憲法9条のもとで自衛隊の在り方を考える

2.28 仙台緊急集会

憲法9条のもとで自衛隊の在り方を考える

2016.2.28(日)14:00〜

エル・パーク仙台6階ギャラリーホール(三越定禅寺通館) 会費 500円(資料代)

主催/立憲民主主義を取り戻す弁護士有志の会・野党共闘で安保法制を廃止するオールみやぎの会

協力/自衛隊を活かす:21世紀の憲法と防衛を考える会(略称:自衛隊を活かす会)

登壇者

柳澤 協二
元内閣官房副長官補・自衛隊を活かす会代表呼びかけ人
泥 憲和
元自衛官・防空ミサイル部隊所属

谷山 博史
日本国際ボランティアセンター代表理事
松竹 伸幸
かもがわ出版編集長・自衛隊を活かす会事務局長

2016.2.28 憲法9条のもとで自衛隊の在り方を考える

司会 まず主催者を代表致しまして、今日の主催は「立憲民主主義を取り戻す弁護士有志の会」と、「野党共闘で安保法制を廃止するオールみやぎの会」の2団体の共催ということで、この2団体を代表してご挨拶を頂きたいと思います。


佐久間弁護士 皆様、こんにちは。ご紹介頂きました「立憲民主主義を取り戻す弁護士有志の会」の1人であります佐久間と申します。よろしくお願い致します。今日は大勢の方にご参加を頂きましてありがとうございます。

 我々、弁護士の会は安保法正反対の立場です。もう1つのオールみやぎの会は、この法律が残念ながら成立して以降、街頭での宣伝をしてまいりましたし、野党共闘を実現してもらいたいということで、国会議員の方々にも要請行動を行ってまいりました。また、中央で参議院選挙での共闘のため、市民の力で発展的に共闘を作っていこうということで、様々な会合にも参加してまいりました。

 今日は、昨年9月19日に成立したいわゆる安保法制が3月29日に施行、発動されるという時期を迎え、「自衛隊を活かす会」の皆さん方の多大なご協力により、緊急集会として開催いたします。

 安保法制が発動される第一弾は、南スーダンと言われています。しかも、我々が住んでいるところにある自衛隊の東北方面隊の方々に「駆けつけ警護」の任務が与えられるようです。現地は大変危険で、国連の基地も襲撃されているということで、昨日の報道では、「駆けつけ警護」の任務を与えるのは少し先になるとの報道もなされているところです。

 現地が非常に悲惨な状態になっているということで、この任務を1日でも先送りにする運動によって、自衛隊の方々をイスラム世界で人を殺す加害者にする、殺される被害者となるということは絶対にさせてはならないと思います。

 一昨年の閣議決定から法制が昨年成立するまで、私達は武力では紛争は終わらないという強い気持ちで安保法制に反対しています。しかしながら、安保法制の発動を間近に迎え、私達は紛争地や武力行使の現場の実態を五感を持って学ぶ必要があると思います。現地の実態を知ることで、安保法制の廃止に向けた力をより大きくしていきたいと思います。

 この地、宮城でも野党の統一候補が実現する運びになりました。このような動きに私達も勇気を得て、安保法制を発動させない廃止に追い込むことを目指して、皆さんと一緒に頑張ってまいりたいと思います。今日は長丁場ですが、素晴らしい先生方のお話をじっくり聞いて、考え、感じて、共に進んでもらいたいと思います。最後までよろしくお願い致します。


司会 では、ここからは自衛隊を活かす会事務局長の松竹さんにバトンタッチして司会進行を頂きたいと思います。どうぞよろしくお願い致します。


松竹伸幸

松竹伸幸/かもがわ出版編集長・自衛隊を活かす会事務局長
皆さん、こんにちは。はじめまして。自衛隊を活かす会の事務局長をしております松竹と申します。自衛隊を活かす会を初めて聞いたという方も多いと思います。護憲派の方々には怪しい団体じゃないかと思われると思いますが、一言で言いますと、「自衛隊を活かす」わけですから自衛隊を否定するわけではありませんが、国防軍や集団的自衛権には反対して、現行憲法の下で生まれた自衛隊の可能性を探り、活かしていこうという趣旨で、約2年前に発足した会です。柳澤協二さんが代表で、伊勢崎賢治さん、加藤朗さんが呼びかけ人で、私が事務局という構成でやっております。

 佐久間弁護士がおっしゃったように、安保法制の最初の発動事例とされる南スーダンへの派遣について、当初は北部方面隊、北海道の部隊という報道がなされていましたので、1ヶ月前に札幌でシンポジウムをやりました。

 その後、参議院選挙前に安保法制を発動したら大変なことになると安倍首相は思ったんでしょう。半年遅れで次の東北方面隊を派遣するという報道になってきました。そのような局面になって仙台でもシンポジウムをやりたかったんですが、ちょうどFacebookで繋がっている方に草場裕之弁護士がおられたので相談したんです。それで、ネット上だけの繋がりだけで面識もない2人でシンポジウムをやろうという話になったんですね。

 ですから、ネット社会の発展ということもあるんですが、やはり、この安保法制を発動させてはだめだ、東北方面隊が南スーダンに行くというのに宮城で自民党が勝っていたら安保法制を廃止出来ない、世論を作らなければという気持ち、宮城の皆さんの強い気持ちがあって今日のシンポジウムは実現したのではないかなと思っております。

 1つお断りなのですが、お配りしたタイムテーブルに「特別出演 加藤朗」とあります。加藤さんはずっと防衛庁の防衛研究所の研究員をされていて、低強度紛争やテロの専門家です。自衛隊を活かす会の呼びかけ人で完璧な護憲派なんですが、紛争現場には必ず行くことを信条にされていて、世界各地のいろんなところで捕まって拘束されて、解放されたら「やっぱり憲法9条があったからだよね」と言っておられる方です。今回、南スーダンにも行かなくてはならないということで、3日前に日本を発って、今日のシンポジウムにはSkype(スカイプ)で南スーダンの模様を報告する予定でした。

 ところが昨日電話がありまして、隣国ウガンダの空港から南スーダンに入ろうとしたところで「行ってはダメだ」と足止めをくらってしまい、1日頑張ってみるけれども、どうなるか分からないとのことでした。先ほどもスカイプで繋がったんですが、頑張ったけれどもやっぱり入国出来なかったということで、非常に残念ですが、今日は皆さんにご報告出来ないと伝えて欲しいとのことでした。今は、それぐらい緊迫した局面にあるということです。ぜひ加藤さんには紀行文を書いて頂いて、自衛隊を活かす会のホームページにも掲載したいと思っております。

 自衛隊を活かす会は様々なテーマでシンポジウムを行ってまいりました。元陸上自衛隊幕僚長の方や陸将の方、海将補の方など自衛隊の元幹部の方や、各分野の専門家の方をお呼びして、いろいろな問題を議論しあうというのが自衛隊を活かす会のやり方になっております。今日は元陸上自衛官で防空ミサイル部隊に所属されておられた泥憲和(どろ・のりかず)さんと、日本国際ボランティアセンター(JVC)代表理事の谷山博史(たにやま・ひろし)さんをお迎えして、南スーダン問題など自衛隊の国際貢献や、憲法9条下での自衛隊のあり方などを議論したいというのが今日の趣旨です。ご協力のほどよろしくお願いします。それではまず泥さんから報告して頂きます。よろしくお願い致します。


泥憲和

泥憲和/元自衛官・防空ミサイル部隊所属
現在、南スーダンには陸上自衛隊がいます。そして、ソマリア沖・アデン湾の方にも海上自衛隊が行っております。私の後輩達が現地で苦労しているということで、本日のシンポジウムに呼びかけに喜んで参加させて頂いております。

 今日は南スーダンのことだけに関してお話をしたいと思います。国連平和協力法(PKO協力法)に基づいて、2011年から自衛隊の施設部隊がおよそ350人が駐屯しています。その任務は皆さんよくご存知のように道路を作ったりなどのインフラ整備が主な役割です。しかし、今後は報道されておりますように、南スーダンPKOでは安倍首相が「駆けつけ警護」任務に就かせようということで、今、非常に心配をされているということですね。

自衛隊の海外協力活動

 ところが先日、毎日新聞が「駆けつけ警護 武装集団に対処せず PKOで政府検討」という報道をしました。参議院選挙後にやるとかやらないとかという話ではなくて、今のままでは「駆けつけ警護」なんて出来ないよ、と言い始めたという報道です。

 救援対象が武装集団に襲われている場合でも、原則として部隊を出動させないということです。なぜかというと、自衛隊には武器の使用基準というのがあるんですが、現在の基準では相手の殺傷を目的とした「危害射撃」が出来るのは、正当防衛・緊急避難の場合に限られているからなんです。だから現在の状態では「駆けつけ警護」をやらせることなんて出来ないというのが政府の言い分だという報道なんですね。

 だけどこれはちょっと疑問なんです。今までの法律では自分を守ったり自分の武器を守ったりするためだけ、正当防衛や緊急避難の時だけ武器を使えるという法律だったんですが、今度の安保法制、自衛隊法の改正で、「業務を妨害する行為を排除するため」に武器を使用することが出来るという文言が付け加わっているんですね。正当防衛だけに限らないんです。産経新聞も「殺傷を目的とする危害射撃」が出来るようになるという報道をしておりますし、「PKOの原則を実質見直し」するという報道もされています。

 内閣官房が出している『「平和安全法制」の概要』を読みますと、安保法制以前は、正当防衛や緊急避難の時だけだった武器使用が、安保法制以後は「自己保存型及び武器等防護を超える武器使用が可能」とはっきり書いてあるわけですね。そうすると、先ほどの新聞報道は一体なんなんのか?ということになります。つまり、まやかしなんですね。

 なぜそういうまやかしをしているのか。大きな理由の1つは世論の動きを気にしているということです。

 30歳代のセレブミセスのファッション雑誌「LEE」の2016年2月号では、「もしあなたが投票に行かなかったら」という12ページの特集を組んで、安保法制はこんなに危ないという特集をしています。2015年12月号では、「母親たちの初めての憲法教室」なんていう特集もあって、こういった普通の一般女性誌が安保法制について報道しています。

 他にも、「週刊女性」の2016年2月23日発売号は「憲法を変えて戦争をする国になるの?」、2月16日発売号は「NG言動連発で自民党どうなの?」といった政治問題が大きく表紙に載せられています。「女性セブン」も負けていられなくて、2月18日号では「安倍首相がしれっとやってた"怒”政策」として、「一時は差し止めになったのに、原発再稼働反対の声は届かない」だとか、「『まるでナチスだ』と攻撃されるほどの憲法改正の中身」とか、そして安保法制なんかも特集しています。

 政府はすぐに忘れてくれると思っているのに、国民はなかなか忘れてくれない。自分達の手の届くメディアは抑えられるけれども、女性週刊誌は抑えられない。ジャーナリストが「なぜ女性週刊誌が?」って聞いたら、女性週刊誌の編集部は「売れるからです。こういう特集をしたら1〜2割伸びます」と答えたそうです。非常に関心が高いということです。こういう世論動向に政府は敏感ですから、選挙が終わったからといって、いきなり「駆けつけ警護」はする気はありませんよ、というアンテナトークをしているんだと思います。

 しかし実は、選挙が終わろうが終わるまいが、政府が何を言おうが、自衛隊は「駆けつけ警護」を出来ないし、住民を守れません。それは、安保法制で改定されたPKO参加5原則の「受け入れ国の同意」ということと「中立の厳守」という2つの理由で、結果的に「駆けつけ警護」が出来ない、住民を守れないという状態になっています。

PKO参加5原則

  1. 【停戦合意】紛争当事者の間で停戦合意が成立していること。
  2. 【受け入れ国の同意】当該平和維持隊が活動する地域の属する国を含む紛争当事者が当該平和維持隊の活動及び当該平和維持隊へのわが国の参加に同意していること。
  3. 【中立の厳守】当該平和維持隊が特定の紛争当事者に偏ることなく、中立的立場を厳守すること。
  4. 【撤収可能】上記の基本方針のいずれかが満たされない状況が生じた場合には、我が国から参加した部隊は、撤収することが出来ること。
  5. 【最小限原則】武器の使用は、要員の生命等の防護のために必要な最小限のものに限られること。
(PKO政策 外務省)http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/pko/q_a.html

 ですから、政府としてはこの新しく改正したPKO5原則を乗り越える道を時間をかけて探っていくだろうと思われます。

 どういうことかと言いますと、「駆けつけ警護」や住民の保護というのは反政府武装勢力から住民や他の各国の部隊を守るというのが前提になっていますが、相手は反政府武装集団だけではないんですね。南スーダンの政府軍が住民をコンテナ詰めにして窒息死させたりなんていうことをやっています。

 国連PKOでは、自衛隊は政府軍とも戦わないといけないということです。潘 基文(パン・ギムン)国連事務総長も、「政府軍を含む全当事者に対し、国連施設の不可侵性について注意を喚起する」という声明を出しました。

 なぜこんな声明を出したかと言えば、2016年2月17日夜に南スーダンのマスカルというところの国連キャンプ内で、「国境なき医師団」のスタッフ2人を含む18人が死亡するという事件が起きているんですが、この事件は政府軍が国連キャンプに侵入して、戦闘に参加したため状況が深刻化したと報道されています(現地「ラジオ・タマージス」報道)。政府軍が率先して混乱を惹起、拡大しているわけですね。

 ですから、こうなりますと自衛隊は政府軍から住民を守れません。なぜならば、政府軍が住民を攻撃します。自衛隊は住民を守るために政府軍に武器を使用出来るか?それはできません。武器使用には現地政府の同意が必要だからです(PKO5原則)。政府軍に対する攻撃を現地政府が認めるはずがないです。そうなると、自衛隊は政府軍に武器を使用出来ない、結果として、政府軍の攻撃を止められず、自衛隊は住民を守れないということになります。つまり、PKO5原則の2番目「受け入れ国の同意」(受け入れ国の政府を含む紛争当事者が平和維持隊の活動に同意している)がない。政府軍を攻撃することに同意はありえないから、住民を守れない。

 政府軍からは守れないけれども、反政府軍からの攻撃だけが守れるのかというと、それもダメです。というのは、反政府側にしか攻撃出来ないなら、中立性が失われるからです(PKO5原則「中立の厳守」)。

 ですから、どちらにしても自衛隊は身動きができません。このPKO5原則がある限り、法律を変えてもダメです。そこで今、この原則をどうにか失くしてしまおうというのが政府の考えだろうと私は見ています。自衛隊以外の各国の軍隊は既にそういう立場です。中立性を放棄しています。政府軍とはさすがに戦えないけれども、反政府軍側だけを一方的に攻撃する立場に立っています。中立性を喪失しているので、先ほどのような事件が起きるわけです。

 世界最大の人権擁護団体「HUMAN RIGHTS WATCH」が「コンゴ東部で軍の残虐行為が急増している、国連平和維持部隊が、コンゴ軍の残虐な軍事作戦を支援している」こんな見方をするわけですね。

 別に支援しているわけではないだろうけれども、政府軍も反政府軍も、同じように住民を虐待しているのに、一方的に反政府軍側ばかりを攻撃するのが国連平和維持軍だから、これはもう政府軍の味方をしていると客観的には見られてしまうわけです。

 もし、自衛隊が各国の軍隊と同様の立場になったならばどうなるか?それはこうなります。各国の平和維持部隊は各地で襲撃されています。

 政府軍側に立っている住民以外の全ての住民に敵視されているからですね。自衛隊も今後はこうなるだろうということです。

 ですから、既に欧米諸国はPKOに部隊を派遣していません。南スーダンに部隊を派遣している国名を挙げますと、ケニア、モンゴル、ウガンダ、カンボジア、インド、ネパール、バングラディシュ、その他には中国、韓国、日本だけです。

UNMISSの状況(部隊展開状況)

 西洋諸国は司令部要員として幹部を派遣しているだけです。ですから、自衛隊を南スーダンで「駆けつけ警護」の任務にあたらせるということは、欧米諸国の下請けとして、欧米諸国の代わりに自衛隊が現地の住民の恨みを買わされる、ということになるということです。

 自衛隊が住民を守れない理由はもう1つあります。というのは、今、派遣されているのは施設部隊で、戦闘職種ではないんです。道路工事とかが専門の部隊です。こう言った専門職種の隊員というのは戦闘訓練をほとんどやっていません。やっても年に1、2回、タコツボを掘って敵が向こうから攻めてくるのを待ち構える、あるいは匍匐前進して一斉突撃というような訓練しかやっていません。市街地で敵と渡り合うとか、住民を防護するまでの訓練は全くやっていないんです。そんなことをやる暇はないんです。それだけ難しい専門の訓練をやっていますのでね。

 そして、自衛官は誰でもそうですが、訓練したことしかできません。ですから、派遣している部隊をそのまま「駆けつけ警護」や住民防護に使うととんでもないことになります。そんな任務は失敗します。多数の死傷者が出るでしょう。そんなことは自衛隊側としては初めから分かっていたはずなんですが、なかなか官邸にそれが伝わらなかった。今になってようやくわかってきたのかな、という気がします。

 それどころか、自衛官は自分の身も守れません。安倍総理は危険ではない理由として、これから「駆けつけ警護」などの特別の訓練をしていく、これまではできなかった訓練をするから、習熟するので安全が増しますと国会で答弁しました。しかし、訓練をするには訓練用の弾薬、実弾訓練が必要なのですが、自衛隊は今、弾薬予算を減らしています(2015年度は対前年比112億円減)。「ヒゲの隊長」の佐藤正久参議院議員もツイッター上で怒っています。「オスプレイだとか、水陸両用車だとか、「高額輸入品」を買うために弾薬予算が減らされている。こんなことでどうして訓練が出来るんだ」と佐藤さんが言うぐらいです。

 「日刊ゲンダイ」が2015年2月26日に報道しましたが、なぜそうなっているのかと言えば、「これは官邸が決めたことだから動かせない」。官邸主導なんですね。

 ですから、現実離れした法律論だとか、現場を無視したおかしな命令、そんなこと全てが官邸主導だったんだろうと思います。官邸主導で自衛官がどんな扱いをされているか。「東洋経済」が「自衛官の『命の値段』は、米軍用犬以下なのか」という報道をしました。

 どういうことかと言いますと、自衛隊員の個人携行救急品は、手袋を除いて、包帯と止血帯しか入っていないんです。消毒薬も何も入っていないんです。PKO部隊には特別に消毒用の手袋だとか、何品目かは付け加わってはいますが、これだけでは足りない。

個人携行救急品(現行)

 ちなみに、米軍の救急キットというのはこれだけ入っています。赤字で書いてあるのが、自衛隊の救急品袋に入っていないものです。

米軍仕様救急キット

 自衛隊の救急品袋は全く実戦的、実用的ではないんですね。自衛隊も考えていないわけではなくて、去年、個人携行救急品に米軍が持っているようなものを増やそうか、ということを検討したんですよ。

個人携行救急品(有事緊急救命処置のために追加が必要)

 検討はしていたんですが、現在はどうなっているかといったら、「防衛省・自衛隊の第一線救護における的確な救命に関する検討会」というのが、去年の9月で中断したままです。出されるはずの報告書も出されていません。そんなことはおざなりにして、オスプレイ買ったり、そういうことばっかりやっている。

防衛省・自衛隊の第一線救護における的確な救命に関する検討会

 自衛隊員の命を守る方策が全くおざなりにされています。米軍は個人携行救急品だけではありません。前方で怪我をすると、まず個人携行救急キットで応急処置をします。それで少し後ろに下がって、小隊用救急キットでもう少し手厚いことをします。病院に運ぶ前には車両に搭載されている救急キットで対処します。自衛隊ではそういったものは一切用意していません。

米軍仕様救急キット 小隊用救急キット

 怪我をした隊員をどうやって救うのかということが、本当におざなりにされています。こんなことでは自衛官が殺されてしまいます。下の写真は自衛隊グッズ専門店の広告です。こう書いてあります。「現職の隊員様、戦闘装着セットはなくすと大変なことになりますので、演習の際は是非当店の救急品袋をご使用ください」。これは笑い話ではないです。私もそうしていました。官品を無くしたら大変なので、官品は使わずにしまっておいて、自分達で私物を買って使っていました。これは袋だけです。中身や薬は個人で購入します。これが自衛隊の実態です。

自衛隊グッズ専門店の広告

 もっと恐ろしいことに、TECMAGAというアメリカの会社が日本に進出しました。何を売っているか。「警察、自衛隊、海上保安庁、警備会社又それに準ずる組織の皆様へお知らせ!3月から日本国は『ハイブリッド戦争の時代』になります。備えは万全でしょうか?弊社は世界最高レベルの戦闘外傷救護教育を提供します」自衛隊も海上保安庁も教育してくれないでしょう?私達が教育してあげますよ。隊員の皆さん、勉強しに来てくださいね、ということです。

 前例があるんです。自衛隊では市街地戦闘訓練を全くやっていなかったころ、自衛官は個人で戦闘インストラクターに習いに行っていたんです。これが本当の自衛隊の実態です。それで戦闘に参加させられて、殺されるのは自衛官ですから冗談ではないです。憲法9条に対する立場を除いても、これほど出鱈目なことに自衛隊を送ってはいけないというのが私の意見です。以上です。


松竹 どうもありがとうございます。後の討論の中で更に詳しいお話を頂きたいと思います。

 次は、日本国際ボランティアセンター(JVC)代表理事で、2015年より国際協力NGOセンター(JANIC)の理事長をされておられます谷山博史さんです。日本国際ボランティアセンター(JVC)については、今日の「しんぶん赤旗」(2016年2月28日)の1面と2面にJVCスーダン事務所代表の今井高樹さんの手記が詳しく載っております。今の日本で、南スーダンに一番近いところで活動をされておられるのが谷山さんです。よろしくお願いします。


谷山博史

谷山博史/日本国際ボランティアセンター代表理事
ご紹介に預かりました谷山と申します。私は1986年からタイ・カンボジア国境の難民キャンプで活動を始めて、その後、ラオスで3年半、そしてUNTAC(国際連合カンボジア暫定統治機構)のPKOが派遣されていたカンボジアで、1992年〜1994年の2年間、活動していました。一旦、東京に帰って事務局長をしておりましたが、9.11後のアフガニスタン戦争の後、自分で手を挙げてアフガニスタンに赴任しまして、東部のジャラーラーバードを拠点に4年半ほど活動をしていました。

 私はこれまで12年間、現場を歩いてきたんですが、PKOや多国籍軍が展開しているところに赴任していることが多かったです。当然の話なんですが、NGOにとって紛争地での人道支援というのは、そもそもミッションですから、PKOが派遣されようがされまいが、自衛隊が派遣されようがされまいが、私達はそこに行くんです。

 私達は現場で外国軍に守ってもらおうと思ったことは、一度もありません。逆に、外国軍が近づいてきたら逃げる、あるいは外国軍と共に行動しないよう、細心の注意を払うことによって、自分達の安全を確保してきました。徹底した情報管理、情報収集をしながら、特に地元の人達の需要を掴むことを徹底することによって、情報がつぶさに入り、危険なところには近づかないようにすると同時に、本当に危険な時には守ってもらうということでしか、私達は自分を守る術がないと思ってやっていました。

 今日は南スーダンでの話を中心にということですが、後でアフガニスタンやイラクの現場、外国軍が展開されていた現場でどういうことが起こっていたのかということにも触れたいと思います。やはりアフガニスタン戦争、イラク戦争を検証せずに、今後、日本が紛争現場に自衛隊を送るというのは、とても危険なことなので、2つの戦争を検証し、振り返るということは絶対に必要だと私は思っています。

 これは私達の活動の紹介です。現在、世界10カ国で活動しています。地域開発や人道支援、あるいは政策提言などの活動をしています。

日本国際ボランティアセンター代表理事の活動

 一昨年の集団的自衛権の閣議決定の前から、私達はこの安保法制に危険を感じて、反対の声をずっと上げてきましたが、私達のJVC単独ではどうしようもないということで、現場の声を反映するため、他のNGOの仲間を集って「NGO非戦ネット」を昨年の7月2日に発足致しました。

NGO非戦ネット

 安保法制の骨子について詳しくはお話ししませんが、なんと言ってもボロボロな、ボロ布のような法律に則って自衛隊が紛争地に派遣されたらたまったものではないということを強く感じています。

 例えば、存立危機事態法制に関して言えば、何が存立危機事態なのかということがあまりにも曖昧です。国家安全保障会議で判断されるということなんですが、その根拠となる情報に私達が触れることは出来ないわけです。昨年の国会審議を聞いていると、何が存立危機事態なのかという議論の中で、経済的な要因まで飛び出してくる、これでは日本の経済的な権益を守るために武力行使をするということではないかと感じています。

 重要影響事態法や国際平和支援法で言われている外国軍に対する後方支援、或いはPKO法の改正で可能になった武器使用ですが、これはそもそも紛争地において外国軍への後方支援であり武装勢力に対して行われる武器使用ですから、現場の観点からすると、これは武力行使あるいは武力行使との一体化以外の何物でもないわけです。それはある意味で、憲法違反でもありましょうし、それ以上に現場で紛争当事者になるということを現実のリアリティとして、私達は本当に考えないといけないと思っています。そのようなところに自衛隊を行かせたくないということです。

 これまでの紛争というのは、アフガン戦争、イラク戦争、リビアでの戦争も、対テロ戦争という性格がとても強くなってきています。対テロ戦争は普通の戦争とは違います。敵がどこにいるか分からないような状態の中で、外国軍が入って行って、鎮圧するという状態になっていますので、ちょっとやそっとで終わる戦争ではない。場合によってはずっと終わらない戦争です。交渉も出来ません。相手がテロリストであったら交渉はしないというのが対テロ戦争です。そして対テロ戦争は「住民の中で戦う戦争」です。したがって、外国軍にとっては前線も後方もない、どこから狙われるか分からない、「テロリスト」に対して撃ち返したら住民を巻き込むという、そういう性格の戦争です。

 南スーダンでの戦争に入る前に、スーダンの紛争について触れたいと思います。私達が南スーダン独立前のスーダン南部に入ったのは2007年からです。2010年まで「自動車整備学校」を開設して、帰還難民などに対する職業訓練を行ってきました。スーダン共和国の北の方には2005年の包括的和平協定の後に入って平和構築の活動をしていました。

 本来であれば、スーダン紛争は2005年の包括的和平協定で解決したはずなんですが、2011年の南スーダン独立の前後に南スーダンと境界を接する州で内戦が勃発しました。私達が活動していたのは南コルドファン州で、州都はカードゥクリと言います。私達の事務所はそのカードゥクリという州都にありました。突如、内戦が勃発して、事務所にいた駐在代表の今井高樹は孤立してしまったんですね。

 写真をまずお見せしましょう。これがカドクリ市内の爆撃被害の写真です。

カドクリ市内の爆撃被害

 これは農村部で洞窟に避難している親子の写真です。長い紛争を経験してきたスーダンの人達は、戦争になるとこうやって洞窟に逃げるんです。

スーダン農村部で洞窟に避難している親子

 紛争が始まった時に、今井は国連に自分の所在を何回も電話で伝えていますから、当然、PKOにも紛争に今井が巻き込まれて孤立しているという情報は入っていました。しかし、PKOが助けに来てくれた訳ではありません。その時の状況を今井がこのように伝えています。

──「私が緊急退避を行なった際の状況は、政府軍と反政府軍とがともに民兵を動員し、正規兵・非正規兵の区別が曖昧な中で戦闘が行なわれていました。明確な指揮系統はなく、市内では戦闘と同時に、『兵士』が商店や住宅に押し入り、『敵兵』を探索しながら、破壊や略奪行為が行なわれていました。誰が破壊・略奪をしているかもよく分からないまま、危険はNGOや国連の施設にまで迫っていました。平和維持軍(PKO)は戦闘に巻き込まれることを恐れ、部隊の派遣を躊躇したのです。」──

 それはそうですよね。こういう混乱した中でやってくる外国軍であるPKOが、住民であれ外国人であれ、助けようとしたら完全に巻き込まれてしまいます。事務所で孤立した今井は、夜間に10名以上の兵士に襲われたと言いますか、事務所に押し入られて、しばらく拘束された状態になりました。その間に私達の事務所の物品や金銭は全て略奪されました。その時にPKOが突入していたら、今井の命があったかどうか分かりません。私達はこういう時、どういう対応をしたらいいかという訓練をしていますので、結局、今井は拘束されながら相手を刺激しないよう息を潜めていました。そのうち兵士達は去っていきました。最終的に今井を助けに来たのは国連の非武装の民生機関の車両でした。

 南スーダンでは、イーダ難民キャンプというところで活動をしています。南スーダンの内紛、内戦は、2013年半ばの大統領派と反大統領派の対立から始まって、大統領、副大統領それぞれの出身部族が政治的な闘争に巻き込まれる形で、部族間の抗争に発展したという構図になっています。

南スーダン イーダ難民キャンプでの教育支援

 現在も166万人の国内避難民が特に北部、東北部に大量に発生しています。難民も64万人が国外に逃げているという大変な状態になっています。政権の中での闘争が民族間の闘争に発展して、住民同士が殺しあうという、内戦というべき状況になってしまったわけです。

南スーダンの難民

 去年(2015年)8月には南スーダン政府側と反政府勢力側が和平合意に達したわけですが、実際には、アッパーナイル州、ユニティ州、北部あるいは東北部の地域での戦闘は収まっていません。

 PKOそのものは平和的な解決を目指して派遣されます。紛争当事者の合意があって派遣されるのが伝統的なPKOですが、今現在のPKOは国連憲章の第7章に基づいて、和平合意がなくても派遣するという性格が強くなってきています。

 これまでと違い、南スーダンのPKO(UNMISS)の任務も昨年10月に明確に国連憲章第7章に基づいての派遣であるとされました。南スーダンの状態が地域の安全や国際平和への脅威であると認定した上での派遣に変わっています。そこに日本の自衛隊も派遣されているという状態なわけです。

スーダンと南スーダンの紛争から駆けつけ警護を考える

 先ほど、泥さんからお話がありましたが、南スーダンでは今、民族間の対立、紛争だけではなく、国連PKOに対する攻撃も頻繁に起こっています。ドクターが狙われたり、河川航行中のPKOの船舶が拘束されるということもありました。多くの場合、PKOも武装勢力と交渉によって解決に至るケースが多いようです。これまでの紛争を見ていて、PKOが「駆けつけ警護」のような任務をした例というのは見当たりません。多くの場合、司令官が交渉する、或いはいろいろなことに対応出来るように、武装勢力側、政府軍側の双方に対して、信頼関係を作れるということが司令官に求められる任務だと言われています。

 これらの状況を見て、南スーダンで「駆けつけ警護」ということをもし考えるとすれば、以下のようなことが言えると思います。

スーダンと南スーダンの紛争から駆けつけ警護を考える

 UNMIS(国際連合スーダン派遣団 United Nations Mission in Sudan)も、UNMISSも(国際連合南スーダン派遣団 United Nations Mission in the Republic of South Sudan:)も、「駆けつけ警護」はしなかった。これからするんでしょうか?

 「駆けつけ警護」は、対立が紛争になってしまった段階で抑え込む鎮圧ですから、交戦に発展する可能性があります。そして、武装勢力に対して武器を使う場合、武装勢力が政府軍なのか、反政府軍なのか分からないケースがままあります。

 武装勢力が政府軍だった場合、これは完全に憲法違反です。紛争解決において武力行使をしないというのが憲法の規定ですから。だから、駆け付け警護で武器を使用する場合は、相手が武装勢力であっても紛争当事者ではない場合に限ると日本政府は言っているわけです。それで憲法違反ではないと言っています。法律に書いてある「国及び国に準ずる組織」でない場合は、武力を行使しても大丈夫なんだという机上の空論を言っているわけですが、それは現場では何の意味もありません。

 紛争当事者を武器を使って鎮圧をすれば、自衛隊そのものが紛争当事者になり、狙われ、それに対してまた反撃をするという循環に陥っていくわけです。そもそも、武器使用は武力の行使です。そして、今の南スーダンは紛争状態です。そもそもそういう状態の中に、自衛隊が派遣されている状態そのものを捉えなければいけない。これは一昨年の段階で議論をしていなければいけなかったのですが、私達は国会で議論されることなく、今まで来てしまったということについて、本当に反省しています。

 最後に、自衛隊の活動の新たな展開は、必ずしも国連との関係だけではありません。自衛隊法の改正によって、治安支援という名目で、あるいは対テロ支援という名目で、要請があれば自衛隊を派遣して、邦人の警護などを含む活動が出来ます。その際にも「駆けつけ警護」が出来る、武器使用が出来るという形になってきています。

 自国人の保護の名目で南スーダン紛争時に軍隊を派遣した例として、隣国のウガンダがあります。

自国民救出のための軍の派遣(「積極的平和主義」は紛争地に何をもたらすのか?!から

 在留ウガンダ人の救出、救護を名目として軍隊を派遣しましたが、結果的にはウガンダ軍が派遣されたことによって、南スーダンの住民の反発が高まり、ウガンダ人に対する襲撃が始まったということが1つの教訓として残っています。


松竹 ありがとうございました。最後の報告は柳澤協二さんより頂きます。柳澤さんは、皆さんご存知のように元内閣官房副長官補として、イラクに自衛隊を派遣する側におられた方です。

 私が柳澤さんのお名前を知ったのは、今では「旧ガイドライン」になりますが、当時の「新ガイドライン」や周辺事態法を作った側におられた方として、私にとっては昔、敵だった方です(笑)。2009年頃に柳澤さんは退職されたんですが、朝日新聞に「沖縄に海兵隊はいらないんだ」という趣旨の論考を出されて、ぜひ柳澤さんにお会いして本を書いてもらわないといけないなと思って、6年ぐらい前にお会いしたんです。その時は自衛隊を活かす会で一緒に活動することになるとは思いませんでしたが、そういう過去や、いろいろな自衛隊派遣の経験も熟知しておられますので、そういうお話をお願いしたいと思います。


柳澤協二

柳澤協二/元内閣官房副長官補・自衛隊を活かす会代表呼びかけ人
泥さん、谷山さんには大変生々しいお話をありがとうございました。私が今までお給料を貰って政府の中でやってきた仕事が、いかに現場の実情を知らずに、そして欺瞞に満ちていたものかということをグサグサと言われたような気持ちで、大変「心地よく」聞かせて頂きました。

 私は昨日、佐賀県に講演に行ったんです。新型輸送機オスプレイが配備されようとしてる佐賀空港を利用したんですが、講演で「今度、自衛隊のオスプレイが来るので、反対したいんだけれども良いかね?」との質問を頂いたので、「私もあの飛行機については、全く必要性が分からないんですよ。アメリカのおつきあいで買うだけだから、反対したら良いんじゃないいですか」と言ったら、柳澤さんのお墨付きをもらったから頑張ると言われていました。今日また泥さんからオスプレイの話があって、ヒゲの佐藤さんも怒っておられるということで、人間、やっぱり共感するところは結構あるものだな、と思って感心して聞いておりました。私は、自らの欺瞞の歴史を振り返りながら、今日はどうしてこういうことになったのかということを申し上げたいと思います。

 冷戦の時代は率直に言って、防衛庁の私の上司や先輩、各自衛隊の高級幹部の方々も、本音を言えば、戦争があるとは誰も思っていない時代でした。でも、ソ連が隣にいるので、いろいろな構えをしないといけないということで、自衛隊が存在することに意味があった時代だったんですね。

 冷戦が終わり、湾岸戦争が起きて、さあどうするかといえば、日本は何も出来なかったわけです。130億ドル、その後の為替レートの変化で5億ドルを追加しているから135億ドル、2兆5,000億円ぐらいのとんでもない金を出して、そしてこれを何に使ったかと言えば、アメリカ軍の戦費としてアメリカに支払ったわけです。

 湾岸戦争が終わって、掃海艇を出したんだけれども、全く評価されなかった。やはり、人を出さなきゃダメなんだ、なんとかして自衛隊を使っていくんだということで、湾岸戦争が契機なので「湾岸のトラウマ」と言っていますが、「自衛隊を出さないといけないんだ」という、一種のオブセッション(固定観念)が出来たわけです。その固定観念が、私も含めて、政府の政策決定者の方でだんだん固まってきたということだろうと思いますが、その時に2つの流れがあるんです。

湾岸のトラウマからBOOTS ON THE GROUNDへ

 1つは国連協力です。1991年の湾岸戦争の後、1992年にはPKO法を作って、カンボジアPKOに初めて自衛隊を出します。これは、当時も戦争になると言われて反対されていたんですが、現に戦争にはならずに帰ってきたわけですね。つまり、1人も殺していないんですね。1発も撃っていないわけです。カンボジアPKOというのは明石康国連事務総長特別代表が先頭になって、日本が主導したPKOだったんですね。その流れが1つです。

 もう1つは、1993年の北朝鮮の核開発を契機にして、アメリカ軍が出ているのに自衛隊が何もしなければ日米同盟は終わってしまうみたいな危機感があって、同盟協力の文脈が出てきたんですね。

 それが1997年の日米ガイドラインと、それに基づく周辺事態法が1999年に制定されています。その流れの中で、9.11テロがあって、アメリカがアフガン戦争を始める、そうすると、とにかく自衛隊を使うことが第一という発想で固まっていたわけですから、インド洋に海上自衛隊の船を出して、給油活動をやることになりました。

 当時は「アメリカの味方かテロの味方か立場をはっきりさせろ」という意味の言葉なんですが、「SHOW THE FLAG」という言葉が言われていました。そして、イラク戦争を始めると今度は「BOOTS ON THE GROUND」ですね。要は、兵隊を同じ戦場に送って、同じ国土の上で軍事リスクを共有する、そうしなければ、本物の同盟国ではないという流れの中で、特に同盟協力の方でいろいろ進んで、ついにイラクまで行っちゃったというのが私の実感です。

 当時、小泉総理も「日本はイラクの安定のために尽くしている。国連安保理も改革して、自分も安保理に入る資格があるんだ」ということをおっしゃっていました。安倍さんも去年の国連総会で、集団的自衛権とは言っていないかもしれないが、積極的平和主義でいろいろなことをやれるようになったということを引き合いに出して、常任理事国入りに意欲を示しています。しかし、こういう流れはずっと失敗するんですね。それはなぜかというと、アメリカの力を補完するという意義しかないわけですから、多分今度もなかなか上手くはいかないと思います。

憲法との整合性 限りなく現実に近い虚構

 ただ当時、憲法との関係ではやはり悩ましいところがあって、PKOの場合は先ほど泥さんも言っていたPKO5原則という、停戦合意が当事者間であって、当該国の両方の当事者がPKOを受け入れるという停戦の合意をしていて、そして活動が両者の間に隔たりなく中立の原則で行われていて、そのいずれかが崩れたら自衛隊は撤収して帰ってくる、そして武器使用は身を守るための最低限にする、これが5原則なんですが、そういうことで基本、戦争はないんだという前提でPKO法はできているわけですね。

 一方で、先ほど申し上げた対米協力の方のスキームなんですが、アメリカ軍は戦争をしているわけです。その後ろで──後方支援と言うと呼びかけ人の伊勢崎賢治が「そんなのはごまかしだ」と言って怒るんですが──、兵站活動をするわけですね。そうするとアメリカ軍の戦闘、戦争と一緒に戦争するんだろということになるとそれはまずいので、そうならないために、非戦闘地域で、それ自体は武力の行使にはならない輸送とか、情報提供とかをやりますということで、「一体化」という概念を作ってきたわけですね。

 そのために非戦闘地域で、武器・弾薬はあげないということまで法律で決めていた。今度は、もう非戦闘地域という概念はやめてしまう。今、戦場でなければ、どこでも行けるようにした、弾薬はあげないと言っていたのをあげられるようにしちゃったというのが、今度の安保法制なんです。

 先ほど、谷山さんのお話にありました「国または国準(国に準ずるもの)」です。端から見れば同じことだということなんですが、日本人なりの憲法を理解する上で、日本国憲法には国際紛争を解決する手段として武力の行使を放棄すると書いてあるわけですね。

 国際紛争とは何かと言うと、国際法の主体同士の紛争です。国準とは、相手国に、相手国と同等の政治力を持った──何と言うのでしょうか──、反政府団体、を国に準ずるものと言っているんですね。

 国準を相手に自衛隊が戦っちゃったらそれは憲法9条の違反になる。しかし、相手が国準でなければ、相手が単なる強盗や盗賊だったら、撃っても別に憲法に違反しないよねという理屈でやってきたわけです。

 しかしこれは、例えば、シリアの和平協議が進んでいます。アサド政権とアサドに反対する自由シリア軍が和平協定のテーブルに入ってきている、これらは「国または国に準ずる」相手なんですね。これらと交戦してはいけない。だけど、ISIL(イスラム国)は和平交渉に呼ばれていないんです。ISILが「国または国に準ずる」団体ではないということになると、交戦しても憲法には違反しないということになります。何かそれって変だよね?結局、やることは一緒でしょ?ということなんですね。

 これからいろいろと大きな矛盾が出てくるはずです。今までもこういう矛盾はあったのですが、私はそれに気づかずにずっと防衛官僚をやってきました。なぜ気づかなかったか。それは、1発も撃っていないから、気づく必要がなかったんですね。

 それは確かにいろいろなごまかし的なガラス細工のような理屈はあった。しかし、それが壊れなかったのは、自衛隊が1発も撃たずにこれまでやってきたからなんですね。今度の安保法制では、撃たなければいけない仕事が出てくるわけです。だから、現憲法との矛盾もはっきり出てくる、そして現場の抱える矛盾もはっきり出てくるということです。

 私は官邸にいた時、陸上自衛隊のイラク派遣をずっと統括する立場にいました。1人も死なずに帰ってきたことを、私はまず良かったと思っているのですが、なぜ、それで済んだかということを、小泉総理に記者会見で言って頂いたんです。1人の犠牲者も出なかったのはいいことですが、もっと大事なことは、1発も撃っていないことなんだということなんですね。イラクにいた陸上自衛隊の相手は全部イラク人です。何万人もイラク人がいます。そこで1発撃ったなら、何発返ってくるのかということを考えないといけないということですね。それを考えると私は本当につくづく撃たないでくれて本当に良かったと思います。と同時に、政治の雰囲気も、そんなに無理して撃つような状況になっちゃまずいよね、という雰囲気があったんです。隊員の皆さんも抑制的に頑張ってくれたんですね。

 やはり、自分の属する組織の雰囲気というものが最後に人間の判断を決めちゃうんですね。そうすると、今の政権のような状況でやっていけば、撃たないで帰ったら怒られるんじゃないかという発想になるんだろうなと思います。これはすごくまずいと思うんですね。イラク以上のことをやったら、絶対に戦死者が出るというのが私の確信です。だから今、声を上げなければいけないと私は思っているんです。

 先ほどもお話がありましたが、自衛官個人の武器使用権限という法律で撃つわけですから、戦闘行為じゃないんです。国家の意思ではやっていない。殺しちゃったら殺人罪ですからね。自衛官の刑事責任が問われるような矛盾をそのままにして、自衛隊にミッションを与えようとしています。

 先ほど泥さんが言われていた、毎日新聞の「駆けつけ警護 武装集団に対処せず」との報道ですが、もしかすると、早とちりの誤報の類かもしれないという思いもしました。

 しかし、もう1つ私が感じたのは、一貫して防衛省は安倍政権に逆らっていないんですね。ただやっぱり、これはかなり無理があるなという認識はあるけれども、法律が出来るまでは表立っては逆らってはいない。その代わり、法律が施行される段階になれば、自分達の世界だから、正しくリスクを分析して、やれないことはやれないという姿勢はそれはそれで、ある程度あるんだと思います。

 「駆けつけ警護」といっても、相手が武装勢力だったら正当防衛じゃないと相手を傷つけてはいけない。危害許容要件が正当防衛に限るというのは当たり前のことだと思うのですが、正当防衛にあたる緊急性が何もなくて、先制攻撃で相手をやっつけるというのは、あからさまな戦闘行為そのものになっちゃうわけです。そういう武器使用、相手を傷つける射撃が出来ないから、武装勢力が相手の「駆けつけ警護」はやらないという話がその新聞報道なんですね。

 そういう理屈を言うと、邦人救出だって同じなんです。危害許容要件は、正当防衛、緊急避難の時以外、相手を傷つけてはいけないんです。ところが外国の常識では、戦争とは先に相手をやっつけることなんですね。そういうふうになっていくことを今後展望しているのか。あるいは安保法制は作るだけ作らせたけれども、実行段階では多少、面従腹背して、現場の実情を反映して慎重にやっていこうか、という防衛省の意志の表れなのか、その辺はこれから見ていく必要があるのかなという感じがします。

 先ほどのお話で、政府が「訓練すればリスクも減る」と答弁したという話がありました。それはどんな訓練をするんですか?ということなんです。例えば今、各国の軍隊で最もやられている訓練は何かと言えば、攻撃の仕方に自爆テロというのがあります。市民の格好をしてお腹に爆弾を巻いて近づいてきて、自分もろとも爆破するわけですね。自爆テロを防ぐにはどうしたらいいか。10〜15メートル以内は爆風が来ますから、それ以上近づいた相手を殺すしかないわけです。各国軍隊で今、最もやられている訓練はそういう訓練です。顔の見える、目の前にいる相手に向かって引き金を引く訓練が必要になるんです。それはアメリカ軍も認めているように、人間の本性に反するものすごく難しいことなんです。だから考えないでやれるようにするための訓練が必要です。

 ただそれが、本当に安全になるのか、犠牲を減らすのかということですね。テロリストであったらいいとは言わないが、殺しちゃって、普通の市民だったらどうするんですか?ということですね。相手がテロリストであっても、憎しみの連鎖の中に入っていくわけです。本当にそれが訓練で安全になるというのが、私は本当に馬鹿じゃないかと思うんですね。どういう訓練かも分からないでそういうことを言っているのかね。

 もう1つ、自衛官は「事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、もって国民の負託にこたえる」という服務の宣誓をしています。一番最初に何と書いてあるか。ここに私は最近こだわっています。こう書いてあるんですね。「私は、わが国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し」と書いてあるわけです。

自衛隊員の服務の宣誓

 そして「日本国憲法及び法令を遵守し」と書いてあります。──最近ではブラックジョークのように聞こえてしまいますが──、そのために「事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め」とあり、一番大事なことは「もって国民の負託にこたえる」ということなんですね。総理大臣の命令や、総理大臣の意志にこたえるんじゃないんですね。裏から読めば、国民が本当に負託しているのか。それがなければ、命をかけるということにはならないんです。逆にそうでないと死ねないんですね。

 私達が自衛隊を活かす会をやらさせて頂いているのは、憲法9条について、この間も国会で、自民党の稲田朋美議員と安倍総理の間で議論があったんです。9条2項で軍隊を持たないと書いてあって、自衛隊の存在を説明しにくいから、それは変えた方がいいのかもしれないというようなことです。私はこれは、二重の意味でおかしいと思うんです。

 1つは、説明しにくくても、まずそれをきちんと説明するのが現職の総理大臣の責任でしょうというのが1つ。もう1つは、分かりにくい、国民の理解が得られないから憲法を変えるというのなら、国民が理解出来ない安保法制はどうするの?安保法制も変えるの?という話になるんです。憲法学者の7割が自衛隊に反対している、だから憲法を変えるんだと言っている。そうなると、安保法制は憲法学者の95%が反対している──賛成しているのは3人しかいないわけですから──、そっちをどうするのかという話になります。

 要は今、憲法9条の中身、憲法9条の下でどうして自衛隊がいるのか。それは災害派遣で国民を献身的に助けながら、そして60年間、海外で1発も撃っていない、1人も殺していない、1人も戦死者を出していない、そういう自衛隊の姿を90%の国民が支持している。つまりそれが、生きた憲法9条の内容なんだということなんです。なぜ総理大臣が胸を張ってそう言えないのか──そう考えていないからなんですが──。私達は、そういう自衛隊を国民が支持してきたということを出発点にして、これからも活動していきたいということです。ありがとうございました。


松竹 ありがとうございました。この後、会場の皆さん方からも質問を頂いて更に議論をしていきますが、まず、この4人の討論という形で議論したいと思っています。

 1つは、南スーダンとの関わりもあるんですが、自衛隊の国際貢献そのものをどう考えるかということなんですね。今日ご参加の皆さん方は安保法制廃止ということで頑張っておられますが、廃止が実現したとしても、従来の自衛隊法やPKO法は残ります。それをどう見て、どう運用していくのか運用しないのか。安保法制を廃止したとしても、そういう問題を考えなければいけないわけです。

 私が印象に残っているのは、柳澤さんが官邸におられて、自分が統括したイラク派遣にすごくこだわって、何か総括しなければダメだ、反省すべきところはたくさんあるからというので、一生懸命、悩んで取材をして、本も書いておられるという過程なんです。

 同時に、今言われたような対米協力、米軍協力の枠ではなく、南スーダンの問題が浮上してきました。民主党政権で南スーダンに行くという話になって、当時、南スーダンは独立したばかり、世界で一番若い独立国で、国づくりをなんとかしなければダメだよね、という時に、どう協力しなければならないのかという雰囲気が充満していて、柳澤さんも、イラクはダメだけれども、南スーダンは絶対に行くべきだというようなことをおっしゃっていたと記憶しています。今では全く状況が違っているわけですが。

 そういうことも踏まえて、自衛隊が海外に出ていって国際貢献をする時に、それを支持するか支持しないか、何がその基準になるのでしょうか。柳澤さんは柳澤さんのお考えがあるでしょうし、JVCはJVCでまた違った考え方もあるだろうし、泥さんは泥さんの考え方もある。その辺りについて柳澤さんからお願いできましたらと思います。


柳澤 ありがとうございます。と言いますか、ありがたくない質問なんです。やはり私は自分がやってきた仕事に引っ張られる部分があるんですね。この間、それをどう切り捨てていくのか、自分の中で総括していくのかという、そういうプロセスも多かったので、今、松竹さんが言われたように、私は対米協力の文脈でギリギリ最後のところまで行ったのがイラクだと思っているんです。

 イラクの復興支援と言いながら、今でもイラクの状況はメチャクチャのままです。アメリカがやろうとしていた、アメリカ軍がやっていたことの本体がうまくいっていない。だからどう支援したって、それは失敗だったと言わざるをえないという感じになるんです。

 それに対して、南スーダンは当時、国際社会の祝福の雰囲気があって、そうであるなら、国連協力の文脈で──どうも日本のPKOというのは、アメリカから褒められるところは一生懸命やる気になるけれども、アメリカが無視しているところはあまりやる気が出ないというところを私はずっと経験してきたものですから──、これは、そういうところは行ったほうがいいよね、という感覚を当時持っていたことは間違いないのですが、ただやはり、今は状況が悪すぎると思います。

 イラクは本当にギリギリというか、アメリカがイラク戦争をやって、同時に失敗して、それが元で今、とても自衛隊の手に及ばないほどの悪い状態になっています。アラブの春というプロセスを経て、北アフリカ、アフリカの奥深くまでそういう状況が進んじゃっているということなんだろうと思います。

 私はなんとか自衛隊を使う道はないかと考えて、非武装の任務、あるいは身を守る武器使用だけをもって人道支援をして、戦闘行為には加わらないような任務のあり方はないかな、と考えてきたんですが、今の中東やアフリカではそのような任務はないと思います。

 日本はそういうところで今やることはなくても、これからやることはいくらでも出てくると思います。現に谷山さん達もそれでやっておられるわけです。今、日本は手を汚さないことによって、当時のイラクで自衛隊が歓迎されたように、原爆を落とされたのに経済大国として復活した日本なんだから、自衛隊が来れば次にトヨタと日産とソニーが来てくれる、という部分で方向性を示していくのが日本のブランドなんだろうと思います。

 私は今、自衛隊を出すというのは基本的に我慢しなければいけないと言いますか、やってはいけない時期で、むしろ自衛隊を出すことで、日本が将来、役割を果たす上でマイナスになる要因の方が大きいと思います。ISILなるものは叩き潰せるかもしれないけれども、そのプロセスで生じた恨みが元で、また別の何らかの組織が出てくるわけですから──そういういたちごっこをアメリカがやっているわけですが──、日本はそこから距離を置いて、もっと大きな展望で、本当に根本的な解決に繋がるようなビジョンを持って活動していく、そういうポジションをきちんと持つべきだと私は今思っています。


松竹 ありがとうございます。谷山さんは最初の報告で、アフガニスタンやイラクのことは後でとおっしゃっていましたが、そういうところも含めてお考えを聞かせていただければと思います。


谷山 自衛隊をどうするかというのは、私には荷が重い質問ですね。そこまで自衛隊を知っているのかということもありますが、過去を振り返って、派遣されたケースがどうだったのかということを積み上げていかないと。そうした検証をベースとした議論がなさすぎると思います。特に安保法制の議論でも、アフガン戦争はどうだったか、イラク戦争はどうだったか。イラク戦争は多少、追及されたところはあったんですが。

 今の南スーダンで言うと、南スーダン政府側からの国連あるいはPKOに対する攻撃ということになってくると、場合によっては国連が南スーダン政府に対して処罰するということをやりかねないわけです。これはソマリアのケース、UNOSOM Ⅱ(第二次国際連合ソマリア活動)の再現になります。UNOSOMⅡはPKOでありながら1993年に平和執行と称して武力を用いてでも平和を作るという方針に転換しました。その結果アイディード将軍派から攻撃されてパキスタン兵が殺され、国連は「あらゆる措置をとる」としてエスケレートしました。そしてPKOは失敗に終わります。

 PKOがどんな措置でもするんだとなると、どんどんエスカレートしていくわけですね。本当に危険な状態の今、そこに自衛隊が行くというのは再考されなければいけません。ソマリアのケースだって、国連だから検証しているけれども、日本の場合はそんな議論はしていません。

 カンボジアの和平合意(パリ和平協定)は、本当にPKO5原則が満たされた、紛争当事者全てが合意した和平合意だったんです。そういう意味では美しいPKOだったと言えます。しかし、自衛隊の派遣については費用対効果というものを考えないとまずいと思います。あれだけの施設部隊を派遣することで、どれほどのカネがかかったかということなんです。あの状態の中、カンボジアだったら自衛隊が行かなくても、非軍事の民生組織でも道路修復は可能ではなかったか。NGOでできる民生支援もあるわけです。NGOの支援であれば地元の人達との交流が発生します。そこには別の価値がうまれる、そういうことも考えないといけないわけですね。

 アフガニスタン戦争について、私はアフガニスタン戦争そのものに問題があったと思っていますので、インド洋での後方支援は間違っていたと思っています。

 また、国連の安保理決議1386号に基づいて派遣された国際治安支援部隊(ISAF)は、新しい国づくりを支援するための治安支援のための部隊ですから、きちんと国際法に則って派遣されている部隊ではありますが、日本政府は自衛隊を派遣しませんでした。これは素晴らしい判断だと思います。

 一応、2001年11月にドイツのボンでその後のアフガニスタンの国づくりが合意されたわけです(ボン合意)。しかし、和平協定はどこにもない状態なわけですね。アフガニスタンでは国際治安支援部隊が派遣されている時も、戦争は行われていたわけです。つまりアフガニスタンは紛争地だったんです。日本政府にはいろんな要請があったけれども、憲法があるから派遣できませんと断り続けてきたんです。断らなかったら日本の自衛隊も戦闘の泥沼に巻き込まれた可能性があります。国際治安支援部隊すら米軍の対テロ部隊と混同されて──実際に2006年には統合されましたが──、武装勢力からも住民からも一緒くたのように見られて、攻撃の対象になっていくわけです。多くの国際治安支援部隊の隊員が殺されています。そして、住民を傷つけざるを得ない状況に追い込まれて、そして疲れ切って撤退したんです。

 そんな中で、アフガンの人達からは「日本の民生支援だけが本当の民生支援、アフガニスタンのことを思った支援だ。日本は信じられる」という評価をどこでも聞きます。なぜかといえば、日本は軍隊を派遣していないからです。軍隊を派遣している国の支援というのは、政治的、軍事的思惑があるとアフガンの人達は思っているんですね。誤爆等によって傷つけられた人がたくさんいて、もちろん武装勢力による攻撃で亡くなった人もいますが、外国軍によって殺されるのと、武装勢力によって殺されるのは、ちょっと違うんです。だから、日本に対しての信頼が格段に高くなるんです。圧倒的に日本が支持されました。民生支援だけなのにです。

 そういう意味でいうと、自衛隊を活かすことを考えたいと思うし、勉強しますが、自衛隊を派遣しなくても出来る日本の国際貢献というのはたくさんあるんです。例えば、和平交渉の仲介などの平和外交です。これは政治的な意志が必要だから、アメリカをどう説得するかということも含めてになりますが。

 アフガニスタンで言われました。この泥沼になった戦争で、和平交渉を仲介出来るのは日本だけだ。なぜか。軍隊を派遣していないからです。中立だからです。そういう立場は憲法があるからできた日本の強みなんですね。どうしてこういう外交を活かさないんでしょうか?


松竹 お配りした資料の中に、昨年5月に出した自衛隊を活かす会の提言「提言・変貌する安全保障環境における「専守防衛」と自衛隊の役割」が入っています。日本防衛と国際貢献の両面で自衛隊の役割をどう考えるかという提言なのですが、我々もただ自衛隊を活かすことだけを考えているわけではなくて、日本の国際貢献で一番大事なのは、これまで憲法9条の下で──臆病だと言われながらも──、いろいろな民生支援や財政的な貢献などが行われてきましたが、今それが日本の国際貢献で一番大事になってきているよね、というところでの共通の認識というのはあるんです。

 ただ同時に、紛争地に自衛隊がいかなければならない、自衛隊が行った方が紛争の解決という点で意義のあることがあるのではないか、ということで提言に書いているわけです。ぜひお読み頂きたいと思います。泥さんはいかがでしょうか。


 谷山さんとほとんど意見は同じなんです。これはアフガニスタンの首都のカブール国際空港の正面玄関です。1年365日、日の丸が上がっているそうです。星条旗じゃないんですね。先進国で唯一、軍隊を送っていない。民生支援をしている日本。その立場はこれほど評価されています。これが現実です。平和貢献なんて全然評価されないんだって政府はずっと言っていますが、アフガニスタンでは星条旗は上がっていないというのが現実なんですね。

アフガニスタン 首都カブール 国際空港の正面玄関

 国際貢献はPKOとよく言いますが、国連の広報センターホームページで、国連が「国際の平和と安全」のために、世界各国に求めている貢献というのは、全部で7つのカテゴリーがあります(①紛争予防、②平和構築、③選挙支援、④開発による平和構築、⑤平和のための行動、⑥軍縮、⑦平和維持(PKO))。PKOは、世界各国に求められている貢献のうちの1つなんですね。

 他にも、紛争予防だとか、平和構築だとか、選挙支援だとか、日本がこれまで他の各国よりも熱心にやって、たくさん成果を上げていることはいっぱいあるわけです。各国はそれぞれのお国柄に合わせて、自分の国に出来るやり方で貢献をしています。私はそれでいいんじゃないかと思うんですよ。何もPKOに足を踏み入れなくてもいいんじゃないかなという気がします。

 でもどうしても、軍人さんでなければ出来ない活動はあるんです。平和活動でも。実例を挙げますと、ネパールの武装解除です。これは自衛隊が非武装で派遣されて、携わりました。武装解除は平和構築の一手段として、プロの軍人がやらなければ、なかなか素人では出来ないことです。ネパールでは、毛沢東派のゲリラがたくさん武器を持っているわけですが、そこに行って、持っている武器を点検する時は、ゲリラを刺激しないように国連のジャケットじゃなくて体操服みたいな服を着て、文民のような顔をしていくわけです。帰ってきて、他の各国の軍隊の人達と次のプランを練り上げるときは、そんな格好で行ったんじゃあ軍人になめられるので迷彩服で会議に参加するんですね。実に便利な立場で動いています。そういったこともあるんです。だから、自衛隊でないと出来ない平和活動というのはあります。

 もう1つ。日本がインド洋沖で給油作戦をやりましたが、あれは、アメリカの不朽の自由作戦という対テロ戦争に対する協力でした。

2001年 不朽の自由作戦

 日本の報道では、不朽の自由作戦というのは、アフガニスタンでのタリバンとの戦い、アルカイダとの戦いのような報道をされていましたが、実際にはそうではなくて、世界5カ所で同時に行われた作戦です。上図をご覧頂いたら分かるように、全ての作戦地は何らかの形でオイルに関係があるんです。オイルを巡る戦争だったんだと私は思っています。でなければ、わざわざグルジアのパンキシ渓谷なんていうところに米軍を展開する必要は全くないんですよ。

 現在、自衛隊が南スーダンとソマリア沖、ジプチに派遣されていますが、そこもやはり、オイルを巡るアメリカの作戦地です。政府はいろいろと綺麗な説明をしますが、結局、オイルを巡るアメリカの戦略に対する協力だよということが前提になります。これを前提に、こういうことに協力していていいの?アメリカのオイルのために自衛官が危険な目にあったり、場合によっては死んだり、殺したり、そんなことをしていいの?ということですが、私は納得出来ないです。自衛隊というのは専守防衛の立場で、日本を防衛するのが主たる任務です。ここには何の疑問もありません。それ以外の任務については、もっとじっくりと構えて議論をすべきだと思います。


松竹 ありがとうございました。泥さんがネパールのことをおっしゃいましたが、自衛隊の非常に小さな部隊ですけれども、丸腰、非武装で派遣されて、武装解除をしました。南スーダンや隣のコンゴなどでもPKOとは別に非武装で派遣されて、武装勢力に向かい合って悪いことをしないように監視する部隊があるんです。自衛隊を活かす会としても、そういう活動が自衛隊に望ましい活動だと思っているわけですが、その辺りのことを柳澤さん、いかがですか。


柳澤 海賊対策法という、私が官邸にいるときに関わって作った法律があるんですが、ソマリア海賊事案の発生海域の推移というのがあって、今はゼロになっているんですね。(2015年 海賊対処レポート 2016年3月 ソマリア沖・アデン湾における海賊対処に関する関係省庁連絡会)

 これは、海軍が出て行ってという側面もありますが、それよりも、この間ふと感じたのは、テレビで見たんですけれども、「寿司ざんまい」の社長がマグロを買いに行っているんですね。マグロでお金が稼げるなら、海賊よりもそのほうが割のいい仕事になれば、海賊なんかなくなるということです。この辺をしっかりと分析しなければいけないなと思っています。

ソマリア沖・アデン湾の海賊等事案発生状況
ソマリア海賊事案の発生海域の推移

 もう1つは、アフガニスタンで有名な中村哲さんがされている灌漑事業です。まだ面積は狭いかもしれませんが、あそこで水が使えるようになって、農業をしたところでは果物や野菜がふんだんにとれる、そういうところではわざわざケシを作る必要はなくなるということなんですね。世界のケシの70〜80%はアフガニスタンで作られていて、乾燥地域でも乾燥に強くて、しかもいい金になるということなんですが、日本はその基盤をどう変えていくかという方面でやっていく方が、実ははるかに世界に貢献出来るのではないか、と思っています。

 今、柳澤さんがおっしゃったアフガニスタンの緑化事業というのは下の画像です。アフガニスタンのガンベリー砂漠というところで、ため池に水を貯めて用水路を作って、この砂漠を緑に変えていこうという、これは2005年の写真です。

アフガニスタン ガンベリー砂漠 2005年

 2012年の写真も見ていただきますね。どう変わっていくか。だだっ広い大草原ですけれども、手前のところに今は用水路ができて、見渡す限りの小麦畑に今はなっています。日本がやった事業です。

アフガニスタン ガンベリー砂漠 2012年

松竹 ありがとうございます。ここで、国際貢献から離れて、一般的な話をしたいのですが、なぜ自衛隊を活かす会を作ったのかということと関わるんですけれども、護憲派の多くの方は、自衛隊について否定的な見方をしている方がおられると思うんです。でも、国民の多数は率直に言って、自衛隊を認めるという世論が非常に多数なんですね。そういう中で、自分には護憲という気持ちはあるけれども、でもやっぱり防衛政策みたいなものがないと不安だよね、護憲派からは防衛政策って聞こえてこないよねって、やっぱり揺れるわけですね。選挙になると防衛政策を掲げる方に引きずられてしまうみたいな状況下にあって、だから護憲派にもシッカリとした防衛政策みたいなものがあった方がいいよねと考えて、柳澤さんとか伊勢崎さん、加藤さんと議論をして、自衛隊を活かす会というのを作ったわけです。

 これは市民論的にはそんなに難しくないと思うんです。自衛隊の問題で意見の違いはあっても護憲というところでは共通するんだから、意見の違いは留保して協力しあおうねって。その2つが協力しあったら安倍首相に対抗出来るよね、というところではそう難しくはない。

 でも、安保法制を廃止して、政権もとろうというところになると、自衛隊については意見の違いがあるから、自衛隊についての政策は出せません、というわけにはいかない。

 冒頭にも言いましたが、安保法制は廃止しても自衛隊法やPKO法は残ります。その中で安倍首相とは違って、国民の皆さんにどのように、抑制的にと言いますか、日本を守り、周辺諸国との間では、挑発的ではなく平和的に上手く関係を作っていけるという政策が必要なのではないか、という思いもあるんです。

 だから、野党が協力して政策同意して、安倍首相を倒して、政権をとろうとする時の共通の基盤にと考えて、自衛隊を活かす会の提言を作ったんです。だからこれから野党が協力しあって、安倍首相に対抗していくということを2年前に想定していた(!)のです。

 その辺りの柳澤さんの思いや、泥さん、谷山さんからもご意見をお伺いして、その議論の続きは主催者に委ねるという流れにしたいと思います。


柳澤 まさか、こういう展開になってくるとは思わなかったのですが、しかし、私も年明けから毎週どこかで講演をさせて頂いていますけれども、熱気は下がっていないんです。ただ、平均年齢も下がっていないんですね。どう広げていくかということは大事です。でも、年寄りは年寄りでいいんです。私も今年70歳になるんですが、伊達に70年間生きてきたんじゃないんだぞ、ということです。私は戦後の生まれですが、戦争世代がいなくなっていく、日本人は70年間戦争をしていないというのは、やはり大きな問題があるんです。それは護憲派だろうが改憲派だろうが、戦争をどう認識し、自分達の思想の中にどう落とし込んでいくか。そして、次の世代にどう伝えていくかという課題があるということです。

 それがどういうことに行き着くかというと、やはり私は国の姿かたち、国家像の問題に行き着くんだろうと思います。どういうふうに自分は生きていきたいか、自分達の国はどうあってほしいか。だから、自分達はどういう軍隊を持ちたいか、どういう防衛政策を展開したいかということです。今、1人1人が生きざまを求められているということだと思います。

 それが、例えば、勇ましいことを言っている政権に投票したいのか、それとももうちょっと反省しながらやっていくような政権を作って欲しいのか、という政治の姿に繋がっていくし、儲かる奴が儲かっておけば、そのうち雫が落ちてきてみんなが豊かになるさ、という経済政策を支持したいのか、それとも、みんながチャンスを見出せるような分配の方に持っていくような経済政策を支持したいのか、そういうところをみんなでもう一回考え直す時期に来ていると思います。

 今年の参議院選挙も非常に大きな選挙だと思いますが、とにかくこの話はまだまだしっかりと時間をかけた議論をして、国家像、世界観、人生設計の議論というところで若い人達とも繋がっていける、そういう中で先ほど松竹さんが言ったような──なんと言うのでしょうか──、ポテンシャルを持つべきなんでしょう。

 はっきり言って、正解はないんです。1つの正解なんてありません。ところが今、「俺が言っていることが唯一の正解だ」と強引に動き続ける総理大臣もいるわけですが、やはり、どういう国であるが故に、どのように守りたいのか、そして、それは自分達の人生とどう結びつくのか、そういう形の提案をして、たたき台を作って、いろいろな議論をしていけるように、その元を提供出来るようにしたいと思っています。


 私は自衛隊でいろいろな教育を受けました。私が自衛隊に入ったのは1969年、ベトナム戦争真っ最中で、反戦運動がすごかったんですね。私は中学を卒業してすぐに入ったんですが、「自衛隊の学校に行きます」と言ったら、職員室に呼ばれて日教組の先生から怒られるわけですよ。「人殺しの学校に入るのか」って言われてね。同期生の中には、税金泥棒って言われた者もいました。私は直接そんなことは言われたことはなかったんですけれどもね。

 そういう時代だったんですが、私の隊内教育の中でこんなことがあったんですよ。横須賀で大きなデモがあって、外出禁止になった時のことです。世界史の教官がこう言ったんです。「残念なことに国民の中には自衛隊の存在を否定する、自衛隊を認めないという世論も大きい。しかしながら、我々の存在を認めない国民を守るために諸君は命をかけよ」。自衛隊はそういうものだと思うんですよ。旧軍、昔の日本軍の守ったものは国体でした。戦後の自衛隊が守るべきものは憲法、憲法秩序です。憲法を基に立脚しているこの日本を守るんです。言論の自由も含めてね。

 それは私の自衛官としての誇りだったんですが、どうもこの頃、安倍首相になってから随分と変わってきています。これからどんどん変えられようとしています。そこに大きな危機感を私は感じています。ですので、自衛隊はいらないという人も、私みたいに自衛隊は必要だという人も、一緒になってこの憲法を守ろうということで、手を結べるのではないかなと思います。


谷山 話が危ない方向に行く大きな話になってきましたが、国家像というのは正にそうで、国家像とはどういうことかというと私達の暮らしのあり方にも結びついているものです。

 私は中東、アフリカなどで活動しているということもあって、これからの世界はますます紛争や戦争が頻発する時代になるというふうにしか見れません。それはなぜかというと、資源の枯渇です。今、エネルギーや土地、水、森林や鉱物資源などの争奪戦が新興国も加わりながら、凄まじい勢いで進んでいます。その中で、私達は今でも「経済成長、経済成長」と言っているんですね。

 例えばTPPのように、アメリカやオーストラリアから食料が安く入ってきて良い、日本の農業がダメになっても海外に行って日本の食糧基地を作る、という動きが既に出来ていて、アフリカのモザンビークなどでは大規模農業開発をやっています。そこで農民が反発した時に反政府武装勢力などが絡んでくると、「農民の運動はテロリストの運動と結びついている」と言って、モザンビーク政府が弾圧するかもしれない。その時に日本の食糧基地を守るために自衛隊はなにもしなくていいのか、というふうになっていくかもしれません。テロ対策であれば、治安支援という名目で自衛隊を派遣することも可能です。それは本当にまずいと思うんですよ。

 だから、大きな方向の中では、暮らしのあり方と経済のあり方、もう1つは我慢するのではなくて、幸せのあり方ですね。それを私達から変えていかないといけない。途上国の人達もどんどん私達と同じような生活を求めてきます。もう狂熱の世界です。地球は持ちません。それが、今ちょうど転換点にあると思います。転換点であるのに軍事が問題解決の優先事項になるのは思考の怠慢です。テロの脅威というところだけでみんなすっ飛んでしまうことが一番怖いことだと思います。

 まさに今、対テロがなんでもでもしていいことの合言葉のようになっていますが、「テロリスト」というのは相手が分からない人のことを「テロリスト」と言いますから、この戦争は相当に危険です。だから、私は「テロリスト」という言葉を使わない運動をしたいと思います。


松竹 ありがとうございました。今度の参議院選挙などでは野党勢力結集ということで、おそらく自民党、公明党などからは「野合だ」「基本政策が違う」という批判があって、それを巡る議論はいろいろあると思うんです。

 自衛隊を活かす会はこの間、10回のシンポジウムを開催してきました。シンポジウムの開催にあたっては、議員会館にチラシを全戸配布するとともに、各政党の政策審議会の方をご招待してきました。去年7月のシンポジウムでは、各政党の代表をお招きして、民主党や共産党、生活の党などの代表の方からご挨拶を頂きました。

 そういう点では、安保法制反対、廃止だけではなくて、それに変わる提言を出して、野党共闘が「野合だ」と批判されないよう「これだったら協力し合えるのではないか」という共通の安全保障政策のたたき台までは作ってきたという思いがあります。消費税や構造改革等では野党間に大きな意見の違いがあっても、安全保障政策はだいぶ一致しているよねとなっていけばいいんじゃないかなと思っています。

 皆さん方からもこの問題をどう考えるのかということについて、積極的なご意見を頂いて、良い提言を作っていければいいなと思っております。第一部を終わります。どうもありがとうございました。


司会 弁護士の草場と申します。昨年の安保法制の廃止を目指す取り組みの中で、伊勢崎賢治さんをお呼びしたことがあります。その時の主催は「立憲主義を守る弁護士有志の会」でした。そして、安保法制が通った後、「立憲民主主義を取り戻す弁護士の有志の会」と名前を変えました。昨年の闘いの中で、柳澤さんが護憲の立場で活動されたことがどれだけ私達を励ましたでしょうか。元自衛隊の方が私達の立場に立って、ご自身の経験を踏まえて、アピールをされたことは、いろいろな形で私達に伝わってきました。どんなに助けられたか。ありがとうございました。それから憲法9条を持っている国として、民生活動などで世界に貢献されてきた、私達の平和への思いを正に実践された谷山さんのような活動、素晴らしいと思います。本当に胸が熱くなる思いです。

 今日の前半のお話の中で、専守防衛という話がでました。専守防衛の話なんて聞きたくないよ、という方もいらっしゃるかもしれません。自衛隊は違憲だ、無くした方が良いと思う方もいらっしゃるかもしれません。私達はそれでいいと思っているんです。むしろ、そこをどう考えるかということを抜きにして、この先はないだろうと思っています。みなさんの率直な意見や質問を出し合って、今日は予定調和なしに、いろいろな言い合いで終わってもいいと思っています。ということで、質問と討論を分けずに進めていきたいと思います。ただ、前半で国際貢献の話がかなり深められたと思いますので、討論では自衛隊が日本を守るという文脈の中での討議を中心に進めていければと思っております。よろしくお願い致します。


質問① 街頭宣伝などの取り組みをやっているんですが、個人的な意見としては自衛隊の存在は憲法違反だと思っているんです。しかし同時に、もし急迫不正の攻撃があったなら自衛隊に頑張ってもらいたいとも思っています。その辺の憲法を巡る自衛隊の存在と、実際に自衛隊員に頑張ってもらいたいと思う点について、法律的、理論的にはどんなふうに捉まえて、理解したらいいのでしょうか。


 私は自衛隊合憲論に立っていますが、ちょっとこの質問は性急ですね。というのは、まず改憲論を叩き潰してから、じっくりと議論してはどうかと思っているんです。でも折角のお尋ねですので、かいつまんで申し上げますと、私は憲法第9条は文言上、自衛隊を否定していると受け止めることは可能だと思います。

 しかしながら、憲法というのは1つの条文だけが独立しているわけではないんですね。憲法全体が無矛盾の体系として存在しています。憲法第9条が自衛隊を否定していると読もうと思えば読めるけれども、そう読んでしまうと、他の条文と矛盾してしまうということがあります。

 例えば、国民の幸福追求権や国民の生命財産を守ることを政府は付託され、守る義務を負っています。にもかかわらず、外国の侵略があった場合に日本を守れないということになったら、国民の基本的人権を政府自らが捨てるのと同じことになります。条文間に矛盾が出ますので、そういう場合は条文間が矛盾しないように読むのが正しい読み方だろうと思います。

 つまり、憲法第9条が否定しているのは、国際紛争を解決するための武力の行使、それから国際紛争を解決するための軍隊、そういったものを否定しているのであるということです。国際紛争を解決するというのは、一般的に相手を叩きのめしてこちら側の意志を強制することを国際紛争の武力的解決と言います。守っているだけだったら、国際紛争はいつまでたっても解決しません。自衛隊の存在はそういうものだろうと思います。

 実例を挙げますと、昔の北ベトナムです。アメリカから侵略されて、頑強に抵抗しました。ところが北ベトナムはアメリカ本土を攻撃、反撃する能力は持っていませんから、一方的に守るだけでした。守るだけで精一杯です。その一方で国連外交だとか、世界の反戦世論に訴えるという平和的手段を用いて、アメリカを政治的に孤立させて、アメリカが戦いを続けられないようにしてしまったのです。その戦略が成功したということです。アメリカとベトナムの間の国際紛争が解決したのは、アメリカがこれ以上やってられないという状況にまで追いつめたということで、そういうのが専守防衛だと思います。自衛隊に許されているのはそういう戦いだろうと私は考えています。


谷山 法律的な観点で話をすることはあまり得意ではないのですが、専守防衛という意味において、自衛権は認められていると思います。そうであれば、安保法制が成立する前の自衛隊であればいいのか、米軍に対する基地提供などはいいのかというところまでいくと、本当の意味での専守防衛はまだ実現していないと思っています。

 少なくとも、抑止力の考え方について、いつの間にか予防的な先制攻撃が抑止力であるかのような議論がされ始めているのは──アメリカが議論を引っ張っているところがありますが──、言語道断です。守るということは「本当にやられた時にはやり返すよ」ということであって、積極的に出て行けば、相手も軍拡していくというサイクルに入ってしまいます。どこかでサイクルを断ち切らなければいけないということを私達が問われていると思った時に、米軍との関係は今後相当、歴史問題も含めて考えざるをえないと私は思います。


松竹 この問題はなかなか複雑で、護憲派では現行の自衛隊はやっぱり憲法違反だと思っている方が主流だと思うんですね。そういう目から見ると、意見の違いを解決するのはなかなか困難なところなんです。ただ、圧倒的多数の国民が、自衛隊を憲法上の存在として受け入れています。そういう方にとっては、別に矛盾がないということも見なければなりません。

 先ほど、憲法学者の7割の方が自衛隊は違憲──正確に言うと朝日新聞の調査で66%の方が自衛隊は違憲だと言われています──、という調査の話がありました。その前の調査は1990年代の初めにあったのですが、その頃は憲法学者の99%が憲法違反だということで、それが常識だったのです。それが今、66%にまでなっているというのは、20数年間のいろいろな現実の変化があると思います。

 例えばイラク戦争の後、名古屋高裁で憲法違反の判決が出ました。けれども、自衛隊の様々な活動の中で、武装した米兵を運ぶことについては憲法違反という判決だったんです。つまり、それ以外については憲法違反だと認定しなかったということなんですね。そういう現実が積み重なっていく中で、自衛隊の違憲性という問題に対する国民の認識も変わってきています。昔から何も変わらずに憲法違反だと言っている間に、その状況が少し変わって来ているということも考えなければいけません。しかし同時に、皆さんがおっしゃったように、憲法を律儀に解釈すれば、誰が見てもやっぱり自衛隊って違憲だよねというのは避けられないと思うんです。

 私は、この問題は矛盾しているという状態をどう見るのかということだと思うんです。すっきりと、矛盾しない状態にしようとすると、やり方は2つしかなくて、憲法に沿って自衛隊を即時に廃止するとするか、それとも、安倍さんのように憲法を改定して、実態と憲法をそういう面で一致させるか、という2つしかないわけです。

 でも、国民の多数は、やっぱり憲法9条は大事だと思っています。しかし同時に、やっぱり自衛隊も必要だと思っています。我々の認識が矛盾しているのではなくて、国民の気持ちが矛盾しているわけですね。だから、そのように国民の多数が思っている時に、矛盾した状態を受け入れて、日本の防衛のためには自衛隊が大事、憲法9条を維持することも大事、という両方の気持ちを大事にしながら、うまく自衛隊を活用していくことが求められると思います。

 そういう点で、自衛隊を活かす会の提言は「専守防衛」という言葉をタイトルで使っていますが、これは、これまでの自民党政権時代のいわゆる「専守防衛」とは全く違うものです。自民党政権時代の専守防衛というのは日米安保が前提で、アメリカの米軍戦略を補完するというだけのものでした。日本周辺で自衛隊が活動するから専守防衛に見えるという、そういう「専守防衛」だったわけですね。実際は米軍の抑止戦略に加担しているけれども、日本周辺だから良いということです。

 でも、本当の言葉の意味での「専守防衛」という政策を確立して、周辺諸国との関係もそういう意味で安定化させるという中で、だんだんと日米安保がいらなくなるよね、自衛隊の役割も転換していくよね、ということをこの矛盾の中で努力しながら、次第に解決していくしかないのではないかなというのが私の考えです。


柳澤 いろんな意見や考え方があるんですが、率直に言って、私は迷っています。何かというと、自衛隊だけではないからなんですね。谷山さんが指摘されましたが、在日米軍の基地をどうするのということです。

 アメリカ軍が日本の基地を踏み台にして戦争をするわけです。そうすると、集団的自衛権を行使しないから、戦争に日本は加担していません。だけど、B52(戦略爆撃機)は沖縄の基地から出撃して、爆弾を落として帰ってくるわけです。「それって戦争に加担していることではないんですか?」ということなんです。その点を我々自身がどこまで許容するかということなんですが、多分、そこは許容出来ないと思うんです。

 だとすると、確かに余計な戦争には巻き込まれていないけれども、集団的自衛権の行使はあったということだと思うんですね。憲法があるが故に余計な戦争には巻き込まれていないが、実はアメリカの戦争にある意味加担をしてきている。だから私は、護憲なら全部それを止めてしまえと言うのは1つの方法ですが、それでは現実的に勝てないと思います。そこまで暗黙のうちに認めてきちゃっているわけだから、そこのところを日本の国民がもう1回、総括し直さなきゃいけないのだろうと思います。そういう時期に来ているということです。

 だから、どういう国でありたいのかという国家像から見直すことが大事です。それが憲法改正にどう繋がるかというと、やはり、憲法前文にある「われらは全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」という理念を、それはそれで持ち続けるという国家像になってくるんだろうと思います。

 「日本は普通の国にならなきゃいけない」という今の流れに対して、我々は「日本のような国を普通の国」にしたいわけですよ。その時に、そうは言ったって日本だって実は非戦闘地域とか、一体化しないとかいう話──私が官僚としてかんでいた誤魔化しでもありますが──、それだけではないだろうと。もっと大きなところで、みんな誤魔化しの上に安住しているような部分があるので、そのところをやはり一から見直して考えていかないといけません。

 ただそれは、「秋までに法律を作ります」なんてことでやっていい話ではないだろうと思います。そういう問題意識を持つが故に、安保法制のようなみんなが得していない法制は一度、白紙に戻す必要があるのではないか。今大事なことは、暴走を止める、暴走にブレーキをかけることです。ブレーキをかけてどこにもいかないのかと言うとそうではない。どこに行くのか、しっかりみんなで考えようという取り組みになっていくのだろうと私は思っています。


司会 いろいろ意見はあっても、この暴走を止めないわけにはいかないというところで、一致出来るのではないかと思います。

 1つご紹介ですが、仙台弁護士会が昨年9月6日に開催した大集会で、山崎拓さんのインタビューを流させて頂きました。そのインタビューで山崎拓さんは、「自分は憲法9条を改正すべきだとずっと思ってきた。自衛隊は専守防衛の装置と言うか、そういうものとして存在すべきだと自分は思っている。しかし、それは9条2項に反すると思う。だから9条2項を改正すべきだとずっと言ってきた。しかし、今の安倍政権のこの状況を見て、9条2項を改正したら、歯止めが無くなるんじゃないか。海外侵略をする、そういう自衛隊に歯止めをかけていた、その歯止めが無くなるんじゃないかと思うので、どう改正したらいいか、今は分からなくなって悩んでいます」と率直にお話しになっていました。

 いろんな人が迷っていると言いますか、どういう国家を作っていくのか、どこまでが専守防衛と言えるのか、安保条約の関係をどうするのかということについて、今、私達は逃げずに考えなければいけないことに、しっかりと気がついたというところが大事なところだと思います。そういうことを考えるためにも、今日ご登壇の皆様の力をこれからもお借りすることが、私達が自分の頭で考えていく上では必要だなと思っています。


質問② 大国にやりたい放題されるのをある程度させないために、一定の備えのようなものがあってもいいのではないかと考えている面もあるんですが、一方で、果たして日本は戦争というものに弱い国になってしまったのではないかとも考えています。

 例えば日本にはたくさんの原発があります。原発をちょっと攻撃されただけで大変なことになります。新幹線とかいろいろな交通網も走っています。金融機関もコンピューターで繋がれています。ちょっと事故があっただけで大変な事態になりうる、こういう国になってしまっているわけですね。ちょっとした武力行為があった場合でも防げないというか、戦争に弱い国になってしまったのではないかと思うんですね。だから、軍事力を持っていても役に立たないのではないかと思うんです。

 先ほどもあったように、紛争や戦争にさせない努力、政治や外交の力がものすごく大事だと思うんですが、ところが政治や外交の力は発揮されずに、戦争ごっこみたいなものを今、一生懸命やろうとしている。非常にアンバランスを感じるんです。そういう点についてご意見があればお伺いしたいと思います。


司会 泥さんのご著書の中で、紛争に関して日本政府が外交で成果を上げたという事例があったと思うのですが、そのご紹介を頂けませんでしょうか。日本を守るという文脈ではないんですがどうでしょうか。


 あの話をするのは15分ぐらいかかるんです。


司会 では柳澤さんのお話を先にお願いします。


柳澤 今、防衛、国防の目的というのは一体何だという話です。国のメンツや国の主権をとにかく守るんだというスタンスは、ちっぽけな島だって取られたらいけないという話になるのでしょう。そのためには兵隊の命は犠牲になって当然だ、ということに行き着いていくわけですね。

 だけど、何を守りたいんですか?「国民の命と暮らしを守る」と安倍首相本人は言っているわけですが、そうするだとすると、ちっぽけな島のために犠牲を厭わないなんていう政策は出てきようがないはずなんです。

 ミサイルが飛んでくる、どうすればいいか。「ミサイル防衛で高い装備を買ってミサイルを落とします」と言ったって、落とせるような形で飛んできたミサイルは落とせるだろうが、雨あられと降ってくるミサイルは落とせないわけです。

 「だから、抑止力っていうのがある」と言うが、抑止力って何だ。それはつまり、「そういうことをしたら、アメリカが同盟国のために核ミサイルを撃ち込んで、その国を破滅に追い込んでしまうぞ、だから、怖いから日本に撃ち込んじゃいかんぞ」と言うのがアメリカの抑止力なんですね。

 そうすると、北朝鮮は何のためにミサイルを作っているかというと、「アメリカがそういうことをするんだったら、サンフランシスコを火の海にするぞ、それでも本当にアメリカはやるのか」という、メッセージの出し合いをやっているわけですね。

 一番の問題は、アメリカは報復をしてくれるかもしれない。そのために「アメリカの船をどこででも守ります」「アメリカの船を守れば日本に抑止力が効いて平和になります」と安倍さんは言っているわけですね。

 しかし、報復する力が抑止力になるわけですから、日本にミサイルが来た、アメリカが北朝鮮を滅ぼした、その時に日本はどうなっているかといったら、既にミサイルが落ちちゃっているわけですよ。ここに来て何を防ぎたかったんですか?ミサイルが飛んでこないようにしたいわけでしょう?だとしたら、ミサイルが飛んでこないような外交をやるしかない、ということになるわけです。

 原発だけじゃない、新幹線や空港、コンビナートだってそうです。この狭い日本は、海岸に全部そういうものがあるわけです。戦争になったらお互いに原発を潰し合えばいいわけです。中国相手でも。中国も原発をたくさん持っていますが、しかし、同じ数だけ原発の潰しあいをしたら、どっちが先に音をあげますか?日本なんか1カ所で音をあげちゃうでしょうということです。それを地政学的な脆弱性と言っているわけですね。

 だから昔の旧日本軍は、日本本土だけでは守れないから、満州まで行かきゃだめだ、朝鮮半島をロシアに取られたら困るから、朝鮮半島を植民地化しなければダメだということをやって、見事に失敗したわけですね。そういう日本のような地政学的な条件の中で、戦線を拡大していくというのはとっくに失敗しているわけです。

 だから、ちっぽけな島で揉めるのであれば、そこだけで出来るだけ早く収めて、拡大させない。そして、結果として日本にミサイルが飛んでこないようにする。これ以外に日本を守る守り方はないということだと私は思います。


 外交というのは力ずくでなくては意味をなさないんです。しっかりと独立を守りながら、話し合いをしないといけません。その上で、どういったことが外交によって出来るかということの話です。

フィリピン ミンダナオ島

 フィリピンのミンダナオ島で、1969年から独立闘争を続けてきたバンサモロ解放戦線というのがあります。バンサモロというのは、モロ族イスラム教徒という意味です。モロ・イスラム解放戦線、悪名高きイスラムゲリラです。彼らが独立を求めて闘ったのは貧しさにありました。フィリピンの中で彼らは先住民で、少数のイスラム教徒でなので、二重の意味で隔離され、フィリピンの首都のマニラから一番遠いミンダナオ島の一番南のジャングルの中に押し込まれて暮らしていました。

 フィリピン政府の開発援助は全く届かなくて、電気もない、水道もないという状況で、その貧しさから脱却するために、フィリピン政府が何もしてくれないのなら自分達で豊かになるしかない、ということで、独立闘争を始めたんですね。

 1969年から40年間、フィリピン政府はアメリカ製の武器で彼ら貧しいゲリラを叩いて叩いて叩きまくったんです。双方の死者は20万人と言われています。にもかかわらず、独立戦争は止みませんでした。

 2004年、フィリピン政府は自分達ではもうどうにもならないということで、アジア各国を中心に停戦監視団の派遣を要請しました。各国は軍人さん達を送り込んだんです。日本政府にも停戦監視団を派遣してくれるようにとフィリピン政府から要請がありました。でも2004年当時の日本政府は、憲法9条があるから自衛隊を送れないんですよ、ということで、国際開発事業団(JICA)の職員の方々をフィリピンに送りました。国際開発事業団(JICA)の職員の方々は非武装の文民です。モロ族の村々にジャングルをかき分けて入っていって、和平のために自分達に何が出来るか、要求を聞いて回ったそうです。

 そんなことが出来るのは、彼らが私服の文民だったからです。自衛隊のような軍人だったらたちまち撃ち合いになります。台風が多いということで、台風が来たら田んぼが流されてどうにもならないという話を聞いたら、じゃあ日本式のしっかりしたあぜ道で囲った効率の良い水田の作り方を教えましょうということで、日本から農業指導員を招いて、一生懸命田んぼを作ったんです。日本人が入るとフィリピン政府もむやみに攻撃出来ないので、奇跡的に停戦状態が長く続いて、日本式の進んだ農業がレクチャーできたんですね。肥料を買うお金もない貧しい人達なので、ミミズを養殖して田んぼを肥やすというような地道な取り組みを何年も何年も続けました。

 その援助の1つに学校の建設があります。そんなに立派な学校ではないのですが、学校を建てるにあたって、JICAが求めた条件が2つありました。それは、イスラム教徒もキリスト教徒も平等に教育を施す学校じゃなかったらダメだよということと、イスラム教の親もキリスト教の親も、一緒に学校の運営に協力してくださいということです。この条件をのんでくれるなら、学校を建てましょう。教科書も支給しましょう、先生の給料も援助しましょうということで、殺し合いをしている2つの宗教組織ですが、子どものためだったら出来るだけ我慢しようというという地区が11地区ありまして、第1期計画で11校建てました。現在は、2期、3期、4期とずっと計画が継続中です。

 それをやっていったら、思ってもみなかった効果があったんです。キリスト教徒とイスラム教徒が学校運営のために話し合いをするじゃないですか。すると、誰に教えられるでもなく、イスラム教徒だろうが、キリスト教徒だろうが、子どものためを思う親の気持ちは同じだね、あいつらもやっぱり人間なんだ、ということにだんだん気が付いてきた、わだかまりが少なくなっていったのです。

 子ども達が学校で勉強して家に帰ってきて本を読みます。お父さんやお母さんは字が読めないんですね。賢くなっていく子どもの姿を見ると、やっぱり親ですから、将来に期待を持つようになります。小学校だけじゃなくて、できれば中学校、いやいや高校まで行ったらこんな山の中で田んぼをしていないで、字が読めるんだから工場に勤めたり出来るんじゃないか、お店だって勤めれるんじゃないか。給料を貰えるじゃないか。賢いから大学だって行けるかも。この部族から初めての大学生を出そうじゃないか、みたいな話にだんだんと膨らんでくるわけですね。

 一昨年、モロ族で初めての大学生が卒業式を迎えました。そうなると、5年経っても、10年経っても15年経っても、この平和が、停戦状態が続いたらいいな、ということがボツボツと声になって聞こえてくるわけですね。ゲリラって言ったって、息子だったりいとこだったり、兄弟だったり、村のお兄ちゃんなので、だんだん戦いにくくなるわけです。

WE SUPPORT HIJAB RUN FOR PEACE

 学校で平和教育を受けた子ども達による平和行進があります。ピンクの横断幕の一番上に「WE SUPPORT HIJAB RUN FOR PEACE」と書いてあります。「私達はヒジャブの架け橋、平和行進を支えます」という意味なんですが、HIJAB(ヒジャブ)というのは、イスラム教徒の女の子が被っているベールのことですね。誰がサポートするかといったら、その後ろを歩いている、ヒジャブを被っていない、キリスト教徒の女の子です。イスラム教徒とキリスト教徒が宗教の壁を超えて、一緒に平和行進をしている。横断幕の一番下には、「Let’s to Bangsamoro For Peace!」と書いてあります。Bangsamoro(バンサモロ)というのはバンサモロ解放戦線のバンサモロです。戦いの名前、独立の誇り高き名前ですね。それを「For Peace」子ども達が平和の名前にしている。これからバンサモロは平和的だよということです。子ども達は日本の援助が始まって何年にもなりますから、1つの教室で子どもの時から机を並べて一緒に勉強している同級生です。友達なんですね。どうして私達が憎みあわなければいけないんだ、なんで殺し合いをしているんだ、いいかげんにしろ大人達、ということで、子ども達が平和行進をしているんです。

 こういう中で、戦いがなかなか出来なくなってきて、日本政府が和平の仲介人を出したんです。双方がフィリピン国内で話をしたら暗殺されるかもしれないので、だったら日本においでと日本に招いて、バンサモロ解放戦線の和平交渉団が来日するんです。対談の地は広島です。

バンサモロ解放戦線の和平交渉団 広島

 会談は大体、秘密会談でした。今までは会談をしてもすぐに決裂していたのですが、先ほど申し上げたようなバックグラウンドがあるので、停戦協議ではなく、包括的な本当の和平が達成出来るまで、何度でも日本に来て会談を続けようという合意が出来たんです。

ゲリラ 娘の名は平成

 2回目の交渉の時、ちょうどお腹の大きかった奥さんから「女の子が産まれましたよ、お父さん、名前をつけてください」という知らせがきました。これは朝日新聞の記事にもなりました。どんな名前をつけたかというのが新聞の見出しになっているのですが、「ゲリラ 娘の名は『平成』」という見出しでした。「平成」という名前をつけたんですね。なんで「平成」なのと記者が聞いたら、そのゲリラの幹部はこう答えたそうです。「私は日本に来て、広島、長崎にも行った。そして、日本の人々が心から平和を愛していることを知ったんだ。私の国もいつか日本のように平和で豊かな国にしたい。そう思って娘にヘイセイと名付けたんだよ」。フィリピン政府が40年間、「お前たち、言うことを聞け」と軍隊を送り込んで、村々を焼いて人々を殺していたって全然上手くいきませんでしたが、日本の10年にわたる平和の空気がゲリラの心を変えちゃったんですね。

 典型的な例では、キリスト教徒地区に建てられた保育園です。小高い丘の上にキリスト教徒たちが住んでいて、丘のふもとにイスラム教徒が住んでいて、ふもとに学校が出来たんです。丘の上からキリスト教の子ども達が通ってくるのに、両方の親たちが40年間でジャングルになっていたところを切り開いて通学路を作って、その中で和解をしていきました。

 保育園はキリスト教徒の地区の奥まったところに、日本のNGOが建てたんです。キリスト教徒の中から、「せっかく保育園が出来たんだから、イスラムの子ども達もこの保育園に通わせてあげたらいいじゃないか」という声が上がったそうです。ところが、子どもの足でここまで来るのは大変だという反対意見が出て、だったらというので、村の人達が土台から建物を切り離して、担いで子どもが通えるところまで建物を持って行ったんです。

 こんなおとぎ話みたいなことが実際に起きているんです。人間というのは憎しみをかき立てられると殺し合いもします。だけど、信頼が築かれると今度は相手がどうすれば喜んでくれるかな、相手が喜んでくれたら自分も嬉しいねという共感能力を持っている動物でもあるわけですよ。どちらの方を育てようかという話じゃないですか。憲法9条というのは信頼、共感として、日本だけじゃなくて外国にまで広がっていた。そういう事例です。


司会 胸が熱くなる話ですね。


松竹 すごくいい話なんですが、泥さんは元自衛官で「自衛隊は合憲だ」という立場に立っているのですが、その泥さんが「憲法9条はこんなに大事だ」と言っているから説得力があるんです。

 先ほど柳澤さんも外交の話をされましたが、柳澤さんは元防衛官僚で自衛隊の中枢にいて自衛隊をよく分かっているのに「でも外交が大事だよ」と言うから説得力があると思うのです。自衛隊について議論しないで、これから自衛隊をどうするかという議論がないまま、ただ「外交だ」って言っているだけでは、おそらく国民多数から見ると、泥さんや柳澤さんのお話と同じようには聞こえないと思うんですね。だから、その辺を考えることは非常に大きな課題だと思います。


司会 泥さんのお話、詳しくは本が出るそうです。そして、松竹さんは著書「憲法9条の軍事戦略」の中で、日本が武器輸出三原則を堅持していた時期に、武器の流通が世界中で上手くいかなくなるような役割を日本が果たしたことを紹介されています。世界では日本の貢献、役割がないように思われているけれども、実はそうではなくて、NGOの人達と一緒になってやれることがあったということ、人間主義の安全保障を考えるのか、それとも武力による安全保障を考えるのか、武力が全くなくて良いのか、という問題提起もされておられます。

 本当に悩ましい問題で、どれかに乗っててしまえば簡単かもしれませんが、考えるのを止めずに悩みを抱えながら今の安倍政権の暴走を止めるためにみんなで手を繋いでいきたい、今日はその出発点になればいいなと思っています。

 そういう中で、鹿島台町の元町長さんの鹿野文永さんが本日、お見えになっています。この間、ずっと9条を守るということで、多くの人を結集して頑張っておられるので、ちょっと一言お話を頂けないでしょうか。


鹿野文永/旧鹿島台町 元町長
鹿野文永と申しまして、10年前までは旧鹿島台町の町長をさせて頂いておりました。その後は、憲法9条を守る運動を一所懸命やっております。同時に、かつて首長でありましたので、「憲法九条を守る首長の会」という会を結成致しまして、白石市の元市長であった川井貞一さん達と一緒になって、首長の会の運動を続けています。

 さて、今日は自衛隊を活かすというお話を沢山頂きまして、私も感動致しました。私の町長時代には、自衛隊を活かすのではなく、自衛隊に町民を生かして頂いたことがございます。忘れもしませんが、1978年(昭和53年)の宮城県沖地震の時、町は地震で大災害を被りまして、水が無いんです。それで自衛隊に水を運んで頂きまして、町民を生かして頂きました。でも、私は自衛隊にお世話になりながら、内心では「自分は自衛隊に反対なのに、自衛隊にお世話になるとは一体、自分は何なのだ」と思っていました。しかし、町民の方々に水を提供しなければ、私は自分の大事な責任を果たすことは出来ませんでしたので、涙をのんでお世話になったのでございます。

 その時に水を運んで頂いた自衛隊の方々が、連れてきたのが1トンの水が入るトラックでした。10数人の隊員の方々がトラックと一緒に来られて、水を提供して頂きました。それを見て私は、「このトラックさえあれば、自衛隊のお世話にならなくて済む」と思いました。早速、予算を組んでトラックを買って、今度は自衛隊のお世話にならない町づくりを、と思っておりましたが、またまた1986年に今度は大水害が起きました。これはもうどうしようもありませんでしたので、今度は自ら、自衛隊にお願いをして、自衛隊の出動を頂いて、助けて頂きました。辺り一面、泥水の中ですから、どこからどう手をつけたらいいか分かりませんので、自衛隊のヘリコプターに乗せて頂いて、町を上から見て、「これとこれとこれが最初だ」と思って、本当に私自身も生かして頂いたという経験がございます。

 さて今、戦争法廃止しようという運動は、民主主義革命、市民革命だと言われております。しかも暴力を使わない革命です。ただ単に安倍首相を倒すだけだったら、これは革命じゃないでしょう。選挙に勝つだけだったら革命とは言えない。選挙運動です。

 ではなぜ革命と言われるかというと、5党に加えて、今日のような集会、あるいはいろいろな憲法を活かす会や、その他様々な会が一体となって、今、市民運動の盛り上がりの中で世の中を変えようとしている時に差し掛かっていると思うんです。しかも、暴力革命ではなくて平和革命。本当に日本の新しい民主主義を進めようとしている、今日その時にこのような勉強をさせて頂きまして、本当に感謝申し上げます。知は力なり。心から感動し、全部は覚えきれませんでしたけれども、頭に入ったことをまた活用して、明日からの運動の糧にしていきたいと思います。本当にどうもありがとうございました。

 最後に、これを喋りたいんだろうと言われましたが、4月30日に小林節先生をお招きして、大崎市の市民会館で1,000人集会を計画しております。1,000人集会はいいんですが、後ろに桜井充先生がいらっしゃいますけれども、この日にお招き出来るかどうか、この2ヶ月間、私は本当に痩せるほど悩みました。小林先生は、野党の統一候補で選挙に勝てと言って、全国に議論の風を吹き込んでおられる中で、わざわざ大崎まで来られる。しかしその時、統一候補が決まっていなかったらどうしようか。参加される方々もそれを望んで来られるのに、時代がそこまで進まなかったらどうしようか、と思って、私はその責任の担当者として、できなかったらどうしようかと痩せる思いをしたのでございますが、どうやら、もう後1日か2日で、何かが見えてきそうです。それは私よりも皆さん方の方がよくご存知と思いますが、きっとこの集会は、決まった候補者を励ます集会にしたいと思っています。それも1つの市民革命じゃないでしょうか。

 諸先生方、本日はどうもありがとうございました。