「戦場における自衛官の法的地位」を考える

4.22 シンポジウム

「戦場における自衛官の法的地位」を考える

2016.4.22(金)17:00〜

衆議院第2議員会館(多目的会議室) 会費 1,000円(資料代)

主催/自衛隊を活かす:21世紀の憲法と防衛を考える会(略称:自衛隊を活かす会)

2016.2.28 憲法9条のもとで自衛隊の在り方を考える

松竹伸幸/自衛隊を活かす会事務局長 ただいまから「自衛隊を活かす会」のシンポジウム「『戦場における自衛官の法的地位』を考える」を開催致します。私は自衛隊を活かす会の事務局をしております、松竹と申します。

 自衛隊を活かす会は、今、大きく2つの方向で仕事をしておりまして、1つは昨年来、新安保法制が発動される個々の事例の検証ということで、南シナ海の問題(2015.12.22シンポジウム)南スーダンの問題(2016.1.30シンポジウム)をやりました。来月(5月20日)には北朝鮮の問題を取り上げて、議論をしたいと思っております。

 もう1つ、大きな柱として位置付けているのが、今日のテーマである「戦場における自衛官の法的地位」の問題です。新安保法制に基づいて実際に自衛官が戦場に派遣される場合にはいろいろな問題が予想されるわけですが、その法的な問題は本当に十分なのか、或いは国民的な議論がないまま派遣されていいのかということを巡って議論をしたいと思っています。本日がその第1回目の取り組みですが、今後もドイツをはじめとした海外の制度の研究などを行いながら、提言もしていきたいと考えております。

 昨年(2015年)7月28日、新安保法制がまだ議論されている時に、自衛隊を活かす会はこの同じ会場でシンポジウム「新安保法制にはまだまだ議論すべき点が残っている」を開催しました。そのシンポジウムには冨澤暉さんにもお出で頂いたのですが、そこでの議論を踏まえて冨澤さんが偕行社の雑誌に論考(「求められる「タカ派」の議論」『偕行』平成28年1月号)を書かれたんです。そこで軍事裁判が可能なのかどうなのかという、このシンポジウムの議論を紹介されましたところ、航空自衛隊を1993年に勇退された坂本祐信さんが「現行憲法下での軍事裁判制度の導入は本当に不可能なのか」というテーマで寄稿をされました。それに対して冨澤さんがご自身の考えを書くという、そういうことが繰り返されております。冨澤さんの論考をご希望の方は、自衛隊を活かす会にその旨のメールを頂ければデータでお送り致します。

 本日は、最初に自衛隊を活かす会呼びかけ人の伊勢﨑賢治さんより問題提起を致します。その後、岩本誠吾先生にご報告を頂いて、冨澤暉さんからコメントを頂いた後に討論という流れで、皆さん方からもご質問があれば出して頂きたいと思っております。それでは早速始めます。伊勢﨑さんよろしくお願い致します。


伊勢﨑賢治 東京外大教授 自衛隊を活かす会呼びかけ人

問題提起
伊勢﨑 賢治

東京外大教授・自衛隊を活かす会呼びかけ人

 伊勢﨑です。今日は国際法の専門家に来て頂いて、大変嬉しく思っています。僕は国際紛争を扱う実務家ですが、国際法の専門家ではありません。実務家は、国際法を根拠に行動するワケですが、これから進める論は、実務家が現場で共有している最低限の了解事項に過ぎないということを、まずおことわりしたいと思います。

 例えば日本の国内法の支配、そして国際法の支配という二つの世界があります。日本の中では、憲法が優位か、それとも批准した国際法が優位かという議論がありますが、日本の外に出たら関係ありません。全て戦場は国際法が支配する世界。自衛隊が送られる世界は国際法が支配する世界なのです。

 まず、戦争のルールから入ります。国連ができてからの国際法では、個別的自衛権、集団的自衛権、そして集団安全保障、この三つのどれかの口実でしか「戦争」、つまり武力の行使はできません。この3つの関係性はどうかというと、これが日本人の頭の中です。

個別的自衛権、国連的措置(集団安全保障)、そして集団的自衛権

 個別的自衛権と集団的自衛権が対立概念として捉えられています。それは、歴代の内閣法制局の見解では、個別的自衛権は許される、集団的自衛権はダメという解釈が行われてきたからです。日本人の頭の中では、個別的自衛権は、まあ正直に憲法9条を読めば否定されますが、東大の井上達夫さんの言葉を借りれば、憲法13条で「復活」させて、まあ、日本の領海内に敵が現れて攻撃してきたら必要最小限の反撃ぐらいはできるだろうと。対して、集団的自衛権というのはアメリカに付き合って地球の果てまで行くという、だからダメと。領海内と地球の果て、なにか「距離」が、この2つの自衛権の対立軸になっているような感があるようです。

 近年はそれにプラスして、国連的措置(集団安全保障)が入ってくるわけです。これがPKO活動です。20年以上前のカンボジアPKOの時と比べると、違いは顕著です。最近は自衛隊がPKO活動に参加しても誰も反対しません。もう、しんぶん「赤旗」でも反対しません。

 このように、日本人の感覚では、個別的自衛権とPKOに代表される集団安全保障は、まあOK、でも集団的自衛権はダメ、ということだったんですが、今回の安倍政権が、これにチャレンジした。それで、安倍支持・反対で、日本を二分する騒動になったわけです。

 でも、国際法の世界は違います。日本人の慣習的に醸成されてきた常識とは裏腹に、国際法の世界はこうです。

個別的自衛権、集団的自衛権、そして国連的措置(集団安全保障)

 国連憲章第51条で明らかなように、個別的自衛権と集団的自衛権は対立概念ではありません。一体のものとして捉えられています。喫緊の明白な脅威の共有を「お仲間」でやるのが集団的自衛権です。だから、集団安全保障の措置がとられるまで、個別的自衛権とともに、行使が許されているのです。大手を振って主張できる権利ではありません。国連としての集団安全保障の措置がとられるまでの生存のため許された、“いやいや”許された権利です。その意味で、今回の安保法制の中に集団的自衛権という単語は一つも出てきませんが、実は、国家存立危機事態というのは、大変正しい国際法における集団的自衛権の解釈なのです。だから、一部の安保法制支持の専門家が言う「集団的自衛権ということ言葉が一つも出てこないから違憲ではない」は戯言で、尚且つ、反対派も、自身の集団的自衛権の定義を国際法のそれに合わせないと、この戯言に反論できなくなる。非常にアホらしい状況ですが。

 「距離」は関係ありません。個別的自衛権で敵地攻撃をするのです。アメリカがやったように、9.11同時多発テロの後、個別的自衛権を発動できる要件がそろいます。そして、アフガニスタンを敵地攻撃し、ボコボコに叩いて占領統治までしたわけです。ただし、併合はできません。これは侵略にあたりますから。

 現代の国際法では、個別的自衛権、集団的自衛権、そして集団安全保障の3つの言い訳以外で武力の行使をすることは、侵略とみなされますから、そういうことをやる連中は集団安全保障の一環として国連全体でぶっ叩きに行くという体制が国連であります。ということで、特に安保理常任理事5大大国が、侵略することは、絶対に、ありえません。二つの自衛権、特に集団的自衛権を使って“侵略”まがいのことをしてきましたが。

 集団的自衛権、個別的自衛権そして集団安全保障が、武力の行使の口実として規定しているのが国連憲章ですが、これが一旦行使されると、それらは交戦権の世界になります。交戦権というのは、国際法のもう1つの体系、いわゆる慣習法の世界です。つまり戦時国際法、国際人道法と言われている戦争のルールです。これが支配する世界です。個別的自衛権も集団的自衛権も、一旦行使されれば交戦として、国際法に統制されます。

 上のアフガン敵地攻撃での併合禁止もそうですが、捕虜を虐待しちゃいけないとか、墜落する敵機からパラシュートで降りてくる乗員を下から撃っちゃいけないとか、「交戦主体」どうしで正々堂々と殺しあうため、それなりの服装をせよとか、一般人を巻き込むことは、止むをえない場合があるにしても大勢はだめ、ましてや無差別攻撃はもってのほか、とか。現代では、国際人道法として、原子力施設への攻撃も禁止されています。つまり、人道的に殺し合いをやるためのルールなのです。つまり、戦時国際法とは、いくらなんでも、あの殺し方はねーだろ、みたいな形で、長年の戦争の反省から数々の条約が積み重なってきたものであり、あれはやっちゃいけない、という「交戦」のネガティブリストの集積が国際人道法なのです。

 日本は交戦できるかというと、それはできません。憲法に「国の交戦権は、これを認めない」と書いてあるからですね。ですから、日本人が憲法9条下でも許されると思っている個別的自衛権というのは、実は国際法でいう個別的自衛権ではありません。日本が出来るのは、「交戦しない自衛権」です。これは日本でしか通用しません。なぜかというと、「交戦」でない「武力の行使」は、国際上ありえないからです。

 「交戦しない自衛権」というのは、歴代の国会答弁でも示されていますが、これは防衛省のホームページに書いてあります。現9条下でも敵が領海内に現れたら、それに対して必要最小限の防戦をするという権利は認められているという考え方です。

交戦権
憲法第9条第2項では、「国の交戦権は、これを認めない。」と規定していますが、ここでいう交戦権とは、戦いを交える権利という意味ではなく、交戦国が国際法上有する種々の権利の総称であって、相手国兵力の殺傷と破壊、相手国の領土の占領などの権能を含むものです。一方、自衛権の行使にあたっては、わが国を防衛するため必要最小限度の実力を行使することは当然のこととして認められており、たとえば、わが国が自衛権の行使として相手国兵力の殺傷と破壊を行う場合、外見上は同じ殺傷と破壊であっても、それは交戦権の行使とは別の観念のものです。ただし、相手国の領土の占領などは、自衛のための必要最小限度を超えるものと考えられるので、認められません。

(出典)防衛省「憲法と自衛権」憲法第9条の趣旨についての政府見解(4)交戦権 http://www.mod.go.jp/j/approach/agenda/seisaku/kihon02.html

 憲法第9条第2項では、「国の交戦権は、これを認めない。」と規定していますが、ここでいう交戦権とは、戦いを交える権利という意味ではなく、交戦国が国際法上有する種々の権利の総称であって、相手国兵力の殺傷と破壊、相手国の領土の占領などの権能を含むものです。一方、自衛権の行使にあたっては、わが国を防衛するため必要最小限度の実力を行使することは当然のこととして認められており、例えば、わが国が自衛権の行使として相手国兵力の殺傷と破壊を行う場合、外見上は同じ殺傷と破壊であっても、それは交戦権の行使とは別の観念のものです。ただし、相手国の領土の占領などは、自衛のための必要最小限度を超えるものと考えられるので、認められません。

 でも、それで敵が諦めてくれなかったらどうなるかということは、想定していないのです。敵が諦めてくれなかったら戦闘が継続することですから、世の中ではそれを交戦と言うのです。ていうか、最初の反撃も、国際法が交戦として統制するのです。

 戦後、ジュネーブ諸条約をはじめ国際人道法を日本は全面的に批准していますので、捕獲した敵の戦闘員を虐待したり、パラシュートで降りてくるのを下から撃ったりしないでしょうから、「交戦を統制する国際法は批准しているのに、その打撃力の行使を交戦と見なさない」矛盾は、これが日本の領海内に限定する話なら、あまり問題にならず、ゴマかしながらでもコトが済みそうです。でも、自衛隊が海外に出かけていく場合、つまり自衛隊自身が「戦闘員」と見なされる現場、つまり戦場では、問題が顕在化します。

 繰り返しますが、「交戦」として統制されない「武力の行使」はありえないのです。だから日本政府は、「武力の行使」ではなく「武器の使用」と言ってきた。自衛隊員個人が主語である「武器の使用」。

 まず、集団安全保障の典型であるPKOの話をします。以下の図は、今回の11の法案で構成される安保法制で想定する、自衛隊が送られる現場を3つのカテゴリーで示しました。その内の一つです。

平和安全法 戦争法案

 今回の国会でも、議論のベースとなっている「PKO参加の5原則」。はっきり言って、これは20年前の話です。今のPKOでは、この日本のPKO参加5原則は成り立ちません。住民の保護がPKOの筆頭mandate(任務)になっていからです。つまり、その国家に変わって国民を守るために国連PKOが敵と交戦するという世界になっているのです。

PKO参加5原則とは何ですか。
わが国が国際平和協力法に基づき国連平和維持活動に参加する際の基本方針のことで、

  1. 紛争当事者の間で停戦合意が成立していること
  2. 当該平和維持隊が活動する地域の属する国を含む紛争当事者が当該平和維持隊の活動及び当該平和維持隊へのわが国の参加に同意していること。
  3. 当該平和維持隊が特定の紛争当事者に偏ることなく、中立的立場を厳守すること。
  4. 上記の基本方針のいずれかが満たされない状況が生じた場合には、我が国から参加した部隊は、撤収することが出来ること。
  5. 武器の使用は、要員の生命等の防護のために必要な最小限のものに限られること。

 の5つを指し、それぞれ国際平和協力法の中に反映されています。

(出典)外務省ホームページ PKO参加5原則とは何ですか。 http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/pko/q_a.html#05

 端的に申しますと、停戦合意が壊れても、PKOは撤収しません。なぜなら、PKOが中立的立場を喪失して「紛争当事者」になっても、住民を護る、という決定が、既になされているからです。

12 August 1999,Secretary-General’s Bulletin:Observance by United Nation's Forces of International Humanitarian Law

──1999年8月12日付 国連事務総長発国連官報「国連主導多国籍軍における国際人道法の遵守」

 1999年に出された国連事務総長発の国連官報、現場のPKO要員に対して配られた「お触れ」です。これが見事に日本の法制や日本の議論から抜け落ちているのです。

「Observance by United Nation's Forces」これはPKOの事です。「International Humanitarian Law」これは国際人道法、つまり戦時国際法です。どういうことかと言うと「国連PKO要員は戦時国際法を遵守せよ」ということです。今までは中立的な観点から国連は喧嘩をしませんでした。そういう騒動が起こった時には逃げてきちゃう、それで1994年のルワンダの悲劇が起こるわけですが、その反省から立ち上がってくるわけですね。

 各地でどんどん内戦が激化して──コンゴ民主共和国や、現在の南スーダンに至るスーダン情勢もそうです──、そういうことでやっと1999年にこの国連事務総長発国連官報という形で、国連主導の多国籍軍PKFは国際人道法、つまり戦時国際法を遵守せよということになったわけです。これはどういうことかというと、こういうことです。

●PKFによる戦時国際法・国際人道法の遵守


1.Armed Conflictの存在
2.Armed Conflictへの直接的な参加
➡ Combattants 交戦主体となる

 この1999年の国連事務総長発国連官報(Bulletin)では、中立な立場のPKOがいわゆる交戦主体、日本流に言うと紛争の当事者になる、つまり戦争をするわけですから、まず、二つの「鍵」を開けなければならない。

 まず1つは「Armed Conflictの存在」、紛争が存在するということです。もう1つは「Armed Conflictへの直接的な参加」です。国連PKOですから、まず自分から撃つことはしません──その後、コンゴのPKOでは国連PKOから先制攻撃をするようになりましたが──、1999年頃はしていません。まず攻撃を受ける、そこから国際法的に交戦が始まります。その時点から我々PKFはCombattants、交戦主体つまり紛争の当事者になるわけです。

 国連PKF要員が交戦時に殺害された場合、”非難”声明は出せても、国際人道法違反として訴追できません。ピースキーパーが殺されると必ず国連事務総長が非難声明を出しますが、殺した相手を国際人道法違反として訴追は出来ないわけです。なぜかと言うと「戦争」だからです。あちらも交戦主体、こちらも交戦主体、敵味方の間で合法的な殺し合いをやるためのルールが戦時国際法です。だから合法的に殺せば訴追出来ない。殺人罪ではないわけです。その後、僕が行ったシエラレオネの内戦のシエラレオネ戦争犯罪特別法廷 2009年3月2日の結審でもそうでした。反政府ゲリラを訴追出来るのは、民間人を殺した、少年兵を使った、拷問したとか、そういう罪状です。

 交戦で殺したことを訴追出来ないということは、我々PKOにとっても同じです。PKOも殺すのです。それは僕の身にも起こりました。自衛隊が東ティモールに派遣されるずっと前、2000年の東ティモールです。ある日、反政府ゲリラが、県知事であった僕の行政区に侵入して、パトロール中のPKO部隊と銃撃戦なり1人が殺されました。非常に残忍な殺され方をしました。その時点から、我々は、交戦が開始されたと認識しました。我々は侵入した10数名の、民間人とほとんど区別がつかないゲリラ部隊を総勢1,500人のPKO部隊で追い詰めて、全員射殺しました。犯罪者ではないので逮捕することはしません。交戦主体だから殲滅できるのです。この中に民間人がいたかどうかは分かりません。死体検分に付き合った時のことが未だに夢に出てきます。一応、建前としては人道的な立場から良心の呵責を感じる必要はありません。なぜなら合法的な敵だからです。

 お見せしたいのが、現代のPKOにおけるROE(交戦規定)です。これは、コンゴのミッションのROEです。本当は見せてはいけないものです。基本的にコンゴのROEも、今、自衛隊が送られている南スーダンのROEも同じものと考えて下さい。現在のPKOのROEは──これは標準、スタンダードROEです。攻撃部隊であろうが、自衛隊のような施設部隊であろうが、共通です──、僕がいた頃と比べると、非常に先鋭化しています。その一部を書き出しました。

現在のPKOのスタンダードROE

 「To protect civilians」、これは自己防衛ではありません。かの地の国民を守るということです。「including humanitarian personnel and human rights defenders」、これは人道支援要員の援護ですね。「imminent threat of physical violence from members」、敵は誰かと言うと「illegal armed groups」つまり日本流で言う「国準(国に準ずる組織)と、──次が面白いのですが、──「FARDC or PNC」、これは、コンゴの国軍とコンゴの警察です。つまり、主権国であるPKO受入れ国の軍隊と警察が住民に悪いことをしていたら、それに対しても交戦せよということです。これが標準ROEです。

 普通、自衛隊の幹部が国連PKOの訓練のための国際プログラムなんかで教材として見せられるROEでは、こういう部分は消してあります。外交問題になりますから。国連を受け入れてくれている主権国に対して、その国の軍を殺しても良いと書いてあるわけです。本当のROEは見せてはいけないんですが、このようになっているわけです。これが現代PKOです。

 問題は、PKO統合司令部の作戦上の業務分担ではありません。自衛隊には交戦権がありませんから、PKO統合司令部から見たら、はっきり言って使えません。軍事組織として使えないのです。交戦出来ない軍事組織はありえないのです。歴代のPKOに派遣された自衛隊は、それぞれのミッションの標準ROEに対して何が出来るか出来ないか──ほとんど出来ないことばかりですが──、いわゆる業務計画書として1枚の紙を出すわけです。でも、実質、軍事組織として使えないわけです。しかし、PKO司令部は自衛隊を“使い”ます。わざわざ先進国、それも国連最大の拠出国の一つである日本から来てくれているわけですから。でも、軍事的にクリティカルな仕事は自衛隊には絶対に割り当てられません。

 しかし、事故は起こるわけです。交戦を誘発する突発的な事故が。東ティモールで僕が管轄する部隊がパトロール中に遭遇したもののように。そこから交戦、つまり戦争になるんです。そういう時に、どういった法体系を持って臨むかということをちゃんと想定し、整備することが、責任ある法治国家の役目なのです。それを日本は見事にしていません。

 メディアの人が本当に気をつけて頂きたいのは、メディアの人は「自衛隊が参加するのはPKFではなくてPKOだ」とよく言いますが、これは嘘です。自衛隊は国連PKOの多国籍軍、PKFと“一体化”します。東京に指揮権があるというのは嘘です。そこはメディアの方は本当に分かって頂きたい。

 そういう交戦時に起きる、軍事的過失、つまり、戦時国際法違反、国際人道法違反への対処は、実は、各国派遣部隊の国の軍法しかないのです。なぜなら、国連軍事法廷なるものは、未だ存在しないからです。国連はまだ世界政府になっていないのです。今の国際法では主権侵害になりますから、軍事的な過失を裁く時には、各国の軍法しかないのです。

 それと、国連地位協定による現地法からの訴追免除、つまり免責条項があります。国連は必ず国連地位協定を結びます。国連PKOの統合司令部はそれを担保に各部隊に対して「言う事を聞けよ」という指揮権を発動するわけです。

 日本人が最も理解するべきは、軍事的過失、つまり、戦時国際法、国際人道法違反は、「外交問題」だということです。国が主語の外交問題です。自衛隊員が主語ではありません。国が責任を取らなければならないのです。

 もし非戦闘員、つまり住民、民間人を傷つけてしまったら、「補償」すればいいじゃないか、お金で解決すればいいじゃないかという話を、よく日本の政府関係者から聞くのですが、平和ボケも甚だしい。外交問題になるかならないかは、全て現地社会の感情次第なのです。今は国連PKOでさえも特定現地の武装組織と敵対するのですから、現地感情が悪いということを前提にしなければならないのです。

 この問題は、有志連合型の現場──そのほとんどはテロとの戦い──、では、もっと顕在化します。今回の安保法制で自衛隊が送られる2番目のカテゴリーの現場です。もし、自衛隊が有志連合の一員として参加したらどういう問題を引き起こすかということを考えるために、最近実際に起こった事例があります。それをお話しします。

 それが、2007年にイラクで起こったブラック・ウォーター事件、ニソール・スクエアでの虐殺です。米国の民間軍事会社ブラック・ウォーターが、17人の民間人を殺傷してしまった。その時、ブラック・ウォーターが何をやっていたかというと、米大使館の警護業務です。国防省ではありません。米大使館の委託で物資を輸送中のコンボイを警護中に──日本流に言うと非戦闘地域、現に戦闘が行われていない地域、つまり民間人居住区です──、ある交差点に差し掛かった時、後で誤認だったということが証明されるわけですが、撃たれたと思った。それに応戦するために、民間人に対して自動小銃を乱射してしまうのです。

 この事件を、どの法で、どう裁くかということですが、まず、アメリカの軍法「Uniform Code of Military Justice」は管轄できません。民間軍事会社は軍人ではありませんから、軍法は使えない。

 そして、「CPA Order 17」(米占領暫定政府条例17)というものがあります。これは、アメリカが占領後の2004年、暫定占領軍が──GHQみたいなものです──、条例を出すわけです。これはものすごい条例で、アメリカ軍とアメリカに協力する多国籍軍と軍属、民間軍事会社、これらが全てがイラクの法律から訴追免除されます。これは、イラクが完全独立した後も、そのまま在イラク多国籍軍に適応され、後に、サマワに送られた自衛隊も、この条例の恩恵下にいたわけです。

 もう一つ、アメリカの場合は、こういったprivate military contractor(民間軍事会社)が海外で色々な問題を起こすので、2000年に「Military Extraterritorial Jurisdiction Act」(軍事域外管管轄権法)を作っています。これは、アメリカ国外でアメリカ軍のために働く民間軍事会社に対処するために出来た法律です。

 この事件は民間軍事会社ですから、米軍法では裁けません。CPA条例によって免責されています。残るは軍事域外管轄権法しかありませんが、問題はこの事件を引き起こした時のブラック・ウォーターの業務が、国防総省(DOD)ではなくて国務省の警護だったことです。だから軍事域外管轄権法では扱えない、つまり、この事件を扱う「法が存在しない」ということで、アメリカが大騒ぎになりました。その後、何が起こったかというと、議会でいろいろ議論されて、結果的には軍事域外管轄権法で裁くことになるんですが、それは事件の10年後です。結審されたは2015年です。終身刑1名と懲役30年が3名となりました。

 自衛隊が行く場合は、国連PKOでも有志連合でも必ず多国籍軍と一体化します。一体化しないという「一体化論」は真っ赤な嘘なのです。その場合、必ずその司令部もしくは占領主導国が、現地政府とImmunity、現地法からの訴追免除という地位協定、もしくは軍事業務協定を結びます。ですから、軍事的過失、つまり国際人道法違反が起こったら、対処する法体系と体制は、軍法、域外特別法、そして立件捜査能力。この3つが必須になります。法体系だけがあったも、それを行使する立件捜査能力がないと話になりません。ブラック・ウォーター事件ではFBIが管轄しました。

軍法、域外特別法、そして立件捜査能力

 日本にこのような体制があるかということです。日本は軍法がありません。域外特別法もありません。立件捜査能力は?戦場に行って立件する能力がありますか?ありません。何にも無いんです。ただ、現地法からの訴追免除を、多国籍軍と一体化することで、享受してきただけ。

 コトが起こった時、何もしなかったら重大な外交問題に発展します。ブラック・ウォーター事件で、アメリカが被ったように。

 最後に、このスライドで話を終わりたいと思います。

 安保法案の審議の中で、民主党の議員が、有志連合におけるテロとの戦いに自衛隊が出かけて行って、もしイスラム国に捕まったらどうなるんですか?と聞いたら、岸田外務大臣はこう答えました。

「自衛隊員は紛争当事国の軍隊の構成員ではない。つまり交戦主体になれないので、ジュネーブ条約上、つまり戦時国際法上の『捕虜』とはなれない」。

 未来の敵に向かって「捕まったら捕虜として扱わなくていいよ」と言う国。この言葉に現在、我々が抱えている自衛隊の法的な地位の問題が凝縮されています。以上です。


司会 ありがとうございました。続きまして、岩本先生にご報告をお願い致します。


岩本 誠吾 京都産業大学教授

自衛隊・自衛官の法的地位
──国際法と国内法の狭間で──
岩本 誠吾

京都産業大学教授

 ご紹介頂きました、京都産業大学の岩本と申します。専門は戦争法──昔は戦争法と言いましたが、今では国際人道法(international humanitarian law)とか、武力紛争法(Law of armed conflict)という言い方をします──、を中心に研究しております。

 まず、国際法から見た自衛隊は、軍隊か軍隊でないかという点から入っていきたいと思います。軍艦の定義というのは、海洋法条約(1982年)の中にありまして(29条・軍艦の定義)、一国の軍隊に属する船舶であって、正規の軍隊の規律に服する乗組員が配置されていること、と規定されています。いわゆる自衛艦は軍艦に当たるか否かというと、これは軍艦に当たるということです。

「軍艦 warship」の定義

  • 一の国の軍隊に属する船舶
  • 国籍を示す外部標識の掲揚
  • 当該政府によって正式に任命され、軍務従事者の名簿に記載されている士官の指揮下
  • 正規の軍隊の規律に服する乗組員の配置
海洋法条約29条

 軍用航空機の定義ですが、空戦規則(1922年)がありまして(14条)、国の軍務に関して正式に任命された者の指揮下にあって、乗員は軍人に限ると規定されています。そして、軍用機のみに交戦権がある、ですから民間機が戦闘行為を行ってはいけないということになっています。軍用航空機の場合は国籍、日本であれば日本のマークと、ミリタリーマーク──軍用の資格を有する外部標識──、をつける(空戦規則3条)と規定されています。日本の自衛隊機は軍用機かというと、これは軍用機に当たるということです。

「軍用航空機 military aircraft」の定義

  • 国の軍務に関して正式に任命された者の指揮下、乗員は軍人(military)に限る
  • 軍用航空機にのみ交戦権あり(空戦規則13条)
  • 国籍及び軍用資格を示す外部標識(空戦規則3条)
空戦規則14条

 軍隊(armed forces)の定義は、1977年のジュネーブ諸条約第1追加議定書43条に書いてありまして、「部下の行動について、当該紛争当事者に対して責任を負う司令部の下にある組織され及び武装したすべての兵力、集団及び部隊から成る」、要するに指揮官がいる組織的な武装集団のことを軍隊と言います。

 通常、軍隊と警察の違いについては、警察は国内治安維持が目的です。軍隊は外部からの侵略に対抗するのが目的です。今の自衛隊法の規定(3条)からすると、自衛隊は軍隊かどうかと言われると、これは軍隊に当たるということです。

「軍隊 armed forces」の定義
部下の行動について当該紛争当事者に対して責任を負う司令部の下にある組織され及び武装したすべての兵力、集団及び部隊から成る(通常、国内治安維持は警察、外部からの侵略対処は軍隊)

1977年 ジュネーブ諸条約第1追加議定書43条

 自衛官は戦闘員になるのかどうかというと、軍隊に所属する者(軍隊構成員)には、戦闘員資格、戦闘行為が行えるという権利があります。自衛官の場合は制服を着ていますし、遠方より認識可能な固着特殊標章など、戦闘員資格の要件全てを備えています。当然、自衛官が戦闘行為で捕獲された場合には、戦闘員資格のある自衛官が捕虜資格を持つというのが国際法の仕組みとなっています。

「戦闘員(combatants)、捕虜(prisoners of war)資格)」の4条件

  • 指揮命令系統(組織体であること)
  • 遠方より認識可能な固着特殊標章(文民との区別)
  • 公然と武器携行
  • 戦争法規の遵守
  • (ゲリラ(便衣)兵は、2)及び 3)の文民との区別義務を抽象化)

捕虜条約4条

 国際法上、自衛隊は軍隊であり、自衛官は軍隊構成員、戦闘員であり、自衛艦は軍艦であり、自衛隊機は軍用航空機であるということです。その場合に、軍隊は交戦権、敵対行為を行う権利があるということです。戦闘員は、戦時の場合には、敵国の軍隊構成員または軍事目標に対して、殺傷、破壊しても法的責任を負わない。これは戦闘行為ですから、そういう意味では、戦闘行為に対して戦時においては法的責任がないと。そして被捕獲時には、捕虜待遇があるというのが国際法の仕組みです。

 続きまして、国際法から平和安全法制をどう見るのかということですが、まず、兵站(logistics)問題です。今回成立した重要影響事態法の重要影響事態では、日本はそれに対して後方支援活動が出来ることになっています。それと、国際平和支援法の国際平和共同対処事態では協力支援活動、これも同じことでlogisticsが担当出来ることになっています。この場合、重要影響事態法と国際平和支援法では、武器の提供は物品提供には含まれないと書いてあります。

 その前の周辺事態法ではどのように書いてあったかというと、「物品の提供には、武器(弾薬を含む)の提供を含まないものとする」とあり、その後に条件が付いていまして、「物品及び役務の提供には、戦闘作戦行動のための発進準備中の航空機に対する給油及び整備を含まないものとする」と書いてありました。今回の法律では、その条件の文言が削除されています。(武器の説明で「弾薬を含む」も削除されています。)

 ということは、武器の提供は禁止だけれども、弾薬の提供または戦闘作戦行動のための発進準備中の航空機への給油や整備は可能であるということになります。

 このlogisticsには、食料や水を与えるとか、宿舎を提供するとか、いろいろなレベルのlogisticsがあります。その中で、作戦行動の発進前の給油活動や整備をするということになると、少しずつlogisticsの関与の形が非常に深化している形になります。これは、相手国から見たらどのように見えるかということですね。これは相手国から見ると、共同交戦国のように見える。相手からそう認識されても不思議ではないということです。

 周辺事態法の時にもそうだったのですが、例えば情報提供、天気の情報とか様々な情報提供をする。それは軍事行動にどのように関係するかというと、天気の情報も非常に重要な情報です。その場合、情報提供すら共同交戦国とみなされる可能性がある。ましてや給油活動や整備となると、完全にmilitary operationの中の一環であると見える。逆の立場で、どこかの国が日本との敵対関係の国家に給油活動をしているとなれば、やはり日本からは、その国は共同交戦国のように見える。ですから、日本が後方支援活動や協力支援活動という名前で「これは武力行使と一体ではない」と言ったとしても、相手はどう見るかということを考えると、相手国にとって日本は共同交戦国であるとみなされれば、日本からの支援を停止させるために、日本は相手国から武力攻撃を受ける可能性があるということが言えるのではないかと思います。

 もう一つ、米軍等の部隊の武器等防護問題があります。自衛隊法95条の2に「武器防護のための武器使用」があります。これは例えば、自衛隊の遠洋航海の練習艦隊がどこかの国に行った時に、テロリストから発砲されたと。これに対しては「武器防護で対処」という言い方をするのですが、それは違うと私は思います。

 というのは、軍隊、軍人、軍用機、軍艦というのは、国家そのものです。ですから、国家に対して何らかの武力行使が行われた場合に、それに対して反撃するのは自衛権の管轄に入ります。これは国際法の中でも議論があるのですが、メジャーな自衛権と、マイナー自衛権という考え方があります。国と国が正式に宣戦布告して、バチンとやるのがメジャーな自衛権です。その時には防衛出動の下令があります。

 マイナーな自衛権というのは、例えば国境紛争であるとか、遠洋航海などでいろんなところに行った時に武器の発砲があった場合に、それに対して反撃するかどうかということです。日本では武器等防護という言葉を使っているのですが、国際法からすると、これは自衛権のマイナー自衛権でカバーした方がいいと私は思うのですが、日本では武器等防護という言い方をします。

 今回の安保法制では、自衛隊の武器だけを防護するのではなくて、米軍やオーストラリア軍と共同作戦をした時に、ある国から米軍などの艦隊が攻撃されそうになったら、その時は日本が武器防護のためにカバーに入るということです。ということは、相手国から見ればどう見えるかということですが、日本の論理と相手国の論理は必ずしも一緒するわけではないから、日米や日豪は、その場合、共同交戦国に見えます。ですから、まず米軍を攻撃しようとした時に日本が介入したら、やはり相手国にとっては邪魔ですから、日本の防護活動に対して攻撃を仕掛けてくる可能性がある。それを武器等防護で反撃をするわけですが、それは日本の論理だということです。

武器等防護 後方支援活動 事例

 先ほどの後方支援活動でもそうですが、例えば、A国とB国が交戦していました、日本はB国に後方支援しているという場合(事例1)に、A国は日本の行動を阻止するために、A国が日本に対して武力攻撃をする可能性があるということです。

 それに対して、日本は後方支援活動の武器使用であって、武力行使ではないと。武器使用の場合には危害許容要件がありまして、刑法の36条(正当防衛)、37条(緊急避難)という許容条件がある。ということは、警察的な活動で反撃するということです。つまり、相手国が通常の武力攻撃をしてくる時に、日本は武力での反撃はできなくて、武器の使用でやるということになります。国内法での武器使用の危害許容要件は、正当防衛、緊急避難のみです。

 相手は武力行使をしているのに、こちらは武器使用で反撃するということは、軍事的には劣勢になります。軍事的合理性から言って、向こうが一気呵成に来る時に、こちらは警察比例の原則に従って、相手がここまで危険な攻撃をしているから、こちらはそれに対応して反撃すると。ただし、相手を殺傷してはならない。自分が殺傷されそうな正当防衛、緊急避難の時にしか反撃出来ないというような論理になります。これはちょっと如何なものか。それは武器使用という形にするからそうなります。私の言うマイナー自衛権で考えれば、国家に対する攻撃ですから普通に反撃すればいいわけです。その場合には通常の交戦行為という形になるとは思うのですが。

 事例2の日本に武力攻撃をするA国に対して、兵站業務を提供するB国に対する日本の行動については、A国の日本に対する攻撃を停止させる必要がある場合に、日本がA国をサポートしているB国に対して武力攻撃出来るかというと、日本は、B国の後方支援活動は武力行使ではないと解釈していますから、支援活動をしているB国に対しては、日本は武力攻撃出来ないという解釈になります。

 これも軍事的に考えると日本が劣勢になるというか、日本の戦っているA国の後ろにいるB国が一生懸命サポートしているのを止められないからずっと戦争が続くということになります。これも軍事合理性に反します。日本は自衛権の範囲を自己規制、自己制約していると言いますか、国内法上、兵站業務が武力行使に該当しないという法的な立場をとるということは、あくまでも自己規制です。この場合、B国に対して自衛権を否定するということは自国の存立に関わるわけですから、自衛権の範囲を自己制約しすぎている、軍事的には不合理ではないかということです。

 ですから、私が言いたいのは、例えば日本が、後方支援をしている時に攻撃されたら、それに対しては国家の自衛権として反撃すれば良いのです。また、共同交戦国と思われるような後方支援活動をしているような国に対しては、それをストップさせるために、相手国は共同交戦国なので、それに対しては自衛権を発動するというのが普通の考え方ではないかと思います。

 ここで、条文の規定なのですが、条文の中には「自衛官は、……武器を使用することが出来る」と書いていますが、この「自衛官は」という言葉に少し違和感があります。

 例えば、軍艦の乗員は組織として動きます。司令官や艦長がいて指令します。パイロットもそうです。いろんな指揮命令系統で動いています。陸上における部隊も個人が勝手に武器を使用する──接近戦になった場合は別ですが──、通常、軍隊は上官がいる時には上官命令で動きます。勝手なことをすると組織的に崩壊する可能性がある、殲滅される可能性があるので、組織として動くわけです。陸上の部隊、軍艦(艦隊)、軍用機(飛行隊)は一つの戦闘単位です。そういう意味で、個々の自衛官の武器使用問題は、少し違和感があるということです。

 問題点はどこにあるかというと、先ほど申しました事例において、戦闘活動中に自衛官が捕獲された場合、それから相手の戦闘員を捕獲した場合にどうなるのかということです。

戦闘活動中に自衛官が捕獲された場合、それから相手の戦闘員を捕獲した場合にどうなるのか

 ここで議論が錯綜しているのは、先ほど、辻元議員の質問に対する岸田外務大臣の答弁が紹介されましたが、ジュネーブ条約の第3条約(捕虜条約)を適用出来るのかどうかという議論と、武器使用と武力行使の議論は全く別の議論なのですが、岸田外務大臣の答弁は武器使用と武力行使の議論のことを言っています。これは重なっているように見えるのですが、この2つは全く別の議論です。

 武力紛争に関する国際法では、①「入口論」、武力行使や武力攻撃について、それが自衛にあたるのか、それとも侵略にあたるのかという入口論で議論するものと、②「内容論」、具体的な戦闘行為の中に入った時に、文民殺傷はダメだとか、捕虜虐待はダメだとかという個々の戦闘行為の規制問題、いわゆる交戦行為の議論とは次元が違うわけです。

 辻元議員の「戦闘行為に入った時に捕虜待遇が受けられますか?」という質問に対して、岸田外務大臣の答弁は「武力行使に当たらない、武器使用だ」という水と油の議論で、そこでは誤解があったと思います。

 日本の立場としては、武器使用か武力行使かは別にして、相手が戦闘行為を行ってきた場合には戦闘状態に入ってしまうわけです。自分が嫌だと言っても相手から撃ってきたらそこでもう戦闘状態になります。その場合には、「内容論」で、いわゆる交戦法規が適用されると考えるのが普通ではないかということです。兵站が武力行使に該当するか否かの次元と、軍隊構成員の捕獲時の捕虜か否かの次元は、別次元なのです。敵対行為の発生により、被攻撃国の意図に関わらず、自動的に武力紛争当事国となるということです。日本はいくら武力紛争当事国にならないと言っても、相手から仕掛けてきたら、反撃しないでずっと待っているのか?殲滅されるのを待っているのだったら武力紛争にはならないですが、通常は反撃しますよね。そうすると、それで武力紛争の当事国になるということです。

 そういう意味では敵国戦闘員を捕獲した場合にどうなるか。日本の立場は、武力紛争ではなく武器使用であるから、たまたま相手の戦闘員を捕まえた場合には、武器使用であれば刑法で処罰するということです。刑法の殺人未遂や殺人罪で処罰するということになります。国際人道法は不思議なもので、生命を保証するなど非常に待遇がいいわけです。一方、刑法は死刑まであります。そうすると、戦闘行為においては刑法で処罰された方が厳しい場合があります。

 例えば日本の自衛官を5人殺傷したとして、武器使用として相手を捕まえた場合、殺人罪で起訴ということになると死刑になりますよね。そういう意味では戦時国際法、ジュネーブ諸条約第3条約の捕虜条約に違反になるわけです。相手は戦闘行為だと思って捕まったら、捕虜待遇をしてくれないということになります。敵対戦闘員を捕獲した場合に捕虜待遇を付与しなければ、国際法違反(戦争犯罪)になるということですね。

 そこで、日本の法律では捕虜取扱法(武力攻撃事態における捕虜等の取扱いに関する法律)を有事法制議論の時に作ったのですが、その時は武力攻撃事態のみでした。今回は存立危機事態が入っています。例えば、周辺事態を拡大した重要影響事態にしても、国際平和支援法の法律でも、たまたまそれがきっかけとなって戦闘行為になった場合には、相手を捕まえた場合、やはり捕虜の取り扱いをしないと国際法違反になるというのは明らかなわけです。そういう意味では、その辺を注意しなければならないということです。

 もし、自衛官が捕獲された場合には、後方支援活動が武力行使と一体となるから「武力行使をしていない」と言って、武力紛争事態を認めないことで自らの捕虜待遇を否定するというのは、ちょっと考えられないですね。相手国の国内法で刑罰の可能性がありますから。自分の生命が保証される捕虜待遇を否定して、自分の生命が否定される刑法で処罰してくれというようなことを言うわけですよね。通常は嘘でもいいから「捕虜だ」と言うように教えるのが捕虜教育なのです。ですから、少し違和感があります。有利な捕虜待遇(生命保証)を否定し、不利な刑罰(死刑あり)を招来する可能性があるということは、自衛官の保護の自己否定になるのではないかと思います。自衛官が捕獲された場合は、あくまで相手国に捕虜待遇を要求する国際法上の権利があるにも関わらず、国内法上、捕虜になれないように解釈するのは、少しおかしいのではないかということです。

 続きましてPKOの話です。昔のPKO、1950年〜1960年代の頃は、兵力を引き離して戦わない、真ん中に入ってレフリーをやるという形だったのですが、だんだんマンデートというか任務が変わってきて、先ほどご指摘があったように、最近は文民保護が大きな目的になっています。

 そこで、PKOにおける任務拡大です。自衛隊の宿衛地防護や住民保護、駆け付け警護という問題が今、議論されています。日本では自衛官による発砲行為を武力行使ではなく武器使用ということで位置付けています。それはなぜかというと、海外では武力行使をしてはいけないという前提があるからです。武力行使が出来ないのであれば、武器使用という形で話をしているわけです。先ほど伊勢﨑先生が言われた通り、国際社会ではPKOでの発砲行為というのは武力行使です。国連事務総長の告示「国連軍による国際人道法の遵守」官報は1999年8月6日に告示、8月12日発効ですが、これはちょうどジュネーブ諸条約の50周年にあたります。1949年に出来たジュネーブ諸条約の50周年目にPKOの活動にも国際人道法の適用を規定したということです。

 ここではあくまで国際人道法の基本原則を遵守しなさいということです。そして、武力の行使が自衛の場合に許されている場合のPKOでも適用される(1項)というのは、PKO軍は積極的に戦闘行為をするというわけではないのです。ただ、昔からPKOのセルフディフェンス(自衛)の原則がありまして、それはあくまでも①自分達の命を守る生命防護と、②任務遂行、任務妨害をされた場合にそれに対しては反撃をする、③基地防護、基地に対する攻撃に対しては反撃していいというこの3つが昔から言われていた武力反撃出来る、いわゆるPKOのセルフディフェンスです。

 今まで日本は生命防護だけを言っていたわけですね。任務妨害や基地防護というのは言わなかったのですが、今回の安保法制では宿営地防護、任務遂行型の武器使用が出来るようになったということです。そういう意味では任務が広がっています。

 PKOの法的な枠組みですが、簡単に言えばPKO受入国と国連と兵力提供国の三角関係があります。PKO受入国と国連の間では「国連軍地位協定」、兵力提供国と国連との間では「兵力提供協定」が締結されます。PKO受入国に対してPKO軍を派遣するけれども、刑事管轄権は兵力提供国にありますよ、受入国には裁判管轄権はないですよということです。

 なぜかというと、混乱している国の刑事管轄権はちょっと適用出来ないだろうということです。今までは休戦中にPKOが入ってきたのですが、最近のPKOは戦争が終わった後のピースビルディング、平和構築ということで、戦争が終わった後でも入ります。そこではまだ混乱しているという状況でPKO受入国は刑事管轄権が適用出来ないので、軍隊を派遣した母国が刑事管轄権を持つということになっているわけです。

 それと、兵力提供国と国連の間では何人の兵力を提供するという契約をします。自衛隊は施設部隊を出しますと国連と契約して、その契約のもとに受入国に派遣されます。その時には国連が結んだ地位協定がありますから、地位協定に従って現地の刑事管轄権は適用されないということです。

 PKOの軍隊構成員は、右腕に国連旗、これはミリタリーコマンドということで、軍事作戦に関しては国連PKO軍司令官の軍事指揮下だということです。左腕には派遣国旗ということで、これは懲戒免職処分や刑事管轄権、先ほどもお話がありました軍法ということですね。これは派遣国の管轄下にあるということです。

 PKOは警察活動ではないのです。あくまでも準戦時活動だと思って頂いた方が良いと思います。それと警察と軍隊の違いですが、警察はあくまで比例原則に従って、警察官職務執行法に従って、正当防衛、緊急避難を除いて危害射撃は禁止されています。なぜかというと、国内では警察が武器を持っていて、国民は武器を持っていないという前提です。ですから、なるべく警察の武器使用を規制しようということです。それがポジティブリストいうことで、出来ることを書きます。原則、あまり乱用されないようにしようというのが警察官職務執行法の形です。

 軍隊というのは、どちらかというとネガティブリスト、出来ないことを書きます。ですから、書いていないことは出来ると考えるのが軍隊の行動様式です。なぜかというと、ポジティブリストでやると不明確なグレーゾーンの場合に武器が使用出来ない、それが個人の生命を奪うことになる、危険になるから、出来る限り制限しない。手を縛ることは戦闘員の危険を増加させることだから、あくまでこれはやっちゃダメだよ、住民虐待をしてはダメだよ、捕虜虐待してはダメだよ、というようなネガティブリストの方がいいのですね。

 ですから、軍事活動において、警察的な発想で行動するというのは少し違和感というか、無理があることは確かです。相手から発砲を待って、自衛権を発動するということは、軍事合理性に反することで、疑わしい場合には撃ちます。なぜかというと、先制自衛というものがありまして、要するに急迫した場合には反撃してもいいのです。これには、個人のindividual self-defense(個別的自衛)と、集団のunit self-defense(部隊防護)があります。例えば、個人の生命を守るために自衛官が個人的に自衛権行使も出来ますが、部隊が殲滅されないために反撃する、unit self-defenseという考え方があります。ですから、軍隊の行動に警察的な行動を入れると非常に動きにくくなります。PKOに関しては出来る限り自由というか、制約しないという前提の方が行動しやすいということですね。

 そこで、ROE(Rules of Engagement・交戦規則)の話ですが、ROEは日本では「部隊行動基準」と言いますけれども、ROEはあくまでも国際法にかなったもので、そこから外交や政策、軍事合理性などを考えて絞っていったものです。ですから、敵対関係の状況によってROEは変わっていきます。ROEはあくまで国際法を前提としていますから、後は国内の政策によりますが、ROEを守れば、戦闘行動は合法推定になるわけです。

 自衛官が一番怖がる、心配するのは、誤射、誤爆の話です。通常は戦闘行為での手続きの過失責任を問うだけです。例えば、疑わしい場合には、「お前は止まれ」「お前は誰だ」と誰何(すいか)して、言うことを聞かない場合には発砲します。向こうから自動車が来て、誰何して「止まれ」と言っても止まらない場合には対戦車砲を撃ちます。緊張状態の中ですから、疑わしい場合には撃つというのが軍事合理性です。通常、これはあくまで事前の手続きの問題であって、結果責任は問わないのです。刑事責任は問われないということですね。

 先ほど、誤射、誤爆の場合に、相手国、相手国民に対する見舞金では解決しないじゃないかというお話がありましたが、補償金と賠償金は違いますよね。違法行為を前提とした賠償金と、合法行為だけれども、それに対しての補償金は、別に考えればいいのではないか。よくアメリカは見舞金を使います。手続き的に合っていれば、誤射の刑事責任は問われない。それは被害国、被害者にとっては許されないのではないかという議論ですが、そこは準戦時事態であるということが問題です。

 軍事司法制度には軍刑法(実体法)と軍法会議法(手続法)がありますが、日本では「軍法会議法」の訳し方を間違えてしまったと思います。フランス語の「conseil de guerre」を戦争に関する「会議」と訳してしまったので、「軍法会議」が何か集まってお話するのかなというイメージがありますが、これは軍事裁判所のことです。

 軍事司法制度では、軍隊構成員に対しては通常の刑法の処罰より厳罰に処します。日本の自衛隊法によれば、秘密漏洩しても、敵前逃亡しても懲役は最高7年ですよね(自衛隊法122条)。普通、敵前逃亡や機密漏洩なんかは銃殺です。これがいいかどうかの議論は別にして、国家を転覆させるようなことをすれば、普通は死刑です。日本の場合には7年ですから、だから私がもしも工作員であれば、一億円ぐらいで自衛官を誘惑して、「7年間だけ我慢しろ。その後、1億円あげるよ」と言えば、秘密漏洩があるかもわからないですよね。そういう意味では、厳罰の軍刑法を作った方がいいというのは確かなのです。

 日本では特別裁判所は認められないわけですから、一般の裁判所で裁きます。最高裁までつながっていけばいいのです。例えば、海難審判所みたいな形で、専門家が海難事故を判断する。それでダメな場合には最高裁まで持っていくというような形にすれば、まだ話はわかります。ただ、普通の裁判官に軍事的な素養があるかどうかというのは問題です。素人に判断されてしまう危険性がある。それは軍隊構成員にとってはやはり不本意です。ただ、軍事裁判所の場合には仲間内意識があって、甘く判断されるとの批判もある。軍事裁判所のあるべき姿をどうするかというのはまた別の議論だと思うのですが、日本では軍事的な事象を専門的に判断する制度がないということです。

 日本はそういう意味での法整備が無い、例えば海難審判所みたいな形で最高裁につなぐような、特別裁判所ではないのですが、そういった専門職の機関を作るというのも一つの考え方ですが、今の日本にはないので、自衛官は全て一般刑法で一般の裁判所で処罰されるということです。

 故意による死亡事件は殺人罪で、刑法の国外犯の処罰規定が適用されます。例えば南スーダンで殺人事件を起こした場合には、日本の刑法が適用されます。

 過失による死亡事故の場合は過失致死罪ですが、この場合には刑法の国外犯規定がない。誤射、誤爆というのは結果責任ではない、手続き的に誰何するなどのROE手続きを踏んでいれば処罰されないという安心感がなければ、なかなか海外では活動しにくいのではないか。国内に帰ったら起訴されるとか、告発、告訴されるというような意識があると、誰も行きたくなくなるのではないかなと思います。賞恤金(しょうじゅつきん)や名誉、慰霊など、そういった問題も当然残っているでしょう。

 最後に国際法と国内法の関係ですが、最初に言いましたように国際法と国内法は別次元ですから普通は二元論です。憲法が上だとか、国際法が上だとか、一元論の議論はしないのですが、ぶつかった場合にはどちらを優先するかというと、先ほどご指摘がありましたように国際法です。国内法を理由として国際法の義務を免除出来ないわけですね。

 日本はジュネーブ諸条約に入っていて当事国ですから、「うちの家訓ではこうなっているから、あなたの言うことは聞きません」というような、家の事情を話して義務を免除してもらうということはありえないわけです。そういう意味では捕虜の問題では、国際法が優先されるということになります。

 今までは、国際法と国内法が法的に矛盾することは顕在化しなかった。なぜかというと、そういった場面を避けてきたからです。これからは海外活動が増加して法の衝突が顕在化する蓋然性が高い。日本が海外活動を継続するのであれば、日本の法体系を国際基準に修正すべきだろうと思います。

 自衛官は戦闘員としての権利を持っている訳です。自衛官や自衛隊の国際法上の権利を制限して、捕虜待遇を受けることを否定し、自ら軍事作戦を否定する、不利にすることや、相手がドンと来ているのにこちらは警察比例の原則で対応するというような軍事合理性に反することはやはり回避すべきではないかと思います。


司会 どうもありがとうございました。それでは冨澤さん、コメントをお願い致します。


冨澤 暉

コメント
冨澤 暉

元陸上自衛隊幕僚長

 冨澤でございます。先に伊勢﨑先生と岩本先生から発表がありました。私は横で聞いておりまして、ほとんど異論がございません。賛成であります。ただ細かいところで質問したいところや違和感のあるところがあるのですが、それは後でおそらくディスカッションの段階で必ず出てくると思います。

 私は最近、日米新ガイドラインと安全保障関連法で自衛隊はどう変わるのかと質問を受けることが多いのですが、今日は「自衛官の法的地位」に関連することだけを申し上げます。私は防衛大学の応用物理出身でございまして、法律なんてものは全く勉強したことがない人間で、ここで申し上げるのは恐縮なんですが、それでもこういう質問が多いものですから、自分の後輩達が仕事をしているところにお邪魔してですね、彼らも忙しい中なんですが、ちょっと教えて欲しいと言って、法務官室と防衛部の専門家である後輩から学びました。学んで感じたことをこれから申し上げます。

 この数年、「集団的自衛権」という言葉が日本中に横溢していたわけですが、私がどう読んでもこの平和安全保障法制関連2法の中に集団的自衛権に関わる言葉は全くありません。最近、野党がこの法律を憲法違反だと追及すると言っていますが、法律が憲法違反ということは、集団的自衛権は憲法違反であるということを言うわけですけれども、この法律に「集団的自衛権」という言葉が全く書いていないのだから、この法律を追及することは出来ないだろうと思います。

 ただし、野党がどうしても憲法違反であると追及するとしたならば、この法律ではなくて、この法律の元にある2年前(2014年・平成26年)7月1日の閣議決定の、その中の存立危機事態というところで、極めて限定的な集団的自衛権という言葉があるんですね。そこのところしか追及出来ないので、出来上がった法律そのものを「集団的自衛権が憲法違反である、従って集団的自衛権を使ったこの法律は違憲である」ということは言えない状態にあるという私は認識致しました。従って、これからも自衛隊の行動は集団的自衛権にはあまり関係ない、ということで、あまり変わらないだろうと思っております。

 それから先ほど岩本先生からお話があったように、2〜3年前まで盛んに「マイナー自衛権」という言葉が議論されました。安全保障懇話会(安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会)が2年前の5月15日に報告書を提出されたわけですが、その直前までこの「マイナー自衛権」の話が盛んにあちこちで飛び交っていたんです。結局、安全保障懇話会は、マイナー自衛権というのはまずいということで、マイナー自衛権という言葉を一切使わないということになったと聞いております。先ほど岩本先生のお話があったように、米軍支援で米艦と日本の自衛艦が一緒に行動している時に米艦が撃たれて、それに撃ち返すのはこれはマイナー自衛権ではないかと議論されていたんですが、どうもやはりマイナー自衛権はまずいということで、自衛隊法第95条の武器等防護に集約されたということです。

 問題点は何かというと、武力行使というのは国際法上の国の行動なんですね。ところが先ほど岩本先生からいろいろとお話がありましたが、武器使用というのは自衛隊員等が実際に業務を遂行する時の個人の措置のことを武器使用というわけです。集団的自衛権というのは国連憲章第51条に書いてある国際法上の国家の権利です。この集団的自衛権を使うか使わないかは、国家の権利ですから国の最高司令官が発動しないと全く役に立ちません。また、国の最高司令官が発動し、その結果責任は全部、国の最高司令官たる内閣総理大臣が負ってもらわないと困るんですね。

 ところが武器使用は、自衛隊員個々の任務遂行上の個人の措置としてあるわけです。これは集団的自衛権ではございません。これは正当防衛と言います。面白いことに「自衛権」という言葉は、英語で言いますと「self-defense」です。正当防衛権も「self-defense」です。英語では同じ言葉ですが、日本では違うんです。

 日本では集団的自衛権というのは国際法上、使う言葉であって、国家の権限であり、責任が国家にあるんです。正当防衛権というのは個人のものであって、それを使う権限も個人が持っており、そしてその責任も個人が負うわけです。

 つまり、自衛権というのは国際法上の問題であり、正当防衛権というのは日本の国内刑法上の問題なんです。ところが、英語とポルトガル語とスペイン語とフランス語では、これが同じ言葉なんですね。英語で言うと「self-defense」で同じなんです。そこから全ての誤解が生じているわけです。日本と同じように国内法上の「正当防衛権」という言葉と、国際法上の「自衛権」という言葉を分けている国も結構ありまして、日本、ドイツ、ロシア、中国もそうだと思います。何年か前から集団的自衛権、自衛権と言っているんですが、ともかくそこがよく分かっていない。正当防衛権というのは国内法に基づく個人の権利であり、個人の責任であると。

 先ほど岩本先生が言われた、「unit self-defense」というのは、1〜2年前に出てきたんです。私に海上自衛隊の連中が「これからはマイナー自衛権なんて言わないで、unit self-defenseだ」と言うものですから、「unit self-defense」とは何だと、集団的自衛権のことか?と聞いたら、英語の上手い奴が「冨澤さん、あれは違うんですよ。集団的自衛権とは関係ないんです。unit self-defenseはあくまで正当防衛のことなんですよ」と言うんですね。

 私も随分と考えて、いろいろ人に聞いて勉強したんですが、今回、自衛隊法第95条(武器等防護)での武器使用は、隣の軍艦がやられていて、日本がその軍艦のために撃ち返すとしても、その軍艦にはアメリカの部隊が乗っているんでしょう?その部隊を守るためではなくて、アメリカのその軍艦が日本の自衛のために役に立つから、それを失わないように撃ち返すという話なんですね。

 もう一つ面白いことがあるのは、この武器等防護というのは、先ほど岩本先生が言ったように、主語が「自衛官は」です。これは昔からです。私どもが現役の時代から武器等防護というものがありまして、例えば弾薬庫を防護する場合、弾薬庫にテロリストが入ってきて、我々の武器である弾薬を盗んでいったら大変だから、そこで武器を使用してもよろしいということになっている。これは武器使用であって、武力行使ではない。つまり、向こうがこちらを撃たない限り、相手を撃ち殺してはいけないということです。

 武器使用というのは相手を脅かす、警告する、それでもダメなら脚を撃って動けなくするという警察官の職務執行と同じです。相手を殺してはいけない。武器を守るという職務執行のための武器使用であって、相手を殺人するのが武力行使だから、一切、武力行使をしてはいけない。つまり、相手に危害を与えてはいけない。

 ただし、武器使用には一つの条件が付いていまして、正当防衛、緊急避難に関わるものを除くと書いてあります。正当防衛とはどういうことかというと、相手も鉄砲か何かを持っていて、その歩哨を撃ってきたという時には、これは正当防衛権が使えるわけです。撃たないで物を盗んでいる奴を殺してはいけない。しかし、そいつが私に向かって鉄砲を撃ってきたら撃ち返してよろしいと。そんなことを言っている間に先にこっちが死んじゃうんですけれどもね。そういう格好で我々はやってきたんです。それをそのままやるということです。

 アメリカの武器を守るために武器使用出来るのかという議論があったのですが、アメリカが言い出したのが「unit self-defense」で、アメリカであろうと何であろうと、一体となった物は財産権がありますから、その財産を失うことを防ぐために武器を使用出来る。そして、相手がこちらを撃ってきた時には、正当防衛で相手に危害を与えてもいいと書いてあるわけです。

 正当防衛、緊急避難以外の時には相手に危害を与えてはいけないのですが、危害を与えない射撃というものは難しいんです。特に海の場合は。最近は船体射撃なんていう言葉がありまして、相手の船を止めるために撃つ射撃をします。僕らの常識では海上自衛隊の軍艦が持っている大砲で、どこかの船を撃てば、大抵、撃沈しちゃうんじゃないかと思うんですが、あくまでも撃沈させない射撃ということなんです。

 要するに、今回の安全保障関連法に「マイナー自衛権」で議論されていた米軍支援は全部入れたということです。これは集団的自衛権になるのか、ならないのか、私は直接聞いたんです。防衛省の政策局長経験者等偉い人達に「これは集団的自衛権なの?」と聞いたら、「いや、集団的自衛権ではありません」ということでした。だから、これは集団的自衛権ではないということです。

 今の話との関連で「任務遂行のための武器使用」についてです。武器を守るという任務のための武器使用など「任務遂行のための武器使用」は色々と沢山あるんです。これは、法律には主語が全部「自衛官は」と書いてありますから、自衛官一人ひとりの責任なんですね。

 1990年代のPKOに出す時に、自衛隊はこの問題で大揉めに揉めたんです。自衛官一人ひとりが勝手に判断したのでは困るじゃないかと。自衛隊は世界で言うと軍隊で、部隊には指揮官がいるんだから、相手に撃たれたからと言って個人が勝手に正当防衛で撃ち返すのはまずい。正当防衛で撃つ場合でも、指揮官の命令でやらないといけないということで、法律を全部変えちゃったんです。武器使用についても指揮官の命令によると決めちゃったんです。

 そうしますと、隊員一人ひとりの責任ではなくて、各級指揮官の命令によるとして各級指揮官の責任になったのですが、各級指揮官の命令を隊員が聞かなかった場合どうするか。各級指揮官は階級が上ですから、こんな状態で撃ったら正当防衛にならないと思ったら「撃て」と言わないんだけれども、隊員は怖いから「もう撃たないと俺が先に撃たれちゃう」と思うと先に撃っちゃうかもしれないわけですね。だから、そういうことをさせないために、あくまで各級指揮官の責任、命令によるということになっている。各級指揮官の命令がないのに隊員が先に撃っちゃった時には、その隊員を命令違反として処罰しないといけません。

 しかし、実はそういうのは何にも決まっていないんです。命令しない指揮官の責任、命令した指揮官の責任、命令を受けないにも関わらず撃ってしまった隊員の責任、そういうものが曖昧じゃないかと。そう言って私が後輩達を追及したら、「その点は今後、訓令等の検証を行って、訓練を重ねてやりますから、冨澤さん、曖昧だからダメだとは言わないで下さい」と言われました。だからダメだとは言いません。

 もう一つ、後輩達に言い訳がありますのは、自衛隊法には第9章に罰則という項目があります。先ほど岩本先生が言われたように、昔の我々の時代から罰則はあったのですが、各国の軍隊の罰則に比べると非常に甘いんです。敵前逃亡しても7年間ぐらいなんです。

 今回、その罰則の中に第122条2項が追加されました。説明が難しいのですが、平時における訓練中など普通の状態において、いろんなことが起こる。その中でもいわゆる懲戒で済まないような重い罪があるわけです。重い罪は以前から懲役何年や禁固などがありました。今までの規則では全て国内で罰せられるようになっていたわけです。今後、公海上やPKOに行ったら外国で起こった場合など、罰則の中に122条2項を追加して、自衛官の国外犯処罰規定が整備されました。

 1つは、上官命令に対する反抗及び部隊の不法指揮です。上官が命令しないのに、部下の中で勝手に「俺が指揮官になる」と言って不法に指揮をした者に対しては罰則があるということです。もう1つは、職務離脱や命令への反抗、命令に対する不服従です。これらは他の条文にあったり、昔から例えば、防衛出動命令を受けて出動命令下に入った者は──命令を受けない者はいいんですが──、こういう時にはこういう罰則をするといったものがありました。

 今までは、防衛出動は基本的に国内でしか下令されないという前提でしたが、今後はどうなるか分からない。防衛出動が公海上でも発令されるかもしれないし、外国でも発令されるかもしれないから、国内だけじゃなくて外国でも適用するよということです。

 この法律で、先程言った各級指揮官の責任という曖昧さを少しでも明確にする、つまり、各級指揮官が言ったことを隊員は守らないといけないよ。各級指揮官も誰かの部下ですから、上の指揮官の命令を聞かなきゃいけないよと。それをずっとたどっていくと、最後は総理大臣の命令を聞かなきゃいけないよということになる。そういう歯止めがここに出来ているということだけはお伝えしておきます。

 次に「自衛官は外国では紛争当事国の戦闘員ではないので捕虜になることはない」と岩本先生からも先ほどお話がありました。この問題も「おかしいじゃないか」と防衛省の人達にいろいろと聞いたんです。正直を言うと、防衛省の人達もみんなおかしいと思っている。捕虜にもなれないというのであれば、外地に行く気に全くなれないでしょう、自衛隊の士気に影響するでしょうと。私もそう思ったんです。

 しかし、外務省が全然言うことを聞かない。外務省はこれで正しいと言うんです。外務省の条約局あたりの国際法の素晴らしい方々がやっているらしいのですが、我が国が武力行使をしないという前提で外国に行ったのに、捕虜になったのでは前提が狂うという、先ほど岩本先生が言った話と同じなんですね。

 実は、私と同じ大学で一緒に仕事をしている航空自衛隊出身の織田君のところに自衛隊の法務関係の人が来た時、織田君が「俺も実におかしいと思っている。一番、それを認識しているのは私だ」と言ったんです。自衛隊がイラクに行った時、クウェートに輸送機を3機持って行ったんです。彼はクウェートからバクダットに一生懸命、米軍の品物か何かを兵站支援で運んでいたんです。

 その時に織田君が一番気がかりだったのは何か。テロゲリラも携帯式の対空火器を持っているんですが、結構当たるんです。速度の遅い機体の大きな輸送機ですから、いつ堕とされるか分からない。堕とされたら飛行機は不時着、或いは隊員が落下傘で飛び降りる、そういう状態になった時に一番怖いのは、砂漠のど真ん中にその隊員が取り残されるわけでしょう。そうなるとテロゲリラに必ず捕獲される。そうなった時にどういう対処をするかというのが、織田君にとっては当時最大の心配事であったと。

 そういう隊員が出て捕虜になった時に「自衛隊は捕虜になりません」なんて言ったってどうしようもない。しかも捕虜優遇を受けられない。捕虜にならないということは、グアンタナモにアラブ人を集めてやった時に、あれは捕虜ではない、捕虜じゃないからといってすごくいじめられたわけですよ。捕虜だったらあんな拷問はかけられないわけです。捕虜にもなれないということは、拷問かけられようと、いじめられようと勝手に殺されようと、どうしようもない。

 そんな状況に自衛隊員を持って行くなんていうのは信じられないということで、織田君は彼の息子──なかなか優秀な人らしくて外務省の条約局にいるそうです──を呼びつけて叱りつけたそうです。そうしたら、「お父さん、外務省としては絶対に譲れない」と。自衛隊を外国に出すにあたって、外国で武力行使をしないと。交戦、戦闘をしないんだと。あくまで使うのは武器使用で、そんなものが捕虜になる資格はないというのは当然なので、その代わりに──岸田外務大臣も確かに後で言っているのですが──、もしそういう隊員が捕虜ではなくて、テロゲリラに確保、監禁された場合には、外務省としては人道上のことでもってテロゲリラと交渉します。人道上、無下な扱いはしないようにして下さいと交渉しますということを言っているので、外務省と防衛省の間の話で、防衛省の内局の人でも「これはないだろう」と言ったと聞いておりますが、分かりません。

 結局最後は内閣のところでやはり外務省の言う通りにしようということで、外務大臣がお答えになったということなので、「冨澤さん、これはおかしいと言わないで下さい。国家の命令により任務に就く隊員の身柄安全確保に政府として全力を尽くす所存でございますから、それを冨澤さんが要望する格好にして下さい」ということです。こういった問題は彼らとしては、運用面で細部を調整し、修正します、ということで、「皆さんが心配しているように、自衛隊の行動が今後、大きく変わるということはないと思いますし、冨澤さんもそう思って下さい」とのこと、私もある程度はそう思います。ということでとりあえず終わります。


柳澤 協二 元内閣官房副長官補、自衛会を活かす会代表呼びかけ人

討論
柳澤 協二

元内閣官房副長官補、自衛会を活かす会代表呼びかけ人

 金曜の夕方にも関わらず、私の予想を遥かに超えた大勢の方にお集まり頂きまして、まず感謝申し上げたいと思います。それから岩本先生、いつもの冨澤大先輩にもご参加頂きましたことにも感謝申し上げたいと思います。

 安保法制が通って3月29日に法施行になりましたが、報道を見ていても、なかなかすっきりとしていなんですね。例えば、中谷防衛大臣の話では安保法制が施行されても自衛隊法第95条2項の米艦防護の規定は当面まだ適用しないという話がある。そして今、南スーダンに出しているPKO部隊に駆けつけ警護の任務を直ちには与えないということにもなっている。その理由はなんだというと、部隊行動基準というのでしょうか、ROEなりがまだ十分出来ないからだという話をしているわけです。新聞報道によれば、駆けつけ警護の任務を与えられて、相手が武装勢力であった場合には、今の射撃の危害許容要件──先ほどから出ていますが──、正当防衛、緊急避難でなければ相手を傷つけることが出来ないという武器使用のあり方ではとても武装勢力相手にはやってられないじゃないかと。いや、そんなことは最初から分かっていただろうと私は思うんですけれどもね。

 どうもこういう構造を見ていると、防衛省としては時の総理にことさら反対はしてこなかったけれども、いざ実施の段になると自分達の身に降りかかってくることなので、そこはしっかりと詰めて自信を持っていかないとやれませんよということをここに来て言い始めているんだろうなと思います。

 それはそれで、当然そうでなければいけないと思っているのですが、実は先日、冨澤さんも大御所でいらっしゃる偕行社というところのシンポジウムに呼ばれて、私一人反対の立場で発言をしてきたんですが、そこで私が言いたかったメッセージは、「自衛隊OBの皆さんは、この法制で本当にいいと思っているんですか?」ということなんですね。どうもこの法制で本当にいいとは思っていないんだと思います。特に捕虜の問題については、基本的には自衛官OBの皆さんは怒っていると私は受け止めてます。そういう論文も自衛隊OBの懇親会の刊行物に表れてきています。そして、「これが第1歩で、まだまだ不十分なんだ」という言い方もされますが、しかし私は、その不十分さというのは本質的な問題なんだと思うんですね。

 昨年、大阪のテレビ番組に東京のスタジオから中継で出た時に、相手は大阪大学の坂元一哉先生だったんですが、コメンテーターの一人から「今の状態で自衛隊員が外国に行って、武器を使って人を殺せば殺人になるんじゃないの?」という問いかけがあったので、私は「そうですよ。それっておかしいでしょ」という話をしたら、坂元先生は「そういう不備があるなら法律を直さないといけないね」と、政治学者は気軽におっしゃるんですよね。しかし、なぜ出来ないかというと憲法の問題だからなんですね。

 やはり今の日本国憲法というのは、自衛隊が海外に行って武器を使うような任務に当たることを想定していない憲法なんです。有り体に言えば憲法違反なんですね。今の憲法の下では出来ないことを法律にしようとしているということだと私は思います。

 先ほど出た安保法制と集団的自衛権の問題で言えば、確かに条文に集団的自衛権という言葉は書いていないけれども、我が国が攻撃されていないにもかかわらず、密接な関係にある他国を防衛するという意味の、そういう概念が取り入れられているという意味では、憲法違反だという野党の主張も間違っていないと思っています。

 マイナー自衛権の話も、私が防衛省にいる時にもこの話はありました。しかし、自衛隊法第95条の武器等を守るというのを、実は乱暴にも海外でも自衛隊が使えるようにしていましたから、いよいよとなればそれは国際法的にはマイナー自衛権と言えばいいことで、しかし、国内法的には自衛権と言った途端に、防衛出動命令とか、国会の事前承認とかという話が出てくるので、だから何もことさらマイナー自衛権と整理する必要はないのではないかという話をしてきた記憶があるんですね。

 そして、安保法制懇の中でも、隣にいるアメリカの船を守れないのは集団的自衛権が使えないからだということで、それは使わないといけないでしょという報告書になっているわけです。つまり、米艦防護というのは自衛権の問題として認識はされていたわけですね。

 しかしそれでは憲法との関係でそれ以上踏み出せないということで、これを──私はここは凄く吃驚したんですが──、まさかこれは平時の武器使用かよ、ということなんです。自衛隊法95条にしちゃった。95条というのは保安隊の頃からある規定で、当時の物騒な国内治安情勢のもとで、暴徒が押し寄せて武器庫から武器を持って行かれたら困るから、それを守るために武器を使ってもいいという規定を入れたのです。

 何も公海上で、これは規定上、地球の裏側でもアメリカの船と一緒にいる時には使えるわけですから、自衛隊法95条はそんなことまで考えていない。だから国際法との整合性なんてものは全く考えない状況で出てきている。

 他の自衛隊の規定もそうです。先ほどの罰則の規定も、一番大きな問題は防衛出動を海外でもやるというのは──やるとすればという話ですが──、敵前逃亡で懲役7年とか、或いは実際に使われる可能性があるのは、出動命令が出ていない時の罰則として、先ほども冨澤さんがおっしゃっていました、集団で上官に反抗する、違法な部隊の指揮をするという懲役3年なんですね。これはこういうものを使って部内秩序の維持をしなければいけないような海外任務が出てきたということを意味しているんだと思います。

 なぜ懲役が3年や7年でおさまっているのかと言えば、それは自衛隊が軍隊ではなくて、国防という行政サービスを担う特別職国家公務員だからなんですね。だから今の憲法の、公務員法制全体の中からそう飛び跳ねた、外れた重い刑罰は設けられないという事情があるということだと思います。

 武力行使と武器使用の話で、武器使用で確かに皆さんおっしゃっていることはその通りなんですが、ちょっと議論のために整理だけさせて頂きますと、武器使用権限というのは警察官職務執行法(警職法)に由来しているんです。

 警職法7条に警察官の武器使用権限が書かれているんですが、危害許容要件は、正当防衛、緊急避難の場合と共に、長期3年以上の刑に相当する罪を犯した犯人が逃亡することを阻止するため、つまり、今そこで人が殺されて、血の付いた包丁を持っている奴が逃げていく、これに武器を使っちゃいけない、危害を加えちゃいけないんじゃあ取り逃がしてしまうから、その場合は脚を撃って怪我をさせてもいいよという規定が警職法7条なんです。

 それでは不十分だというので、治安出動の時には、多衆集合、大勢集まって正にこれから暴行脅迫をしようとしている連中には危害を加えるような射撃が可能な規定がおかれていたわけです。そして北朝鮮の工作船の事案に対応して、工作員が上がってきた時に、少数でも強力な武器を持っている相手がいて、それに対して治安出動命令を受けて出た場合には、相手を鎮圧するような武器の使用、つまり危害を加えるような武器の使用が出来るというところまで法改正がされている。だから、国内の治安対策、国内における警察行動という面では、かなり整備はされてきているということですね。

 ついでに工作船については、船を停止させるための船体射撃が認められましたが、これは海上自衛隊が実際に古い油船を標的にして実験したところ、結構ピンポイントで当たるんですね。エンジンに当てるのか、マストを狙って当てるのか、レーダーで照準する5インチ砲ですから、かなり正確に当たるということが立証されたので、その場合、船内に人がいて、死んでもそれは基本的には危害許容出来る要件、射撃になっているわけです。

 ちなみに国内法で言うと武器の使用というのはまず「武器を構える」、これが武器の使用なんです。次に空に向かって撃つ、或いは足元に向かって撃つ。そういう手順があって、そして正当防衛、緊急避難に該当する時は相手を傷つけても良いという段取りになっている。

 だから、相手が武装勢力の時の駆けつけ警護任務で、そういう武器使用基準では、とても相手にならないから、それは使えないよな、というのが今の自衛隊の悩みになってきているということなのですね。つまり、今の法制の中で駆けつけ警護任務をやるというのは、私は出来ないんだろうと思っているわけです。

 それから、国内法と国際法とで色々と違う、伊勢﨑さんのおっしゃっていた交戦権がないというのは、政府の説明では、交戦権というのは、戦う権利という意味ではありません。つまり、我が国が一定の武力攻撃を受けた場合に、それに対して反撃する武力の行使は可能であって、その時は当然、相手をやっつけるような交戦をすることは出来るわけです。

 政府の理解する憲法9条第2項の交戦権というのは、交戦国として通常持っている権利、敵の国土の一部に占領行政を敷くとか、そういう権利はないと理解してきているわけです。或いは第三国の船を臨検、拿捕するような、そういう交戦権はないということをずっと言ってきたわけですが、いずれにしても日本が武力攻撃を受けた時の対応だけを考える限り、外国に行くわけではないので、国際基準との矛盾はなかったわけです。

 実は、今までの自己保存型の武器使用権限しかなかったとしても、間違って民間人を殺した場合、それは過失ではなくて故意なんです。人を殺そうと思って人が死ぬという結果が出て来れば、それは故意による殺人になるわけですね。

 それが相手が民間人であれば、果たして正当防衛になったのかどうかというのは、多分、相手が武装勢力でもそういう問題があると思うんです。そして、部隊には憲兵、法務の職種の隊員が何人か同行しています。彼らはそういう銃撃戦があれば──まあ言うは易く、やることは難しいかもしれないが──、すぐに現場の確保に向かう覚悟で出て行って、さてそれをどうするのか、おそらく東京地検に持って行って相談をするということになるんだろうなと思います。

 私は石破さんなんかともよく話をしていたんですが、終審裁判所でなければ、物事を行政的に整理する審理機関は作れるのだから、先ほどおっしゃっていた海難審判所のようなところを作っていく、或いは東京地検に特捜部に加えて、東京地検防衛部を作ってもらうとか、そういうことで専門性を持っていくというのが一つのやり方だろうと。ただ、いかんせん、日本の刑法ですから、それは軍隊がやったことだから手順を踏んでいればOKということにはならないだろうということですね。

 国内法と国際法はそういうことでずっと違ってきているんだけれども、先ほど申し上げた自己保存のための武器使用に限定していても、そういうことは起こり得たわけですね。前にも申し上げましたが、私はそこに問題意識を持たずに来た。なぜかといえば、撃つと思っていなかったからです。撃たないから、私はこっちがやられる事ばかり気にしていたんです。

 この安保法制で、こっちが撃つことを気にしなければいけなくなってきたということです。この矛盾は今の憲法体系の下で本当に解消出来るのか。解消できないとすれば、自衛隊がこれで本当に行動出来るんだろうかということが問題になってくるわけです。

 OBの会でも申し上げたのは、誰か関係者の中で「これはヤバイ」って声を上げなければいけないんでしょと。それをあなた達は迷惑だと思っているんですか?という問いかけをしたら返事はなかったのですが、ただ、彼らの決意はこういうことです。つまり自分達が危険になることは覚悟の上ですと。安倍総理は防大の卒業式で皆さんの任務は今までと同じように危険だとおっしゃったわけですが、私は「今まで以上に危険だ」と言うべきだったと思うのですが、ただそれは自衛官ですから甘んじて受けますと。それによって、国民の危険が減るのであれば、そういう前提のもとに甘んじて受けるということです。

 そうすると、自衛隊がもう一度イラクに行くようなことになった場合に、本当に国民の危険が減るのかということをもう一回、政策の問題として、或いは情勢の問題としてしっかりと議論をしていかなければいけませんが、そういうことがまったく行われていません。この間、別の自衛官OBは私と同席したNHKのラジオの中で、そういうことをちゃんと議論して下さいと。終わったんじゃない、これからが始まりなんです。国民と状況を共有しないと自衛隊はやっていけないんですということをおっしゃっていました。

 今、物事はそういうフェーズに入ってきています。だから、自衛隊を活かす会の中でも、実はこの問題は、一番深刻なんだと私は思っています。今までは、そうは言ったって海外でドンパチやることはないんだからということで、国際法との違いも何も、法の矛盾が顕在化しないで済ん出来た。私も正直に言うと大して悩みもしなかったんですが、本当に深刻な悩みがここで出てきているということだと思います。

 ちなみに、外務省は、武力行使との一体化論を今まで一貫して忌み嫌っていたんです。そんなのは英語では通用しないんです。英語で何と言うか知っていますか?「So called “Ittaika”」って言うんです。私に言わせれば、訳する手間を惜しんでいただけじゃないかと思うんですが、そういう外務省が、なぜ自衛隊員が捕まった時の捕虜の問題に関しては一体化していないという議論を貫こうとするのか、そこまでしてとにかく安保法制を通したかったんだろうと思うのですが、私はそういう邪な動機に怒りを禁じえないんです。

 国内法は日本独自の憲法解釈でもって色々糊塗してきました。それは、海外で戦争しない限り、それはそれで済んでいた。問題は何が問われているかというと、そういう自衛隊であることを、国民がそれを自衛隊に望むのですか?ということが問われるわけですね。

 望んでいる以上は、主権者として、憲法だって変えなければいけないわけです。その代り、結果に責任を持たなければならない。望んでいないのであれば、こういう法律を作っちゃいけないということなんです。そこは主権者の問題だということです。

 そして、自衛隊が海外に行った時に、この法律を使ってどういうことになるのかということを共有していくという、そのために私達もそういう目的でこのようなシンポジウムを続けているわけですが、今、そういう新たなフェーズに来ています。議論がもっと具体的なイメージを持って深まっていく段階に来ているんだということ。そして政府はそれをやろうとしないんですが、だからこそ我々はそういう議論をしっかり掘り起こしていかなければいけないと思っている次第です。


加藤 朗 桜美林大学教授・自衛隊を活かす会呼びかけ人

討論
加藤 朗

桜美林大学教授・自衛隊を活かす会呼びかけ人

 柳澤さんからの問題提起を受けまして、そもそも論から考えてみたいと思います。

 なぜ安保法制が必要だったのかということに関して言うと、私はあえて吉田ドクトリンと対比させる意味で、「安倍ドクトリン」と名付けているんですが、安倍ドクトリンの本質は虎の威を借る狐の戦略だと思います。つまり、アメリカに寄り添うことでなんとか大国としての威信を維持したいという、それが安倍ドクトリンの本質です。だから、積極的平和主義というのは積極的対米貢献です。対米貢献を通じてアメリカに恩を売り、日本の威信を高め、そして日本の政治力を高めるという、そういう意味合いでこの安保法制が出来たのだろうと思います。

 でも、皆さんちょっと考えてみて下さい。今、日本の国力がどうなっているかということです。日本が仮想敵としている中国とのGDPの差では、日本は中国の半分ですよ。個人のGDPは世界で27位です。こんな弱小国になって、大国振ることが出来るのかどうかということですね。

 実際に海外に自衛隊を出そうとして、さて、そのパワープロジェクション(戦力投射)能力があるのか考えると、今そんな余裕はない。日本が専守防衛政策をとった時、実は日本の海、空戦力はアジア最強でした。その時の日本のGDPは世界第2位でした。中国などは全く歯牙にも掛けないような状況です。日本は東アジアで大国だった。その時に我々は専守防衛政策という、非常に自己抑制的な戦略をとりました。今、その自己抑制が正に必要になってきたと思います。

 安保法制はこのままずっと続くと思います。しかしながら運用面では、とてもではないけれども自衛隊を国外に出したりする余裕はない。そのことを我々がどう考えるか、そのほうが大切だと思います。

 安倍ドクトリンのような、要するに大国ぶって我々はまだ日米同盟でアメリカとともに世界の大国であるということを信じている国民は、世界中でおそらく日本人だけじゃないかと思います。アメリカでも日本はもう完全にナッシングですから。

 今、日本が出来ることは、もう一度吉田ドクトリンに戻ることだと私は思っています。それは具体的には専守防衛です。専守防衛というのは自主防衛とは違います。専守防衛は日米同盟があってこそ成り立ちます。この日米同盟は湾岸戦争が始まる前後、冷戦が終わる前後ぐらいから、1996年の安保の再定義によって、ローカル安保からアジア太平洋地域のリージョナル安保に変わっていきました。さらに小泉政権の時にグローバル安保に変わりました。皆さんは日本が世界中どこにでもアメリカと一緒になっていくと思いに捉われていると思います。しかし、私はもう一度日米安保をローカル安保に引き戻し、国土防衛に徹するべきだと思います。

 この国土防衛に徹することこそが、実は国際秩序を安定化させ、そして日本が国際社会に対して貢献出来る唯一最大のものだということを世界に向かって、アメリカに向かって言わなければいけません。なぜかと言うと、東アジアでも安定が崩れれば、世界はひっくり返ってしまいます。日本が東アジアの秩序をしっかりと安定したものにすることこそが、実は、日本にとっても最大の国際貢献だと私は思っています。

 日本はPKOという形で国際貢献すべきじゃないかと思われるかもしれませんが、伊勢﨑さんがご指摘になったように、現在のPKOは単純に紛争が終わった後の国家の再建を担うようなPKOではありません。文民や市民を保護するための戦闘をするPKOになっています。とてもではないけれども自衛隊はそんなところに参加できません。

 南スーダンに派遣されている自衛隊員が実際にやったことは何か。南スーダン派遣PKOに関するホームページをご覧になれば分かりますが、2年ぐらい前に首都のジュバ市内の道路を整備したということがホームページに掲載されています。でも南スーダンに必要なのは、そういう市内の道路整備ではなくて、幹線道路の建設です。ケニアのモンバサから、ナイロビ〜ウガンダのカンパラ〜南スーダンのジュバまで、幹線道路が通っていますが、この幹線道路の建設が何よりも重要なんです。この幹線道路の建設を担っているのは、なんと中国です。だから今更、日本は何のために南スーダンに行っているんだという話です。せいぜいが小学校の校舎を立てる、そんなことは300〜400人の自衛隊員が行ってやることだろうかと思います。

 私達はもはやPKOに出す余力もないと考えた方が良いと思います。だから早く自衛隊を海外から撤収させて、そして東アジアの安定を維持すること、それに自衛隊は専念することが何よりも重要だと思っています。そうなれば今日ここで議論されているようなことは──頭の体操にはなるかもしれませんが──、現実にはこうした法律が問題になるようなことはないと思っています。

 私が言いたいのは、日本はもはや大国ではないという自らの姿、己が姿をしっかり見た上で──日本は全くの中流国家ですから──、中流国家に転落したという事実を踏まえた上で、もう一度、この国家の安全保障戦略全体を見直すべきだと思っています。


柳澤 ありがとうございました。これはいろいろな認識の歪みがあると思います。どんな国でも認識の歪みというのはあるので、別に今の日本だけが悪いわけではありませんが。

 私流に言わせると、日本は「虎の威を借る狐」というよりは「ジャイアンの威をかるスネ夫」で、なぜそれが成り立つかというと、どういうわけか「自衛隊という名のドラえもん」がいるからだとみんな思っちゃっているわけですね。でも、「ドラえもんだって出来ないことはあるよね」ということをちゃんと考えていこうよということだろうと思っています。

 さて、議論が若干発散してしまった感はあるですが、残りの時間、もし、プレゼンをされた方々で言い足りないこと、或いは私達に対する反論もいいんですが、どちらかというと会場とのやり取りをしたいと思いますので、もし言い足りないこと、それから今、どうしても私や加藤朗さんに一言言いたかったらそれを簡単に済ませて頂いて…。


冨澤暉 元陸上自衛隊幕僚長

 反論はするなと言われましたが、柳澤さんと加藤さんには日頃お世話になっていてご指導頂いている尊敬する方々ですが、今のお二方のお考えには私は基本的には反対であります。それで、本日お配りしている資料の一部を読ませて頂きます。

 まず、「この新安保関連法で自衛隊はそんなに変わらないが、新ガイドライン・新安保関連法によって安倍外交は前進したと認められる。『現代の軍事は外交の背景』と考えるなら、これは成功」です。

 これを2、3のジャーナリストの人と話したら、この項目に来ると「安倍外交が成功?」ってすごい顔をされるんですが、私は少なくとも歴代の総理大臣よりは、外交は成功していると思います。総理大臣の役割として、外交を前進させることが一番大事ですので、今まで安倍外交よりもうまく外交をやった人っているんですか?ということです。先ほどの吉田さんの話は別としてですね。

 最近、みんな一年足らずで総理大臣を降りました。ある人が「俺は安倍首相は嫌いだ。安倍首相はアメリカべったりだ。だから嫌いだ」というわけです。「政治家を評価する時に、好き嫌いで言っちゃいけませんよ」と僕は言ったんですよ。

 好きだって言ったら私は民主党で総理をやった野田元首相が好きですよ。なぜ野田さんが好きか。野田さんは私達の仲間の自衛官の息子なんです。我々と同じような貧乏くさい民間長屋か官舎に住んでいたんです。私は彼の友達から話を聞いたんです。そうしたら名門船橋高校に入っても、自衛隊の子どもがいるって馬鹿にされたっていうんですね。そういう中で志を立てて、早稲田大学を出て松下政経塾に行って、松下さんに非常に可愛がられて、自衛隊の貧乏暮らしをやった子どもだったけれども威風堂々としていて非常に立派だと思うんですね。西郷隆盛みたいな感じで、だから大好きなんだ。

 野田さんは大好きなんだけれども、最後に尖閣列島を国有化してしまった。それを日本国が全部一致していたらよかったんです。ところが外務省は尖閣列島の付近に領土問題はないと前原外務大臣が頑張った。それは外務省の人達が言ったんだけれども、一方で外務省の大先輩の栗山さんが、ペーパーはないかもしれないけども、確かに鄧小平が言った時の雰囲気は、もう阿吽の呼吸で認めていたんだというようなことを言うでしょう。そういう中で、石原さんの勇ましいのは言い出しっぺで格好は良いけれども、そのまま知らんぷりして行っちゃって、その責任を引き受けたのは野田さんですよ。僕は個人的には非常に気の毒だと思うけれども、やっぱりそれは総理大臣としては失格だと思います。

 その点、安倍首相という人はのらりくらりとしていて、我々の仲間から言わせると極めて不十分でね。憲法改正してくれるのかと思ったら9条はまだ当分先ですなんてね、どんどん先送りして行って不十分だけれども、一番大切な外交関係は前進させた。現在の軍事は戦うことではなくて、外交の背景として外交を有効にするために軍事の整備もするし法制度を決めていくわけですから、結果として僕は成功だと思っているわけです。

 そういうことであるならば、自衛隊にとっても成功であるということです。特に、今、評判の悪い駆け付け警護とか、武力行使との一体化に関する制約を軽減したのは前進であると。これより後退させる理由は全くありません。この前、番匠君というイラクで苦労した後輩が来て、この駆け付け警護は本当に現場でやらなきゃいけないかもしれないということで本当に悩んだと言っていました。少なくとも駆け付け警護はやれる自信を持って、やりたい時にはやれるということが出来るようになったのは自衛隊にとっては本当に良いことだって、番匠君が言っていました。私もそう思います。

 ただ私は、この程度の前進で安住されては困るので、先ほど言った「国際協調による積極的平和主義」というのは素晴らしいので、加藤さんは馬鹿にしていたけれども、これは素晴らしいんです。このために自衛隊を活用する余地はなお大きいので、更に発展させて頂きたいと。全くお二人に全面的に反対する意見を述べて恐縮でございますが、それだけはまず申し上げておきます。違う意見があったらどんどん言って、一緒にディスカッションしたいと思います。


柳澤 ただ、そこのディスカッションは本日の主題とはちょっと違うところがあるのですが、ただ一言言えば、私はそこは違っていないと思います。

 私も安倍さんのやっている外交というのは、安倍ドクトリンに基づく外交としては、つまり言葉は悪いが、大国ヅラする外交としては成功していると思うんですね。ただ身の丈に合っていないという意味で、いずれ必ず破綻する、そのツケが回ってくると私は思っているということです。


冨澤 それに関して加藤先生がね、身の丈に合っていない。日本はもう小国だと。小国が頑張ったってどうしようもないと言われましたが、私は正に積極的平和主義というのは、Show the flag だと思うんですね。

 海上自衛隊の仲間もすごく自信を持っているんですよ。「冨澤さんは集団安全保障だなんだと言うけれども、やはりアメリカと自衛隊がつくことが一番大切なんですよ」と言うので、「馬鹿なことを言うな」と言うのです。「冨澤さんは馬鹿にしているけれども、海上自衛隊は世界で2番目に強いんですよ」と。「世界に2番目に強い海上自衛隊と米海軍がいれば世界は安泰なんだ」と言うのだけれども、「お前ら馬鹿なことを言うな」と。海上自衛隊が強いことは分かっている。しかし今や、アメリカという国は、自ら自衛なんかする必要はない国であって集団安全保障で進めていきたい。簡単に言えば有志連合軍です。有志連合軍の中心にアメリカがいて、出来るだけ多くの国が旗を揚げてくれることが大事なのです。だから日本は俺は強いとか、1号さんだ、2号さんだなんて言わずに、たくさんの奥さんが旗を揚げてくれることの方がアメリカにとっては大事なんです。

 加藤先生が言われるのはある部分で事実ですが、そんなことは気にしないでどんどん旗を揚げていくと。日本だけではなくてフィリピンにもインドにもベトナムにも旗を揚げてもらうと。安倍外交はそれを上手くやっていて、そして今、各自衛隊もそういう諸外国と一緒に付き合うようになった。正に私の希望する集団安全保障の方に一歩進んでいるけれども、極めてまだ不十分だからこれを更に進めて頂きたいというのが私の意見であります。


柳澤 承っておきます。岩本先生からご感想なりを頂いた上で、フロアからご意見、ご質問を頂戴しようと思います。


岩本誠吾 京都産業大学教授

岩本 私は国際法の立場ですから、私にも政策論の考えはありますが、それはちょっとさておいて別の機会にと思います。

 3点、気になるのは、まずマイナー自衛権の話ですが、日本ではマイナー自衛権がなかなか定着しないのですが、国対国のメジャーな防衛出動の下令、総理大臣が判断する防衛出動、これだけでは現場にあいません。

 国境紛争とか遠洋航海している場合とか、例えば南極観測船が途中でテロにあった場合に、いちいち首相まで聞くのかと。やはり「リアクション オン ザ スポット(reaction on the spot)」で、現場で対応するということも当然あるわけです。

 例えば国境紛争では、カンボジアとタイがクメール王朝のプレアビヘア寺院の土地を争っているのですが、カンボジア・タイ国境で発砲事件をやっています。それは国対国が戦争しているかと言ったら、国対国の戦争ではないわけです。インドとパキスタンもそうです。2000年にコールというアメリカのミサイル駆逐艦がテロにあった時に、いちいち本国に聞いて反撃したかというとそんなことはないわけで、軍艦、航空機、政府専用機は全て国家そのものですから、それに対する反撃というのはリアクション オン ザ スポットで説明しないといけなくて、武器防護という話ではない。本当はマイナー自衛権という話なのです。

 もう一つは、領空侵犯の話ですが、領空侵犯に対してスクランブルで上がった飛行機が正当防衛、緊急避難でやると、某国の飛行機が日本の領土の真上を安全に飛行したら、危険が及んでいないわけですから脅威はないわけですよね。そうしたら主権侵害を止められない。なぜかというと、日本の自衛隊機は正当防衛、緊急避難でないと発砲出来ないからです。向こうが安全に領空侵犯しているわけですから発砲は出来ないですね。

 そこでは主権を守るための現場での対応が必要です。組織的には上の方まで行って判断するのでしょうけれども、やはり9.11以降、テロという非国家団体の武力攻撃の規模が大きくなってきている。それに対してアメリカは自衛権で──自衛権が認められるかどうかは別にして──圧倒的な力で反撃するということになっています。日本はそれに対して危害許容要件というような話では、やはり難しいのではないかなというのが2つ目です。

 もう1つはPKOの話が出たので、法律の作り方についてです。例えば日本がカンボジアに派遣した時、警護活動は出来ないということでした。日本人の選挙監視団の警護を自衛隊員の人はどうしたかというと、偵察活動をする。ついでに日本人の選挙監視団のところに行って安否を確認する。これは要するに、日本のPKOの派遣の時の基本計画に警護活動はないから、それを勝手に迂回して警護活動をするわけです。

 駆け付け警護もそうですが、1994年のザイール(現コンゴ民主共和国)で実際にやっています。ザイールで車が穴に落っこちて、ザイールにいた日本の自衛隊に助けてくれってきた。それで助けに行かないわけにはいかないので、たまたまその辺を走っていたとして、それでたまたまそこに困っている人がいたので、たまたまそれを助けたという形にした。

 やはり、法律を作りながらも、自由がきかない。それで結局は法律を迂回するような行動をとるわけですね。法律の作り方としては、やはりそういうことを認めて──いろんなことがありますが──、禁止事項はこれだけれども、それ以外は現場で必要な範囲で判断すれば──当然、本国との調整というのはあると思いますが──、それをしないといちいち「こうしていいですか?」って子どもがお母さんに聞くようなもので、権限が与えられていなかったら即応対処が出来ない。

 そういう意味で、自衛隊が行動規範を作る時はポジティブリスト、出来ることを書くのではなくて、ネガティブリスト、出来ないものを書いて、書いていないことは出来るとした方がいい。「出来る」と「する」とは違いますから、可能な範囲で出来るけれども、政策的に危険だからやめておくという判断が必要ですね。

 よく集団的自衛権を書けば危険だというのですが、集団的自衛権で「出来る」ことと「する」ことは違うわけです。ですから、法的に可能なことと、政策的に行わないことがあるわけです。目的を達成するためには、出来る限り手足を縛らないようなROEを作るというのが軍事行動の基本ではないかと思います。


柳澤 ありがとうございました。私もその限りでは、全くその通りだと思います。そういう任務をそもそも与えるか、与えないかというところをしっかり国民も理解して、議論をしていかなければいけないということですね。任務を与えておきながら、先ほどから議論になっているように「撃ったらお前の責任だぞ」みたいな形では、それはそれで私はまずいんだろうと思っています。それは、本当に国民がどう決めていくかということが問われているとだと思います。

 さて、時間も制約されてきているので、会場からご質問を簡潔に頂ければと思います。


質疑応答

会場からの発言① 千葉経済大学の荒井と申します。私は2ヶ月前、参議院の憲法審査会で参考人をやりました。集団的自衛権の行使を認めるということは憲法違反であるという話を致しました。私はずっと国会の調査員をやっておりまして、今まで政府が一度も認めてこなかった集団的自衛権の行使について、それが認められないということは国民に対する約束だろうと。私は国会の調査員として、それをひっくり返してしまうということは許されないことではないんですか?という話を議員にずっとしてきました。やはりそれにはみなさん、そうだよねということでした。ところが今回、それがころっと変わってしまった。その点の議論を全然しなかったんですね。私はそこのところが根本的な問題だと思うんです。

 集団的自衛権を認めるのか認めないのか、元々はどうだったのか、私個人としてはそんな議論というのはどうでもいいのではないかと正直思っています。昔からいろいろあって、今でもいろんな話がされている。だけど政府は一度も認めてこなかった。それを国民に対して説明してきた。重要なのはその点ではないか。その議論をしなかったというのが1点です。

 閣議決定が一番問題だと冨澤さんがおっしゃられた。私もそうだと思います。その後、法制をどうするか考えればいいんです。閣議決定が問題だったのだと思います。閣議決定をどう考えるか。国会もどう考えるか。そこだろうと思います。

 今日のテーマは「戦場における自衛官の法的地位」ですが、私が気になっているのは、賞恤金(しょうじゅつきん)の話です。今日のお話を聞いていると、危ないところに行けば行くほど、戦闘が厳しくなればなるほど、なぜか国家は後ろの方に下がってしまって、自衛隊員個人の責任になってしまうのではないかという印象を受けました。だからこそ自衛隊の人達は心配しているんだろうと思います。

 そして邦人保護の問題です。こちらが全滅ということだってあると思います。亡くなった自衛官にどのようにしていくのか、全く考えられていないのではないか。災害のために行くのではないので、ある程度は死にに行くという覚悟をした制度を作らなければいけませんが、全然出来ていません。私が議員を通じて聞いた時には、政令の予算措置で1人9,000万円まで出るようになっているということでした。こんなことでいいのか?おかしいと思います。きちんと法制度を作り、亡くなった時はどうするのかという形にしなければ、安心して仕事をしてもらえないじゃないですか。憲法や法律を誠実に執行していない、モラルハザードだと思います。ここのところを先生方にお聞きしたいと思います。


会場からの発言② 私は加藤先生の考え方に賛同するんですが、冨澤先生の反論もアプローチが少し違うだけで、志は同じだと思います。私は自衛隊が外国の軍隊に対してコンプレックスを持つ必要はなくて、自衛隊は軍隊の上位理念だと思っています。アメリカ軍はもうブーツ オン ザ グラウンドに飽き飽きしているから、ドローンを使って、もう兵隊を送らないという状況になっています。今後、外国の軍隊は自衛隊化する方向に向かうのではないかと思っています。その点で自衛隊は本当の自衛に徹するべきだと思います。


会場からの発言③ 捕虜について整理が出来ていないので2点お伺いしたのですが、1点目は最近、自民党の安全保障の専門家の方が「政府の見解は捕虜になるという見解だ」とおっしゃっていますが、政府の見解としてはジュネーブ条約上の捕虜として扱われるという見解なのでしょうか。

 もう1つは、岩本先生のレジュメにも書いてありましたが、自衛官は相手国に捕虜待遇を要求する国際法上の権利があるが、国内法上、捕虜にはなれないとあります。捕虜になるかどうかは海外で起きる事態だと思いますから、国内法が適用されるということは想定しにくいような気もするんです。国際法上、捕虜になれる権利があるということであれば、やはり法律的に捕虜になれるという理解でよいのか。岩本先生は結論として「捕虜待遇の要求不可」とお書きになっているのですが、どのように理解したらいいのでしょうか。


会場からの発言④ 捕虜の待遇に関連して岩本先生にお伺いしたいのですが、ジュネーブ条約上の捕虜として認められない場合に刑法上の責任を問われる可能性があるというのは大きな問題があると思うのですが、ジュネーブ条約上の捕虜として認められなくても、当然、非人道的な扱いや拷問を受けないなどというのは、認められていると思うのですが、人権上、捕虜になれない場合にどういう待遇が認められているのか、文民として受けることの出来る待遇とどういった関係にあるのかについてお伺いしたいと思います。

 もう1点は武力紛争になっているなっていないというthreshold(しきい)の判断基準についてと、最終的にそれを決定する権限がどちらにあるのかというのをお伺いしたいと思っています。例えば日本と某国が軽く戦闘状態になって、向こうの国は武力紛争になっていると判断し、日本は武力紛争ではないとして主張が異なる場合、当然、一定のthresholdがあると思うのですが、それがどういう基準なのか、2国間で見解が異なる場合には最終的にどのように判断がされるかということをお伺いしたいと思います。


会場からの発言⑤ 昨年末のシンポジウム(12.22 南シナ海―。警戒監視のための自衛隊派遣をどう見るか)の時に、軍事法廷について、特別裁判所相当を持たない国でも軍法執行相当の行政が行われている国が事例としてあるようなので、その事例を研究するとお伺いしたのですが、その研究の状況をお聞かせ頂ければと思います。


柳澤 ありがとうございました。まず岩本先生から捕虜の関係と、武力紛争であるかないかの判断基準を誰が決めるのかというところにコメントを頂ければと思います。


岩本 まず、日本政府は捕虜待遇を認めているかどうかですが、私はそこまで詳しく調べていないのですが、平成27年7月1日の辻元議員と岸田外務大臣のやりとりを見ると、岸田外務大臣は、そのような場合は自衛隊員がジュネーブ諸条約上の捕虜となることは想定されていない。だから武器使用の場合には捕虜になることはないというような言い方をしている。ということは、武器使用の場合には捕虜になることを自衛官が要求するということを想定していないと思います。ということは、国内法では要求出来ないことを要求するということになりますから、資料では不可と書きましたが、事実上、出来ないのではないかということです。

 本当は軍人の場合はいかなる場合でも、嘘でもいいから「捕虜だ」と言うようにしないとダメなのですが、それが法的にどうかというのは、この場合には国内法の建付からいうと、捕虜の待遇を要求するということは今の武器使用の場合には出来ないということになるのではないかと思います。

 もう一つは、相手が撃ってきた時に、それに対してどのように反応するかですが、武力行使の場合は組織的で継続的である程度の烈度があって初めて武力紛争ということになりますが、単発で撃った場合、それは単なる武器使用のレベルだから、それに対しては反撃しないかというと、やっぱり反撃するわけです。

 その場合には、どちらが武力紛争状態かを判断するということではなくて、事実があればそこで法が適用されるというのが前提です。昔は宣戦布告があって初めて法的な状態になって戦争状態になるという流れでしたが、今はそうではなくて事実上の敵対行為があれば──組織的、継続的、ある程度の烈度という敷居はありますが──、相手が判断するか攻撃された側が判断するかという問題ではなくて、事実があれば法律がカバーしていくのが国際法の仕組みというか、国際法がなるべく広く保護したいということです。

 人権上の待遇と、戦争における捕虜待遇のどちらの方がいいのかということですが、自衛隊員が敵対行為をして捕獲された場合に捕虜ではないということになれば、自衛隊員は戦闘員資格がないのに戦っている文民ということになります。自分では敵対行為ではない、でも発砲しているとなると、ではあなたは戦闘員ではなくて文民ですね、文民は敵対行為を出来ないですね、それは戦争犯罪ですね、ということになるので、そういう意味では、敵対行為という事実から法は出来る限り捕虜待遇の方を優先するということです。

 人権というのは、例えば裁判で公平な裁判を受けるとか、そういう問題ですから、少し次元が違うと思います。武力紛争の場合、人権法は一時停止という形になります。なぜなら敵対行為をするということは殺人行為で人権違反だからです。人権法が敵対行為中に適用されることは最初から考えられないですね。そこでは人権法の適用が停止するという考え方です。


柳澤 ありがとうございます。戦死した場合の取り扱いについても岩本先生の方からあれば伺いたいと思いますがいかがでしょうか。


岩本 資料に賞恤金と書いたのは、お金での賞恤という意味が私もよく分からないのですが、要するにフォローするということです。湾岸戦争で自衛隊派遣が検討された時にもしも戦死者と言うか死亡者が出た場合、自衛官の場合には2,000万〜3,000万円だったですかね。警察官の場合は1億円近いということで、これではやってられないと言って、当時、おもちゃ扱いするなという発言をされた方もおられたと思います。お金の問題だけではなくて、お葬式のやり方とか、どこに慰霊するのか、当然国のために亡くなられた方ですから、それに対する法制度は事前に準備しておくことが必要だと思います。単なる事故死ではないということです。


冨澤 亡くなった人に対する問題ですが、自衛隊は60年間、戦争をしたことはありませんが、非常に危険な任務のために訓練をしてまいりました。60年間で殉職者は1,800名ですが、そのうち訓練死で亡くなった方は1,500名おられます。毎年平均25名が訓練死で亡くなっているというわけです。それが現実です。

 そういう人達が出た時に、その人達をどう扱うかということですが、旧軍でも最初は訓練死は靖国神社に入れませんでした。戦死者として認めなかったのですが、最後の段階では動員された部隊の訓練死は──もちろん戦病死もありますし、いろいろな場合があるのですが──動員された部隊の者に対しては全て戦死者ということになりました。戦後は実は内地において動員されていない部隊であっても、訓練死した人は靖国神社に入れています。

 靖国神社に入れたということは、遺族年金だとかいろんなものがそれに伴ってきたわけです。そういう面からしてですね、私どもは訓練死というのは戦死者と同じだと。戦死者と同じならもっとちゃんとしてくれと言っているのですが、訓練死についてはほとんど普通の殉職者と同じなんです。それはおかしいじゃないかということで、我々はこの問題で本当に苦労してきました。私達が出来るのは警察に学んで、そういう亡くなり方をした方には共助しかないんです。みんながそのためにお金を積み立てているわけです。お金を積み立てて、どこかの保険会社にお願いして、いわゆる共済保険です。共済保険でもって仲間内でやった話でありましてね、非常にいじましい話なんですね。

 私の尊敬する先輩が訓練で戦車の下敷きになって亡くなった時に、そのお父さんも元自衛官だったのですが、息子はもう死んじゃったからしょうがないけれども、嫁と孫をどうしてくれるんだと言って当時の防衛庁に話を持って行ったら裁判にかけてくれということでした。その裁判にかけるための資料を集めていたら、私の上司から「あの人はお国に対して裁判にかける人だから、お前らは協力するんじゃない」なんて言われながら、それでもそんなわけにもいかないからいろいろやって、そういうことを通じて少しずつ良くなってきました。

 PKOに初めて行く頃にもそういう問題が起こって、外地に行く人には特別の手当てをやろうとかということで大分良くなりましたが、とてもじゃないけれども戦前の軍隊や諸外国の軍隊のような状況にはまだなっていないという状況であります。


柳澤 ありがとうございます。私も現職の時にこの問題があって、補償が一番手厚いのは消防だったんですね。市町村の消防には県もお金をくれる、そして国、当時の自治省も見舞金を出すというようなことでトリプルになります。警察は都道府県警察と警察庁が国の機関としてもお金を出すということで、単純に金額で差別されるというよりは、そういう仕組みの問題があって、そこは改善されたのだろうということなんですが、しかし、それは金額の問題ではないのだろうと思います。金額の問題で言えば、国の不法行為責任にするのが一番たくさんお金が取れるんですね。だから裁判して下さいということです。一般の公務災害補償制度では乗り切れないものでも不法行為責任としてならお金を沢山払えるから、提訴してくれれば和解しますということがこれまでの習わしになっていたということです。

 ただそこで忘れられているのは、本当にそういう人達の犠牲を国民がどう受け止めるのかというところですね。主権者としてどこまで自衛隊にやらせようとするのか、やらせた以上は国民もそこは責任を持ってやりますというね、そこが国民にも問われているということだと私は思っています。

 もう一問ございましたが、これは加藤さんと同じ意見だということなので、あえていらないかなと思うんですが、何かあれば一言。


加藤 特にはありません。


柳澤 ドイツには軍事裁判所がなくて、アフガニスタンで既に50人以上の戦死者を出しているわけです。それでドイツの事例をドイツから人を呼んで話を聞こうという企画を考えていたのですが、ご事情があって来られなくなったというようなこと、そしてそういう特にドイツの事例をご専門にされている方がなかなかおられないということなのですが、ドイツの大使館とも相談しながら引き続き追求していこうと思っています。ドイツは憲法裁判所で域外派兵の問題にはケリをつけてしまったんですが、しかし、軍事法廷ではなく、扱っているということでは日本も非常に大きな参考になるんだろうと思っているので、引き続きやっていこうと思っております。

 今日はこれで時間いっぱいまで来てしまいました。本当に熱心にお聞き頂いて、ご質問、ご意見を頂きましてありがとうございました。5月20日には北朝鮮との対応の仕方を中心にシンポジウムを計画しておりますので、またよろしくご参加を頂ければと思います。本日はどうもありがとうございました。