第2回シンポジウム「護憲」を超えて② 対テロ戦争における日本の役割と自衛隊

第2回シンポジウム「護憲」を超えて②

対テロ戦争における日本の役割と自衛隊

2014.7.26 千代田区立日比谷図書文化館

主催/自衛隊を活かす:21世紀の憲法と防衛を考える会(略称:自衛隊を活かす会)

柳澤協二 元内閣官房副長官補

今、対テロ戦争における日本の役割と自衛隊の可能性を考える意味
柳澤 協二

元内閣官房副長官補、国際地政学研究所理事長

 みなさん、こんにちは。私たちが「自衛隊を活かす会」をはじめたのは、一つには、憲法解釈の見直し、直接には自衛隊をどう使っていくかということをめぐって非常に乱暴な順序を経ない議論がどんどん進んでおり、そのこと自体にまず大きな危機感を持っているということがあります。その懸念は、多くの国民も共有しているだろうと思います。同時に、私たちは、個人的な思いはいろいろあるにしても、ただたんに平和憲法を守れと言うだけでは、この議論は収束しないと感じております。目の前に中国の問題が横たわっていて、アメリカの力がどうなっていくのかということも課題としてあるわけです。さらに、戦争を経験された世代の方々が次第にフェードアウトされていくなかで、時代精神として受け継がれて来た「戦争はダメだよね」というコンセンサスが失われつつもあります。

 これらには仕方がない部分もありますが、私たちが問わなければならない問題の本質は明らかです。日本という国はどういう国であって、どんな形で国を守り、あるいは世界の平和に役立っていく国であるべきかという国家像と、そういう国家像をもとにした平和戦略、安全保障戦略が求められているんだろうと思います。そこの議論をしていかないと、この問題の本当の着地点は見えないのではないでしょうか。憲法9条を守ろうという立場の方のなかにも、安全保障をどうするか考えるべきだという人もいます。それを考えるうえで、具体的な世界の現状の認識、そして自衛隊が何をしてきて、何ができているのか、あるいは何ができないかという、その具体的な事実認識を共有することが求められます。ことはやはり国の運命に関わることなのであって、そういう議論を国会やメディアがなかなかやれないなかで、非常に微力ではありますけども、私たちが少しでもそのお力になれればということで、この「会」を始めさせて頂きました。

 前回は、国際平和協力の場面で実際に自衛隊がどんな仕事をしているか、そのことを中心に議論をさせて頂きました。今回は、ちょうど折しもイラク、アフガニスタンの問題が焦点となり、それからガザでも戦争状態になっておりますけど、いわゆる対テロ戦争というのは21世紀初頭のキーワードです。その対テロ戦争という問題が──これを戦争と呼ぶのかということ自体に問題があるわけですが──、アメリカのイラク、アフガニスタンでの戦争にもかかわらずというか、あるいはそういう戦争をしたがゆえにというか、両面のとらえ方があると思いますが、今また大変ひどい状況になっている。そういう現実をやはり日本としてどうそれを認識し、日本は何をしていくことができるのかというような観点で、議論をしていきたいと思っております。

 私は基本的には司会ですから、この場ではあまりしゃべらないようにしているのですが、7月1日の閣議決定を受けてこれからどうなってしまうのか、というメールをたくさん頂いたものですから、この問題を見る場合のポイントに少し触れて、ごあいさつに代えたいと思っております。

 これまでの憲法解釈というのは、こういうものでした。憲法9条は武力行使を禁止はしているけれど、日本に対する武力攻撃があって憲法13条で保障されている国民の生命、自由、幸福追求の権利が根底から覆されるようなことがありうるわけですから、そういう場合に自衛をすることを憲法は禁じていない。同時にしかし、日本の武力行使はその範囲にとどまるべきであって、日本が攻撃されていないのに武力を行使するという「集団的自衛権」は憲法上認められないというのが、1972年以来の政府解釈でした。7月1日の閣議決定というのは、それと同じ論理を使いながら、日本の国家の存立が脅かされ、国民の生命・自由・幸福追求権が根底から覆される明白な危険がある場合には、それが他国に対する攻撃であったとしても、日本は自衛権を行使できるという、そういう内容のものであります。

 私は、これは論理的につながらないと思います。日本がいまだに攻撃を受けていないにもかかわらず、他国に対する攻撃によって日本の存立を脅かされるということなどあり得ない。あるというなら、政府はそこをきちんと証明しなければいけません。しかし、その後の総理の記者会見や国会の審議を聞いていましても、そこが説明されていない。たとえば、9.11のような事態はこれに入るのかということを浅尾慶一郎さんが質問したのに対して、「それは入りません」と、総理は明確に答弁するわけです。

 ところが一方で、日本人を乗せたアメリカの輸送艦は守れるようにするというのです。9.11ではご存じのように、日本人24人が犠牲になっています。これが日本の国民の生命・自由・幸福追求権を根底から覆す事態に当たらないというのに、おじいさん、おばあさんを乗せたアメリカの輸送艦が襲われるのはそれに当たるという。一体どういう切り分けをしているのかということがさっぱりわかりません。

 安全保障というのは、突き詰めて言えば、いつ武力を使うのかを決めるための思考過程だと私は思っています。そこがはっきりしないというのは、もうこれは安全保障論ではありません。そういうところをしっかりふまえて、どういう基準をこれから政府が出していくことになるのか──なかなか明確化出来ないと思いますが──そこを注目していく必要があると思います。

 それから、総理の論理というのは、日本が集団的自衛権を使ってアメリカの船を守ると、抑止力が高まって日本を攻撃しようと企てる国が思いとどまって日本が平和になるという、そういうものなんですね。しかしながら抑止力というのは、実は本来ものすごく恐ろしい概念でありまして、攻めてきたら倍返ししてやるぞという脅しが抑止力の本質であります。そういう力を持ち、その意志を持つ、そのことを相手が認識する、そして恐れ入るから抑止力になって攻めて来ないということです。しかし、そうすると相手はどうするかというと、相手は抑止されまいとすれば、もっと強くなろうとするわけです。

 これは安全保障のジレンマと呼ばれております。こちらが軍備を拡張しあるいは同盟関係を強固にしていけば、相手もそれに対応してもっと強くなってくる。いろんな努力をしてみたけども、気が付いてみたら決して昔と比べて安全になってなかったという、これが安全保障のジレンマなんですが、その側面をしっかり捉えていかないといけない。やはり物事というのは、得る物があれば失うものもあるわけですから、その両面のバランスを取るのが安全保障にとって一番大事なんです。しかし、そこが語られていないのです。

 私が一番怒りを感じたのは、「自衛隊は今までより危険な任務に就くことになるだろう」という質問に対して、総理が、「いやこれはもう、憲法の仕分けの話をしているのであって、実際の自衛隊の行動については安全確保義務があって」というようなことを言ったことです。いま問われているのは、自分はどういう理由で国のために命を掛けて働いてくるのだからということを、自衛隊員が自分の家族に向かって説明できるのかということです。それなのに、いやそれは憲法の整理の話であって、実際の任務は違うんだよというようなことを言われても、実際に何をして良いかわからないわけです。自衛隊員が自信を持つためには、何よりもまず国民の支持が必要であって、同時に、何をするかを念頭においた徹底した訓練が必要です。ところが、政治が何をさせたいかが分からないと、どうそれを説明し、どう訓練して良いかが分からない。当然国民も自衛隊に何をしてほしいかが分からない。そういう状態のままで議論が進んでいるところに、今の政治の一番の問題点があると思っております。

 7月1日の閣議決定を受けて、これからどんな風に物事が進んでいくのかということについて、楽観的な近未来予測は言いません。けれども、政府の側にもまだまだこれから詰めなければいけないことあるわけで、私たちがこういう活動を通じて、最初に述べたような共通認識の土台を作っていくだけの時間は十分にあると思っております。そういう意味でも、これからも息長くこういう議論を続けていきたい。来年の通常国会のゴールデンウィーク明けにも法律が出てくるとも言われておりますので、それに間に合うように成果を整理し、形にできればいいなと考えており、そんなタイムテーブルでやっていこうと思います。

 なお、頂いたメールのなかでは、「中国をどうするのか」というご意見が非常に多いです。それについては、次々回の12月になるかもしれませんが、専門家をお呼びして、アメリカと中国の関係などに焦点を当てた議論をしたいと思っておりますので、その節にもまたよろしくお願いします。


加藤朗 桜美林大学教授

対テロ戦争の意味
加藤 朗

桜美林大学教授、同国際学研究所長、元防衛研究所

 対テロ戦争と言いますけれども、先ほど柳澤さんから少し話がありましたように、これを戦争と呼ぶのは間違いだと思います。私たちは、基本的には国と国との武力衝突を戦争と呼ぶべきであって、それ以外の武力衝突については、別の言葉を使うべきだと考えます。私は単純に紛争と呼んでいます。対テロ戦争というのは、決して国と国との戦争ではありません。国対ゲリラ組織あるいはテロ組織との戦いであり、我々が戦争という言葉からイメージする武力衝突の内容とは相当異なるものだということです。

 ところで、こうした対テロ戦争が起きた背景です。少し俯瞰的に物事を見ていくために、アメリカがこの間どのような形で戦争に関わってきたかということを振り返ってみたいと思います。

 アメリカが世界の戦争に最初に関わってきたのは第一次世界大戦ですが、この時にはオスマン、オーストリア・ハンガリー、プロシアなどの帝国に勝利しました。そして第二次世界大戦はドイツ、イタリア、日本などファシズムに勝利して、第三次世界大戦たる冷戦では、ソ連をはじめとする共産主義に勝利したわけです。この結果、冷戦後に私たちが勝者のアメリカや冷戦後の世界をどのように把握するかによって、この対テロ戦争というものの意義付けが変わってくるだろうと思います。非常に単純化しますと、地球上の全ての地域にわたってアメリカが、ローマ帝国のようなある種の帝国を作ってしまったという考え方があります。しかしながらもう一方で、アメリカも含めて全く違ったグローバル社会が生まれたとの考え方もあります。この2つにそって、少しお話をしていきたいと思います。

 もしも前者の、アメリカ帝国が冷戦後の世界であるとするならば、これはローマ帝国とのアナロジーですけれども、反米勢力という蛮族に対する反乱鎮圧作戦が対テロ戦争に当たると思います。このアメリカ軍の主力部隊は、主にCIAや軍の特殊部隊です。まさにこの対テロ戦争がある種の反乱鎮圧の様相を示しているから、これらの部隊が主力となっているのです。

 ところで、もう一方で、グローバル社会が生まれたという考え方に立つと、対テロ戦争は国際安全保障におけるグローバル・ガバナンスの問題ととらえるべきだろうと思います。そうすると、グローバルな公共圏における暴力、危機をいかにして管理していくかということに、国際社会全体が対処しなければならない。この側面から見ますと、対テロ戦争は、国連PKOやNGOによる軍・民協力、ある種の平和構築活動という側面を帯びてきます。

 この対テロ戦争と我が国との問題を考える時に、少し憲法の問題にさかのぼって考えてみたいと思います。憲法によって武力行使が禁じられた紛争というのは、実はマッカーサーノートやGHQ原案では、「我が国と他国との間の紛争」と書かれております。ところが、いわゆる芦田修正において、この「我が国と他国との紛争」は、「国際紛争」と書き換えられました。何故書き換えられたのかということが未だによく分かりません。しかし、当時の状況からすれば、これは間違いなく「我が国と他国との間の紛争」のみを意味していたと思います。この点を突いて、安保法制懇の北岡先生が、憲法が規定する国際紛争は、もともとの意味から考えると「我が国と他国との間の紛争」を意味するのであって、それ以外の紛争は意味していない、だから武力行使は容認されるとして、集団的自衛権行使を正当化しようとしました。一方、法制局の元長官が、いかなる形であれ日本がそこに関わることは、国際紛争は「我が国と他国との間の紛争」になってしまうので、やはり憲法で禁じられていると一刀両断にされました。しかし、ことはそれほど簡単にはいかないと思います。

 国際紛争というものが、冷戦後相当に変化しています。しかもそれに我が国が対処しなければいけない事態が出てきたわけです。

 まず従来の「我が国と他国との間の国家間紛争」は、例えば北朝鮮であるとか中国とかロシアとか、我が国を取り巻く周辺諸国との間の国家間紛争です。これは直接的に我が国の安全保障問題です。これについて日本は、独自の防衛体制をとり、同時に日米同盟によって対処しようとしているわけです。

 これ以外に新たに対応しなければいけない紛争が三つあります。一つは、我が国とは直接関係がない国同士の国家間戦争です。二つ目は他国内での内戦、そして最後が対テロ戦争です。

 一つ目は、我が国と直接関係がない国同士の国家間戦争です。この問題で日本が巻き込まれたのが、実は湾岸戦争です。湾岸戦争の本質は明らかに国際法秩序への挑戦だったわけです。これに対して、我が国はどうするべきかという問題が、初めて問われました。憲法が想定していない事態だったので、大混乱が起きたわけですが、最終的には、135億ドルの資金援助です。一般的に130億ドルといわれていますが、円安のために、5億ドルが後から追加払いされていますので、トータルで135億ドルです。国民一人あたりが単純計算で1万円払って、湾岸戦争に我が国は参戦しました。

 二つ目は、他国内での内戦です。ルワンダの大虐殺、ソマリアでの内戦、ユーゴスラビアの内戦等々です。ここから人道的武力介入の問題が出てきます。こうした問題について外務省は日本と直接関係がないと言っていたわけですけれども、外務省が外交の柱として掲げている人間の安全保障には、人間を開発する責任という主に経済援助に関わる分野にくわえ、保護する責任というのがあります。何らかの人権侵害が行われるようなことがあった場合には、武力を行使してでもその人たちの人権を守る、生命を守るということです。そういう人間の安全保障に対して日本がどう対応するかという問題が、これからも問われてきます。

 三つめは、対テロ戦争です。具体的にはアフガニスタンの戦争や、イラクにおける戦争にどう対応するかということです。二つの考え方があって、一つは対米協力の考え方です。そしてもう一つは、ウェストファリア体制の考え方です。現代の我々が暮らしている国際社会というのは、1648年のウェストファリア条約によって作られたウェストファリア体制です。これに対抗してイスラム側のほうが、「ミドルウェストファリア」体制を作ろうしているのではないか、という考え方があります。こういう発想で、この対テロ戦争という問題を考えていかなければならないだろうということです。現実に、日本が行ったのは対米協力で、インド洋上の給油とかイラクにおける輸送など、特措法による後方支援でした。

 我々は結局、対米協力をしていくのか、していかないのか、そのことが問われています。アメリカ帝国の没落を食い止めるために協力する、そしてそのことによって日米同盟を強化していくことが日本の安全保障を高めていくのだ、という一方の議論があります。他方、国際協力、保護する責任など、新たなグローバル・ガバナンスの形成に参加する覚悟を決めるという考え方もあります。どちらか一方に傾くのか、あるいは両方とも必要なのか。そういうことを考えて今後の日本の対テロ戦争への対処を議論すべきだと思います。


酒井啓子 千葉大学教授

最近のイラク情勢と戦後のイラク国家建設の失敗
酒井 啓子

千葉大学教授

 本日お話しするのは、イラクに日本が自衛隊を出したことを振り返りつつ、自衛隊が派遣されていたイラクは今どうなっているのかということです。単純に言ってしまえば、自衛隊を派遣してまで大騒ぎしたあのイラクは良くなったのかということになります。一言で言うと良くなっていません。良くなってないどころか、最悪の事態を迎えているということをお話しします。

 なぜイラクにこだわらければならないのか、とお思いかもしれません。先日の安保法制懇の報告などを見ると、前提になるのが、イラクなどペルシア湾情勢です。ペルシャ湾に機雷を敷設されたらどうするんだ、石油が止まったら日本にとっての死活問題だぞ、と言って、日本の安全保障体制の見直しを主張しています。けれども安保法制懇は、今イラクで何が起こっているかをまったく考えずに言っているようです。今起こっていることをわかっていたら、たとえ仮の話としても自衛隊を出すようなことになったら、それは危険すぎる状況なのです。もし本当に石油が止まって、ペルシア湾情勢が問題になり、世界各国が軍事的に関わり、日本も自衛隊を出さなければいけないということになったら、それは確実に最悪の戦場に自衛隊を出すということになります。そこまでイラク情勢は最悪の状態を迎えつつあるのです。イラク戦争でアラブ諸国に駐留するのはこりごりだと考えているアメリカは、今のところ軍隊を出すつもりがないので、「じゃあ同盟国である日本が行ってね」と言われたらどうするんだろうと、本気で心配しています。

 では、今何がイラクで起こっているか、ということについて見ていきます。ご存じのように、今年の6月9日に「イラクと大シリアのイスラーム国」(以下、「イスラーム国」)、通称ISISと呼ばれていますが、これがイラクのモースルという町を陥落させました。イラクで第2、あるいは第3の都市といわれる北の要地です。そのあと一気にバクダードに迫る勢いです。地図を見ていただきたいのです。(地図)

(地図)今何がイラクで起こっているか
今イラクで何が起こっているか

 黒く塗った点は、7月8日時点でISISに陥落した都市です。緑の点が、国軍やイラク治安部隊がとりあえず死守している場所です。赤く塗ってある点が、攻防中です。バクダード周辺まで攻防中の状態になっているということがよく分かると思います。

 現在、事態は膠着状態にあるということですが、ISISは着々と制圧した都市における地歩を固めているようです。たとえばイラクの石油関連施設、シリアの油田地域も制圧しているということで、タンクローリーでトルコあたりに輸出して外貨を稼げるだけの力を持つようになっているとも言われています。また、モースルを制圧した際に、真っ先に銀行を襲って資産を奪うとともに、公務員に対しては、職務から離れるな、離れない限り危害は加えないと言っているようです。要するに行政を非常に重視し、ちゃんと統治しようというシステムを取っているわけです。一方、モースルではキリスト教徒が多く住んでいますが、その地域からキリスト教徒を追い払うようなこともやっていて、それで逆に定着しつつあるところが、今一番危惧されているところです。

 ここですこし、名称について細かい話をします。イスラーム国の略称であるISISというのは何の略なのか、大シリアとはどういう意味なのか。アラビア語の用語を直訳すると、「イラクと大シリアのイスラーム国」となります。この「大シリア」が、欧米的に言うと「レバント」という言い方にもなるので、「イラク・レバントのイスラーム国」と呼ぶメディアもあります。現地ではアラビア語でシャームと言われるので、シャームのSをとって、ISISです。このシャームというのは、一般にはシリアとレバノンを合わせた概念ですが、歴史的に見れば、オスマン帝国の時代にシャーム地域として扱われていたなかには、ヨルダンもパレスチナも入ります。つまりイスラエルも入るのです。私が今一番危惧しているのは、このイスラーム国が着々と制圧地域を広げておりますが、シャーム全体に勢力を及ぼそうと考えた時に、当然イスラエルがターゲットになるということです。イスラエルがターゲットになって、たとえば「ガザを攻撃しているイスラエルはけしからん、イスラーム教徒は結集してイスラエルに対抗せねばならない」とイスラーム国が言い出したら、おそらく多くのイスラーム教徒がそれに賛同するという気持ちになる。私がISISのアドバイザーだったら、「イスラエルと戦う、と言えば、いっぺんで人気者になるよ」と言いますね。

 歴史的な背景を見るとそのように、地中海からペルシア湾までをターゲットにしたイスラーム国なのですが、そうは言っても、イスラーム国のルーツはイラクにあります。イラク戦争後、アメリカが統治に失敗し、ファッルージャを中心とした西部地域において住民が反米活動を行っていたわけですが、そこに外国からテロリストが入ってきて、2006年にはすでにイスラーム国が作られました。その後、2006年から2007年にかけて激しい内戦が起こるわけですが、2008年頃には一旦その内戦は収拾します。イラク西部のイスラーム国も掃討されるわけですが、国外を逃げ回っている間に、2011年から、シリアで内戦が起こります。そこで拠点をシリアに移して勢力を拡大し、その上でイラクに舞い戻るのです。まさに国家の治安が崩壊したところに巣をつくって生きていくという典型的な例だと言えるでしょう。

 では、このイスラーム国は何をめざしているのか。目的としているのは、カリフ制の再興ということになります。6月29日にカリフ国家の樹立を宣言しています。

 カリフ制というのは、オスマン帝国の時までとられていたイスラーム国家の統治体系の一つです。オスマン帝国はハナフィー派というスンナ派のひとつの学派をもとに国家運営をしていた国ですので、その当時から基本的にはシーア派は異端なので認めないという姿勢をとってきました。もちろん、今ではスンナ派の多くがシーア派をイスラーム教として認めていますが、サウディアラビアのワッハーブ派などはまだ認めていません。イスラーム国は、ワッハーブ系やサラフィー主義(純粋なイスラームへ戻れと主張する主義)の、厳格にイスラーム法の支配を主張しているグループですから、モースルにいるキリスト教や少数宗派のヤズィディ教徒などを排除する、というようなことをやっているのです。大変悲しいことなのですが、イラクの北部には世界遺産となっているようなキリスト教の遺跡、聖書に出てくるような遺跡があるんですけれども、それも先日破壊されたという報道がありました。2000年以上生き延びてきたイラクのマイノリティであるキリスト教徒が殲滅される危機にあるという報道もされています。

 こういうことがあるので、現在の事態は宗派対立だと、よく言われます。イラクが、クルド人と、アラブのスンニ派とシーア派に分かれているため、それでいつも対立し続けていると一般に思われています。しかし、現在の事態について注目しておくべきは、イスラーム主義の勢力拡大や対立ということだけではなくて、イラク戦争でひっくり返された旧政権、サッダーム・フセイン政権の残党の動きと関わっていることです。そういう人々がイスラーム国に入り込んでいると言われています。そうでなければ、あれだけ効果的な軍事行動を展開できるとは考えられません。私は基本的には今回の動きは、イスラーム国云々というよりも、イラク戦争で実質的に政権を奪取された旧勢力側のクーデターというか、反革命というか、本質的にはイラク戦争でひっくり返されたものをもう一回ひっくり返し直そうという、そういう権力抗争だと考えています。

 シーア派というのは、主として南部に住んでいて、聖地ナジャフが信仰の中心にあります。一方で、スンニ派は北部から西部にかけての中部地域に住み、部族的紐帯が強いと言われています。その両派は、歴史的に分離されてきたわけではなく、互いに混じり合って住んでいて、結婚も多くあります。ところがアメリカは、物事を単純化して見る傾向があって、サッダーム・フセインはスンニ派の出身なので、違う宗派であるシーア派とクルド民族を抑圧し続けてきたので、スンニ派全体が、そのシーア派とクルド民族に牛耳られた戦後のイラク体制を面白く思っていない、と思いこんでいます。だからアメリカは、徹底的にそのスンニ派地域を掃討しました。米軍の掃討作戦の結果、破壊された町とか村がたくさんあります(写真)。宗派対立と言われるけれども、今回の事態の根幹には、アメリカのイラク戦争後の統治政策の失敗があるのです。

(写真)米軍の掃討作戦の結果、破壊された町
米軍の掃討作戦の結果、破壊された町

 さらにこれは、DDR(武装解除等)の失敗でもあります。イラク戦争後、アメリカの連合軍暫定当局(CPA)の長となったアメリカのブレマーが、イラク戦争が終わって、真っ先にやったことは何かというと、国軍と与党だったバアス党の解体でした。フセイン政権下のイラク国軍は解体すると言ったのですが、兵士が兵器を持ったまま解散してしまった。その結果、大量にあったイラク国軍の武器がそのまま市場に流れたのです。

 実はイラク国軍も、戦争直後は占領軍のアメリカに本気で抵抗しようという気はなかったのです。イラク戦争中も、イラク軍はほとんど抵抗しませんでした。だから、彼らが戦後最初にやったことは、給料の支払い要求なんです。戦争が終わったから、ようやくまっとうな人達に雇ってもらえるに違いないと思ったのですね。旧政権がなくなって誰も給料を払ってくれない。兵隊さんたちは、これからはアメリカが給料を払う雇い主になるに違いないと思って、給料の支払いを要求するデモを、戦争後の5月、6月と繰り返し行うのです。ところがアメリカは聞く耳を持っていなかった。持っていないどころか、国軍全体が旧体制を支えてきたのだとして解体する。その結果、何の保障も得られなかった兵隊さん達が、これはけしからんと言って、武器を持って駐留する米兵に対して「辻斬り」を始めた。これがテロの増加の原因なんだろうと思います。

 戦後の国家建設も失敗しました。選挙をするとか、国会を設置するといったような、形だけの、いわゆる民主的な制度構築は着々とやられております。アフガニスタンよりも圧倒的に早いペースでやってきたわけですが、肝心要の治安部隊や国軍などを国家組織としてきちんと再建できたかというと、まったくできていないのが現状です。

 イラクからアメリカ軍が撤退する前、ワシントンにそういう話を聞きに行ったことがあります。ある会合で国防総省の人たちは、「あと半年したら僕たちはイラクにいないんだから、それを前提にみんな議論しよう」と、自分を納得させるかのように言っていました。言い換えれば、やり残したことはたくさんあるんだけれど、自分たちができることはもうない、と自身に言い聞かせながら、議論をしていたのです。この後ろ髪を断ち切らなきゃ、という姿勢が、とても印象的でした。そこで私は、国軍の再建などはどこまで進んでいるんですかと質問をしたんですが、誰も「言えない」というのが答でした。隠しているというのではなく、言うことが何もないという雰囲気が濃厚でした。国軍をちゃんと作れていないという状態だったんだと思います。

 それが今回の事態に如実に表れていて、結局モースルにイスラーム国が侵攻してきた時に、国軍はさっさと逃げてしまいました。国軍の制服を脱ぎ捨てて逃げるといった体で、国を守ろうという意識のある軍隊はまったくできていない。一方で、じゃあ誰が今必死に戦っているかというと、政権与党つまりシーア派の与党が持つ民兵集団なのです。シーア派の宗教指導者たちが、シーア派を異端とするようなスンニ派の極端な思想を持つイスラーム国をイラクから排撃するぞと、勇ましいことをモスクの金曜礼拝で言って、志願兵をかき集めて、彼らに武器を持たせて突入させているのです。イラクの紛争は、この段階で初めて宗派民兵間の対立になったといえるでしょう。国を守るのではなく、シーア派という信仰や聖地を守るために、公に兵士がかき集められたのですから。一方でスンニ派の人たちにとってみれば、シーア派やクルド人ばかりで構成されたイラク戦争後の国軍というのは、実質的には、シーア派が勝手に作ってスンニ派地域を見張っている、占領軍だと見なされていたんだろうと思います。

 イラク戦争以降、現在までの間に命を失ったアメリカ兵の人数のグラフをお見せします。折れ線グラフのほうはイラク人の死者です。(グラフ)

(グラフ)米兵とイラク民間人の死者数
米兵とイラク民間人の死者数

 2006年、2007年という内戦の時期は、毎月3,500人近くのイラク人が命を失うという状況が生まれていて、それがいったん2008年の後半には、だいぶ死者数は落ち込むわけです。アメリカは、外から入り込んできたアルカーイダ系の武装組織を中心とした反米勢力と、地元住民を切り離すために、地元住民にとにかく金とポストをばらまきました。スンニ派の部族のなかに準軍事民兵組織を作って、反米勢力と戦わせるというやり方をとりました。これが功を奏しました。住民の心と気持ちを掴む、といって、当時の駐留米軍司令官の名前をとって、ペトレイアス方式と呼ばれて評価されたのです。しかし、2013年の始めぐらいから、イラク人民間人の死者数は、また伸びてきています。今年6月の死者数は2,000人近くになっています。

 では、ペトレイアス方式でつくられた準軍事民兵組織は、その後どうなったか。本来ならば、それを国軍に昇格させて、スンニ派のなかからも軍に登用していくという約束だったんですが、それがマーリキー政権で行われなかったのです。2009年に地方議会選挙があり、マーリキーの率いる政党連合、法治国家同盟が圧勝を収めます。圧勝を収めた理由は、内戦が終わったので、そろそろ新しい時代に向けて安定的な政権を後押しするという程度の意味でしかなかったのですが、その後、マーリキーは権力を振りかざしていくようになる。2010年の国会選挙で、首班指名がもめて、なかなかマーリキーの続投が決まらなかったこともあって、マーリキーは地盤に不安を抱くようになったのでしょうか、その後彼は選挙をやるたびに、スンニ派の政敵をパージしていくような方法をとります。

 そうしてイラクで何が起こったか。2006年には、汚職度合いが世界で最もひどい国はイラクであるということを国連が言うような状況になった。金とポストをばら撒く一方、政府としての国民の生活向上や雇用の確保といった公約は果たさない、というようなことが横行します。2013年のイラク人に対する世論調査を見ると、「どの組織が最も腐敗していると思うか?」という質問に対して、一番高い数字を得ているのが政党なんですね。続いて国会議員、公務員、警察ときて、一番腐敗が少ないと思われているのが国軍でした。ふたを開けてみれば服を脱いで逃げちゃうような国軍だったのですが、頑張ってほしいと期待されていたんですね。いずれにせよ、政権に対する信頼度が失われていた現実があって、その上に今の状況が生まれているのです。

 そこで、最後に、この状況に対して、日本は何を反省しなければならないのか。2006年まで日本はイラクに自衛隊を出しておりました。自衛隊に関わったお金だけでなく、ODAも相当つぎ込むなど、日本はものすごい投資をイラクにしたわけです。では、そのことによって、何か効果があったのか。そのことを含めて、自衛隊のイラク派遣の意味を全体的に見直さなければいけないと思います。

 なぜ自衛隊を派遣しなければならないか、という議論があった時に言われていたのは、イラクは治安が悪くて、民間企業は行けるわけがないということでした。自衛隊が派遣されているのは民間企業が入るまでのつなぎであって、治安が悪くても日本のプレゼンスをイラクにおいておかなければ、民間企業が行けるようになったときに不利になるということでした。だからこそ復興のための自衛隊派遣だと言われたのです。では、自衛隊を派遣して、その後日本企業がたくさんの受注を受けて、経済も良くなったのか。中東協力センターが2011年に作ったイラクの経済プロジェクトの発注相手国についての資料があるのですが、これをまとめたものを見ていただきたいのです。(資料)

(資料)イラクでの経済プロジェクト発注相手国(2011年段階)
発注相手国 件数
アメリカ 16件
フランス・ドイツ 14件
韓国・中国 13件
日本 3件

 規模まではわからないのですけれども、アメリカは確かに受注件数が16件と一番多い。しかし他方で非常に皮肉なのは、続いて多いのがフランス、ドイツだということです。イラク戦争にあれだけ反対したフランスとドイツが、結局のところは、戦後復興では勝ち組となっているわけです。さらに言うと韓国と中国が13件と続いています。韓国は日本同様、軍を出して、アメリカに協力したから復興事業でも成功した、と言えるかもしれませんけども、中国などはフランス、ドイツと同じように、イラク戦争に猛反対していました。一方日本はどうか。このデータがまとめられた後、若干増えてはいるんですけれども、2011年段階では、たったの3件しか経済プロジェクトが取れていません。何のためのイラク戦争賛成だったのか。何のための自衛隊派遣だったのか。財界まで賛成して自衛隊をイラクに送り込んだ、イラク戦後復興に関する日本の発想というのは、まったく効果がなかった。そのことを誰も言わないのはどうしてでしょう。ちゃんと見直し、改めて検証したほうがいいんじゃないかと思います。

 では、自衛隊は実際に現地ではどう見られていたか。共同通信の、現地イラク人の通信記者が、自衛隊が撤退した後に寄せた記事があって、非常によく書けているので、ここに挙げたいと思います。とにかく自衛隊は日本人の優しさ、誠実さを胸に刻むように非常に評判は良かった、自衛隊に対して悪いイメージを持つということはあまりなかった。ただ、その行動を見ていると、とにかく自衛隊は見た目を気にしていた。どのように復興事業をやるかということではなくて、それがいかにイラクでメディアで報じられるかを気にしていた、というのが、この記者の感想です。かつて湾岸戦争の時にお金だけ出してクウェートにまったく感謝されなかった、新聞に掲載された感謝広告で、感謝する対象の国から日本の名前が落ちちゃったという、外務省が屈辱と考えるあのトラウマを、とにかく払拭したい、という気持ちが先立っていた。とにかく相手国に感謝して欲しい、しかもメディアで見える形で相手国から感謝をしてほしい。そういうことをイラクに求めるために、自衛隊は活動していたのです。

 また、自衛隊の安全を維持するために、たとえば宿営地を借りる時に、非常に法外なお金を払わざるを得なかったとか、自衛隊が攻撃されないようにいろんなところに気を遣ってお金をばら撒くということもありました。あるいは、自衛隊が現地の人を雇うと特権的な地位が得られるということで妙な競争が起こるとか、田舎の過疎地の社会に拝金主義や汚職をもたらす結果になってしまったという問題も、これもまた何も問われていません。

 昨年の3月、イラク戦争10年ということで、サマーワに入った日本のテレビ局の記者が、当時の自衛隊の宿営地が今どうなっているか、見に行ったそうです。自衛他は撤退するとき、宿営地で使っていた物は現地の人たちにどうぞ使ってくださいと言って譲り渡していったそうなんですけれども、結局それは使われていなかった。埃をかぶっていたそうです。現地の人たちに「なぜ使わないんだ」と聞いたらば、「使い方が分からない」と。それは当然だと思います。たぶん最新鋭のいろんなものを持ち込んだのでしょうが、マニュアルを、しかも地元の人たちがわかるようにアラビア語で平易な形で、きっちりと作って残していったわけではないのでしょう。そういう意味でも、自衛隊の派遣はいったいなんだったんだろうという思いを非常に強くしたと、その記者はおっしゃっていました。

 日本は中東に何を期待されているのか。自衛隊について言えば、イラクの文脈においては、それなりにプラスの役目を果たした部分はあると思っています。それはなぜかというと、ほかの外国軍があまりにもひどかったからということです。要するに、アメリカにしてもイギリスにしてもオランダにしても、日本以外はイラク人を殺す兵隊しかいなかった。日本の自衛隊は、唯一イラク人を殺さないで駐留していた部隊だということで、非常に高く評価された。ただそれが何十億というお金に見合うだけのものだったのかというのは、これはまた日本としては考えなければいけないと思うのです。

 アメリカにくっついていくという選択肢は、それはそれで良いかもしれない。あるいはイスラーム社会のなかでも、欧米型の近代化と発展を求めている人たち、自由と民主主義を重視する人たちは大変多いわけです。しかし、そういう人であっても、あのひどいことをやっているアメリカになぜ頭を下げなきゃいけないのかという思いは強い。アメリカの横暴さ、支配に対する反発は、アメリカが体現する自由と民主主義と繁栄への憧れとは全く別の話なのです。その意味では、同じように近代化を果たし、工業化を果たし、発展してきた日本というのは、欧米とは違うビヘイビアをとっているのだ、力を背景に中東にやってくる存在ではないんだ、力とは違う手段で中東に手を差し伸べてくれる国なのだということが大事です。それが日本の売りになってきたのです。

 ヨルダンの大手紙に載ったコメントがあります。日本はアメリカの同盟国である、それはそれで良いかもしれない。けれども同盟国だからこそ、イラクに劣化ウラン弾などを撃ち込むようなことはやってはいけないのだとアメリカに言える立場にあるのが、まさに日本ではないのか。日本に期待される役割はそこであって、一緒になって武器をふるうようなことはまったく期待されてない、ということが、このコメントから見てとれると思います。


宮坂直史 防衛大学校教授

国際テロ対策と日本の役割
宮坂 直史

防衛大学校教授

 まず、テロの現状を概観しておきます。過去何年間かのテロの発生件数や被害者数のデータを示します(図表1)

(図表1)毎年、テロはどのくらい発生しているか(National Counter Terrorism Centerのデータベースより)
総件数 死者数 負傷者数 人質数
2005年 11,157 14,560 24,875 34,845
2006年 14,545 20,468 38,386 15,855
2007年 14,415 22,720 44,103 4,980
2008年 11,663 15,709 33,901 4,680
2009年 10,968 15,311 32,660 10,749
2010年 11,641 13,193 30,684 6,051
2011年 10,283 12,533 25,903 5,554
2012年 6,771 11,098 21,652 1,283
2013年 9,709 17,891 32,577 2,990

2014年も1万件に迫るであろう!

 世界のテロを研究している人はだいたいこれを見ています。毎年、だいたい10,000件です。2013年までしか数字がありませんが、2014年は自分なりに数えており、たぶん10,000を越えると思われます。少しずつ悪化、さらに悪化しつつあるという感じです。

 ただし、データベースによって若干違いがあります。どれが正確かというのは難しいです。たとえば、先ほどイラクの話が出ましたが、イラクの犠牲者数については別のデータベースあります。イラクボディーアカウントなど様々なものがあるんです。

 どんな国が多いかということですが、上位4つはこの7、8年変わりません(図表2)

(図表2)去年1年間のテロ多発国はどこか?(National Counter Terrorism Centerのデータベースより)
国名 件数 死者 負傷者 備考
イラク 2,495 6,378 14,956 12年比で倍増
パキスタン 1,920 2,315 4,989 TTPほか
アフガニスタン 1,144 3,111 3,717 タリバンほか
インド 622 405 717
フィリピン 450 279 413
タイ 332 131 398
ナイジェリア 300 1,817 457 ボコハラム
イエメン 295 291 583 AQAP
シリア 212 1,074 1,733 内戦中
ソマリア 197 408 485 暫定政権

ここ数年間、トップ4カ国は常連!

 イラク、パキスタン、アフガニスタン、インドです。今日はインドの話は出ないと思いますが、インドはテロのデパートと言われていて、宗教的なものから政治的なものまであります。フィリピン、タイは件数はすごく多いのですが、あまり威力のない爆弾が使われるので、犠牲者数は中東に比べると少ないです。ナイジェリアは、ボコハラムという、何百人も人質に取るようなグループによるものです。イエメンも今日の話題にはならないでしょうが、AQAPというアルカイダ系の、それの派生グループによるものです。しかし、すでに町を占拠していますから、テロ組織と言っていいのかどうか分からないです。イラクのISISと同じような感じです。シリア、ソマリアになると正確なデータは分かりません。このアメリカのデータベースは、報道ベースでいろいろかき集めてやっていますけれども、シリアは内戦中でありますし、ソマリアに関しては暫定政権ありますが、ご存じのような状況ですから良く分からないのです。

 では誰がテロをやっているのか(図表3)

(図表3)去年、いかなる組織のテロが多かったか(計220組織が関与、全件数の32%)
(National Counter Terrorism Centerのデータベースより)
グループ名 件数 殺害数
タリバン(アフガニスタン) 641 2,340
ISIL(イラク) 401 1,725
ボコハラム(ナイジェリア) 213 1,589
インド共産党毛派 203 190
アルシャバーブ(ソマリア) 195 512
TTP(パキスタン) 134 589
NPA(フィリピン) 118 88
AQAP(イエメン) 84 177
FARC(コロンビア) 77 45
BIFM(フィリピン) 34 23

実行犯(組織)不明の事件がいかに多いか!

 実は、たとえば年間10,000件テロが起きるとして、その7割は誰がやっているか分からないんです。犯行声明もないし、捕まってもいない。たとえばタリバンが関与しているとか、そういうことが分かるのは3割程度なんです。そのなかでは、宗教的なテロ組織が上位に来ています。この表で言うと4番目のインド共産党毛派(こう書くと最近は「ケ派」と読む人がいて教えるのも大変なんですが)、これは毛沢東主義派で左翼の組織ですが、それ以外はほとんど宗教的な組織です。下から2番目のコロンビアのFARCは、10,000人を越える構成員を持っていて、西半球で最大のテロ組織ですが、共産主義運動から出てきた組織です。日本人も何度も人質に取られていますが、あまり報道されていません。フィリピンにもいろいろな組織がありますが、テロ組織というのは、和平交渉をしておとなしくなるかと思うと、必ずそこから分派していって、「平和はイヤだ、戦いたいんだ」という少数派が出てくるわけです。古今東西そうですよね。日本のテロ組織だって同じで、昔、赤軍派は今までの規定の路線じゃあダメだって言って、どんどん分かれていって、少数派になってかなり過激になっていく。古今東西そうです。

 次に、国際的なテロ対策っていうのは、何かということです。国連のテロ対策は、加盟国200カ国近くを包摂するような形で、あらゆる分野で進めています。たとえば核テロ対策という分野もあります。核テロなんてあるのかと思われるかもしれませんけれど、いくらでもあります。放射性物質を使ったり、核施設を攻撃するなどです。それからバイオテロ、病原菌をばらまくやつです。無数にありますが、今日はそういう話ができなくて大変残念です。

 対策の中身としては、テロ資金規制が重視されています。日本が行っている対策のなかでは、テロ資金規制が一番の脆弱な点だということは、テロ対策をやっている人は誰でも知っていることです。テロリスト、テロ行為をするものに対して資金を提供したり、物質的支援をすることはしてはならないのですが、そういう行為を日本の法律は処罰できないのです。そのことを国際金融作業部会から断罪されています。報道もされました。

 国連安保理では、常任理事国、非常任理事国を含めて15カ国ありますが、そこで世界全体で何をやらなければいけないかということを決めてしまうのです。それを加盟国に義務づけます。そうすると、テロがあろうがなかろうが、すべての国が同じ措置を取ることになります。年間を通じて、まったくテロがない国というのも、50カ国、60カ国とあります。ナウルだとかキリバスなどの南太平洋の国々にはテロがありません。南太平洋には沈没しかかっている国もありまして、国家がなくなるかもしれないわけですから、テロ対策どころじゃないと思っていても、50、100、150という細かなテロ対策をアメリカや日本と同じレベルで求められます。そういう国でも、たとえば大量破壊兵器のテロ規制のために、兵器の部品その他を輸出入する時の厳しい規制がかかるし、銀行を通じてテロ資金規制もすることになります。

 国連からは、半年とか1年おきにチェックがはいります。輸出入の管理、出入国管理、大量破壊兵器の規制等々、どれだけ法整備しましたか、実際にどれだけできましたかというレポートを国連に出すのです。そうすると国連の委員会がチェックして、「全然理解していない」とか「テロ資金規制の仕方を分かっていない」と評価し、そういう国にはとんでいくのです。そして、「銀行でテロ資金を規制するってこういうことですよ」とか、「出入国管理を強化するってこういうことですよ」といちいち教えるのです。世界のいろいろな国の中には、「安保理決議って何ですか?」と聞いてくる外務省の人もいるわけですが、そういう国に対しても、「実はこういうふうに決まったからやらなければいけない」と忍耐強く教えるのです。そういうことずっとやっています。

 インフラ施設防護という対策もあります。日本でも、福島原発事故の後、原発や核施設の防護が大変問題になっております。そんな所を誰が襲うのかと思う方もいるかもしれませんが、世界を見ると襲われているんですね。IAEAなど国際機関は、これも日本は全然できていないと言っています。日本の中で安全保障の専門家と話をしていると、「ああ原子力発電所の防護というと、自衛隊を配備すればいいんですね、重武装して周りを固めればいいんですね」という発想です。でも違うんです。世界から求められている一番重要なことは、内部脅威対策なのです。こういうことを言うと左翼的な人は反発するんですが、そこで働いている人、あるいは出入り業者をきちんとプロフィールチェックするということです。酒飲みなのか、借金がどれだけあるのか、麻薬はやってないのか、等々です。なぜそんなことまでしなければならないのかというと、世界中の犯罪を分析してみると、借金がある人、酒飲みの人は危ないねという結果が出ているからです。ところが、原発を50基も持っていて、内部脅威対策をまったくやっていない国は日本だけです。

 その他、爆発物探知という分野もあります。日本の高校生とか専門学校の学生でも、学校が嫌いで、学校ごと吹き飛ばすとか言ってくるのがいます。実際、薬局とホームセンターへ行って、これとあれとを買えばとてつもない爆弾ができるような状態にあります。幸いにして日本では50人とか100人が死ぬような事案が起きていませんが、海外では日本の高校生や専門学校生が入手できるものを使って、ビルを一つ吹き飛ばしたりする事件が起きています。世界のテロリストが作っているものと同じものを、日本の国内で、専門知識がない人でも、ネットなどで調べればできるわけです。そういうものをどうやって規制するかということで、特に2008年の横浜でのAPEC会合あたりから規制が厳しくなりましたが、薬品を買う時に薬局で対面販売にし、きちんと記録を残すなどのことをやり始めました。指定されている薬品等は11種類あります。

 対策の中では、日本はやっていませんけれども、リハビリテーションプログラムというものがあります。テロリストを捕まえた後、ただ処罰してもだめだから、たとえば、あなたのイスラムの解釈は間違っていますよということを、マンツーマンで教えていくというようなものです。矯正措置のようなものです。

 それ以外も対策はたくさんあります。いろんなことを国際社会はやっていて、そのうち一部は日本もやっていますが、たぶん日本独自でやっているものはないでしょう。

 テロ対策というのを、フェーズ(段階)で考えると良く理解できます(図表4)

(図表4)対テロの5つのフェーズ
対テロの5つのフェーズ

 まず未然防止のフェーズがあります。ちょうど10年前、日本政府が「テロの未然防止に関する行動計画」をつくりました。何をやっているかというと、出入国管理を強化することから始まって、情報の収集の強化まで16項目あり、あらゆる省庁が関係しています。国際テロ対策というと外務省、あるいは防衛省、警察がやるものだと想像するかもしれませし、この3省庁は必ずどこの部分でも出て来ますけれども、全体を見るとすべての省庁が関わっているということになります。

 そういうきっかけになった事件が、リオネル・デュモン事件でした。過激な人が日本に入り込んで新潟に住んでいたんですけど、郵便局の口座なども作って、何度も日本に出入りしていたんだけれど、日本政府は全然気づかなかった。ドイツで捕まってようやく気づいたということで、これが一つのきっかけになったわけです。

 同時に、いくら未然防止をしても、テロが起こってしまう場合があります。アメリカのNSAみたいに国民全体に網を掛けてやっていたら、民主主義国家ではなくなってしまいます。そこで、オウム真理教みたいに、団体規制法で施設ごとちゃんと公安調査庁が監視するわけです。しかし市民一人ひとりを監視するということは無理なのです。そして、テロを起こす人の7割は初犯です。だから、現実には初犯の人が、いきりなりボーンとやるケースが出てくるのです。日本でもそうだし、海外でもそうです。

 もしやられてしまったらどうするのかですが、被害管理、捜査というフェーズになっていきます。警察、消防、自衛隊、海上保安庁などがそれぞれの役割を果たしていく。なんといっても救命救急のお医者さんが大事です。自衛隊というのは、ワン・オブ・ゼムなんです。そして、捜査して必要に応じて国際対処のフェーズに移っていく。

 最後に検証のフェーズがあります。日本には、公的検証の経験がありません。オウム真理教事件もそうでしたし、ペルー日本大使公邸占拠事件でもそうです。失敗したことを含めいろいろ経験しているんですけども、公的な検証が全然ないんです。50ページか100ページぐらいに公的な検証をしたものをまとめていれば、若い人にまずこれを読みなさいと言えるし、読んでそこから考えることができるんですね、それがない。個人的な論文や本で過去の事件を振り返るしかない。アメリカとかイギリスだとか、失敗ばかりしていますが、そこはさすが民主主義国家で、大失敗したことについては、超党派の機関に権限を与えて、きちんとした検証報告書を出しています。その検証を次の未然防止に生かすというのが、この問題のサイクルになっています。

 テロにやられてしまった場合。国民保護行政の出番になります。2004年に国民保護法ができて、10年たちました。全国津々浦々、行政による対テロ訓練がやられています。福井県の永平寺とかあるいは高尾山とか、ここで本当にテロが起きるのかというところでもやっています。

 今年、沖縄の北谷という所で、大規模な訓練がありました。野球場で爆弾が爆発して化学剤(日本の訓練は9割9分サリン)が撒かれたという想定です。油圧防護服を着た警察や消防が出て行って救出するのです。それで外に運び出して、お医者さんや赤十字の人が対処します。

 図上訓練というのもあります。いろんな状況を想定して、警察、消防、自衛隊、自治体お医者さんなどを集めて、与えられる状況に応じて何をやるかという訓練です。

 対テロの新しい技術がどんどん生まれています。有名な企業や大学が関わっています。たとえば、顔認証技術というものがあります。競技場などで大勢の人の中にテロリストがいるのではないかというシチュエーションで、この人がテロリストだというのを、顔認証の技術を発達させて特定してしまうのです。横顔だけでも分かるなど、どんどん顔認証技術が発達しています。ただ、それが実用化されるかどうかは別問題で、次の段階ということになります。毎年、東京ビッグサイトで、テロ対策特殊装備展がやられていますが(写真1)、チケットを持っている人しか入れません。

(写真1)対テロの技術開発・販売促進
対テロの技術開発・販売促進 東京ビックサイトで毎年実施されてきた危機管理産業展

 バイオテロの訓練もされています。先ほどお医者さんのことを言いましたけれども、本当にお医者さんは重要です。僕の感覚では、日本の危機管理の最前線にいるのはお医者さんです。だって、エボラや鳥インフルエンザや、これだけいろんな感染症が流行っているのですから。危機管理の専門家は、顕微鏡で見ている人たちも、感染症について自然に発症しているだけのものだとは見ていません。いろいろいじくれますし、バイオテロに悪用されることを考えたら、そう思わざるをえないのです。ですから、お医者さんを含めて、そういう意識をどんどん高めなければいけません。

 海上テロ対処訓練というのもあります。写真2では、横浜のベイブリッジにドクロマークを掲げてテロの船があらわれるんですが、実際にはこんな船が来ることはないですね。

(写真2)海上テロ対処訓練のおなじみの様子
テロ船は必ずドクロ旗を掲げている!
海上テロ対処訓練 テロ船は必ずドクロ旗を掲げている!

 この船がやってきて、テロ集団が岸壁にあがって不審物を置いたけれども、あっという間に海上保安庁の特殊部隊が来て、ものの5分で制圧しました。これは展示訓練といって、見せる訓練です。あんまり考えない訓練で、実際にはこういう事態はありません。インドのムンバイだったらありました。2008年の11月でしたか、カラチから10人のテロリストが上陸してきて、165人死んだという大テロがありました。日本の周りを見れば、その種の国際テロリストはいません。もし船で来るとすれば、それは某国の不審船であって、テロのための船ではありません。

 展示訓練では財務省も登場します(写真3)。右の写真にCUSTOMSと書いていますが、税関のことです。放射性物質が入っている不審物をチェックする車両なんです。これを財務省の税関が持っているのです。左が爆発物処理車で、不審物が爆発しても運転操縦している人は大丈夫なように防護しており、警察が持っているものです。

(写真3)展示訓練の常連─特殊車両登場
展示訓練の常連 特殊車両登場

 国際的な協力のことに移ります。あらゆる分野、省庁でテロ対策の国際協力をやっています。日本においても、輸出入管理の国際テロ対策のセミナーをASEAN各国を集めて実施するなど、そういうものを毎日どこかでやっています。

 海外におけるインフラ施設の整備も、間接的なテロ対策になりますが、いろいろやっています。アフガニスタンでの日本のテロ対策の全貌がどういうものなのか分かりませんが、いろんなインフラ整備を日本はやっています。たとえばカブールの国際空港でターミナルビルを建てて、それから駐機場などを整備しました。カブールの国際空港は、施設の外だったんですが、去年も今年も実はタリバンに襲われているんですね。それで今年は日本円で44億円を投入して、国際空港のセキュリティを強化するという円借款事業もやっています。

 日本は、国際的に日本はキャパシティビルディング(能力構築)支援といって、いろいろなテロ対策のお手伝いをしています。しかし、先ほど述べましたように、自分たちのことを振り返ってみると、我々は日本で起きたテロの検証をやっていない。これは、今から20年前の1994年の6月28日、長野県松本市であった松本サリン事件の現場です(写真4)

(写真4)「シナリオ」「訓練」「国際協力」も、自国の過去の検証があってこそ!
(松本サリン事件の現場から)
「シナリオ」「訓練」「国際協力」も、自国の過去の検証があってこそ 松本サリン事件の現場から

 現場の風景は当時と変わっておりません。車がある場所にオウム真理教がサリン噴射機を置き、右側のほうにある裁判官の官舎めがけて噴射したのです。その現場です。その後、警察や自衛隊の一部は、オウム真理教がサリンを作っていると分かったんですが、7ヵ月後の翌年の3月20日、地下鉄サリン事件を起こされました。この松本サリン事件があってから地下鉄サリン事件までの間、日本政府はどう対応したのかとか、メディアはどうだったのかとか、一般の日本人は何を考えていたとか、そういうことがきちんと検証されていません。我が身で起こったこと、日本国で起こったことすらきちんと検証してないのに、人様の外国のお手伝いということで、キャパシティビルディングといって、テロ対策ができない国の手伝いをしています。国際的に関与することが悪いとは言いませんが、ちょっとまずいなという気がします。

 日本再建イニシアチブが最近、『日本最悪のシナリオ』という本をつくりました。テロというのはシナリオなんです。確率では出せない。今は誰も死んでないけれども、放置すると大事件になってしまうという事案が実はたくさんあります。新聞を見るだけで分かります。新聞のベタ記事を集めて、いろんなシナリオを作ることが大事です。日本国内だけではなくて、海外でもです。先ほど酒井先生のイラクの話がありましたが、イラクで企業が3件受注していて、無償資金援助もやっています。火力発電所に関する無償資金協力をしている。けれども、情勢が急変していく中で、自分たちの権益だとか人命だとかを守らなければいけない。明日のこと、1年後のことでも正確に予測できないのですが、予測できないからこそいろんなシナリオで将来のことを考えなければならないのです。シナリオってどう書くのかといえば、今起こっていること、過去に起こったこと、これらをいろいろ集めてやるのです。だから私は授業でも、すぐシナリオを書かせます。シナリオ書くと、どこに穴があるかとか、今できないことは何かというのが明確になってくる。だから、シナリオ書くというのが、テロ対策の中で一番勉強になると思っています。

 『「実践 危機管理」国民保護訓練マニュアル』というのは自分で書いた本です。警察、消防、自衛隊、お医者さんとか海上保安庁だとかいろんな方と、いろんなところの訓練に実際に関わっているので、その経験をふまえ、訓練のやり方、どういうシナリオを作ってどう訓練すれば良いのかなどについて書きました。日本国内でもそうだし、海外でもそうですけれども、自分たちの組織の利益だけではなくて、全体的なことをもうちょっと考えないといけないかなと思います。


伊勢﨑賢治 東京外国語大学教授 元国連平和維持軍武装解除部長

非武装自衛隊は対テロ戦争を終わらせるか
伊勢﨑 賢治

東京外国語大学教授、元国連平和維持軍武装解除部長

 今日の話はこれです。COIN(Counter-Insurgency)

 InsurgencyにCounterする。これを通称COIN(コインと読む)です。Insurgencyというのは、“テロリスト”(名付ける動機は非常に主観的なもので、あまり使いたくないのですが)を含め、政府の答弁の中でよく使われる「国に準じる組織」と呼ばれるようなものです。色々な場面で使われるInsurgencyですが、本日これを扱うコンテクストは主にアフガニスタンです。

 一体彼らは何なのか。いろんな研究がされていますけれども、僕なりの定義、というか、同じ人間として彼らと現場で対峙した場合、僕らと彼らは何が違うのか、を考えてみたいと思います。

 まず、「非対称な怒り」。

 現場に赴く僕のような民間人も、国際部隊として赴く兵士たちも、一つの任務として、何千キロも離れたかの地に派遣されるワケですから、そもそも怒りはありません。使命感はあるかもしれません。でも、個人的な怒りではありません。我々も作戦中に同胞が殺された時なんかにはそれなりの怒りは生まれるでしょうが、我々異邦人もしくは異教徒の軍事的な蹂躙へ向かう彼らの怒りを凌駕することは到底ありません。彼らは、こちらが黙って立っているだけで、個人と集団を貫く怒りを保持し、それは彼らの同胞の犠牲によって、増幅し続け、極めて排他的な集団の記憶を形成します。こちらには、「任期」があり、我々の記憶は断続されたものにしかなりません。

 次に、彼らは「民衆の海を泳ぐ魚」であるということ。「泳ぐ魚」というのは、ゲリラ戦で日本軍を困らせた毛沢東の言葉ですけれど、住民の中を泳ぎ、住民をカモフラージュにして、我々が攻撃しにくいような状況を作るということです。下手に攻撃すると、民衆を殺すことになってしまいますから、我々は非常に分が悪い。更に、そういう現地の「法の支配」の空白状況に彼らの「沙汰」を提供し、住民を心理的に従属させ、恐怖政治を敷く傾向があります。これは、1990年後半からタリバンがなぜ急速にアフガニスタンを統治できた理由です。

 彼らを構成するのは、地元社会のシンパから、必ずしも戦闘に従事しないクランデスタイン(連絡係)的なもの、そして、国外で感化されボランティア的に参加し、戦闘経験のあまりないものも含む義勇兵的な者たちがいるでしょうが、やはりコアの戦闘員たちは、上記の圧倒的な怒り加えて、部隊内の軍事的戒律の下にあると考えられます。通常、規律と士気の維持のために措かれる軍法、軍事法廷の存在が、武装組織を「軍」にするものですが、敵前逃亡であるとか、利敵行為とかは即、死罪…、だけでなく、それを敢えて見せしめにするような、前近代、そして今でも発展途上国の幾つかに見られるようなものより更に厳格な戒律の下に、彼らはいます。そして、彼らは国際法や人道法を教育され、理解する環境にいないのです。

 こういう彼らを相手に、通常の軍である米・NATO軍が、米建国史上最長の戦争となったアフガン戦に軍事的勝利を得ないまま今年撤退を余儀なくされるのです。軍法も軍事法廷も持っていない自衛隊が、どう対峙するのか。自衛隊というのは非常に士気の高い立派な組織だと思います。でも、それは、あくまで一つの官僚組織としての話しです。軍事行動というのは、スポーツ根性物語ではないのです。士気だけでは、軍事行動は成り立ちません。逆の立場であれば、愛する家族を、祖国を護るため、震えるような闘争心が、軍規の空白を凌駕するかもしれません。しかし、海外派兵は、単なる一つの外交政策なのです。それも、決定的に非対称な相手を敵とする。

 日本は、これらの点の本質的な議論を全くせずに、「戦闘が起こらない」という前提を国内政局が夢想することによって、自衛隊を海外派遣してきました。自衛隊諸氏の慎重に慎重を重ねた現場判断の連続により、何とか、これまで、“無事故”で乗り切ってきました。COINが支配するこれからの近未来はそうはいきません。

 このCOINというのは、アメリカの陸軍、海兵隊の軍事マニュアルです。酒井さんが言及されたペトレイアス方式は、これです。イラクで最高司令官であったペトレイアスが、当時、治安を一時的にですが挽回した作戦の成果を元に、2006年にドクトリン化したものです。

 軍事マニュアルですから、当然、敵にいかに勝利するかを目的に書かれています。でも、COINが前身のFM 100-5 OPERATIONS 1993に比べても画期的なのは、「海」にゲリラが棲みにくくなるように、人心掌握ということに大きな重点があるという点です。ホストネーション、つまり“優良”な現地政府をどうつくりながらやっていくか。飴をつかませる、同時に法の支配を徹底させる、それを通じてどう人心を掌握するか。それをネーションという概念が歴史上存在したことがないようなアフガニスタンみたいなところで、ホストネーションの再建を通じて法の支配をやるということです。

 多国籍部隊は必ずいつかは撤退しなければいけません。出口戦略が必要です。多国籍軍部隊が撤退した後の治安を誰が担うかというと、もちろん現地の国軍であり、警察、治安部隊であるわけです。最も理想的なのは、ネーションに忠誠心のある兵士を一人一人手塩にかけてつくることです。でも、敵と戦いながらこれをやるわけですから、そう簡単にはいきません。だから、こちら側に味方になってくれそうな連中──これがInsurgencyと区別が難しいので大変なんですけれど──に飴を与えて、一緒に戦ってもらう。そうしながら、ご褒美として後で国軍にしてあげるとか、そういうことをやるわけです。これに失敗したのがイラクだったわけです。

 だからCOINが間違っていることではなくて、難しいですが、こういう法の支配を、とにかくホストネーションの中でつくっていくしかない。これがSSR(セキュリティ・セクター・リーフォーム)です。平たく言うと、健全な国軍、健全な警察を、適正規模で作って法の支配を確立するということを意味します。なぜこれが必要かというと、「沙汰」です。ここが揺らぐとInsurgentが彼らの「沙汰」を提供してしまうからです。人間の社会活動では、それが戦時であろうとも、夫婦げんかも含め、日常生活の揉め事の沙汰が必要です。それを提供してくれるのが警察であり司法であるべきなんですけども、それが機能していないと、地方都市でやくざの親分が仕切るような感じになっていくわけですね。そして、恐怖で人心掌握してしまう。

 2003年、2004年頃、僕がアフガニスタンでDDRをやっていた時に、米軍の中ではさかんに、アフガニスタンの成功をイラクへと言われていました。あいつら、最初はバカにしていたんですよ、DDRを。でも、一旦僕らがやり始めると、DDRの成功が、もしかしたら、「銃の支配」を「法の支配」に転換できるんじゃないか、そして、それをイラクでも、やれるんじゃないかと考えた。今は両方とも大失敗ですけれども、そういう時期はあったのです。それがペトレイアス方式、COINの考え方の土台となっていることは確かです。僕はペトロイアスには会っていませんけれども、イラクのコマンダー達とこの問題で結構やりとりした記憶があります。当時、米のイラクコマンドとアフガンコマンドは非常に密接なやり取りをしていた感じがあります。そして、イラクで短期的な成功を収めたペトロイアスは、次にアフガニスタンで最高司令官になって実践しようとするわけですが、失敗するわけです。

 ところで、アフガニスタンで協働している英国軍もカナダ軍も独自のCOINを作っています。カナダはカンダハルで、イギリスはヘルマンドで、国の特色を活かしながら実践したわけですけれども、カナダは、アメリカは失敗したけど、自分たちのCOINは成功したと言います。カナダのCOINを見ると、民生部門の重要性がオリジナルのCOINよりも強調されています。カナダはPKOの発祥地ですから、カナディアンスタイルを前に出して、アメリカにはできないCOINをやるという、そういうノリだったわけですが、一つの地域で成功したと言っても、あんまり意味がない。

 前回の当会のシンポジウムの僕の話と重なりますが、アフガニスタンの話しを続けます。

 アフガニスタンの軍事作戦は非常に特殊です。2001年9.11同時多発テロが起こると、すぐにNATOが集団的自衛権を発動します。それとほとんど同時に、国連は安保理決議を発する。これは国連としてテロに対抗措置をとりましょうという決議であって、別に集団的自衛権の行使をオーソライズするものではありません。しかし、国連加盟国のあるグループの集団的自衛権の行使に世界が協力するという、集団的自衛権と国連的措置(日本流に言うと集団安全保障)の距離がグッと縮まった感じになります。その後、ボン合意があって、ISAFを安保理がオーソライズします。

 しばらく、NATOの集団的自衛権の行使(OEF)とISAFが併存しますが、のちに2つともがNATOの指揮下に入るということになります。OEFの下にはMIO(海上阻止作戦)があって、小泉政権の時ですけれども、日本はいち早くNATOの集団的自衛権の下部作戦である海上阻止作戦に参加しております。こうして、集団的自衛権の行使と国連的措置(集団安全保障)の限りない合体が確立します。

 「集団的自衛権」は、国連憲章8章とのつじつま合わせのような感じで国連憲章51条に始めて登場した経緯からすると、現代の集団的自衛権の様相はだいぶ様変わりしているようです。このダイナミズムの中で、日本のそれを巡る政局も動いて欲しいものです。

 アフガニスタンはご存知のようにソ連が1989年末に侵攻し、これに対してムジャヒディーンが立ち上がります。これに協力したのがアメリカ、CIA、アラブ諸国であり、ソ連を負かします。その後、アフガニスタンは混乱状態に陥ります。ムジャヒディーン(軍閥達)が、ソ連が出て行った力の空白で誰が天下を取るかで内戦に突入するわけです。そしてアフガニスタンは決定的に疲弊します。そこに、世直し運動としてロビンフッドのような形で顕われたのがタリバンです。純粋に良い奴らだったわけですね。ところが、「沙汰」が行き過ぎて恐怖政治になってくる。その行為は、西側社会から見ると非人道的に映り、それが西側のメディアで盛んに喧伝され、タリバン政権は、国際社会から孤立していきます。

 そして、タリバン政権が匿っていたアルカイダが、9.11を起こします。アメリカ、NATOが自衛権の発動として報復攻撃を行いますが、それと一緒に戦ったのが、元の内戦の元凶であった軍閥達。北部同盟という徒党を組んで、タリバンとの地上戦を支配したのが彼らです。タリバン政権は崩壊。ここで一回我々は勝利したのです。ここから日本も参加して、アフガン復興が始まる。西側社会が考える民主主義に基づいた統一国家をつくるという。

 ところが、ソ連が出ていったときと同じように、またムジャヒディーン(軍閥)たちによる内戦状態が始まった。彼らは、暫定政権の記念集合写真ではニコッと笑って写っていますけれども、地元に帰れば、隣同士で内戦をやり始めたわけです。この混乱の中で、日本が、国家建設のコアであるSSRに関わることになります。健全で、最強で、単一の国軍をつくる、警察もつくる、それで法の支配を確立するということです。

 邪魔者がいます。タリバンを倒して、内戦を始めた軍閥たちです。我々が作ろうとしている国軍よりも強大な軍事力を持った王国が軍閥なのですから、彼らを粛正しなければいけない。それを日本の責任でやることになったわけです。

 アフガニスタンでは、小火器、個人携帯武器は、回収してもキリがないので、焦点は、軍閥政治の象徴である重火器です。そして、武装解除は一応成功しました。現存していた重火器は、この武装解除によって新しい国軍の管理下に移しました。

 問題はここから始まります。武装解除、つまり軍閥の軍事力をなくすと、当然、力の空白が生まれます。だから、タリバンが戻ってくるまでに、国軍や警察をちゃんと作らなければいけない。でも、それには時間がかかる。国軍というのは、一人ひとりの兵士がネーションに対して忠誠心を持たせたいわけですが、こんな国では、そう簡単にはいかない。だから本来は、武装解除を、国軍と警察の成長にあわせてやればいいのですが、それができなかった。

 なぜか。これがアメリカの戦争だからです。アメリカの戦争というのは、大統領の一任期である程度の結論を出さなければいけません。2004年、僕らはジレンマを迎えるわけです。イラクが誰の目にもドツボになりかけていた時です。ブッシュさん再選には、アフガンの成功しかない。ということで、アメリカの大統領選挙の前に、アフガン大統領選挙をやるという厳命が来た。アフガン選挙は武装解除後にこそできる、いや、そうしないと有権者を巻き込んだ本格的な内戦になる、というのがアフガン暫定大統領令に盛り込んだロードマップでありますから、武装解除を国軍と警察の成長に合わせることは、武装解除を遅らせることであり、それは、アフガン選挙を遅らせることです。だけど、それがアメリカの都合でできない。そして、見事に力の空白をつくってしまった。それだけの話なんです。

 その結果、タリバンが復活した。パキスタンでは、今ではTTPと言われていますけれど、パキスタンタリバンという、新しい現象が高揚し、パキスタン情勢が悪化してゆきます。更に、アメリカの軍事的焦点は、悪化するイラクのほうに移っていましたので力の空白に拍車がかかっていった。でも、一番のきっかけは、武装解除なのです。

 オバマ政権になって何が変わったか。前任者が始めた2つの間違った戦争を終焉させるのが彼の選挙公約でしたが、最初に彼がとったアフガン政策は、逆に米軍を増派することでした。2009年に予定されていた2回目のアフガン大統領選挙を力づくで、成功裏に導くことをねらってですね。ところが、投票率は1回目の半分以下でありました。誰の目にも失敗が明らかです。有権者に対するタリバンの脅迫に勝てなかった。

 焦ったオバマさんは、2度目の増派を致します。3万人であります。この時のアメリカ国民は厭戦気分に支配されていて、オバマさんは増兵表明とともに撤退時期を表明するという、軍事的に考えたらメチャクチャなことをしなければならなくなった。この辺から、アメリカの軍事的な勝利はもうないということが明らかになってゆく。

 更に、オバマ政権は、手塩にかけて育ててきたアフガンの国軍と警察を倍増することも同時にやっています。我々の当時のSSRでは、新生アフガニスタン国軍には適正な設計があるはずで、それはどのくらいの規模だろうと侃々諤々の議論をやって、7万以上は維持できないという結論を出していました。軍というのは、どんな国家にとっても一番大きなコストセンターですから、最初からデカイ軍を持たせたら後で困るわけです。ところが2005年、タリバンの戦争が終わってないということをみんな意識しだしたら、これが8万に繰り上げられます。その後、それが13万になり、19万になり、いまや23万5,000ということになっている。NATO撤退までにその規模にするというのです。しかし、これをアフガニスタンが自前で維持できると考えている人間は、アメリカの国防省にはいないでしょう。

 2001年にタリバン政権を崩壊させた北部同盟、アフガンの軍閥たちの兵力というのはたった5万だったのです。それなのに、なぜ、今、軍事的に勝利ができないのか。何か重大なものが足を引っ張っているのです。それは、それを通じてCOINを実現しようとしているホストネーションづくりに重大な問題があるということです。アフガニスタンが「史上最強の麻薬国家」になった所以です。

 オバマ政権が、経済的にも政治的も維持できないアフガン戦の出口戦略として、やろうとしているのは、タリバンとの和解です。アルカイダと和解するのは無理ですが。軍事的な勝利はダメだから、政治的な勝利をということで、そうしようとしている。しかし、負けていると思っていないタリバンが、それに乗って来るか。常識的に考えても疑問です。

 それでも何かやらなければということで、タリバンを司令官レベルとフットソルジャー(一般兵士)の2つのカテゴリーに分け、前者にはポストなどを与え政治的な妥協をめざす。フットソルジャーには、社会復帰事業ということで、タリバンを辞めることと引き替えに恩恵をあげるというものです。勝てると思っている相手と政治的妥協はできません。何かできるのは、フットソルジャーだけ。これに乗ったのが日本。政権をとったばかりの民主党です。数百億円の補正予算を出した。これは重大な間違いです。僕がタリバンの司令官だったらこう言うはずです。「タリバンを辞めたフリして行って来い。恩恵をもらうだけもらって、また帰ってくればいい」。日本の血税がテロ組織の手に渡っていることは間違いありません。

 実は民主党が政権をとった年ですが、NATO関係者や、アフガン戦当事者国の代表を東京に呼んでクローズド会議を開催したのです。

 タリバンとの和解なんて、西側の政治家が言うほど簡単じゃないと身をもって知っている実務家ばかりですから、どうやったら和解できるかじゃなくて、「いつか停戦がやってくるとしたら、その時期をできるだけ早く迎えるために、今、何をしちゃいけないか」を考えることが精一杯でした。

 NATOの現場の将軍達が一番恐れるのは、彼らが仕えている本国の政治家達が、有権者の厭戦気分に支配され、無責任な出口戦略をとるのではないかということです。早い話、アフガニスタンを2つに分ける。パキスタン国境のあたりの部分を「タリバン国」にしちゃおうというような。

 これをやったら多分、対テロ戦の主戦場であるアフガンとパキスタンの国境あたりは、国際テロ集団のサンクチャアリーになってしまいます。これをやったらもうおしまいです。

 この会議の内容の詳細は、拙著『アフガン戦争を憲法9条と非武装自衛隊で終らせる』(かもがわ出版)に譲りますが、会議が終って数ヵ月後、カルザイが任命したタリバンとの政治的な和解の最高責任者が──僕らが武装解除した大軍閥の1人ですけど──タリバンの自爆テロによって殺害されました。これがタリバンの答えであります。

 こうしてみると、はたしてCOIN は失敗したんでしょうか。それとも、単にアメリカが失敗しただけなんでしょうか。

 僕は、単にアメリカが失敗しただけだと思っています。人心掌握が大事であるとか、ちゃんとしたホストネーションを作るとか、それは良いことに決まっているからです。でも、これが我々に実現可能な戦争政策なのかは議論が分かれるところです。なぜかというと、COINは、アメリカの大統領一任期以内で、ちゃんとできるかという問題です。アフガニスタンはもう丸13年、アメリカ建国史上最長の戦争になっているのですが、ちゃんとできていません。僕は、アフガニスタンでのCOINの失敗は、アメリカの弱点と捉えています。それは、他の同盟国、例えば日本によって“補完”できるのか。同盟国全体の戦略論として、日本は“主体性”をもって真剣に考えるべきだと思います。

 さて、「ポスト2014アフガニスタン」です。

 NATOは撤退しますけれども、アメリカは今のところ、1万人弱の残留部隊を置くと言っています。その殆どは、実際の戦闘行為というより、アフガン国軍・警察の訓練の継続、そして側面支援というふうになっています。どちらにしろ、たいへん大きな「力の空白」が生まれることは避けられない状況です。

 過去、ソ連が出て行った後のようにならないために、一体どうしたら良いのか。

 まず、肥大化はしたけれど、せっかく作った国軍の士気を維持すること、それから軍閥政治の介入を絶対阻止することが大事です。アフガンの国軍は、酒井さんが言及したイラクの国軍のように、いざというときは逃げ出すようなものではない、それよりはちょっとマシだと思いたいのですけれども、その士気をなんとか維持するためにも、軍縮を口にしてはいけません。兵士の身分を保障することが、国家に対する忠誠心を維持するうえで重要です。給料が滞ったらどうなるかって、考えただけでも恐ろしいです。せっかく作った国軍が内戦の火種になってしまう。だから、国際社会の長期支援は、10年20年単位で覚悟しなければなりません。兵員削減自体は必要なので、自然な兵員削減をめざすべきです。つまり軍縮を口にしないで、定年になったらそのまま辞めてもらい、補充はしないというようなやり方です。そういうやり方で軍を適正規模にまで持っていく。これしかない。

 それと幹部人事への介入をする。援助しながら、国軍が、脆弱なものであるが“ネーション”を何とか体現し続けるように。内政干渉してはダメなんて生やさしいことを言ってもしょうがない。

 アフガンとパキスタンの国境をどうするか。

 アフガニスタンの国軍というのは、元の北部同盟の人たちの影響力が強いですから、タリバンをつくったパキスタンを基本的に信用しておりません。それが、国境において向かい合っているわけです。この両者の信頼醸成をどうするべきか。いまは、NATOが中に入って、かろうじて三角関係(NATOはアフガン軍と一体だから、歪な△ですが)を作り、国境上で信頼醸成のフラッグミーティングをやっている。そのNATOが出て行き、両軍の関係が拗れ交戦状態になったらどうするか。そういう混乱こそ、Insurgentが一番好むものです。NATOの代わり、それも半永久的に信頼醸成の軍事監視ができる国際社会の仕組みを、ここにつくらなければなりません。それは、現在、小さい政治ミッションであるアフガン国連ミッションのマンデートを拡大し、国連軍事監視団を入れるしかありません。その主力に日本の自衛隊を。

 最後に非常に嫌なことを言わなければなりません。無人攻撃爆撃機(ドローン)です。これは、非常に卑怯な武器であると思います。ですので、僕は、ドローン攻撃は即座に止めるべきだと思います。現在、アメリカのドローン越境攻撃が行われているパキスタンでは、パキスタン軍とパキスタンタリバンとの和平交渉の最中なのです。パキスタン政府として、たまったものではありません。だから即座に止めるべきです。

 でも僕は、ドローン攻撃の「能力」自体は保持するべきだと考えています。なぜ必要か。唯一、実効性のあるInsurgentへの抑止力だからです。空から「お前ら、いつでも、やれるぞ」というのは、今のアフガン、パキスタン国境地帯の状況を見ると、残念ではありますけれど、まだ必要だと思わざるを得ません。ポスト2014アフガニスタンにおいて、ドローン攻撃「能力」の温存は必要です。
大変残念なんですけれども。


シンポ	 対テロ戦争における日本の役割と自衛隊 質疑応答

質疑応答と討論

柳澤 みなさん、どうもありがとうございました。議論になっているアフガニスタンの場合は、私は官邸にいたとはいえ、DDRは遠いところから見ていただけですけれども、イラクについては深く関わっていました。有償35億ドル無償15億ドル、つまり合計5,000億円のお金を出していたし、自衛隊を延べ1万人派遣した。だから、その後のイラクのことを考えて、私なりに昨年本を出して検証、総括したつもりであったんです。けれども、本日のお話を聞いて、そんな生半可な話ではないということが伝わってきました。私は、とにかく自衛隊員全員が無事に帰ってきただけでホッとして喜んでいたわけですが、本当に国としてそれで良かったのだろうかという話です。さりとて、じゃあここで何をやっていったら良いのか。今日の話はどっちかというと、元気の出ない話でしたね。少し自衛隊がお手伝いして何とか良くなるということではない。もっと基本的なところが問われているわけです。

 質問を兼ねて申し上げたいことがあります。アメリカがああいう戦争を始めてしまった。そして、アメリカが決意した以上、誰もそれを止めることはできないというのが、私を含む政府の当時の認識でした。開始した以上はしょうがない、だから何とか手伝うことを考えないということでやってきた。だけど、それはあくまでもお手伝いなので、私は正直、同盟の文脈でアメリカに対するアリバイ作りができれば良いぐらいの感覚でやっていました。だからこそ、こんな所で無駄に犠牲者を出してはいけないということを最優先課題にしたのです。しかし、やはり国のあり方としては、そこに大きな問題がある。日本がやったことが何かの役に立って、少なくとも日本企業が儲けているなら、良い悪いは別としてまだ納得できるんだが、酒井さんがご紹介くださったように、そうなっていない。日本の存在感がどうなるんだろういという話でもあると思います。そういうことも含めて、9.11以来の経験に照らして、いったい何を世界は教訓として学ぶべきなんだろうかということが問われています。

 それから、宮坂さんが、テロの未然防止に関する行動計画に言及されました。あれは私が官邸にいるとき、各省の取りまとめをやらせていただいて作成しました。閣議決定もしていない文章ですが、各省はきちんと動いていただいていると思います。国民保護訓練というのは、政府がお金を出すものですから、各自治体は熱心にやっていただいています。自衛隊に抵抗感が強かったいくつかの県が残っていましたが、沖縄県でもそれが実現したことで、おそらく47都道府県全部これで一回りしたんだと思います。だけど、9月1日の防災訓練も含めて、ああいうシナリオ型の見せる訓練というのは、私たちも実際にやりながらも、ほとんど意味がないなあと思いながらやっていたわけです。そこも検証しなければならない。検証というのはすごく痛みを伴うことなんですが、個人の名誉や痛みの問題ではなくて、主権者である国民の負託を受けた政治が賢くなるために是非必要だし、そういうものを今度は世界に向かって発信していけるようにならなければいけないんだろうと思うんです。

 伊勢崎さんはCOINという戦略そのものにはまだ将来があると仰っているけれども、そういうものも含めて、今日のテーマは9.11からスタートしているんですね。あれ以来、自衛隊を出したり、アメリカを支持したり、お金を出したりしてきたわけですが、短い時間では難しいと思いますけれども、それぞれ何を教訓として一番大事に捉えなければならないかというところを、それぞれの方から補足していただければと思います。


宮坂 フロアーの方からもいくつか質問をいただいておりまして、それも含めてお答えします。本日の主催は「自衛隊を活かす会」ですが、私は自衛隊のことについて全然話していません。テロ対策、対テロ戦略において、軍事力というのは、ワン・オブ・ゼムに過ぎないんです。スモールポテトとまで言いませんけれども、ちっぽけなんです。

 テロの終わり方についてお話します。いろんな研究があります。過去40年間に650のテロ団体がありました。それがどうやって終焉を迎えたかという個別の事例研究もあるし、データを集めた研究もあります。ただ、軍事力で完全に叩き潰した事例は、なくはないのですが、5%ぐらいにすぎません。しかも、叩き潰すといってもすごい時間がかかりますし、大勢の関係ない方々を巻き込むということもあります。最近では、タミールタイガーというスリランカの組織が終焉を迎えましたが、最後の息の根を止めるまで、1983年から武力闘争をし始めて、2009年までかかったんです。軍事力で決着を付けたといっても、それだけの犠牲があるんですね。

 今日話題になっているのは、宗教的なテロ組織だと思うんですが、ライフスパンが長いです。650団体の平均寿命はだいたい8年から9年と言われているんですが、宗教的な団体に関してはその倍が平均寿命です。

 なぜそんなに時間がかかるのか。そんな団体が出てくるのか。やはり、テロの原因というものを考えることが大事です。原因は一言では絶対に言えません。戦争の原因が一言で言えないのと同じです。そこにはもちろん貧困だとか抑圧だとか、いろんな内発的な要因もあると思いますが、それだけではない。きちんとテロ対策をしていれば防げたものもある。外発的な要因、内発的な要因、あるいはリーダーの資質とかいろいろあるんです。どんなケースをとってもそうです。「テロの原因はこれだ!」と一言でいうような理論があるとすると、それほど怪しい理論はないです。もしそうであるならば、とっくにテロなんて世界からなくなっています。しかし、この40年間、先ほど言ったようにテロ組織が650団体ぐらいありますが、そのうちの30%はまだ続いているんです。一番長く続いているテロ組織ってご存知です?クークラックスクランで、もう140年アメリカで活動しています。

 テロの原因もいろいろあって難しいですね。テロの第3の波──僕はそう呼んでいますが──は続きます。しかも、今後、過激な環境保護を掲げたテロ組織が出てきますので、それが第4の波になるかもしれず、そういうことを考えると、当分我々の社会からテロリスト、テロ組織を排除することはできません。即座に排除したいんだったら、北朝鮮みたいな全体主義国家になればいいんです。ああいう全体主義国家はテロがありません。国自体がテロ国家ですから、テロ組織はあそこで活動できません。

 つまりそういうことです。イラクだって、独裁政権の時代、サダム・フセインの時代にはほとんどテロがありませんでした。サダム・フセインが倒れてから、あれだけテロがおきたのです。リビアも、カダフィ大佐の時代には、彼自身がテロをやっていましたけれども、国内ではテロがなかった。カダフィがギブアップして、独裁政権が倒れ、カダフィが死んだ後、武器が流出したりして、すごい状態になっています。

 だから、安全保障のことを考えると独裁政権は良いものだということも、国際政治では議論されます。人権的にはダメですけれども、安全保障のことを考えると、独裁政権だって利用しなければいけないという気がします。

 いろいろな要因が重なるテロをどうすれば良いか、教訓は何かという問題です。我々はすべてを見ることができませんので、日本が経験したこと、日本が海外で関わったことから考えましょう。去年、アルジェリアで日揮の社員を含めて大勢の日本人が犠牲になりましたが、どうしてああいうふうになったのでしょうか。アルジェリア軍に任せたからでしょうか。他の国だったらもっとうまく救出作戦ができたのか。自衛隊にはその任務をもった中央即応集団というのがあるけれど、一度も外でオペレーションしていませんが、できるんだろうか。

 そういうことを考えると、自衛隊ができること、できないことにしぼって議論するやり方は、申し訳ないんですが興味ないんです。日本の権益がかかる事態だとか、日本人が犠牲になることって、たくさんあります。そして日本がやるべきことは、外交、自衛隊、あるいは警察をはじめ、いろいろな手があります。だから、何ができるかできないかということは、もう少し整理をして、共通の議論ができるようなレベルになればいいかなという気がしてなりません。


柳澤 ありがとうございます。今のお話にもあったように、テロのルート、コーズ(いずれも原因)にアプローチしなければいけない。だからアプローチは千差万別であるわけですね。

 ただ、なぜテロの新しい波が来ているかということを考えた場合に、グローバリゼーションとの関係があるような気がするんです。イラクの人を見ていると、結婚式でも何の時でも、よく鉄砲を撃つんですよね。喜んでは空に向かって鉄砲撃つし、お葬式でも鉄砲を撃つ。それが彼らの自己表現、自己実現なんです。だけど、そのルール・やり方というものが、他を傷つけることによってしか自己実現できない状況とは何なんだということを考えていかなければいけない。そこに日本としての自己実現の仕方、日本国としてどういう形で自己実現するかということを重ねて考えていく視点が大事なような気もします。原因は一言で言えないと仰っている人に、ではアプローチってどうでしょうかと聞くのも変ですが、コメントを頂ければと思います。


宮坂 根本の原因ということで指摘されるのは、社会的な状況とか、貧困とか抑圧とか教育、そういうようなことです。直接それがテロの原因とは言えないとは思うんですが、背景としては、当然それは考えられるわけです。南米のペルーにおけるテロを例にとると、テロ組織に入っているメンバーを見れば明らかなように、特定の貧困地域の人が入っているわけです。しかし、現在最も暴れている人たちを見ると、必ずしも貧困層の出身ではない。

 しかし、これだけは言えると思うんです。ある理論として言われています。テロが多い国、内紛・内戦が多い国というのは、やたら15歳から24歳の人口が多すぎる。そして、高等教育を受けても職業に就けない。そういう相関関係はあるんです。そこで日本が何かできるかというと、ちょっと分からない。分析は進めなければいけないんですけれども、できないことはやらないことが大事です。自衛隊もそうですけれども、できないことには手を出さない。新しいモンロードクトリンみたいにですね、様子を見るということです。ただし、情報は取らなければいけません。自衛隊を出すというと軍同士で情報をくれるので、ちょっとアンビバレントですが。「自衛隊を活かす会」の趣旨に反するかもしれませんけれど。


酒井 今、宮坂さんのほうから、「自衛隊を活かす会」という名前に合わないけれどというお話がありましたけれども、私がこれから言おうとしていることにも、そういう面があります。というのは、今日はずっと自衛隊のことを主語にして議論してきたわけなんですけれども、私は根幹として一番問題なのは、外交不在になっているということだと思うからです。外交なしに自衛隊をどうするかということばかり言われている。今議論されたテロの原因という話も、自衛隊が考える話ではないはずです。これは外務省というか、外交をやる上で考える話です。貧困だの何だのという話がありましたけれども、たとえばODAで済まされることはたくさんあるはずなのです。もし貧困が原因だったらそれで済む。あるいは、私は基本的に中東でテロといわれるようなことが起こっている背景は、一般の政治闘争が政治の舞台でにっちもさっちも行かなくなって、軍事力に依存する傾向が生まれていると理解しています。ですから逆に言えば、その政治構造のところで解決がつくのであれば、テロに行く必要はない。

 パレスチナ問題にしてもイラク問題でもそうですけれども、国際社会の外交の舞台で、交渉の中で解決ができていれば、テロに至らなかった事例というのは、山のように挙げられます。もちろんその中には、最初から武力を使うということを前提で動いていて、ただ暴れたいがために「私をアルカイダの一員にしてください」みたいな感じで動いているような変な人たちもいます。けれども、暴力に依存する大半の紛争というのは、政治的な解決がにっちもさっちも行かなくなったから、その方向に行ったのだと思っています。そういうことを考えれば、ちゃんと外交をフルに起動させるということに話を戻すべきなのではないか、その上で自衛隊に何ができるかということを考える必要があると思っています。

 さらに私が問題だと思っているのは、自衛隊をどう使うかということで、外交的な文脈とまったく無関係のところで、あるいは一部の外交分野しか見ずに、自衛隊をどういうふうに使うかを考える議論が横行していないだろうかということです。もう少し露骨な形で言ってしまえば、アメリカとの関係を最優先するために自衛隊をどう利用するかということに議論が行っていることです。自衛隊をどこでどういうふうに使うかということについてのリアリティがあまり考えられていない。たとえば、イラク情勢が悪化しているといいうことで、安保法制懇は、ペルシャ湾に掃海艇を出さなければいけない、アメリカからの要請があった時に応えなければいけないと言います。イラクの情勢をリアルに見ないで、ただアメリカだけを見て、さあ自衛隊を使いましょうという話になりがちです。そこが一番危ないのではないかと思っています。

 自衛隊がペルシャ湾に掃海艇を出したらば、事態がより混乱するということを言っているのではありません。ペルシャ湾に掃海艇を出すべきだと考えている人たちは、今ペルシャ湾がどれだけの危機にさらされていて、自衛隊を出せばどんな危険な状況が訪れるかということはまったく関係なく、アメリカとの文脈だけで議論しているということです。その危険性を考えなければいけない。

 逆に言うと、例えばイラクと日本の直の関係で、どうしてもイラクの国内でも自衛隊に是非来てほしいと言われて、自衛隊も十分にやれることがあるというふうに、2国間で考えて判断をするのであれば、それはそれで必要だと私は思っています。そこは最初からノーということは決してありません。しかし、全然違う目的で、ただアメリカに恩を売るために、じゃあ自衛隊を出しましょうということにして、その口実として適当に危機があるからというやり方をとろうとしている。そういう判断に陥っていることが危ないんだと思います。

 文書で質問がありました。自衛隊をイラクに出したけれど、イラク戦争後日本企業が進出していない、他の国々の企業が多く進出しているのはなぜかというものでした。これはちゃんと分析できていないので、なかなか的を射た回答を言えるわけではないんですけれども、外交が重要だという文脈で考えると理解できることがあります。自衛隊をイラクに出したということで、サマワに自衛隊がいる間、おそらく日本の対イラク外交というのは、いかに自衛官に一人も死者を出さないようにするかということ一本に絞られてしまったと思うんですね。そこに絞ったからこそ、民間人は出すなという話になったわけです。逆に言うと、他にイラクに軍を出している国、あるいは出していない国は、そんな心配はしないで、自己リスクでどんどん出て行って、そっちのほうで話を進めているんです。そういう意味で、多面的な外交がとぎれたことの問題点が出ているのかなと思っています。


加藤 この問題の教訓は、力によっては自由と民主主義は押しつけられないということです。アフガニスタンからは、かつてはイギリス、そしてソ連が、今度はアメリカが撤退することになりました。私たちがこれからじゃあどうすべきかを議論するためには、私たちがどのような世界を目標としているのかということが大事です。外交も、さらにはそれをふまえた上で自衛隊もどう活かしていくかを考えるうえでは、私たちが夢見る世界って一体どういう世界なのかというところに共通認識がないのが、やっぱり一番大きな問題だろうというふうに思っています。


柳澤 さっきの酒井先生のお話にまったく同意します。私はアメリカとのお付き合いを最優先に官邸としての政策を立てていたと思いますし、そういう観点で、民間人が行っちゃったら自衛隊が行く意味がないということを考えていました。その点では、民間が行けるほど安全ではない、しかし自衛隊がバタバタ死ぬほど危険ではないという、そういう状況が一番望ましかったわけですね。だからそれ以上のことができなかったのだと、お話を聞きながら、「ああそうか、そこもあったな」と思いながら聞いておりました。そこに問題があるので、日本がアメリカとどういう立ち位置で付き合っていくのか、そこを突き詰めなければならない。じゃあ日本独自で平和構築をやっていくかというと、軍事的なところではやはりアメリカの存在というのはなくてはならないと思うんです。アメリカなしで治安が対処できるような世界というのは、実は難しいだろうと思います。ただ、小泉さんが仰ったように、──私は小泉総理のキャラは嫌いじゃないんですが──「アメリカとさえ旨く行けば、後の国は何とでもなるんです」という発想がいかんのだと思うんですね。それぞれの国には外交の目標があるし、アメリカと同じことをやるということではなく、あるいはアメリカから自立するために核武装するということでもなくて、物の根本の考え方において、アメリカという要素を1回抜きにして──完全に落とすことはできないけれど──日本ならこれだという軸を持つということが一番大事なことだし、私がこの「会」の議論を通じて模索していきたいと思っているのも、そこのところだということを申し上げたいと思います。

 いや本当に今日はすごくホットなテーマで、本当は倍ぐらい時間がほしかったです。発言者の方にもご不満だったでしょうし、オーディエンスの方々にもご不満が残ると思いますが、会場の時間が極めて厳格に管理されておりますので、今日はこれで終わらせていただきます。これに懲りずにいろいろお付き合い頂ければありがたいと思います。長時間、お付き合いいただきまして、誠にありがとうございました。