発足の記者会見と第1回シンポジウム「護憲」を超えて① 自衛隊の可能性・国際貢献の現場から

発足記者会見と第1回シンポジウム「護憲」を超えて①

自衛隊の可能性・国際貢献の現場から

2014.6.7 岩波セミナールーム

主催/自衛隊を活かす:21世紀の憲法と防衛を考える会(略称:自衛隊を活かす会)

柳澤協二 元内閣官房副長官補

「自衛隊を活かす会」は何をめざすか
柳澤 協二

元内閣官房副長官補、国際地政学研究所理事長

 みなさん、こんにちは。本日は足元の悪いなか、お越しいただきありがとうございます。

 大変狭い会場で恐縮であります。比較的地味な広報しかしなかったもので、これくらいの広さで大丈夫だと思ったんですが、次回以降はもう少し大きな会場にしたいと思います。

 このたび、私、伊勢﨑賢治先生、加藤朗先生が発起人となり、「自衛隊を活かす会」(略称)を立ち上げさせていただきました。なぜこの「会」なのかということだけを、冒頭、お話しさせていただきます。

 昨今の集団的自衛権、憲法解釈見直しの議論を聞いていますと、政府のあげる一つひとつの事例が、非常に現場のリアリティーが乏しいものだと私は感じております。また、もう一つの大きな問題として、集団的自衛権を行使するようになることによって、あるいは国際貢献の現場でもっとたくさんのケースにおいて武器を使うようになることによって、日本がどのような戦略目標を達成しようとしているのか、その戦略論がまったく見えないということもあります。戦略論がなくて、かつ具体的な現場的なリアリティーがないということになると、基本的にもう議論にはならないということだと思うんです。

 それに対して、どういう議論が必要か。たんに憲法を守れとか、戦争をする国になっていいのかという、そういう批判の仕方では、日本人のおじいさん、おばあさんを守らなくていいのかという、安倍総理と同じレベルの話になってしまって、まったくかみあわない議論になってしまうと思うのです。どちらかというと護憲派と言われる方々は、いままで自衛隊が防衛の現場や国際貢献の現場で何をやっているのか、知ろうともしないできた方が結構多いわけでして、安倍総理を批判するのに不可欠な現場のリアリティーをもっておられない。

 戦後これだけ時間がたって、戦争を経験された世代も徐々にフェードアウトされて、世代交代が進んでいます。そのなかで、日本の原点というものを一度見直さなければいけない時期に来ているというのではないか、それがこの問題の本質的な論点だと私は思うのです。いまの政府がやろうとしていることの結論がどんな形になろうが、この問題はそういう意味で今後の日本にとって、ずっと投げかけられ続ける問題だと思います。ぜひここで、しっかりかみ合う議論の土台を作っていかなければいけないと考えています。「会」のシンポジウムが、「『護憲』を超えて」ということをサブタイトルにしているのは、そういう意味合いがあります。

 そこで、本日は国際貢献をテーマにして、まずは現場を本当にご存知の方から、いま現場でどういうことがあって、何が求められてということをお聞きしたい。政府の15事例のような訳のわからない話ではなく、現実のニーズが何で、自衛隊はどんな形で苦労をしているのかという所を中心につかむことによって、地に足の着いた材料をもって議論をしていけるようにしたいと思います。


スライド:21世紀の海外自衛隊のリアル
半田 滋

東京新聞論説・編集委員


伊勢﨑賢治 東京外国語大学教授 元国連平和維持軍武装解除部長

対テロ戦争における日本の役割 アフガンを事例に
伊勢﨑 賢治

東京外国語大学教授、元国連平和維持軍武装解除部長

 本日の僕の話は、いま話題になっている集団的自衛権の行使です。

 国際法上許された武力行使は、Self-Defense, Collective Self-Defense, Collective Securityの3つですが、日本では、個別的自衛権、集団的自衛権、集団安全保障という訳が当てられています。集団的自衛権と集団安全保障の区別がつきにくい。集団安全保障は、国連の安全保障理事会が決めて何かをすること(UN Security Council Measure)ですから、集団的自衛権と混同しないように「国連的措置」と言うほうがいいと思います。集団的自衛権を行使する主体のなかで、一番大きいのがNATOですが、その戦争と付き合った僕の経験から、近未来がどうなっていくのかということを見てみたいと思います。

 日本では9条との絡みで、集団的自衛権はあるが、行使はできないと解釈されてきました。そのお陰で、集団的自衛権というと、なにか「悪」のような感じがあります。しかし、国連憲章では、個別自衛権と集団的自衛権は、固有なものと位置づけられていますから、これから国際情勢を観る時に、その日本特有のバイアスを一旦取ってみましょう、と。これが、今日の僕の話の前提です。

 いま戦われている集団的自衛権の行使で最大のものは、「悪の枢軸国家」を見据えたものではなくて、いわゆる非対称戦です。つまりゲリラとかテロリスト、日本的に言うと「国家に準ずる武装組織」、もしくは、その国家を跨ぐような非合法組織を相手にする戦争のことです。その戦場がどんどん大きくなってきて、ご存じのように、米・NATOの集団的自衛権戦のアフガニスタンで、現在、軍事的な勝利のないままの撤退を我々は迎えようとしています。そこが今日の話です。アメリカ建国史上最長の戦争です。アメリカ人はこんな長い戦争を戦ったことがないのです。我々日本人は一番の親米国を名乗るなら、このことを深く認識するべきなのです。

 タリバン政権があった1990年代の後半からお話します。もともとアフガニスタンの歴史は内戦の歴史みたいなものでした。そこに冷戦期のソ連が侵攻し転機を迎えます。アフガンと外からの義勇兵でなるムジャヒディーン達は、米、金満のアラブ諸国から支援を得てソ連を倒すのですが、その後、アフガニスタンは共通の敵を失った力の空白状況で熾烈な覇権争いの戦場と化します。一方で、同じくムジャヒディーンのビンラーディンのアルカイダが湾岸戦争を機に米に牙を剥き始めます。タリバンは、ムジャヒディーン(軍閥)たちが繰り広げる内戦で荒廃したアフガニスタンを世直しする運動として始まるんです。いい奴らだったんですね、最初は。イスラム教に基づいた純粋な国家をつくるという旗印で支持を急速に延ばし政権を握るのですが、“純粋”が行き過ぎて恐怖政治を敷き始めた。女性の権利の抑圧、公開処刑などが過度に報道され、国際社会から孤立していきます。そして運命の9.11が起こります。

 戦争の概念が変わったと言われています。普通であれば刑事事件であるテロが、戦争に昇華した。ブッシュ政権時です。

 現在、「テロとの戦い」は、大きく敵を2つ想定しております。一つがタリバンです。もう一つがアルカイダです。それでテロリストとの戦いが始まるんですが、この戦争の本質は、「敵は誰?」ではなくて、「敵は何?」です。

 日本でもオウム真理教事件がありました。敵は、過激化という社会現象と捉えるべきです。つまり国境を越えてどこでも発生する。ある意味、地球全体が戦場といえるかもしれない。

 アフガニスタンでは2つの軍事作戦が同時進行しています。一つは、不朽の自由作戦(OEF)です。アメリカの報復攻撃とほとんど同時にNATOが集団的自衛権を発動し、アメリカの指揮がNATOに移ってずっと続いています。OEFはNATOの集団的自衛権の行使です。もう一つがISAF(国際治安支援部隊)。国連憲章第7章下、国連安保理決議にもとづくもの。集団的自衛権ではなく国連的措置です。でも、このISAFもNATOの指揮下にあります。ですので、この2つの軍事作戦は現場に行けばほとんど区別がつきません。敵も区別して撃ってくれません。非常にわかりにくいんですが、この2つは法的な根拠は全く違います。

 このOEFのもとには下部作戦があります。インド洋上の海上阻止作戦があります。これに当時の小泉政権はいち早く賛同し、海上自衛隊を派遣し、海上給油活動を行いました。この後、オーストラリアとかニュージーランドなどのNATO非加盟国が陸軍を派遣しますけれども、非加盟国として最初にこの戦争に参戦したのは、この日本でしょう。まともに考えるとめちゃくちゃですが、当時僕は、国連的措置であるISAFに自衛隊を送るべきだって言ったのですが、メチャクチャ危険です。確実に誰かが死んでいたでしょう。結果的には集団的自衛権の行使であるOEFのほうが安全でよかったのですが、国連的措置ではなく集団的自衛権の方に参加するという日本の対応は、法的な説明はチョット困ります。

 タリバン政権に対するアメリカの報復攻撃は、空爆です。地上戦をほとんど戦っておりません。戦ったのは、タリバンを共通の敵とするアフガンの軍閥たちです。そして、ビン・ラディンやオマール師を取り逃がすけれども、いったん、ここで勝ちます。

 ここから占領統治が、僕らはアフガン復興と呼びますが、始まります。そして東京会議が国際協力のキックオフとなります。2002年の1月です。小泉さんとかパウエル国防長官が共同議長で、この時の日本は花形でした。このチョット前に、ドイツのボンに対タリバン戦の勝者たち、軍閥たちですね、そしてタリバン政権時に亡命していた政治グループを集めて暫定政権を組閣しました。大いなる実験の始まりです。この無法地帯に民主的な統一政権をつくるという。

 タリバン倒して、めでたしめでたしとはいかなかった。なぜかというと、この軍閥の連中の覇権争いが始まったからです。多民族国家の性です。アラブの春の後もそうですけれども、革命で強権が倒れた後というのは、混乱しか待っていません。独裁政治を肯定するわけではありませんが、人が死なないという観点からすると、強権が必要な国もあるのです。

 暫定政府樹立!で、集合写真でニコっと笑っているヒゲもじゃの連中が、実は地元に帰れば、領土争いのために内戦をやっていたのです。アメリカを中心に国際社会が新しい中央政権を首都カブールにつくっているそのまわりに、こういう軍閥の王国が9つあったんです。

 民主国家をゼロからつくる。その基盤となるのはSSR(Security Sector Reform治安分野改革)です。何を目指すか。銃の支配ではなくて、「法の支配」です。その法が実行力を持つには、2つの組織、国軍と警察に、国に存在する武力を独占させなければなりません。国家が独占する戦力が、最強であり、できれば唯一のものである時。これを我々は「秩序」と呼びます。それがないと、非合法なものが入ってくる。そいつらが法の支配を提供してしまうわけです。やくざが支配する地方都市みたいに。悪い奴らをボコボコにしてくれるのはテロリストということになったりします。民衆は、常に、胸がすく「沙汰」を求めるのです。

 それをきっかけとして恐怖政治を敷く。そして、その地域を支配する。これがテロリストの典型的なやり方です。これを絶対させてはいけない。我々の「法の支配」が提供する「沙汰」に民衆を帰依させなければならない。これが、SSRの目的であり、後で言う、米軍の軍事ドクトリンなのです。

 当時のアフガニスタンで、これをやるにあたって、一つの大きな障害がありました。それが軍閥の存在です。首都カブールを除くアフガン全土を軍閥が軍事力を持って支配していたわけですから。アフガニスタン全土に「法の支配」を及ぼすには、彼らが障害なのです。彼らが持っている武器を、全て「法の支配」下に集約しなければなりません。これが、武装解除の目的です。武装解除して、「法の支配」が独占する唯一の新国軍に編成するということです。つまり、単一の新しい国軍を作るための武装解除です。

 それをアフガン最初の総選挙までに完了しなければなりません。なぜ選挙が大切かというと、アメリカ国民に対して、外交政策としての戦争の正当性を示さなければならないからです。アメリカ国民が信奉する同じ民主主義がその国に根付いたということを実感できなければ、戦争への支持は揺らいでしまいます。

 武装解除に当たって我々が注目したのは、軍閥の力の象徴である重火器です。軍閥をいかに粛正し、重火器を新しい国軍に移管するかということが、武装解除の一番重要な目的でありました。

 日本がやった武装解除が成功(完了)したため、当時、僕らがよく米軍幹部に言われていたのは、日本は「武力行使なしの軍事的貢献」をしているということでした。そして、当時、彼らからよく聞かれたのは、「アフガンの成功をイラクへ」でした。イラクが内戦の体を呈し始めた頃です。

 武装解除が成功したかどうか。「政治的」には、軍閥政治を崩壊させたということで成功かもしれません。「軍事的」には。「力の空白」をつくりだしてしまったことは確かです。タリバンと地上戦を戦い、パキスタン側に追い出し、それ以降も「抑止力」として機能していたのは、軍閥でした。軍閥たちも、武装解除を拒否するためにいつも言い訳していたのは、「俺たちがいなくなったら、タリバンが戻ってくる」でした。それでも、武装解除が政治的に必要だからやってしまった。

 ところが現在、タリバン的もしくはアルカイダ的なものが、アフガンの国土のほとんどを「実効支配」しています。軍備的には比較にならないほど我々の方が優勢なのに。

 本来、武装解除というのは、この「力の空白」に対処しながらやるのが鉄則です。国連がやるならば、必ず、中立な武力としてのPKFを大量に入れます。アフガニスタンには、これがない。だから、手塩にかけて作っている国軍と警察の成長に合わせて、武装解除をやるのが一番良いのです。

 選挙は?武装解除は順調にすべりだしましたが、まだ全体の20%ぐらい。まだ軍閥たちの軍事力は強大でした。新しい国軍は、まだ数千名。警察も弱い。タリバン時代は抑えられていたが、タリバン崩壊後、軍閥たちがせっせと再開した麻薬の栽培と密輸は全くとまらず。どう見ても、選挙をやる環境は整っていない。

 じゃあ、選挙を遅らせればいいじゃないか。でも、それができなかった。2004年のことです。この時、ワシントンから在アフガン米軍に対して、厳命が下ったのです。同年のアメリカの大統領選の前に、アフガン選挙を力づくでやれ、と。イラクがドツボになっていた当時、ブッシュの再選に必要だったからですね。アメリカは更に、選挙を実施するに必要な「見せかけの治安」をつくるために、ドイツが責任国であったアフガン警察創設に横から入り、僕らが武装解除しているのに、ロシアから最新鋭のカラシニコフを輸入し、数週間で大量生産した警察官に配りました。これが、その後、世界で最も腐敗していると言われる現在のアフガン警察です。我々の戦争は、アメリカの大統領の任期に左右されるのです。

 武装解除によって、軍閥やその下の司令官たちの軍的なランクは全て剥奪しました。一般市民に戻したわけです。だからと言って彼らの地元での影響力は弱まるわけがありません。もともと親分みたいな人たちですから。そういう人たちが選挙に立つと、どうしてもしがらみで投票が行われ、当選してしまうのです。麻薬の半分はこいつらがやっていることは間違いありません。カルザイ大統領の親戚もです。

 オバマさんになってどうなったか。選挙公約は、前任者が始めた2つの間違った戦争を終わらせることでした。だけどオバマさんが就任直後に最初にやったのは逆です。1万7,000名の米軍増派でした。

 これはたぶん僕がオバマさんの立場でもそうしたでしょう。なぜかと言うと、アメリカに「敗北」はあってはならないのです。撤退するなら勝利を見せかけなければならない。実は、もうこの頃すでに軍事的な勝利はありえないだろうと、NATO諸国も含め分かっていたのですが、敗北じゃ困るわけです。だから、少なくとも政治的な勝利をと。民主主義が確実に根付いたということを証明して花道にしたい。それには2009年の2回目のアフガン選挙を力づくで遂行する。それを成功させるための米軍増派だったわけです。結果はどうだったか。

 大失敗でした。これだけ増派して、治安を確保しようとしたのに、有権者が行ってくれなかった。投票率は1回目の半分です。投票したら殺すというタリバンの脅しに有権者は負けました。それでオバマさんは2度目の増派を発表する。3万人です。この時には悲鳴を上げたのはアメリカ国民でした。約束が違う、と。この辺から、この戦争はもはや「ブッシュの戦争」ではなく、「オバマの戦争」と認識されるようになってゆきました。

 それで、オバマさんはこの2回目の増派と同時に、軍事的には信じられないことを国民に対して言わなければならなくなります。撤退時期の表明です。これから増派するという時に撤退時期を表明したら何の意味もありません。敵がそれを聞いたら、どう思いますか。

 そして、もう一つ、とにかく敗北と見せかけないための撤退計画として、破れかぶれの戦略を立てました。それが、アフガン国軍の倍増計画です。アフガニスタンでは、国家という概念が歴史上あまり存在しなかった。みんな、国家ではなく、どの軍閥に付くかが文化だった国です。だから、国軍に関しては手塩にかけて時間をかけていたんです。

 我々がやった最初の設計のSSRでは、アフガンの新国軍は7万人が限度でした。近い将来に渡って最貧国の一つであり続けるだろうアフガニスタンには、それが限度だと。ところが、タリバンの再来を実感し始めた2005年には、計画兵力を8万人にした。いまは23万5,000人です。

 これが達成されたら、アフガニスタンは地上で最も軍事化された国の一つになるでしょう。こんなの維持出来るわけがないことは誰の目にも明らかです。

 実は、2001年、タリバン政権崩壊させた北部同盟の兵力っていうのは、実は約5万だったんです。CIAの情報からこれは明らかになっています。ところがいまは、国軍がこれだけいて、NATOなどの外国軍がまだ10万人ぐらい残っていて、当時を上回る空軍力を使っているのに、タリバンに負けているのです。何かが根本的におかしい。

 軍事的な勝利がない戦況。でも、当時は「アフガンの成功をイラク」という時期があったのです。その後、イラクにおいて、米軍はそれをドクトリン化しました。それが通称COIN(コインと読む。Counter-Insurgency)と言われる米陸軍、海兵隊フィールドマニュアルです。毛沢東の言葉が引用されています。ゲリラは民衆の海を泳ぐ魚、と。つまりゲリラは民衆の中を泳ぐ、そうすると誰がゲリラかわからない。だから、日本軍を負かしたわけです。だけど、それを逆手にとれば対テロ戦に使える。つまり、民衆をこちら側に付けてしまえば魚は干上がるのです。

 対テロ戦は人心掌握戦なのです。Winning the People ウィニング・ザ・ピープルなのです。米兵がチョコレートを配ることではありません。対テロ戦の戦場になっている国家を民衆が帰依できる優良なものにし、それを通して掌握するということです。その中で、安全保障パラドクスの一つとして、軍事力を使えば使うほど逆効果になるということが全体のトーンを支配しています。肝に銘じろということなんです。

 これが、アメリカの軍事ドクトリンなのです。その後、イラクでは地位協定の改訂のネゴの失敗から完全撤退し、今はシリア情勢と相まってアルカイダ的なものが勃興しています。アフガニスタンでは、努力の甲斐もなく、軍事的な勝利がないまま撤退を余儀なくされている。大失敗です。勝てませんでした。我々が手塩にかけて育てた傀儡政権が地上で最も腐敗した政権の一つになり、人類史上最強麻薬国家を作り上げてしまいました。

 しかしこれはCOINの失敗なんでしょうか?それとも、アメリカの失敗なんでしょうか?僕は、アメリカが失敗しただけだと思います。殲滅できないテロを軍事的に殲滅しようとするより、テロが棲みにくい社会をつくる方が良いに決まっているじゃないですか。でも、アメリカにはできない。それだけです。

 2014年は歴史的な年です。米・NATOが軍事的勝利のないまま撤退する年です。ですので、アフガニスタンは不可避的に「タリバン化」もしくは「原理化」します。問題は、ここで止まりません。この問題の源泉である隣国パキスタンです。この国の問題を考えるには、敵国インドとの関係を考えなければなりません。この2大“違法”核保有国の領土紛争の現場はカシミールで、アフガニスタンと目と鼻の先です。そして、カシミールでの領土紛争には中国も一枚絡んでおります。つまり、ここは、三大核保有国の係争地なんですね。

 ポスト2014の問題は、このようなRegionの視野を持たなければなりません。「過激化」させないためにはどうするか。特にパキスタンで原理化、過激化が進行し、その核が準国家組織に拡散したら?そんな悪夢のようなことを現実として考えなければならないのです。COINのチャンレンジは続くのです。

 アフガニスタンとパキスタンの国境のような、過激化の温床となるところは、貧困や構造的な暴力の被害地域でもあります。「法の支配」が届かないからなんですが、治安が悪いから開発を届けられない。こういう悪循環の犠牲になっている地帯です。どうすればいいか。従来の開発援助の手法では太刀打ちできません。

 いま現在、この国境地帯では、アフガニスタン国軍とパキスタン国軍が配備されていますが、NATO軍をその蝶番(ちょうつがい)として三角関係の信頼醸成装置が機能しています。ア軍は、タリバンと戦った元北部同盟の息が強いですから、そのタリバンを支援してきたパ軍を全く信用していない。だから蝶番が必要だったのですが、NATO軍が撤退して、もし両者がケンカすれば、そういう混乱こそ、テロリストにとって有利なものはありません。NATOに代わって両軍の信頼醸成を図り、テロ組織に共同で対峙する仕組みを構築しなければなりません。

 いまアフガニスタンでは、タリバンとの和解を、軍事的な勝利に代わるもう一つの政治的な成果として進めようとしています。そのため、いま我々は、アフガン側タリバンとパキスタン側のアルカイダ的なものとを区別しなければならない状況にあります。アルカイダは許せんけど、アフガン側タリバンは違うと、無理にでも信じ込もうとしないと持たないんです。アメリカを始め国際社会はもうなにも打つ手がないのです。だから、とにかく国境に国際的な目をおいて、「タリバンよ、お前の言い分も聞いてあげるけど、絶対にパキスタン側のアルカイダ的なものとは手を切ろうよ」ということでやるしかない。

 そうしないと、米・NATOの撤退に伴う「タリバン化」は、このRegion全体の原理化、過激化の決定的な引き金となってしまうのです。

 国際社会では、NATOがやってきたことをPKOで引き継ぐ案も議論されていました。僕は、それは支持しませんが。小さな政治ミッションでしかなかったアフガニスタンのUNAMA(国連アフガニスタン支援団)のマンデートを少し拡大し、国連軍事監視団を設け、NATOの代わりの蝶番にすることが一番現実的だと思います。

 国連軍事監視団は、伝統的に安保理の眼と言われ、国連の本体業務中の本体業務です。大尉以上の軍人が多国籍のチームを作り、信頼醸成にあたります。非常に名誉ある任務です。そして、非武装が原則です。こういう任務は、紛争当事者国に利害関係のない国の要員が向いています。より大きな中立性が発揮できるからです。僕は、自衛隊がその特質を最大限に発揮できる任務だと思います。

 日本は紛争地帯で非常にイメージがいいのです。去年の暮れ、ドイツのアフガニスタン・パキスタン特別代表ミヒャエル・コッホ特命全権大使が日本に来ていました。彼は、日本と一緒になって、避けられないアフガニスタンの「タリバン化」をいかに「国際化」させるかの可能性を探っていました。タリバンを、一つの政治単位として認めて、過激な連中でも、みんなでワイワイもり立てて、明るい原理主義者になってもらおうと…。半分冗談みたいですけど、そんな感じで、国際社会のコミットに杭を打つために、アフガニスタンにもう一人の国連事務総長特別代表のポストを置く。タリバン和平のための。こういう具体的な案を提示しました。これを日本と一緒にやりたいということで来たのですけれども、自公政権はあまり興味を示さなかったようです。でも、敢えて、タリバンの懐に入っていき、政治単位としての成長を側面支援するしか道はないとしたら、これはアメリカにはできないのです。誰ができるでしょう。少なくともコッホ大使は、日本に期待を寄せていたのです。

 とにかく、近未来の対テロ戦は、同盟各国の特徴を生かした「総合力」で対処するしかないのです。

 最後に、冒頭に述べた「国連的措置の集団的自衛権」のことです。一部の護憲派は、集団的自衛権とは外国のために戦争をすることと言っていますが、それは違います。集団的自衛権の歴史的発生経緯はチョット置いておいて、僕が見てきた米•NATOの戦い方をふまえて、僕なりの必要要件をまとめたいと思います。

 まず共通の「脅威の認識」があること。だから、他国の攻撃でも、それを放っておいたら自分にも降り掛かると言う脅威感がなければ、成立しません。もう一つ、その脅威への対処の「方策」が一致するということ。ここまでが一致しないと、NATOでも分裂します。と、いうか、分裂してもいいのです。アフガニスタンには一緒行ったがイラクでは脱落したフランス、ドイツのように。

 最後にもう一つ。これが非常に大切です。集団的自衛権の行使主体間の関係は「補完的」だということです。みんなが同じことをする必要はありません。ドラえもんが統合指揮だとしたら、しずかちゃんやデキ杉君にジャイアンのように戦えとはいわないのです。例えば、NATOの中で、平和外交の旗手のノルウェーや、日本と同じような大戦の十字架を背負っているドイツに対して、イギリスのように戦えとは絶対に言わないし、逆にそういう国の「特性」を対テロ戦の根幹である「人心掌握」に活かそうとします。

 ということで、僕は、集団的自衛権に関しては、相手を憎むべき敵ということではなく、地球規模の課題と捉えて、積極的に行使するべきだと思うんです。ただし、非武装で。


渡邊隆 元陸将

カンボジアPKO派遣の経験と課題
渡邊 隆

元東北本部方面総監、第一次カンボジア派遣施設大隊長

 一昨年夏に陸上自衛隊を退官しました。民間の企業で勤務する傍ら、柳澤協二さんが理事長をされております国際地政学研究所で副理事長をしており、とある大学で週一回安全保障論を教えております。

 私は1992年にカンボジア派遣の第一次の施設大隊長でありました。当時、階級は二等陸佐でして、中佐にあたります。自衛隊がPKOを行った最初のオペレーションと言われますが、実は国家としては2回目になります。その前に①アンゴラのPKOで選挙監視員が3名派遣されております。

 また、自衛隊的に言うと、実は湾岸戦争の時に、実際には行動はしませんでしたが、在外邦人の輸送のために航空自衛隊のC-130という輸送機が、政令措置として待機活動に入っていました。さらに、もうお忘れの方もおられるかもしれませんが、湾岸戦争が終わった後で、ペルシャ湾に機雷掃海のための掃海艇が4隻、小さな船ですけれども派遣されています。ですから、自衛隊の国際貢献、国際平和協力という観点でいうと、実は3番目という順番になります。

 初めてのPKOで我々が付けたシンボルマークは2つありました。右の肩には国連のマークを付けます。左の肩には国際平和協力隊という部隊の隊章を付けます。

 自衛隊をPKOに参加させるまでには、実は非常に多くのプロセスがございました。湾岸戦争が起こったのは、1991年です。イラクという国がクェートに侵攻したのが1990年の8月2日だったと記憶しています。日本にとっては、冷戦が終わって平和な時代がくるのだ、平和の代償を受け取るのだと思っていたところ、実はそうではなかったわけです。日本は、今まで日米安全保障条約の陰で、いわゆる何もしなくてもとりあえず日本の安全が保たれていた状況から、国際的に何か具体的な行動を起こさなければならなくなったということを、明白に気づかされた時期であったように思います。

 PKOの法律を作らなければいけなくなったわけですけれども、これは難産でした。臨時国会を含めて3回の国会でようやく成立をするという法案でありました。そのために、当時の防衛官僚であられた柳澤さんがいる前では言いづらいのですが、妥協するんです。たとえば、自衛隊は出さないけれども別組織ならいいだろうという別組織論もありました。「いや、自衛隊ではありません。国際平和協力隊です」という組織ですね。そのうちに、当時公明党がようやく自民党にすり寄って、自民と公明と民社が三党合意という形を取ります。これは主として武器の使用に関して制約を加えました。自衛隊は今まで主として輸送、工兵、施設、あるいは医療などの後方部門の部隊をずっと出しているわけですが、しばらく戦闘部隊を出すのは凍結をしようということで妥協します。そういう形でようやくPKO法が成立をしたのが、1992年の6月です。

 自衛隊という組織は、体一つで行っても仕事にはなりません。しかもこの場合は、道路を作ったり橋をかけたりとする、いわゆる工兵、エンジニアの仕事ですから、当然所要の装備を持って行かなければいけない。それを日本から運ぶということになります。何で運ぶかと言うと、当時海上自衛隊が持っていた輸送艦、全長100メートルにも満たない小さな輸送艦です。何でそんな小さな輸送艦かというと、日本は海外に侵略をすることは絶対にないということを誓った国ですから、大きな部隊を海を越えて運ぶような輸送艦は持たないことになっていたのです。もともとこの船は沿岸を輸送するようなタイプの輸送艦で、これではるかカンボジアまで行ったわけですから、海上自衛隊は大変だっただろうと思います。

 「とわだ」という補給艦も行きました。インド洋で洋上給油する時に使ったのと全く同型の艦です。いわゆる最新型というか、そこそこ新しい船ですが、輸送艦はもう20何年も経ったような完全な老朽艦でありました。

 カンボジアに行ったら、とりあえず国旗を立てろと言われました。当時私は、航空自衛隊の輸送機に乗っていまして、長い旗竿は飛行機には積めませんので、旗竿は持ってないんです。もちろん、旗竿を作る技術はありますが、それは一番最後の船便で来ることになっていて、まだ間に合いません。旗はたためば鞄に入りますから、これは持って来ておりましたので、とりあえず近場の市場で極めて安いお金で買ったものを使って、旗を立てました。非常に不揃いでやっつけ仕事のようなそういう旗でした。旗のサイズもバラバラですし、旗竿も非常にみすぼらしいというか、これが最初の第一歩なのです。

 思い出話を語ってもしょうがないと思いますし、もう20何年前の昔の話になりましたので、当時我々がどんな所に実は問題を持っていたのかということだけをみなさんと一緒に考えてみたいと思います。

 一つは、指揮と指図(さしず)という問題です。国連の部隊の当時国連の軍事部門の長はサンダースンというオーストラリアの中将です。PKO全体、UNTAC(カンボディア国連暫定統治機構)と言いますが、明石康さんという日本の方が国連の特別代表という立場でUNTACを指揮していました。我々はこの軍事部門の司令官サンダースン中将の下に入ります。じゃあ我々は日本の指揮とこのサンダースン中将の指図とどっちをどうするんですかという話です。政府答弁は日本の命令は指揮であって、サンダースン司令官のは指図であるという説明です。英語ではコマンド、どちらもコマンドです。日本語訳する時、微妙に分かれてしまうのですが、これあくまで国会答弁の中の話ですね。そういう形で指揮はそれぞれの所から来るけど、矛盾はしないということになっているという話です。

 二つ目。ポジリストとネガリストっていうのはよく言われる話です。ポジリストというのは、「これこれのことをしなさい」というものですね。肯定をする、いわゆるやって良いことを列挙するわけです。ネガリストっていうのは、やっていけないこと、「これをしてはいけない、これをしてはいけない」ことを書く。逆に言えば、それ以外は、目的に応じてして良いということになります。

 PKOの基本的な枠組みというのは、全部ポジリストです。PKOを出す場合には、政府計画として、いわゆる基本計画あるいは実施計画というのを作ります。その計画にこれこれのことをしなさいという事が明確に書かれています。従ってそれ以外は絶対やってはいけない。

 派遣をしてすぐ問題が起こりました。カンボジアというのは雨期になると非常に雨が降る所ですから、堤防が決壊をします。我々は、施設部隊として大きなブルドーザーですとかクレーンとかを持って現地に入りますから、それを見た現地の人から、あの堤防が決壊したので直してくれないかという依頼が来ます。でも出来ないんです。計画に書いてないからです。我々は道路工事、橋の補修などをやる計画をもってカンボジアに参りましたから、道路は直してもいいんです。でも災害派遣というのはどこにも書かれていません。

 そこで、総理大臣が自衛隊の最高指揮者でもあり、同時に国際平和協力本部長でもありますから、当時の宮沢喜一総理にお伺いを立てる。とりあえずダメだとは言わない、待てと言うわけですね。そして、「それ、すぐやってあげなさい」ということになるのです。それが普通ですよね。でも、それまでに時間的には3日間ぐらいかかった。当然決壊した堤防の水は全部出てしまって、いまさら行ってもしょうがない。そういう話になります。

 それ以外にも、「君たち非常に良い車をたくさん持っているわけだから、水を運んでくれないか」など、いわゆる補給活動、輸送活動の依頼は来ました。それはその都度日本に問い合わせて、許可をいただいてそれから現地でやるんです。非常に時間がかかるという話です。ポジリストとネガリストの基本的な概念の違いが現場にあらわれると、こういう形になります。

 三つ目。AタイプとBタイプというのは、知っている方が知っておられるかもしれません。これは武器使用のタイプのことを言います。Aタイプというのは俗に言う正当防衛・緊急避難による武器の使用のことです。Bタイプというのは、①武器を持って任務を妨害しようとするものに対して、②武器を持ってこれを排除するものです。同じだろうと思われるかもしれませんが、違うんですね。これは一番最後の駆けつけ警護にも出てまいります。PKOに参加する自衛官は、正当防衛・緊急避難以外では武器を使用してはいけません。通常、自衛官が平時から持っている武器等を守るための武器使用も認められておりません。しかも、どう解釈をしても、自分と自分の同僚隊員は守れるが、そこにいる日本のいわゆるお客さんは守れない。

 当時、カンボジアの国連ボランティアで中田厚仁さんという方がいました。岡山県警の高田晴行警部補(当時の階級、殉職後警視)も行っておられました。お二人の方は実際にカンボジアでPKOの関係者で、亡くなっておられる方です。我々が行ったのが9月ですけれど、選挙が翌年5月の連休明けぐらいに予定をされていて、選挙妨害が激しく行われていました。3月に中田さんお亡くなりなって、5月に高田晴行警部補がお亡くなりました。どちらも射殺です。殺されたという状況になります。

 その後、選挙監視のために日本から41名のボランティアの方が選挙当日の投票を監視する任務で、派遣をされます。国内は騒然となりましたね。お二人が亡くなったばかりで、しかも41名の多くは普通の民間の方です。国家公務員、地方公務員は約15,16名ぐらいおられましたけれども、ほとんどが民間の方です。この方々をどう守るのかということが問われました。

 先月(2014年5月)、安部総理が集団的自衛権の問題でご説明をされたとき、2つのパネルを使われました。右側は米艦に日本人が乗っている米艦防護の場合でした。左側は、まさにPKOの駆けつけ警護でありました。当時の国際平和協力法は、自己または自己の同僚隊員だけが対象で、しかも正当防衛・緊急避難のときだけ武器を使用していいという、そういう枠組みでしたね。同じところにいても、ボランティアの方を守る、あるいはほかの要員の方を守るような枠組みはなかったわけです。現地の方、悩んだと思いますよ。ちょうどこの時が、我々の交代時期で、私は後ろ髪引かれながら、二次部隊に申し送って、カンボジアをあとにします。

 いろいろと当時から議論をしておりましたけど、結局自衛隊のとった行動は、次のようなものでした。我々は道路工事をする部隊ですから、道路のあるところはどこでも工兵でも行けるんです。そして、ここで道路工事をするかもしれない、そのための情報収集活動という形で、日本の選挙管理人がいる方々のところに部隊を派遣します。もしそこで何か起きれば、自衛隊員は自分を守るために武器を使用します。そこにいた民間人は結果的にそれによって守られる。そういう構図をとることによって、それらの方を守ろうとした経緯がございます。これは上からの指示ではありましたけれども、逆に言えば、法すれすれぎりぎりのところの決断だったと思いますし。法律を守って、実際にそのエリアにいる41名の選挙監視員のボランティアの方を放っておくわけにもいかなかったと思います。

 四つ目。「撃つな、は○ 撃て、は×」。何のことか分かりますか。自分の正当防衛のために引き金を引くわけですから、その判断は個人個人に任されます。もう一度言いますよ。正当防衛・緊急避難に基づいて行う、その射撃は個人の判断に基づいて行う。おかしいと思いませんか? どこの国の軍隊であれ、陸上自衛隊のどの部隊もそうですが、通常、射撃というのは、指揮官の命令に基づいて行うものです。これが軍事組織ですね。しかしこの場合にはそうではなくて、あくまでも個人の判断に基づいて射撃をしなさいという法的な枠がある。さすがにそれはおかしいし、状況によっては過剰防衛ということも十分考えられるだろうという国会質問がありました。それに対して、政府の答弁は、法の精神から言っても、指揮官は撃てという号令はかけない、「撃つな」とは命令出来る。これが当時のこの法律の武器使用の概念でした。はっきり申し上げて、まさに言葉の遊びとしか言いようのないし、現場ではそのような感じで思っているところもありました。さすがに法が改正され、射撃は指揮官の号令で行うことになりました。これが通常の軍隊の姿ですね。

 こうして、自衛官がそこにいれば、当然そこにいる人は守れる、自己の管理下にあるものですから守れるのです。しかし、遠くのほうで何か事態が起こって、そこでやおら武器を取ってそこに出かけていって警護をする、これを駆けつけ警護と言いますが、それはこの法律ではできません。駆けつけ警護は、いわゆる憲法も含めた法的に認められないとされています。

 自分は危害を受けてないにもかかわらず、誰かを守るためにそこに出かけていって武器を使用するというのは、一見、いま非常に話題になっている集団的自衛権の行使のようにも見えます。私は全く別物だと思っていますが、非常によく似ています。何回も言いますが、そこにいる方が日本人であれ、ボランティアであれ誰であれ、みんな同じ国連のなかの人間であって、しかも彼らは自分を守るべき手段も武器も持たない。そこに我々がいて、我々以外にそれを排除するようなことが出来ないのに、それをやらなかったとなったら、間違いなく国際問題になります。その時に「いや我々は、日本の法的なしばりがありまして」といかに説明をしようが、おそらく国際的に非難を受けることはまぬがれないというのが、現場にいた私の偽らざる感覚であったというふうに思うわけです。

 その後、法律はだいぶ柔軟に運用できるようになりました。その後、部隊が行う任務、いわゆる仲介や兵力引き離しや、通常歩兵、普通科部隊が行うべき行動、いわゆるPKO法で凍結されていた部分は解除されるわけです。ですから、陸上自衛隊は、あるいはどの自衛隊でも、他国の部隊と同じように、工兵だけではなくて、いわゆる歩兵部隊、普通科部隊を出すことが法的には可能になっています。しかし、1992年にカンボジアに出してから、20何年経って、いまだに自衛隊は普通科部隊、歩兵部隊をPKOに出していません。私は出せないだろうと思います。

 それが実は、我々陸上自衛隊を含めた軍事的な考え方に工兵部隊あるいは補給部隊なら出来ることが普通科部隊では出来ないことがあるのです。これは実は部隊のもともとのよって立つ基本的スタンスが違うからです。

 普通科部隊、歩兵部隊というのは、担任地域、エリアを持ちます。この地域は君の部隊のエリアであると。これをエリア・オリエンティドの部隊、いわゆる地域任務部隊といいます。それに対して、我々のような工兵部隊は、道路を直す、橋の補修をするわけですが、これはミッション・オリエンティド、いわゆる任務優先部隊です。ですから道路を補修している途中でなんか起きたら、それは道路補修作業をやめて、自分の所に帰れば良いわけですね。我々がいなくなっても、道路は何も文句言いません。しかし、責任エリアを持たされた部隊が、実際に何か起きた時に、そこにいる住民や守るべき人を置いて、「いやあ、ここから先は武力の行使で、大変なことになりますから、我々は任務中断して帰ります」というわけにはいかない。基本的に軍事常識からはほとんど許されるものではない。しかし、日本のPKO五原則は、停戦終了後、紛争当事者の合意がある場合にしか派遣しないということになっていますので、20何年経っても、日本は、歩兵部隊を出せるような環境にはないというのが、現実だっただろうと思うんです。日本の得意な分野で貢献をしているのだという言い方も可能でしょうが、そういうことです。

 五つ目。今までの派遣の実績と法的な枠組みについて考えたい。

図-1
派遣の実績と法的な枠組み

 黒丸で書かれていますのは、海外に自衛隊を出した一連の行動を表しています。左側の大きな黄色の枠の下に黒く丸がズラーッと並んでいます。カンボジアから始まってゴラン高原、モザンビーク、東チモール、ネパール、ハイチ、南スーダン、これがPKOです。真ん中の下に黄色で青く、青で白地の白抜きになっているのが、ソマリアのアデン湾における海賊対処です。これは今も行っております。その下は、イラクの復興特措法、後方支援、いわゆる給油活動ですが、先ほどあったテロ特措法と言われる船から船へ油を補給するという、給油活動のための活動です。右側にペルシャ湾への掃海艇派遣があります。災害対処や復旧支援という形では、国内と同じように海外でも常態化されました。2001年、ホンジュラスのハリケーンで出たのを皮切りに、スマトラ沖、パキスタン、ニュージーランド、ハイチ等々がありました。フィリピンのタイソサイヤ等に陸海空の自衛隊が派遣をされていますし、1993年だと思いましたが、人道的活動難民支援という国際平和協力法案の枠組みですが、我が国独自の活動という形でルワンダに部隊を出します。

 見てください、根拠法案は青に白地のものです。自衛隊にとってみれば、国外に出るという、ただそれだけのために、実はこれだけの違った法律によって我々が外に出ているということになります。政府与党がよく自衛隊海外派遣のための統一法案というか、自衛隊海外派遣基本法みたいなものを作ったらどうだと言いますが、そのゆえんはここにあります。

 災害派遣で出た部隊があるとして、そこでPKOが活動するようになったら、普通の国の場合はその部隊が国連の青いヘルメットを被るだけです。でも、日本の場合は、この場合には法の枠組みが別々ですので、新たな部隊を運んでいって、現地で交代をするということになる。法的には全く別のものになり、兵勢も装備も全く違います。この辺のところを考えると、この辺りは20何年経ってそろそろ整理をしたほうがよろしいんではないですかねっていうのが、現場の者の答えだと思います。

 自衛隊の海外派遣を時系列で展開をしてみました。横軸は1990年代初等から2020年ぐらいのいわゆる時系列です。枠的には大きく3つぐらいのグループに分かれると思います。

図-2
自衛隊の海外派遣を時系列で展開

 上は特別措置法に基づくインド洋、ソマリア海賊対策、イラク人道復興支援。それから真ん中に国際緊急援助隊。下にいわゆる国連に基づくPKO部隊ということになります。これで縦軸はどう評価しましょうか。横軸は時間です。縦軸は、下に行けば行くほど、国連的いわゆる多国籍的要素が強くなります。上に行けば行くほど、多国籍の中ですが、同盟重視という枠組みになります。これが我々の海外派遣を基本的に難しくしているところ、複雑にしている一つの大きな要因になります。

 明確に疑問系で言います。国連か?同盟か?

 いみじくも国連が認める、安全保障の枠組みを集団安全保障といい、地域的な取り組みなどに基づく二国間あるいは多国間のいわゆる集団的な防衛活動を集団的自衛権に基づく活動というふうに切り分けることが出来ます。この辺のところが実は議論のなかで明確になってない一つの要因なのかなという感じはします。

 私がいた時は、まだ迷彩服もないような時代でありました。あれから20何年経って、私は辞めたから明確に言いますが、基本的な枠組みは何も変わっておりません。いろんなところへ出て行きましたし、経験も積みましたし、あるいは本当に危ないことも無数にありましたが、基本的な派遣の枠組みはほとんど変わっていないというのが、実情だろうと思います。変わってない最大の原因は先ほど言ったように、その背景的ないろんな問題があったからではありますけれども、20年間本当に何もなかったのは奇跡とか言いようがないと、私自身は思っております。

 最後に申し上げたいことがあります。横柄かもしれませんが、現場で戦う自衛官、兵士は、それが集団的自衛権であろうと、個別的自衛権であろうと、何ら変わることはありません。考えてみてください、実際に戦っている兵士は、これが集団的自衛権だから、これが個別的自衛権だからといって変わると思われますか?現場の兵士にとっては、実はどちらも戦う場面そのものが変わることはないということです。

 なおかつ、私は最近ずっと疑問に思っているのですが、必要最小限で良いのだからと言われることがあるのですが、現場の人間にとって必要最小限というのはどういうことなのか、私はいまだにわかりません。「うん、その辺で良いんだよ」と手を抜くような形で戦闘に参加すれば、間違いなくその戦いは負けるでしょう。相手は負けるつもりでそこへ出てきているわけではないので、実際に現場で命のやりとりをする、いわゆる戦う、戦争をする、戦闘する場面で、おそらく必要最小限っていうことを考えながら戦う兵士は一人もいないだろうと思います。持てる力とあらゆる手段を使って戦い、勝利を得ようとするはずです。それが正しい軍事的な姿だろうと思います。それは敵が憎いからではない。イギリスの作家がこのように言っています。「真の兵士は、目の前の敵を憎むからではなく、背後にあるものを愛するがゆえに戦う」。まさに、どこの場所になるかわかりませんが、自衛隊の戦い方というのは、そういうものであるというふうに私は思っております。

 以上で、お話を終わります。


山本洋 元中央即応集団司令官

南スーダンPKO派遣の経験と課題
山本 洋(ビデオ出演)

元中央即応集団司令官

 私は、自衛官最後の職務として、中央即応集団司令官を務めました。そして、現在、南スーダンに自衛隊が派遣されておりますけれども、その部隊を統括する責任者でもありました。南スーダンにおける活動は、自衛隊が施設部隊を派遣して本格的にアフリカの地で行う初めてのPKOとなったわけですが(正確にはモザンビーク、ザイール(当時)に次いで3番目の部隊派遣)、その経験や課題についてお話ししたいと思います。

 ご存じの通り、南スーダンという国は、2011年にできたばかりで、世界中で一番若い国です。その国の国造り支援ということを合い言葉に隊員達は活動を開始しました。最も特徴のあるのは、「オールジャパンの取組み」であります。例をあげますと、政府開発援助(ODA)との連携、あるいは国際協力機構(JICA)との連携、そういったことを大変緻密な調整の結果として進め、国連南スーダンミッション(UNMISS)の指図のもとに一つひとつ丁寧に活動いたしました。このことに一番大きな特色があったと思っています。

 具体的には、派遣されたのは施設隊ということですので、もっぱら施設活動を中心に活動をしております。凸凹の道路の整地や側溝整備を行います。あるいは避難民の避難施設を作るため、敷地の造成とか設計図の作成、入手できる建設材料の調査などを行っております。

 自衛隊がドブさらいをしているというような言い方をされる方もいますが、そういうようなことはありませんでした。施設隊の隊員達は非常に高い能力を持っておりますので、大変緻密な作業をしてくれます。先ほど側溝整備のお話をしましたけれども、現地には側溝を掘るという文化というか、概念それ自体がありません。従ってそういった一つひとつの土木工事自体が、地元住民の皆さんにも大変喜ばれ、高い評価を受けているということです。自衛隊の活動を通して、現地に側溝を掘る文化のようなものが根付けばいいのですが、個人的には相当時間が掛かるように感じます。

 同時に、自衛隊の整備したものを、これからも恒久的に活用してもらうという点では、いくつか課題もあると思われます。ある新聞の記事を見ますと、現地のジュバ市民の何人かの人にインタビューをしているのですが、「道路は本当に綺麗になって、良い。だけど舗装まではされてないので、そこをしてほしい」という声も出されていました。これはいろんな事情があります。もちろん、施設隊は舗装をやる能力がないのではありません。しかし、国連の予算の問題でありますとか、いろんな制約があって、舗装までやっていないのです。ところが大雨が降ったりするとまた痛んでしまうということですので、やっぱり地元市民の人たちのアスファルト塗装して欲しいという希望は、かなり強いもののようです。国連も限られた予算の中で、それぞれの任務を与えますけれど、道路整備について申し上げれば舗装までは求められていないということだと思います。

 一方、そうやって自衛隊が道路を整備したあとに、今度は別の国が入ってきて舗装だけ行い、それを自分の国の貢献にするという心配がないわけではありません。せっかく隊員達が汗を流して一生懸命整備をした道路を、別の国がアスファルトで舗装だけして、この道路は自分の国が作ったんだということにされてしまうのは、やはり自衛隊員にとっても耐えられないという感じがします。この点では、自衛隊は国連のミッションの中でその一員として活動をしているわけですが、同時に、もう一方で大事なことは、日本とその相手国の二国間の関係を作りながら、そういったより質の高い工事のようなものは、その二国間の枠組みでやっていくことが必要なのではないかと感じます。国連の予算ではなくて、日本のODAとの組み合わせとか、いろいろ工夫することができるのではないかと思います。国連としては参加国の「顔が見える」ことは必ずしも歓迎できることではないでしょうが、我が国としては少しでも「顔が見える支援」を行いたいところです。この試みが冒頭申し上げた「オールジャパンの取組み」の意義であり、特徴であることを強調しておきたいと思います。

 自衛隊の仕事というのは、段取りの取り方とか、仕事の計画の緻密さとか、日本人ならではの良さがあるのです。一つ紹介をしたいのは、防衛省には建設系の技官という方達がおりますが、彼らが大変いい仕事を南スーダンでしているのです。先ほど、避難民の一時避難場所となる建物を建てることを申し上げましたが、その設計にあたり現地で入手出来る材料はどんなものがあるかということを丁寧に調べたり、その工程管理もしっかりやるというような、大変いい仕事をしております。一方で、自衛隊が採取した砂利を道路整備の現場まで運搬する際には、現地のトラックを使うのですが、現場に到着しないこともあります。これは南スーダンに限らないことかと思いますが、隊員たちはそういった苦労をしながら日々の活動を継続しております。

 次に、本日私から特に強調したいことは、隊員と現地の方々との交流の大切さです。われわれは、国連のミッションの中で活動をしていますから、誤解があるといけないのですけれども、現地の方との交流は本来の任務ではないのです。言ってみればボランティア的なものです。それでもわれわれは、その地域の子どもたちに文房具を配るだとか、あるいは文化交流をするだとか、そういう努力をしております。これは南スーダンだけではなくて、ハイチでもそうでした。ここの部分というのは、地域の人たちに日本を知っていただくとか、あるいはそういった二国間の関係をより強固にするという観点では、些細なことかもしれませんけれども、非常に重要で、そして効果的な影響力のある活動だと思っています。形だけの交流ではなくて、いろんなやり取りがあって、そのなかでそういう姿を通じて日本人というものを現地の人たちは理解すると思うのです。したがって、ここに対するいろんな制度的な基盤、裏づけというものをできるようになれば、もっともっといい活動ができるのではないかなあと感じています。

 これは、言いにくいことなんですが、お金のことでもあります。日本は経済大国であって、そのことは自衛隊が派遣されている国の国民も知っているわけです。ところが、その日本が、国連のミッションに行ったとたんに、交流するための予算もなくて、肩身の狭い思いという言い方もしにくいんですけれども、現実の問題としてそういうこともあるのかなあという感じはします。少なくとも、現地の隊員たちには、否定的な影響は及ぼさないようにはしてやりたいなという感じはします。

 一方、自衛隊の活動は、危険と隣り合わせなんだという点についても、国民のみなさまには認識をしていただきたいところです。このPKOという活動は、停戦の合意があるとか、紛争当事者が受け入れを表明しているとか、確かに法律にある五原則に基づいて自衛隊はPKOに派遣されるわけですが、ご承知の通り、南スーダンでも昨年12月あたりから、現地の治安が急激に悪化しました。

 これもご案内の通り、ゴラン高原のPKOも、17年間続いた活動がシリアの情勢悪化に伴って、撤退のやむなきに至っています。また過去のPKOでは、ルワンダに派遣された難民救援隊が当時のザイールで活動したわけですけれども、この時にも必ずしもこういう大がかりなものではなかったかもしれませんが、同じような事態に直面しました。そういった事実が過去にもあるということで、現地の隊長以下は相当な混乱のなかで、苦労しながら、隊員の身の安全をはかりつつ、ミッションを続けていくということについても相当腐心しながら、今日でも活動を継続していると認識をしています。

 自衛隊は、最初のカンボジアへの派遣(陸上自衛隊)以来、20年が経過し、いろいろな経験を積みました。節目の年を迎えて、新たな段階というか、新たな取組みを行っております。自衛隊の活動が国連及び他国から高く評価されており、最近では、日本がそれらの国の人材育成に関わるようになってきました。

 昨年、ベトナムのPKO要員をわが国へ招聘をしまして、研修の機会を提供しております。そうやって研修をしたベトナムのPKO部隊が、近々南スーダンに派遣をされるというふうに聞いております。これをわれわれは、能力構築支援(キャパシティー・ビルディング)と呼んでおりますが、そうやって日本の人材育成支援、すなわち日本で関連の研修を受けた人たちが、今度はPKOの現場に出ていくというところまで育っていけば、我が国のPKOに対する取組み、あるいは国際平和協力というものに対する取組みの大きな柱となるものであって、私は大いに努力すべき分野ではないかと思っております。

 今後の日本の国際平和協力のあり方についてですが、いま申し上げたような能力構築支援ということと同時に、たとえば国連のPKO局にも有能な自衛官が勤務をしておりますけれども、今後のPKO派遣を我が国が判断をしていくためにも、できるだけ枢要なポジション、高いポジションに自衛官を配置をするということが大変重要になってきます。それからもう一つは、現在、南スーダンの司令部にも3名の幹部自衛官が配置をされて頑張っていますが、それぞれのミッションの司令部にも有能な隊員を派遣することによって、参加をしている日本のPKO部隊が、より効率的な、我が国の能力を発揮できるような活動ができると思います。

 国連側の日本に対する期待も、そのようなものだと思います。高い力を持っている隊員一人ひとりが、PKOの枢要な部門で活躍するということを期待しております。

 余談になりますけれども、たとえば武力の行使に関わるPKF(国連平和維持軍)への参加をどうするかという議論もありますが、そういう部分を担っているのは主として途上国なのです。いまの南スーダンもそうですけれど、そういう所でPKFの基本的なニーズは満たされているというのが国連サイドの見方のようですので、やはり我が国はそういう高いレベルの所で貢献をしていくということが大事だと思います。

 もう一つ付け加えさせていただくと、防衛駐在官という制度があります。日本の在外公館に自衛官が派遣される制度ですが、先般のアルジェリア事件を踏まえて、アフリカ地域にはもっと増員をすべきだという議論も起こっているわけです。防衛駐在官の人たちは、貴重な経験を積むわけですから、PKOについてもその経験・能力を大いに発揮してもらうようにしていただきたい。これは防衛省自身の課題になるかも分かりませんけれど、そういうことも重要ではないかと思います。

 現地に行きますと、どんな国がどの程度進出しているとか、それぞれの国の影響力がどうかとか、その実態というものを否応なく感ずることがあります。南スーダンのミッションでも、複数の国が国連の枠組みのなかで活動しておりますので、そういう交流の場というのも大変貴重だと思います。隊員一人ひとりにとっても貴重だと思います。国としても大変貴重な経験の場だと思っております。

 我が国から遠く離れたアフリカの地ではありますが、そういう自衛隊の活動が、我が国の国益にいろんな形で関わっているんだということを、国・政府はもっともっと発信していただきたい。そのことが、現地で汗を流している隊員に報いることになるのではないかというふうに思います。どうか多くの国民の皆さんには、黙々と日の丸を背負って汗を流している隊員に思いをいたしていただき、メディアの皆さんにも、是非継続的にそうした取組みの状況を内外に伝えていただければ大変有難いなと思います。


加藤朗 桜美林大学教授

私の憲法9条部隊構想
加藤 朗

桜美林大学教授、同国際学研究所長、元防衛研究所

 桜美林大学の加藤です。防衛庁の防衛研究所でテロとかゲリラなどの非正規戦について15年間研究をし、その後桜美林大学に移りました。最近は現場主義を貫きたいと思い、2007年からできる限り、元紛争地そして現紛争地を数多く歩くようにしております。エジプト、リビア、ルワンダ、スーダン、フィリピン、カンボジア、スリランカ等々の紛争地を訪問しました。昨年は中米のニカラグア、ホンジュラス、コスタリカ、エルサルバトルの元紛争地に行きました。

 柳澤さんから、安部政権がいったい今後どういうことをしようとしているのかがよく分からないというお話がありました。私も同感です。ですから私は、日本は今まで通り平和国家のブランドを捨てるべきではない、と強く考えております。それは私の経験によるものです。

 一つは、山崎朋子さんの「サンダカン八番娼館」で有名なマレーシアのサンダカンでの体験です。2008年の夏フィリピンのミンダナオ島に渡るために、港で船待ちしたときの話しです。両替商の40、50才くらいのおじさんとたわいもない話を交わしていました。すると、「日本は兵隊を海外に送らないんだって」という話を突然しだしたんです。サンダカンのような田舎町で、両替商のおじさんがそんなことを言うのかと思って、少々びっくりもし、本当に感動もしました。

 その後、2012年の7月に内戦下のシリアのダマスカスに観光ビザで入り、ミサイル攻撃中の軍用ヘリを撮影した嫌疑で不覚にも秘密警察に逮捕されました。秘密警察の拷問施設に入れられ、拷問は受けませんでしたけれども、丸60時間狭い陽の当たらない地下の収容施設に約10人の兵士とともに収容されました。日本大使館は閉鎖されていましたし、もとより誰かに助けを求めるという気もありませんでした。その後不法入国者の収容施設に2日、空港で丸1日と計5日間拘束されました。無事帰国後元防衛大臣の小池百合子さんとお話することがあって、その時にいみじくも仰いました。「助かったのはね、あなたが日本人だからよ」と。

 確かにその通りだと思います。それが憲法9条のおかげかどうかは別にしても、日本がどうやら平和な国、戦争をしない国であるということは、みんなが知っているということだと思います。その平和国家のブランドを毀損するようなことはすべきではないというのが、私がこの「自衛隊を活かす会」の呼びかけ人になろうと決めた最大の動機です。

 さて、では具体的にどうすれば平和国家のブランドを守ることができるのか。それには二つの戦略があります。

 一つは、専守防衛戦略です。自衛隊は専守防衛に徹すべきだということです。国際協力、人道支援であっても海外に行くべきではないと考えています。

 では、日本の国際協力をどうすべきか。それがもう一つの戦略である民間のPKO部隊「憲法9条部隊」の創設です。

 1990年の湾岸危機当時、連合(日本労働組合総連合)は自衛隊の派遣を真っ向から否定していました。だったら自分たちで行ったらどうなんだと反感を抱いたのが、そもそものこの「憲法9条部隊」を着想したきっかけでした。

 先ほどからの山本さん、渡邊さんのお話でもわかりますように、実際に自衛隊がやっていることは、ネーション・ビルディング(国づくり)、あるいはキャパシティ・ビルディング(能力構築)です。これは自衛隊よりも、多くの職種の組合からなる連合によるPKO部隊の方がよりふさわしい任務です。

 たとえば連合の退職者でPKO部隊を組めば、おそらく自衛隊などは足下にも及ばないような、立派な能力を持った部隊ができるはずです。現在連合は600万人以上の組合員を抱えています。仮に600万人が1人1万円の平和基金を積み立てれば、1回の献金で600億になります。1,000円でも60億です。これは決して非現実的な話ではないと思います。

 機会があるごとに、連合によるPKO部隊の構想を連合の人にお話ししました。そして月刊誌などにも寄稿しました。冗談だと思われたのか何の反応もありませんでした。2010年の5月には、朝日新聞の「ひと欄」にも取り上げてもらいました。全国から大きな反響が来るだろうと思っていたら、本当に逆の意味でびっくりしました。わずか10通しか手紙が来ませんでした。それでも、直接お会いした人たちには、どういう協力が可能か尋ねました。ところが、ほとんどの方が「いや私は紛争地には行きません。後方支援をします」ということでした。紛争地に出向いて、実際にネーション・ビルディングやキャパシティ・ビルディングに関して協力しようという方は、ほとんどいらっしゃいませんでした。

 詳しい憲法9条部隊構想は、お配りしたものをお読みいただければわかるかと思います。なぜ民間によって国際協力をした方が良いのかといえば、まさにそれこそが憲法9条の実践だからです。私たちは、ともすれば自衛隊に反対することが憲法を守ることだというふうにこれまでずっと思ってきました。はたしてそうなのでしょうか。そうではなく、海外で積極的に国際協力することこそが憲法9条を実践することであり、憲法を護ることではないでしょうか。みなさんの意志があればできることなのです。みなさんにその能力は十分にあると思います。

 私たちが自衛隊に何を期待するかということをいろいろ考えてみますと、決して自衛隊が国際協力によって、日本の国際的な評判をあげるということではないはずです。自衛隊が本来やらなければいけない任務はやはり国体を守るということだろうと思います。私が違和感を持っているのは、自衛隊は国民の生命、財産を守るのだといいますけれども、生命、財産を守るのは、警察であり消防です。自衛隊が守るのは国体です。そして、国体とはいったい何か。それは、constitution憲法です。自衛隊が憲法を守るということを徹底すること、そのことが実は、私たちが憲法によって国家に命じたことです。

 よく、憲法は国家を規制するものであると言われます。それならば、国家は我々を武力でもって守らなくて良い、そういうふうに我々国民は国家に命じたのです。我々は本来は国家によって武力で守ってもらうべきではないのです。そういうことを憲法9条は言っているわけです。つまり自分の安全を自分で守るというのが、憲法9条の意味です。しかし我々は、一人ひとりが武装することまでは考えていません。その代わりに、自衛隊によって我々の安全をある程度守ってもらうことで合意したのです。自衛隊創設以来60年もの長い年月をかけて私たちはそういう合意を作りあげてきたわけです。逆に言うと、私たちは自分達で自分達の軍隊を選びなおしたというのが、現在の自衛隊のあり方だろうと思います。

 その一方で、私たちは憲法前文で約束した国際社会と協力していく姿勢は、これからもずっと持ち続けていく必要がある。私達一人ひとりが、国際社会のために何ができるかを考えれば、今困っている紛争地たとえばアフガニスタンの国家再建に、私たち民間人が憲法9条部隊を組織して協力することが何よりも重要ではないかと思っています。先ほど伊勢﨑さんが、華僑、印僑は行くだろうけれども、日本人は危険を冒して行かないだろうと言われました。しかし、日本人が危険を感じて行かないというならば、我々は憲法9条を持つ資格はありません。我々に求められているのは、憲法9条のために、時には自らを犠牲にする覚悟だと思っています。

 最後に、内村鑑三の『非戦主義者の死』について。彼は日露戦争に当たって、「非戦主義者よ、進んで死んで来い」と言ったのです。非戦主義者の死は戦争賛成の人の死よりも何倍も意味があることだと言ったのです。我々は、いま一度、内村鑑三の言葉を思い起こして、そして出来れば憲法9条部隊構想に大いに賛同していただいて、志願していただければと思います。


自衛隊の可能性 国際貢献の現場から

会場からの発言と質疑応答

柳澤 できるだけ短い時間でご発言をいただきたいと思います。過激さにおいてもバラエティに富んだお話をさせていただきましたけれども、その辺について、質問ではなくて、そんなのおかしいよということであれば、ご意見をください。じつは私も、このメンバーでいったいどうやってまとめていけるのか、まったく自信はありません。けれどもやはりそれぞれのお立場で、現地を知って現場を歩いてきた人たちの思いというものがあるわけで、大切にしなければならないと思います。

 個人的に言えば、防衛官僚を40年間やってきて、国民とともに歩む自衛隊というのを旗印にしてきました。ですので、自衛隊に頼れないから民間人が行けという議論は、国民と自衛隊の間に存在する距離感という問題提起として、改めて考えていく必要もあるのだろうと思います。また、さきほど渡邊さんがおっしゃっていた普通科中隊は出せないという問題も、私の現職時代に、自衛隊派遣の一般法、恒久法が必要かどうかという問題として、与党プロジェクトチームにおいて自民党の石破先生とか、公明党の山口先生とか、いろんな方々といろいろ議論させていただきました。ただやはり、そういう任務を与えて歩兵を出すのであれば、それなりの権限を与えろということだと思うのです。

 集団的自衛権に関する政府の具体例とか、与党協議の中身を見ると、どこまでの覚悟があって、何をやらせたいのかがよく分かりません。それは施設科部隊中心の部隊で、困っている人がいたら駆けつけてやれよと言われますが、駆けつけるのであれば駆けつけるための装備も本当は必要だし、他国の軍隊を守るためならばそれに本当に必要な装備が必要で…そのために一番有効な装備は武装ヘリだと思うのですが…、そういうものを持たして行くのかというところまで具体的なイメージでしっかり議論しないと、この話は本当にただただ抽象的になってしまいます。そうでないと、現場の部隊の悩みは永遠に続くのではないかという感じがするのです。

 だから日本のあり方、自衛隊の使い方として、どうしたらいいのかということです。使うなら使うで、きっぱり使ってくれということなのだろうと私は聞きました。一方で、それが嫌なら、反対する奴が自分でなぜ行かないのだというご意見もあったわけです。その辺の距離感、間合いを詰めながら、我々は多分、何らかの、よりより一段高い答えが見つかるのではないかということで、これから議論をしていきたいと思います。


質問者1 兵庫県から参りました、泥と申します。かつて陸上自衛隊に奉職しておりました。若い頃ですけれど、少年工科学校というのがありまして、そこに入った時に自衛隊の任務とは非常に崇高なものであるということを教育されたのですが、何が崇高なのかさっぱりわからなかったのですよ。しかしある時、横須賀の町で反戦デモがあった時に、一人の区隊長がこう言ったのです。

 「今日は外出禁止である。国民の中には君たちを否定する国民もたくさんいる。しかし君たちを否定するデモをできる日本、自由な日本、民主主義の日本を守るのが君たちの任務である。従って、君たちは崇高な任務に就いているのである」

 こういう教育をされた時に、非常に納得ができました。それ以来、日本国憲法下で日本国憲法を守る自衛隊員であるということは、私の誇りでした。いま気になっていますのは、たとえば田母神さんが自衛隊の士気と歴史認識を絡めてみたり、集団的自衛権の議論が起こっているその最中に、総理大臣が靖国だとか従軍慰安婦だとか歴史認識に疑問を持たれるような発言をしたり、どうもすっきりと日本の自由と民主主義を守るための自衛隊なんだと言えないような雰囲気があることです。政治の道具に自衛隊を使っているのと違うかっていう疑問が湧いてきます。自衛官は基本的にノンポリですので、与えられた任務をこなすだけなのですが、やはり同期会で飲んでいると、そういった疑問も出てくるんです。「政府は我々をおもちゃのように扱っているのと違うか」と言う声も出てくる。これは自衛隊の士気にも関わることだと思うのですけれども、「自衛隊を活かす会」としては、そういう歴史認識を前に出してきて、自衛隊をどうこうしようとしている風潮について、どのようなお考えをお持ちかなということをお伺いしたいと思います。


質問者2 植村と申します。伊勢﨑先生にお伺いしたいのですけれども、「集団的自衛権は認める、しかし非武装で」とおっしゃいましたけども、そうするとどういうことになるのか、よく分かりません。どういうことを先生がお考えなのか、教えていただきたいです。


質問者3 桜井と申します。先ほど渡邊さんは、国際貢献と日米同盟の関係を縦軸と横軸で示されましたが、それがすごく印象的でした。どういう国際貢献のやり方がいいのかという問題は、先ほどの最後に、非常におもしろいというか、過激なご意見もありましたが、いろんなやり方があるでしょうし、日米同盟にどれくらいお付き合いするのかというところには、みんな引っかかってモヤッとしています。伊勢﨑さんが提起された日米同盟にお付き合いする方法というのが、みんなが納得しうるというか、世界の人が納得しうるという点で、非常に急所かなと個人的には思いました。この問題、柳澤さんにもお伺いしたいですけど、お立場上微妙かなというところもありまして、もしお答えいただければと思うんですが。


升味・司会 伊勢﨑さんに質問がふたつありますので、まずどうぞ。


伊勢﨑 ポスト2014年のアフガニスタンというのは、加藤先生にも追認していただいたように、これからの未来を考えると非常に重要です。あの辺のことを軍事的に申しますと、アフガニスタンとパキスタンとの両軍が銃を向け合っている所を、ちゃんと軍事監視しなければいけないのです。彼らは歴史的な敵対関係にあります。ですから、完全に半永久的な国際組織として、国連としてのいわゆる信頼醸成措置(CBM)が必要です。

 この役割を含めて、ポスト2014のタリバン化が不可避のアフガニスタンの内政を考えた場合、その懐に深く入るための特性を考えた場合、更に、南アジア、中国、インド、パキスタン、アフガニスタン、それと隣のイランまで含めて考えたとき、いわゆる西側の国で、この役割に適している国というのは、日本以外にはないです。ドイツの関係者に聞いても、何の疑いの余地もなく、日本が非常に最適であるということが言われます。去年、ドイツのコッホ特使が日本に来たときも、そう言われました。ボン合意のときから、ドイツはアフガンに関わっていますから。だから、かつて2003年から2004年にかけて、日本がSSRに深く関わった時見せたああいうガッツをもう一度というのが、僕が受けたメッセージなんです。

 それと、従来の開発手法では開発できない、麻薬が取り締まれないところをどうやって開発していくのか、拓いていくのかということです。麻薬が植えられているところって、衛星写真からわかるんです。だから枯れ葉剤をまけばいい話なのですが、それができないのです。それをやってしまうと農民達が怒ってタリバンの所へ行ってしまうからです。そこで2004年、2005年にNATOは、芥子の掃討作戦をやめたのです。そういうところがあの地域なのです。ここにいかに入っていくかってことを考えなければいけない。そのアイディアの一つがROZリコンストラクション・オプチュニティ・ゾーンという考え方です。いわゆる特区構想ですね。つまり、何をつくってもいい。とにかく、そういうヤバいところで採れた、つくったもの(麻薬以外は)を日本やアメリカに輸入する時、関税をかけない。つまり、国際投資促進のためのインセンティブです。こういった柔軟な発想をしてこないと、もうやっていけないということです。

 シリアの問題もあります。アフガンでいっしょに仕事をしたブラヒミさんが仲介してもだめでした。その前のアナンさんもだめでした。二人の国際的な英知がトライしてもだめだったということです。ああいう場においては、反政府側と政権側の武力が拮抗しないと和平は訪れないんですよ。当初は可能性があったんです。反政府側も少しまとまっていました。ところがいまはボロボロでしょう。アルカイダ的なのがシリアに入ってしまって、訳がわからなくなってきて、泥沼なわけであります。隣のイラク情勢も連動して悪化しています。

 和平の兆しが見えた時がありました。アナンが特使をやっていた時ですね。アラブ連合と国連が共同して非武装で停戦監視団を出すことになりました。停戦監視団というのは、各国の大尉以上のものが集まって構成されます。そして脆弱であるが停戦が何とか机上でも合意されたら、それをソリッドなものするために監視するのです。あの時、日本の自衛隊もと要請が来たそうです。だけど、当時の野田政権は断った。たしかに、こういう仕事は、ものすごく危ない。でも、平和憲法の前文をもつ日本なら、そして今「積極的平和主義」を掲げるなら、日本がこれをやらないでどうするんですか。

 だから日本は停戦監視任務にすごく向いています。停戦もしくは武装解除の監視です。ちなみにノウハウの蓄積という面で言いますと、武装解除の際、必ず非武装の軍事監視団を出すものなのですけども、アフガニスタンの場合、なかなかそういう動きがでませんでした。それで、当時アフガン日本大使館に武官として派遣されていた自衛隊の一等陸佐を中心に各国の武官を集めてつくったのです。その彼が、非常に良い働きをして、チームの中心となってまとめてくれました。その蓄積はあるし、こういう方面の実力は自衛隊の人たちは非常に勤勉な人たちですから、短期間に蓄積できると思います。


升味 伊勢﨑さんがおっしゃっている集団的自衛権というのは、みなさんが共有している集団的自衛権とは、たぶん概念が違うと思うのですが、どうなんでしょうか?


伊勢﨑 それたぶん僕は9条にあんまりこだわりがないからです。いまのところ、得だから9条を守るべきだと思ってますけど、教義的なこだわりはありません。


升味 集団的自衛権って、対国家の戦争のことを想定しているではないですか。でも、対テロ戦争というのは、相手が国家ではないわけだから、そこのところでたぶんみなさんがイメージしている集団的自衛権の概念と違うのではないかと思います。


伊勢﨑 アフガン戦争では、戦う実体もNATOのような古典的な集団的自衛権とは違うんですよ。アフガン戦争においては、非NATO加盟国でも参加するようになって、いわゆる古典的な集団的自衛権の措置から逸脱したんです。これが現代の戦争です。それを集団的自衛権の行使と国連的措置(集団安全保障)が限りなく一体化していると言うしかない。


加藤 ちょっと一点だけ補足させていただいていいですか。そもそも、現在の憲法は、国家間戦争以外の紛争は想定していません。その事がいろんな問題を複雑にしているということです。問われなければならないのは、憲法9条が想定していないたとえばアフガニスタン戦争、対テロ戦争のような紛争に対して、日本としてどのように対応できるかということです。そのことが明らかにならない限り、伊勢﨑さんがおっしゃる集団的自衛権と、一般的な集団的自衛権がやっぱり混同してしまうんだろうと思います。


柳澤 まったくその通りですね。私も政府にずっといた人間ですから、伊勢﨑さんの話には、ピンと来ない面があるのです。まあそこは、伊勢﨑さん特有の語り方という面もあるものだから気にしたってしょうがないんですけど。つまり、一般的な集団的自衛権の話しは、武力の行使をするかしないかという概念です。ところが伊勢﨑さんがおっしゃっているのはそういうことじゃなくて、アフガンはもう本当に目の前ですぐ大変になるぞ、アメリカがもうガチャガチャにして、そのまま引き上げようとしている、これを放っといていいのかということです。そこの危機感から来ているので、じつは概念はどうでもいいことなんですよね?


伊勢﨑 はい。


柳澤 それはそれで、我々としても答えを持っておかないといけない話だと思います。これから、本当に目の前で、アフガニスタンの混乱が展開されていくでしょう。そしてそれは、アメリカとNATOが集団的自衛権を行使したこととか、あるいは国家間戦争としてテロ対策を取り扱ったことのツケが回ってきていることが、たぶん問われているのです。そして、目の前にある危機に際して、伊勢﨑さんのように、日本は有利なポジションにあると認識するのか、国益が絡んでないから相手にしたってしょうがないよねというのか。政府の発想は、たぶん後者ではないかと思うんです。しかし本当に考えるべきことは何だろうか。一般的な日本人は、伊勢﨑さんほど思い入れはないと思うんですが、伊勢﨑さんの提起は、もう少し共有されていいのかなと思います。

 歴史認識とか靖国参拝のことも質問にありました。靖国参拝には私も頭に来たんですけれど、そこを「会」としてどうするかというのは、実は何も決まっていません。私は、やはり国益を害していると思いますし、抑止力であるとか防衛力の強化というのは、そういうものではないと思っています。そういう荒事は静かにやらなければいけないのです。一方、ビデオ出演した山本さんは、日本が砂利を巻いた後に、他の国が舗装して目立っているという話しをしておられましたが、それは中国のことなんですよね。そういう平和のための貢献のようなことは、もっとハデハデしくやればいいんです。いまの政権がやっていることは逆だろうと、私は率直にそう思っています。ただ、そこで共通認識がないとこの先の議論ができないということでもないので、将来いろんな形でそこに戻らざるを得ないとは思っていますが、現在、統一した考え方があるわけではありません。

 それから渡邊さんにコメントいただきたいと思います。いまの政府与党がやっていることは、自衛隊を後方支援で海外に派遣するけれど、戦闘地域になったら撤退するとか、時間差でたまたま戦闘がお休みになっている所なら、飯と水ぐらい運んでもいいよねとかいうものですね。私は本当に率直に言って、自衛隊を政治の道具、おもちゃにしている、そういう言葉で表現していいと思います。

 同盟協力と国際協力の問題は、その両者の間でずっと振れてきたんですね。イラク戦争についても、結局、同盟を選ぶか、国連を選ぶかという選択だったと思うんです。小泉総理は、イラク戦争のあとの安保理決議がたまたまあったものですから、同盟協力と国際協力が一緒になったという説明をしているのですが、実体は同盟協力でした。私のその時の実感は、そういう同盟協力をいったいどこまでやっていったらいいのだろうかという、倦怠感のようなものがあったんですね。それを解消しようとして、同盟負担のコストを減らそうとしたのが、私は鳩山政権だったと思うのです。それが失敗して、同盟負担のコストを増やしてもいいから、その代わり同盟の見返りをもっとたくさんもらおうとしているのが安倍政権ではないでしょうか。大雑把な言い方ですが、そういう立ち位置の差があるのではないかと思っています。いずれにしても、その両者とも正しい答えではなかったんだと、私は思います。片方まだ進行中ですけれどもね。そこのところにまた別の答えを私は見つけていきたいというふうに思っております。


渡邊 ありがとうございます。自衛隊が政治のおもちゃではないかというご意見については、現職時代、まったく同じような感覚を持ったことは事実ですが、それは正しくはないと思います。おもちゃでもないし、道具でもない。ただ、自衛隊そのものは、国民のツールであると思います。国民の道具であるというのは、「防衛白書」にも載っていますし、正しい表現だろうと思います。自衛隊はある一種の能力を持った、国家にとっての手段、道具であるというのは、事実ですし、マックスウェーバーを出すまでもなく、それが国家に独占されていることが大事なことなのだろうと思います。

 国連か同盟かという問題ですが、いまの論法でいくならば、冷戦の50年間、ほぼ50年間というのは、じつは情勢がほとんど変化しない50年だったんですね。安全保障を考える上で重要なのは、その国の戦略というか安全保障戦略はどのようになっているか、またその国はどう考えているかということと、その国がどれほどの手段、いま言った道具を持っているか、いわゆるどんな軍隊を持っているか、手段を持っているかということと、情勢がどのように変わっているかということが大事です。ところが、冷戦というのはきわめてまれな50年で、情勢は東西のバランスの中でほとんど変化がなかったんですね。結果的に我が国はどうしたかと言うと、いろんなその政策を推進していく上で、安全保障政策に関しては相当妥協したんです。いわゆる憲法9条に関する政府の統一見解というのは、どのように説明しても外国人に理解されません。それは事実だろうと思います。

 冷戦が終わった次の瞬間は、ちょうどブトロス・ガリ国連事務総長の時代でして、まさに国連がこれからの世界を指導していくんだというような、そういう国連のあり方をめざしておりました。しかし、その後、いろいろな失敗もあり、いまはもう国連がリードするような時代は考えづらくなってきたんじゃあないかという感じです。そういう意味では、冷戦が終わって20何年、約4分の1世紀が終わって、これからの4分の1世紀、今世紀の半ばぐらいまでに、ポスト冷戦というのがどういう力関係になるのかということを冷静に判断をした上で、我が国の行く末というか、戦略をしっかりと考えなければいけない時代です。そういう時代に我々はいることは事実だと思っています。


加藤 私は柳澤さんと同じ考え方で、現在の安倍政権に対する見方は批判的です。安倍さんがやってきたことは、じつは民主党がずっとやろうとしてきて、できなかったことなんです。国家安全保障会議、秘密保全法、そして武器輸出三原則、考えてみたらこれらはすべて民主党がやろうとしてできなかった政策です。それを安倍さんが事実上引き継いだだけなのに、なぜだかわかりませんが安倍さん自身がものすごく前面に出てしまって、逆に周辺諸国のみならずアメリカにもある意味ではけんかを売っているような感じに見えてしかたがありません。

 それともう一つ安倍さんのことで言うと、歴史認識の問題があります。戦後レジームからの脱却というのが、たぶん安倍さんのめざす最高の目標なのだろうと思います。でも安倍さんが忘れていることが一つあって、戦後レジームというのは、実は天皇制と平和主義なんです。この2つがセットなんです。憲法9条を変えるということは、同時にポツダム宣言を受け入れるときに、我々が連合国にお願いした天皇制護持の要求と密接にリンクしていますから、平和憲法だけを変えるということはできない。改憲問題では天皇制をどうするかということが、暗黙裏に問われていると思うんです。このことが解決しない限り、我々の国家戦略はなかなか合意が得られないのではないかと思います。


升味 どうもありがとうございました。時間がかなり押してきてしまったので、ここで今回の会議は締めをすることに致しまして、柳澤さんのほうから短くご挨拶をいただきたいと思っております。


柳澤 さっき私なりの総括といったことも申し上げさせていただきましたし、長くしゃべれば良い知恵が出るというわけでもないので、内容についてはお聞きの通りであります。まだまだ我々自身がつめていかなければいけないし、今日もお話しを伺いながら、このメンバーで合意点を見いだすって、このこと自体も結構難しいなと思いつつ、しかし、非常にチャレンジングでアドベンチャラスな部分もあって、いままで考えないですんできたことを考えなければいけない時代に入ったんだと思うんですね。事務局としては最終的にレポートという形で出版まで持っていきたいという希望をお持ちで、私もそうできればいいと思っていますが、必ずしも統一した結論にならなくてもいいとも思います。加藤先生のご報告などは、そのままテレビで発言してもなかなか数字を取れないと思うんですけれども、いまの世の中に対する体系だった問題提起を、この半年ぐらいでしていければいいなと考えております。引き続きいろいろご批判、ご叱声、あるいはアイデアもいただければと思っております。最後までお付き合いいただきまして、本当にありがとうございました。

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