「提言」発表記念シンポジウム 変貌する安全保障環境の中で生きる「専守防衛」と自衛隊の役割

「提言」発表記念シンポジウム

変貌する安全保障環境の中で生きる
「専守防衛」と自衛隊の役割

2015.5.18 衆議院第2議員会館 多目的会議室

主催/自衛隊を活かす:21世紀の憲法と防衛を考える会(略称:自衛隊を活かす会)

変貌する安全保障環境の中で生きる 『専守防衛』と自衛隊の役割 説明

第1部「提言」の説明
柳澤協二

元内閣官房副長官補、国際地政学研究所理事長

 お集まり頂きましてありがとうございます。「提言」に沿って、ポイント部分や背景となる考え方などを補足的に申し上げて行きたいと思います。

 「提言」の題名は「変貌する安全保障環境の中で生きる 『専守防衛』と自衛隊の役割」ということであります。これは昨年6月から私どもはシンポジウムを5回ほどやらせて頂くなどして活動してまいりましたけれども、その基本的な視点というのは、いきなりここで今までの憲法解釈を変えて集団的自衛権を行使できるようにする、あるいは憲法を変えて自衛隊を国防軍にしていくという流れの中で、「ちょっと待て」と、なんとか、これまでの憲法解釈の下での自衛隊を活かす中で他のやり方がないのだろうかということをできるだけ現場感覚を活かしながら考えていく、そういう視点が一つ大切ではないかということで初めさせて頂き、そして1年ぐらいの間に我々としての政策提言的なものをまとめていこうという思いでやってまいりました。それが今回の「提言」ということで、これは6月初旬に講談社新書から、このシンポジウムの議論の中身も含めて出版される予定であります。そういう位置付けで今回の提言ということでありますが、この「提言」そのものが完全なものだと私どもも思っていません。まだまだ詰め切らないところも正直ございました。後ほどご説明致しますが、そういうところを冨澤先輩のような厳しいご批判も頂きながら、更に考えをまとめて世の中に問うていきたいと思っております。

 提言の「(1)21世紀とはどういう時代か」のところで、まず時代認識と言うか、世界観を提示しております。20世紀はご案内のように2つの世界大戦があり、そして1945年に大戦が終わってからは冷戦構造ということで、世界が経験してきた、そういう時代でありました。そして、20世紀の終わり近くになって、ソ連が崩壊し、東西冷戦が終焉したということでありますが、そこで世界が平和になるかというと、21世紀初頭の9.11テロに代表されるように全く新たなタイプの脅威というものが認識されるようになってきたということです。21世紀は今までのような国と国、あるいは国家群と国家群の間の戦争を前提とした安全保障の構造ではなくて、国家ではない主体である国際テロリズムのようなものとの闘い、これが大きな課題になっているということです。

 同時に、今、言われておりますように、アメリカの力が相対的に低下しつつある、そして中国をはじめとする新興国の力が大きくなりつつあるという、絶対値から言うとまだアメリカの優位は圧倒的だと私は思っておりますが、大国の覇権が後退していく時、いわゆるパワーシフトが起きていく時に国際情勢は不安定になって、戦争が避けられないというのが、従来の伝統的なリアリストの見るところの国際情勢の特徴であったと思います。そういうところに着目すると、抑止力というものが非常に重要になってくるということだと思いますが、一方で、仮にそういうことで日米合わせた抑止力をもって、今後中国と対抗していこうとするとなると、相当な軍拡、防衛費を増やしていくことも必要になってくる。果たしてそういうことが息切れせずに続けていけるのだろうか、ということも日本として取りうる方策という観点で考えてみる必要もあるだろうと。

 それからもう1つ、抑止力を強めるということは、抑止されまいとする相手であれば、相手も強くなってくるという、そして気がついたら以前よりもっと危ない状態になっていたという安全保障のジレンマという側面も考えていく必要があるだろうということを指摘しております。

 国際テロとの関係でいきますと、第2次大戦後、長らく私たちはアメリカがリードするグローバル・コモンズの安定、あるいは国際的なルールの中で経済活動をし、繁栄を築いてきたということだと思いますが、そのアメリカの力に陰りが出たという中で、9.11のようなことが起きる。これは非常にショッキングな出来事であったわけです。これを軍事力で解決しようとしたのが、アフガニスタン戦争やイラク戦争だったと思うんですが、これははっきり言って完全に失敗していったと思います。

 価値判断の評価はなかなか難しいのですが、イラク戦争でサダム・フセインという独裁体制を倒してしまった、その結果、流れとして、現実の因果関係としてはサダム・フセインの残党も含めて今、ISILという現象が起きているということ。この結果を見ると、中東はイラク戦争以前よりももっと大変な状況になっていると思います。

 そうすると、こういうやり方が本当に良かったんだろうかということをもう一度考えなおしてみなければいけないんだろうということであります。

 そういう国際情勢を踏まえて、結局、グローバリゼーションが進んでいく、冷戦が終わって世界が自由主義経済一色になって、そしてグローバル化が進んでいく中で、中国なんかはそういうアメリカが作ってきたルールの中で繁栄をして、言わば勝ち組になって、勝ち組同士の国家対国家のライバリティーというのは依然としてあるんだけれども、一方で国際テロというのはグローバル化そのものに対するオブジェクションというのか、それによって自分達のアイデンティティが失われるということがきっかけとなって、そのグローバリゼーションそのものに対して反抗する、ある意味それはISILのように国民国家システムそのものを否定するような動きまで今日至っているということです。

 ですからグローバリゼーションというのは一方で、まともな国家同士の間では経済的な依存を深めて、政治的なライバル争いのようなものを招来している、しかしそれは後に述べるように、何とか管理する手法があるんじゃないかということを予感させるわけですけれども、一方で根本的な価値観の対立があって、管理しようのない国際テロリズムといった暴力を生んでいる、これは2つともグローバリゼーションに起因して起きている大きな変化だと認識しているわけであります。

 「(2)日本防衛のあり方」にまいりますが、そういう世界の中で、日本がどんな道を進み、自衛隊をどう使っていくのかということを考えていくということであります。

 これは、私自身も、メンバーの伊勢﨑賢治、加藤朗も冷戦時代を生きてきた人間でありますから、どうしても冷戦の頃との違いという、そういうアプローチで考えたわけでありますが、冷戦の時代というのはアメリカとソ連という政治体制もイデオロギーも経済的にもお互いに依存しない、むしろ敵対する関係にあって、相手の存在そのものが否定すべき対象であるという、そういう対立関係にあったわけで、そうすると最終的な目的は、相手を壊滅させるという、お互いにそういう動機が存在したんだと思います。そこで、最後は核の撃ち合いになって、お互いに滅んでしまうという相互確証破壊という概念が生まれ、その結果、小さな米ソ間の紛争も抑止されるという、抑止力の理論というのはその時に大きく発展してきたと私は認識しておりますが、そういう状況になっていたんだと思います。

 一方で、今日、特に米中の関係を考えてみても、経済的には非常に結びつきが強くなっている、そういう中で、私が個人的にショックだったのが、3.11の地震で福島県の中小企業の工場が操業できなくなったことで、世界中の自動車生産が一時止まるような事態も起きている、それぐらいに経済のグローバル化、相互依存の深化というのは以前とは想像を絶するぐらいに世界が共通の、単一の生産ラインになったような、そんな影響を及ぼしているんだろうと。そうだとすると、相手をやっつけてしまう、相手の国土を破壊してしまうということは、3.11の例でもありますように、自分のところの経済もダメにしてしまうという関係が出てくるわけです。こういう状況の中で、経済依存が戦争をなくすか、という問いはずっとあったんですけれども、第1次大戦はドイツとイギリスは経済依存関係にあったけれども戦争になった、ただその時代とは比べ物にならないほど依存関係が進んでいるということを考えれば、戦争というのは経済を維持するということを考えた時には非合理的な手段になってしまっている、そういう動機が米中間の本格的な戦争を抑止する――という言葉を使うと何でも抑止になってしまうんですが――、戦争という手段を少なくとも使いづらくしているという、そういう影響を持って来ているのではないかということを考えたわけであります。

 そうすると、私は抑止の必要性はゼロとは言いませんけれども、むしろ努力を向けるべきは、相互依存を上手く利用するかたちで、戦争は非合理だという認識があるのであれば、それをいかに制度化していくかということを考えていくことが、現代の大きな課題、努力の方向であるべきだということであります。

 お互いに相互の不信感もある、政治的な主張の違いもあるということで、紛争の火種はあるだろうと、しかし、その時の紛争の火種というのは、相手を滅ぼすような対立、そういう戦争の仕方には繋がらないという前提に立てば、むしろそれをいかに早期に解決する危機管理をしていくかということのほうが、相手を滅ぼすという脅しによって戦争を防ぐという抑止の発想よりも、危機管理によって意志の対立を紛争に発展させないような制度を作っていくかという、そういうかたちで使っていけるのではないか、そういう意味ではむしろ今こそ専守防衛というのがもう一度この国際情勢の大きなトレンドの中で役割を持ってくるんじゃないかということをここで述べてみたわけであります。

 したがって、自衛隊の役割は当然あるわけでありまして、大きな戦争にならないなら「ちょっとぐらい手を出してもいいや」という動機は働くわけですから、そういうことをさせないための言わば拒否力としての警戒監視をしながら、相手が何か悪さをしてきた時には、それに対するコストを知らせるだけの力は当然持っておくべきだろうと。しかし相手を挑発したり、相手に必要以上の打撃を与えるようなかたちで対立を深めるような方策をとらないほうがいいのではないかということであります。

 そして、戦争をしないということをいかに制度として確立していくか――そんな簡単にできることとは思っていません――、しかしそれをやっていくために、少なくとも日本の姿勢というのは「戦争してはダメなんだよね」という姿勢はずっと貫き通す、その優位性で国際社会の中で支持を広げていくということを考えていく必要があるんだろうとうことを書いてあります。

 そもそも、日本という国をどうやって守るのが一番守りやすいか、ということに若干触れているわけでありますが、日本は大陸の縁にくっついた島国でありまして、四方を海に囲まれているということは、黒船が来るまでは防衛上有利な条件であったんだろうと思います。しかし、蒸気機関で動く船が出来て以来、海岸線が長い島国であるということは守りにくさに繋がってきていると思います。まして今はミサイルの時代になって、しかも日本という国は細長い列島であって、海岸線にほとんどのインフラも人口も集中している、そういうところで通常弾頭であってもミサイルを――私は「日本は原発を叩かれたら終わりだから戦争なんか出来ない」という見方にはくみしないんですが――、むしろ戦略論としてどう考えるかというと、同じ数だけ大陸国家とミサイルを射ち合って、どっちが優位かという考え方をとるべきだと思うんですが、どうやったって、懐の広い国には敵わないという結論になるんだろうと思います。

 だから、日本の守り方というのは出来るだけ紛争を局地化して拡大させないということが唯一の賢い守り方ではないかということを述べさせて頂いております。

 ちなみに旧軍も地政学的な弱点を認識していたと思います。であるが故に、国防圏を外に向かって広げようという発想をとったわけですけれども、それが補給の問題、情報の問題、いろんな要素があって失敗していくわけです。そういうことをもう一回繰り返すような発想はまずいのではないかということをここに述べさせて頂いております。

 「(3)国際秩序に対する日本の貢献」です。日本を防衛するというだけではなくて、国際秩序をいかに安定的なものにしていくかということも同時に、日本にとっても大きな課題であると思います。

 ここで、どういうことをやっていくかということが問われているんだと思うんです。1つの見方としては、日本というのは目の前に中国とか北朝鮮の脅威がある、そういう国がグローバルなかたちで貢献をしないと言っても「それぐらいは許して頂戴」という言い方もあると思います。それは今までも憲法があるから何もしませんという一国平和主義とはちょっと違って、目の前にもっと大きな脅威があるんだから、そっちに集中するんだという言い方も1つあると思うんですが、しかし日本自身の生存圏がグローバルに広がっていますから、全く無関係ではいられない。そこでどういうことをしていくかが、今、深刻に問われているだろうと思います。

 私も伊勢﨑も加藤もいろんな紛争地の現場に関わってきた人間であります。私自身の経験というのは、官邸におります時に自衛隊がイラクのサマーワで活動していた、それを官邸から見ているという経験しか無かったわけですが、1つ言えることは、あそこで一発でも銃を撃っていたら、100発、200発帰ってくる世界だったということです。

 非戦闘地域に限定し、銃を使わなくてもいい人道復興支援業務ということに限定したために、結果として自衛隊から犠牲者が出なかったという側面もある。もちろん軍隊というのは任務達成優先の組織ですから、犠牲が出ようがどうしようが任務達成というのはそれだけ重たい役割であって、それを国民が支持するならその選択も一つはあるんですが、それは自衛隊にとって非常に大きな壁になっていると思います。

 また日本社会も自衛隊員の棺が帰ってきた時に、どういう受け止め方をするのだろう、そういうところがまだ全く整理されていない、やはり70年間戦争をしてこなかった国として、海外で鉄砲を撃ってくるという仕事そのものが非常に苦手なことなんですね。そういうことを踏まえて考える必要があるということだろうと思います。

 もちろん、軍隊は対テロでも緊急避難的に今そこで起きている人道危機を何とかするという意味で、役割は当然あると思うんですが、問題はその後、あるいはそれと合わせてやっていくルートコーズへの働きかけでどういうことをやっていくかということだろうと思います。それは必ずしも軍隊だけの役割では当然ないわけで、日本がその中でどの部分に手を上げて行くかということが今、問われています。

 特に、ISILをはじめとする国際テロというのはグローバルゼーションの中で、最後は宗教とか民族にアイデンティティを求めていく、そういう運動の一環であるとすると、やはりアイデンティティに対して中立であるというか、あるいは日本人のある意味、宗教的ないい加減さというか、寛容性というものも1つの売りになっていく、そういう観点から日本の役割を探していくこと、少なくとも自衛隊が出る場合でも、一発の弾も撃たないというところは、やはり引き続いて基本的な原則として維持していくべきではないかということを述べさせて頂いております。

 「(4)日米同盟における日本の立ち位置」です。今後、日米同盟をどうしていくかということが非常に大きなポイントになってくると思います。

 今、日米同盟を考える時に、アメリカがこの地域を見ている時は、やはり中国を見ていると思うんですね。アメリカと中国の関係というのは、非常に実はアンビバレントな関係があって、もちろん中国が悪いことをした時のために抑止の側面、ヘッジの部分は当然、アメリカは軍事力は維持していくし、ヘッジの意志も伝えていくわけですけれども、一方で中国を封じ込めて対抗すると言うよりは、オバマ大統領が言っているように、中国の台頭というのは我々にとってチャンスだというような、政治的にはそういう見方をしているわけで、その軍事合理性と政治合理性のズレというのか、そういうものを抱えた非常にアンビバレントな関係であるということだと思います。ですから、どちらか一面にだけ依存してアメリカとの付き合い方を考えていくと、多分日本としては間違えると思うわけであります。

 所詮日本はアメリカと中国という2つの大国の狭間で生きていかざるをえないわけでありますから、そこのところでどう上手く立ちまわっていけるかということがこれからのポイントだろうと思います。

 ここを考える時に、私があえて書いたのは、冷戦が終わって世界はみんな自由主義経済で統一されたわけです。もちろん民主主義というところでは、国によって成熟の程度が違うけれども、冷静の時のように自由と民主主義という価値を共有するが故に味方であり、それを持ってない奴は敵であるという単純な二分法で同盟が成り立つ時代ではない、むしろそういう意味では同盟の役割というのは相対化せざるを得ない時代を迎えているというふうに私は認識をしております。

 その中で、アメリカなど大国との関係を考える時に3つのやりかたがあると思います。

 1つは、鳩山政権がやろうとしていた一種の同盟からの手抜きです。手抜きをしていくのか、あるいは2つ目、もっと振り込んでいくけれども、その代わりにもっと大きな報酬を貰うのか――私は今の安倍政権の方向性はこれだと思うんですが――、3つ目に核を持って自立するのかという、大きくは3つの方向性があると思うんです。

 私は実感として日米同盟維持を自分の仕事の最大の目的として、それ自体を自己目的として官僚を過ごしてきたように思いますけれども、辞めてみて考えることは、アメリカから離れた日本のアイデンティティというのか、日本ってどういう国ですか?と問われた時に、「アメリカの同盟国です」とは言えるんですが、他には?と言われた時に、何も出てこない。ここが問題じゃないかなと自分自身で感じるわけです。

 アメリカと離れた自分自身の価値観なり、戦略なりを持って、アメリカと食い違うことがあっても、アメリカという国は議論できる相手ですから、議論をしていく。そして、中国との関係も自分で脅威度を減らしていくようなことをやっていく方がアメリカからも尊敬される、そんな日本になるのではないかと思っています。

 もちろん日米同盟は、当面必要であることは間違いない、ただ、アメリカとの同盟を守ることが目標・目的ではないということです。いかに日本にとっての脅威を減らし、いざというときの備えとして必要十分なものを持つかという意味でやるんであって、そこではグローバル化し、アンビバレントな米中関係の中で日本の立ち位置というのは、賢く設定しなければいけないということを考えながら、少なくとも、アメリカはアメリカのために血を流さなければ日本を守ってくれないとか、血を流せばアメリカは必ず守ってくれるとか、そういうことではなく、価値観同盟と言うより、むしろ昔の協商に近い、国益で判断される利益同盟に近いものになっていく、そういう意味で同盟の相対化と申し上げましたけれども、そういう状況を踏まえた日本の戦略をこれからの課題でありますが、考えていく必要があるんだろうということを最後に述べている次第であります。

 そんなことで、非常に荒削りだし、あえて私が言っているのは、今は冷戦と違って大国間で戦争そのものが非合理的な手段になっているということではないか、それの認識があるのではないか、だとするとそれをチャンスとして、抑止力だけに頼らない非戦の制度化といったような道を模索できるのではないかということ――これは安全保障の業界の中では、多分極端に少数説だということを私は認識しておりますが――、こういうことをあえて問題提起をして、申し上げたかったというところであります。

 かえってわかりにくくなったかもしれませんが、以上が「提言」に対する補足説明です。ご清聴頂きありがとうございました。


提言「変貌する安全保障環境の中で生きる 『専守防衛』と自衛隊の役割」質疑応答

第1部「提言」の説明
質疑応答


質問者1 安部首相が日米同盟を語る時、アメリカが日本のために戦ってくれているのに、日本がアメリカを守らなくていいのかとよくおっしゃいます。日米同盟では、日本は参戦しなければいけない「義務」として考えなければいけないものなのでしょうか。


柳澤 安保条約は第5条で「日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従って共通の危険に対処するように行動することを宣言する」として、共通の脅威として共に防衛すると書いてあります。

 だから、日本の施政権の下にあるものに対する攻撃については、アメリカは安保条約上、防衛義務があるわけです。日本は、施政権下における攻撃であればアメリカの船を守る義務もあるわけです。しかし、それ以上の義務はありません。

 日本の義務としては、アメリカに基地を提供するというのが安保条約の構造ですから、義務という意味ではそれだけなんだろうと思います。

 問題は、アメリカの力が落ちていく、その中で、アメリカがアンビバレントだということを認識しているんだと思うんですね。であるが故に、日本がアメリカのために血を流さないと、アメリカががいざという時に助けに来てくれないという発想がある。

 しかしそれは、当然日本が攻められればまず日本が責任をもって守らないといけない、ガイドラインにもそう書いてあります。それは当然として、問題は軍事大国であるアメリカと軍事的なミドルパワーである日本の、両者の関係において、アメリカを守らないとアメリカが助けないというのは、条約の構造はそうなっていないし、現実にそこまでアメリカの力が弱まっているのかどうか、そしてアメリカは情にほだされて動く国かどうかという、いろんな要素を考えなければいけないんだろうと思います。

 ついでに言えば、結論としてはそれは違うと思っておりますが、アメリカは日本を失ってしまえば、太平洋でアジアに関与する拠点が無くなるわけですから、私は安保条約で日本が守られるよりも、実はアメリカ側の利益になっている部分のほうがはるかに大きいと思っています。もちろん、一般的にアメリカが後ろにいるということは、日本に対する手出しがしにくくなるということは当然あるんだと思うんです。ただ、日本防衛ならともかくとして、南シナ海とか中東でアメリカと一緒になって血を流さないと、アメリカは日本を守らないかという、そこはアメリカの国益から見て違う世界の話をしているんだろうと思うんですね。私はそこは繋がらないと思います。

 覇権国であるアメリカにとって許せないことは2つあって、1つは自分に替る覇権国が出てくることです。昔、ロシアがアジアを席巻しようとした時には、日本に肩入れしてポーツマス条約を結んで、日露戦争を終結させたわけです。日本がアジアを席巻しようとした時には、日本を徹底的に叩いたわけですね。今、中国がそれをやろうとした時も、それは許せないんだろうと思います。どこが「レッド・ライン」かというところはこれからの見極めということで、だからアンビバレントなんだと思うんです。

 もう一つアメリカが許せないことは何かというと、軍事力の使用というのはアメリカが判断するんだということですね。他の国が勝手に始めた戦争に巻き込まれるという、アメリカが戦争の決定権を失うということはおそらく許せないことなんだろうと想います。

 アメリカの覇権国としての立場は、アメリカは国益で判断する国だということですね。その2つを踏まえて考えて頂ければと思います。ご質問に戻れば、義務としてそういうことをやる構造には全くなっていない。義務としてやるならば安保条約を変えなければいけないけれども、そんな政治的なアセットは今無いだろうと思います。

 だから、将来が保障されているかのような話、例えば、安部総理が記者会見で仰ったように、これによってアメリカの戦争に巻き込まれることは「絶対にない」とか、抑止力が高まるから日本が攻撃される可能性は「ほとんど無い」といったような話が、アメリカの船を守ることによって、そういう効果が自動的に生まれるかというと、そこはもっと吟味しなければいけないところだと私は思っております。


質問者2 今、日本に求められていることの中で、グローバル・コモンズに対する集団的な安全保障の考え方で言えば、そこにはある程度、我々も出ていかなければいけないんじゃないかという印象を受けるんです。従来の集団安全保障の考え方というのは、普遍的な措置の中で決定され、そういう枠組みの中でやっていくものという印象があるんですけれども、一方で現実には、多国間の自衛的な措置としての軍事行動になってしまっていることがあると思うんです。

 今後、日本は国連を中心に考えていくのか、現実にはそれでは動かないことに対してどのような働きかけをやっていけば、日本の安全を守りながらグローバル・コモンズを守っていくことができるのか、その辺りのお考えをお聞かせ願えればと思います。


柳澤 グローバル・コモンズを押さえていたのは、正にグローバルパワーなんです。日本もそこでの多少のお手伝いは私は出来ると思っています。例えば、海賊対策はその一つの例だろうと思います。そこに国家の意志による軍事的な要素が入ってきた場合にどこまでやっていくのか、特に相手が中国だった場合にどこまでやっていくのかというのは非常に難しい。

 何が難しいかというと、例えばインド洋のシーレーンを日本が守っていく、これは専門家の間で言われていることではあるんですが、インドとか、オーストラリア、アメリカと一緒になって、インド洋のシーレーンを守るということは、言うは容易いけれども、そのために何隻の船が必要になるのかということを考えた時に、その分、今の勢力でそれをやれば日本の防衛が手薄になっちゃうわけですね。それをやるためにどれくらいの資源が必要なのかということを考えた上でやらないといけません。私は軍事的にカバーできる部分と軍事以外の――グローバル・コモンズは中国にとっても安定が必要なところではあるわけです――、そのところに乗っかかりながら、いかにルール化をしていくかというところで、日本がリードする役割を果たしていくというのが本筋なんだろうと思います。

 例えば、今、海賊対策には中国も入っています。そういう国家間の敵対関係を前提としないようなところであれば、国連が関与しなくても集団安全保障は私は成り立つと思いますので、そういう限りにおいては、日本は役割をもっと果たしていっていいと思うんですが、ただ軍事的な国家間の、特に中国の封じ込めのような意味でのシーレーン防衛の中で、自衛隊も軍事的役割を果たしていくというのは、日本は中国との最前線にいる国という意味では、自分の自国防衛とのトレードオフになるので、そこは日本の安全にとって賢いやり方なのかどうかということを考えていかなければいけないと思っています。

 つまり、いろんな組み合わせだろうと思うんです。シーレーン防衛は当然、自国だけで守ることは出来ないわけですから、①アメリカと協力する、②脅威と言われている国も協力に引きずり込む、そして、③国家間の話である限りはルール化をすすめるという、この3つの方法の組み合わせが必要だと思います。どれか1つでも駄目だし、日本の得意分野というのはおのずとあるだろうと。そういうものを見極めてやっていくべきことだろうと思います。


質問者3 維新の党の柿沢です。お伺いしたいのですが、切れ目の無い体制を構築するということについて、切れ目が無いということは地理的にも中身的にもある種、歯止めが掛からないというか、あらゆる事態を想定して切れ目なくやろうとすれば、何でも出来るということにならざる得ないと思います。今回の安保法制はそういうものになっていると思うんですね。戦闘地域の前線まで出かけて行って、戦闘することはできませんけれども、それ以外のことは基本的に何でもできるという建付けになっていると思うんです。

 安部総理の考えていることも分からなくはないと思っていて、つまり何でも出来るということを担保することによって抑止力が高まるという、そういう考え方でそういう建付けにしている側面があるんだと思うんです。

 だから、日本に対して危害を加えようとすると、どこまでも出て行ってということになるかもしれないから止めておこうということになる、そういう考え方が思想として今回の安保法制の作りにあったと思うんですね。

 ただ、それは理解できるんですけれども、前線に出て行って敵を叩くという能力を日本が持つ、持つ意志が実のところあるわけでも無いという状況の中で、「いざとなれば俺達は後方支援をやるんだ」ところまでやれたとしても、敵から見ると抑止力が高い状況が生まれるとも思えないわけですね。

 そういう意味で、世界中で行われている事実上の戦争に参加するという余地が増える一方、日本を叩くと大変なことになる、と言えるほどの抑止力が高まるとも思えない、という印象があるんです。

 今回、こうした切れ目のないあらゆる事態を想定した安保法制の整備ということによって、本当の意味で抑止力が高まるのか、高まらないのかということについて柳澤先生のご認識をお伺いしたいと思います。冨澤先生のお話も聞けたらいいんですけれども、今、その場面ではないかもしれませんが、よろしくお願いします。


柳澤 私は、いわゆる国際平和支援法のようなもので、自衛隊がもっと前線に近いところまで出ていける、弾薬を運べるというような法改正をすることは、実は抑止力とは関係ない話だと思うんです。それは、有り体に言うと対テロ戦争への協力ということですから、国際テロというのはそういうかたちでは抑止されていないわけですね。

 抑止力が問題になるのは、やはり南シナ海における中国の行動をどう防ぐかというようなことなんだろうと思うんですね。抑止力の話として総理が会見で言われていましたのが、日米が絶えず一体であることを示すことによって抑止力が高まる、それによって日本が攻撃される可能性は益々低まるという話なんですが、その実態は何かというと、アメリカの船を平時から守れるようにするということが、今度の立法の中に入っているわけですね。自衛隊法95条で平時から武器等防護の対象にアメリカの船も守れるようになっていると。

 例えば、南シナ海での平時の共同行動パトロール、共同訓練、そしていざ情勢が悪化した時にはおそらく重要影響事態ということで、南シナ海で後方支援もやる、その時も95条が使えるわけです。だから、集団的自衛権じゃないんですね。

 集団的自衛権以前のところでアメリカの船を守れる体制になって共同オペレーションが出来るというところが、今度の法制の中で一番大きな特徴だと思っているんですが、ではそれが抑止力を高めるのかどうかということを考えた時に、アメリカの船を自衛隊が守れるようにすると、そのアメリカの船なり艦隊の防御力は間違いなく高まるんです。そうすると当該アメリカの艦隊に対する攻撃は抑止されるかもしれない。

 しかし、仮に南シナ海でそういうことをやっていた場合、なけなしの海上自衛隊を出してしまったら日本の防衛は誰がやるの?という問題が生じてくるわけですね。

 一方で、例えば中国がアメリカの船に対して攻撃を仕掛けてくる、それに対して自衛隊が95条を使って守るとなれば、これは国際的に見れば戦闘そのものですからね。それをやった場合には、常識的には日本への攻撃を誘発する効果もあると思います。

 抑止を強めるということは、緊張を高めるということでもあります。抑止の本来の役割、意味というのは「攻めて来られて多少の損害があったって、倍返しでお前をやっつけてやるよ」というのが抑止ですから、「これで日本が攻められることが無くなります」というのは、一方的なモノの見方です。

 多少はやられてもやり返すだけの意志と能力がある、というのが本来の抑止力ですから、そういうことをやることによって、もしかしたら日本に一発ぐらいミサイルが飛んでくるかもしれないが、そんなことにめげずに頑張りましょうというのが本来の抑止力だろうと思います。

 だから、アメリカの船を守れば抑止力が高まる、そして日本が平和になるいう話は、物事の一面しか見ていない、私は抑止力の議論としては全く矛盾や誤りに満ちたものだと思います。


冨澤暉 元陸上自衛隊幕僚長

冨澤 大変良い質問が出ていると思います。先ほどの質問で、グローバル・コモンズを防衛するには集団安全保障でやった方がいいんじゃないか。だけどそれを国連中心でやるのか、米国中心の有志連合でやるのかは非常に大きな問題だと思います。

 私は、グローバル・コモンズを守るということは、新しい時代では必須であると思います。国連が立ち上がればそれが一番いいんですが、立ち上がらない時には有志連合でもいいと思います。アメリカと2国だけでやるのはマズイです。アメリカを中心として出来るだけ多くの国でグローバル・コモンズを守る。それが今の南シナ海の問題になってくるわけです。

 南シナ海の問題について言えば、アメリカは国連海洋法条約を作った張本人です。つまりマハン以来の流れがありまして、ともかく海上交通は自由なんだと。昔は陸地から大砲の弾が届く5キロまでは領海とするけれども、5キロ以上のところは自由にどこの国の船でも動けるということになったんですね。ところが大砲が少し強力になってきたから今は20キロということなんですね。

 東シナ海から南シナ海を通って、マラッカ海峡を通りインド洋に抜けるという我々のシーレーンというのは、正にグローバル・コモンズなんです。ところが中国という国は面白い国で、南シナ海は瀬戸内海みたいな内海だと言うんです。瀬戸内海は四国や本州から20キロ離れているところがたくさんあるんですが、内海は領海なんです。それと同じだと言っているわけで、無茶苦茶なんです。それは国連海洋法条約違反だとアメリカは言っているわけですね。

 ところが彼らは、国連海洋法条約の読み方はいろいろあって、大陸棚がどうのとか言って、南シナ海は元々全部自分達の領海だと言っているわけです。

 安部総理はそんなことは知らないと言われましたけれども、今年の2月か3月にアメリカのCSISのザック・クーパーという人が来て、日本は南西諸島あたりで東シナ海から西太平洋に出てくる中国海軍を止めるとか言っているけれども、そんなものではないと。我々の要求は、中国のA2/AD(Anti-Access/Area Denial:接近阻止・領域拒否)に対して、こちらもA2/ADをやるということではなくて、グローバル・コモンズである、公海を自由に航海できる、ナビゲーション出来るようにすることだと言ったわけです。

 ですから、私は柳澤さんと違いまして、海賊退治と同じように自由にアメリカ海軍と海上自衛隊が動けばいいと思うですね。

 それから、質問のポイントなんですが、私はこのシームレス、「切れ目のない」ということに非常に疑問を持っているんです。理屈としては分からないことはないんですけれども、現実には今度の法案はシームレスにできていません。なぜか。シームレスというのは一番小さな段階で手当をうって、大きくならないようにしようというのが狙いなんですね。

 つまり、総理大臣がこれは大変だと防衛出動をかけなければいけないという状態に入る前の状況で適宜に手当が打てる、そういう法制にしようということで「シームレス」と言われたんだと思います。今回の法案の問題として海上自衛隊の人達が言うのですが、彼らは去年から集団的自衛権や集団安全保障で一番大切なのは、グレーゾーンの問題だということを盛んに言っているわけです。グレーゾーンの問題というのは、防衛出動命令はかかっていないわけですよ。防衛出動命令がかかっていない小さな段階で早く対応しないと、もっと大きな問題になって、本当に防衛出動をかけなければいけないような状況になるから、その時どうできるかということをしっかりしてくれということを言ったんですね。

 それが今回の法案で出来たのか。ほとんど出来ていないんです。何日か前に産経新聞が書いていましたけれども、海上自衛隊が言ったことについて、グレーゾーンの問題に解決が出来ていないということを言っているわけですね。シームレスと言っていますけれども、シームレスになっていないんです。

 今回、全部一括りにして集団的自衛権の問題でやっている、後でまた申し上げますけれども、去年から大事なのは、集団的自衛権の問題よりも集団安全保障の問題、グローバル・コモンズをいろいろな国と一緒にどうやって守るかという話と、グレーゾーンにおいて出来るだけ小さな段階できちんと対応して、コトが大きくならないようにコントロールしていく、そういう狙いが残念ながら今回の法案は余り大きく出ていないということですね。

 それでも前よりは進歩です。前よりは進歩ですから私は賛成ですけれども、「これで安保法制は終わり」と言われても困るというのが私の立場です。


質問者4 この「提言」を見ると、PKO活動を評価されているように読めますが、武器使用の緩和という問題について、どのようにこの「提言」を読んだらいいのでしょうか。


柳澤 国際秩序の場面というのは、私達3人のメンバーの中で必ずしも意見が完全に一致しているわけではありません。加藤さん、伊勢﨑さんはどちらかと言うと組織としての自衛隊を出すべきではないというお立場です。出したって何もいいことは無いというお立場なんですね。私も実は今、自衛隊が行って役に立てる場面というのはほとんどないと思っているんです。

 ただ一致しているのは、自衛隊でも何でもとにかく丸腰で行けということです。丸腰というのは、私に言わせれば自己保存のための武器使用を拡大しない、あくまでも武器を使わない任務に限定する方がむしろ現実的で、将来の日本のポジションも――停戦が出来てからもいろんな仕事があるわけですから――、そういう仕事をするためにもその方がいいと。

 ただ、本当に悩ましいところです。現実に自衛隊が出てやれることってほとんどないと思っていますので、そこはもっと詰めていかないといけない。

 少なくとも武器使用の拡大というのは、他の国の軍隊と同じポジションに自衛隊がなるということなので、他の国の軍隊並みの仕事は出来るようになるかもしれないけれども、国として他の国と違うことを日本がやろうとした時に、それがかえって足かせになるのではないか、というのが大雑把に言えば我々の立場です。

 それから、私は敵対する国がある場合、集団安全保障ではなくて、やはり集団的自衛権の世界で議論されるべきことなんだろうと思います。海賊対処を申し上げたのは敵対する国がないからですね。そういう意味で、海賊対処は典型的な集団安全保障と言えると思いますが、南シナ海で中国の挑戦的な動きを封じ込めるというのは、集団安全保障とは定義づけられないんじゃないかと私は思っています。

 それから、もう少しはっきりと先ほどの柿沢先生のご質問にお答えするとすれば、私はある意味シームレスになったと思うのは、グレーゾーンにおいてだと思います。自衛隊が平時から現場の判断でアメリカの船を守る武器使用が出来る、つまり今度の法制では、アメリカ海軍と海上自衛隊が同じROE(Rules of Engagement:交戦規定)を持って行動できるようになっているわけですね。私はそれで本当にいいのかと思っています。

 私の言い方では、仮に米中が衝突した場合、自衛隊も切れ目なくそこに入っていくという法制になっているのではないか。そのリスクやマイナス面もきっちり踏まえないといけません。

 特に自衛隊法95条は国会承認もいらない、現場の判断で行われる武器使用でありますから、個人的には一番懸念しているところです。


変貌する安全保障環境の中で生きる 『専守防衛』と自衛隊の役割 討論

柳澤 第2部に入らさせて頂きます。第1部で私からプレゼンをさせて頂いた自衛隊を活かす会の「提言」に沿って、「提言」に対するコメントを冨澤元陸幕長から頂戴し、それを皮切りに議論を深めていきたいと思います。よろしくお願い致します。


冨澤暉 元陸上自衛隊幕僚長

第2部「提言」の討論
冨澤 暉

元陸上自衛隊幕僚長

 冨澤でございます。2月14日に初めて「自衛隊を活かす会」のシンポジウムに参加させて頂きまして、これでお役御免だと思ったら、あまり賛成論を言わないにも関わらず、もう一回来いということでありまして、どうも反対論を言うところがいいということであります。

 先ほど柳澤さんからご説明がありました「提言」に対して、私は反論を申し上げます。今日はシンポジウムであります。シンポジウムというのは討論会ですから、反対論が出ないと討論になりません。あえて反論を申し上げます。反論を申し上げるのになぜ私が都合が良いかというと、こちらにおられる御三方は「活かす会」の会員でございますが、私は会員ではございません。そしてただ一人の元自衛官であります。恥ずかしながら軍事については三人の皆様に――伊勢﨑さんは現場をだいぶ知っておられるようですけれども――、私の右に出る人は多分いないだろうと自負しております。

 安倍内閣の現在の状況ですけれども、集団的自衛権を全部一括りにしているところが非常に不満であります。私は以前から集団的自衛権はもちろん大切だけれども、それだけではないだろう、もっと大切なのは集団安全保障であり、そしてグレーゾーンの武力行使の問題だろうと言い続けてきました。

 去年の夏に幾らか変わったかな、と思ったんですが、今回出た安保法制を見ると、いろいろな事例は出ていますが、その事例を説明するのに全部集団的自衛権で一括りにしているんです。これには極めて不満であります。

 とは申しますものの、今回の安保法制、日米ガイドライン改正の全般的な方向には賛成であります。今までの内閣はこういったことを一度もやったことはありませんでした。私が自衛隊に入って以来、大きな問題であったにも関わらず、皆、不作為で何もやらないで来たんです。それを安部首相が曲がりなりにもやってくれたというところには賛成だということだけ申し上げます。ただ、これでは不十分なので、これをワンステップとして更に頑張って欲しいと思っている人間であります。今日は、この討論によって互いの理論が修正され、進展することを信じているものです。

 先ほど柳澤さんが説明されましたこの「提言」は、「世界は多極化に向かって進んでいる」ということが大前提になっているようですが、私は全般には多極化に進んでいると認めるものですけれども、軍事的にはまだまだ米国一極であると考えております。そこがまず基本的に違うところであります。

 現在の年間防衛予算、軍事予算の比較で言いますと、中国はまだアメリカの4分の1程度であります。年間10%の増加で計算しますと15年で4倍になりますから、15年経つとアメリカと並ぶということになりますが、その場合一体どういうことが起きるのか。

 アメリカという国は追いつかれそうになると、またいやに張り切って軍事予算を投入するかもしれません。長年の蓄積もありますから、軍事力というのは軍事予算の額で決まるわけではないわけです。ですから、まだまだアメリカ一極だと考えます。

 軍事の問題ですが、皆さんもご承知のように、高坂正堯という亡くなった京大教授が、彼の有名な本の中で、国家の大系には力の体系と、利益の体系つまりお金の体系と、価値の体系、今の言葉で言えば文化の体系ですね。つまり力の体系と、経済の体系と、文化の体系で出来ている、それが複雑に絡み合っていると言っています。

 彼が面白いことを言っているのは、平和の問題を語る時、みんな自分の得意な、私なら軍事ですから力の体系だけで平和を語ろうとする。経済学者は経済の体系だけで平和を語る。最近多いんですけれども日本の特徴として、日本文化だけで平和を語る人もいます。

 それぞれ間違いではないと思いますが、それでは平和は語れない。平和というのは秩序なんです。世界平和というのは世界秩序のことなんです。もちろん軍事だけでは語れないんですけれども、そういう意味で軍事は引き続き世界の平和、世界の秩序を維持するための重要な手段であると考えているということであります。

 それから、最近は大変な変化の時期で、戦争が今にも起こりそうだという感じを持っておられる方がおりますが、そういうことはございません。

 戦争があって一番大変だったのは、20世紀の前半であります。私の父親の時代、私が子どもの時代であります。その頃、世界は多極化でありました。多極化だったからこそ、あのようなひどい戦争があったわけです。第1次世界大戦と第2次世界大戦で、6,000万人以上の人が亡くなりました。

 20世紀の後半は米ソ二極対立が大体主役だと思うんですが、その裾野の限定されたところでベトナム戦争や朝鮮戦争など、限定戦争あるいは代理戦争と言われる戦争が行われて、それで亡くなった方は大体3,000万人です。20世紀全般に比べて、戦死した人は半分以下です。しかもその間に、世界の人口は3倍くらいに増えている。25億人くらいだったのが、70億人に増えているんです。相対的に言うと、我々は20世紀前半より20世紀後半のほうが明らかに平和になったということを事実として認めなければいけないと考えております。

 ですから多極化に戻しては行けないんです。多極化になれば戦争になるんです。折角、二極だった世界が一極になったわけですから、一極秩序を軍事的に出来るだけ維持していくのが世界平和のためになるというのが私の考えであります。

 先ほど現在は対テロ戦争の世紀と言われたと思うんですが、対テロ戦争の世紀のみならず、核拡散防止の世紀でもあるわけです。

 日本が2年ほど前に作った国家戦略では、何が脅威かというと――脅威なんて言葉を使う必要はないんです。普通、外国では脅威なんて言葉は使わないんです――、日本の国家戦略ではその脅威はテロゲリラ戦と核拡散、この2つが脅威だと。これは大体世界の常識なんです。

 核拡散防止が大事だということは、核の恐怖はまだ世界平和を支えるものとして生きているということです。私は日本の核保有には全く賛成しませんけれども、アメリカとかロシアの核兵器保有による世界秩序コントロールの継続にはズバリ言って賛成であります。これが無くなった時、残るのは通常兵器だけです。その時、相手を殺しても自分は死なないかもしれないという可能性にかけてしまうかもしれない。

 今は核があることによって、核を使ったならば世界中が死んでしまう、みんな真剣にそう考えている。だから平和なんです。これはよく認識しなければいけないと思います。

 私は核廃絶は現段階ではすべきではないと思います。世界の70億人の民が国家間決戦をやってはいけないと、全員が考えるようになれば別です。そのように誰がどのような手段でしてくれるんでしょうか?

 今回の法制の問題も、安倍内閣のやり方はちょっとマズイと思います。アメリカを支える日本の軍事という感じですけれども、そんなことはありません。アメリカ中心ではあるけれども、現世界秩序、世界平和を妥当とする国々が協力しあって、維持すべき世界秩序があって、そのための軍事力であると。先ほどご質問がありましたように集団的自衛権の問題より、もっと大事なのは集団安全保障なんです。集団安全保障というのは国連でやるのが一番いいんですが、国連がダメな時はしょうがありませんから、有志連合軍もこれも1つの集団安全保障の有力な手段であるということです。

 それから、この世界秩序に反対する人達、つまり核装備をしようとする国々とテロリスト集団を鎮めるためにその国々へ侵略する必要はありませんけれども、人道支援、経済支援だけで対応できると考えるのは非常に甘くて非現実的であります。戦争を止めるための軍事力というものはなお存在するということであります。

 それから、アメリカがこれまで行ってきた対テロ戦争に結構多くの過ちがあったことは確かですが、最近はアメリカ自身も反省しておりまして、今後の対テロ戦争にどういう戦略をとるかは分かりません。しかし、日本がアメリカに新戦略を提示する力を全く持っていないということは残念でありますが事実であります。

 次は、日本防衛のあり方です。米中は相互依存状態にあり、本気で戦争状態に入ることなど考えられないと柳澤さんは言われましたが、これには全く同意であります。

 相互依存について、先ほどの柳澤さんの説明ではどちらかと言うと経済的相互依存ということを言われましたけれども、田中明彦という今はJICAの理事長をやっている方――東大の副学長をされた方ですが――、その方は1996年に「新しい『中世』21世紀の世界システム」という本を書かれ、そこに明確に書いてあるんですが、軍事的、経済的相互脆弱性を持つ国同士は紛争をしない傾向にある、ということなんですね。

 相互脆弱性ということは、ここでいう相互依存性と同じことなんです。お互いに弱いところを持っているから戦争なんか出来ないですね。田中明彦さんは、それは経済的なことだけじゃなくて軍事的にもあると言っています。軍事的なものの代表は何かというと、核兵器と当時言われた大国ということなんです。核兵器だけじゃダメなんです。核兵器をコントロール出来る大国があって、しかもその大国は通常兵器もある程度コントロール出来る、そういう国があってはじめて相互脆弱性を基本とした世界的な平和維持、抑止というものが続くということなんです。

 つまり、核と通常軍事力を有する軍事大国によってもたらされた平和ということです。我々の70年の平和が、日本国憲法によってもたらされたという人がいますが冗談ではありません。我々が70年間、平和だったのは、核兵器と通常軍事力を有する軍事大国、すなわちアメリカによってもたらされたものだということを忘れてはいけないと思います。

 それから田中明彦さんは、1996年の本の中で、中国だけは未だ新中世国家になっていないと言っています。中世とはどういうことかというと、ナポレオン以前の時代なんですね。ナポレオン以前の戦争というのは、グスタフ・アドルフとかフレデリックとか、そういう人達の時代です。そういう時代の人達は、国民戦争というのを知らなかったんですね。高い傭兵を買って戦争をやっているから、その傭兵で国家間決戦をやって相手の国家を潰したり、自分の国が潰れたりしたら元も子もなくなっちゃうから、まともな戦争はやらないんです。中世の王様は戦争が上手いというけれども、あれは本当の戦争ではない。本当の戦争というのはナポレオンが出てきて――完全な絶対的戦争と言うんですけれども――、それが20世紀の前半まで150年間続いたんです。つまり相手の国を完膚なきまでにやっつける戦争、我々は総力戦と行っていますけれども、絶対的戦争です。それが1945年以降、無くなったということが非常に重要なんですね。

 その意味で、田中明彦氏は中国は新中世にもなっていないと言ったんですけれども、1996年から19年経って、中国は既に近代国家――モダーンと言うんですけれども――、ナポレオン時代と同じような国家から脱却せざるを得ない。

 ただし北朝鮮だけは別なんですよ。私はどこの国が脅威なんてことは言いません。そんなことは言うべきではない。脅威というのはテロゲリラと核拡散なんです。ところが、北朝鮮だけは国を相手にして脅威と考えないといけません。北朝鮮は特殊な国でして、しかも今非常に孤立している。孤立しているところに部下を続々と殺していくような人が親方だと、ある瞬間に気が狂って何をやるか分かりません。北朝鮮なんか大した国じゃないからいいじゃないかという人がいますけれども、やはりそうは言っても核兵器をどうやら持っているかもしれない。それから陸軍だけは百何万人と持っていて、そのうち十何万人、陸上自衛隊と同じくらいの特殊部隊を持っています。こういう連中を中心にテロゲリラをやられたら大変です。その辺だけは忘れてはいけないということです。

 核兵器は相手を壊滅させるという意味の抑止力であったけれども、核兵器下における通常兵器は元々地域紛争を抑止限定するためのものでありました。無論、日本はこれまでも相手国の壊滅を前提とする抑止戦略はとれなかったし、今後もまずとれないでしょう。

 それから現在の憲法の第9条1項というのは、何か日本独特の特殊なものだという――2項はちょっと特殊ですけれども――、第1項というのは1928年のいわゆる戦争放棄条約――パリ条約とかケロッグ=ブリアン協定とも言いますけれども――、あれと全く同じであって、憲法制定前に決められた国連憲章を受けたものです。しかも日本は国連加盟にあたって一切の留保をつけていませんから、当然、他の国連加盟国と同様に侵略なんか出来るわけがないんです。

 そこで、今回の「提言」の専守防衛を引き続き守らねばならないという点、専守防衛が日本の国家政策であることは私も現職の頃からよく知っております。なんでこんな馬鹿なことを言うんだと。侵略をしないというのは日本のみならず、世界中の国が侵略をしない、みんなで作った国連憲章は侵略してはいけないと書いてあります。国連憲章には戦争という言葉は無いんです。無いにもかかわらず戦争をやるというのは冗談じゃありません。

 そもそも「専守防衛」なんていう言葉は全く必要無いんです。侵略をしないから「戦略守勢」をとるというのは分からないでもないですが、専守防衛というのは戦術的にはあり得ないことなんです。

 どうしても自分から攻撃をしないで、守るだけで防衛すると言うんだったら、それはボクシングのすごく強い先生が、相手を殴るミットではなくて平たいミットで――かわしながら動く練習がありますよね、練習ですから倒す必要はないんだけれども――、あの先生はいかに上手くたって、相手を倒すことは出来ません。よく政治家なんかで言う方がいるんですよ。ミサイルが飛んできてもバリヤーみたいな全部撃ち落とせるようなもの作ればいいじゃないかと。そんなものは出来ません。今のミサイルディフェンスではそんなことは絶対に出来ません。

 次は国際秩序に対する日本の貢献でありますが、「対テロ戦争は憎悪の連鎖を生み、再生産を招く」と言うのなら、では何がテロを消滅できるんでしょうか。経済的にお金を出せばテロはなくなるんでしょうか。アメリカがイラク戦争をやったからテロが激しくなったというのは分かりますけれども、あのような戦争を一切止めればテロはなくなるんでしょうか。私はそのようには思えません。

 ドイツという国は日本と同じように第2時大戦でトラウマを持った国ですから、なかなか第一線には出しません。今、安部首相が言っているように、兵站支援しか出しませんでした。そして、アフガンの多国籍軍の兵站支援で55名の戦死者を出して、ドイツで大問題になりました。大問題になりましたけれども、あの平和主義者と言われるメルケル首相は、なおフランスが宗主国であったマリという国にPKO部隊を出していて、それを絶対に撤退させないと頑張っているんです。そういうことをよく理解しておかなければいけません。

 よくPKOとか人道支援に鉄砲を持っていく必要はないと言いますけれども、軍隊によって治安状況を治めた後でなければ人道支援は出来ないという言葉は、高等弁務官時代の緒方貞子氏が国連で何回も講演したんです。緒方貞子さんは高等弁務官になって一番最初にクルドに行ったんです。サダム・フセインにやられて、クルドの人達がトルコに逃げようとしたら、トルコから押されてどうしようも無くなっちゃった難民が国境地帯にいました。その時に、緒方さんは何をやったかというと、NATOの中でも一番力の強い米軍に頼んで、トルコとイラクの国境のところに軍隊で周りを囲んでもらったんです。それで初めて人道支援ができる、軍隊で周りの治安を治めてもらわなければ人道支援は出来ない。それと同じことが、ボスニア・ヘルツェゴビナでも起こっています。彼女はガリ事務総長に頼まれて人道支援に行った。ところが彼女の部下がセルビアの連中とかイスラム教徒とかにみんな殺されちゃったんです。彼女は怒ってニューヨークに飛んで帰ったんですが、ガリ事務総長はあんたは黙って自分のことだけやりなさい、人道支援だけやりなさいと言うんですけれども、緒方さんは演説させてくれと言って、治安状況が悪い中で人道支援なんか出来ますか、各国は軍隊をすぐに出しなさいと言ったんですね。

 その後、ルワンダ難民支援問題でちょうど私どもがいたところに――私どもはルワンダなんかよく知らないし、あんまりいく気もなかったんだけれども、外務省の連中がどうしてもルワンダに行けと。よく聞いたら緒方貞子さんから外務省にぜひ自衛隊を出してくれと依頼があったんです――、それでルワンダに行っていろいろやったんです。そういうことを日本のマスコミは全然伝えないんです。今でも日本のボランティアでアフガンに行った人なんかは、軍隊が来るとかえって危ないから、軍隊はこないで頂戴、自分達でやるんだと言う人がいるけれども、それはある部分で通じるところはあるかも知れないけれども、基本はそうじゃないんですよ。やはり今の状態で治安を維持出来るのは軍隊しかないんです。そういうところではじめて人道支援も出来るということです。

 先ほどの「提言」のご説明で、「現地の人に銃を向けない特別な軍隊というブランドは日本独自のもの」という思い込みは私はおかしいと思います。

 私はカンボジアに行って――自衛隊も行きまして――、地元のカンボジアの住民と親しくやって、いい関係ができたんです。オランダだけはちょっと違いました。これじゃあオランダ軍と一緒にいた高田警部補が亡くなったのもしょうがないなと思うぐらいのPKO活動をやっていました。インドのPKOでは何をやっているかと言ったら、私が聞いたのは「私達は地元の人達と花を植える運動をやっています」と。花をどうやって植えたらいいかという運動をやって、地元民に花を植えることを教えているんだと。

 人道支援とかPKOに行った国は、原則として銃を住民に向けません。もし銃を向けないことがそんなに大事ならば、自衛隊や軍隊を出す必要はありません。オールボランティアでやったらいいじゃないですか。しかし、人道支援であろうとPKOであろうと世界中で軍隊が出るんです。その意味をよく理解して頂かないと困る。

 自衛官達の危険性を考慮して下さっておりますけれども、これまでも危険でありましたし、自衛官達は覚悟し訓練してきております。今回の安保法制、ガイドラインの変更程度で、危険性が特に大きく増すとは言えないと私は考えています。

 配布資料に「自衛隊は強いのか」という項目を入れました。これは説明するまでもありませんので後でじっくり読んで下さい。

 私どもが出て行くと「自衛隊は強いのか」とからかい半分に聞く人がいるんです。あるいは「命がけで戦う気があるのか」と。そう言いながら今回のようなことがあると「自衛隊から戦死者を1人も出しちゃいけない」。まったく矛盾した話です。その辺を自衛隊が現にどう考えて、どうやっているかということをこの「自衛隊は強いのか」で説明しているつもりでございますので、ぜひ読んで頂きたいと思います。

 日米同盟における日本の立ち位置です。日本が中国と敵対関係にあることを米国が好ましく思わない点については全く同意であります。

 ただし、アメリカにもいろんな意見がありまして、今のアメリカの考え方は、CNAというところが最近、カーターという新しい国防長官に提言を出しています。

 彼らはアジアのリバランスを難しいけれどもやりますと言っています。アジアのリバランスの焦点は北朝鮮で、中国とは絶対に戦争をしませんと言っています。

 それは正しいところですから大体これでいいと思いますけれども、しかし他にもいろんな意見がありまして、オフショア・バランス論とか、オフショア・コントロールとか、それからトシ・ヨシハラ氏が言うように、中国がA2/AD(Anti-Access/Area Denial:接近阻止・領域拒否)をやるなら、日本も南西列島のところでA2/ADをやってくれとか――私はそんなのはおかしいと思うんですけれども――、去年くらいからトシ・ヨシハラ氏の意見を聞いて、海上自衛隊の人達は我々もA2/ADをやろうと言っていました。

 ところが先程も行ったように、クーパーという人が来て、やっぱり南シナ海の問題だったら警戒は南シナ海だ、とアメリカの戦略というのはしょっちゅう変わりますからどういうふうになるのか分かりません。アメリカの意見の一つをとって、アメリカはこうだから日本はこれを一緒にやろう、というのは私はマズイと考えています。

 オフショア・バランシングを主張するゲイツという人は国防長官をやった人です。ミヤシャイマーとかレインとかウォルトとか、これの人達は中国の台頭への対応を中国の周りの国々に任せる戦略を考えているので要注意です。彼らは中国の台頭はやっぱり困るけれども、アメリカがやる必要はない、日本にやらせればいい。必要だったら日本に核兵器を持たしたらいいと言うんです。まさか向こうから核兵器を持てとは言ってこないとは思いますけれども、日本が核兵器を持ちたいと言ったら許すというような格好でやるつもりなんでしょう。その辺はよく見ておかなければいけない。

 しかし、いくつものオプションを起こす米国を戦略論議でリードする能力は日本にはありません。残念ながら米国の変化を見極めながら、どこに転んでも対応できるように基盤的防衛力で準備するしかありませんが、これは立派な考え方です。いずれにせよ西洋や東南アジア各国、オーストラリア、インド、韓国等々と平仄を合わせていくことが大事です。

 集団的自衛権ではなくて、集団安全保障でやるということが大切です。アメリカとやるんじゃないんです。アメリカを中心とする各国と一緒にやる。これは集団安全保障です。国連が動いて国連決議の下での多国籍軍でやれれば一番いいんですけれども、やむを得ない時には「この指とまれ」の有志連合でもいいと思います。

 結論を申し上げます。新安保法制、新ガイドラインは先程も申し上げましたけれども、各種事態対処の法的根拠が本来異なるにもかかわらず、それを極めて曖昧な集団的自衛権解釈で一括りにしているため、国民の理解が得られていません。その点での不満は残ります。

 しかし、全体としては、積極的平和主義を前向きに具現化しており、私としては評価したいということです。今後はこれを第一歩として、更に集団安全保障やグレーゾーンにおける武力行使の問題を解決していき、世界の平和に貢献し、それによって日本の平和、すなわち日本人の心の平和を確保するようにして欲しいということです。

 今の日本で右翼も左翼もみんな悪いとして私が批判する問題は、一国平和主義なんです。日本だけが平和であればいいんだろうと、先ほどの「提言」にもちょっとその感じがあるんですね。日本だけが平和であればいいんだろうと。他で戦争をやったって関係ない、だけど今やそういう時代ではない。世界のどこかが平和でなくなるとすれば及んでくるんです。それは、すなわち核兵器の拡散だとか、テロゲリラという格好で及んでくる。ですから世界の平和をまず作るということをやらないといけない。全般の姿勢としては安部首相の積極的平和主義というはおそらく一国平和主義を捨てましょうということだから、私は結構だと思っています。

 最後に一つだけ言っておきます。憲法をどう考えるかということですが、今の防衛法制問題がなんでこんなに混乱しているかというと、日本国憲法や日米安保条約、国連憲章というのは英米法でできています。ところが日本は英米法というものを理解する司法関係者がほとんどいない。役人はそれの典型でして、どこが違うかというと大陸法というのは要するに成文法ですから、法律に書いてあることを絶対に超えられないんです。これはやっていい、これはやっていいとポジティブリストで書いてあリます。書いていけないことはやっちゃいけないという法律なんですね。

 ところが英米法はそうではなくて、その法律の精神に基づいてやる。実際の適用は、その時の状況に応じて、判例や実例に応じてやる。だからどんどん変化するんです。国連憲章というのは完全に英米法なんですが、PKOなんていうのは国連憲章のどこにも書いていないですね。だから6章半って言うんです。だけどその時に必要となれば、彼らは国連憲章という全然変わらない法律の中から、そういう具体的な事例を作っていく、それが法律になっていくわけです。そういうものだということを理解しないで、欽定憲法以来の大陸法でもって憲法を解釈しようとするからいけないので、私は下手な新憲法ができるくらいなら、今の憲法をきちんと解釈して世界の実情にあうように解釈して持っていくほうがいいんではないかと、少しドラスティックな発言となりましたけれども、これで私の発言を終わらせて頂きます。


柳澤 ありがとうございました。加藤さん、伊勢﨑さんからのコメント、意見も頂きたいと思います。私も一言だけ、「専守防衛というのは馬鹿げているよね」というのは私もそこは理解できるんですが、ただ私は軍事運用の専門家ではないが、軍事のことを政治に決めさせる専門家として申しますと、専守防衛という言葉はもちろん政治的な言葉なんです。軍事的な言葉とは別として、この中に込められた意味というのは、集団的自衛権を行使してこなかったが故に、他の国の戦争を一緒にやらなくて済んだという意味も入っているという、そういう言葉として専守防衛ということをあえて使わせて頂いています。軍事戦略の言葉としては、不正確であるというのはそのとおりだろうと思います。


伊勢﨑賢治 東京外国語大学教授 元国連平和維持軍武装解除部長

第2部「提言」の討論
伊勢﨑 賢治

東京外国語大学教授、元国連平和維持軍武装解除部長

 冨澤さんの最後の部分には本当に同意できます。やはり集団安全保障、これが全てです。集団安全保障と集団的自衛権の行使が今は限りなく接近している世界情勢ですので、今日僕は、このダイナミズムを理解していただくことに集中します。アフガンでの対テロ戦争やグローバルテロリズムのことも大切ですが、集団安全保障の一番の典型である国連PKO活動、これが激変しているんです。そのことをお伝えする映像をお見せしますので、それから少し補足したいと思います。冨澤さんにはショックだと思うんですけれども。

 2ヶ月前にコンゴ民主共和国に行きまして、その様子を報道した先週の報道ステーションです。

上の画像をクリックで動画を再生(約13分)

 補足させて頂きます。日本のリベラルも保守も根本的な理解が足りない問題がありまして、それは、いわゆる国際法、戦時国際法もしくは国際人道法で言う「武力紛争の当事者」になるか否かという問題です。国連PKOの場合はPKF――我々は国連幹部としてシビリアンですから、国際協定上の議論ではありますけれど、PKF部隊を含むいわゆる国連ピースキーパーを攻撃することは国際法違反になっています。実はPKFもこの「保護特権」においては“シビリアン”という扱いなんです。国連ピースキーパーとして外交特権的なものが与えられるわけですね。

 でもしかし、PKFが交戦したらどうなるか。つまり、そこでPKFは、国際人道法上の紛争の当事者になるのですが、そうなったら、その保護特権はどうなるのか。

 この議論が明確になったのは1999年。コフィ・アナンが国連事務総長だった時の国連官報です。ここから、PKFは、自己防衛もしくは任務遂行のために軍事組織として交戦になったら、その時点で国連は紛争の当事者になるということです。

 つまり国際人道法がその時点で適用されるということなんですね。ということはどういうことかというと、国際人道法――攻撃をしていいもの、してはいけないものなど戦争を人道的にやる流儀を示しているものです――、その国際人道法が適用された時点でどういうことが発生するかというと、国連は交戦すると敵と同等、つまり、合法的な攻撃目標になることですから、PKFを攻撃することは、もはや違法ではない。その時点でPKFは保護特権も失う。これが、今の考え方なのです。

 このビデオの舞台であるコンゴ民主共和国において国連PKOが非常に交戦的、というか、国連が“戦争”をする時代になっている情況をつくるキッカケになったのは、1994年のルワンダの虐殺であります。国連PKOがいながら住民100万人を見殺しにしてしまった。当時の国連PKOのマンデート(使命・権限)は、停戦監視が一般的なものだった。紛争当事者同士に停戦合意が生まれ、それを確固たる和平にするべく、その当事者すべての同意でもって、国連PKOが展開する。ですから、軽装備で、尚且つ大勢で行って、停戦合意が破られないように抑止力を高めるというのが基本でした。そもそもPKF多国籍軍の各部隊にとって、それぞれの国防以上に真剣になれることはありません。だから、PKOは、“ダラダラ”とならざるを得ないのです。なにより、停戦が破られて交戦状態になり、そこにPKFが参戦してしまったら、国連が紛争当事者になっちゃう。でも、1994年のルワンダでは、停戦が破られ武力衝突が始まり、それに住民が巻き込まれてゆくのです。PKFの目の前で。でも国連は何もしなかった。PKFは撤退し、見殺しにしてしまった。

 この負の教訓から、「(住民を)保護する責任」という考え方が生まれます。そもそも、住民=国民を保護するのは、その国家の責任であるはずで、それを国家主権というのですが、それを差し置いて国連がやるということは、ある意味、主権侵害ですから、これが実行されるには、その後、長期間を要するのですが、時間を経て今は、「住民保護」は、どの主要国連PKOミッションでも筆頭マンデートです。停戦合意が破れても、今は、見殺しにしない。つまり、紛争の当事者として交戦つまり「武力の行使」できないのだったら、最初から参加するな、の世界になっているのです。

 このように変貌する国連PKOの最先端は、コンゴです。FIB(Force Intervention Brigade)です。「介入旅団」とでも訳しましょうか、これは今のところ、このコンゴのミッションだけにオーソライズされたものです。これは2013年に決議されたんですけれども、それまでの住民保護のPKFは、あくまでも平時では特権を持っている、しかし戦闘になったら特権を失って、紛争の当事者になるものでしたが、これは、最初から、コンゴ国内の特定の武装勢力の「無力化」つまり完全殲滅を許可されている。つまり、国連が住民保護を目的に「先制攻撃」する時代の幕開けを意味するのです。

 このコンゴと自衛隊がおかれている南スーダン、その隣の中央アフリカ共和国、これが今一番注目される国連PKOミッションなんですけれども、この内戦はそれぞれの国境を跨ぎ連動しています。南スーダンも、このようになる可能性は十分にあります。

 もう「駆けつけ警護」なんて言っている時代ではないんですよ。住民が保護を求めて駆けつけてくるんです。彼らの国家の警察や軍ではなく国連にです。自衛隊が一歩も外に出なくても、彼らが保護を求めてくる。昔のルワンダでは、門を閉めちゃった。今はそれが出来ないのです。

 国家と国に準ずる組織という日本の言い方があるじゃないですか。どういうものかというと、昔だったら国家と反政府勢力など国家に準ずる組織が停戦しているのだから、それが破れた時には明確にそれが分かるから撤退できる。だから自衛隊が「武力の行使」をする可能性はない。でも、その状態でも、もし撃っている者がいたらどうするか。その場合、停戦時に発砲するような奴らは、国家もしくは国家に準ずる組織とは言えないヤクザ組織みたいなものだから、自衛隊が撃っても、それは警察が犯罪者に対してする「武器の使用」だから、「武力の行使」ではない、と。こんな言い回し、国際社会には存在しません。国際人道法では、ある程度の指揮命令系統があり、ある程度の支配地域のある広域暴力団のようなグループでも、同法の交戦主体と見なします。つまり、それに対峙する自衛隊は、同等の交戦主体、つまり「武力の行使」をする主体とみなされるのです。

 ていうか、この日本独特の言い回しは、別の角度から見ると、日本が勝手に国家もしくは国家に準ずる組織ではないと、ある人間の集団を見なせば、国際人道法に関係なく殺戮できる、というふうにもとれますので、ほんと、これを英語にして発信しないように望みます。国際問題になるでしょう。

 同じように国際紛争の現場に存在しない日本独特の言い回しに、「後方支援」があります。後方支援をロジスティクスと訳しているならば、正直に「兵站」というべきです。国連PKOの世界では、自衛隊が担ってきた施設部隊でも、戦闘部隊でもROE(Rules of Engagement:交戦規定)は同じです。

 これらは、とにかく自衛隊の海外での活動が「武力の行使」にあたらないことにするために、無理矢理につくられてきた言い回しです。これがいつまで続くか。もう限界でしょう。ましては、今回の安保法制で自衛隊の任務が拡大したら、もうもたないでしょう。

 PKOは自衛隊が紛争の当事者になるということを前提にして法整備をしなければいけません。つまり、自衛隊が軍事組織として国際人道法違反をした時に、どうしたら良いかを考えることです。

 これは国連PKOでも、アメリカやNATOの「非国連総括型」のオペレーションでも同じなんですが、作戦のすべての主眼は「人心掌握」です。兵員が現地社会に対して過失を犯したとき、ちゃんと現地社会の感情を対処しないと、敵が巣食える空間を増強させてしまう。これは、こういう非対称戦の現実として、しっかり頭に入れておかなければなりません。「現地法より厳しい軍法で裁きます」という言い訳ができない部隊は、非対称戦では使えないのです。

 この問題を自衛隊員の方から見ると、もし自衛隊員が軍事行動の中で過失を犯した場合、軍法のない日本にとっては、どの法で裁くかというと、刑法しかありません。国外犯としてです。それも、日本の刑法は、海外の過失は裁けません。これはどういうことか。

 軍事行動は個人の意思が極度に制限される国家の命令です。なのに、その過失は自衛隊員個人が犯罪として責任を負う。こんなバカなことがあっていいのでしょうか。

 本来であれば、軍事行動での過失はあくまで軍規そしてROEの観点から裁かれるべき。現地社会からみた人権侵害性への責は、国家が負う。つまり、海外の活動で何が起きても国家が責任を負うから行って来いと、自衛隊の肩を押す大義が、日本にはないのです。

 その議論を全く日本人はしてこなかったのです。今回の安保法制の問題だけではありません。右も左も、今までやってきた自衛隊派遣の議論の根本から変えないと、ダメです。

 つまり、自衛隊の根本的な法的地位を国民に問うことなしに、自衛隊を海外に送ってはならないのです。


加藤朗 桜美林大学教授

第2部「提言」の討論
加藤 朗

桜美林大学教授、同国際学研究所長、元防衛研究所

 私からは現場の話ではなく、全く理論的なところからお話します。

 抑止戦略からみた今回の安全保障法制の問題点を考えてみたいと思いますけれども、私は今回の安全保障法制の改定に伴う日本の戦略の大きな転換を、ある意味で安部ドクトリンと名付けても良いのではないかと考えています。つまり、吉田ドクトリンから、安部ドクトリンへの転換です。この安部ドクトリンの本質は何かというと、対中抑止と対米貢献の交換です。積極的平和主義というのは、英語でProactive Contribution to Peaceです。積極的に平和に貢献するというその貢献は、平和というよりもむしろ対米貢献だろうと思っています。

 この安部ドクトリンの問題は何かというと、この取引が良い取引かどうか、これまで安全保障法制の法的な問題点や行政手続き上の問題点などが盛んに議論されましたけれども、本質は何かといえば、本当はこの安部ドクトリンによって日本の安全が高まったかどうかということが議論されなければいけない。

 それは何かといえば、これまでずっとお話があったと思いますが、抑止の問題です。果たしてこの取引によって対中抑止が高まったのかという問題です。結論から言うと、全く分かりません。なぜかというと、抑止というのは抑止をする側の意図・意志、能力と、もう一つあります。それは相手側、具体的には中国です。中国がこの抑止力をどのように判断するかです。この3番目の要素が全くわかりません。従って、抑止力が高まったと信じることもできますし、高まらなかったと思うこともできます。どちらも実証不能です。

 私が見る限り、この安部ドクトリンは安全保障法制でいろいろ議論され、意志を示しました。しかしながら、それを裏付ける軍事的能力はまだまだこれからです。安部ドクトリンは、ある意味で私はハッタリ戦略だと思うんです。ハッタリも十分に抑止として機能します。それは意志があるからです。これまでの日本はそういった意志を見せてこなかった。だからその意味で抑止が高まったと見ることもできます。いや、そうではないと見ることもできます。要するにどのように信じるかというだけの話です。

 この安部ドクトリンの問題点を考えてみます。5つほどあります。

 1つは、同盟の確実性の問題です。果たしてアメリカは、確実に日本に対して対中抑止力を提供してくれるかどうかです。政治の判断として対中抑止力を提供してくれるかどうか。私達は常に考えなければいけないのは、1971年の第1次ニクソン・ショックです。あの時は、日本の頭越しに米中が和解するというとんでもない事件が起こりました。第2次ニクソン・ショックが起こらないと誰が言えるかということです。アメリカの戦略は先ほど冨澤さんの方からお話がありましたように、いろんな戦略があります。例えば、ASB(エア・シー・バトル)戦略、これは米軍と自衛隊との緊密な関係が必要です。

 一方で冨澤さんがご指摘になった、クリストファー・レインという国際政治学者が、オフショア・バランシングという、イギリスの抑止理論、戦略理論からとって、大陸とバランスさせるのはその沖合にある島国によってバランスさせる戦略です。ればいいんだという、冨澤さんが仰るとおり日本の防衛力を高めることによって、アメリカはアメリカ本土から日本を使って中国を抑止するという戦略をとるかもしれない。

 アメリカがどういう戦略を本当に取ってくるか分からない。同盟関係というのは、首脳間の世界観が違ってしまうとガラッと変わる可能性があります。国家に真の友人はいません。いくら米軍と自衛隊が一体化していったとしても、政治のレベルでは一夜でひっくり返る可能性がある。このコミットメントの確実性が分からない。

 2点目は、軍事的な意味での抑止力の信頼性の問題です。おそらく日本は、尖閣問題などで、アメリカが対中抑止力を発揮してくれるのではないかと期待していると思います。ところが、尖閣がいわゆるアメリカにとってのレッドライン、この一線を超えたら中国を攻撃するぞというそういう一線になるかどうかと言うと、日米ガイドラインを見てもそうは書いていない。一線部隊を投入するとは書いていないし、本当に人的な貢献をしてくれるかどうかは全くわかりません。

 一番ありうるのは、フォークランド紛争の時のような支援です。イギリス軍がアルゼンチンのフォークランド島を攻撃しました。それに対してアメリカは情報提供はしましたけれども、兵員を送ることはありませんでした。そのようなことが尖閣問題に対して行われるかもしれません。だとすると、必ずしも尖閣問題で本当に対中抑止力が高まるか分かりません。尖閣問題で日本を見捨てたら、アメリカはフィリピンをはじめとする他の同盟国の信頼を失って、アメリカの同盟国から中国へバンドワゴン、勝ち馬戦略に乗って、一気にアメリカの同盟戦略が崩れるということが戦略的抑止になるのではないかと言われていますけれども、アメリカは尖閣問題については、一貫して施政権の問題については承知するけれども、領有権の問題については一切関与しないということを言っているわけです。尖閣問題で何かこれまでの状況が変わったかといえば、私はほとんど変わっていないと思っています。

 3番目が同盟のジレンマです。「巻き込まれ」「見捨てられ」です。日本は湾岸戦争以来、アメリカから見捨てられる恐怖のもとに、ずっと対米協力を行ってきました。今度の見直しも、きっかけはおそらく2012年8月に出されたアーミテージレポートです。このアーミテージレポートの最初に非常に刺激的な文言があります。それは何かと言うと「日本は一流国家に留まりたいかどうか。もしも留まりたいと思わないのなら、こんな提言を読むことはない。二流国家に留まればいい」という、一種の「見捨てられ論」が出てきたわけです。それで対米貢献を強化しようとしているわけです。しかしながら、果たして見捨てられるかどうかは分かりませんし、アメリカを巻き込む戦略がうまくいくかどうかわかりません。アメリカにとっての恐怖は、尖閣のような無人島の問題で日中の紛争に巻き込まれることです。

 日本はグレーゾーン事態などを上手く使いながら、アメリカも巻き込むことが出来たかどうかというと、必ずしも上手く言っていない。グレーゾーンというのは昔から低強度紛争と言って、アメリカにとっても非常に扱いにくいレベルの紛争で、今、日本もその対応を迫られているということです。ですから「見捨てられ」「巻き込まれ」という、これもあまり前と状況は変わっていない気がします。

 4つ目が、安全保障のジレンマです。日米間の同盟強化に対し、中国側がこれは日米による軍事同盟の強化だと思うと、中国は対抗して軍事力を強化し、かえって中国側の軍事強化を招くおそれがある。中国側が自分達の軍事強化を正当化する理論にも使ってしまう可能性があるということで、かえって対中抑止力が弱まる可能性があるかもしれません。

 5つ目に、もっと深刻なのは、安定・不安定のパラドックスです。アメリカと中国の間で核バランスが上手く取れたとします。核バランスが取れたら、米中はそこで核戦略均衡が起こります。そうすると何が起こるかというと、冷戦時代と同じです。米中核均衡それ以下のレベルでは地域紛争が抑止出来なくなってきます。

 冷戦時代には世界各地で地域紛争が頻発しました。なぜかというと、正に安定・不安定のパラドックスの中で米ソの核戦略均衡が安定化してしまったために、かえって地域紛争がひどくなったということです。

 最後に一言だけ、冨澤さんのお話に付け加えたいと思います。私が提言しているのが、最適化戦略です。

 具体的には3本柱です。①日米同盟、②専守防衛、③平和大国ブランドです。つまり護憲によって、平和大国というブランドを守ることです。平和大国ブランドを守ることによって、日本は中国の後塵を拝する二流国家ではなく、平和大国だという最後の大国ブランドを維持することが出来るということです。

 このためには何が必要かというと、オールボランディアで犠牲も厭わないで、みんな戦地に言ってくれという話です。自衛官を送る必要はありません。自衛隊が言ったってしかたがないし、いけるようなところはないわけです。残されたのはNGOだけです。NGOが自らの犠牲を厭わずに紛争地に赴き自衛隊に代わって国際協力をするのです。

 そこで私は9条部隊ということをずっと言い続けているんですが、60歳代以上の人は志願して戦地にいく。これは冗談ではありません。実際に国連がそういう部隊を構想しています。まだ構想段階ですが、United Nations Emergency Peace Serviceというものです。これには年齢制限はありませんけれども、全てシビリアンで構成された紛争解決部隊です。日本もそういうところに参加して、日本の平和大国のブランドを価値あるものにしていきたいと思っています。


変貌する安全保障環境の中で生きる 『専守防衛』と自衛隊の役割 討論

柳澤 それぞれ「活かす会」のメンバーからプレゼンをして頂きました。お聴きになったような状況ですから、さっきもご質問を頂いたんですけれども、今後の国際秩序維持の文脈で、自衛隊を海外でどう使っていくのかというところでは、こういう状況なものですから、完璧な意見集約が出来なかったということはご理解頂けると思いますが、更にこの点は議論を深めていきたいと思います。

 折角冨澤さんもお聴き頂きましたので、今のお話についてコメントを頂ければと思います。


冨澤 加藤先生のお話の最後のところですね。自衛隊を出すと危ないから、一般の人にボランディアで行ってもらおうという話は、正に先ほどの緒方貞子さんの話のとおりなんですね。緒方貞子さんという人は最初から軍隊を出す気はもちろん無かったわけです。彼女は高等弁務官ですから、人道支援専門なんですよ。ところが人道支援をやろうと思っても出来なかったんです。それで彼女は、現場の治安は人道支援の問題ではない、政治の問題だと。国連参加各国がこれに協力してくれなかったら、私達はお金だけ貰ったって、支援物資をデリバリーすることも出来ないと国連で何回も講演したんです。それで、ガリ事務総長に自分のやることだけやって、余計な政治的な発言をするなと怒られたんです。政治がしっかりと治安を維持してくれなければ、つまり軍隊を出してくれなければ、我々は人道支援なんか出来ないんだと。それが現実だと思うんですね。もちろんPKO活動は軍人でないといけないとは決まっていません。そうですよね、伊勢﨑先生。


伊勢﨑 PKFは軍人です。当たり前です。


冨澤 PKFは軍人ですね。やっぱりPKFに日本は出せないというのは、極めておかしい。私が一番心配しているのは、そういう一国平和主義的な考え方が日本を孤立させる。日本が孤立することが一番恐ろしいんです。

 私どもは自衛隊で、自衛隊は軍隊ではないと言われているんだけれども、我々が外国に行くと馬鹿にされるんです。「自衛隊、Self-Defense Forceなんて、面白い名前つけているね」と言われる。一番最初に言われたのが、最初にフランスの駐在武官へ行った栗栖さんです。あの人は言われてガックリきたと言われています。

 それからその頃、自衛官がアメリカに行って、「我々はARMYではない。Ground Self-Defense Forceです」と言ったら、ゲラゲラ笑われたと言うんですね。それで頭に来て帰ってきて自衛隊を辞めたという先輩がいるんですけれども。それはどういう意味かというと、自衛というのは自分の身を守る、護身術ってあるでしょう。 the art of self‐defenseです。だから、お前は軍隊のような格好をしてきたけれども、自衛隊ということはお前の身を守るんだなと、自衛隊という組織を守るための軍隊だなと、国を守るとか世界の平和を守るとか、そういうことじゃないんだな、と笑われるんですよ。この孤立感と言ったら大変なものなんです。我々は外国に行って外国の軍人と会った時にまともに扱ってもらえない。

 仰るように自衛隊は出さないで、自衛隊の代わりに世界の平和に貢献することがやれますか?この会場におられる方は歳だから難しいとしても、若い方々がね。あの緒方さんでも我々にはとても出来ない、殺される一方だと。そんなところで人道支援なんか出来ますか?そういう話なんです。それをよく考えて頂きたいというのが加藤先生に対するコメントです。

 伊勢﨑さんの話は確かにショックだったのは、窮鳥を懐に入れるように、自衛隊がいるところに住民が逃げ込んでくる、それを追っかけてくる人達と戦ったならば、紛争当事国とみられるという、そういうことであるならば、PKOの場合には国連の責任ですからね。それはもう国連が紛争当事国だと言うんだったら、すぐに停戦です。こちらも停戦するしかない。


変貌する安全保障環境の中で生きる 『専守防衛』と自衛隊の役割 討論

伊勢﨑 国連は交戦したくないに決まっています。それでも、住民を守るために武力の行使をしなければならない場合があるし、それをしないで大勢見殺しにしてしまった確固としたルワンダのケースがあるのです。それだけでなくて、国連PKOの中の一部隊が交戦状態になった時、紛争の当事者となるのは、その部隊だけなのか国連PKO全体なのかという議論があって、国際人道法は後者を取ります。国連PKFというのは、指揮権を国連に委ねるわけですから、その前提で国連が責任を持つということです。だから自衛隊を出すときに、東京が指揮権を持っていたというのはウソです。もちろん、自衛隊が他国の軍規の下に置かれることは、内政不干渉の原則上ありえませんが、作戦運用上の指揮下には入るのです。国際人道法違反が起きた時には国連が責任を負うということで、その指揮権を担保するのですね。

 国際人道法違反というのは、攻撃しちゃいけないもの、つまり住民を比例性に反して多く殺してしまう。これが、非対称戦では頻繁に起こるわけです。基本的に戦闘員か非戦闘員かは区別がつかないのですよ。


冨澤 先ほど僕はびっくりしたんだけれども、コンゴの40以上の部族が入り乱れて争っていると。PKOというのは原則として停戦状況が出来た中で、その停戦状況をキープするためのものなんでしょ。だから原則は武力行使はしないんですよ。ただし、先ほど言われた、任務遂行のための武器使用というのはあるので、任務遂行のための武器使用というのは、その任務によるんですけれども、結果としては、正当防衛じゃなくてそれは武力行使なんですよ。


伊勢﨑 任務と言われたけれども、停戦監視がミッションの主要なマンデート(使命・権限)だった時は昔の話です。今は筆頭マンデートに、住民保護が来るんです。住民保護のためにはバイ・オール・ミーンズ(なんでもやれ)ということなんです。


冨澤 だから窮鳥が懐に入るように住民が来て、それを追っかけて来た奴がいたら撃ってもいいんでしょ。


伊勢﨑 撃たなければいけないんです。


冨澤 撃ったら紛争当事国にされちゃう?


伊勢﨑 紛争当事者になります。その時点で。


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冨澤 それでは、PKOを代表しての戦争当事国なんだから、それはいいんじゃないですか。PKOというのはいろいろありますけれども、国連憲章に書いていないけれども一応国連憲章の下なんですよね。国連そのものが紛争当事国になるというのは考えられないんで、国連はやるとしたら制裁なんですよ。世界の秩序を破ったものに対して、まず経済制裁をやって、経済制裁がダメな場合には、各国の軍隊を使って…。


伊勢﨑 それは国家に対してですからね。今の内戦というのはインターナショナル化しているわけです。ルワンダも、コンゴも、自衛隊のいる南スーダンも、その内戦の原因の構造は国境を跨いで全部連携しているわけです。内戦と言っていますけれどもインターナショナル・コンフリクトなんです。だから、国際人道法の扱いも同じです。国連憲章の第7章に基づく経済制裁、武力制裁の対象ではないんですよ。でもしかし、運用してきたんです。6.5章と言われながら。更に、「住民の保護」の今も運用しているんです。このジレンマをわかって頂きたい。


冨澤 悪いけれども、コンゴのようなところには行けないですよ。法律的には行けてもね。


伊勢﨑 だから冨澤さん、南スーダンが正にそれなんですよ、今。


冨澤 南スーダンは部族が40もあたっていませんよ。


伊勢﨑 南スーダンの紛争の当事者としての武装勢力は7つぐらいありますから。日本流に言う国家に準ずる組織がいっぱいいるわけです。


冨澤 南スーダンも下げたほうがいいか。


伊勢﨑 当たり前です。僕が言いたいのは、国民に信を問うて欲しいということです。自衛隊の法的な地位の問題を。これは、9条を変えるか変えないか、の問題です。国際紛争を武力で解決しないと言っているじゃないですか。でも行く限り、紛争の当事者になるんです。軍事行動での過失への対処、つまり、軍法の問題も含めて。9条を変えるか変えないか、国民に信を問うてから自衛隊を送りましょうということなんです。


変貌する安全保障環境の中で生きる 『専守防衛』と自衛隊の役割 討論

冨澤 一般的に言って、この前の駆けつけ警護の話でもそうなんですけれども、駆けつけ警護するというのは、既にどこかに友軍がいて、駆けつけ警護をやってくれと。あるいはそこに住民がいるから、それを助けてくれと駆けつけ警護するという、その時に戦争が始まっているんだから、即戦争になるというけれどもね、そうじゃないんですよ。

 サマーワに行った時もそういうようなことがあったけれども、我々はそのために非常に訓練をしていて、訓練をした精強な部隊がそこに行ったことによって、だいたいそれを攻撃してくるのはテロゲリラで、実はそれほど大した戦力を持った奴じゃないんですよ。戦力を持ってない奴が駆けつけてきた時に、そこに自衛隊が行くことによって、その威容によって抑止できるんですよ。


伊勢﨑 それは、世界最大の集団的自衛権の行使の戦争、つまり、グローバルテロリズムとの戦いなんですけれども、その敵を我々は通常戦力で殲滅できなかったわけです。アフガニスタンでそれが証明されたわけです。2001年9.11後、13年戦って軍事的な敗走をしたんですよ。アメリカとNATOがそれを証明したのです。

 アメリカはバカじゃない。だから、2006年にCOIN(カウンター・インサージェンシー)として、20年ぶりに陸戦のドクトリンを大変換したんです。つまり、先ほど言いました「人心掌握」。テロ分子が棲みにくい環境をつくるしかないということなんです。人道支援とかそういうことではなくて、ガバナンスの問題です。

 果たしてCOINは成功しているか。まだです。アメリカはやるべきことは知っていて、成功していないというだけなんです。ドクトリンはそのままです。


変貌する安全保障環境の中で生きる 『専守防衛』と自衛隊の役割 討論

加藤 テロ・ゲリラの専門家として30年間やって来ましたので、一言言わせて頂ければ、アメリカもベトナム戦争の頃から、COINのような戦略も幾らでもやって来て、全部失敗しているんです。アフガニスタンでも失敗している。どうにも手に負えなくなって来て、今日もまた「イスラム国」に押されてラマディが制圧されるという最悪の状況です。

 自衛隊のような軍隊が行ってどうにかなるかと言ったら、無理です。自衛隊にそんな能力はない。アメリカにもできなかったんだから、自衛隊に出来るわけがない。現実には、今、自衛隊にはテロ・ゲリラに対抗できる能力は無いし、国際紛争で自衛隊を送り込めるような紛争はどこにもない。送り込めるのは何かと言ったら、NGOだけです。皆さんはエッと思うかもしれませんけれども、実際には、退職自衛官が地雷処理を支援する会を作って、まだ紛争が収まっていなかったアフガニスタンで地雷処理をやってきた。実際にそういう例はあります。伊勢﨑さんと一緒にやっているんですよ。だから決して夢物語ではないんです。

 それが日本の出来る貢献策であり、唯一現実的な貢献策であり、そして護憲ブランドを守る唯一の方法だと私は思っています。


伊勢﨑 冨澤さんと話すのは稀なので、政府のしかるべきところに持って行って頂きたいんですが、先ほど停戦の話しが出たじゃないですか。昔の国連PKOは、それで逃げて来ちゃったわけです。見殺しにしちゃいました。その反省から、今は見殺しに出来ないんです。今の戦局では危なくなったら、戦闘状態になったら、引けばいいじゃないかということが出来ないんです。そんなことしたら、「非人道国家」として日本の外交的な地位は失墜するでしょう。住民を見捨てるなら最初から来るな、ということなのです。


冨澤 それはその通りです。


伊勢﨑 こういう激変する国際情勢の中で、先進国は、コンゴのみたいなところへPKF部隊を出しません。周辺国が主体になっている。つまり、その紛争に既得利権がある、その紛争を放っておくと自分のところが危なくなる、という極めて集団的自衛権的な発想で集団安全保障の典型である国連PKOが支えられる時代になっている。

 昔は中立性が損なわれると言うことで周辺国の参加を忌諱してきた。今は利得利権感がないと真剣に戦ってもらえないという考えなんです。だから先進国が兵を出さないというのはミッション設計上の「前提」になっています。それと、昔ながらの、外貨稼ぎが目的の発展途上国。つまり、PKFに自衛隊が部隊を出すニーズはないのです。これをぜひご理解頂きたい。


冨澤 すみません。外務省に言って下さい。


伊勢﨑 そうですね。


柳澤 よろしいですか。何か一言おありなら。そろそろ閉めようと思いますが。


冨澤 一番最初の質問で、集団的自衛権は義務なのかということは絶対に違うので、集団的自衛権というのはあくまで権利です。自衛権というのは個別的自衛権であれ、集団的自衛権であれ、それをやってもよろしい、やっても許されるということなんです。

 けれども、国連憲章の第2条に書いてあることは、国連として見た時、世界秩序を壊す者がいた場合には、制裁を加えてそれを止めなければいけない。止めるためには――国連には国連軍がまだないわけですから――、各国は軍隊を出しなさいと言っているわけですね。それは義務なんですよ。国際法の一番根本である国連憲章においては、国連が少なくとも安保理決議して、世界秩序を維持するためにやるぞという時には各国は軍隊を出しなさいと。それは各国の義務、obligationです。obligationという義務は義務違反がないんです。義務違反だから罰金を出せと言われないんですね。obligationというのは、どこの国かではObrigadaと言って、ありがとうという意味なんです。昔、有名なイギリスの学生が言った――これはフランス語ですけれども――ノブレス・オブリージュと同じなんです。

 いつも我々は世界の秩序の中で、あるいは国によってお世話になっているんだから、それに対する貢献ですね。「ありがとう」という意味でやるべきだということなんですね。その根本は忘れてはいけないと思うんです。自衛権というのは権利で、本当はやってはいけないんです。世界の秩序というのは全部、集団安全保障でやるようになっているのが原則なんです。

 原則だけれども、お巡りさんが来ない時には、自分でやっても「許される」、エクスキューズなんですね。そういうものだという基本は忘れてはいけないと思うんですね。

 だから、危ないところには後進国だけ行かせて俺達は行かないよというのは、正にSelfishな話だと思います。先ほど言ったように、メルケルはヨーロッパの親玉の中では一番平和主義者です。平和主義者のメルケルは、アフガンに出して後方兵站だから良いだろうと言っていたにもかかわらず、敵にやられてやり返して、やられて五十何名死んでしまったんです。ドイツで大問題になったにもかかわらず、メルケルはなおPKOを下げないんです。そういうところの基本というのは国際法に基づいてきちんと考えてやって行くというのが私の考えです。


伊勢﨑 アフガンでそのドイツ軍と一緒に行動したので分かっているのですが、実はあれは後方支援ではないんです。ほとんど攻撃部隊です。あれはドイツがはじめて戦闘部隊として陸軍を出した戦後はじめてのケースなんです。これは9.11同時多発テロが、明日は我が身という危機感があったからです。移民いっぱいいますから。移民を受け入れるというのは国是なんです。だからこれは変えられない。でも、明日は我が身の危機感があったから出したんです。しかしイラクでは離脱しました。独自に判断してアメリカにつかなかったんです。これが同盟国のあり方でしょう。


冨澤 仰るとおりです。出すか出さないかはその時の政治家が決めることで、今回の安保法制でもその通りにやるなんていうことはないわけで、政治的判断こそ大事で、政治家がしっかり情報を収集して、自衛隊はどの程度強いのか練度をよく見て、この部隊だったら出して世界の平和に貢献できるし、耐えられるというなら出せばいい。自衛隊というのは国民の総意を受けた総理大臣の命令だったら絶対に行くんです。ただ、訓練していないことで行けと言われても困りますよ。打ち出の小槌みたいに自衛隊というのは世界で一番強いそうだから、なんでもやれると思われては困るんですね。自衛隊の方もそのことは訓練していないから出来ませんときちんと言わなければいけない。そのように私は思っているんです。

 できるだけ世界の中で日本が国際安全保障に協力しようと言うんだったら、自衛隊のできる範囲の中で行けばいいわけで、最後の決定は総理大臣ですよ。そういうことじゃないですか。


伊勢﨑 信を問うたほうがいいですね。


変貌する安全保障環境の中で生きる 『専守防衛』と自衛隊の役割 討論

柳澤 この議論は、基本的に収斂しようのないところもありますが、基本的に今の論点は収斂していると思います。基本的には政治が決めることではないかということは、伊勢﨑さんも同意だと思います。

 この点は、先週金曜日の国民安保法制懇の声明の中で、日本が列国軍隊と同じ武器使用を海外でやった場合、日本の武器使用の法律の立て方は何だと言ったら、警察比例なんですね。警察比例で軍隊の仕事をさせるということが、本当にそれで相手を殺した時の後始末が今の憲法上出来ますか?憲法は軍隊を認めていないものですから。

 そういうことをやりたいなら、軍隊をちゃんと持たなければ、そして軍事審判所というのか、軍法会議もちゃんと持たないと、やっていけないんじゃないですかということをその報告書では書かせて頂いております。

 いずれにしても、もっとやるべきだという意見もありながら、そこにはいろんな課題があるということはお互いに認識できると思うんです。最後に加藤さんのコメントももっと深めていかなければいけない、つまり今回の安保法制の路線が抑止力という観点から見て、日本に益するものであるかというところは別の問題なので、今後私たちはそっちにまた焦点をあてて、冨澤元幕僚長にもぜひご意見を頂く中で、そっちの議論を少し詰めていきたい、また纏まったところで新たな提言を考えていきたいと思っております。


冨澤 一言だけ。さっき言ったように英米法の関係で言うと、2〜3日前の毎日新聞に書いてあったんだけれども、昭和22〜23年の頃に吉田茂と芦田均が大議論をしているんですよ。芦田均という人は、この憲法でも軍隊が持てるという発想なんですよ。それは英米法だから、彼はよくわかっているんです外交官だから。

 9条に「In order to(〜するために)」をつけたことによって、集団的自衛権も個別的自衛権も出来るし、集団的安全保障に参加するというのは義務だとあの頃からはっきり言っているんです。そういう意味で、第9条2項に軍隊はないというけれども、それは「In order to」で、そのための軍隊がないのであって、自衛をやるための軍隊と国連憲章に基づいて国際安全保障に使える軍隊というのは当然あるという解釈であって、そういう考え方もあるんだということを分かって頂きたいと思います。


柳澤 そういう考え方もあるし、昨年総理に提出された安保法制懇ではそういう意見だったんですが、安部総理はその部分は採用しなかったというのが今日の流れで、そのことが「なんちゃって集団的自衛権」じゃないかと、そういう批判にもなっているということです。

 そこは共通の事実として改めて確認したいと思いますが、今日は本当に時間いっぱいまで――私は一回何処かでまとめようと思ったんですが――、まとめられない方々で大変盛り上がることが出来ました。皆さん遅くまでお付き合い頂きましてありがとうございました。重ねて冨澤さんにも御礼を申し上げます。

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