防衛のプロが市民と語る 新「安保」法制で日本は危なくなる!?

防衛のプロが市民と語る
新「安保」法制で日本は危なくなる!?

2015.6.20(土)13:30〜16:30

大阪市福島区民センター 大ホール

主催/自衛隊を活かす:21世紀の憲法と防衛を考える会(略称:自衛隊を活かす会)

後援/「自衛隊を活かす会」関西企画を成功させる会

報告者


後援/「自衛隊を活かす会」関西企画を成功させる会
 安倍首相が進める集団的自衛権の行使に反対し、それを阻止するために元自衛官や防衛省幹部とも協力していくべきだと考えた関西の弁護士などが、今回の企画を成功させるためにつくった会。代表は梅田章二(大阪中央法律事務所)、小笠原伸児(京都法律事務所)、羽柴修(中神戸法律事務所)の各氏。☎(06)6966−9003 E-Mail:jca00371@nifty.com


「自衛隊を活かす会」事務局

「自衛隊を活かす会」について

「自衛隊を活かす会」事務局

 皆さんこんにちは。今日は「自衛隊を活かす会」の関西企画に足をお運び頂きありがとうございます。私は「自衛隊を活かす会」の事務局をやっております松竹と申します。先に「自衛隊を活かす会」についてご説明をしておきたいと思います。1年前(2014年)の6月7日に柳澤さん、伊勢﨑さん、加藤さんの3人が呼びかけてつくられました。正式名称は「自衛隊を活かす:21世紀の憲法と防衛を考える会」と言います。

 なぜこのような会がつくられたかというと、今のように憲法改正ということが非常に大きな焦点になっていて、安部首相がずっと集団的自衛権だ、安保法制だとやってくる局面の中で、会の名称から分かるように自衛隊を否定するわけじゃないんですけれども、安部首相が進めているような安保法制とか集団的自衛権という方向ではなくて、現行憲法の9条や前文の下で自衛隊を活かせる道があるのではないか、その道を提言していこうじゃないかということを目的にして発足致しました。

 これまで5回にわたって東京で元幹部自衛官の方や、安全保障や国際政治の研究者の方々をお招きして、日本防衛と国際貢献の両面で現行憲法の下で自衛隊を活かせるのか、活かせないのかということをずっと探究してまいりました。その成果を先月(2015年5月)に発表しました。今日、「提言」とその英訳を資料としてお配りしております。現在、「提言」をアラビア語と中国語韓国語に翻訳しようということで作業をしている最中です。現行憲法を活かしたこういう道があるんだということを日本国内にも海外にも発信して行こうと思っています。

 ずっと東京で集会をしてきたんですが、ぜひ他の地方でも、とりわけ関西だけはやってくれというご要望が寄せられていました。「提言」を出したちょうどいい機会で、かつ安保法制が国会で非常に大きな問題になっている時に、この新「安保」法制のことを主題にして関西企画をやろうと思い立ったわけです。

 ただ、全く関西に基盤がないものですから、大阪の梅田章二弁護士にご相談に行きましたところ、梅田先生が京都や兵庫の知人、友人に呼びかけて下さって、「自衛隊を活かす会の関西企画を成功させる会」というのを作って下さって、皆さん方に集会のお知らせをして、集会を成功させていこうとおっしゃって下さり、今日まで準備をしてきた次第であります。

 今日は御三方にそれぞれの立場から報告して頂いた後、議論をしていきたいと思っております。休憩時間中に質問用紙に質問事項を書いて頂いて、ご質問を踏まえながら議論をしていきたいと思っております。

 また、提言を含んだこの1年間のシンポジウムを記録した本が、一昨日(5.18)、講談社新書から発売されました。会場後方でこの本を販売しておりますので、ぜひご購入頂いて、シンポジウム終了後には著者の皆さん方のサイン会も行います。更に今日の夜6時から、呼びかけ人の伊勢﨑さんはプロのジャズトランペッターでして、ジャズセッションを北新地のサンボアで行います。若干の当日券をご用意しておりますので、参加されたい方は書籍売り場でお買い求め頂ければと思います。

 それでは早速、本日の会を始めたいと思います。まず伊勢﨑さんから主催者の挨拶を頂きます。よろしくお願いします。


伊勢﨑賢治 東京外国語大学教授 元国連平和維持軍武装解除部長

主催者挨拶/伊勢﨑 賢治

東京外国語大学教授、元国連平和維持軍武装解除部長

 僕のオープニングのご挨拶は短くしたいと思います。国連PKOの話をします。まず、僕が映っている映像をご覧に入れます。国連PKOというのは自衛隊の派遣の歴史と言っても過言ではありません。本日こられていらっしゃる渡邊隆さんは、第一次カンボジア派遣施設大隊長でおられます。

 国連PKOといった自衛隊の海外活動は、海外活動の一番わかり易い例です。歴代内閣も国連PKOをある意味、「使って来た」と言えると思います。やはり国連のためですから、自衛隊の海外派兵にアレルギーを示す国民がいても文句はつけにくいということで、歴代内閣も使ってきたわけです。現在における安保法制においても、それは同じであります。その国連PKOが、以前の渡邊さんが行かれた時代とはかなり変わっています。しかし、今の法制の議論というのは、昔の国連PKOが前提なんです。それは日本の右派も左派も分かっていないことなんですね。まず映像をお見せ致します。

 

上の画像をクリックで動画を再生(約13分)

 このビデオの前半では、完全武装をして地域に入っていきます。後半部分では完全な非武装で入っていきます。2つの地域は違いますけれども、国連PKOの危険度では同じ危険度の地域なのです。

 この会場に来ていらっしゃる方は大半の方がいわゆる護憲派だと思うんですけれども、非武装の軍事監視団について「日本は平和主義なんだから、平和のためにこっちのほうが向いているんじゃないか」と思われたら、それは間違いです。

 僕が過去、武装解除をやって来た時も、必ずミリタリーオブザーバーを一緒に伴います。なぜかというと、自分達の身を守るために、非武装の軍人を「武器」とするわけです。僕らは非武装を「武器」として使っているわけです。だから、平和主義だから非武装というのではないのです。

 こういう主張をすると、右からも左からも批判を受けます。左の古典的な人たちというのは、自衛隊が活用されることが気に入らなくてしょうがない。右の方からは、丸腰で自衛隊を戦場に送るとは何事だ、と。国連の役割というのは本来、停戦監視にあるわけですが、勇ましい右ほど、お花畑です。国連PKOというのは、ずっと最近に出来たコンセプトなのです。

 今、その国連PKOが激変しています。このビデオで出てきたように、「住民の保護」が筆頭任務になっているわけです。昔は停戦監視でした。だから、国連に「中立性」が求められていた。それが典型でした。

 でも1994年。コンゴの隣にあるルワンダで大虐殺が起きた。典型の停戦監視を担う国連PKOがいたんですけれども、停戦が破られて、住民が殺され始めたわけです。その時に──今の安部首相の答弁と同じように、戦闘行為が始まったら、そこで活動を中止して撤退すればいい、ということで、当時──今の日本の議論だけではなくて──、当時の国連PKOも撤退しちゃったわけです。

 その結果、何が起こったか。100日間で100万人が死んじゃったわけです。これがルワンダの大虐殺です。ここから、保護する責任──つまり住民の保護──、という考え方が生まれました。

 この考え方は、実際に実行されるまで時間がかかるわけですが、それは、根本的な矛盾をはらんでいるからです。それは内政に干渉するということになるからです。住民の保護というのは、本来国家の役割です。それを国家を先おいて国連がやるということはどういうこと。ましてや、ルワンダのように国家側の国軍や民兵が住民を傷つけている場合はどうするのか。一国連加盟国が、他国のではなく自国の民を傷つけているから、それを止めるために武力行使をすることは、どういうことなのか。加えて、これは、国連が、戦時国際法/国際人道法でいう紛争の当事者、戦争の当事者になってしまうことです。いいのか。でも、その決意をしたのが1999年です。当時のコフィー・アナン国連事務総長からのガゼット(官報)という形で、これからは、国連平和維持活動は、戦時国際法/国際人道法を準拠せよという命令がなされました。

 戦時国際法/国際人道法は戦争を人道的に行うためのルールです。攻撃していいもの、攻撃できないものを区別する、その戦争の流儀を示したものが国際人道法です。これを国連PKOが準拠せよということは、国連が紛争の当事者になる、ということです。

 そこから国連PKOの任務が激変してゆきます。南スーダンやコンゴをはじめとして、住民の保護が筆頭の任務になるようになります。停戦監視ではありません。住民の保護です。国家に変わって住民を保護です。そのためには、国連が、紛争の当事者になるということです。

 そうすると自衛隊には根本的な問題があります。それは憲法9条に、国際紛争の解決に武力を使わない、と書いてあるからです。

 根源的な問題がもう一つあります。国連PKOのように多国籍軍として行動する場合、自衛隊の法的な立場はどうなるのか。自衛隊には軍法はありません。軍事法廷もありません。軍事行動という個人の意志が極端に制約される行動の中で必ず起こる過失をどう裁くのか。日本には刑法しかありません。国外犯として裁くしかない。それも、国外犯規定と言いまして、日本人が海外で犯す過失行為は裁けないんです。そうするとロス疑惑のように犯罪、殺人事件として起訴するしかない。

 つまり自衛隊員が国家の命令として海外で軍事行動をする。その中で個人の意志というのは極端に制限されます。軍事行動ですから。その際に起きた過失は、個人の殺人事件になってしまうのです。こんなことがあっていい訳ありません!

 自衛隊を海外に送るのは、憲法を変えてからです。

 これをオープニングの言葉とさせて頂きます。


加藤朗 桜美林大学教授

安部ドクトリンの抑止の特徴と護憲抑止
加藤 朗

桜美林大学教授、同国際学研究所長、元防衛研究所

 長谷部先生が安保法制は違憲だと言ってから潮目が大きく変わりました。議論がほとんど違憲問題になってしまって、議論そのものが25年前の湾岸戦争当時まで戻ってしまったような印象さえ受けます。安保法制が違憲かどうかということを言うのであれば、そもそも自衛隊そのものが違憲だから、自衛隊違憲訴訟を起こしたほうがはるかに効果的だろうと思います。

 にも関わらず、なぜ自衛隊が存在するかといえば、国民の多くが自衛隊の存在を肯定的に認めているからです。自衛隊は憲法によってその存在を認められているわけではないと私は思っています。国民の世論によって支えられているものだろうと思っています。憲法を読む限り、どう考えたって自衛隊は違憲です。憲法というのは憲法学者のものでも、法律家のものでもありません。憲法は皆さん国民のものです。国民我々が政府に対してこういうことをしなさい、こういうことをしてはいけないということを決めたものです。

 したがって、国民が理解できる範囲が憲法の範囲です。国民が理解できる範囲というのは、義務教育を終えた人達が理解できる範囲が憲法の範囲です。皆さんが理解できる範囲が憲法の範囲です。それを考えれば、素直に読めば自衛隊が違憲であることはもう明々白々です。にも関わらず、自衛隊が存在するのは何故か。それはやむを得ず、ある意味では国民がみんな自衛隊の存在を認めざるを得なくなって、そして今、多くの人達が自衛隊を認めているということだからです。

 今日お話するのは憲法の問題ではありません。今更ながらですが、私が持っている問題意識というのは、今回の安全保障法制が私達の安全のために役に立つかどうかということ、その一点について議論していきたいと思います。

 つまり、集団的自衛権行使容認による対米貢献です。積極的平和主義の本質は対米貢献です。対米貢献で対中、対北朝鮮の抑止力が高まって、日本の安全が確保できるかということが問題です。安倍首相が今考えている様々な法制というのは、吉田ドクトリンという軽武装で経済優先の冷戦時代に行われてきた戦略とは真逆の戦略をとろうとしています。そういう意味で、私は安全保障法制も含めて安部ドクトリンと呼んでおりますけれども、安部ドクトリンの特徴というのは、参戦平和主義、つまり戦争に参加することによって平和を守ろうということです。なるべく戦争を避けて平和を守っていこうというのが吉田ドクトリンです。

 さて、振り返ってみますと、安部首相が出してきた一連の様々な法制というのは、安倍内閣が自分達で出してきた法制かというと必ずしもそうではありません。元を辿っていきますと、第一次安倍政権の時に、既に今回のような安保法制の骨格のようなものが出てきました。その背後にいるのが今、国家安全保障局長になっている谷内正太郎さんですけれども、第一次安倍政権が倒れてから、その流れは民主党の野田政権に引き継がれます。2012年に日米共同声明が出て、野田首相はオバマ大統領に対中安保強化を確認しています。そして、3ヶ月後に──ほとんど皆さん忘れていると思いますけれども──、野田政権の時には沢山の戦略会議が出来ました。その中に国家戦略会議フロンティア分科会というのがあります。これは安全保障に関わる様々な提言を出しているところです。ここで能動的な平和主義という言葉をあげています。何を言ったかというと、秘密保全法の制定、そして集団的自衛権の見直しです。

 安部首相が出してきた法制のほとんど重要な部分というのは、実は野田政権の時に準備されています。安部首相がやったのは、要するに野田政権のパクリですね。法律にしていくという作業を安部首相がやったということだろうと思います。

 もう一つ重要なのが、2012年8月15日に第三次ナイ・アーミテージレポートという、アメリカの親日派の人達が日本に対して勧告を出しました。このまま日本は二流国家に転落するのか、それとも一流国家に留まるのか、一流国家に留まりたかったら、このレポート通りにやれというようなことを書いています。実はその中で、ホルムズ海峡の掃海をやれと書いてあります。安部首相は教科書通りにやっているんです。2012年当時のアメリカとイランの関係は険悪でした。ところが現在は、核協議をやっていて、アメリカとイランはおそらく手を結ぶことになります。つまり、ホルムズ海峡で掃海なんていう話は無くなると思います。

 安部ドクトリンの流れはずっとありますが、全体が安倍首相がこれまでとってきた政策、サイバーセキュリティー基本法とか、新「宇宙基本計画」とか、開発協力大綱の決定とか、より積極的に安全保障に関わるような法律を作っていくわけですね。我々は何となく安保法制だけを見ていますけれども、実はそうではなくて、全体が大きく変わっています。

 安部ドクトリンの問題は何かというと、安部首相がやっていることはある種の宣言政策、つまりこれからこういうことをやるぞということです。そして運用政策。実際に法制を作ってどう運用していくか、この2つに問題があります。

 宣言政策の柱というのは同盟戦略です。安部首相は「我々はこれからアメリカにつくぞ、アメリカと一緒になってやっていくぞ」と宣言したということです。これが安部ドクトリンです。つまり、中国のポチになるか、アメリカのポチになるか、両方から捨てられて野良犬となって野垂れ死にするか、という3つの選択肢に対し、安部首相はこれまで通りと言うか、これまで以上にアメリカに忠勤を尽くしますという政策をとったんです。ですから、私達も安部首相の法制の問題と同時に、同盟戦略、どうこれから我々は道を歩んでいくかということを考えないといけないんです。

 問題はアメリカにどれほど忠勤を尽くしたところで、アメリカがそれに答えてくれるかというのは分からないということです。これは国際政治学の昔からの問題です。古代ギリシャ時代のツキジデスの『戦史』にメロスの教訓というのがあるんですが、一生懸命メロスは同盟国スパルタに忠勤を尽くしたんですけれども、いざという時にスパルタは助けてくれませんでした。

 それから積極的に対米貢献をした結果、対中抑止力が高まると言われています。ところが抑止力というのは、高まったかどうかというのは中国側の判断でもあるわけです。いくら私達が抑止力が高まったと思ったとしても、中国側が思わなければ、抑止力が高まったことにはなりません。抑止力の最大の問題は、日本のためにアメリカが自国の犠牲を顧みずに、中国に核ミサイルで報復する覚悟があるかどうかということです。とてもそれは無いと思います。

 宣言政策で平和国家になるぞと言うのが、国際協調主義に基づく積極的平和主義ということです。いわゆる戦争に積極的に加担することによって、なんとか平和を維持しようというのが安部首相の宣言政策です。

 次に運用政策ということで、抑止力が高まるように様々な戦略を考えているということなんですけれども、これは非常に問題です。先程も言いましたように、アメリカの拡大抑止、核戦力で報復してくれるかどうかは分かりません。アメリカの対中核報復の信ぴょう性が不透明であるが故に、アメリカと中国がお互いに核戦力でお互いに攻撃することは止めましょうと手打ちをしてしまったら、日本が圧倒的に不利になってきます。米中が仲良くなるということは、逆に言うと中国が日本を攻撃した時、アメリカは絶対に助けてくれないということです。

 現実の問題として重要なのは日本の拒否的抑止力です。中国や北朝鮮から攻撃された時に、その攻撃をはねのけるだけの戦力は実は日本にはありません。中距離ミサイルは中国も北朝鮮も持っているんですが──これはアメリカには届きませんけれども、日本にはゆうに届きます──、中距離ミサイルはアメリカは持っていません。なぜかというと、ロシアとのINF条約(中距離核戦力全廃条約)で、中距離ミサイルはお互いに持たないようにしようということにしたんです。だからアメリカが日本に変わって中距離ミサイルで北朝鮮や中国を攻撃してくれることはありません。だからMD(ミサイル・ディフェンス)という、ものすごく費用のかかるミサイル防衛体制を日本が今、一生懸命作っているわけです。しかし、これも中国側が多数のミサイルを打ち込んできたら全く役に立ちません。

 それから尖閣問題に対しては、アメリカ軍は絶対に直接的な介入はしません。実例があります。フィリピンがどれほど中国側に島を取られたとしても、アメリカは一切手出しをしませんでした。それと同じことが尖閣でも起こります。

 もう一つ、PKOについては参加の体制が不備だということです。いくらPKOで後方支援がどうのこうのと言ったとしても、自衛隊にそれだけの能力は無いと思っています。

 今後、どういうことをするかということで私が提案したいのは、護憲、つまり憲法を守ることによって攻撃を防ぐということです。具体的には理念としての9条の護持です。

 憲法というのは、規則、規範であると同時に、ある種の理念なんです。規範を守らなければならないけれども、理念はただただそれを掲げて、それに向かってとにかく努力することがあればいいということです。現実において理念が達成できないから、理念としての憲法9条を変えようというのは本末転倒です。私たちは、いつまでも高く理念としての9条を掲げ、それに向けて努力することが必要だろうと思います。そして、実際に憲法を守ることだけではなくて、憲法を実践していく必要があると思います。

 湾岸戦争の後に、良心的兵役拒否国家ということを朝日新聞も毎日新聞も社説に掲げました。私達は武力で国際社会の平和には貢献しない。じゃあ何をしたかというと、当時はバブルのこともありましたので、130億ドル──国民1人あたり赤ん坊から老人まで1人1万円以上──、を払って、私達は湾岸戦争に協力しました。最初に40億ドルを払いました。これは周辺諸国の難民等の支援ということで払いました。そして残り90億ドル──40億ドルで済むと思うなよとアメリカに恫喝されて──、90億ドルを払うことになったんですね。この90億ドルは何に使われたか全く分かりません。アメリカの銀行に振り込まれました。ところがもっと情けない話があって、この90億ドルを国会が予算で組んだ時、それは円なんですね。実際にその円を払い込む時に、円安のために85億ドルにしかならなかったんです。アメリカから再度要求がありました。5億ドル足りない。それで1991年6月、改めて日本政府は5億ドルを振り込みました。バブルで金があったからこういうことができたんです。今はそんなことも出来ません。

 ではどうするかという話です。私が提案しているのは、まず自衛隊のPKOへの参加は止めるべきだと思っています。その代わりに民間PKOによる国際貢献を行うべきです。非武装監視がシビリアンの扱いだというのが先ほどの伊勢崎さんのお話でしたから、シビリアンであるならば──実際の能力の問題があるかもしれませんが──、原理的には会場の皆さんも含めて誰でもPKOに参加できるはずです。自衛隊がPKOに出る時は、軍人として出ているわけではありません。土木や建設の専門技術者として出ています。専門技術者ということであるならば、皆さんのほうがはるかに専門的な技術を持っていらっしゃると思います。

 ということで、現役の人よりも退職した人達が、それまでに培った技術を活かして、PKOを組織して、国外に言って平和活動に参加してはどうかというのが、私の提案です。実際に退職自衛官の中には不発弾の処理や地雷の処理のために自分達でNPOを作って活動しています。決して夢物語の話ではありません。

 もう1つは拒否的抑止力の強化です。自衛隊による防衛体制を固めようという専守防衛です。1980年代のはじめにハリネズミ防衛論というのが出てきました。ミサイルによって日本をガチガチに防衛してしまおうというのがハリネズミ防衛論ですが、ハリネズミはただ身を守るだけですけれども、私はあえてこれをヤマアラシ防衛と名付けます。ヤマアラシは怒ると自分のお尻にある太い針を飛ばすんですね。飛ばすというのは何かと言うと、あえて言いますが敵基地攻撃を含む戦略的守勢です。万が一の時には相手方のミサイル基地を叩くだけの能力は持ったほうが良いというのが私の考え方です。

 最後に、私達はこうした護憲というスタンスを守るためには何が必要かというと、明治に書かれた中江兆民の『三酔人経綸問答』という本をご存知でしょうか。その中に東洋豪傑君と洋学紳士君、その中間をとって南海先生という登場人物がいろんな問答を繰り返します。その中で洋学紳士君がこのようなことを言っています。「自由を軍隊とし、艦隊とし、平等を要塞とし、博愛を剣とし、大砲とするならば、敵するものは天下にありましょうか」。その後、続けて概略は「何か事があれば、莞爾として、従容として、死地に赴く。その覚悟こそが平和を守るんだ」と言っています。その覚悟こそ護憲派に求められています。


渡邊隆 元陸将

安全保障法制の本質と課題について
渡邊 隆

元東北本部方面総監、第一次カンボジア派遣施設大隊長

 私は3年前まで現職の自衛官でありましたので、数年前であったなら多分このような会に呼ばれることは無かっただろう、呼ばれても多分出なかっただろうと思います。そういう意味で、時代は変わりつつあるというのが実感ですし、こういう会でこういうことが語られる様になったんだなというのをある一種の感慨を込めて、思っているところです。今日のテーマは今国会で審議されている我が国の安全保障法制ということなんですけれども、この法制が正に戦後日本の最大の変化、転換点だと思っている方は非常に多いのではないかと思いますが、私は実は別の考えを持っています。その辺のところを若干ご紹介をして、ご参考にして頂きたいと思っております。

 加藤先生がご指摘のように、憲法に自衛隊は規定されておりません。自衛隊がなぜ出来たかというと、1945年に日本が敗戦を迎えて、日本の旧陸海軍は完全に解散をさせられてしまいます。ですから戦後日本というのは、独自の防衛力を何も持っていなかったということになります。日本は一時期アメリカによって守られていた、正式に言うと国連軍によって守られていたということになります。

 1950年に朝鮮戦争が勃発します。日本に進駐していたアメリカ軍が朝鮮半島に行ってしまうと力の空白が生まれますので、この空白を何とかしなければいけない。それでどうするか。ここでサンフランシスコ講話条約が結ばれて、日本は一応独立致します。独立国ですから、自分の防衛を何とかしなければいけない。それで警察予備隊令という政令でございますが、これによって自衛隊の前身たる警察予備隊が作られることになります。

 同時に日米安全保障条約も──これは今の条約ではなくて前の条約ですが──、結ばれるということになります。これも日本の憲法には何も規定されておりません。ここが元々のスタートなんです。

 そのうちに冷戦の対立が非常に激しくなってきて、日本は北に非常に脅威を感じるようになります。米ソという東西対立の中で、日本にとっては極東ソ連軍の脅威は毎年非常に高まっていく。ソ連から飛行機が毎日のように飛来してくる。そういう情勢が一時期続きました。これに基づいて自衛隊法、自衛隊になるんですけれども、それまで日本はどちらかと言うと安全保障条約はあったけれども、アメリカの戦争に巻き込まれたくないというスタンスでした。ソ連との緊迫が高まってまいりますと、むしろアメリカに見捨てられないようにしなければならないと思うようになります。

 1977年に基本的防衛力構想が出来まして、ここでガイドラインという考え方になります。この時から日本とアメリカの軍隊は条約に基づいて信頼性を向上させるための共同歩調をとるようになります。いわゆる共同訓練やハワイにおけるリムパックへの参加であるとか、そういうかたちの軍隊と軍隊の行動をこの時から始めるのですが、逆に言うとそれまでは条約はあるけれども何もなかったと言っていいと思います。

 1990年前後に冷戦はあっという間に崩壊してしまいます。極東ソ連軍を間近に見ていた脅威がある日突然無くなってしまったということになります。脅威が無くなったわけですから、そこで考えればよかったのかもしれません。日本はこの頃起きた湾岸危機に130億ドルの経済的支援をすると同時に、初めて国際連合平和維持活動に参加をすることを表明しています。これが1992年で、私が国連PKOに参加したのは正にこの時の活動でした。

 国連に平和維持活動の部隊を出す、停戦監視を出すというのは、有り体に申し上げますと、日本の防衛とは何の関係も無いということになります。巡り巡って、国際協力の中で日本の防衛に何らかのかたちで影響は与えるでしょうけれども、日本の防衛に直接的な影響は与えない、これがPKOであります。

 その時の冷戦後の防衛力のあり方の検討の中で、日本は日米安保よりも国連を主体とした国際協力の方に力を入れたほうが良いのではないかと考えたこともあります。これについてアメリカが危惧をしたのは事実です。日本はこの時、国連の常任理事国入りを本気になって求めていたのも事実です。

 その後、北朝鮮がきな臭くなって、北朝鮮のミサイル開発、核開発が我々にとって非常に目に見えて大きな問題になってきました。それで周辺事態法という法律ができます。これはいわゆる安全保障条約の第6条に規定されている、いわゆる極東においていろんなことがあった場合にアメリカの行う行動に日本が支援をするための法律です。ガイドラインも見直されました。日米安全保障条約は第5条で我が国の有事を、6条において極東有事が述べられていますけれども、5条と6条のそれぞれについてガイドラインで決められるようになりました。これが1997年のことであります。

 これに基づいて周辺事態安全確保法や船舶検査法、米軍が行動することに関していろいろな関連法規が作られました。その後起きたのが9.11と、それに基づくアフガニスタンやイラクに対する米軍の行動です。当時の法律のどこを読んでもアメリカを支援することは出来ません。日本が何をやったかというと、特別措置法という期限的な法律を改めて作って自衛隊を派遣します。インド洋では主として海上自衛隊が、イラクにおいては陸上自衛隊と航空自衛隊が活動します。当然、この作戦が終わればこの法律も終わるということです。

 ここからが今後の話なんですが、今、審議されている安保法制というのは、どんどん変わってきた我が国の安保法制の延長線上にあるものでは無い、と私は見ています。安保法制の改正の本質というのは、いずれにせよ脅威?が少し変った──脅威は?付きですけれども──、この脅威をどう見るかについて、国として定まったものはございません。正式に中国が脅威であるということを我々は一度も言ったことはありません。政府も言っていませんし、これは人やいろんなものによって意見が別れるところだろうと思います。今まで領域内でしか認められなかった自衛権を、存立事態というものを決めることによって、もうちょっと我が国の武力行使の範囲を広げたのが今回の法制になるのだろうと思います。

 あわせて、重要影響事態という、従来周辺事態にしか認められていなかったものが地球規模の拡大されます。米軍だけ同盟国ではなく、他の国に対しても行える国際協力、国際協調のいろいろな軍事的な作戦に日本は支援を行うことが出来るようにする、これが今回の法制の基本的な枠組みだろうと思います。

 いろいろあるのですが時間もないですので、基本的に私の思うところを述べたいと思います。新しい3要件の2項と3項というのは、あまり変わりはありません。3項は全く変わっておりません。ですから1項の存立事態が大きく変わったということになります。3要件の新旧を比較すると、我が国の存立に重要な影響を及ぼす、根底から覆されるような明白な危険がある、このような事態も武力行使の要件に致しましょうという、これが新3要件です。

 今まででしたら、我が国の領域や国民の生命財産に直接的な脅威があって、それが実際に行われれば、無条件に自衛権は発動できる。問題は、この存立事態という事態がどのような事態なのかという説明が何回聞いてもよく分からない、というところなのだろうと思います。

 事態認定という極めて重要な要素が書かれています。「このような事態になったら我が国は武力を行使しますよ」という事態認定をしなければいけない。この認定は誰がするんですかと言えば、時の政権がするということになっています。第三者的な認定条件は、誰がどうやっても分かりません。地震のようにマグニチュード8以上とか、震度6以上とかそういう具体的な根拠がありませんので、これがいわゆる存立事態だと政府が認める、正にそのことこそに核心がある。これは失敗をした時にしか分かりません。分かるでしょうか。「これは存立事態ではない」と言っていたのに、我が国が攻められて大変なことになったら、なぜそれを存立事態として認定しなかったのか、ということが分かります。但し、一旦認定をして武力が行使されてしまったら、武力行使しなくても良かったかもしれないということは絶対に検証できないんです。そこに最大の問題点があって──良い悪いではないですよ──、この存立事態というのをどれだけ政府と実際に武力を行使するいわゆる実力集団たる自衛隊と、一般の国民とが等しく意識を共有できるか否か、ここに存立事態の基本的な問題があるのだろうと考えます。

 自衛隊の任務も変わってまいります。自衛隊法の第3条です。第3条には1項と2項があるですけれども、1項はいわゆる周辺事態であり、2項は国際平和協力、PKOです。これは現行の第3条から「直接侵略及び間接侵略に対し」という文言と、1項から「我が国周辺の地域における」という文言が消えるだけです。自衛隊法の改正については非常に簡単なんです。今まで但し書きがついていた部分から但し書きが取られるだけです。

 その他にも、先ほどもあった国外犯規定であるとか、武器に対する95条、武器等防護のための武器使用と言いますが、それに第2項が加わったり細かいところはあるんですけれども、任務的には基本です。何度も言うように、「同項の主たる任務の遂行に支障を生じない限度において」、すなわち我が国が有事になって、我が国防衛をするという任務の遂行に支障が出ない範囲において、「武力による威嚇又は武力の行使に当たらない範囲において」、1項(重要影響事態)と2項(PKO)をやりますということです。

 したがって、本来任務は我が国防衛です。1項と2項、いわゆる重要影響事態とPKOはあくまでも付加任務です。言い方を変えれば、1項と2項、重要影響事態とPKOは希望者を持って行う、逆に言うと嫌だと言うのなら行かなくても良いよ、という性格の任務だと理解を頂ければよいかと思います。

 問題点です。切れ目のないシームレスな事態対処というのが今回の法制改革の一番重要なファクターなんですが、これはグレーゾーン対処と言われています。裏を返せば、エスカレーションを想定していないということになります。

 小さなうちから芽を摘みましょうということは、逆に言うと、小さなうちから事態がどんどん予期せぬように拡大をしていくというおそれがある──これは悪いと言っているわけではありません──、これは我が国防衛のために必要ならばぜひともやらなければいけない。問題はこれをコントロールするのが、シビリアンコントロールと言われている枠組みの中には、エスカレーションをどうコントロールしていくかというシステムが構築されていない。システムとして我々の前に明らかになっていない、ここが最大の問題だろうと思います。

 武力行使に至らない事態は正当防衛、緊急避難で、95条の準用というかたちで集団的自衛権の絡みの中で説明がされています。正当防衛、緊急避難に至らない間は相手に向かって撃ってはいけないということです。上空に向かって撃つ威嚇射撃はいいんですけれども、相手に向かって撃ってはいけないということです。

 非常に発達した近代、現代の兵器体系の中で、相手に当たらないように撃つというのは、非常に難しいということをご理解頂きたい。レーダーで索敵して、照準をしてボタンを押したらミサイルが間違いなく相手に当たるように飛んでいくんです。相手に当たらないように撃つというのは、実行上はそんなに簡単ではない。そういう難しいことをこれから現場は悩まないといけなくなるということであります。武器等防護の95条については今日は省略を致します。

 先ほども言いましたように、本来任務と付加任務とで乖離があります。同じ所で勤務している自衛隊が、もしかすると一方は命令を拒否できない任務で、もう一方は自由参加型のPKOであったりする、現場における乖離というか、そういうことがもしかしたら起きるかもしれない。それは自衛隊にとっては大きな問題だろうと思っています。

 課題です。いずれにせよリスクが高まるのかどうかは別にして、地球規模の活動になるのは間違いがないので、これを担保しようとすることは法律に書かれている以上に実は難しい。アルジェリアのイナメナスというところの天然ガスプラントでテロに遭って日本人が10名殺害されました。そういう事態にも自衛隊は出て行くのか。これは大変です。まず情報を取る必要があります。地球規模でテロやいろいろなことに対応するためにどうやって情報をとるのかというのは、非常に大きな問題だろうと思います。「情報はアメリカがくれる」と言ってしまった瞬間に、アメリカの情報のとおりに動くのか、ということになります。情報というのはなんとしても独自にとって自分で最終的に決断する、情報を持っているか持っていないか、これが全てのカギになりかねないと思います。

 アメリカだけではなく、いろんな国と行動を共にしなければいけないことにもなります。しかし、これを平時の段階からどうやって実効あるものにしていくのか、これは思うより簡単ではございません。言い方を変えれば、平時において何もない状況で、しっかりと事前の準備をしない限り、本番には臨めないということです。こういうことをこれからどんどんやっていこうとすると、非常に大きな課題があるとだけ申し上げておきたいと思います。

 いろいろありますが、元自衛官として申し上げておくならば、国家の存立事態に危険を顧みずに行動すること、自衛官のリスクが高まったのかどうかなどという議論がありましたけれども、自衛官としてはいささかも問題ありません。何の問題もありません。我が国を防衛する行動と、政府が言っている存立事態で行動することに何の変わりもないと私は思っております。

 但し、これ以外で命を掛ける、命を掛けさせるためには大義と名誉が必要です。これを与えられるかどうか。アメリカは与えています。これらの行動を続けていけば、間違いなく自衛官の中で、任務の途中で倒れる者が出てくることでしょう。これはいつになるか分かりませんが、今まで無かったのが不思議なくらいで間違いなく起こると思います。

 アメリカにはアーリントンという国立墓地がございます。このような行動で、もし自衛官が倒れた場合、さてその自衛官はどこに埋葬されるのでしょう。そのような施設は日本の国の中にあるのでしょうか。

 私は自衛隊が過去六十数年間、憲法違反だ、税金泥棒だとずっと国民から叩かれながら、ようやくここまで来た、これに対して政府は何をしてくれただろうかということをたまに考えます。今年、安部総理はアメリカに行った際、無名戦士の墓を訪れて献花しました。アメリカでは必ずその国の代表に対して献花をして頂きます。さて、このような施設は我が国にあるでしょうか。千鳥が淵があるよと言う方もおられるし、靖国神社があるじゃないかという方もおられると思います。ただ、昭和52年以来、靖国神社には一度も陛下は訪れられていません。国家の元首や政府の代表者が頭を垂れるような施設をこれから考えるんだと言われればおっしゃるとおりと言うしかないんですが、このようなことを考えていない、そこが実は今の法制の一番重要な問題点ではないのかなと思っています。

 軍法会議などもさきほどご指摘のあったです。もし、自衛官が海外で過失をし、いろんなことが起きた場合、その自衛官は国際刑事裁判所と言われる裁判所で裁かれることになります。その時に誰が守ってくれるのでしょうか。守るためには弁護士が必要ですが、今の自衛官に弁護士資格を持った人間は一人もおりません。それはそのような資格を持つ人間を出す必要がなかったとかいろいろあるかもしれませんが、こういうことを含めてこれから解決すべき問題は非常に多くあると思っています。これらは細かいことかもしれませんが、これから1つ1つ解決していく必要があるのではないかなと申し上げて、終わらせて頂きます。


石田法子 大阪弁護士会前会長

市民の目線でとらえた戦争法案の問題点
石田 法子

大阪弁護士会前会長・憲法が心配な一市民

 私はいつも思うんですが、安保法制の問題は本当に難しいと思いませんか?だいたい漢字が多すぎる、言葉が日常会話ではおよそ使わない言葉です。今日配られております資料にも安全保障法制の全体像を比較的わかりやすく書いて頂いているんですけれども、重要影響事態、周辺事態、存立危機事態などいろんな事態が書かれておりますが、これがどういう事態なのかということは一度説明を聞いたくらいでは分からない。

 私は防衛とか安全保障とかに関して素人だから分からないのかなと思っていたのですが、今、渡邊さんの方からも分かりにくいというお話を聞いて、プロでも分からないのかなということで安心したところです。こういう分かりにくい内容の安保法制を作ろうとしているのは、「もうええわ、分からへんわ。だからもう偉い人に任せとくわ」という気持ちにさせようということなのかなと穿った考えさえ持ってしまいます。

 日頃、私は弁護士として、相続だの離婚だのといった事件、一般市民の紛争を主に扱っております。防衛と言えば、DV被害者を加害者からどう防衛するかというレベルですし、国境の問題を考えるというよりも、隣地との境界が数十センチ違う、数メートル違うというようなことで頭を悩ませているというような状態です。日常会話で安全保障についてどう思うということを友達と話をするような機会というのもそうありません。同窓会か何かに行ってそんな話をしたら嫌がられるだろうなと思います。ただそれは今までの話であって、今この国で起こっていること、国会内で審議されていることを考えてみますと、これからはこの問題についてもしっかり考えていかないといけないのではないかなと思うところです。

 今日、お話を頂きました3人の方々は国際政治の専門家であり、防衛のプロであり、現場で事実や実態はどうなのかを聞かせて頂くと言うことは、自分自身がこれからこの問題を考える時の前提として、非常に役に立つのではないかなと思って、私は今日の話は是非聞いてみたいなと思っておりました。

 今国会に提出されて審議されている安全保障法制の改定案──面倒くさいからこれからは戦争法案と呼ばせて頂きますけれども──、これを政府は国会の会期を延長してでも今国会で成立をさせてしまおうという構えで望んでいます。国会内の多数を占めているということで、絶対に通してしまおうということで進めておりますが、このまま成立してしまえば、我々国民の意見を聞かないまま、その時々の政府の解釈だけで集団的自衛権を行使するということで、同盟国アメリカと一緒に世界の果てまでどこまで行っても、いつでも戦争が出来る国、出来る国からする国というふうに持っていかれるのではないかという危惧を感じております。

 私は弁護士でもありますので、物事を考える時には法的な観点から考えると──頭の動きがそうなっていますので──、やはりこの問題については、憲法に違反するのかどうか、ということを中心に考えるということになります。

 憲法というのは国の最高法規です。その9条に書かれている戦争放棄、武力の不保持、恒久平和主義が根底からひっくり返されてしまう。国民が真剣に考えて、覚悟を持ってこれを変えようということであれば──私は反対ですけれども──、そうであれば仕方がないだろうと思うんですけれども、憲法改正の手続きを経ないで、憲法を根底からひっくり返してしまおうというのは、どうしても許しがたいことではないかなと思っています。

 こういう問題は難しいと言いましたけれども、やはり自分の頭で考えて、自分の言葉で喋って、この法案の問題点を掴んで、自分の周りから広げていくということで、この法案の今国会の成立を阻止しなければならない、これは国民の責務ではないかなと思っております。

 今日の私のお話なんですが、2つの立場からお話をさせて頂きたいと思います。一つは、前年度の大阪弁護士会の会長であるとともに、日弁連(日本弁護士連合会──日本全国の弁護士の強制加入団体)の副会長をしていた関係で、日弁連がこの問題に対してどのような立場をとって、意見を述べているのかということを最初に簡単にお話させて頂きます。

 昨年7月1日に政府は閣議決定を致しました。国の存立を全うし、国民を守るために切れ目のない安全保障の整備についてという標題の閣議決定です。この内容というのは皆さん既にご存知かと思いますが、集団的自衛権の行使を容認するという内容になっておりまして、これまで違憲だとされていた集団的自衛権の行使を、政府の解釈によって変えてしまうという解釈改憲と言われているものです。我々法律家としては、これはあり得ないという話です。この閣議決定に対して、日弁連は立憲主義に反するものであり、国民主権に違反するものであるといったところから撤回を求める意見書を出しました。この意見書は二十数ページに及ぶものですので、詳細については割愛させて頂きますが、そういう意見を出しました。

 更に5月15日に安全保障法制、戦争法案が国会に提出されましたので、今週の木曜日(6.18)に日弁連で意見書を出しました。先ほどの説明と同じく、立憲主義の基本理念、憲法9条の恒久平和主義と平和的生存権の保障、国民主権、これらの基本原理に違反するものであって違憲であるということで、この法案の制定に対しては強く反対するという意見書を出しました。日弁連としては、やはり法律家として憲法を学び、法律を学ぶ立場として、この国会の動きの対しては一貫して反対の立場をとってきております。一昨日(6.18)の日弁連の理事会でこの意見書が通ったわけです。この理事会というのはどういうものかと言いますと、日本中にはいろんな弁護士会があります。大阪には大阪弁護士会がありますし、奈良には奈良弁護士会があります。そういう全ての弁護士会から会長を主とした代表者を出して、日弁連の意志を統一するということなんですけれども、そこでは1人の反対もなく、全員一致でこの意見書が通ったという状況です。

 立憲主義とは何かということを話したいんですけれども、喋っていると時間がなさそうなので、残念ながらそこは割愛させて頂きますが、憲法で定める改定手続きを経ずして、解釈改憲で変えてしまうというようなことは立憲主義にももとりますし、法の支配──法の支配が重要であるということは世界中の共通認識なんですけれども──、その法の支配にももとります。去年の秋に東京でIBA(国際法曹協会)の総会がありました。安部首相はその時に出席されて、いかに法の支配が重要であるかという演説を滔々とされていました。外国からの出席者は日本の総理大臣はすごい、法の支配が大事であることをあれだけ高らかに謳っているって感心していましたが、私は、何を言っているんだと思っていました。

 政府も違憲行為をしてはいけないという認識はあるのか、一応この法案は合憲だと主張しています。しかし、合憲の根拠として持ち出してくるのが、最近皆さんお馴染みだと思いますが、砂川事件の最高裁判決です。これは1959年の最高裁判決ですから、もう既に50年以上経っている古いものを持ち出してきて、これを根拠としています。しかしながら、この砂川判決というのはどう考えても合憲の法的根拠にはならない。裁判というのは──裁判をされた方でしたらお分かりかと思うんですけれども──、その争っている点、争点についての判断を下すもので、それ以外のことは判断は下さない。そういうものですから、この時点の場合、集団的自衛権が違憲、合憲などということは争点にはなっていなかったので、それに対しては何の判断もしておりません。主に砂川判決を持ちだしているのは、高村さんですけれども、高村さんは「公理からそう解釈する」とか、或いは「判決が違憲だとは言っていない」と言うようなことで、これが合憲だとする根拠とされております。

 しかしながら、公理から見ても独自の解釈をしない限りは、普通の法律家の頭では集団的自衛権を認めている判決であると理解することは出来ないと思います。高村さんも弁護士です。よく司法試験を通って来られたなというのが率直な感想です。

 また、高村さん自身が1999年に外務大臣として──集団的自衛権は必要だという立場は変わっていないんですけれども──、ご自身の言葉として集団的自衛権行使は違憲だとはっきりおっしゃっているので、1999年から今までの間にどこでこのように認識を変えたのかわからないですけれども、ご自身がそうおっしゃっていました。それと、最近「憲法の番人は最高裁判所なのだ、憲法学者ではない」ともおしゃっているんですけれども、それを聞いて何を言っているのだ、と思いました。それなら一票の格差について、参議院選挙で違憲状態だと言っている、それを先に片付けてくれよという話ですよね。それだけではありません。数年前に非嫡出子の相続分が、嫡出子の相続分の半分だというのは違憲だということで裁判になりまして、最高裁がそれは違憲だというはっきりとした違憲判決を出しました。ところがこれに対して、美しい日本を守ろうという人たちの方から、最高裁に対する反発が凄かったです。何を最高裁は勝手なことを言っているのかと、そんなことを認めればこの美しい日本の家庭の秩序が乱れるというような発言もありまして、何を思ったのか去年ぐらいから相続法の改正を持ち出してきました。目的は正妻の権利を守ろうということです。これほど最高裁の判決を無視してきたのに、最高裁は憲法の番人だと、そんなことを急に言うのはどう考えてもおかしい。これは私だけではなくて、多分最高裁の判事もみんな苦笑していると確信しております。

 私は弁護士ですので、もしもこの戦争立法が通ってしまえば、いつかチャンスを見て違憲訴訟をやってやろうと思っています。その時はぜひ原告になって頂ければと思います。私は今の最高裁はいろんなことがあって思うところはいろいろあるんですけれども、まだ信頼できるところがあるんです。しかし怖いのは何かと言いますと、今の政権は最高裁人事、特に最高裁長官人事にも手を入れようと考えているのではないかと思わせるフシが多々ありますので、NHKのようにお友達人事を最高裁にされるとこれは絶対に嫌だなと思います。

 そもそも三権分立というのを中学校の時に習いましたよね。私は習った時に感心したんです。グーとパーとチョキのようにどれも勝ったり負けたりと。このようにバランスをとるという三権分立はすごいと感心したんですけれども、多分、安部首相は三権分立も習ったのを忘れていらっしゃるんじゃないかなと思っています。

 残念なのは、高村さんも北側さんも皆弁護士です。北側さんは大阪弁護士会の会員です。それから自民党政調会長の稲田さんも大阪弁護士会の会員です。弁護士議員は沢山います。たくさんいる弁護士が合憲だといい、或いはそれに反対の声を述べない状況というのは非常に悲しいと思っています。砂川判決どころか、憲法なんか何をグダグダやっているんだというような発言まで出てきて、非常に危険だなと思います。

 市民の立場からということですが、今回の戦争法案が抑止力にならないんじゃないかということは、今それぞれお話を頂いたところですが、それは素人でもそう思いますよね。隣が棍棒を持っているから、こっちは拳銃を持とうか、そうしたら向こうは機関銃を持つだろう、そうしたらこっちも心配だからバズーカ砲を持とうかというようなことで、おそらくそういうふうに繋がるおそれがあるんじゃないのかなと思います。このままだと、いずれ誰かが血を流すという事態が来ることは明らかです。抑止力の方向ではなく、誰もが血を流すことのない方向へいくべきではないかなと思います。そういうことで今お話を頂いた9条を維持する方向で考えなければならないなと思いました。

 それと、心配なのは防衛費をどうするのということなんですよ。武器って安いものではないですよね。100円ショップとかでは売っていませんよね。この前、自衛隊がオスプレイを買った時もすごく高かったですよね。どんどん防衛費が増えていく、そんなお金がどこにあるのかなと。今でさえ債務超過で苦しんでいるところですので、どこからお金が出てくるのかな。今の日本は少子超高齢社会です。そういう中で福祉が削減されていく。これは大変なことです。アメリカでさえ、アフガニスタン等で軍事費がかさんでもうやっていけない、誰か肩代わりが欲しいと考えている状況の中で、日本が一体どこまでお付き合いできるんだろうかと思います。

 また、どんどん外国に行って戦争するということで、日本の敵国が増える、そうしたらテロの標的として日本が代償を払うということにもなる。そうすると、ただでさえ数少ない若者が戦場に行き、命を失うという危険に晒される。戦争に行っても役に立ちそうもないお年寄り、我々がテロの脅威に怯えながら、福祉予算を削られて年金も削られて慎ましやかに生活する、そんなことになるのって嫌だなと思いませんか?私は嫌です。そんな日本にはしたくないと心から思います。

 今、世論でも「これはちょっと変じゃないかな」「僕達の意見も聞いてくれ」というような気持ちを持っている人が多い。今の法案の審議の進め方についても同じような気持ちを持っている人は多いんじゃないかなと。これだけ根本的なところを変えるんだったら、国民にそれ相応の覚悟を持った議論をして欲しい。自分自身の問題として考えて欲しい。今の戦争法案は数に任せて国会を通ってしまいそうな勢いではありますけれども、潮目が変わったとはいえ、最後は強行採決もないとは言えない状況の中で、ブレーキを掛けるのは世論しかないと思います。今日ここにおいで頂いている方は、戦争立法には反対だという気持ちを持っていらっしゃると思うんですけれども、もっと増やさなければいけない。もっと世論を強くしていかなければならない、身近な人からお話をして説得をしていかなければならないじゃないかな。世論を広げて与党の議員さんに働きかけていくというようなことも含めて、考えていかなければいけないのではないかと考えています。

 最後になりますけれども、女性の立場から一言だけ言わせて頂きます。私は弁護士として40年、女性の権利を中心に関心を持ってやってまいりました。最近はDV被害やストーカー被害に関わっていますが、アメリカなんかで帰還兵のDVはすごく──やはり精神的なストレスなんかもあるんでしょうけれども──、日本で戦争に行かなければならないということになった場合、私にはまだまだ活躍の場が残されることになる。──でも、そんなことで活躍したくないです。そろそろ余生を楽しみたいので──、DVが増えていくような社会というのは絶対にあってはならないと思いますし、戦争をする国の中で女性の権利なり地位なりが上がるわけはないので、女性の権利という観点からも問題です。今の安倍政権は、アベノミクスの中で女性の登用、女性の活躍というものを上げており、今、国会に女性の活躍推進法案というものを出しております。しかしながら私がみるところ、あくまで経済戦略ですから、使える女、役に立つ女は活用しましょう、活躍してもらいましょう。そうでない人は使い捨てでいいです、ということなのではないかなと思います。昨日、労働派遣法の改正案が衆議院を通過しました。これは典型で派遣労働者というのは女性が多いですけれども、企業は人を変えれば派遣を使い放題、派遣労働者にとってはなかなか正社員になれない、雇用の安定が図れないというようなことで、弱い立場の女性というのは立場が悪くなる一方というのでは、本当に女性を活用しようと考えているとは思えません。

 また、集団的自衛権の行使が必要な理由の一つの例として、フリップに描かれたお母さんが心細そうに赤ちゃんを抱いているものがありましたよね。こういう日本人を救わなくて何がどうこう…ということなんですが、あれを見るとイラッとしませんか?たぶん多くの女性はイラッとすると思うんですよ。女性は守ってやる対象だという意識が出ている、そんなんで助けてくれるんだったら、最初からそんな状態に置かないでおいてくれよと思います。女性の立場からもこの法案については絶対に阻止したいというのが私の意見です。


柳澤協二 元内閣官房副長官補、国際地政学研究所理事長

第2部 討論
コーディネーター・柳澤 協二

元内閣官房副長官補、国際地政学研究所理事長

 会場から非常に多くの質問を頂いております。個別の方へのご質問もありますが、ざっと見た限りで私がお話を伺う中でぶつけてみたいと思っていた質問もありますので、まずはそれを持って代表の質問とさせて頂きたいと思っております。

 関西企画でありますので、石田先生がご適任かどうか分からないのですが、最近話題になっている、安倍首相と橋下徹さんが3時間も飯を食ったとか、維新の会の対案について橋下徹さんがブログでこんなものは対案でも何でもないというような話をしたりとか、橋下さんは私のような東京の者から見ていると大阪でお祭り騒ぎをやっている人という印象しかないんですけれども、あの辺の動きを一大阪府民としてどのように見て、どうお感じになっておられるでしょうか。その辺りを端的にお伺いしたいと思います。


石田法子 大阪弁護士会前会長

石田 申し訳ございません。橋下さんも大阪弁護士会の会員でございます。橋下さんの魅力は私にも分かりません。ただ、大阪でこれだけ票を取られるということは、アピール力と、敵を作って敵を攻撃することで自分に味方をつけるといったテクニックに長けていらっしゃる方なので、そういうのが政治家として人心を惹きつけるという点があると思います。


柳澤 それというのは小泉内閣以来の一種のポピュリスト政治の常道なんですね。分かりやすい敵を作って、小泉さんは自民党の中の保守派、守旧派を敵にした、民主党は官僚を敵にした、そして今、安部総理は誰を敵にしているんだろう。中国と護憲派を敵にしているんですかね。そういうかたちで非常に分かりやすいけれども、実はあまりにも単純な見方であるが故に、そのまま鵜呑みにしてそっちの方に走っちゃうと国がヤバイなということをいつも私は感じているんです。

 次に加藤さんのお話の中で、そもそも合憲か違憲かというのなら、自衛隊そのものが違憲だろうという、かなり刺激的なお話から始まったものですから、ただこれは私どもの「自衛隊を活かす会」のスタンスから言っても、もちろんそういう意見があっていいんだけれども、今問われているのは、憲法の規範性という意味で言えば、大多数の国民は今までの政府の憲法解釈、日本が攻撃を受けた時のために自衛隊があって、自衛隊が武力行使をして戦うというのは、多くの国民がそう認識し、自衛隊もそう認識し、覚悟して、それがある意味、先ほどのお話にもありましたけれども、憲法9条の生きた中身なんだろうと思うんですね。

 それを変えようとする意味で、私は憲法学者でもないので論理的にどうかというよりは、そういう主権者たる国民の合意とその認識を超えるという意味で、現実の憲法の規範性を超えているということではないかと思うんです。これは法理論ではないんですが。

 自衛隊の立場から言うと、自衛隊員の服務の宣誓というのは「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め、もって国民の負託にこたえることを誓います」となっている。「国民の負託」がどこにあるのかということが、非常に重要なんだと思うんですね。

 渡邊さんは先ほど、真面目な自衛官は「これが日本の危機だ」と言って政治が命令を下せば、「自分達はそのためにいるんだ」ということでやると。それが本当に日本の危機なのかどうかと言われれば、政治的な価値判断には立ち入らないというのがあるべき真面目な自衛官の姿だと思うんですが、国民の負託の規範性、或いは国民の負託が自衛隊の任務に与える正当性というものが、やる気に与える影響というのか、その辺のところを法律家である石田先生と、渡邊さんにお聞きをしたいと思います。

 自衛隊の服務の宣誓というのは、先ほど渡邊さんがご紹介頂いた自衛隊の任務という自衛隊法第3条の規定も含めて、法律的に言うと一種の自衛官の雇用契約の中身であるのではないのか。そうするとそれを超えたことを強制するとすれば、一種の契約違反にもなるのではないかと、石田先生には法律家の観点で先ほど違憲訴訟をやるとおっしゃっていましたけれども、これも1つの切り口になるのではないかと思うんですが、その辺も含めてお二人からコメントを頂ければと思います。


石田 能力を超えた難しいご質問を頂きました。自衛官の方がそういうことで行きたくないのに行かされるから裁判してくれと言われれば喜んでさせて頂くんですけれども、ただ訴訟というのは原告がいないと出来ないので、そういう自衛官の方がいらっしゃらなかったら、その切り口からの違憲訴訟というのはできないのだろうな、一般国民としての切り口から考えていくしかないのかなと思っています。

 正直申し上げまして、自衛隊をどう考えるか、合憲違憲ということは、何十年も前から頭の中ではとんでおります。難しいんですよね。違憲だと言ってみたところで現実にこれだけ根付いて国民の8割が自衛隊を容認している。やはりそれなりの働きもされていて国民の中に浸透しているので、今更、違憲と言ってもなぁと。でも文字面から言えばなぁといったところで、考えることを放棄しております。でも、そうも言ってはいられないんだろうなと、ここはしっかり結論を出さなければいけないんだろうなと思いますが、まだ結論を出すには至っておりません。今日、会場の後ろで販売されている自衛隊に関する本を買って帰って、これから勉強しようと思います。


渡邊隆 元陸将

渡邊 私が防大に入りましたのは1973年、昭和48年です。長沼判決において自衛隊は違憲であるという判決が出された頃です。そのような中で防大を選択をして、これから防衛の仕事につくかもしれないという、そういう教育を受けている自分達は、同僚あたりとそのような議論を毎日のようにしました。そもそも自衛官には基本的人権は認められていないのではないか、そういうことの議論を重ねました。それは自分が部下を持った時に非常に役立ったと思います。私が防大の時、教官は次のように言いました。「君たちにそもそも基本的人権など無い。憲法で等しく認められている権利は君達には無い。それは君達が自らの意志で差し出したものだ」という説明を受けます。民主主義という他に比べればよりベターだと言われている社会制度、政治制度というのは、ある一定の個人の犠牲の上に成り立っているものではないかと私は教育を受けます。極めて一握りの献身によって──これは軍人だけではありません。警察官もそうでしょう。消防官もそうでしょう──、自らの要望などをある程度我慢をすることによって、他の方々の最大多数の幸福というか、そういうものを担保する、そのような集団がいなければ、民主主義は成り立っていかないのではないかという感じがしております。三十何年も自衛官をやっていますと、その辺のところは私なりに固まってきます。但し、これから自衛官を目指そうという若い十代の子達に、今どのようにして「自衛官はやりがいのある素晴らしい仕事だよ」と言うか、非常に悩んでおります。私には息子が2人いまして、2人とも自衛官をやっております。その子達は私が感じたよりももっと悩んでいるかもしれないな、などと思いながら、実はそのような会話をしたことがありません。


柳澤 それぞれに個人としても抱える問題であるということが十分理解できれば、私はいいと思います。

 加藤さんにお答え頂きたいんですが、先ほど同盟論の話、抑止力論の話があったと思うんですが、日本という国は戦後一貫してアメリカと安保条約を結び、同盟関係にある。その同盟の関係性というのはどういうものなんだろうということです。

 安全保障の教科書で勉強すると、小さい国は大きい国と同盟関係を組んだ時に絶えず2つの恐怖がある、捨てられるのではないかという見捨てられの恐怖と、戦争に巻き込まれるのではないかという巻き込まれの恐怖というのがあると。これはある種の宿命みたいなものだろうと思うんです。

 先ほど、渡邊さんから戦後の防衛政策の振り返りをご説明頂いたんですが、見捨てられの恐怖を感じる時と、巻き込まれの恐怖を感じる時とで、同盟政策はガラッと変わってくるはずなんですよね。そしていずれにしても、それは果たして健全な関係と言えるのかということです。

 やはり国の大小は争い難い、軍事力の大小も争い難い、だとすると──私もアメリカのカウンターパートと話している時に、この同盟が“ヘルシー”なのかどうか、という言葉を聞いたことがあるんですが──、そういう観点から今、日本に欠けているものは何なのか。揺れ動く見捨てられの恐怖と、巻き込まれの恐怖の中でどういうふうにしていけば、──例えば、田母神俊雄さんが言っているように、だから自前の核を持つんだというのも1つの答えなのかもしれないけれども──、そこをどう乗り越えて言ったらいいんだろうか。

 結局、ここに確固たる日本独自の信念を持たないと、いつまでたってもアメリカの顔色を見ながら振り回される側面が消えないような気がするんです。そこら辺を加藤さん、渡邊さんからお考えをお聞きしたいと思います。


加藤朗 桜美林大学教授

加藤 結論から申しますと、日本が確固たるアイデンティティ、「これが日本だ」というものを持てばよい。それは何かと言うと、やっぱり憲法9条です。私達は憲法9条を持っている平和大国であるということです。唯一日本が大国だと名乗れるのは、平和大国だけです。

 皆さんがどのようにお考えになっているか知りませんが、もはや日本は経済大国ではありません。技術大国でもありません。もう二度と、日本は世界の中の大国になることもありませんし、アジアで随一の大国になることもありません。未だに私達は自分達の国があたかも大国であるかのような幻想に陥りながら、安全保障法制も含めていろんなことを、中国や韓国、或いは他の国々との関係を考える癖がついていました。しかし日清戦争以来、私達の国はもはや大国から転落した、二度と坂の上に雲は出てこないという、そういう時代にいます。その覚悟を踏まえた上で、私達が最後に踏ん張れるところというのは、憲法を守ることです。

 但し、ただ単に憲法を守れと言ったところでどうしようもありません。私達の国が憲法を断固として守っているということを、世界にどのようにして知らせるかということです。それは──また私は過激なことを言うかもしれませんが──、9条に殉ずる人間が出てきてこそ初めて、私達は憲法を守っているということを世界に知らしめることが出来ると思います。今、その覚悟があるかどうかが、私達に問われています。じゃあ、お前が民間PKOで行けと言われればどうするんだと言われれば、私は本当に喜んでいきます。20年以上前からこの民間PKOのことを言い続けてきました。今、それを9条部隊という名前にして民間PKOを作ってはどうかということを言い続けているんですが、残念ながらほとんど賛同者が得えられないという悲しい現実です。

 繰り返しになりますけれども、どれほど自分達が憲法9条を守ることができるか、憲法9条を守るためにどれだけの自分達の犠牲を払うことが出来るか、ということが今後の日本のあり方を決定すると思います。それがアメリカや中国とある意味で対等な関係に立てる、唯一の方法だと私は信じています。


渡邊隆 元陸将

渡邊 日米同盟を現場で実際に実行するということは、実はなかなか簡単ではありません。文化も違うし、当然言葉も違います。1977年に日米共同訓練が開始されてから40年以上になります。最初は非常に強い、大変お金持ちの先生から、貧しい生徒が教わるような感覚で始まったというような構図で始まったのが日米共同訓練だったのかもしれませんが、段々変わってまいりました。アメリカ自体のパワーが相対的に低下をしてきたということもあるのかもしれませんが、日本が国際社会の中で力をつけてきて、経済的にも発展してきたということもあるのかもしれません。

 今、加藤先生がおっしゃったように、経済的にも軍事的にも、政治システム、民主主義という観点からも、とても日本はアメリカと肩を組んで対等だなどと言えない状態であることは間違いはないと思いますし、軍事の世界では極端です。

 日米同盟は国際情勢の変化の中で、常に揺れ動いてきたというのが実態だろうと思います。ただ、私として大変ありがたかったのは、我々の先輩と言いますか、かつて日本はアメリカと本気になって、新面目で戦ったことがあるという事実であります。それは彼らにとっても非常に大きなインパクトがあって、その次の次の世代が我々という観点で、アメリカが接してくれたこと、これが第一です。第二はアメリカだろうが日本だろうが、多分中国だろうが、どこの国だろうが、普通の軍人であれば共通の価値観というか使命感というか、そういうものを共有することが出来た。実はこれが日米同盟の最も基本的なものではないかなと思います。

 冷戦が終わってからアメリカの軍人が常に言い続けたことは、セイム・バリュー、共通の価値観が分かち合える限りは同盟国として一緒にやっていける。そういう意味では、逐次、“上がったり下がったり”はしていますけれども、同盟関係は維持できたのかなと思っておりますが、過去も現在も決して対等ではなかった、と思っております。


柳澤 同盟の問題と国際的な役割の話ですね。護憲派の石田先生にもお伺いしたんですが、護憲派だけではなく、私なんかに対する批判として、「日本さえ犠牲を出さなければいいというのは一国平和主義だろう、日本さえ平和なら後はどうなってもいいのか」という批判があります。私はいいんじゃないかと思うんだけれども。そして今、一番大変なのはどこの紛争においてもお金なんですよね。意識的にお金を出していけば、お金をメッセージとしてしっかり出していけば、お金だって立派な貢献だと思います。しかし、そうは言いながら、実はどこか後ろめたさは感じざるをえない。そして、加藤さんがおっしゃるように、だから丸腰で命を賭して民間のボランティアがどんどん行くんだというのも理屈は分かるが、なかなかこれも難しいなと。

 この辺は石田先生に──もちろんいろいろこれからお考えになることでもいいんですが──、やはりそこに答えを出さなければいけない側面があるのだろうと思うんですが、その辺をどうお感じになっておられるか。渡邊さんはカンボジアPKOも経験されて、自衛隊の立場で自衛隊の貢献ということを主にお考えだと思うんですが、日本の存在意義が発揮されるかたちで役立つ手立てというのは、他にどんなものがあるのかというのをお聞かせ頂ければと思います。


石田 まず一国平和主義なんですが、私の関係している会社でもそうなんですけれども、今非常にグローバルな経済になっていますよね。だからかねてより一国平和主義でいたくてもいられないじゃないかなという気がしております。外国の紛争であっても、我々の生活に直に関係してくるところもありますし、それだけではなくて、虐殺だとか、子ども達が血を流している、そういう場面を見ると、やはり何とかしたい、自分達にできる事があるんだったら、この状況を何とかしたいという気持ちは、多くの日本人が持っているはずだと思うんです。

 では具体的にどうすればいいのか。今の段階では武力でもって何とかするんだということが正面から言われているわけなんですけれども、武力で何とかしてもそれは次の武力を産むだけだから、それ以外の方法というのが何かあるはずだと思います。

 では、お金かということなんですけれども、お金も出せる範囲のものは出すべきだろうと思いますけれども、今日本も経済的に豊かではないですし、これからどんどん縮んでいくと思いますから、お金を出せる範囲は出したとしても、それだけではないだろうと。

 先ほど来お話に出ている、我々は一度も殺したことも殺されたこともないという「非戦のブランド」をどう利用していくかということを、我々国民は真剣に考えていかなければいけないのかなと考えています。


渡邊 世界で、PKOのような多国籍が集まる中で活動していると、日本人というのは真面目で、自分自身を気にする国民なんだなということが分かってまいります。そういう意味で日本は自分が周りにどのように評価されているかということを非常に気にする国民であり、組織であるのかもしれないなと思います。ですから自己アピールをするよりも、他者が自分を見る目を非常に気にするところがあるのではないか、それは官の組織でも民の組織でも似たようなところがあると思います。それがPKOのような多国籍軍の中で感じたところです。有り体に言うと他の国はもっといい加減です。ものすごくいい加減な国もあります。それに比べると日本の組織、民も官も真面目で素直と言いますが、いい人ばかりなんだろうと思ってしまうこともあります。俗にいう“ずる賢さ”とは言えないんでしょうけれども、国際社会の中での自己アピールの上手さであるとか、強さであるとか、そういうものはまだまだ他の国に比べて日本は足りないのではないかなと考えてしまうことがあります。


柳澤協二 元内閣官房副長官補、国際地政学研究所理事長

柳澤 ありがとうございます。確かにそう感じることってあるんですよね。1か2しかやっていないのに、10も20もやっているような顔をする国ってありますよね。日本だって1か2じゃない、例えばISILで被害を受けた国の避難民の窮状のために2億ドル出すって、それで何人が何日食いつなげるのかということを考えれば、滅茶苦茶大きい額ですよね。だから2億ドル出して、200億ドル出したような顔をしたっていい、やり方はあるわけですよ。そこでISILと戦うなんて余計なことを言うから、余計な事件が起きたりするんです。やはりメッセージの出し方というのは凄く大事で、自分が感じている自己像と、メッセージをどう伝えるかというところは、これも外交の1つの大きな要点なんですが、いろいろ発想を多角的に考えなければいけないんだろうということが改めて分かりました。

 最後に私からまとめとして伺いたいのは、石田先生のお話の中で、今の方向で防衛費はこのままで済むのかという話、更に例えばベトナム帰還兵や、イラク、アフガンからの帰還兵のPDSDの問題がありますよね。これは自衛隊の経験から渡邊さんと、加藤さんからは安倍政権のこの戦略の下で、防衛費はどうなっていくのかという話、そしてもちろん自衛隊は言われれば頑張るんだろうが、その結果としての精神的な影響、ダメージといったようなところをどうお考えになっているのか、コメントを頂ければと思います。


渡邊 私の三十数年間の自衛隊生活のうち、十年間くらいは「どうやって予算を取るか」ということばかりやっておりました。財務省(大蔵省)に日参して、廊下で書類を持ってずっと立ちっぱなしで何時間も待つということも経験したこともあります。二度としたくありません。

 防衛費なんですが、今の安全保障法制審議の中で行われているようなことを全て自衛隊にさせようとするならば、とても今の防衛費で間に合うはずはない。これはもうお考えになればそのとおりだろうと思います。防衛費を出せるかといえば、今の日本の状態で、これ以上防衛費を出すということも非常に難しいだろうと思います。何か考えなければいけないですよね。

 日本の防衛費の一番大きな原因は、人件費と非常に高い装備費です。これを解決しない限り今の防衛費でこれ以上のことは出来ないと思います。日本は武器を輸出しない唯一と言ってもよい国です。そのことだけでも誇るべきでしょうが、逆に言えば、日本は非常に割高な武器を手にしています。また日本は少子高齢化の中で、非常に苦労して自衛官の募集をしています。これも考えなければいけない1つの問題だろうとは思っています。憲法を改正して自衛隊を軍隊にするよりも、こちらの解決の方が難しいのではないか、と思うくらいであります。

 私の個人的な感想を言わせて頂くと、自衛隊は今の状態でほぼ限界値を迎えつつあります。人はどんどん減っているのに、任務が増えて海外にも行かなければいけない。あらゆるところであらゆることをしなければいけない。地震が起きれば必ず行かなければいけない。火山が爆発すればすぐ行かなければいけない。これをずっとやって来たわけです。今はほぼ限界です。これを超えて更に何かやれというのは、私はいささかどうなのだろうか。今の安保法制がいい悪いの判断ではなくて、私はこれ以上自衛隊を使うことが果たして出来るのだろうか、とそういう素直な疑問を持っているので、いろいろ言っているわけであります。


加藤朗 桜美林大学教授

加藤 渡邊さんのお話にもありましたように、私もこれ以上、自衛隊を量的に拡大するのは予算的にも人的にも無理だと思っています。だからこそ自衛隊は海外に出すべきではなくて、専守防衛に徹するべきだというのが、私がこの会に参加するようになったきっかけの1つでもあります。

 多分、皆さんが想定されている戦争のイメージというのは、おそらく第二次世界大戦ぐらいだろうと思います。あっても湾岸戦争ぐらいかもしれません。幸いなことに日本は先進国の中で唯一、70年間以上戦争をしていません。

 その結果何が起こったかというと、戦争というもののイメージが各国とずれてしまいました。今、兵器は格段に進歩しています。格段に進歩している兵器に、日本はついていくことが出来ません。これは予算の問題というよりも、各国の技術力の問題です。今、最大の問題は何かというと、全て自動化された兵器です。自分で判断して自分で攻撃する自動ロボット、ロボット兵士です。これが現実になりそうになっています。ドローンやミサイルも半分自動化されています。これらは兵器ですが、その兵器の90%以上は私達が恩恵を受けているiPhoneなどのITと同じ技術です。兵器を開発しないということは技術が遅れるということです。だからといって、その予算を兵器開発ばかりに集中するということもなかなか出来ないと思います。

 それからもう一つ、輸出の話がありました。日本は確かに防衛装備品、武器を輸出しない唯一の国で、それで兵器の値段が高くなったことは事実ですが、輸出できるからといってどんどん売れるものでもありません。ガラケーと同じでして、日本で作られた兵器は外国で使えるかというと、使えないし、信頼性がありません。一度も実戦で使ったことが無いからです。他の国の兵器は実戦で使った上での信頼性があって、それで売れているわけですね。そういう意味では、日本が兵器を輸出して稼ぐことは出来ないでしょう。

 これを突破するためにどうするかということですが、今の安倍政権が考えているような防衛力のあり方というのは、これまでの安全保障概念の延長線上でしか考えていないんです。これまでと全く違った発想で安全保障というものを考えていく必要があると思います。それは単純に法制の問題ではなくて、もっと根本的な、教育とか、社会のあり方とか、そういうものが実は今、問われているのではないかという気がしています。


柳澤協二 元内閣官房副長官補、国際地政学研究所理事長

柳澤 ありがとうございました。これで私がさっと目を通した、いろいろなご質問の中の共通項的なところを──半分は私の独断と私が聞きたいことだったんですが──、お話させて頂いたと思います。

 後は個別のご質問のペーパーがそれぞれのお手元にいっていると思いますが、私にも来ていますので、私から一問だけ、私にとって一番厳しいなというご質問に答えさせて頂きたいと思いますが、「お前は政府の中枢で今まで何をやっとったんだ」というご質問がありまして、それは私も難しいです。

 今、現役の私の後輩達がいますが、彼らに「もうお前、尻をまくって辞めろよ、辞表を出せよ」とも言えない。私だってそんなつもりは当時なかったですしね。やはりそれはそれで、私は防衛官僚としての職業人としての発想、価値観に基づいて、自分の任務は着実にこなしてきた、他人以上にある種──自分で言うのも変ですが──、有能にこなしてきたと思っています。その部分は一種、職業人としてのプライドも持っているわけです。

 しかし、それでやって来たことが一体何だったのか、日米同盟の強化であり、イラクに自衛隊を出すことであり、イラク戦争を支持することを補強する論理を考えることであり、憲法との隙間をいろいろと埋める法律の理屈を考えることでありということだったわけですね。

 私はこういうことを、辞めてから振り返らなければいけないという思いはあったんです。現役でやっている時に、そこに疑問を感じろと言われても、私もこれは限界でした。そこで疑問を持って問題提起をしたら、「君は明日から来なくていいよ」という話になるんですね。そこは打算だけではなくて、自分の問題意識がそこまで成熟していなかったということは率直に認めなければいけない。そして、それを今日のように、安倍政権に対して批判的に徹底してやっていくようになるとは、自分でもそんなことは思っていませんでしたが、しかし自分が現職の頃、イラク戦争ってやっぱりどこか変だよね、これは振り返らなければいけないよね、鳩山由紀夫さんが言っている抑止力のために沖縄に米軍がいなきゃいけないよねという話もどこか胡散臭いよね、ということを1つ1つ自分で勉強しているうちに、世の中がこうなってくる。これっておかしいだろと思いながらやっているうちに、段々こうなってしまったということであります。

 それは私なりの、私が官僚として税金でお給料を頂きながら、蓄積してきたノウハウですから、私はそれはそれとして、しっかりと国民に還元しなければいけないという思いで、今、自分のやっていることはそういうことで自分なりに納得し、正当化してやっています。よく言われるんです。「お前、そんなことを言うなら、現職の時からちゃんと反対していれば」と。はっきり言ってそんなことは出来やしません。

 それは打算だけではなくて、自分自身振り返る中での思想的な遍歴があったということを自分なりに感じながら、そしてもうさすがにこれ以上ブレることはないと私は思っております。


渡邊隆 元陸将

渡邊 いっぱい質問を頂きました。私にとっても非常に厳しい質問を頂いております。「日本に関係なく、他国のためにだけ死なねばならないような、そんな他国の戦いの意義を死をかけてまで納得できるものでしょうか」、納得出来ないと思います。

 自分の身の回りの人、自分が大切に思う人のために命をかけるというのは、私も皆さんも全く同じです。自衛官というのはそれをもうちょっと拡大したところにいるのだと思って下さい。自衛官が我が国の防衛のために命をかけるということは、あなた方が家族を守るための行動となんら変わりません。それをもう一歩進めて、他国のために命を懸けられるかというと、これは場合によります。何度も言いますけれども、どのような大義があるのか、無条件では無い。実は条件が示されていない。そこが最大の問題だろうと思います。

 もう一つの質問は「自衛官には上官の不当な命令についての抗命権はあるのでしょうか」、ありません。不当な命令というのはどのような命令なのか。不当な命令があるのかもしれませんが、基本的に自衛官は命令に対しては、従うということをもって基本だとずっと教えられてきましたので、そういう意味で抗命権はありません。無いどころでは無く、防衛出動で抗命をすれば、つまり命令に逆らえば、懲役又は禁固7年間です。治安出動で命令に逆らえば、懲役又は禁固5年間です。今回、国外犯規定で、国外で行う自衛官の犯罪についても罰せられるようになりましたので、自衛官に関する法的なことを言うと、どんどん罰則は増えているんです。何度も言うように、どれだけ名誉が増えたのかと言うと、あまり名誉は目に見えて増えていない。私はここをご指摘をしているわけです。

 もう一つは「伊勢崎先生が最初にビデオでお見せした非武装の監視団について、OBとしてどうお考えですか」ということですが、私は伊勢崎先生のお考えはそのとおりだと思いますし、それをもっと進めていければいいと思っています。

 但し、いろいろ限界はあります。例えば、国連によれば停戦監視員というのは経験10年以上の一等陸位、大尉から中佐までです。PKOを見ていますといろんな開発途上国からいっぱい部隊が出ているように見えるんですが、そのとおりです。国連に部隊を送りますと、国連からその国に対してお金が出ます。PKO派遣用の費用を国連がその国に払います。ですから、開発途上国にとってみれば、外貨を獲得する非常に有効な手段です。

 停戦監視員は違います。停戦監視員は個人派遣です。国には一切お金は出ません。その個人に対して払われます。カンボジアの場合、1日140ドル+生活費が出ます。個人一人ひとりの停戦監視員にお金が出るんです。停戦監視員はどういうばらつきになっているかというと、P5、いわゆる常任理事国がだいたい停戦監視員の半数くらいを占めます。個人にとってはオイシイ仕事とも言えるので、これはあまり変わらないだろうと思います。常任理事国でない我が国が、非武装の停戦監視員に人を増やしていくということについては、ある程度までは増えるでしょうが、中国が今、非常に多くの停戦監視員を派遣しているのはご存知かもしれませんが、中国を超えることは絶対にないだろうと思います。

 また、自衛官のOBになっても活動できるのかということですが、ほとんど活動できません。私は個人的には自衛隊で培った技術を、普通の自衛官が──自衛官というのは若くして定年を迎えますので──、55才〜56才くらいで定年を迎える自衛官をもっと活用する、そういう仕組みが我が国にあってもいいのではないかなと思ってはおりますが、今のところそのようなことはあまり行われていません。それは非常に残念だと個人的に思っております。

 いろいろ質問を頂きましたが、全てに答えるわけにはまいりませんので、加藤先生にお渡ししたいと思います。ありがとうございました。


加藤 渡邊さんのお話に付け加えると、実は国連でも個人志願のPKO(UNEPS:UNEmergency Peace Service 国連緊急平和部隊)を作ろうという構想はあります。個人の資格で国連のPKOに参加するというかたちで、退職された自衛官や退職された技術者、専門家が国連のPKOに参加する道はいずれ開けてくるだろうと思います。その時は皆さん方もこぞって参加して頂ければと思います。

 PKOで考えなければいけないのは何かというと、日本の国のためではなく、一人ひとりの個人として、人間として世界とどう向き合うかということです。その結果として、日本という国が評価されるということになれば、それは非常に良いことだろうと思います。日本として評価されないのであるならば、それはそれで仕方がない。しかし、間違いなく日本人として評価されることはあるだろうと思います。

 1問だけご質問にお答えします。「憲法9条を改正もしくは改悪という国民投票があったとして、それが否決された。せっかく憲法9条が守られても、その時に戦争が始まっているとしたらどのように防ぐんですか」というご質問ですけれども、結論は憲法9条に殉じて下さいということです。その覚悟があって初めて私は護憲だと思っています。その覚悟なしに護憲をいくら叫んでも、何ら説得力がないと私は思っています。もちろんその前にいろんな手立ては打ちます。手立ては打つんだけれども、しかし最後はどうするんですかと言われた時に、それは憲法に殉ずる覚悟を持てということです。非暴力抵抗主義のガンジーも、マーチン・ルーサー・キングも最期は自分の非暴力抵抗主義に殉じたんです。だから非暴力抵抗主義を徹底するのであるのならば、「私は憲法9条のために命を捧げる」という覚悟を持つべきです。その覚悟さえあれば、おそらく戦争は防げます。それが私の主張する「護憲抑止」です。


柳澤協二 元内閣官房副長官補、国際地政学研究所理事長

柳澤 最後に石田先生、実はもしかしたら違憲訴訟をやっていたかもしれない相手と今日はご一緒して頂いたんですが、その辺のご感想も踏まえてご質問にお答え頂ければと思います。


石田法子 大阪弁護士会前会長

石田 一つ目は「強行採決された場合、法的対策はどう進めていくか」というご質問なんですけれども、強行採決された場合、法的な対策というよりも、むしろ次の選挙で今の政権与党を負けさせる、それが一番だと思います。強行採決するのであれば、次の選挙は危ないよということを与党の議員さん達にご認識して頂く、そういう意味で各地元の議員さんとこの問題について話をする機会があれば、それを伝えていくことが大事なのではないかなと思います。そのためには、やはりこの法案はおかしいという声を身近な人に広げていく、それが一番効果的な方法だと思います。

 先程も申しましたように、この法案が通った場合でも、法律がけしからんということでは裁判は出来ません。法律が基づいて何か具体的な行動が起こされて、我々が損害を受けるというようなことがあれば、違憲訴訟を提起することも1つの方法だと思います。

 訴訟との関係で、三権分立についてもご質問を頂いております。裁判所、最高裁は国寄りの判決をずっとしてきたではないかと。そういうご指摘があります。それは確かにそういう部分はありまして、柳澤さんの方からもお話がありましたけれども、実は柳澤さんが関わられてきたイラクへの派兵については、大阪も含めていろんな各地で違憲訴訟をやりました。その結果につきましては、多くの裁判所では裁量の範囲だということで棄却となりましたけれども、名古屋高裁は違憲の疑いがあるという判決を出しております。

 イラク特措法の問題につきましては、微妙なところもあったんですけれども、今回の安全保障法制につきましては、突っ込みどころ満載だと思うんですね。イラク特措法の時に比べれば、違憲判断が出る可能性というのは──あくまで可能性ですし、これがいつ起こせるか分かりません。いつ具体的な事が起きるのか、原告として手を上げて頂ける方がいるのか、その辺が見えないところですけれども──、最高裁のメンバーが政府と懇意の人に変わっていない限りは、イラク特措法の時よりも違憲判決が出る可能性は高いのではないかと思っております。

 そして、最高裁判事の信任投票について、何も書かなければ信任扱いになっていると聞きましたが本当でしょうか?というご質問ですが、これはそのとおりです。そうであるならば、違憲訴訟でも負けてしまうのではないか?というご質問ですが、私は今回のこの法案については最高裁を信じたいと思っていますし、また信じるに値すると考えております。

 私から1つ質問したいことがあるんです。先ほど財政的な問題をご説明頂いた時、もはや限界であると加藤さん、渡邊さんの方からお話がありました。もはや限界ということを政府は分かっていて進めているということなんでしょうか?


柳澤 実は昨日も同じ質問をある野党議員から電話で頂いたんです。今の中期防衛力整備計画が2013年の末に出来ましたから残り3年なんですけれども、それは5年計画としてセットされているから、変えるつもりはありませんと政府は言っているわけです。限界ということについて、要するに聞きたいのはその次の5カ年計画が来るわけですから、そこで本当にどうしようとしているのかということです。

 渡邊さんが言われるように、法律にあるメニューを全部そこそこやろうとしたら、とても今の人数や資源配分ではとても足りないと言うか、もしくは日本防衛の手を抜いて、そっちの方に行くよと言うか、2つに1つだと思うんですね。そこが見えない。そこは説明すべきだし、説明を求めなければいけない。

 私が気になるのは、私が防衛官僚の頃の防衛計画というのは──もちろんこれも1つのフィクションなんだけれども──、軍隊が来てちょこちょこっと悪さをするような、いわゆる武力による不法行為から核戦争まで全ての条件を考えて、それに対してはこうしますという答えを持っていた、それが防衛計画だったんですね。核戦争は何だと言ったら、それは米ソの核抑止があるから、まず起きないでしょうという答えを持っていたわけです。それに至らない大きな攻撃があるかと言ったら、核戦争に繋がるようなことは抑止されるが、万一そうあれば、アメリカ軍が来援してくれるでしょう、だから自衛隊は極東ソ連が大した準備もしないまま、パッと攻めて来たような時──限定小規模侵略と言っていましたが──、それに自前で独力で対処しながら、アメリカの来援を待つだけの力があればいいと言って、それで全部、勘定があっていたわけです。

 同じように考えると、中国の船が南シナ海で悪さをしようとしている、アメリカが止めに入る、自衛隊がそこで後方支援をする、そして中国の船を追っ払ってめでたしめでたし、ってちょっと待てと。そこで終わらなかったらどうするの?ということです。

 先ほどエスカレーション管理が出来ていないと渡邊さんのお話にもありましたけれども、そこから先のシナリオはどう対処するのか。政治が責任をとってそうさせないようにするというなら、それも1つの回答です。そこがないのが今の防衛計画の1つの欠陥、私はあえて欠陥だと言います。

 そして、もし本当にやろうとするなら、日本を守るための自衛隊と、南シナ海の防衛をお手伝いするための自衛隊と、中東で働くための自衛隊と3つの自衛隊が必要になるんでしょうということなんだけれども出来そうもない。それじゃあ本当に片手間で出来る範囲でやりますというような話であれば、戦後最大の大転換ですというようなことをアメリカに行って大見得を切るほどのことでもない。

 要はそこまでの実力、キャパシティーが無いんだったら、そんな大げさな話をする必要はないでしょうということになるし、その意味では全く一貫していないという、そこに政策としての不完全性を感じざるをえないと私は思っています。

 最後に一言だけ言いますと、最後の石田先生のご発言には全く同意なんですけれども、これからこの状況でどうしていくのというのは、やはり与党単独で採決するというのはものすごく正当性に問題があるんですね。今まで安保関係の法律っていろいろあったけれども、結局、最大野党と何らかのかたちで妥協して、合意していくそういうプロセスがあるんです。そして武力攻撃事態法、有事法制の時も理念を先に、武力攻撃事態法というのを作って、理念の段階で民主党と合意するわけです。その後、技術的な細かい法律がたくさん次の国会で出てくるという段取りでした。

 それを今は全部まとめてやっちゃっているから、理念の話をしているのか、憲法論をしているのか、国際情勢の話をしているのか、軍事的な戦い方の技術の問題をしているのかということがごっちゃになっちゃっているわけですね。結果として、何が議論されているのかさっぱり分からない。分からなければ「分からない」という世論をしっかり伝えていく必要がある。そして、それこそが私は「民意の抑止力」になるんだと思います。抑止力というのは申し上げているように、そういうことをやったらひどい目に合わせるぞという脅しですから、それで相手が恐れ入ってそういうことをしなくなる、だから強行採決のようなことをさせないための脅しです。民意の脅しをしっかり持っていかなければいけないということだと思います。

 しかしながらそれだけで事は終わらない。おそらく加藤さんがおっしゃるように、私はこの話は日本が何者であり、どのように日本の国がこれから世界で生き続けて、どのように守っていきたいかということが実は問われている。だから本当は、そこから議論をしなければいけないんですね。国会の中でもね。それが逆転している。その逆転している歯車を戻して、もう一回議論をしてそこを積み上げていこうというのが──宣伝になりますが──、「自衛隊を活かす会」の一番大きな問題意識でもあるということであります。


松竹 どうもありがとうございました。今日はみっちり3時間やらせていただきました。アンケートなどでまたやれという声が多かったらまたやっていきたいと思います。最後にこの会を大阪で準備下さいました梅田章二弁護士よりご挨拶を頂きます。


梅田章二 弁護士 「自衛隊を活かす会」関西企画を成功させる会 代表

閉会挨拶
梅田 章二

弁護士、「自衛隊を活かす会」関西企画を成功させる会 代表

梅田 3時間、熱心なご討議を頂きありがとうございます。今日のシンポジウムは350名という非常に沢山の方にご参加を頂きました。当初、この話が松竹さんの方からあった折に、「自衛隊を活かす会」…。うーん、いけるかなぁ、集まってくれるかなぁというのが正直なところでございました。と言いますのは、私ども含めて護憲派という範疇の人達は、自衛隊というのは憲法違反だ、そこで止まってしまう、そこから先に進まないという批判をよくされているんですけれども、かつて護憲のための軍事論というような本が出るくらい、憲法9条を守って、平和な国を作ろう、戦争には反対だという立場から、現に存在している自衛隊というものについて目をそらさないで、きちっとそれを憲法の下で考えていくということが必要ではないかというようなことを今回学んだ次第です。

 集団的自衛権の問題が出てから、いろんな立場の方が「日本が危ない、集団的自衛権の行使はダメ、安保法制には反対だと、廃案にしよう」という声をあげて広がっているわけですね。そういう点で一致点が広がっている、共同の闘いが広がっていると言えるわけですけれども、今日はその一環として、元防衛族と言いますか、そういう方々のご意見を踏まえて、議論が行われたという点では非常に貴重な機会を頂いたと思います。

 国会の情勢は非常に厳しい状況にあります。ただ、3人の憲法学者の方が違憲だと声を上げてから、やや雰囲気が変わってきているように思います。私どもから見ていますと、憲法学者の圧倒的多数の方々が違憲だという考え方を持っておられるということは知ってはいたんですが、なかなかそういう声は上がりませんでした。しかし国会で3人が違憲だといった途端に、憲法学者の方がドッと声を上げるという、そういう面で声を上げるということは大事なんだな、正しいことは正しいとして通っていくんだなということが今、広がりつつあると思います。

 私達大阪の人間は、都構想の問題で大きな闘いを経験しました。この大きな闘いの中の教訓は、最終的には一人ひとりが反対か、賛成かを問われた局面において、真剣に考えて、悩んで、そしていろんな情報を得て考えるいくんだな、ということではなかったかと思います。その結果が、圧倒的な維新の力の前で負けるんではないか、と大方が予想したところが、逆転勝利に繋がっていったのではないかなと思います。そういう面で、一人ひとりが安保法制について考えて、悩んでいくというプロセスが今、求められているのではないかなと思います。なんとしても安保法制、戦争法案を廃案に追い込むために、今日の議論が参考になればと思います。

 今日は「自衛隊を活かす会」の主催ということで、私どもは「成功させる会」というのを作って、側面から支援しているわけですけれども、沢山の方にお集まり頂いたことに私達の立場からも御礼を申し上げまして、私からのご挨拶とさせて頂きます。ありがとうございました。