第5回シンポジウム「護憲」を超えて⑤ 現代によみがえる「専守防衛」はあるか

第5回シンポジウム「護憲」を超えて⑤

現代によみがえる「専守防衛」はあるか

2015.2.14 千代田区立日比谷図書文化館

主催/自衛隊を活かす:21世紀の憲法と防衛を考える会(略称:自衛隊を活かす会)

メッセージ紹介 自民党政調会長代理 衆議院議員 松本純

メッセージ紹介

「自衛隊を活かす会」事務局

 開会に先立ちまして、初めてなんですけれども、1通メッセージが寄せられておりますので、ご紹介させて頂きます。

「第5回シンポジウムの開催にあたり、平素より我が国の平和と安全はもとより、国際社会の平和と安全の確保実現のためにご尽力いただいている皆様に敬意と感謝の意を表します。護憲を超えて⑤現代によみがえる専守防衛はあるか、並びにテロと人質での主題での具体的議論を通じての活動が必ずや実を結ばれることを確信いたしております。自衛隊を活かす:21世紀の憲法と防衛を考える会の皆様の一層のご活躍を祈念致します。」自民党政調会長代理 衆議院議員 松本純様でした。どうもありがとうございました。
それでは早速開会致します。冒頭、伊勢﨑賢治より問題提起をさせて頂きます。


伊勢﨑賢治 東京外国語大学教授 元国連平和維持軍武装解除部長

日本防衛のパラダイム 「イスラム国」”現象“から
伊勢﨑 賢治

東京外国語大学教授、元国連平和維持軍武装解除部長

 二人の人質事件が起きて、残念なことになりました。今日、会場にはメディアの方もいらっしゃいますけれども、例によって、僕のところにもメディアが殺到しました。僕の同業者たちがテレビに連日出ましたが、僕は全部辞退いたしました。当会の第2回シンポジウムにゲストに来ていただいた酒井啓子さんも、たぶん同じような思いだったと思います。

 これは拉致事件なのです。国内の誘拐事件であれば、報道規制があるはずです。まず人命がかかっていることであり、解放に向けて活動に少しでも支障があってはいけないと。アホな政府かもしれませんが、外務省には優秀なアラビストも、トルコ専門家もいますし、邦人保護というのは国家の義務ですから、それなりに動いているはずなんです。報道の側も、そういう人達に影響を与えないように規制するのが本筋でしょう、安否がわからない間は。

 どうもヒョコヒョコでてペラペラしゃべる専門家が多くて、オレが行けばなんとかなるみたいなことを言うのまで現れた。そして、これらが、右、左、両方のメディアによって、政権批判、支持のコンテクストに絡め取られていく。そんなことは、安否がハッキリしてからじっくりやればいいのに、まったく、節操がないったら、ありゃあしない。ということで、この事件が残念な結末を迎えた今、僕がこの一連の事件について公に言及するのは、今日が初めてです。

 「イスラム国」で強く感じていたのは、いつかこんなことが起こるだろうな、というよりも、既に我々はこれを経験している、と。9.11と続くタリバンが現れた時もこんな感じでした。いわゆるメディア用語で言う、Demonization、悪魔化の繰り返し。「とんでもない怪物が現れた」という喧伝。“セキュリタイゼーション”の針が振り切れる。そうして、我々の自衛への渇望と好戦性は増幅してゆくのです。それを我々は既に何回も経験してきているわけであります。そういう前置きから、日本防衛の戦略をどう考えてゆけばいいのか。この「イスラム国」の現象を見直したいと思います。

一体どのくらいの海外義勇兵が「イスラム国」に集まっているか

 この図はワシントン・ポストからの引用です。これは、去年の10月から、一体どのくらいの海外義勇兵が「イスラム国」に集まっているのかの流れを示しています。

 まず、モロッコやアルジェリア、チュニジア、リベリア、エジプト。「アラブの春」後の混乱からの流れ。

 そして、ヨーロッパから、かつての移民の子供、孫の世代たちの流れ。それと、こちらは、対テロ戦の“テロリスト”の源泉、アフガニスタン、パキスタンなどの地域からの流れ。

 各流れの中で、赤い部分と黒い部分は何が違うのかというと、赤い部分は総数です。黒い部分は去年の10月から、今まで増えたことを示しています。これを見ると、アフガニスタンなど、対テロ戦の源泉の流れの黒い部分が太い。最近になって加速していることが伺えます。

 ここは、かつて、海外義勇兵が集まるところだったのですが、世界のジハーディストたちにとってリジェンドになっていた、この源泉からの新世代が、「イスラム国」に向かうという構図です。

“アルカイダ的なもの”の分布図

 これは、同じくワシントン・ポストからの “アルカイダ的なもの”の分布図です。東は下の方へ、イエメンからソマリアと。イエメンのは、シャルリエブド事件に繋がりがあると言われています。そして、アルジェリアからマリのあたりのですね。日本の石油プラントの商社の方々が犠牲になりました。あと、ナイジェリアのボコ・ハラムが欠けているんですけれども、最近、「イスラム国」との共闘を表明しました。

 そしてシリアには、アルカイダの下部組織、ヌスラ戦線です。シリアのアサド政権に立ち向かう反政府勢力はスンニ派で、当初、欧米がこれを支援するという構図だったのですが、ここに同じスンニ派ということで「イスラム国」の前身であるイラクのアルカイダがこれを応援するという複雑な構図に。でも、やがて、仲違いして、現在に至ります。

 これらに対して、アルカイダのコア、つまり起源は、アフガニスタンとパキスタンのあたり。ここは、対テロ戦、アメリカNATOの通常戦の主戦場になってきました。そして今ここで何が起こっているかというと、皆さんご存知のように、アメリカとNATOが2001年9.11以来14年の間、戦い続け、軍事的な勝利がないまま、“敗走”するわけです。

 ここで我々がしっかり認識しないといけないのは、いわゆる通常戦力でテロリストをやっつけようとして我々はできなかったということです。これからのテロとの戦いは、ここを出発点にしないといけない。この“敗走”後に、どういう軍事的な力の空白がアフガニスタンに生まれるのか、皆それを戦々恐々として見守っているわけです。アフガニスタンのタリバン化は必至です。“テロリスト”との政治的妥協が始まるのです。これも、これからの対テロ戦を考える前提なのです。

アフガン・タリバンとパキスタン・タリバン

 そのタリバンは、アフガン・タリバンとパキスタン・タリバンがあります。民族的には、ア・パの国境を跨ぐ同じパシュトゥン族なんですけれども、パキスタン・タリバンはマララちゃんを撃った、最近はペシャワールで小学校や中学校を狙って200人の児童を殺した連中です。かつて政権を樹立し運営したアフガン・タリバンに比べれば新興勢力といえるかもしれません。

 我々は、今、意識的に、この2つが違うんだと思い込もうとしているわけです。そうしないとNATOとアメリカが撤退するために、軍事的に勝利できない状況を“政治的な勝利”に見せかけ、軍事的に撤退する計画の根底が崩れるからです。アフガン・タリバンは基本的にアフガニスタンにしか興味がなく政治的交渉ができる。つまり「まともな敵」なのだと。これは、かつてパレスチナ解放戦線にも適応しましたが、過激な奴らかも知れないけれども、「政治単位」として何とか手懐け、一国の政治体制の中に組み込むことができるのではないかと、無理にでも考える。そのためには、アフガン・タリバンが、「イスラム国」と共闘宣言をしているようなパキスタン・タリバンと手を組んでもらっては困るのです。

 しかし、実際どうなのかは誰も分かりません。これが本当に区切れるのかどうかも分からないのです。

 では、アフガン・タリバンはどうか。“老練”な彼らは、そういうこちらの思惑を十分承知で、まだそういう宣言は出していません。しかし、アフガニスタンでは先月辺りから、「イスラム国」のリクルートエージェントが暗躍しているという報告が上がっています。その首謀者が先週、アメリカの無人爆撃攻撃で殺害されました。

 印パ戦争の主戦場、そして中国も一部占領するカシミールですが、前回お話ししたように、このあたりの中国は新疆ウイグル地区、スンニ派の過激派が中国からの分離独立を企てているところですが、もう既にパキスタン・タリバンを通じて「イスラム国」と繋がりができています。繰り返します、ここで深く認識すべきは中国政府も、対テロ世界戦の、米・我々と同じ側の当事者なのです。そしてパキスタンは一応親米でありますが、中国を「ブレない友人」として、歴史的に非常に緊密な関係を築いてきました。アフガン・タリバンに深い影響力を持ち“囲っている“とさえ言われているパキスタンを、いかに対テロ戦の「誠実なパートナー」にするか。これに、対テロ戦の未来はかかっていますが、パキスタンにとって「ブレない友人」の中国は、アフガン・タリバンとの政治的交渉に、アメリカも頼らざるを得ないプレーヤーになってきています。感情論が先に立つ日本の中国脅威論がいかに矮小なものであるか、我々は深く認識するべきです。

まともな敵 まともじゃない敵

 もう一度繰り返します。我々は、対テロ戦で、通常戦力で決着することは出来なかった。アフガニスタンでこれが証明されたのです。ここで今、我々は、「敵」について概念的な整理をしなければなりません。なぜなら、憎き仮想敵国の「敵」が、実は我々のと同じであったり。「敵」の中で仲違いがあり、「敵」にも、時間が経つにつれて、それなりの“分別”を蓄えるものが出てきたり。アフガン・タリバンを「まともな敵」と見なすようになっているように。

 シリアのアサド政権もそうなりつつあります。もちろんアメリカは、敵対というスタンスは崩しませんけれども、しかし、今回アメリカは、シリア領内の「イスラム国」への空爆にあたって、一応アサド政権の了解をとってやっているわけです。ということは、アサド政権は、我々にとって既に「まともな敵」になっているわけです。

 イランはどうか。イランは昔から「まともな敵」です。敵かも知れないけれども核の交渉もできる。対話ができます。これ以上の「まともな敵」はないでしょう。北朝鮮もそうかもしれません。

 これに対して、対話もできない「まともじゃない敵」。「イスラム国」に代表されるような。こういう「敵」の分け方を我々は意識して、少なくとも「まともな敵」が「まともじゃない敵」に取り込まれないよう、「まともな敵」の言い分を聞いたり、あまり刺激しないようにやっていくしかない。

通常戦の抑止のタガ

 話は変わって通常戦です。果たして国家間の古典的な戦争が、現代の社会に起こりえるのか。我が国にとっては、中国や北朝鮮、特に領土係争のある中国を仮想敵として、右翼系の人達がそれを盛んに喧伝しているわけですけれども。

 はっきり言います。中国と我が国との戦争は起こりません。少なくとも、中国の方から戦争を仕掛けること(漁民や警察力を使う“チョッカイ”と戦争は別です)も、日本の“本土”を侵略することもあり得ません。国連加盟国である北朝鮮も、非常に?だと思います。その理由は、国家間、特に5大大国の間においては、通常戦を抑止する最大限のタガが、第二次世界大戦後の世界には存在するからです。

 そのタガとはどういうものか。それは全てネガティブ要素です。タガというと、戦争抑止のポジティブな感じがしますが、残念ながら、すべてネガティブ要素です。

 まず国連、United Nations(連合国)です。日本とかドイツとか、不埒な侵略者を二度と出さないという戦後レジューム、統治レジュームが国際連合です。国連は人権を守るための国際NGOではありません。五大大国が、安保理として、頂点に君臨するための世界統治システムなのです。

 彼らの教義──国連憲章──は、二度と当時の日本とかドイツのような侵略者を出さない安全保障です。侵略者を出さないための、出てきたらそれを、五大大国を中心にみんなでやっつけるための仕組みです。でも、ご存知の通り、安保理は“仲良しクラブ”ではありません。安保理五大大国は、拒否権を他の誰にも与えることなく独占し、しかし、それでお互い牽制し合う。しかし、このレジュームを崩さない限り、世界の統治システムの頂点に君臨できる。ですから、自らが“侵略者”になることはありません。

 更に、この牽制のレジュームは、NPTレジュームによって、強化されています。核抑止です。ですから、国際政治の議論の中で、核を撃ちあうという議論はしなくてもよい。ここは、“悪い意味”で“安心”しましょう。

 それにプラスして、グローバル経済です。人類史上、これほど経済の依存度が国家を超えた時代が生まれたことはありません。“人”は、相変わらず、“国家”というレジュームに閉じ込められていますが、投資と通信は、グローバル化の極致を迎えているといえます。この3つのタガで、もう五大大国同士が、本土を攻撃し合う通常戦は起こらないと言い切ってもいいのではないかと思います。

 では、冷戦時代のアフガニスタンや、今のクリミアはどうなのか、こういう批判が聞こえてきそうですが、あれは局地戦です。そういう局地戦の戦地になる国というのは内戦状態です。内戦状態になって政治勢力の一派が──もちろん元の政権が──、五大大国のどれかに助けを求める。五大大国は、侵略はしません。侵略はしませんが、侵略じゃない侵略をするわけですね。五大大国が侵略する時は、集団的自衛権の行使としてやるわけです。

 どういうことかというと、例えば日本共産党が政権をとって、勢いに乗って自衛隊廃止とか言い出して、自衛隊の一部がクーデターを起こして、内戦状態になり、どうしようもなくなって、中国共産党に助けを求める。こんな場合ですね、中国が侵略するのは。そういう状態にならない限り、だいじょうぶです。なおかつ、日本はアメリカなのです。国家主権を放棄してまで、アメリカにとって国外最大の軍事拠点を置かせる日本は、敵国から見れば、“日本”ではありません。“アメリカ”なのです。“安心”してください。中国が、“アメリカ”の“本土”を攻撃することはありません。

 中国は、平和時における領土係争は積極的に仕掛けるでしょう。今まで、そうであったように。日本人が住んでいる“本土”以外のところで。平和時の“漁民”と警察力を使って。だったら、こちらも、平和時の外交と警察力で、厳しく対処すればよろしい。

 つまり、日本にとって、一番の国防戦略というのは、つまり、内政。日本共産党に政権を取らさない(笑)ことです。まあ、不定期雇用とか、福祉とか、若者層の失業率とか、国内の構造的暴力が爆発して、そんな政治状況にならないよう、まず経済界、そして政府のドメスティックな努力。これが、日本にとって、最大の国防なんでしょう。

 4つ目のタガは、グローバル・テロリズムです。グローバル経済の落とし子かもしれません。後でインサージェントという言葉を使いますけれども、テロリズムが巣食うところは、国家や社会の構造的な問題、つまりグリーバンスがあるわけです。一部の人口層が社会構造の底辺に置かれ、不満、つまりグリーバンスを持つ。それで蜂起する。

 そういうグリーバンスは、今までは、一つの国家の中で、ほとんど完結したかもしれません。現在は、経済がグローバル化している中で、そういうグリーバンスは、国家を超越する仕組みの中で発生しています。

 乱暴な言い方かもしれませんが、それが一番端的に現れているのはアフリカ大陸でしょう。そして、イスラム教のスンニ派の人達。

 だから、グローバル・テロリスムというのは、我々“全員”に挑戦しているのです。アメリカだけではありません。中国もロシアも同じ問題を抱えています。こういう差し迫った共通の地球的課題が、今、我々の前に立ちはだかり、その対処の試行錯誤を“協働”で継続しなければならない。これらが、五大大国の通常戦を抑止する4つのネガティブリスト的“タガ”です。

核の平和利用 核兵器開発 原発事故の可能性 原発が狙われる可能性

 日本の防衛のAmbiguity(曖昧さ)ということを考えてみます。

 このスライドは原発の所在地です。東西冷戦、もしくは今の“脅威”中国の時代にあって、日本でわざわざ敵国に向けて、こんなにいっぱい原発をつくるというのはどういうことかということです。同じ島国イギリスだってそうじゃないかと言われそうですが、仮想敵に向けて、こんなに薄く平たく、つまり国防上の“懐”がない国土に。原子力政策そのものが、核の平和利用と核兵器の開発とのAmbiguity 曖昧の中にある。核兵器開発は核の平和利用と表裏一体です。五大大国は、自分たちだけで核を独占しなければならないから、そういうレジュームをつくってきたけど、パキスタンのように、発展途上国でも、ウランを濃縮してつくれてしまうわけです。それをいかに止めるか。それは、核の平和利用というかたちでその国の核政策に入り込んで、援助の条件として核兵器への転用を抑制するしか手立てがない。そこがAmbiguity 曖昧さなわけです。アメリカは、対パキスタン、インド、イラン、北朝鮮、そして、かつてのイラク、リビア政策に見事な“ダブルスタンダード”をつくってきた。

 原発政策も、同様の曖昧さの中を泳いできたと思うのです。原子力施設への攻撃は、国際法違反です。ですから、仮想敵の目の前の薄っぺらい島国に原発を並べるという国防上の“愚行”は、中国を含む五大大国が君臨する国連という国際法の“元締め”のレジュームの“善意”の上に成り立ってきたとも言えます。

 しかし今、そのレジュームを無視する、ていうか、挑戦する「まともじゃない敵」が現れたのです。

 今、歴代、そして今の政権も限りなくゼロとしてきた「原発事故の可能性」。「原発が狙われる可能性」もゼロなのか。それより高いのか。それもずっとずっと。

 「Homegrown Terrorism」とよく言われています。これはヨーロッパやアメリカで起こってしまっているわけですけれども──ボストン・マラソンでのテロとか、いろんな例があります──、今「イスラム国」の出現によって、我々が心配しなければいけないのは──これは僕の命名なんですが──、「Backhome Terrorism」です。イスラムのジハード、カリフ制みたいな“大義”に共感して日本の外に出て行くというのは、今に始まったことではありません。日本赤軍という、世界革命という大義を掲げて、その紛争の当事者でもないのに、他人の紛争にしゃしゃり出ていった「自分探し」の大先輩がいるのです。

 僕が「イスラム国」だったら、一番簡単なのは、“大義”に釣られてやってきた日本人に、しばらく軽度の戦闘に参加させ「バンド・オブ・ブラザー」感を更に高揚させたところで、「日本に戻ってなんかやってこい」と。バックホーム・テロリストの誕生です。

 「総電源喪失」というヒントを与えてしまった3.11。そして、「アメリカとしての日本」に、テロリストの戦略が覚醒したら。この国を通常戦力の増強だけで護れるのでしょうか。僕は無理だと思います。

中国の脅威なんぞに気を取られている場合か

 皆さんに言いたいのは、中国の"脅威"なんぞに気を取られている場合でしょうかということです。誰も住んでいない尖閣ぐらいは取られるかもしれませんが、それと「国防」の議論をごっちゃにしてはいけない。「脅威」はあります。それに備えて抑止力を増強しなければならない。でも、上限があります。それを決めるのはお金です。どんな脅威があっても、ない袖は振れないのです。ですから、「脅威」に優先順位をつけなければならない。はっきり申し上げるのは、中国の「脅威」は、そのトップでは、絶対にありえない。こんな脅威に狂騒していると、我々は足元を根こそぎ削がれてしまう。

「イスラム国」はInsurgency(インサージェンシー)である

 「イスラム国」は、新しい敵、「まともじゃない敵」の象徴になっています。でも、これは、突然変異のものでもなんでもないのです。我々が、その由来に歴史上密接に関わり、いや、我々がつくったともいえる、そして、進化し続けるが、その本質は変わらない、いわゆる”Insurgency”(インサージェンシー)なのです。インサージェントは、いわゆる体制が維持する構造的暴力の被害者であり、だからこそ、その体制にチャレンジする勢力なのです。研究対象可愛さでイスラム専門家がどう騒ごうと、──ウェストファリア体制への挑戦とか(笑)──、「イスラム国」は、インサージェンシーにしか過ぎません。だから、それへの“対処”は、インサージェンシーとしての本質を見極めなければなりません。

Insurgency(インサージェンシー)の特性

 インサージェンシーの特性を言います。

 まず、①構造的で強力なグリーバンスにもとづいた「大義」があること。共産革命であっても、共産政権を打倒するためにアメリカが支援する「民主化」、「イスラム国」が掲げるカリフ制等、大義は様々です。ます、構造的暴力が生む強烈な被害者意識がある。それがグリーバンスです。それだけでは、組織的な蜂起は生まれません。グリーバンスを解決するための教義、グリーバンスの解決を、“どんな方法”を用いても達成することを正当化する大義が必要です。我々にとっては残虐に思えるテロ行為でも、大義により正当化されます。大義のないインサージェンシーはありません。

 ②「法の支配」の“空白”に巣食うこと。こういうインサージェンシーが台頭、跋扈するところというのは、法の支配が存在していないところです。国家が体をなしてない。インサージェンシーが自らを成長させるには、「民衆」が必要だからです。

 ③そして、そこに、自らの「大義」に基づいた彼らの「法の支配」を敷く。共産主義だったり、イスラム法だったり、彼らの大義に基づいた統治を行います。行政を運営しようとするわけです。

 最後に、その「法の支配」に「恐怖政治」を織り交ぜること。従わない民衆には、力と恐怖で対処します。

 これらはすべて「イスラム国」に当てはまります。ソーシャルメディアの発達など、インサージェンシーを育む環境は激変していますが、基本は同じなのです。これにどう対処するのか。我々には歴史的に積み上げがあるのです。それを時系列的に見たければ、アメリカのField Manual、軍事ドクトリンの変遷を見るのが一番手っ取り早い。それの最新型が、第2回シンポジウムでプレゼンテーションしたカウンターインサージェンシー、COIN(コイン)という考え方です。対テロ戦軍事ドクトリンですね。2006年にアメリカ軍のイラク戦の司令官ペトレイアスが、20年ぶりに改定したものです。

占領者の負い目

 COINは、努力も虚しく、成功していません。冒頭のように、アメリカとNATOは、アフガニスタンから“敗走”するのです。成功しない理由な何でしょうか。僕は、その理由は「占領者の”負い目”」あると思います。

 僕は開発専門家として、いわゆる破綻国家をいやというほど見てきました。その破綻国家をどうにかするために国際援助があるわけです。戦後、この国際援助という専門領域は、試行錯誤を重ね、目覚ましく発展しました。その結果、二国間援助や国連みたいな団体がやるにしても、NGOがやるそれにしても、国際援助には必ず「条件」をつけます。タダではやりません。例えば人権を大切にしなさいよとか、政府の腐敗をなくしなさいよとか、民主化“度”が低いよとか。公的な国際援助に伴う自己改革の「条件」は、大変厳しくなっているのです。

 アフガニスタンを見てみましょう。戦後の国際援助の歴史で、アフガニスタンほど公的な援助を受けた国はありません。イラクもその一つです。

 ドイツのトランスペアレンシー・インターナショナルというNGOが腐敗度を研究していて、毎年、腐敗度ランキングを出しているんですけれども、アフガニスタンは最も腐敗をした国の一つです。確かワースト3位くらいです。イラクもそうです。こんなに援助しているのになぜこうなるのでしょうか。この二つの国については単に外からの条件要求ではありません。援助国の「専門家」たちが、よってたかって内政の隅々まで関わっています。でも、こうなのです。アフガニスタンに関しては、違法行為として、内政浄化の最重点項目であるのに、「人類史上最強の麻薬国家」になっています。

 なぜこうなのでしょうか。一つ明らかなのは“占領”しているからです。占領者には負い目があるのです。占領者の都合で傀儡政権を置くわけですから。政権の方も軍を駐留させている、つまり占領というのは占領者の国益実現の最も手がかかるものですから、占領者の足元を見る。俺がいなければ、お前らの占領政策がなりたたないだろ、と。だから、国際援助では条件を受け入れさせるために常套句となる「あなたのため」という理屈が通らない。だから野放図に腐敗しまくるのです。そうなると民衆の帰依が得られない。法の支配を敷けない。そこの間隙を狙うのがインサージェントなのです。

 ここを何とかしなければ、テロとの闘いに勝利はありえないのです。彼らを通常戦力で抹消できないということは、アフガニスタンで証明済です。我々は、それを弱体化することしかできない。インサージェンシーが棲みにくい環境をつくることに専念するしかない。我々はそれを未来永劫やってゆかなければいけないのです。

 アフガニスタンの占領政策において、一時期ですが、占領者アメリカが出来なかったことをやれた時期がありました。アメリカが頭を痛めていたアフガン暫定政権国防省の改革がいい例です。それを日本がやったんです。アメリカという占領者の側にいながら、占領していない日本が。アメリカの同盟国で、唯一、日本だけ、見られる足元がなかった。

 これから、我々の近未来を支配するCOINで、日本の役割は、そこにあると思います。


加藤朗 桜美林大学教授

ISIL(イスラム国)関連・コメント
加藤 朗

桜美林大学教授、同国際学研究所長、元防衛研究所

 現在のイスラムのテロの始まりを歴史的なスパンで考えてみます。その原点は1978年4月のアフガニスタンのサウル革命、もしくは1975年のアフガニスタンの体制が倒れて、共和制になって以降だろうと思います。それ以降、いわゆるタリバンが、アフガニスタンに出てきたということだろうと思います。

 1978年4月のサウル革命は、隣のイランに影響を与えてイラン革命を引き起こします。このイラン革命で世界中が吃驚したのは、主権在神型の国をつくろうという動きが出てきたことです。結果的にイラン革命はイラン・イラク戦争で封じ込められました。でも、飛び火していったのがレバノンで、湾岸戦争で湾岸全体に広がっていきました。イスラムのテロは拡大の一途です。それは、中等だけではありません。アフリカや、フィリピンを始めとするインドネシア、東南アジア地域にも広がっています。テロそのものは今も拡大の一途です。

 そういう中で、「イスラム国」をどう考えるかということですが、「イスラム国」はテロ組織ではありません。括弧付きながら、やはり「国家」です。何故かと言うと、領土を支配しています。それだけではなく、サイバー空間も支配しています。この二面性を持っています。サイバー国家であり、現実の国家でもあるというですね、サイバー国家の性格を持っているのは、アルカイダ型の性格を持っているんだろうと思います。領土型というのは、恐らくタリバン型だろうと思います。これらを合わせたのが括弧付きの「イスラム国」です。私はこれをハイパー国家と呼んでいるんですけれども、過去におけるテロ組織とは全く違います。

 ではなぜこのようなハイパー国家が生まれてきたかということですが、基本的には、先ほど伊勢﨑さんからグローバル経済の説明がありましたが、一つはアメリカという国家ならざる国家、つまり帝国に対する、グローバル国家に対するアンチテーゼとしてこうしたグローバルテロリズムが出てきたと思っています。

 彼らが行っているのは、国家間の戦争のようなものではありません。これは西洋国際体系に対しての、草の根の全面戦争です。現在、我々が享受している主権在民型の、17世紀に西洋ヨーロッパでつくりあげられた国際秩序に対する挑戦です。一言で言えば、神無き地上における秩序の形成、西洋国際体系の秩序の形成に対して、彼らがノーを突きつけたということです。

 どのように秩序を形成するのか、実は冷戦後、秩序形成の正当性が揺らいでしまったんです。中東では「アラブの民主化」と言われましたけれども、民主化の本当は主権在民でなければいけないんですが、主権在民にならない。結局、主権在神型の形で、中東にずっと広がってしまっている。

 こうした主権在神型の秩序の形成のあり方と、我々が持っている主権在民型の秩序のあり方、つまり正当性の源泉は、神にあるのか、国民にあるのかという、17世紀に近代ヨーロッパが格闘してきた現象が、今また中東で起こっているということです。こうした主権在神型、主権在民型の試みというのは、中等がヨーロッパ社会との接触をしてからずっと続いてきていることです。

 ちなみに、アフガニスタンで言えば、1920年代にアマーヌッラーという国王が素晴らしい近代化をはじめました。ところが7年も持たないうちに、ひっくり返りました。隣のイランでも同じように近代化が起こって、1979年まで続きました。トルコがかろうじて近代化、西洋型の主権在民型の国家をつくっていますが、かつて危うかったことが何度もありますし、これからも危ういことが何度もあるでしょう。つまり、こうしたテロという局所的な問題というより、もっと大きな問題が我々に問われているということだろうと思います。

 これに対してどのように対処すべきなのかということですが、残念ながら私にも解決策はありません。アフガニスタンの問題を見る限り、過去に成功したところはどこにもありません。しかし、アフガニスタンが平和で安定的な国であったのは、1930年代から1975年までのココウ体制だったときです。この時に、アフガニスタンは発展したと言いますが、平和でした。なぜなら、「援助のオリンピック」と言われるくらいにソ連が援助し、西洋社会が援助し、もちろん日本も援助しました。この時に物凄く発展しました。その時の正当性や秩序をどのように復活するかということですけれども、基本的にはやはりその国の人がやるしかありません。それを外部が手助けをするというかたちしかないだろうと思います。

 今、どんどんテロが広がっていますが、今後更に広がっていく可能性があります。何故なら彼らがサイバー空間に様々なイデオロギーを残してしまいました。これは永久に消えません。これに鼓舞されるかたちで、世界中でいくらでもテロが起こる可能性があるということは覚悟しておかなければいけないことだろうと思います。


柳澤協二 元内閣官房副長官補

ISIL(イスラム国)関連・コメント
柳澤 協二

元内閣官房副長官補、国際地政学研究所理事長

 私は今回の事件についての検証が是非必要だと思います。加藤さんの言葉で言えば、目先の細々したところにこだわって、話をしたいと思います。

 問題はなぜこういうことが起きたのかということだと思います。安部首相の中東訪問があって、そして総理の支援の表明があって、その直後にこのメッセージが出たわけです。専門家によっては総理が中東に行っても行かなくても、何を言ったってこういうことを奴らはやったと言う人もいます。そうなのかもしれません。しかし、そういう相手だと分かっているのであれば、拉致されているのを少なくとも12月からは認識できていたわけですから、その2ヶ月間に何をやったのか、ということは検証されなければいけないと思うんです。

人質解放を訴える安部首相

 このスライドは、日本のポジションをもう一度「人道支援です」と言って、人質の解放を呼びかけたその絵柄が非常にまずいという思いで取り上げました。なぜ日の丸とダビデの星が並んでいるんだ、もうちょっとやり方があっただろうということです。つまり、メッセージという意味ではこの状況設定は賢くなかったということです。

安倍総理大臣の中東政策スピーチ

 そもそも、私は総理の中東訪問はやはり今回の問題と無縁では無かったと思うんです。1月17日に総理がエジプトで演説をしました。難民に対する人道支援はやるべきだし、必要なことだと思います。しかし、何故その時に「ISILがもたらす脅威を少しでも食い止めるため」とか「ISILと闘う周辺各国に支援をする」という言い方をしなくたって──そんなことは分かっているんで──、何故こういう言い方をしたのかということは──総理は正しかったと仰っていますが──、私はもっと気の使い方があったんだろうと思います。

国会審議における首相の主張

 国会での議論で総理の答弁をひろってみますと、リスクをどう認識してたかという問いに対して、「リスクがあるからといって何もしなくていいんですか?」といういかにも安倍流の答弁──小泉さんもよくこういう言い方をされていましたけれども──、しかし問題はそうではなくて、リスクを認識していればこそ、そのリスクを最小化するためにどのようなタイミングでどのようなメッセージを出すか、或いはどのような内容の施策をうつかということが危機管理、リスクコントロールなんです。

 リスクがあるからやらないとか、リスクがあってもやるかという、そういう二者択一の話ではなくて、リスクはある、そしてやらなければいけない、であるが故に、リスクを最小化してどうやればいいのか、そこが問われているという、それが政府の危機管理だと私は思います。

 「ISILと戦う国を励ましたことは正しかったと思っている」と総理は答弁されましたが、これも非常に意地の悪い言い方をすれば、周辺国家──つまりサウジアラビアであり、エジプトであり、ヨルダンなんですが──、みんな王政とか、独裁、エジプトは今、クーデターをやって軍政をしいている国です。こういう国は王政の、言わば17世紀的な国家として存在している。それを否定するISILというのは、日本が言わなくたって元々彼らにとって大きな脅威、戦うべきインセンティブは十分持っているので、そこに安部首相が行って、やる気がある人を励ますというのは、私はあまり意味が無いことだろうと思います。

 それからもう一つは──自分で気に入らない答弁だけを選んでいるんですが──、自衛隊を使って救出することは国の責務だということまで仰っている。

 ISILの今回の場合は、領域国の同意が得られないからという理由で適用外だと仰っていますが、そもそもどこにいるかも分からない、情報も全く無い、協力者も全くいない、そういうところで作戦をすることはそもそも不可能であるし、更に、人質の救出というのは、人質も殺していいなら自衛隊はできると思うんです。位置さえわかればですね。

 しかし、人質は助ける。人質を拘束しているテロリストはやっつけるという作戦ですから、すごく難しい作戦です。更に地理的な土地勘も無い、協力者もいない、そしてヒューミントを重視しろという議論も出ていますけれども、日本人がヒューミントに行ったってすぐ日本人だということがバレちゃいますよね。私は日本のような国がヒューミントといっても基本的には出来ないと思うんです。むしろアメリカやイギリスのようなイスラム人口を抱えている国が、顔を見れば明らかにアラブだというような自国民を使わなければいけないということですね。そういう条件のない日本は典型的な意味でのヒューミントを強化するということは出来ません。結局は、他国の情報を頼りにするしか無いということだと思います。

日本はどう「闘う」か

 よく議論になっているのは、世論調査では内閣の対応は良かったという方が多くなっています。私もそう思います。1月20日以降の対応は──私もイラクで高遠さんたちが捕まった時の対応を官邸でやりましたけれども──、あんなものだと思います。

 つまり、独自の情報源もない、切れるカードもない中で、ヨルダンとかトルコとか、部族や宗教指導者の伝手を頼っていくしかない。官房長官は、「総理から更に緊張感をもって全力を上げろというご指示があった」と言っていました。私はやったことがあるから分かるんです。そういう言い方をする時は、何も打つ手が無いということなんです。

 しからば、日本はどう「闘って」いくか。無防備な武器を持たない民間人を何人殺そうが、軍事的な力関係には全く影響がないんです。にも関わらずなぜやるかといえば、恐怖のメッセージを流すということ、メッセージの戦いということだと思います。

 それに対して、有志連合──ISIL側から言えばそれは十字軍だということになるわけですが──、そういうメッセージのぶつけあいというのが今起こっていることで、これは非常にまずいことなんだろうと思います。

 日本が発信すべきメッセージは、日本は70年間1人も殺していないわけです。警察はハイジャック犯やシージャック犯を殺したことがありますが、自衛隊は1人も殺していない。それが日本のよるべきブランドとして、信頼を取り戻していくというのが、時間はかかりますけれども──「イスラム国」に関してはそのブランドは崩れたと実は思っていますが──、それに対してやられたからやり返すんだ的な、憎悪と報復の感情に訴えることは政権の浮揚にとってはすごく易しいんです。戦時のリーダーを批判すべきではないというムードが出てくるし、プーチンだってウクライナに攻め込んだ時には80%まで支持率が回復するわけです。イラク戦争に入り込んだ時のブッシュ大統領だって8割の支持率が出てくるわけですね。

 しかしながら、今回の日本の場合は、日本が直接そこでやるというより、ISILは悪だ、有志連合は悪と戦うがゆえに善だという二元論でメッセージを発し続けていると、世界中にいる日本人──特に私はパキスタンが次にやばいと思うんですね──、或いはロンドン、パリ、カナダ、アメリカだってテロが起きています。そういうところに旅行される場合には十分気をつけて頂く必要があると思うんですが、そういう意味で言うと、私は今の安倍総理のそういうメッセージの出し方が、国民の生命・自由・幸福追求の権利にとって最大の脅威になっていると言ってもいいぐらい深刻な問題になっていると総括をしています。


伊勢﨑賢治 東京外国語大学教授 元国連平和維持軍武装解除部長

伊勢﨑 安倍政権の行動のまずさ、イコール日本政府全てというわけではなくて──もちろん僕らも日本政府にいた人間ですから──、在外邦人の安全を確保するというのは、インビルドされた外務省の義務として、在外公館のシステムになっているわけです。自動的にそのように動くわけです。だから、日本政府が何もしていないということはありえないわけですね。

 在外公館が執るイニシアチブというのは、もちろん東京に照会、許可を得るものもありますが、在外公館自身で、独自でやる人達もいるわけです。だいたいそういう人達は偉くはなれませんが、外務省の中には立派なアラビストも現場にいますし、テレビに出てくるようなチャラチャラしたのに比べればもっと優秀な人が本当にいるんです。僕が知っている限りは、アフガニスタンの高橋大使などは正にそうです。彼なんかは東京に照会しなくても、何も言わなくてもやっちゃう、それだけのリスクを負う覚悟がある立派な外交官もいるわけです。今回の二人の救出劇についても、そういったものが無い方がおかしい訳であります。

 だから官邸の口が滑った、アホですね。やっぱり。しかし日本政府が全部そうだとは考えないで頂きたい。だからある意味信頼して頂きたいんです。


冨澤暉 元陸上自衛隊幕僚長

ISIL(イスラム国)関連・コメント
冨澤 暉

元陸上自衛隊幕僚長

 今日はその話がある程度は出てくると思ったんですが、皆さんの発言について、それぞれ違うところがありますので申し上げます。

 まず、伊勢﨑さんの結論ですが、日本という国は西欧諸国とは違うところがあるんだから、そこを生かさないといけないという発言が最後にあったと思います。それを受けて、加藤先生は、問題はアメリカ的、西欧的なものの考え方に対してのものだから、それについて考えないといけないというお話もありました。この2つについてお話します。

 まず日本的なものと言いますが、日本的なものというのは何であるか。非暴力ということだろうと思うんですね。しかし、それは西欧諸国から馬鹿にされてきたと私は考えるんです。それがようやく安倍さんになって、いざとなったら有志連合に入ると、まだなかなか憲法の枷もあってできないけれども、我々は西欧諸国やアメリカと足並みを揃えるということを言ったわけです。そういう段階になってから、それを考えなおそうと言ったって、現実の問題としては全く無意味ではないか。皆さんは私が大分右翼だと考えるかもしれませんが、右翼じゃないんです。

 加藤先生が言った問題は非常に重要なんですが、アメリカという国を一体どう考えるのか。戦後、ヨーロッパにはユーロというのが出来てきたんですが、アメリカはネイションステイツではありません。アメリカの人口を調べると、一番多いのはイギリス人ではなくて、ドイツ人なんです。それも僅か13%位です。3億人のうちの4千何百万人しかいません。2番目はイギリス人ではなくて、アイルランド人なんです。4千何百万人。3位が確かアフリカン・アメリカンです。色の黒い方が3位で3,800万人か3,900万人。4位にイングランド人が出てくるんです。日本なんかは九十何%、自分達が日本民族だと思っている人が多いんです。あの中国だって五十何種類の少数民族がいるといいますが、九十何%は言葉は違っても漢民族だと思っています。そういうネーションステイツとアメリカは違うわけです。

 アメリカ人に、「お前らのアイデンティティは何だ?」と聞くと、「それは自由だ」と言うんです。アメリカ人にはみんな大昔には祖国があるんです。アメリカン・アメリカンという祖国のない人もいます。アメリカン・アメリカンというのは、おじいちゃんはフランス人だったけれども、おばあちゃんはイタリア人だったとかです。「俺は何人かわからないが、最後はアメリカ人だ」ということで、アメリカ語を喋るアメリカ人が何百万人かいるんです。そういう国ですから、百年ほど前にドボルザークというチェコ人が行って、「新世界より」という曲を作ってきました。新世界なんです。彼らはそれぞれいろんな所に郷里を持っているけれども、自分達はアメリカ人で、新世界人なんです。少なくとも郷里にいた時よりもいい生活ができる。他の民族がいて差別もあるけれども、それなりに楽しくやっている。だからこの生活、アメリカン・ウエイ・オブ・ライフというのが世界中で個人にとって一番いいんだと。だからそれを世界に広めれば、広められたところも多分ハッピーなはずだし、我々もハッピーだからというので、第2次大戦以降ずっと広めてきた。人は侵略というけれども、彼らにとっては発展です。マニフェスト・ディスティニーと言うやつです。それが彼らの使命なんです。

 日本はどうするのかということですが、70年間アメリカンナイズされてきたんです。グローバライズというけれども、グローバライズ=アメリカナイズなんですね。

 日本人は未だにアメリカナイズされたことを喜んでいて、グローバライズする世の中はいいと思っている。今のTPPなんかはそうです。結論として、いいと思ってやってきたんです。

 今回もこういう流れで有志連合に入っちゃったんです。有志連合の中に入ったら、私だけは軍事をやりませんというのは通らないんです。私はいざとなったら軍事力を使うというのは、正しいんだろうと思います。それをやめるのなら、我々はアメリカナイズをやめますと──それこそ今の「イスラム国」だかISILだか知りませんが、彼らと同じように──、我々民族は、我々の宗教だけでいきますと。そういう方法もあるでしょう。そんな動きをする一部の超右翼はいますが、ほとんどいないんですから、我々は西欧諸国の文明を受けて、もちろんアイデンティティとして日本の文明も持ちますよ、でも、我々の生活にとって都合のいいのはどんどん受け入れましょうという決心をしているんです。だから、安倍さんは当選したわけです。

 僕は北岡伸一さんとは意見があわないけれども、北岡さんが「普通の国」になると言う意見には、基本的に私は同意なんです。

 だけれども、先ほど柳澤先生が言われましたけれども、邦人救出というのは、どだい無理です。邦人救出では当該国の警察や軍隊が全部やってくれて、ただ運ぶのだけ大変だから、自前で運んでくれという話は今までにもありました。しかし、監禁された人を引っ張りだすというのは、軍事行動として基本的にありえない。

 今まで監禁された人を無傷で救出した例というのはおそらくただ一例あるだけです。それは、1943年にイタリアのムッソリーニが本国で捕まって、山荘に監禁されたんです。その時、友好国のドイツにスコルツェニーという親衛隊の軍事の天才がいまして、それがグライダーで近くに着陸して、ムッソリーニを助けだしちゃったんですよ。彼はその後もいろんな奇襲作戦をやった人ですけれども、あれはよっぽどイタリアがお粗末なんです。お粗末だからできたのであって、普通は出来ません。

 それに近いのが、皆さんご存知のようにペルーでフジモリ大統領の時に日本人が監禁された時です。あの時は穴を掘ったんですが、それでもファン・バレル中佐とヒメネス中尉が殺された。相手がお粗末なんです。今のテロと全然違います。どっかから少年を集めて鉄砲持たせて、何百人も監禁したんでしょう。ところが何百人もいたら数十人ではとても保てないんですよ。だから彼らも利口でどんどん釈放して、最後に何十人か残すわけです。それが青木大使以下、たくさんいました。もっと重要なことは、情報があるんです。司教さんがパンを持って行くんですね。パンの中に携帯電話とか通信機が入っているんです。だから中の状況が全部分かっているんです。トンネルを掘っている音が聞こえないように、うまいことやって成功したんですけれども、それでも2人死んでいるんです。むしろ後で批判されて、その何の罪もない子どもを一度捕まえてから無茶苦茶に殺したというので批判されて、フジモリさんは殺人罪に問われているんです。

 アメリカだって何回もそういうことをやろうとしているんだけれども、スペシャルフォース出来ないんです。日本にもスペシャルフォースはあります。海上自衛隊にはシールズという組織があり、航空自衛隊には救難の特別部隊、陸上自衛隊にも特殊部隊があるんです。彼らはアメリカのグリーンベレーで習ってきている。習ってきているけれども、法制もなく情報手段がなくて、しかも、そういう場面における訓練なんて全くしていません。だから情報がなく、情報収集手段がなく、訓練していないことはできませんということなんです。それをどうしてもやれと言ったら大変です。特別手当を相当やらないとこんな危険な仕事を引き受ける奴はいないです。それが現実だということだけ申し上げて、とりあえずこの話は終わります。


伊勢﨑賢治 東京外国語大学教授 元国連平和維持軍武装解除部長

伊勢﨑 議論が面白くなってきました。こんな感じで後半はもっと盛り上がりたいと思います。みんなチャーミングなおじさん、おじいさんたちですので、殴り合いの喧嘩にはならないと思いますけれども(笑)。


冨澤暉 元陸上自衛隊幕僚長

日本の防衛に何が必要か
冨澤 暉

元陸上自衛隊幕僚長

 冨澤でございます。今日は「現代によみがえる専守防衛はあるか」という話でございますが、去年の暮れだと思うんですが、柳澤さんから話が来た時は、実はこういう題名じゃなかったんです。「日本の防衛に何が必要か」という話で、それで私のレジュメをまとめて参りました。この問題も必ず入れますから、このレジュメに従ってやります。副読本のようなものがついていますが、これは後ほど説明致します。

 今、日本の防衛で何が問題かと言うと、一言で言えば、誰も軍事を知らないということです。恥ずかしながら、私ども自衛隊OBも軍事を知らない。現役の人達はもっと知らないんです。その中で、5点を指摘したいと思います。

 まず第一は、自衛隊の存在目的は何だというところが、誰も分かっていない。

 自衛隊法第3条に──私どもは若い頃から耳にタコが出来るくらい言われているんですが──、書いてあるのは、「独立と平和を守り、安全を保つ」ということです。先ほど、どなたかからの祝電が紹介されましたけれども、その祝電には、「我が国の平和と安全を守る」とありました。実は、自衛隊法第3条は「平和と安全」じゃなくて、「独立と平和を守り、安全を保つ」と書いてあるんです。

 ところが、現在の日本の憲法には、独立という言葉は全くありません。占領下にできた憲法ですから、独立という言葉は当然書いてないんです。独立というのは逆に言えば、国家主権を守るという言葉なんですが、国家主権という言葉も全くありません。一方で、平和という言葉は今の憲法にはたくさん書いてあるんですね。

 国家主権という言葉が全くないかというと、高校の一般社会の教科書を全部調べたことがあるんです。そこには、「国家の三要素」というのが書いてありまして、国家の三要素というのは、国土と国民と主権だと全部の教科書に書いてあるんです。ところが、その「主権」とは何か、説明のある教科書は全くない。おそらく高校の先生方は説明できないだろうと思います。

 憲法には「主権」という言葉がたった2つあるんです。それは、主権在民であるという意味なんですね。我が国の主権は国民にあるということが書いてあるのですが、世界では、相変わらず国家主権という言葉が大流行なんです。国家主権という話なんです。私も中国に行くと、中国の連中はサヴァリンティって英語で言うんです。それは、彼らの人民各人が主権を持つということではなくて、中国としての国家主権の話なんですね。だから、日本人は国家主権という言葉を全く承知していません。

 実は今、新憲法をやるというのが我々の仲間で流行っているんですけれども、その研究を仲間でやりましたら、その中で、私よりも10歳くらい年下の人が、「冨澤さん、新憲法から平和という言葉をなくそうじゃないか。平和には飽きた。やはり日本の国防というのは主権を守ること、或いは独立を守ることだ」と、こういうことを言うんです。だけど、それは無いだろうと。やはり平和と主権というのは、両方守らないといけないんじゃないのと言うんです。釈迦に説法の話ですが、社会契約説の大本であるホッブスという人が、個人の自由を認めながらも、自由にやると万人が万人の敵になるから、それをある程度まとめないといけない。自由というのはあくまでも他人の自由を侵さない限りに置いてだよと、そこをコントロールするためには、彼の場合は王様の権利がいると。今で言うと公権力ですね。公権力と契約して、公権力によって個人の自由をコントロールすることによって、みんなが平和に生きられると。万人が万人の敵にならないように生きられると言ったわけです。もちろん、国王というのはけしからんから、次のロックは国王なんかは変えたらいいというし、ルソーになると人民の中から公権力をつくるんだと言い出してね。公権力というのは余り強すぎるから、三権分立しようとモンテスキューが言ったとか、こういう話なんでしょう。

 要するに、平和ということも必要ですし、主権や独立ということも当然必要なわけですね。国というのも一種の法人ですから、世界に目を投じた時は、個人と国民との関係だけではなくて、各国家と世界との間で平和も必要だし、各国の独立も必要だということだと思うんです。そういうことを分かっている人がほどんどいない。

 平和がいいに決まっているんです。自衛官は平和が嫌いなのかと、戦争するためにお前らはいるのかと言われるけれども、冗談じゃない。確かに僕の後輩でも平和をやめましょうなんていう人がいるけれども、そういうおかしな人がいるということが、最大の日本の防衛の問題だということです。

 実は、平和という言葉と主権とか独立という言葉は矛盾するんです。独立だけを追求していったら、どうしても平和じゃなくなるんですよ。ホッブスが言ったとおりです。平和だけを追求していったら、独立が無くなるんです。昔、森嶋通夫さんという経済学者でノーベル賞候補のロンドン大学の先生が、日本に帰ってきて、最近日本は右傾化している。もしもソ連が来たならば、赤い旗と白い旗を両方立てればいいじゃないかとこういうことを言ったんですね。我々は結構まじめにそれを議論したんです。それは、奴隷の平和ですよね。奴隷というのはお金でもってマスターに買われたわけですから、マスターはお金を損するから、奴隷を殺したりしないわけですよ。だけど、奴隷には何の自由もない。奴隷になっても生きていることが大切なのかという議論を我々は若い頃したことがあるんですが、やっぱり両方必要だと思うんです。バランスの話なんですよね。そのためには、ホッブスが言ったとおり主権というものはある程度、公権力によって制限されなければいけないんですね。ひどい人は主権はある部分は移譲してもいいと。前の鳩山首相なんて得意だったですよね。彼の好きな博愛のためには主権を移譲するということを言いました。それもあると思うんです。TPPなんて正にその問題です。そういうことについて、首相は国民を説得して、国民の同意を取らなければならない。抜本的な問題が出来ていない。国民もこれについては人によっていろいろな意見があります。

 次は、「主権線と利益線」の問題です。これは、1890年(明治23年)に帝国議会を初めてやった時、時の山県有朋総理が、主権線のみならず、主権線と密着な関係のある利益線を守らないといけないと言いました。これは山縣の発想ではなくて、山縣が若い頃、オーストリアに行った時に、有名な政治学者であったローレンツ・フォン・シュタインから学んできた言葉です。主権線だけ守るのではなくて、利益線も守らなくてはいけないという話なんですね。当時の利益線というのは、主権線を守るための緩衝地帯です。端的に言えば朝鮮半島であるとか、南満州鉄道です。ヨーロッパでは鉄道を利益線といったらしいんですけれども、そのような利益線を守らないといけないといったんです。

 現代の利益線は──特に海上自衛隊の連中が得意になって言うんですけれども──、中東からたくさん買っていますからシーレーンとか、中東の平和というのは日本の平和にとってすごく大事なんだと、安倍首相もホルムズ海峡が大事だとか言っています。そのとおりです。今、生きている利益線です。昔は利益線を自分で確保したんですけれども、今や利益線というのは世界中の利益線になっています。今我々が行っているマラッカ海峡だって、インド洋だって、中東に行くシーレーンというのは日本だけのシーレーンじゃないんです。韓国のシーレーンであり、中国のシーレーンでもあり、ある場合にはアメリカのシーレーンでもあるわけです。

 ですから、現在のアメリカ主導の考え方で言うと、このシーレーンというのは、領海以外の公海、これをアメリカはグローバル・コモンズと言うんですね。みんなの共通のものだと。だから共通のものは共通で守らないといけない。みんなで守りましょう。日本だけで守ることもないし、韓国だけ、中国だけで守ることもない。アメリカも関係あるし、力もあるからアメリカを中心に皆で守りましょうというのが、アメリカの考え方なんです。結局は、国連もしくは、国連が納得しない場合には有志連合で守らざるを得ません。これは集団的自衛権ではなくて、グローバル・コモンズを守るのは集団安全保障なんだということを、よく理解していたくことが第一です。

 次に2番目。警察と自衛隊は違うんだということを知らない。多くの人は自衛隊がダメなら警察でいいじゃないかとか、警察がダメなら自衛隊でいいじゃないか、同じことをやるんだろという感じですが、警察と自衛隊は全く違うんだということです。

 警察は犯罪者を逮捕します。逮捕後は検察に送って、裁判所に送って、最後の執行、罰するのは法務省のお役人というふうに、国内治安を守るのは警察の仕事なんです。

 自衛隊は武力行使です。武力行使というのは、逮捕ではなくて、相手を殺しちゃうんです。これが武力行使ということです。ただし、武力行使だけが任務ではなくて、武力行使の準備によって──この後で出てきますが、柳澤先生が得意の抑止というやつです──、国際平和を守る。国際平和を守ることが日本の平和になるという考え方なんです。

 問題はテロゲリラ対処です。今、テロゲリラ対処は警察の役割か、自衛隊の治安行動の役割かというのは非常に問題なんです。日本にとって一番恐ろしいのは、先ほど伊勢﨑先生が言われた原子力発電所の問題もあります。止めるにしろ止めないにしろ、原子力発電所というのはあるわけで、あれをテロゲリラに狙われたら、警察が頑張ってやっていますけれども、自衛隊の方はやりたくてもそういう任務が一義的に無いんです。自衛隊も一度訓練したことはあるそうですけれども、原子力発電所の警備は大変です。原子力発電所だけじゃないですよ。電線の柱とか、いろんな物があるんです。

 新幹線だってテロゲリラにものすごく脆弱です。そういうものは今のところ一義的に警察の役割になっています。自衛隊は警察がお手上げになってからです。出て行っても警察行動としての治安行動、警察の予備なんです。警察予備隊から始まったんだからしょうがないんだけれども。ただ、我々は治安行動はやらないということでいたんです。それは昭和45年に、70年安保の学生運動で我々が一生懸命に治安行動をやっていたら、社会党の誰かがその時の教範草案を「自衛隊は日本人相手に闘うつもりか」とやったんです。そうしたら、あの勇ましい中曽根さんが、その教範を潰せと言って、我々はその教範を燃やしちゃったんです。それ以来、自衛隊のその頃の大先輩は──私はまだ30歳位の一尉で若かったんですけれども──、我々は治安行動なんかやるのが目的じゃない。──治安行動というのは法律に書いてあるんですよ、書いてあるんだけれども──、そんなものはやるのは我々の目的ではなくて、外敵と戦うのが目的で、日本人相手の戦いなんかやりたくない。政治が治安行動なんか止めろと言ったんだったら、やめようじゃないかと言って、すっかりそれ以来訓練をやっていないんです。訓練をやっていないものを出来るわけがない。ということをよく承知して頂きたい。

 3番目です。現代における世界の脅威は「核拡散」と「国際テロ」と知ることということです。誰も知りません。2010年にQDRというのがアメリカで出ました。今からちょうど5年前です。QDRというのはアメリカの一種の戦略です。アメリカは利口ですから、なかなか脅威なんて言葉は使わないんですけれども、戦略環境として一番の問題は何かといった時、核拡散と国際テロと書いてあるんですね。

 ところが、これだけ書くとアメリカ海軍が文句を言うんです。それで、それよりも大切なのは中国の海洋進出だということで、仕方なくこのQDRは、一番の問題は核拡散と国際テロだと言いながらも、一応、海軍と空軍のために、ASBというエア・シー・バトルというのを出しています。

 その時に初めてクリントン大統領が、リバランスと言って、我々はアジアに焦点を移すと言い出しました。日本は海軍寄りの人が強いですから、このQDRを読んで、何が一番大切かと言ったら、アメリカのリバランスに沿って日本も海洋国家にならなければいけないということを言ったわけです。その時のアメリカの実際の装備は、正にアフガン、イラクと戦っていたわけです。それを何とか片付けることがまず第一だと。そのために、40何万人陸軍減らしていたのを、一挙に70万人ぐらいに陸軍を増やしたんです。アメリカ人は陸軍の戦いが嫌いですから増やしたくないんだけれども、増やさないと中東がおさまらない。それでゲーツ国防長官が出てきて、ともかくアフガンとイラクをおさめるためには、嫌でも陸軍を増やすしかない。その代わりに海軍と空軍の飛行機と船をガバガバッと減らしたんです。そうしたら海軍の連中はおさまらないんですよ。おさまらないから今は減らすけれども、将来のために対中国のための海軍力を増やせと言って──実際は増やさないんですよ、増やさないけれども──、ASBという訳の分からない概念だけ出して、これから将来、中国──中国だけじゃなくてイランとかも言っていましたけれども──、海洋国家に対するためにASBだと。それを日本はその時には全く真に受けずに、むしろこれからは海軍力だと思ったわけです。それで陸軍をガバっと減らしたんです。別に僕は文句を言うわけではありませんけれども、そこにズレがあります。

 ところが一昨年の2013年、国家安全保障戦略というのが出来たんですね。それを見て私はびっくりしたんですよ。何とここには脅威という言葉が書いてあるんです。諸外国でも滅多に脅威というのは書いていないんです。なんて書いてあるかというと、「安全保障環境について、大量破壊兵器等の拡散と、国際テロのこの2つを脅威だとする」まるで、3年半前のアメリカのQDRそのものを写しているんです。その次にリスクがあると。リスクは何かというと、先ほどのグローバルコモンズの話とグローバル経済がリスクだと。そして、最後に人間の安全保障というのは課題だと。3題に分けているんです。

 これだけ読むと、当時の安全保障環境についての説明は、正にアメリカのQDRに沿って大量破壊兵器等の拡散と国際テロの2つが脅威だと言いながら、それに対する対策はほとんど出ていません。直前の自民党の新防衛大綱提言では、テロゲリコマというのが大事だということで、国際テロに絞ったのはいいんですが、対策としては、情報収集が大切だということと、分析強化が大切だということは書いてあるんですが、それ以外の対応行動、どういう対応をテロゲリラに対してとるかということを一言も書いていません。一体これはどういうことかということです。

 建前としては、テロゲリラと核拡散については、それまでの大綱で核拡散については何も書いていない、アメリカの核の傘に頼るとしか書いていないんです。ようやくその時に「拡大抑止」という新しい言葉を使っていますが、「拡大抑止」とは何かという説明もない。これが現在の日本の安全保障戦略なんです。

 そういうことは別にして、先程も言われましたけれども、中国の脅威は大変だと仰るんですね。私からすると伊勢﨑先生が言われたのに全く同意で、中国は尖閣にも軍事力では来ないと思います。尖閣に来るときには鉄砲を持たない人がたくさん来る。警察よりも多数の人を持ってくる。それが一番いいんです。そうすると日本の警察も海上保安庁もお手上げですから。本当は日本の警察が保護して本国へ送還するんですが、中国から何百名という大量の漁民が来たら、逆に日本の警察の方が──いかに柔道何段と言ったって、数にはかなわないですから──、保護されちゃって、ここは中国の領土だからお帰りなさいといって帰されちゃうんですね。これが一番恐ろしい。軍隊であんなところに攻めてくるはずがないです。沖縄本島に来るというのはちょっとあるんですが、これは別問題です。

 要するに今の中国の脅威というのは、彼ら自身が言っているように、三戦なんです。三戦というのは、心理戦であり、広報宣伝戦であり、そして法律戦です。この狙いは何かというと日本の弱体化です。

 恐ろしいのは、琉球独立論という本が沢山売れているんですが、琉球独立論です。独立なんか出来っこないです。僕の友達が「独立したらいいじゃないか」と言うのですけれども、琉球は独立できない、何故か。アメリカ軍の基地があるからです。アメリカ軍の基地をアメリカに追い返す力のある奴は誰か。日本の自衛隊はとてもじゃないけどできません。日本の政治家には、琉球からアメリカに帰ってくれと言い切れる人はいないと思います。沖縄の政治家が言ったらアメリカは帰るかと言ったら帰りません。キューバにあるグアンタナモであるとか、クリミアにあるセヴァストポリのように、あそこに残るわけです。しかもキューバにおけるグアンタナモとかよりもずっとデカイですから、あんな状態で琉球が独立できるはずがないんです。

 その独立運動をやるということは、日本の弱体化を狙っている。だったら、日本も三戦でやるしかない。三戦を誰がやるんだと言ったら、それこそ今度出来たNSCがやらなきゃいけないんです。自衛隊の役割じゃないです。三戦はNSCがやるんです。

 自衛隊の方の軍事力というのは、その三戦の背景として、適切な軍事力をつくるというのが軍事のあり方なんです。軍隊が中国をやっつけるなんていう話ではないんです。

 三戦でやる。三戦の背景となる軍事力を自衛隊が形成すると。正に準備をすることによって、その三戦が成り立つということです。

 ただし、北朝鮮は危険です。北朝鮮は通常は大した力ではないですけれども、追い詰めると何をやるか分かりません。だから追い詰めないことが大切ですけれども、今の状態だと孤立化が進んでいますから、何をやるか分かりません。追い詰められた時に怖いのは核ミサイルです。それと、陸上自衛隊と同じくらいいる、十何万人の特殊部隊です。そして、第五列(スパイ)が日本には相当入っている。そうなると、対核防護と対テロゲリラに焦点をあてなければいけないというのが私の考えです。

 ミサイルディフェンスはあてになりません。あったほうがいいけれども、「あれさえあれば」なんて言う人がいますけれども、そんなものではありません。それよりも核シェルターを考えたほうがいい。中国が先んじてやり、スイスやスウェーデンがやっているように核シェルターです。核シェルターというと大変ですから、今は地下街が多いですから、都市にいる人は地下街に潜って、何日間は生きられるように、一番大切なのは空気のフィルターをちゃんとして、地下街でやったほうがいいと思います。

 先ほど言ったように、アメリカのASBは──最近はASBだけじゃなくてASBLと言う人もいますけれども──、あくまでアメリカの軍事力整備戦略です。運用戦略ではなくて、軍事力整備戦略ですから、これも不必要とは私は言いません。ヘッジというのは実際のコンテインメントとは違って、生け垣という意味なんです。生け垣ですから、いくらでも突き通ることができるわけです。しかし構えですから、ある程度は必要だと思いますけれども、あくまでも三戦のためのものだということです。

 最近では、中国がASBをやるから、日本もASBをやるべきだという人が多いんです。アメリカのトシ・ヨシハラという人が、アメリカの海洋戦略のためには、日本がASBで島を守って、その島を起点にしてアメリカが反撃をすると言っているんですが、冗談ではないです。アメリカの本質は、南シナ海、東シナ海におけるフリーダム・オブ・ナビゲーション、自由航行が狙いです。自由航行が狙いだという時に、日本だけが、中国が西太平洋に出てくる自由航行を認めないなんて、理屈が合わないです。理屈が合わないことで対抗しても全く意味がありません。止めたほうがいいということです。

 アメリカにはいろんな状態があります。シンクタンクもたくさんあります。それに振り回されないように。そのうちの一つを持って来て、コレコレ、なんてやるのは良くない。

 最後は軍事力の実態を知ること。先ほど言ったようにミサイル防衛と敵地攻撃能力をやろうという人がいるんです。

 柳澤先生は専守防衛の方がいいんだと言うかもしれませんけれども、私は専守防衛というのはおかしいと思うんです。あれは戦略守勢ということなんですね。戦略守勢というのを誰かが勝手に専守防衛と変えちゃった。専守防衛というのは、上手い人が下手な人に全然パンチを出さずにボクシングをやる、あれに過ぎません。勝たないけれども絶対に負けないと言うけれども、本当にやったら必ず負けます。だから、専守防衛ということはあり得ません。戦略守勢はあるんですが。

 専守防衛なんかやめたほうがいいんで、攻撃能力を持たないといけないんですけれども、攻撃能力もよく考えて持たないといけません。最近は、例えば石破さんだとか、実際にNSCにいる外務省の人でも、「そろそろ日本の自衛隊も敵基地攻撃能力を持たないといけない」と言うんですよ。そんなことは、はっきり言って出来ません。

 簡単に言うと、海上自衛隊にトマホークを積んで、トマホークというのは確かに当たりますから、敵の基地を叩くというのですが、大体、敵の基地がどこにあるか全然分からないんです。敵の基地は動きます。動きますし、地下に入っています。アメリカでも今は敵基地攻撃能力なんてちゃんと持っていません。情報が必要です。情報はアメリカから貰うとしても、アメリカも情報は不十分なんです。そんなものに頼って、トマホークだけ背中に乗っけて、「敵基地攻撃をやる」なんて言ったって全く無意味です。そういうところは誰も軍事が分かっていない。出来ないことをやっちゃいけません。

 それから南西諸島防衛も、先ほど少し言いましたけれども、沖縄本島の防衛なのか、尖閣諸島の防衛なのか、それから最近の若い人達は──あんまり現役の悪口を言いたくないんだけれども──、チョークポイント封鎖だって言うんですよね。沖縄本島と宮古島の間は250キロあるんですよ。昔、我々が北海道のチョークポイントって言っていたのは40キロとか20キロですよ。それはチョークポイントと言えるでしょう。フィリピンの方にはバシー海峡というのがあるんです。中国が西太平洋に出てくるのに、何も南西諸島を通ってくる必要はないんです。バシー海峡から出てくれば、南西諸島に出て来れるんです。それをチョークポイントを守ることが中国の海洋進出を阻むことなんて冗談ではない。

 邦人救出の話はさっき言いました。集団的自衛権行使と集団安全保障、これは皆さん間違えています。資料の後ろにペーパーを付けております。「集団的自衛権行使から集団安全保障へ」というのと、それだけだと不十分なので、もう一つ法律的な問題について書いてある資料を付けています。ぜひ読んで頂きたいと思います。

 皆さんが軍備を考える時、よく「これさえあればいい」、例えば「ミサイルディフェンスさえあればいい」とか、「戦車は不要だ」とか、「これは不要だ」とか勝手なことを言っていますが、何も軍事が分かっていません。そういう意味では私どもが若い時には基盤的防衛力なんて馬鹿みたいなことを言うなって文句を言ったんですけれども、この基盤的防衛力というのをもう一度、考え直す必要があるというのが私の意見です。

 いずれにせよ、こういった問題を発信できる自衛官、自衛官OBの組織が必要だと思います。私は戦車のことは詳しいですけれども、海軍のことや空軍のことはよく分かりません。だからみんなで考えないといけない。

 最後は情報収集能力の不足です。情報というのは敵情だけじゃなくて、全ての情報が必要です。

 METTT(メッツ)という言葉があります。これはアメリカ軍が状況判断する時の、最悪の場合の最小限の条件なんですね。Mission(任務)、Enemy(敵)、Troop(我が部隊)、Terrain(地形)、Timing(時)の全てが必要です。孫氏は「敵を知り、己を知れば百戦危うからず」と言いましたが、それだけではないんです。まずミッションというのは、本当にこの任務は大丈夫なのか、この任務は何のためにあるのかという分析をするんです。会社で言えば、会社のミッションは金儲けというけれども、資本家のために金を儲けるのか、役員達だけが儲かるためなのか、社員のために儲けるのか、社会のために儲けるのか、ずいぶん違うんですね。まずミッションとは何であるか。それから敵(Enemy)、我が部隊(Troop)、Terrainは地形とありますが、これは環境です。その時の環境というものがあります。それから最後はタイミング(Timing)、それを準備するのにどのくらい時間がかかるか、「いつやるか、今でしょ」と言われますが、今じゃないです。今じゃないことが多いんです。そういうことを考えて頂戴ということなんですね。

 もちろん、軍事だけではなく、経済文化の情報も必要です。高坂正堯さんは言ったように、国家の大計というのは、力の体系と利益の体系と価値の体系があるということです。高坂さんは面白いことを言っています。平和を語る時、それぞれの専門家は自分のところのことだけで平和を語る。我々軍人は軍事のことだけで平和を語る。経済界の人はお金のことで平和を語る。教育者は文化のことだけで平和を語ると。それではダメなんです。政治家はそれを全部合わせて考えて頂かないと困る。

 それから、情報収集時に一番大切なのは意図と能力です。意図を知るためには、どうしても──先ほど柳澤先生は、日本にはヒューミントは出来ないと言いましたけれども──、ヒューミントもやらないとダメです。外国から貰っている情報ではダメです。日本人が自ら外人を使ってもよいですが、ヒューミントをやらないとダメです。ヒューミントをやるためにはお金が必要です。機密費というやつです。日本では機密費というのは官房以外には全然持っていません。こういうことでは情報は集まらない。

 政治家、官僚、学者、マスコミ、国民の責任もありますが、こと軍事に関しては私ども自衛官、自衛官OBが反省しなければならないと思います。

 最後に一つだけ、柳澤先生は政府との関係とか、憲法との関係を言われると思いますが、私は今の政府、個々に言うと、安部首相のやることにはいろいろ不満がありますが、トータルとしては──後で集団的自衛権のところを読んでいただいて欲しいんですけれども──、私は、集団的自衛権なんて言わないで、集団安全保障をまずやるべきだという意見なんですが、それでもようやくここ1〜2年、集団安全保障をやるべきだとか、グレーゾーンの問題が出てきたのは、安部首相が無闇矢鱈に頑張って集団的自衛権と言ったおかげで集団安全保障の問題もグレーゾーンの問題も炙り出てきたということです。そういう意味では、今の安倍首相のやることに心から敬意を表していることだけ申し上げます。


伊勢﨑賢治 東京外国語大学教授 元国連平和維持軍武装解除部長

伊勢﨑 ありがとうございました。最後の言葉は、僕もメディアで言ったことがありまして、安倍政権のやっていることは、政策的には突っ込みどころがいっぱいあるんですけれども、仰るとおり、集団的自衛権と集団安全保障をどちらも日本は集団と訳しているので、元々違うものなんですが、混同されているんですね。国連憲章からして元々アイデアが違うのに、日本だけがごっちゃになっていると。今まで気付かなかった日本の世論に気づかせてくれるきっかけを作った安倍政権の誕生。これは多分、いいことなんでしょうね。ということで、柳澤さんお願いします。


柳澤協二 元内閣官房副長官補

日本防衛の構想・現代に生きる専守防衛
柳澤 協二

元内閣官房副長官補、国際地政学研究所理事長

 ありがとうございました。実は──正確にお伺いするとプライバシーにあたるのですが──、防大の期別、私の入庁別で言うと丁度10年の大先輩にあたる、かつてから尊敬していた冨澤さんに今日は来て頂いて、言い足りない部分はおありでしょうが、本質的に思いの丈は仰って頂いたと思います。

 私はあえて大先輩に逆らうという観点ではなくて、多分、同じことを言いたいんだろうなという部分も多々あるなと思いながら聞かせて頂きましたけれども、私も器用じゃないので、私の言葉、私の観点でプレゼンをしたいと思います。

 戦略守勢でもいいんですけれども、専守防衛というのは非常に政治的な言葉であって、軍事的な言葉ではないのですが、これは私が役所に入った当時の中曽根防衛庁長官の頃に言われた言葉だと思うんですが、政治的なメッセージとして、未だに現代に活きているのではないかということを前提にお話致します。

安全保障の前提

 専守防衛を考えるにあたって、今更ですけれども私なりに安全保障って一旦何なんだろうということをあえて定義します。

 それは、国家の──先ほどから平和、独立、自由、繁栄、いろんな言葉で言われていますが──、一言で言えば国家の自己実現、つまり、自分が生きたいように生きる国であることが出来るということです。現実にはそれを阻害するいろんな要因、リスク──国際社会ですから、個人レベルと同じように、阻害する要因があることはしょうがないので──、それをどのように現実化させないようにするか、というのが安全保障だと私は定義します。

 その場合、先ほどそれだけじゃないと冨澤先輩から言われましたが、やはり一番大事なことは、敵を知り、己を知るということが、これを考える時の一つのキーワードだと思います。それに加えて、私の言葉でなんと表現したらよいか分からないのですが、孫子もクラウゼヴィッツもそういうことを言っていると思いますけれども、戦争管理の技法を知るということです。戦争というのは始めることは誰でも始められるけれども、一体何を目標にするのか、どこで終わらせるのかということを考えていかなければいけません。そのために、国際情勢のトレンドを認識する、今の世界で生きている規範意識というのはどういうものだろうかとか、或いはことによってはどこで妥協すれば国内的に政治が持つか持たないかとか、ということも含めて、戦争管理の技法ということが大事になって来ているんだろうと思います。

 自己実現ということからすれば、まずあるべきは日本はどういう国でありたいのかという国家像の問題であるし、それを実現するために日本にとって望ましい世界とは一体何なんだろうかということです。そう難しいことではないと思うんですね。

 自由に活動し、自由な貿易をして繁栄する国でありたいというのはみんな共通しているんだろうと思います。そのために望ましい世界は、先ほどシーレーンの話もありましたが、世界中に広がっている経済活動が阻害されない、そこに係わる日本人が命を狙われない、そういう世界が望ましいに決まっています。

 そうすると、その中での阻害要因は、国際テロですとか、或いは国家間のいがみ合いとか、いろんな要素がある。ただ、それと同時に、今の世界のすう勢を知る中で、それをチャンスとして生かしていくという、そのチャンスとは何かという両面を考える必要があリます。

 その中で、実現するための手段の最適な組み合わせを考えていく。防衛力というか、軍事も手段ではあると思います。ただ、手段として戦争を考えた場合に、やはり、さっきも申し上げたように、本当に戦争をしたら損なのか得なのか、始めるのはいいが、どうやって終わらせるんだということを考えずに戦争を始めるのは国策として全くおかしいことは、70年前に我々は十分経験したことなんだろうと思っているんですね。できればそういうことをしないで勝つ、勝つというのはどこかで妥協を100まで行かなくても50までの目標を達成するというような、そういう知恵があってもいいということです。そういうことを全体として考えられなければいけないんだろうと思います。

日本防衛を考える前提条件 地政学的条件

 日本を物理的に守るということについて考えて見たいと思います。

 日本を守る時に考えないといけないのは、やはり地政学的な条件ということです。基本的には地理的な状況、周りにどんな国がいて、どんな体制になっているかということです。一言で言うと、島国ではありますが、大陸に近くて北海道なんか昔はソ連から大砲が届く位置にあったわけで、今は日本の西半分は少なくとも中国の中距離ミサイルの射程の範囲にある、北朝鮮のノドンは日本全土をカバーしている、こういう状況です。その意味では、攻めやすい、そして海岸線が長いということは守りにくいということだと思います。そして南北に細長い格好をしている。日本海から太平洋に抜けようとすれば、最短で東北地方は100キロで抜けちゃうわけです。

 そういう地形、我々の業界で縦深性と言っておりますが、国土の懐が狭いわけです。同時に、石油も自前のものが出るわけではない、戦争に必要な物資を自給する能力がないということ。これをまず踏まえておかないといけないと思うんです。

 そうすると、白紙で考えた場合、選択肢は3つあるんだろうと思います。冨澤先輩の話にもありましたけれども、一つは防衛戦、いわゆる利益線を拡大する。主権線だけではなく、国防ラインを拡大していくというのが1つの発想です。今風に言うと多角的軍事同盟でやっていくということですが、昔の戦争はこの発想で満州を取りに行き、南洋群島を取りに行き、仏印、フランス領インドシナに進駐して、破局的な敗戦を迎えたという既に失敗したやり方だと思います。

 2つ目は、そういう地形に弱点がある以上は、できるだけ紛争を局地に封じ込めて、早く終わらせるということを考えるということです。

 3つ目は、最小限抑止としての自前の核。これは私の同僚であった田母神俊雄さんが仰っていると思います。日本は全滅するかもしれない。しかし及ばずながらせめて一太刀ということで、日本は壊滅するけれども、北京も壊滅するぞということです。それが脅しになるかどうかということはありますが、そういう意味の自前の核を持つという、理論的、論理的には3つの選択肢があります。

 陸上自衛隊の陸上幕僚監部の技法を借用したんですけれども、大体選択肢というのは①、②、③の3つ並べて、真ん中に一番望ましいのを持ってくるというやり方を取らせていただきました。

日本防衛を考える前提条件 主体的条件

 今のは客観的、地理的な条件ですが、主観的、主体的条件として考えてみると、やはり貿易が出来なければ成り立たない国という意味では、海洋国家と言ってもよいですが、通商国家ですね。そこでは私は──国際公共財と漢字で書くのは嫌いなんですが──、グローバル・コモンズが安定していないといけないということは前提条件だと思うんですね。

 そのグローバル・コモンズの安定のために、先ほどのお話にもありましたが、①独力でやるのか、②アメリカが覇権国としてそれを提供してくれればそれに従うのか、③普遍的なルールとして確立するということに重点を置いていくのか、という3つの要素が全部必要なんだろうと思います。今はこれだけというわけにはいかなくなっていると思うんですが、多極化し、相互依存関係が深まる世界の中では、①だけではとてもできないし、②がそもそも頼りなくなっているわけだし、③が望ましいが、なかなか簡単に出来そうもない。これを組み合わせていくんだろうと思います。

 もう一つ日本の条件としては、やはり70年間戦争をしていないというのは大きな要素です。よく護憲派の言葉の中から、「日本を戦争にする国にするのか」という言葉が出てきますが、戦争をする国というのはそんなに簡単に作れるものではないと思うんですね。それは、棺がどんどん帰ってくるような状況、自分の家族や親族が死んでいくような状況、相手からもミサイルが飛んできたりして、民間にも被害が出るわけですが、それは70年前の記憶しか残っていないわけですね。これを今、本当にそんなことを日本社会が受け入れられるんだろうかということを考えると非常に難しい。そのために何が必要か、いや、そういうことを私が考えてあげる必要はないんだけれども、そういうことを考えた上で、よく言われる徴兵制みたいな話も1つの手かもしれません。或いは言論統制とか、いろんな事は言われますが、しかし、一つ一つものすごく難しいハードルがあるんだろうと思うんですね。

冷戦期の防衛構想 基盤的防衛力

 一転して、私が防衛庁にいる頃、冨澤先輩もおられた頃は、冷戦の時代でありました。大きな脅威から小さな脅威まで、脅威のラダーを考えて見るわけです。

 一番大きいのは核戦争であり、そして本格的なソ連による侵攻というものが理論的には想定されました。しかし、米ソの相互確証破壊による軍事バランスが維持されることによって、また中ソの一定の対立関係もある、そういう中で、日本に対する本格的な武力侵攻が生起する可能性というのは小さいと認識されたわけです。

 今申し上げているのは1976年の防衛大綱、先ほどの冨澤さんのお話にあった基盤的防衛力の背景にある考え方なんですけれども、どういう事態に備えるのかということは、本格的な侵攻ではなくて、極東ソ連が目に見える十分な準備もなしに今の体制のままパッと来た場合に、それに耐えるだけの力を日頃から持つ必要があるということですね。それを限定的・小規模侵攻への独力対処という言葉を使って表していました。

 つまり、核戦争を自分で戦いぬくとかそういうことではなくて、アメリカ軍が来援に来てくれるまで、当時およそ1ヶ月、30日位はと言ってましたが、本当に出来るかどうかは別として、考え方としては独力で対処することに防衛力の意味があるという考え方をしたわけです。

 それを前提にしてどういう防衛力を持つかといえば、まず機能において欠落がない、つまりこういう攻められ方をしたら全く手の打ちようが無いのではいけないから、あらゆるパターンに応じた活動が出来るだけの基盤はつくろうということです。

 しかしそれだけでは本当に戦争になった時には足りないから、情勢が緊迫してきた場合にはエキスパンドしていく、その基盤だという意味で、基盤的防衛力という言葉が作られたわけですね。

 その足らざる部分は何だといえば、政治のリスクなんです。政治がそれを認識し、決断するので、だからこれだけの防衛力しかないけれども、そして強大なソ連軍がいるけれども、日本の防衛は出来るんだという、そういう説明を我々は冷戦時代にずっとしてきたわけです。

2013大綱 動的抑止 離島防衛

 一昨年前、安倍政権下で作られた、先ほど国家安全保障戦略の話が出ましたが、同時期に閣議決定された2013年の大綱、「ヒトサン大綱」と言っておりますが、ここでの防衛構想の要となるキーワードは「動的抑止」と「離島防衛」だと思うんです。

 動的抑止というのは何か。当時、動的抑止について私も冨澤さんも朝日新聞に批判的なコメントを同時に掲載したのを覚えているんですけれども、防衛計画大綱の文章を読んでみると、「相手が出てくる、出てきたらピッタリくっついてプレゼンスを示すことによって、防衛の意思を示す。それによって、相手に手出しをさせないようにする」という意味なんですね。相手が来たらこっちも出るということを考えていく、そのためには相当な運用の頻度をあげなければいけないわけです。

 私は、特に船のことを考えた場合に、3分の1は修理だし、3分の1は基礎的な訓練だし、実際に使えるのは3分の1しかないということを考えると、こんな構想が本当に持続できるのだろうか、という疑問を呈したのが1つ。もう一つは、中国海軍がでてきたところに海上自衛隊も出て行くという話ですから、出て行けば行くほど相手から見たら一種の挑発にもなりかねない。摩擦的な衝突が起きる可能性もなきにしもあらずということです。現にこの方針のもとで対応しているんだと思います。海上自衛隊が真面目に対応しているがゆえに、中国はヘリコプターを目の前まで飛ばしてきたり、FCSレーダーを照射したりというような反応を示してきているという側面があるんだろうと思います。

 離島防衛なんですが、これは、何をしたいのか本当に分からないんです。対象は尖閣なのか、先ほど言った宮古水道は沖縄本島と宮古の間の250キロメートルですから、冷戦期に作り上げた陸上自衛隊の虎の子の地対艦ミサイル連隊を両脇となる宮古と沖縄本島に置けば130キロずつでカバーできるという理屈で、中国はそこを安全に通るために宮古と沖縄本島を取りに来るというシナリオだと思うんですけれども、まず現実性は殆ど無いだろうと思います。先ほどもあったように、バシー海峡を通れば済む話でもあるし、そういうところの優先順位が高いのかどうか。

 そして、その大綱の中では、離島防衛のためには海上・航空優勢が無ければ相手も来られないんだから、海上・航空優勢がまず優先だと言っています。しかし、取られた場合には速やかに奪回すると書いてある。ちょっと待てよと思うんですね。つまり、海上・航空優勢が無ければ相手に島を取られないんだろと。取られたということは、海上・航空優勢が失われたということですから、そこで、奪回作戦に行くということは、陸上自衛隊が上陸用舟艇やオスプレイに乗って出かけて行く時に、海上・航空優勢が敵にあるとしたら、出かけていった陸上自衛隊は島に着く前に全滅してしまう、そういうシナリオが全く説明されていないわけです。

 大綱というのは防衛予算獲得のための理屈ですから、そうなってしまう部分もあるんだろうと思うんですが、そのあたりの理屈の説明がなさすぎると思います。

 もう一つは、核の脅威に対してはアメリカの拡大抑止に期待すると書いてあるんですが、それ以外の本格的な侵攻に対して、アメリカが通常兵力で来援してくれることに期待するかというと、何も書いていないんです。その部分は一体どうするんだろうということが説明されていない。そこを自衛隊がやるとすれば、中国と同じ規模の無限の軍拡が必要になってくるような変な結論になっていってしまうということですね。

抑止構造はどう変化したか?

 やはり抑止力ということで考えていくと、どうしてもそうなっていかざるをえないんだろうと思うんですね。冷戦の時代、確かにアメリカとソ連の間にはお互いにちょっとした手出しをしても、お互いに報復しあっていくうちに、エスカレーションラダー、はしごを登っていくかたちで最後は核の撃ちあいになってお互いに滅んでしまうという、相互確証破壊の恐怖によって、米ソの直接の戦争が抑止されていたということは認識としてあったと思うんです。

 それが抑止力ということだったと思うんですけれども、しからば今のアメリカと中国の間に同じ関係が成り立っているんだろうかということを考えますと、当時のソ連とアメリカでは経済制度も違う、政治制度も違う、経済的な分業体制も全く無く、金融的な繋がりもありませんでした。

 しかし今のアメリカと中国の関係は、最大の貿易相手国、投資の対象国、最大の国債保有国です。3.11の地震で日本の工場が止まって、部品が供給できなくなったら、中国やアメリカをはじめ、ヨーロッパの工場も止まってしまうというようなことを考えると、グローバル化というのは、実は想像を絶した深まりを持っているんじゃないか、先進国が既に1つの生産ラインになってしまっているような状況ではないか。1つの金融システムでもあるし、1つの生産システムの中に組み込まれてしまっている。

 そこで、戦争が怖いから、核が飛んできて滅びてしまうのが怖いからではなくて、そんなことをしたら自分の経済が滅茶滅茶になって、バカバカしいじゃないか、非合理な手段という認識がそろそろ米中の間では出てきつつあるんだろうと思うんです。ただそれが、制度としては確立されていないことはそうなんです。

 一方で、どうせ核の撃ちあいにならないんだったら、少しくらい悪さをしてもいいよねという、アメリカは本格的な戦争をする気はなさそうだからというので、中国はいろいろやってきているけれども、しかし、先ほどの話にもあったように、軍隊を出しているわけではないんです。東南アジアの国々に対しても、海警でやろうとしている。そのちょっとした悪さはいいよねというところを危機管理のルールを作っていくことで、そこを止めていく、或いはそれが起きた時に拡大しないようにすることが、今一番、短期的には求められる対応だと思うんです。

 全体として言えば、要は抑止力という、特に報復的な抑止、相手が来たら倍返し、3倍返ししてやるという抑止の時代から、とにかく勝手なことはさせないぞという意味の拒否的抑止という、拒否力と危機管理をキーワードにする時代に国の防衛が変化してきていると認識していいんじゃないかと考えています。

米中の対立要因と戦争の可能性

 私も米中は戦争しないと思います。常識的にそう思うんですが、なぜしないんだろうかと考えると、いわゆる、トゥキディディスは恐怖と名誉が戦争の要因だと言ったんですが、それに対して、利益というものも当然あるだろうと思うんですね。

 資源問題というのは利益の問題。ベネフィットのBですね。軍事は──恐怖を置き換える英語(フィア)のFではおかしいから──、ミリタリーのMにしました。内政の要因というのがあるだろう、内政はトゥキディディス的に言えば名誉の問題であって、これはポリティクスのPということですね。

 中国の視点から見て全部条件が揃っているのはおそらく南シナ海だろうと。台湾はどうかというと内政要因として非常に大きい、しかし後の要因はあまり大きくない。東シナ海はみんなそこそこあるが、そう決定的に大きいわけではない。尖閣はまあ内政要因だけの問題だろうということですね。西太平洋は東シナ海、南シナ海へのアクセスルートという意味では、特に軍事的には非常に重要な要素を持っているんだろうということです。

 経済の合理性を超えるとすれば、軍事的な要衝の問題、そして内政の問題ということになってくると思うんですが、これは管理できないのかというのが問題で、管理しようとしているのが今の米中の現状だと思います。

米国のアジア戦略と対日期待

 今度はアメリカの視点から見て、そういう中国とどうしていくのかということです。今、アメリカはなかなか足を洗えないんですけれども、オバマ政権になって、対テロ戦争の店じまいをして、対中リバランスに向かっていると言われています。そのスタンスは、封じ込めとは言っていないんですね。冨澤さんはヘッジという言葉をお使いになりましたが、中国は敵でも味方でもない、或いは敵でも味方でもあるというべきか、フレデミー(friend enemy)というそういう定義の仕方をしている。それを見ている我々はどっちなんだ、はっきりしろとイライラするけれども、アメリカは絶対にはっきりさせないということですね。

 もう一つ、アメリカもアメリカ自身の国益を基準にして、湾岸戦争はワインバーガー・パウエルドクトリンで国益を重視しました、十分な兵力を投入して、ミッションをはっきりさせてという戦争の基準を作ったんですが、イラク戦争でそれが崩れていって、もう一回国益重視に戻りつつあります。そして、国内の厭戦気分もあって、軍事介入の敷居は物凄く高いのだと思います。そういう中で、日本に何を期待するのかといえば、一言で言うと尖閣とか歴史認識の問題で、中国や韓国と無用な争いはするなよな、そこに俺を巻き込まないでくれよな、というのがアメリカの政治的な期待値としてはある。そして、アメリカはアジアで何をしようとしているか、軍事的には対中優位は維持しようと思っているんだと思います。ところが中国のミサイルがどんどん増えて、性能も上がっているので、沖縄のようなミサイルの射程内に軍事拠点を集中していることは軍事的には非常に脆弱なことになる。ですからアメリカは、米軍再編ということでオーストラリアのダーウィンとかも含めて、分散しようとしているわけですね。

 その中で、日本に対する期待ということで言えば、やはり日本の基地というのはどうしても必要だから、さっきそんな馬鹿なことがあるかと冨澤さんが仰った、正にアメリカは自分は一旦引くけれども自衛隊は決死の覚悟で在日米軍基地を守ってくれというのが、有り体に言えば、アメリカの軍事的な期待なんだろうと思います。

 同時に各国がいちいちアメリカに助けを呼ばなくても良いように、能力構築をしっかりしようと。それは必ずしも軍事力だけではなくて、コーストガードの力を増すとか、そういった面での援助を日本も大いにやってくれということですね。

 それから海洋管理をめぐる多国間協力、情報の支援といったことが当然求められているところだろうと。これは、国際協力の話であって、直接に軍事同盟なり集団的自衛権がなくても十分やれる、アメリカのニーズは満たされるんじゃないかと考えております。

米艦防護のバランス・シート

 実際に、集団的自衛権を行使したらどうなるのということは、利害の問題として整理しておく必要があると思うんです。アメリカの船が足りないんだったら、2〜3隻足すことは出来ると思います。しかし、どこまで可能なんでしょうか。先ほど申し上げた冷戦時の防衛計画大綱で想定された防衛力というのは、陸18万人、海60隻、空430機という体制でした。現在は陸が15.9万人、海が54隻、空が340機。これは、今これだけ持っているんじゃなくて、2013年の末に作られた中期防が出来上がった時ですから、ほぼ10年後の姿がこれです。冷戦の時よりも、まだ二回り位小さい防衛力なわけです。これでアメリカの能力の足りない分を補完できるんだろうか。まして他国を守っている余裕があるんだろうかということを考えざるを得ないと思います。

 仮に日本が頑張ったとして、アメリカが軍事的に出てくるかどうかというはアメリカの国益判断の問題ですから、そこは補完できないんだと思います。日本は集団的自衛権で米艦を守るようにしました、しかし、守るべきアメリカの船はどこにいるんだろうという事態が、もしかしたら、あるかも知れないということですね。

 米中が仮に本当に戦争するんだったら、日本は最前線なんですから、イギリスと違うのはそこなんです。敵の目の前にいるわけですね。当然ミサイルは飛んでくることを考える必要があるだろうと思います。

敵をつくらない専守防衛は、今こそ重要

 結論として言えば、繰り返しになりますが、紛争の局地化・早期収拾というのが日本が考えるべき防衛のあり方で、一番かしこいやり方であろうと思います。

 国際的な協力はある程度いいとしても、集団的自衛権という名前で他国を防衛するというのは能力が届かないと思いますし、当然、相手が中国や北朝鮮であれば、攻撃が誘発されるということです。

 自衛隊──海保も含みますけれども──、拒否力、拒否的な抑止力は必要だけれども、それをあるぞ、あるぞとあまりに喧伝すると、相手もこっちの方がもっとあるぞと、安全保障のジレンマに陥る可能性がある。そこは静かに持つ必要があるんだろうと思います。

 地域に対する支援というのは、実際には情報とか能力構築が一番求められているし、日本が出来る範囲でもあるので、そのためには集団的自衛権というレトリックはいらないだろうということです。総じて専守防衛というのは──戦略守勢でもいいんですが──、基本的にはこちらから先に手出しはしないということだと思うんですね。そういう意味では、好んで敵を挑発して敵を作っていかない論理として、政治的な言い方としての専守防衛というのは、今こそ重要だしそれが生きる時代になっているんじゃないかと思います。ちょっと無理やり今回のシンポジウムのテーマにあわせた結論にしてしまいましたけれども、私の大まかな今の考え方の大筋は以上のとおりです。


加藤朗 桜美林大学教授

加藤 二人のお話を聞いて、いくつかコメントをしたいと思います。実はお二人とも私の大先輩という言い方は失礼で、上司で、防衛研究所にいる時だったら席を同じくすることは殆どなかっただろうというお二人の前でお話するのは少しなんとも言えない気がしますけども。

 まず、冨澤さんのお話の中で一番重要だなと思ったのは、自衛隊が何のために存在するのかということです。改めて自衛隊の役割はなんだろうかということを皆さんもお考えになったのではないかと思いますけれども、自衛隊の存在目的は「独立と平和を守り、安全を保つ」ということであってですね、安部首相がいつも言っている、国民の生命と財産を守ることではありません。軍隊は一人ひとりの国民の生命と財産を守ることではないと私は思っております。

 だから、安倍首相が国民の生命と財産を守ると言われる時に、それは本当なのか?という、いつもそういう思いをしておりました。と言いますのも、軍隊というのは基本的にはその国の国柄、昔の言葉で言えば国体です。国体を守るのであって、そこに暮らす一人ひとりの国民の生命と財産を守るわけではありません。総体としての国民を守りますけれども。

 そうすると国体って一体何だという問題になってきます。実は、憲法は何のためにあり、自衛隊は何のためにありということを突き詰めていくと、結果的にはこの国の国柄とは一体何かという問題が出てくるんだろうと思います。

 その点については、柳澤さんも日本の国家像、日本というのはどういう国なのかということをですね、今、日本が冷戦が終わって以降、長いデフレの状況の中にあるという経済的な問題だけで議論が進んでいましたけれども、実はそうではなくて、一番の問題は、我々が我々のアイデンティティは一体何なのかということを見失ったことが一番大きい問題じゃないかと思っています。

 そのことが、現在の防衛、安全保障、国際テロの問題、今回の「イスラム国」の問題も含めてですね、国論が千々に乱れるといったような、千差万別の意見が出てくる1つの大きな原因ではないかというふうに思っております。

 もう一つ、冨澤さんから重要な指摘があったのは、平和の問題が出てきました。平和とは一体何かというです。

 実は「平和」について、皆さんはなんとなく誰もが同じことを考えていると思われるかもしれません。私は大学で平和論というのを教えていますが、毎年、第1回目の授業で必ず質問することがあります。それは何かというと、「平和とはなんですか」ということです。

 皆さんは「平和」について、みんなの意見が一致していると思いますか?違うんです。みんなが考える「平和」の内容が違うから戦争が起こるんですね。大きく分けると4つなんです。神の平和、神のための平和なんです。それから地の平和。地上の現実の平和です。そして心の平和。心が平安であれば良いと考える人達もいます。もう一つは身体の平和。つまり環境の問題です。大きく分けるとこの4つなんです。

 そして4つに分かれているにもかかわらず、「平和」という言葉であたかも1つの平和があるかの如くに議論するがゆえにですね、戦争が起きる。ISILにはISILの平和観があるんです。逆に言うとそれは戦争観です。平和観=戦争観ですから。我々には我々の平和観がある。我々の平和観はISILには通用しないということです。

 私達はもう一度、自分達の国が考えている「平和」とは一体何か、戦争とは一体何かということをもう一度考える必要があるんだろうと思います。そして、私達の国はどういう国柄の国家として今後生きていくべきかということをみんなで考える時が来たんだろうと思います。

 アメリカの軍人は何のために闘うのかと聞いた時、コンスティテューションということを言うんですね。コンスティテューションというのは憲法です。でも、もうひとつ翻訳があって、それは国体です。憲法というのは、その国の国体、国柄を表す言葉です。だから、もう一度、憲法の問題を考える必要があるんですけれども、そこまで踏み込んでいくと話が大きくなりますから、これは止めます。

 柳澤さんの議論の中で、安全保障とは国家の自己実現を阻害する要因の現実化を防ぐことであるということを指摘されました。これもまた軍隊は、或いは国家はですね、国民の生命と財産を守ることが第一義的な役割ではないということを言っています。そう言うと必ず反論が来ると思います。憲法第13条はどうなっているんだということです。あれは、我々が幸福や生命や財産を追求する権利に対して、国家が邪魔をするなと言っているのであって、国家に我々の生命、財産を守る義務を課しているわけではありません。我々の生命財産は、我々自身が守るということです。軍隊が守るわけではありません。

 だから、例えば外国で何か問題が起こった、その時にもし集団的自衛権に反対するなら、国は我々の命や財産を守ってくれなくてよいと、憲法13条に則って守ってくれなくてもよいと一言言えば済む話です。集団的自衛権の話はそれで終わりです。

 それから、柳澤さんの議論の中で、日本防衛を考える前提条件として2つ挙げていらっしゃいました。私はこれに付け加えて、もう1つ挙げたいと思います。

 それは、日本はもはや大国ではないということです。皆さんはどう思っていらっしゃいますか?日本は依然として大国ですか?この自覚が足りないから右も左も右往左往しているんだと思います。日清戦争以来、日本は第2次世界大戦までアジア随一の大国であり、世界の大国でもありました。第2次世界大戦以降どうなったか。アジアの大国ではありましたが、世界の大国というには少しいびつな、普通の国ではなかった。だからこれを大国と言っていいかどうかは分かりません。

 現在はどうなりました?アジアの大国でも、世界の大国でもありません。日本は明治維新以来、初めて二流国家に落ちたんです。このことを踏まえた上で防衛を考える必要がある。つまり我々は、大国ではなくて中級国家です。世界の大国と言うのは、秩序を形成する能力がある国です。中級国家はその秩序を維持する能力を持っている国です。小国はその秩序に追随する以外にないんです。だから我々は、現在ある秩序を維持する側に回ったわけです。この時に集団安全保障とか、集団的自衛権といった問題が出てくる。我々はそういうことを抜きにして、全く別の自分達の秩序を形成するだけの大国ではないにしろ、別の方法をとるのか、それともそれも諦めて、追随していくのか、それとも少しは主体性を発揮して、この秩序を維持する、少しは改良していくという方向を取るのか、その2つしかなくなりました。

 もはや日本がアジアや世界の大国に復帰することはありません。私達は2流国家、中流国家に落ちたんです。そのことを踏まえて日本の防衛を構想することが必要だろうと思います。私は、お二人の意見に専守防衛とか戦略的守勢とか、基盤的防衛力をもう一度考えなおそうという冨澤さんの提案に全く賛成ですし、柳澤さんのご意見の最後に出てした拒否的抑止力に、まさしく全面同意致します。もはや日本は、のこのこ海外に出て行くだけの国力をもった国ではありません。せいぜいが日本の国土を守ること以外ないです。だから日本は日本の国土を守る、本土を防衛するということに絞って日本の防衛構想を考えるべきではないかと思います。


現代によみがえる「専守防衛」はあるか シンポ会場

伊勢﨑 僕も含めて、4人のプレゼンが終わりました。今、届いた質問用紙を見ているんですが、その中に「結局4人は結構主張が違うのではないか」という意見をされた方がおられるんです。一見そう見えますけれども、多分、1つのことでは一致していると思うんですね。それは優先順位、プライオリティーなんですけれども、それがおかしいのではないかということです。もっと喫緊の脅威──という言葉を使うかどうか分かりませんけれども──、優先順位を考えなおしてみようじゃないかということです。まあ僕は「イスラム国」はインサージェントとしては特別な存在ではないとあくまで言うつもりですけれども。

 非常に進化したインサージェンシーとしての「イスラム国」が出てきたグローバル社会の中で、一体優先順位を今までの考え方でいいんだろうかということです。

 そこで思うのは、冨澤さんのアメリカのQDRの話です。それと中国は果たして脅威なのか、脅威でないというと海の人が文句を言うとかね、我々の中の既得利権集団の争いもありますよね。それも脅威の1つとして考えていいんじゃないかと思うんですよね(笑)。そんな感じで、残りの時間を進めてみたいと思うんですがどうでしょう。

 僕が一番興味があるのは、現代的なプライオリティーもきちんと考えなおすという意味で、この専守防衛、日本の防衛を主体的に重点に考えるという観点からみて、現在行われている武器輸出三原則の今後はどうあるべきか、ということです。

 それから質問の中で一番多かったのは、これからの日米関係をどう考えたらいいのかということです。それに絞って議論をやってみませんか。


冨澤暉 元陸上自衛隊幕僚長

冨澤 まず最初に、加藤先生からお褒め頂いたんですけれども、最後に日本の国土防衛だけ考えて外国へ出ることは考えない方がいいと言われましたけれども、私は違うんですね。私は、私の別のペーパーを読んで頂くと分かるように、集団安全保障主義者です。今、グローバル・コモンズをどう守るか、世界秩序をどう守るかということが問題です。世界秩序というのは日本の周りだけ守っていればいいというのは、私は安倍首相と同意で、積極的平和主義です。今までは一国平和主義だったんです。今は一国平和主義では通らない時代です。私はアメリカと一緒に世界にでていかなければいけないと思います。

 もちろん、アメリカに全て従えとは言いません。しかし、現在の秩序はまだまだアメリカが中心で、中国もある程度、場合によっては反対できないものがたくさんあるんです。そういうようないわゆる集団安全保障でやるべきことは、中東であれなんであれ、日本が「イスラム国」に対する有志連合に入ったならば、口先で人道だ、正義だとかいうようなことだけ言っているのではなくて、「イスラム国」と一緒に闘うべきだと思うんです。もちろん第一線で戦う力はないかもしれませんが、それなりに兵站支援でも何でもやったらいい。というのが私の個人的意見です。

 そして今、伊勢崎先生からご質問があった、アメリカとどう付き合っていくのかと、武器輸出の問題も含めてです。アメリカとどうするかということは非常に大きな問題です。私は先程も言いましたように、今の問題は、なおアメリカ一極なのか、それとももうアメリカ一極はなくなって二極になるのか。人によっては今はもう多極であると、もっとひどい人は無極であると言うんですね。無極ということは秩序がないということなんですよね。果たしてそれは分かりません。

 今度、私どもの偕行社というところが、3月24日に「転換期における安全保障政策の新しい方向──日米同盟の将来」というテーマのシンポジウムをします。実は、私どもの研究員同士で大問題になりました。今後、アメリカとどうやって付き合っていくのか。日米安保というのはどうなのか。日本にある米軍基地というのは永遠にあるのかということです。

 最もアメリカに対して批判的な孫崎亨さんを呼んできて、その対抗馬は誰がいるかって言って、最初は岡崎久彦さんと思ったけれども、岡崎久彦さんはあまりにも頑なだし、お年寄りだから残念ながらお亡くなりになっちゃんたんです。その次に北岡伸一さんに頼もうと思ったら、その日は都合がわるいと。そこで、阿川佐和子さんのお兄さんの阿川尚之さんを呼んできて、そうしたら彼が一度議論したことがあると。

 なおアメリカだというのと、もうアメリカは切った方がいいという人とですね、その人達に基調講演をやってもらって、それに対して陸海空自衛隊の最近辞めたばかりのアメリカ通の人達を呼んできて、彼らにコメントさせるという議論で、不肖私は司会をやりますが、この問題はすぐには答えは出ないんです。

 私個人は、アメリカ一極ではなくなってきつつあるけれども、一極を維持するように日本は努力すべきだと考えています。その一番の理由は、アメリカナイゼーションとグローバライゼーションはイコールであって、日本人の多くはいろいろあるけれども──もちろん日本のアイデンティティは確保しないといけないですよ。今、日本のアイデンティティなんか無くなっちゃったようになっていますから、右翼の人達の言うことだけではないんですが──、日本のアイデンティティの再確立が必要ですけれども、現実に政治の問題、軍事の問題となると、やはりアメリカが作った、私に言わせると新世界のための秩序です。悪いことはたくさんありますよ。悪いところはありながらも日本はアメリカを中心に付き合っていくと。付き合っていく時に集団的自衛権のように、コバンザメのようにアメリカにベッタリくっつくということではなくて、せっかく集団安全保障という国連のシステムがあるんですから。でも国連にもいろいろ問題があります。拒否権の問題です。ですから有志連合軍というのがあるんですね。現に「イスラム国」に対してやっているのは有志連合と称しているんですよね。だから国連の安保理決議は無いんですけれども、本質は集団的自衛権ではなくて集団安全保障なんです。だから、アメリカの「この指とまれ」で集まれっていった時の内容によります。全部有志連合に参加する必要はありませんが、よく政治が判断して「この指には止まろう」という時には止まったらいいと思います。それが私の基本的な考えです。


伊勢﨑賢治 東京外国語大学教授 元国連平和維持軍武装解除部長

伊勢﨑 今おっしゃられたことに半分以上、僕も同意するんですよ。つまり今回の集団的自衛権の議論も含めてですね、安部首相は「チェンジ」をしようとしたんです。そこは評価出来るんですよね。もし集団的自衛権の議論が崩れてたら、元のままなわけです。

 つまり、我々はどこも行かないし、世界情勢から目をつぶるし、いつか誰かに襲われた時に慌てふためく、そんな感じなわけです。だからアメリカと一緒かどうか分かりませんけれども、世界の問題に対して「闘う」、戦争の「戦う」ではなくて、闘争の「闘」に置き換えるような「闘い方」をしたいと思っているんです。闘うことはそれを何と言おうと、集団安全保障なのか、集団的自衛権なのか、非常にダイナミックに動いていますので、集団的自衛権が当初国連憲章で規定されたものと全然様相が違ってきているということです。今、NATO主体の有志連合の作戦というのは、国連がお墨付きを与えていますから、いわゆるグローバル・オペレーションなわけです。だから日本としてこれに目をつぶる訳にはいかないわけです。国連を脱退するならいいですよ。


冨澤暉 元陸上自衛隊幕僚長

冨澤 国連脱退はないと思います。それから武器輸出の問題ですが、当然だと思います。集団安全保障の中での武器輸出は絶対に必要です。先程の基盤的防衛力ではないですが、全てアメリカから武器を買っているというのは具合が悪いんです。ヨーロッパとも武器輸出をし武器輸入をすると。そこはフリーに集団安全保障の観点で、武器輸出も武器輸入もしたらいいんじゃないかというのが私の考えです。


柳澤協二 元内閣官房副長官補

柳澤 まずアメリカとどう付き合うかというのは、本当にすごく難しいテーマであり続けると思うんですね。日本のアイデンティティって何だっていうことを防衛官僚の立場で考えた場合、「アメリカの同盟国」しか無いんですね。それはやっぱりマズイだろうということなんです。

 私もグローバル化社会の中で、実は従来の核抑止の論理が働かなくなってきつつあるんじゃないかということを申し上げたんですが、同時のグローバル化社会というのは、別の見方をすれば、みんな市場主義経済になったということです。

 市場主義経済というのは、言葉を変えれば自由主義ということです。自由のあり方、民主主義のあり方というのは、それぞれの国の統治の仕方が違います。だから冷戦時時代のように、自由と民主主義という価値観を共有するが故に同盟国だという、そういう分水嶺が無くなってきていると思うんですね。

 そういう意味で、私は「同盟の相対化」という言葉があるんだけれども、もちろんアメリカとの関係というのは切っても切れないし、一番深い関係であることは間違いないけれども、そこにだけ依拠して安全保障を考えるという発想では持たないという意味で、同盟の相対化は避けられない、今日の国際構造の中で、避けられなくなっていると思うんです。

 同時に国益を考えた時、例えばISILとの関係で言えば、いろんな国がいろんな関わり方をするわけです。トルコは有志連合に入っているかもしれないけれども、アメリカの全ての軍事オペレーションをOKしているわけではない。やり方によっては、自分のところの悩みの種であるクルドを強くするというリスクも抱えながら、独自のスタンスを取るわけです。だから日本もやっていくならやっていくで、安部総理の発言や発想であれば、「後方支援をやります」と言えばいいじゃないですか。ジブチに基地があるんだから、やろうと思えばいつでも出来るんです。何故「イスラム国」との関係ではやりません。という話が簡単に出てくるんだろうか。つまり、それほど深刻な問題として考えて発言していないということなんです。

 そこが、気に入らないというところでは、先ほど4人の考えが違うんじゃないかという意見がありました。確かに違いますが、唯一、一致しているのは、「今のやり方は何なんだ」というところでは、一致していると思います。

 特にグローバライゼーションの3つ目の側面というのは、相互依存が強まって戦争という手段が合理性を欠くようになってきているというところをどう捉えるか、2つ目は同盟というのは相対化していって、もっと利益共有型のものになっていくんじゃないかということ、3つ目には「イスラム国」のようなものは、グローバライゼーションから阻害された者の不満の表明なんです。そこの差別、格差というものが残る限りは、石川五右衛門が死んでも盗人の種は尽きないと同じように、「イスラム国」は破壊できるかもしれないけれども、世にテロの種は尽きまじということになってくる。その中で、日本がどういう立ち位置をとるかという、そういうトータルな先を見越したものが必要なんだろうということです。今はアメリカにくっついて後方支援するのが日本の国益にとって得ならば、そういう選択をしましたという説明をすればいいわけです。そういう議論が全くない。「イスラム国」はやりませんと言っているだけで、なぜやらないのか、やらないんだったら、7月1日の閣議決定の意味って一体何なんだという話までいくわけです。そういう議論がないことが私は全く不満だというふうに思います。

 武器輸出については、以前のシンポでも申し上げたと思うんですが、これだけグローバライゼーション、国際分業化が進んでいる中で、日本だけ一切の武器を──日本がやっているのは武器と言うよりは、武器の一部なんですね。アメリカの戦闘機だって、三菱重工が下請けをしているような状態で成り立っているわけですから──、一切認めないというわけにはいかないんだろうと思うんです。

 防衛のための最新装備を得ようとするのは一国ではできないし、そういうところに共同して入っていくというのは、それはそれでいいと思うんだけれども、問題は今の解禁の仕方というのがあまりにも問題なんです。今、問題になっている武器が拡散して、テロの被害を拡大する要因になっているのはカラシニコフであり、RPGであり、そういうものに使われることもあり得るので、管理をどうするのかというレジームをしっかりと作っていかなければいけません。しかし実際には日本の得意な民生技術が武器に転用されているところで、日本は関与していくわけですから、この監視はすごく難しい。だから昨年4月1日の閣議決定は、あまりにも拙速だったと思います。そこは課題として考えていかなければいけないけれども、もっと議論は必要だと思います。


伊勢﨑 「イスラム国」がパレードに使っている改造した銃座をつけている車両って、ほとんど日本製ですね。そういう規制はヨーロッパにはありますけれども、実は日本には無いんですね。


加藤朗 桜美林大学教授

加藤 冨澤さんから集団安全保障で日本が防衛に徹すればいいという私の意見に対して反論がありました。私は自衛隊は国土防衛に当たるべきであると考えています。しかしながら集団安全保障というか、グローバル・コモンズに日本が貢献しないわけではない。もっと積極的に貢献すべきだと考えています。

 それは何かと言うと、もっとNGOを出して、難民支援や人道支援をすべきなんです。最大の問題は、紛争地に日本人が出て行かないということです。アフガニスタンに日本のNGOがいますか?いないんですよ。私は連合傘下の労働組合の退職した人達がNGOを作って、連合PKOという「憲法9条部隊」を作って、紛争地に行けというのが私の20年来の主張なんです。日本全国で10人位賛同してくれましたけれども。

 要するに、平和と言うなら実行しろということです。正義の範囲は自分が発言し、行動できる範囲ですから。いくら口先だけで平和、平和と言ったって、実行できなければ屁の突っ張りにもならないということです。

 それから、日米関係とか武器についての議論を聞いていて、いつも思うのは、同じ言葉を使っていながら内容が違うという、もっと言えば古い時代の言葉遣いだということです。戦争も同盟も武器といったものも、基本的には主権国家というこれまでの旧態依然たる国際秩序を形成していた主体、主権国家というものを前提とした言葉遣いです。でも柳澤さんが仰るように、グローバリズムが徹底しているような状況の中で、従来のような同盟といった考え方が通用するのかという問題です。

 戦争も国家間の戦争はもう無い、無いとしたらどういう形態なんだという。これも実はよくわからない。皆の意見が一致しない。定義が一致しない。「武器」って言ったら一体なんですか?定義して下さい。「武器とは一体何か」誰も定義できないんです。もちろん経産省は「武器とはこういうもの」という定義を持っています。でも一体いつから、どういう状況になったら武器になるのか。戦車は砲弾を積まなかったら武器、兵器ですか?戦闘機は武装しなかったらどうなんですか?どんどん細かく部品に分解していくと、武器とは一体何かということが分からなくなる。

 こうしたグローバリズムの状況の中で、柳澤さんがいみじくも仰った、みんな分業体制になっているわけです。だからどこかの国が部品を作るのをやめると、実はミサイルが作れなくなるかもしれない。多分今もそうだと思いますけれども、ミサイルの先端に付けられているビデオカメラはソニーが一番たくさん生産していると思います。ソニーは兵器の会社ですか?ビデオカメラそのものは兵器ですか?と考えていくと、武器というものが一体どういうものか訳がわからなくなってきて、だからこそ慎重な対応が必要だと私は思っています。

 自分達が武器と思わないものを送ったのに、全然違う使い方をされていたというのが現在の武器のあり方です。テレビでもやっていましたけれども、ある会社が作ったすごく優秀な双眼鏡が兵器の一部として使われました。トヨタの車もそうです。凄く優秀なピックアップトラックは優秀な兵器というのか?あのトラックに銃を載っけるとゲリラ戦には欠かせない兵器なんですよ。さてトヨタはどうするんですか?トヨタにあれを売るなと言うんですか?なかなか難しい話です。

 幸いなことに私達は70年間も戦争していませんでした。私達が知る最後の戦争は、太平洋戦争です。おそらく皆さんのイメージする戦争は70年前の戦争なんですよ。70年前の戦争をイメージしながら現在の戦争を語り、将来の戦争を語っています。ある意味では非常にずれた議論が出てきているということだろうと思います。


伊勢﨑 兵器開発というのはその国の重工業を引っ張るという古典的な議論がありますけれども、あれに対して柳澤さんが、近著で少し述べられていますよね。


柳澤協二 元内閣官房副長官補

柳澤 集英社新書の──私は亡国シリーズの言葉を変えたいんですが、本屋さんがどうしても亡国がいいというので──、亡国の集団的自衛権というのが2月17日に出るんですが、その中で武器輸出の話もインタビューの時に聞かれました。

 日本がやっている武器の完成品、システムとして組み上がった日本製の武器は売れません。実戦で使ったこともないし、人件費も高い国で国際競争力なんか無いですよ。

 それから先ほどトヨタも出ましたけれども、三菱重工にしたって、防衛の売上って多くてせいぜい3%とかそんなものです。だから、産軍複合体が出来てというようなことよりは、国際的に民生技術と軍事技術との垣根が無くなって、逆に我々に牙を向いてくるかもしれないというところをどう管理していくのというのが大事です。

 間違ってもアベノミクスの成長戦略の一環として大いにやっていくんだというような馬鹿げた発想に立ってはいけませんよという趣旨を書かせて頂きました。


冨澤暉 元陸上自衛隊幕僚長

冨澤 武器輸出の話はお二人の仰るとおりだと思うんです。昔は死の商人というのがいたし、今もいると思うんですね。死の商人というのは何かというと、いわゆる情報の1つなんですが、謀略とか工作というのがあって工作のために武器を輸出すると。死の商人は世の中で一番悪いやつだという概念があるんです。アイゼンハワーも産軍複合体があるから悪いんだと言ったことも確かですけれども、今どきの日本で、死の商人で儲けようという人が本当にいるのかと。そんなことはちょっと考えられないですけれどもどうなんでしょうか。

 あえて言えば、この前、湯川さんが「イスラム国」に捕まったんですが、あの人はPMC(Private Military Company)という米軍で職を失った連中がイラクの時に石油関係の会社がテロに襲われて大変だということでガードマンの仕事で行って、Private Military Companyというのが出来た。それを湯川さんという人が真似しようとした。最初に薬を持って行ったらすごく喜ばれたから、そういうことが出来るだろうと思って、またわざわざ鉄砲持って行ったんです。こういう人はある種の死の商人なのかなと思うんですけれども、本当の凄い死の商人とも思えないですね。そういう人が日本から出てくるというのが私は考えられないです。今おっしゃったように、死の商人ができるような日本の製品って正直言ってないんですよ。物によってはいいのがあるんです。先ほどご両方が言われたように部品としてはいろんな所に死の商人じゃない人が既にたくさん売っているわけですから、こんなことで騒ぐのはおかしいなというのが私の感じです。

 もう一つ、安部首相の問題が出たからちょっと安倍首相を援護しますけれども、安部首相のいうことは確かに部分的におかしいです。去年、一番がっかりしたのは、せっかく安保法制懇が「集団安全保障は憲法に触るものではない」といいことを言ったので、年来の集団安全保障こそ今やるべきだと思った時、5月15日に集団安全保障をやっても部隊を送るようなことは絶対にしませんと言ったんですね。あの回答を安部首相は全く無にしちゃったんです。私は腹がたったんですよ。腹がたったんだけれども、考えてみたら、彼は政治家です。柳澤さんも私も一介の個人です。個人だから勝手なことを言えます。だけど総理大臣というのは国民の意見を聞かないといけないのですよ。しょうがないです。せっかく安保法制懇が「集団安全保障は何でもできる」って言ったんですけれども、その通りにやりますとは絶対に言えないんです。彼は気の毒なんですよ。しょうがない。腹の中でどのくらい僕らの言っていることを考えているか分かりません。全く分からないのか、ある程度分かっているけれども今は言わないのか分からないのけれども、それは政治家としては許さざるをえないと。そこが柳澤さんと私の違うところです。


伊勢﨑賢治 東京外国語大学教授 元国連平和維持軍武装解除部長

伊勢﨑 今日は僕は司会者に徹しろということなので、フラストレーションが溜まっているんですけれども、最後にせっかくですから冨澤さんにお伺いしたんです。自衛権の問題、集団的自衛権の問題の歯止めの話です。今まで集団的自衛権を含む自衛権の概念は、非常に拡大解釈されて来ました。一番最近の例ではヨルダンの空爆です。ヨルダンは、「イスラム国」に対して集団的自衛権の行使をしていたわけです。イラクはお友達ですから、イラクがやられているということでね。

 しかし、今回2人の犠牲者の後に、パイロットが焼かれちゃいました。あの後に報復攻撃を宣言して、空爆を強化したわけです。あれは普通は個別的自衛権の行使に取れるんですけれども。個別的自衛権の行使であれば、果たして国際法上どうなのかという話です。

 つまりパイロットが1人焼かれたわけですが、果たしてこれは領空攻撃なのかということです。個別的自衛権の行使というのは武力攻撃されないとできませんから、報復するにしても、それはプロポーショナルなものでないといけないということです。1人パイロットが殺されて、これは刑事事件かもしれません。それなのに空爆で対応したわけですよ。これはつい最近起こったことですから、こういったことはまだ誰も言っていないんですけれども。自衛権の行使という考え方も流されちゃうんですよね。こういった中での歯止めをどう考えたらいいのかということです。


冨澤暉 元陸上自衛隊幕僚長

冨澤 私はその質問をしょっちゅう受けるんですよ。お前は集団的自衛権とか集団安全保障とか言うけれども、問題は歯止めだと言うんですね。

 だけど、歯止めを法律で決めるというのはそもそもおかしいと思います。法律というのはよく分からないんです。私のペーパーにも書いてありますが、国連憲章とか日米安保条約とか、日本国憲法も含めて、英米法で書いてあるんです。英米法というのは極めて曖昧で、大陸法と同じようにきちんと成文法で出来ていないんですよ。だから、解釈でなんぼでも変わるんです。

 だから、今の個別的自衛権の問題にしても、イスラエルとパレスチナの間で何回も論争があります。これは自衛権の範囲を超えているとか、超えていないとか、国連で何百回とやっているんです。でも結論は出ないです。誰にも結論は出せないんですよ。

 今回の「イスラム国」の問題は差し上げたペーパーにも書いてあるんですが、あれは完全に集団安全保障の段階に入っているんです。国連は安保理決議をしていませんよ。アメリカは最初、「イスラム国」に対する攻撃──イラク国内の「イスラム国」に対するとして、シリアとは分けていますけれども──、最初はアメリカ人が殺されたことに対して個別的自衛権の発動だと言ったんです。

 それで何カ国か空爆に参加しましょうと言った国は、本当は個別的自衛権なんです。集団的自衛権かもしれませんけれども。多くの国は「イスラム国」にはいかない、その代わりイラクには参戦するとか、いろいろあるんですけれども、トータルとしてあそこまでいろんな国が有志連合になってしまって、最終的には爆撃について一番反対するはずのシリア自身の内諾までとっているんです。有志連合というのは集団的自衛権の話ではなくて、集団安全保障です。言葉はなんだろうと、法律はなんだろうと、あれは集団安全保障です。先ほど言われたように、あの国が世界の秩序を壊しているという感じを持った国が参加している。これは制裁なんですね。制裁ですから自衛権の反応ではないです。

 自衛権というのは相手が殴ったら──日本では最小限といいますが、最小限なんて言葉はないんで──、相手の行った暴力の限度に応じてこちらもやっていいと。本当はこう言っちゃいけないんですけれども、そういう話ですから。歯止めの話をしても法律的には歯止めなんか出きっこないです。その時の政治家が、自分で状況を判断して、行くか行かないか決めるんです。それだけの話しです。


伊勢﨑賢治 東京外国語大学教授 元国連平和維持軍武装解除部長

伊勢﨑 もう一回やりませんか。この議題で。凄い問題提起で、さっき言ったように6割賛成なんですよ。つまり僕も何かをやらなきゃならない。闘い方の意見が違うだけで、もっと違った考え方があるだろうというね、インサージェントの本質を見極めてというのが僕の今日の最初の発表だったんですけれども。もっとやりたいですね。

 最近、「本当の戦争の話をしよう」という本を出しまして、もし良かったらお買い求め下さい。柳澤さん、最後の言葉をお願い致します。


柳澤協二 元内閣官房副長官補

柳澤 大変有難うございました。我々もそうですけれども、冨澤さんをお招きするにあたって、どうぞご自由にご発言下さいということでお願いをしたわけです。

 本当に具体的な現場の作戦のレベルとか、私は一番共感しているのは、政治がはっきりした意志表示をし、はっきり任務付けをして、もっと言えばその実現可能性をしっかり考えないと、自衛隊自身もたまったものではないということ、そこは完全に我々全部が共有している部分だろうと私は思うんですね。

 そういうところの議論を抜きにして、集団的自衛権の議論が進んでいることに対する危機感から、そもそもこの会が始まったわけですから。その意味では、基本的な考えの違いや政治的な方向性の違いなんかはあってもいいと思うんです。むしろ、そういう人達でも、今の議論の仕方は変だということをはっきり出していくことに意味があると思います。

 5回のシンポジウムにお付き合い頂きまして、何かもう一回やろうという声もあるんですが、現実性を考えながらやっていきたいと思います。会場の皆様、今日お越しの冨澤さん、本当にありがとうございました。とりあえずこの先は、これまでの成果を5月中に講談社さんから本にしてまとめたいと思っております。そして、6月には東京でばかりやっていてけしからんという声もあるので、大阪で一回、関西シンポというのを──夜は伊勢﨑さんのトランペット付きだそうでありますが──、そういう企画も予定しておりますので、ホームページでご確認の上、ご参加いただけましたら幸いに存じます。5回にわたってお越し頂き、ご協力を頂きましたことを改めて感謝申し上げます。ありがとうございました。