところがあります。1609年の薩摩藩による「琉球征伐」を経て、明治政府による「琉球処分」があり、1945年にアメリカが占領するという、大国に「占領」された時代があるわけです。

 琉球には琉球の歴史があります。私は、琉球の人達が望むならば琉球の独立を日本政府は認めるべきだと思っています。琉球が独立し、琉球の人達が中国や日本やアメリカとの関係をどのように築くかということは、琉球の人達の考える問題であって、我々がとやかく言う問題ではないと思っています。

 そうなれば、尖閣の問題は琉球国の問題です。琉球共和国になるのか琉球王国なるのかは分かりませんが、尖閣の問題は日本の問題ではなくなります。

 琉球はもう一度、1853年の琉米修好条約に戻って、アメリカとの関係を築きなおすのか、それともさらに遡って、中国との冊封関係を築きなおすのか、それは全て琉球の人達の判断だろうと思っています。

 そうなれば、私達が尖閣の問題を日本国家の主権問題とみなすのは大きな間違いだろうと思っています。


柳澤 そう言う結論になるということですね。いろいろな異論、反論はあるかと思いますが、加藤さんの思想的な結論はそういうことであるということだと思います。

 織田さんのお話の中で、少し詳しくお話をされなかった部分、最近起きた航空自衛隊と中国空軍機の間のトラブルですが、一体何があったのか。例えば、航空自衛隊機が、フレアという赤外線ミサイルを撹乱する道具を撒いていった。「それがけしからん」というような話をしたのか、官房長官の会見ではその辺のところは一切おっしゃっていない。

 この辺は、どのくらい心配したらよいことなのか、ということもあるので、宮古水道を抜けてバシー海峡を通るような作戦能力を構築しているというご指摘が先ほどあったのですが、今後も現場では摩擦的ないろいろな事件や事象というのが起こりうると思うのですね。

 それをプロの常識としてどう考えたらよいのかというところをお触れ頂ければと思います。


織田 ありがとうございます。まず、今日はメディアの方も結構来られていますが、今、日本のメディアは空で何かあると、壊れたレコードのように「ロックオンされたのか、ロックオンしたのか」と言いますが、根本的なことが理解されていないと思います。まずこれを正しておかないといけません。官房長官の会見ではそこは上手く濁していますが、上空におけるロックオンというのは、海上における艦艇の火器管制レーダーの照射とは全く性質を異にします。

 空ではロックオンしなければ、相手の速度、高度、ヘディング、接近率というものが分かりません。マッハ1で飛んでいて正面から相手が来たら、双方ともロックオンします。なぜかというと衝突するかも分からないからです。ロックオンすれば、衝突するかどうか分かるわけで、事前に回避が可能です。相手の諸元、つまり高度、速度、ヘディング、接近率を把握して、自分がぶつからないようにするために、そして相手のミサイル圏に入らないようにロックオンするわけです。

 相手機の飛行諸元を得て、衝突しないためのセンサーとして使うにもかかわらず、海上における海軍艦艇のように「火器管制レーダーをロックオンしましたか?」というのは、「バカなことを聞いているなぁ」という話です。それは完璧に違います。

 ただ、ミサイルを撃つ前にもロックオンしないといけないのです。そこが厄介なところです。相手からロックオンされたら勿論分かります。ただその時に、単に自分の情報を得るためのロックオンなのか、ミサイルを撃つためのロックオンなのかは分からないということです。だから、全体の状況をみて、相手のミサイル圏内でロックオンされていたら、もしもの場合に備えてフレアを撒くわけです。

 ミサイルというのは2種類ありまして、熱源にホーミングするミサイルと、自分でレーダーを照射して、反射波に対してホーミングするミサイルです。ミサイルを撃たれたら困りますよね。だから、相手のミサイル圏に入ってしまった場合、もしもの場合に備えて、フレアやチャフを撒くんです。チャフはなぜ問題にならないかというと見えないからです。フレアは強い光を発しますから、10マイル離れていても分かります。

 要は戦闘機のロックオンというのは艦艇とは違い、近くに飛行機がいれば、どの国の戦闘機でも必ずしているということです。メディアの方々も恥ずかしい質問はこれ以降しないでください。

 官房長官は「手の内を明かすことは出来ないから答えません」と答えてくれていますが、逆に言えば、上空のことを知らない偉い人が間違えて「ロックオンなんかするな」と空自に命じたら、現場は危なくてしょうがないのです。マッハ1同士の飛行機がすれ違う時というのは、点で見えた次の瞬間にはすれ違っているという感覚ようなです。上空はそれぐらいの世界ですから、もしロックオンを禁止されれば危なくてしようがない。遠くからお互いにロックオンして、安全を確保するのは上空では当たり前の話なのです。

 もう一つ、お互いにミサイルを装備していますから、相手に脅威を与えて不測の事態にならないようにするというのは、普通の空軍同士ではいわゆるマナーなんです。ところが、中国空軍が第3世代、第4世代の戦闘機を乗りこなすようになったのはここ数年です。パイロットもそういう教育を受けていないし、防空識別圏──防空識別区と言っていますが──、防空識別圏も彼らは全く国際法を知らないで出しているのです。だから国際社会から非難されると、こっそり修正してみたりして、恥をかくわけですよ。パイロットのレベルも国際常識や慣例が理解されていないので危なくてしょうがない。

 私は人民解放軍の幹部に会った時に「もっと欧米諸国とかに幹部を留学をさせたらどうか、西側の風に当てて国際社会の常識に晒すと、もっとまともな軍隊になるよ」と言ったことがあります。私はアメリカに2回留学しましたが、中国の人民解放軍の将校は全くいませんでした。そう言う意味では、人民解放軍も国際社会の一員になるように人材育成の努力しなければいけないと思います。

 加藤先生からありましたように、まさに中国が今やろうとしているのはパックスアメリカーナ、つまりアメリカが主導する国際秩序を変えようとしているのです。パックスアメリカーナからパクス・シニカへ、つまりパラダイムシフトを図ろうとしている。しかし、オバマ政権が反応したのは経済だけです。AIIB(アジアインフラ投資銀行)をどうのこうのといった時に、初めてオバマは「中国のような国にルールを書かせるわけにはいかない」と。経済だから言ったわけです。安全保障とか、国際秩序でも言って貰いたいと思うのですが、これまではアメリカが主導する国際秩序の中で、中国もその利益を享受してきました。しかしながら、台頭する大国というのは、これまでの秩序を必ずしも是としない。往々にして、既存の秩序を力ずくで変えようとする。これは絶対にやめさせなければいけない。

 そのためにどうするかという話です。私はやはり、民主主義、あるいは自由主義、人道、人権、法の支配、こういったものを重んじる、価値観を同じくする同士がスクラムを組んで中国に対して、国際法を守れ、国際慣例を守れと誘導していく。国際法、国際慣例は、まさにパックスアメリカーナによって作られてきたものです。だから中国は嫌がっているのですが。

 自由と民主主義、人道、人権、法の支配などの価値観を同じくする人達が、こぞって中国を誘導していくエンゲージメント、つまり関与政策は、戦争をせずに、国際平和、国際秩序保つ唯一の政策だと思います。

 そのためにどうするか。アジアで言うと日米韓豪、ASEAN、できればインド、ロシアにも入ってもらい、そういう国でスクラムを組み、中国の台頭、暴走を抑え、国際法、国際慣例に従うように仕向けていく。これは非常に時間と努力がいると思います。30年、40年の単位でしょう。でも、戦争をしないで、国際秩序の平和と安全を保つにはこれしかない。これ以外に方策があったら教えてもらいたいと思います。

 スクラムを組んでやらなければいけない時に、日本だけがガラパゴス的に「これも出来ません、あれも出来ません、これは知りません」では国際社会に通用しないどころか、スクラムも組めないのです。だから、スクラムを組めるように集団的自衛権も認めなければいけないし、──私は去年の安保法制での集団的自衛権は、個別的自衛権の範囲で集団的自衛権とダブっているところだと思います──。PKOでもそうです。武器の使用基準が他国とは違うのですから。それでスクラムが組めるかといえば、非常に組みにくいわけですよ。価値観を同じくする人達でスクラムを組んで中国を誘導していく、エンゲージメントという施策が必要なら、日本のガラパゴス的法体系も改善していく必要があると思います。

 先ほど説明したように、中国は力の信奉者です。関与する側が力で圧倒されれば言うことを聞くわけがない。アメリカももう一国では手に負えない。トランプも「アメリカはもはや世界の警察官ではない」と言っています。しかし、アメリカの力は中国をエンゲージメントしようとしたら欠かせません。だから、活米、つまりアメリカを活かすということでアメリカを引っ張り出してくる必要がある。アメリカが引きこもり症候群になろうとするのを引っ張り出すことが大切なのです。

 日米同盟は片務だと言いますが、私は片務ではなく非対称だと思います。日本はアメリカにすごく力を貸してやっているのです。横須賀なんて原子力空母のアメリカ本土以外のベースとしては唯一ですよ。しかも、日本人の技術能力、メインテナンスは素晴らしい。そしてその日本人従業員の給料は全部払ってやっている。これは相当なものです。海兵隊はアメリカの西海岸と東海岸に一つづつと、3つ目は沖縄においているわけです。そういう意味では、日本はものすごく貸しがある。アメリカの軍人はそれが分かっています。それをうまく利用して活米の知恵を出していかなければいけないと思います。

 もう一つ気になったのは地位協定なのですが、私はイラク派遣の航空部隊指揮官を2年8か月やりました。空自部隊はクウェートに駐屯したわけですが、クウェートにおける空自の地位協定は日本におけるアメリカの地位協定よりも有利でした。もちろん公務で事故を起こした場合、クウェートの法律では裁かれません。加えて私的に犯罪を犯しても裁かれないようになっていました。日本で裁いてくださいということでした。5年間いて1件も事故はありませんでしたが──全部の国のSOFAを知っているわけではありませんが──、日本にいるアメリカ軍は在クエートの自衛隊より厳しいんだ、と初めて知った次第です。

 ただ国によって違いまして、航空自衛隊はカタールにも情報要員を10名駐屯させていました。秘密協定を結べというのがカタールの要求でしたが、秘密協定は結べませんので、毎年1回、口上書で地位協定の代替していました。それでもアメリカのSOFAと同じレベルでした。

 地位協定を変えろ、変えろと言っていますが、私にはどこをどうやって変えるのかそもそも疑問です。今以上に変えるというのは、具体的にどこをどう変えるのでしょうかと疑問に感じています。


柳澤 私も中国がまともな国、我々が国際秩序と呼んでいるものを共有するまともな国になるには、相当時間がかかると思います。先ほどの加藤先生のお話だと、そんなことはありっこないよとおっしゃる。どちらかが支配権を確立するまでこれは終わらないということなのかもしれませんが、それも含めて、おそらくものすごく時間がかかるということを別の言葉でおっしゃっているのかもしれません。

 周りの国々と協力してというのは、それはそれで何も反対するものではない。それしか手はないのだろうけれども、しかし、抑止政策の問題はきちんと理解しなければいけない。特に政治が理解しなければいけないのは、こちらも部隊の練度を上げて強くなっていく必要があるわけです。抑止というのは相手が行動を起こしてくれば、やり返してやっつける意思と能力です。つまり、相手に恐怖感を与えることがなければ、抑止というのは成り立たないわけなので、さじ加減が非常に難しいのは、必要以上の恐怖を与えて追い込んでしまうと暴発してしまうわけです。

 まさに戦争というのは恐怖から起こる、そのシナリオに入らないように、「トゥキュディデスの罠」と言われていますが、相手を抑止しようとすると、逆に相手が暴発してくるという危険性もあるということをしっかりと認識しながら、そのさじ加減をカバーしていくというのが、今後、数十年にわたって必要とされる戦略的というか、政治に期待すべき知恵の部分なのだろうと私は感じています。

 そこで、渡邊さんに半ば無茶振りかもしれませんが、先ほどお話にあった3,000人規模の水陸機動団ができて、水陸両用車やオスプレイを持つ部隊が出来るわけですね。それが3個連隊いるということになると、今、辺野古の新基地建設でもめている普天間のオスプレイというのは、第31海兵機動部隊(31st Marine Expeditionary Unit, 31st MEU)、約2,000人の正面兵力を持った部隊で、オスプレイはこれを運搬する飛行機なわけなのですけれども──。

 ストレートに聞いてしまいますと、ガイドラインでは島嶼防衛は第一義的に自衛隊の任務であると定義されているように、水陸機動団が出来ると陸上自衛隊が海兵隊的な機能を持って離島防衛の備えをするということは、つまり31st MEUはいらないということになるんじゃないか?と。しかも海兵隊の主力は米軍再編計画の中でグアムまで引くことになっているわけですから、その辺を率直にどうお感じになるかというところをお触れ頂ければと思うのですけれども。


渡邊隆 元陸将・東北方面総監

渡邊 陸・海・空共通ですが、どのような装備をどれぐらいの量、いつぐらいまでに持つか、というのを防衛力整備と言います。防衛力は基本的には運用と能力整備に分かれます。将来を見越してこのように国際状況が変化するならば、こういう機能をこういう形で整備をしていきましょうと。これはお金と時間の問題で、これこそが政治が一生懸命考えて、コントロールすべきことです。

 今持っている能力をどのように使うかというのはオペレーション、運用の問題ですので、これは専門家に任せるべきことです。知らない人間が知っている人間に指図するというのはおかしな話ですから、運用については基本的に権限を与えて、いわゆるROEのような規則で縛って、使うことが上手な人間に任せる、ここにシビリアンコントロールの妙があると思います。

 実は、水陸機動団というのはそういう形で能力整備されたものではありません。言い換えれば、沖縄との関連でこうこうこうだから、このような機能を持ちましょうという形で考え出されたものではない、というのが公式な言い方になります。

 部隊は九州に作られていますし、南西諸島や尖閣がそのような状況になっているわけですから、部隊はきっとこういうところで使われるのだろうな、と思われるのは当然だと思いますし、もしそのような事態になれば使うのも当然ですが、そのために作った部隊ではないということです。ですから、第31海兵機動部隊(31st MEU)が沖縄にいるいないに関わらず、水陸機動団は編成をされている。そこにプラスマイナスの関係性はないと思います。

 能力整備について非常に説明が難しいのは、例えばこれこれの機能をアメリカが負担してくれるということであるならば、日本は能力整備をしなくて済むわけです。現状の国際環境で、今と同じ防衛的な効果を日本独自でやるならば、GNPの1%をはるかに超えてしまうことになってしまうだろうと思います。

 アメリカが指摘するように、アメリカが日本にいるおかげで日本は少ない防衛費で済み、その分経済に力を入れて、アメリカの経済そのものにも影響を与えている。いわゆる安保ただ乗り論という論拠はここにあるわけですが、そういう意味で言うならば、それこそほとんどをアメリカに期待をすれば、もっと小さな自衛隊でも良いかもしれない、という論法が成り立つわけです。

 ですから、アメリカの戦力をカウントした上で、日本の防衛力を考えているかと言われれば、「そのようなことは考えておりません」ということです。基本方針にあるように、あくまでも小規模な侵攻に対しては、独力で対処出来る戦力を持っているということですから、これが基盤的防衛力の考えで、アメリカ軍がいようがいまいが変わるものではない。その流れの中に水陸機動団もあるのが基本的なスタンス、そういう理解の方が正しいのではないかと私は思っています。


織田 一つよろしいでしょうか、オスプレイの話が出ましたので、私は元パイロットですので、メディアの誤誘導を正しておきたいと思います。

 危ないか、危なくないか、安全か不安全かというのは、科学的に見なければいけません。普通、それをどこで見るかと言いますと、10万時間あたりの大事故の件数で見るわけです。

 オスプレイはどうかと言いますと、確か10万時間あたり2.64だったと思います。垂直離着陸機のハリアーという戦闘機が6.76です。海兵隊の飛行機全体の平均値が2.6程度ですから、オスプレイがずば抜けて不安全な飛行機とは言えません。

 オスプレイについては、メディアは明らかに印象操作をしている。開発時から導入時はどうしても事故件数は多くなります。この時の事故映像を見せて「これは危ない、危ない」と報道している、それでみんなオスプレイを危ない飛行機だと思ってしまった。それよりも事故率の高い飛行機はいっぱいあります。例えば先ほどのハリアーです。なぜ岩国に来るハリアーに反対しないのですか?と私は言いたいんです。どうも日本はメディアがムードを意図的に作り出し、そのムードに流される。ムードに流されて大東亜戦争に突っ込んだのではないのですか?その教訓が全然生きていない。

 オスプレイの前のCH-47は安全かと言うと、もう終末期なんです。事故率というのはバスタブ曲線と言われています。最初の開発時の事故率は当然高いです。それが安定期に入ると下がってきて安定する。そして終末期になると再び上がる。だからバスタブ曲線というのです。CH-47はこれから上がりますよ。今1.4から1.5ぐらいですが、2ぐらいになりますね。

 メディアの方がいっぱい来られているから言いたいのですが、そこはレッテル貼りではなくて、冷静にね、数字で判断しなければいけないというのが一つです。

 もう一つ、抑止の話が出ましたが、抑止というのは柳澤先生が言われたように、いわゆる安全保障のジレンマというのがあります。相手に対してあまりに警戒しすぎたが故に、相手も準備して、結局、安全保障自体が危うくなるということがあるわけです。

 ただ、抑止には懲罰的抑止と、拒否的抑止というものがあります。拒否的抑止というのは、弾道弾ミサイル対処みたいなもので、撃ってきても撃つ意味がないぐらい拒否するということです。懲罰的抑止というのは、ミサイルを撃つのは許せんと言って、相手の基地を叩く能力を持っている。だから弾道弾ミサイルを持ってもしょうがないということです。

 日本が持っているのはほとんど拒否的抑止です。懲罰的抑止は機能として持っていない、と言うより持てない。なぜかというと情報がないから、つまり攻撃する目標の情報が取れないからです。

 そういう意味からしますと、私は陸上自衛隊の3,000人の連隊というのは、来た時にそれを取り返すという拒否的抑止、そういう能力を持っているという拒否的抑止であって、それは戦争を起こさないという抑止になると私は思います。


柳澤 自衛隊が持っているのは拒否的抑止力であるわけだし、自衛隊自身というか日本自身の努力で、来てもそんな簡単には目的は達成されないという態勢を持つということは私も賛成です。

 尖閣を取りに来るような戦争が起こるとすれば、アメリカが介入しないような形でないと中国だってやってこないだろう、本気で取りに来るならば、まず基地を攻撃して、アメリカが入って来るなら入ってこい、という大戦争にならざるをえない、という話をしました。

 日本自身が中国の攻撃を跳ね返す力を持っているということは必要なことですが、ただ1回では終わらないということを申し上げました。そして、それが拡大していかないようにするのが政治の役割だということを申し上げているわけです。

 そこで、アメリカ自身が中国に対してどれだけ懲罰的抑止、あるいは報復的抑止機能を果たそうとしているかというところが、非常に読みづらいのですね。

 日米が一体化していく中で、例えばアメリカの空母を守ってやるということを声高に言って、そして中国海軍が演習に出てきたところにアメリカの部隊と一緒に自衛隊も出ていけば、確かに現場における拒否的抑止ではあるのですが、恐怖を感じると突発的に何か摩擦的な事故が起こって、危機管理をうまくやらないと戦いが拡大していく、という危険があるということです。

 現場の抑止はもちろん必要だけれども、それをどういう形で報復的抑止に繋げていくのかということです。一方的に「これだから安心」ということはないし、「全くいらない」ということもない。非常に難しい選択の問題があるのだろうということを申し上げたいわけですが、先ほど伊勢﨑さんが地位協定、SOFAの話を少し触れられたので、補足があればお願いします。


伊勢﨑 日米地位協定の改定と言うと、「反米」のコンテクストで語られることが多いので、少しパラダイムを変えていかないといけません。

 「活米」には、日米関係、とりもなおさず「地位協定の安定」が不可欠でしょう。

 「安定」。フィリピンやイラクの例から、実はアメリカ自身が歴史的に学んできたのです。「事故」を起因として駐留米軍への敵意の国民感情が高揚し、米軍が全面的に撤退を余儀なくされた経験値から、当の米政府が、「安定」ために地位協定の改定における「譲歩」を試行錯誤してきたのです。それが、NATO地位協定における、米軍のプレゼンスが特に大きいドイツやイタリアとの補足協定などに代表される「譲歩」です。

 ちなみに、日本の外務省のHPには、「ドイツは,同協定(注・上記補足協定)に従い,ほとんど全ての米軍人による事件につき第一次裁判権を放棄しています」は許しがたいミスリードです。真実は全くこの逆で、強盗、レイプや殺人については、どんな場合でも、ドイツの裁判権で裁くと明確に書いています。

 アメリカが締結している地位協定を比較調査すると、それらの「改定」の歴史とは、まさに「”平和時”の異国に軍事組織を駐留させるという、受け入れ国にとって異常な状況で、米の国益の保護と、国の命で赴かされる米兵が異国の法で裁かれるのをいかに阻止するか」の試行錯誤だということが分かります。現地社会の感情の取り扱い如何で、全面撤退を余儀無くされることを経験しているのですから。

 ですから、「平和時の駐留」を強いる米と受け入れ国の関係の「安定」を希求するのはアメリカ自身であり、だからこそ、不満の「ガス抜き」の交渉に応じ、譲歩を、地位協定の「運用」ではなく、広く、透明性を持って、相手国現地社会の感情に効果的に訴えられるように、衆知が及ぶ「改定」という形で示してきたのです。

 それらの「譲歩」は歴史的に、以下のようにパターン化しております。

 ①互恵性:裁判権の特権をお互いに認め合う。つまり、受け入れ国の軍がアメリカに駐留した時も、受け入れ国に同じ第一次裁判権を与える。

 ②透明性:互恵性を認めない場合でも、アメリカが第一次裁判権を持つケースに受け入れ国の公式な監視権を認める。米軍事法廷において相手国が立ち会える権利です。

 ③「業者」特権剥奪:米軍が直接的に監督責任を追えない契約社員には、業務内/外ともに全面的に受け入れ国の裁判権を認める。ちなみに、「シンザト」は業者ですが、日米地位協定では「軍属」として特権が与えられていました。

 ④基地の管理権、制空権:”平和時”なのですから、受け入れ国の主権が地位協定を支配するという考え方は当然で、米軍の行動は全て相手国政府の「許可制」。

 ⑤環境権:④と同じく、受け入れ国主権の最優先の元、受け入れ国の環境基準に従う。

 地位協定の運用において「安定」を目指すなら、地位協定が「改定」されないことは、おかしいのです。

 日本は改定なしで60年やってきたからいいじゃないかと言われそうですが、誰がフィリッピンやイラクでの全面撤退を予測できたでしょうか?

 ひとえに沖縄に集中しているからです。当事者である沖縄県民の被害者としての意識は絶対に押さえ込むことはできません。歴史を紐解けば、こういう局地的で明確な不満が爆発し、分離独立運動が起き、そういうところに大国の思惑が介入し、そして「集団的自衛権」が悪用され、内戦化する干渉国家の末路を。日本は、地政学上、典型的な干渉国家なのです。

 「活米」。米軍の基地を集中的に受け入れている沖縄県民が周知できるように、「運用」ではなく「改定」で、その不満を少しでも取り除いていく努力は、「活米」に不可欠だと僕は思います。

 同時に、これは、右/左、親米/反米を超えた課題であると思います。


シンポジウム 自衛隊は尖閣を守れるか

柳澤 残りの1時間はフロアからご質問を頂いて議論を進めることにしたいと思います。大勢の方のご質問、ご意見を頂戴したいと思いますので、出来るだけ簡潔にご発言頂ければと思います


会場からの質問 加藤先生は中国は東方先制主義だと言われていたのですが、やっていることを見ますと、帝国主義だと思っていいと思うのです。逆にロシアは民主主義国になっている。アメリカとはもちろん鋭い利害対立はありますが、国家運営の方式において大統領はちゃんと選挙で選ばれておりますし、クリミア半島の併合も国民の圧倒的な支持を得ているところから見ますと、基本的には価値観を共有出来る要素がかなり高いと思います。そういうところで考えていくと、活米だけではなく、活露ということも考えた方が良いのではないかと思います。ロシアと仲良くするとアメリカから叱られるかもしれないけれども、日本には日本の独自の立場があるわけですから、アメリカべったりでいく必要は全くないと思うのですがいかがでしょうか。


加藤 ロシアは基本的には西洋国際体系の中の国家ですので、基本的な考え方を我々と共有していると思います。

 中国の場合は、それこそ孔子、孟子の時代の思想を引っ張り出してきて、現在の専制体制を正当化しようとしていますので、中国とロシアとは対応が異なると思います。 ロシアも引き込んで活露という考え方は昔の帝国主義の時代の考え方です。アジアでアメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、ロシア、日本といった大国が群雄割拠しながら、日英同盟であるとか日露協商であるとか、同盟関係を組み替えながら地域の安全を保っていた。その結果が日露戦争になり、第1次世界大戦、そして第2次世界大戦になっていったということです。

 ロシアを利用するということでは、今回の安倍首相とプーチン大統領との会見の中で、領土交渉よりもむしろ同盟関係の方に力点を置いて話が進んでいったような気がするのですが、果たして同盟関係の組み替えとか、同盟の力の関係を考えることがいいことなのかどうかということも含めて、国際関係全体をどのように見ていくべきかを我々は考えなければいけないのではないかと思います。

 話が飛躍するようですが、西洋であれ東洋であれどこであれ、世界の政治が力と感情が支配する世界になりつつあるのです。合理的な判断や理論的な考え方よりも、自分達の感情をベースにした政治が始まっています。EUの難民に対する批判や嫌悪感や、日本でもヘイトクライムが出ているわけですね。そうした感情が政治を動かし始めているということを私達はどう考えるべきなのか。これは決して国内政治だけの問題ではないのです。

 昔、ホッブスがヨーロッパにおける自然状態すなわち戦争状態を解決するために近代主権国家を構想したのですが、今や戦争状態がグローバルに広がってしまった。この状況をどうやって解決すべきかを考える際、東洋専制的な考え方こそが将来の世界を導く唯一正統なイデオロギーであると中国に言わせないためにも、我々が専制主義に対抗するイデオロギーをどのように作り上げていくか──非常に迂遠なようですが──、考えるべきではないか。そういう文脈で日露の問題も考えていくべきではないかと思います。


会場からの質問 柳澤先生から尖閣の国有化は政治判断の失敗だったというコメントがありましたが、織田先生も国有化は失敗だったとお思いでしょうか?もう一つ、織田先生から対領空侵犯措置に対して、もう少ししっかりした法制化が必要だというコメントがありましたが、柳澤先生はどのようにお考えでしょうか?


織田 尖閣を国有化しようがしまいが、問題としては起こっていたと思います。ただ、国有化という政治判断が拍車をかけたということだろうと思います。国有化の時期を間違えたというのはあると思いますが、尖閣については、中国は「積極有所作為」ですので、遅かれ早かれ何とかして日本から実効支配を奪取しようとする動きは、多分あっただろうと考えています。


柳澤 私も基本そこは違わないのです。尖閣の国有化は東京都が所有するよりはいいだろうということでやったのですが、中国としっかり議論を尽くさなければいけないところを尽くし切らなかった。ウラジオストックで野田首相と胡錦濤さんがお会いになった時に、胡錦濤から「絶対にやめてくれ」と言われた2日後に閣議決定をしてしまったという、政治的なやり方の稚拙さが中国に格好の口実を与えたというのが今回の顛末なのだろうと思っています。これがなければもっと違った形で、中国が先にアクションをするようなことになっていれば、政治的な正当性の問題としてもう少し違ったゲームの展開になっていたのだろうということです。

 それから、対領空侵犯措置でどうなのか。トルコの例なんかは国境を挟んで隣で戦争がある状態ですから、そういう時に撃ち落とすというのは私は全く無しだとは思わないのですが、織田さんの言葉で言うと警察的な行動と軍事的な行動、警察権と自衛権のシームレスさというのが、私はそこはシームレスであってはいけないところがあろうのだろうと思います。

 やはり国家の意思として、覚悟を持って対応しなければいけない部分の深刻さを政治がしっかりと捉えておかないといけない。警察権という非常に限定された範囲で部隊が行動するときの現場のリスクに対して、打ち出の小槌のようになんでも自衛隊がやってくれるのだ、というような対応ではまずい。

 だからと言って、現場にそのまま任せて、軍事的な交戦行為のようなところまで一気にいけるような前提にあることがいいのかというと、そこはそうでもないのだろうと思うのですね。これは非常に難しいというか、現場はいつまでたってもご苦労が絶えないと思うのだけれども、政治の意思としてはっきり「ここは軍事的にやるんだ」という意思の介入が是非とも必要なのだろうと思います。

 マイナー自衛権の話というのは昔からくすぶっているのですが、マイナー自衛権というのは現場に武器の使用を任せてしまうことですから、そういう体制にすることは必ずしも日本の安全にとって良いことではないだろうと思います。

 政治がどういう覚悟で入っていくのか、現場の矛盾を政治がどう共有するのかということを考えていかなければいけない。それはある意味で答えの出ない問題だと思っていますが、しかし、現場で判断すれば撃ち合いも出来るということでいいんだね、と言われると、そこは違うと私は思っています。


織田 私のプレゼンテーションに少しまだ誤解があるなと思います。あえて「蛇足ですが」と説明しましたが、撃墜権限を与えるのと行使するのは全く別物です。また権限を持っているということと、権限を現場に任せるというのは全く違う話です。

 現場がそんな権限を我々に任せてくれとは誰も言っていません。それは高度な政治判断だから、総理大臣しか決断は出来ませんよということをあえて書きました。撃墜という最も厳しい権限を持っていること自体が抑止力になるということです。

 先ほどスクランブルが2万5,000回と言いましたが、昭和62年に沖縄上空をTu-16というソ連の爆撃機が2回にわたって領空侵犯をやりました。その事案を受け、昭和63年に自民党が議員立法を上程寸前まで行きました。この議員立法はなかなか良くできています。これがあれば現場も迷いなく任務が遂行でき、かなり抑止力になると私は思いました。

 なぜそれが消えてしまったのか調べてみたら、社会党との政策の取引材料に使われてしまったようです。いわゆる55年体制の犠牲になったわけです。そうこうしているうちに参議院選挙で自民党が惨敗し、しかもソ連が崩壊し、当面必要性もなくなり忘れ去られたということです。だからあの議員立法をもう一回上程すれば良いと思います。

 撃墜権限は佐藤栄作首相の頃まではあったと解釈されていたようです。佐藤首相も「国際慣例として、領空侵犯を軍用機がした場合については、それは退去を命ずる。それに応じない場合は、強制着陸させる、それに応じない場合は撃墜というのも否定されない」と答弁しています。

 それが数年後、久保卓也防衛局長という官僚によって、「自衛隊の場合、正当防衛・緊急避難以外は武器の使用は出来ません」と否定されて、それが定着したわけです。佐藤首相の頃までの国会答弁を見れば、自衛隊法に規定がなくても、国際法、国際慣例に従って武器の使用はできるという解釈でした。それは自衛隊法策定に関与した宮崎弘毅さんの論文にも書いてあります。ただ、法律の解釈は、法律ができた時と、国会答弁を通じて変わってきたこと、そのどちらが優先するかと言ったら、直近の解釈なのです。

 時代が変わって、対象はソ連の爆撃機から中国の戦闘機に変わった。その領空侵犯を未然に防止するためには権限の最上限をはっきり決めておいた方が良い。それは領空侵犯されたら何でもかんでも撃墜するという話ではありません。また撃墜権限を現場に任せろと言ってるわけでもありません。そんなものを現場に任されたら、現場はえらい迷惑ですよ。武器の使用基準は部隊行動基準、ROEで縛っておいて、政治がこれをコントロールする。そして、やむを得ない場合は総理大臣の命令でそれが出来るようにしておく。自衛のための総理大臣の権限を法律で縛るというのは、それは国家として異常ですよ、という話です。


柳澤 先ほどのプレゼンで大事なところを少し抜かしていました。総理大臣の命令で良いのですが、そこは政治をどこまで信頼するかということとも繋がってくるのだろうと思います。

 今の現状で、そういうROEを持たせずに、領空侵犯がさらに繰り返し行われるような状況なら墜としても良いぞというのは、それが本当に攻撃してくるかもしれないという状況ではない時に、そういうことが出来るかというと、実際問題としてはそういう判断は出ないだろうし、逆にそういう緊迫した状況の中で撃墜するというのは、相手から見ればこちらが戦端を開くことにも繋がってくるので、そこら辺のコントロールが非常に実は難しいところがある。だから、今の体制で現場に何を求めるかということなのですね。

 今の体制で政治から出されているのは、「どうせ撃ってこないのだからといって舐められてしまう」ことをよしとするという命令が出ているということなのです。舐められることに対する屈辱に耐えるということです。

 そしてその状況で、総理大臣は東京にいて、その0.何秒ですれ違う航空機同士のオペレーションで、これを撃墜せよなんていう命令は、私は正しく出せるとはとても思ってはいないのだけれども、そういう危険を避けるということです。

 そういう危険を避けるリスクと、相手が舐めてかかってくるというリスク、どちらのリスクを選択するかという問題なんだと思います。

 そこを政治が認識して、悪いけれども屈辱に耐えてくれと言うべきだというのが私の立場で、これは価値判断の話ですから、テクニカルにどちらが良いかという話ではないと思うのです。


会場からの質問 今の地位協定で問題ないと織田さんはおっしゃっていたのですが、横田基地の制空権とかはどうなのかなということと、私も沖縄は自治区のような形が良いなと思うのですが、今の反日反米の中では、すぐ中国が来てチベットみたいになってしまうのではないかという心配があるのですが、加藤さんいかがでしょうか。


織田 誤解があると思うのですが、横田は米軍が管轄していますが、管制には既に航空自衛隊も携わっています。勤務も米軍とともにシフト勤務に入っています。米軍が一義的にやっているわけではありません。羽田空域と横田空域を分けていますが、じゃあ飛べないかと言われれば空の運用はそんなことではないのです。私も現役時代、入間基地を根拠地として、飛行訓練をしていました。出張では自分で操縦して入間から行っていましたが、全く不自由は感じませんでした。

 ただ、民間の離着陸経路とは区別しており、そこを避けるようにしているのは事実です。管轄が違うから絶対に飛べないかといえばそんなことはありません。通常の進出帰投経路や離着陸経路は決まってはいますが、横田とコンタクトしたら飛ばしてくれます。そのコンタクト先が航空自衛隊の管制官であったり、米軍人だったりするわけです。なんというか、未だに占領されているようだとの批判は、メディアのレッテル貼りのようなもので、ステレオタイプのイメージづくりのために言っているようなところがあるのではないでしょうか。実際に飛んでみると、そんなことは感じません。

 羽田の管制区として一つにすべきだという意見もあるかもしれませんが、あの広大な関東エリアの空域をを羽田の管制区として全て管轄すると、とてもじゃないが管制官は大変だと思います。昔は成田と羽田の管制区も分けていたのです。合理化のために1つにしました。管制官のロードとしては大変重くなったと聞いています。横田空域の管制官と羽田空域の管制官で分担して管制しているのであって、相互にコーディネイトしていないかと言ったら、ちゃんとコーディネイトしていますからね。そこは若干誤解があると思います。


加藤 私は基本的に全て沖縄の人が決める問題だろうと思っています。自治区と独立というのは全然違います。自治区はあくまでも政府の管轄内の問題ですので、主権は当該政府にあるわけです。

 私は沖縄の安全保障について、沖縄の独立を主張する一部の人達にある意味で共鳴しています。彼らは、琉球を中心とする非武装地帯構想を作ろうという考えを出しています。かつては日本でさえも全体を非武装地帯にして、その上で非武装の憲法9条を実践することが考えられていたわけです。夢物語のような話かもしれませんが、沖縄を非武装地帯にすることを考えてみることは必要だろうと思います。何れにしても、最終的決定権は沖縄の人にあるのだろうと思っています。


会場からの質問 非暴力平和隊という団体に属しています。現在、南スーダンやミンダナオで平和的手段で平和を作る活動をしています。加藤先生からこれまでしきりに言われておりますのは、憲法9条部隊というものを作れと。自衛力は国家ではなく、個々の人に与えられているものであると。だったら自分でそれをやれという難しさを突きつけられていると思っています。

 尖閣に関してどうするのか。ピースボートみたいなものを作って、尖閣地域に船を並べて、そして問題を平和的に、あるいは双方が武力抗争に入らないようにするようなことを考えろということだろうか。私は日比谷公園の近く、あるいは国会周辺で、例えば南スーダンに自衛隊を出すような今の政権のやっていることに反対の声を上げています。それは自衛隊を活かすという点から言っても、外地に出て、人を殺し、殺されない、そういうことをしないという日本国憲法の基本に大いに反すると思うからですが、具体的に何をするかという答えがなくて苦しんでおります。そこを加藤先生に伺いたいと思います。


加藤 お答えする機会を頂きまして、本当にありがとうございます。普段、私が主張しておりますことをこの機会を利用して少しお話したいと思います。私は憲法9条部隊ということをこの20年来主張しています。これは民間によるPKOです。

 PKOに行っている自衛隊は、基本的には施設部隊です。南スーダンでは自衛隊の駐屯地から国連の司令部に至る道路整備をやっています。これは自衛隊が行ってやるべき仕事ではない。民間の専門家が行ってやった方が良いのではないかということを言っています。

 南スーダンだけではなく、いろんなところで自衛隊が行なってきたPKO活動は、復興活動、国家再建活動です。そういう非軍事的なことは民間の皆さんがやればいいのです。いつも言っているのですが、「連合」(労働組合)の人達、元連合に参加した退職労働者が何百万人もいらっしゃるはずです。この中から志願して100人でも1,000人でも良いです。PKO部隊を作って、連合の組合員が年間1万円の寄付をすれば、今の自衛隊のPKOよりもはるかに優秀なPKO部隊が出来るはずです。

 20年来呼びかけて、一緒にやろうと賛同して下さった方はほとんどいません。

 南スーダンから自衛隊を撤退させる代わりに、民間のPKOを作れば良いのです。この中で何人か手を挙げて下されば、それが核になって広がっていくだろうと思います。

 そんな夢物語みたいな話があるかと思われるかもしれませんが、国連は国連緊急平和部隊UNEPS(United Nations Emergency Peace Service)という団体を構想しています。これは民間の志願者による紛争解決部隊です。日本が核になって、この国連の構想を実現する方向に向けて運動を推進して行けば、日本は世界でも全く違った形での国際貢献が出来るのではないか。

 自衛隊は、本土防衛に徹するべきだと思っています。一方、先ほどの沖縄の話ですが、非武装地帯構想に加えて、沖縄はイマヌエル・カントが思い描いた永遠平和のために思い描いた、民主主義的な政府による軍隊なき国家となるべきだと思います。軍隊がないからといって、カントは非暴力を主張したわけではありません。民兵組織による防衛を主張しています。軍隊ではなく民兵による武装部隊を作れば良いのです。それがどれほどの効果があるかということは、軍事力の問題というよりも政治力、外交力の問題です。その意味で琉球は、カントが夢見た非常に理想的な国家になる可能性を秘めた地域ではないかと思っています。


柳澤 以降は、先に質問だけ伺って、時間の限りで対応させて頂くということにしたいと思います。

会場からの質問 元防衛省の方達にとっては失礼になると思いますが、お話を聞いて感じたことを先ず言ってから質問したいと思います。皆さんのお話だと軍事力しかない、軍事力という将棋盤の上でしかない話です。失礼なのは承知で言いますが、国を守るということを、せっかくとった予算を使うために、防衛省の予算内だけで考えていらっしゃるのではないかと。これは政治に関わることなので防衛省の方には責任はないのですが、文部科学省に作らせれば良いのですよ。レーダーとか、観測機だとか、堂々と軍事ではないと言って、文部科学省の予算で作れば。沖縄を東アジア共同体の平和の礎とともに、宇宙観測、宇宙開発の国際共同研究所の拠点にすれば良いのです。尖閣にもそういうレーダーを中国も台湾も一緒に作ろうという共同作戦、そうやって東アジアの共同体というものを作るという方向もないわけではないと思うのです。本当に失礼は承知で、防衛予算の範囲ではないところで尖閣の問題、沖縄の離島の自衛隊配備の問題について、何かおっしゃって頂ければと思います。


会場からの質問 伊藤さんのお話を聞けて現場の話がリアルに分かって良かったなと思います。とんでもない質問なのですが、自衛隊が関わったシン・ゴジラという映画があるのですが、自衛隊と国家の関係がリアルに批判されていたのではないかなと思うので、ご覧になった方がいらっしゃったらご感想を聞かせて頂ければと思います。


会場からの質問 伊勢﨑先生がおっしゃった日米地位協定の改定なのですが、政治や国会議員の方で何か動きはないのでしょうか。民主党政権時代に俎上に上がりかけたと思うのですが、その後、動きがあればお聞きしたいのと、オスプレイの墜落事故を受けて、今後横田基地に配備されるので、低空飛行や夜間飛行の禁止なども盛り込むべきではないかと思うのですが、その辺も対象にすべきかどうか、2点お伺いしたいです。


会場からの質問 今年7月に南シナ海と尖閣を題材に授業を致しました。学生の意見を聞いたところ、日本人の学生と中国人の留学生の間で、前提と言いますか、立ち位置がずいぶん違っておりました。今後、日本と中国がより良い関係を作れるように、我々は両国の若者達に対して、どのような教育、指導をするべきかというのをお聞きしたいと思います。


会場からの質問 ある公的機関で安全保障の仕事をしています。柳澤さんはじめ、元自衛官の方にお伺いしたいのですが、日米同盟の強化を政治家から実務レベルまで言われます。今日のお話にも出ましたが、フリーライドだったり、一部ライドだったり、相互性の問題があるのですが、日本として何をどこまでやったらアメリカと本当に双務的になると考えているのかというのが見えないのです。国が違うということは国益も、脅威認識も、能力も違う。それで一緒になるということは、個々の人間が別々のように、利益が全く同じになるということはないという前提があるとしたら、日米同盟の強化の最終的な着地点はどこなんだと。日米同盟の強化と双務的なあり方というところのイメージが見えないのですね。政治というのは同じものの交換ではないはずなのです。こちらは基地を出す、向こうは人を出す、それで双務性があるといえば、あとは説得の問題だです。経済取引ではないので、同じ時点で同じものを交換する必要もないわけです。ある時点でこちらが恩を売って、5年後に違うもので返す、それだって双務性です。皆さんの思っている日米同盟の強化、もしくは双務的、片務的というところの実務に携われたところから、ご意見を伺えればと思います。


柳澤 ありがとうございました。進行役の独断で対応させて頂きますが、軍事ではない対応もあるのではないかというご意見を頂きました。繋がりのある話として、日中の相互理解のために学生にどういうことをやっていけばいいのかということ、そこをひっくるめて加藤さんからお答えを頂きたいと思います。後の質問はそれぞれの方から、先ほどの織田さんのお話の中では、日米同盟は非対称であって、必ずしもバランスしていないわけではないという趣旨のお話もあったわけですが、お三方からそのターゲットなり、どこまでという感覚について簡単にお答えを頂きたいと思います。シン・ゴジラについては個別の取材でお答えを得て頂きたいと思います。


加藤 軍事以外の対応もあるではないか、誠にその通りです。軍事で対応するのはほんの僅かです。でも、今日いらっしゃる方々は軍事で対応することを仕事となさっていた方ですので、軍事で対応するということになったのだろうと思います。

 私は非軍事の対応として教育の場で対応しています。20年近く中国の留学生を見てまいりましたが、年々違ってきています。最近はもう自信満々です。中国のやり方は正しいということをハナから信じている。専制主義的、独裁的なやり方も正しいと言い続けるのです。「なぜ正しいのか?」と聞くと「みんな平和で安定しているじゃないか」と。「でもその代わり、自由もないだろう、言論の自由はどこにある?」と聞くと「平和と安定のためには多少の不自由はしのぐべきだ」と言うのです。

 こういう学生をどのように教育するのかと言う話ですが、私は洗脳するつもりはありません。私が心がけているのは、私にとって譲れないものがある、それは自分の自由だということを言い続けています。彼らがどのように理解するかは分かりません。私の信念は何にも増して個人の自由が優先されるべきだということを言い続けています。それでもどうにもならない学生は、もちろんいます。共産党員です。でも私は彼らの立場も分かります。そう言わざるを得ないのか、本当に心底教育されてきてそう思っているのか。いずれこの両者の差は埋まるだろうと期待をしつつ、それでも毎日毎日もう愕然としながら、議論だけはずっと続けています。それを繰り返す以外にもう方法はないのだろうと思います。

 最近思うのは、そういう学生が増えているとは言うものの、彼らが5年、10年と日本に暮らしていくうちに、自由のありがたさといったものを感じるようになる。それを期待しながら非軍事の分野で日中間の問題を解決していきたいと常々考えています。


柳澤 ありがとうございます。それでは並んでいる順に渡邊さんから日米同盟についてお願いします。


渡邊 日米同盟をどこまで強化するのかという問題については、お答えにならないようで大変恐縮なのですが、陸・海・空で日米同盟の考え方は幾分違います。陸は一番日米同盟の結びつきが弱い軍種だと言われていますが、昔は日米同盟しかなかったので、どのような程度であれ、歴史的に巻き込まれる恐怖と見放される恐怖の間の中で振幅があったわけです。

 今は二国間なのか多国間なのか、言い方を変えれば、アメリカなのか国連なのかという議論の中でアメリカにずっとすり寄っている、そういう時代なのかなという認識があります。

 そういう意味ではどこまで答えになるか分かりませんが、アメリカ以外の世界との関係の中で色合いとして両極端ではなく、温度差の中でその時代にあうような二国間と多国間を国として選択をしていく、そういう時代になったのではないかと個人的には思っています。


織田邦男 元空将・航空支援集団司令官

織田 日米同盟以外にも答えたいところがありまして、まさに力のこと、軍事力のことを言われました。そのように誤解されたのだなと思うのですが、私は軍事力が全てだ、あるいは軍事を最優先にすべきだなんて考えていません。

 高坂正堯さんが言われたように、国際社会を動かしているのは力の体系、利益の体系、価値の体系の3つです。軍事力は全てではないけれどもやはり無視は出来ない。だから中国は力の信奉者として国防費を28年間にわたって2桁の伸びで44倍にしているわけです。そして10年間で3.4倍。私がブリーフィングした通りです。

 なぜこんなことをやっているのか。それは国際社会で自分が覇権を握るための力として必要だからということです。力の信奉者に対して、我々は力の体系を全く無視して、価値の体系と利益の体系だけで対応しますといっても多分中国には通用しないでしょう。

 先ほども言ったように、中国を国際法を守るような真っ当な国に誘導していかねばならないのだから、誘導する方が力で圧倒されたらまずダメなのです。それを日本一国でやれなんて言っていませんのでそこは誤解なきよう。そして、防衛予算を使うためにやっているわけではありませんので、そこも誤解なきよう、少ない予算ですので、無駄なく効率よくやりくりしているのが現状です。

 私もある大学で教えていまして、中国の留学生がいます。先ほど言われたように、コメントを書かすと中国共産党の言い分をそのまま書くのですね。彼らは洗脳されているからなのか、自分の身の可愛さなのか、自由な発想がないという感じがします。自由な日本で勉強することが次世代の中国に役立つということで、自由にディスカッションはやらせてもらっています。

 日米同盟については、まさにそれは双務ではない。しかしながら片務でもない。非対称だと。アメリカにとっても、ものすごくメリットがある同盟なのです。同盟というのは、大英帝国の政治家であったパーマストンが言うように、永遠の敵も永遠の味方もない。あるのは国益だと。まさにこの通りです。アメリカは慈善事業で日本を守っているわけではない。アメリカの国益が日本を防衛することに、たまたま合致しているだけの話です。

 これからどうするんだと言ったら、永遠の敵も永遠の味方もありえないのですから、やはり、利害を調整し合うことを継続していかねばなりません。マイケル・アマコスト駐日大使が言いました。まさに同盟はガーデニングだと。ガーデニングというのは放っておいたらすぐに荒廃する。だからちょっとずつ手入れを継続していかねばならない。

 日米同盟で日本はどこまでやるんだということですが、日本の国益、国是に照らして、その時その時に総合的に判断すれば良いのです。私はアメリカの下働きをやるべきだと言っているわけではありません。

 昨年ガイドラインを決めました。ガイドラインに基づく研究、共同訓練、そして作戦計画を作るということも決めました。それを淡々とやることが東アジアの安定に繋がる。中国に傍若無人な振る舞いをさせない。紛争を未然に防止するといった観点からは、やはりガイドラインを着実に実行していくことでしょう。

 アメリカの指揮下に入るかといった話は次元の違う話であって、日本の国益に沿ってやれば良い。日本の空を守っているのは航空自衛隊です。昭和36年に松前・バーンズ協定までは対領空侵犯措置は米空軍がやっていました。松前・バーンズ協定で平時における日本の空の主権の防護は日本に移管されました。今アメリカは平時の日本の防空は全くやっていません。航空自衛隊が三沢基地、横田基地、嘉手納基地など米軍基地も守ってやっている形です。日本の施政下にあるから当然ですが。

 だからある意味、既に双務だと思いますし、単純に片務とは言えない。同盟としては非対称であることは確かだし、じゃあどこまでやるかというと、日本の実力の範囲内で、アマコスト駐日大使が言うように、ちょっとずつちょっとずつ雑草を抜いていくという地道なことを積み重ねることが、結果的には北東アジアの安定に繋がるというところがあると思います。

 それと、私はシン・ゴジラを観ましたので一言。政府としての意思決定過程での、あのドタバタ騒ぎは実相に近いと思いました。いやもっと現実はひどいかもしれません。ただ、防衛出動を根拠にしてゴジラを叩くというのは明らかな間違いでしょう。法律を読んでないなと思いました。国または国に準ずる組織による組織的かつ計画的な武力攻撃があり、それが認定されてはじめて防衛出動下令が可能なのです。シン・ゴジラの場合、明らかに災害派遣であるべきです。もうほとんど忘れられていますが、実際に同様なことをやっているんです。昭和30年代に北海道でトドが異常繁殖し、道知事から災害派遣の要請がありました。そこで今では考えられませんが、F-86Fという戦闘機で上空から機銃掃射をやってトドを処分したことがあります。それと同じようなものじゃないかと私は思います。


伊藤 日米同盟ですが、私は海上自衛隊です。20年間しかおりませんでしたが、前半は艦艇の部隊、後半が特殊部隊です。前半の約10年は日米同盟のカラーが強いところです。後半の特殊部隊はこのカラーは非常に薄いところです。もちろん交流はありますが。

 一貫して感じるのは、あくまでも同盟なので、お互いの都合が合うところで協力するのだという考え方は変わらないはずだと。気をつけなければいけないのは、そんな単純なものではなくて、気になっているのは武器体系、武器が一体どこが主導権を持って、誰が作ったのか、というのは非常に気になるところです。私は船に乗っておりましたし、最後はイージス艦の航海長をしておりましたので、ここはかなり握られているというのが現状です。

 後半の10年は小さな道具しか使わないので、これは問題ありませんでした。あくまでも姿勢としては、お互いに都合の良いところは協力するという、そこだけがあるべき姿だろうと思います。


柳澤 ありがとうございました。私の立場で同盟論について一言だけ申し上げたいと思います。お聞き頂きましたように、これは陸・海・空でグラデーションがある話なのだと思います。伊藤さんがお話になったように、海上自衛隊のミサイル防衛システムは米軍と一体にならないと、同じ指揮情報通信のネットワークの中に入らないと物理的に出来ない状況になっているのですね。ですからそれはもうとっくに到達点に来ているのだろうと私は思うのです。

 悩んでいかなければいけないのは、自分のレーダーに映らないミサイルでも撃ち落とせるようにイージスシステムが改良されていくわけです。そういうものを持って、アメリカと同じ指揮のネットワークの中で、当然、日本防衛という意図でやるわけですが、その時にはあらゆるミサイルに対応しなければいけなくなるし、その能力が出てくる、そういう現実をどう判断していくのかということを考えなければいけない。

 ここが最も一体化が進んでいる分野なのだろうと思いますが、もう少し手前で考えてみると、軍事的な情報をたくさん持っている、軍事的な手段もたくさん持っている、戦争をするかしないかを決めるだけの政治的なパワーも持っている、そういう大国と組んだ時に、どこまで自分の国益を主張出来るのかというのは、本気でもう政治がボロボロになって対応しなければいけないぐらいのテーマだと思っています。単純に日米が一体化すれば日本が平和になるというような単純なシナリオではないということですね。

 その背景にある対等かどうかというのは、イコールパートナーという言葉が言われますが、そこはイコールであるわけがないのであって、お互いの国益がどこで合致するのか。国益が合致するというところがガーデニングなのかもしれない。担当同士の信頼関係という意味ではガーデニングだと私は思うのだけれども、大きな国益のトレンドがどうずれるか、合致しているのか、というのは、もっと大きな政治の対応で、それが自己目的になってはいけないということです。

 ますますアメリカに従属を深めていくのか、客観的にはそう見えなくもない、しかし、自主的であるということはどういうことなのかということを、単にイコールであるとか、レシプロカル(交互・相互)とかいう言葉ではなくて、バランスシートでアメリカはどういう国益を持って、どのようなコストを払っているのか、日本も同じように、どういう脅威に対抗しようとして、どのようなことをやろうとしているのかというバランスシートをちゃんと組んでみる。

 私は織田さんと同じで、アメリカの方がかなり儲かっているのではないかという感覚を持っているのですが、アメリカの提供する日本防衛というサービスは、多分変わらない。変わらないけれども、日本はもっと大きなコストを払おうとしているという現実が一方である。

 多分それは日本防衛ではなくて、アメリカが提供する世界秩序が非常に危ういから、もっと日本がコストを払わなければいけない、という文脈で、バランスシートが見合ってくるのだろうと思うのですが、そういうところを分析的に考えていくという作業が必要だろうと思っています。

 パネラーの中でもいろいろな意見があり、琉球独立論から南スーダンまで飛んでいくような状況でしたが、いろいろな新しい視点を提示して頂いたと思います。

 あえてまとめることは致しませんが、今後ともこんな形でいろいろと分からない、難しいところを出来るだけ優しく考えていく企画を続けていきたいと思っております。今日はありがとうございました。


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