新安保法制にはまだまだ議論すべき点が残っている

新安保法制にはまだまだ
議論すべき点が残っている

2015.7.28(火)17:00〜

衆議院第2議員会館 多目的ホール

主催/自衛隊を活かす:21世紀の憲法と防衛を考える会(略称:自衛隊を活かす会)


7.28シンポは成功裏に終了しました。予定通り、民主、維新、共産、生活、元気の各党がご出席くださいました。今回、自衛隊幹部の方のご発言を重視しましたが、そういう現場の皆さんの声が安倍政権の進める新安保法制と大きな乖離のあることを、参加者の皆さんが共有できたと思います。新安保法制が通ろうが通るまいが、その乖離が残ることが指摘されました。その点では、「自衛隊を活かす会」の出番が引き続き存在するということです。事務所も大きくしました。全力でがんばりますので、よろしくお願いします。


第1部 各党代表のご挨拶
(各党政審にご案内しています)

第2部 ゲストのご発言
冨澤 暉元陸上自衛隊幕僚長
渡邊 隆元陸将
林 吉永元空将補


「自衛隊を活かす会」2015.7.28シンポ

司会/「自衛隊を活かす会」事務局 「自衛隊を活かす会」はこの1年間いろいろ議論を積み重ねて、5月にこの会場で提言を発表しました。それから新安保法制の議論が始まったわけですが、先月には大阪で関西企画「防衛のプロが市民と語る 新「安保」法制で日本は危なくなる!?」を開催し、新安保法制の問題を市民の皆さんと議論をして参りました。

 本日は、この間シンポジウムにご参加、ご協力頂いた元自衛隊幹部の方々をお迎えしました。皆さん新安保法制についての立場はいろいろなところもありますが、まだまだ議論すべき点が残っているという趣旨にはご賛同頂いております。

 今回は参議院で法案の審議が始まった直後ということで、各政党の方々のご意見もお伺いし、我々の意見も伝えたいということで、各政党の代表にご案内を致しました。残念ながら与党からは返事はありませんが、民主党、維新の党、共産党、生活の党と山本太郎となかまたち、日本を元気にする会の5党から出席のご返事を得ております。参議院はまだ審議をやっていますので、来られた順番にご挨拶を頂きます。政党代表のご挨拶がずれ込んだりする党もあると思いますけれどもご容赦願いたいと思います。


第1部 各党代表のご挨拶(略)

ご挨拶を頂いた皆様(発言順)

穀田恵二衆議院議員/日本共産党国会対策委員長 ・ 主濱了参議院議員/生活の党と山本太郎となかまたち副代表 ・ 山田太郎参議院議員/日本を元気にする会政調会長、幹事長代行 ・ 福山哲郎参議院議員/民主党幹事長代理


司会 第2部はゲストの元幹部自衛官の方々にご発言を頂きます。最初に、この間2回ほどご参加を頂いて、非常に建設的で辛口のコメントを頂いております冨澤暉さんからご発言をお願い致します。


冨澤暉 元陸上自衛隊幕僚長

ゲストのご発言
冨澤 暉

元陸上自衛隊幕僚長

 ご紹介を頂きましたように、今日は3回目であります。私は「自衛隊を活かす会」の会員ではございません。私が一番年長ですから柳澤さんと言わせて頂きますが、柳澤さんとは相当古くから、防衛省にいた頃からのお付き合いです。加藤さんとも十数年前から学会でご一緒しています。伊勢﨑さんとは今年初めて会ったんですが、非常に馬が合う人で楽しくお話をしています。個人的には3人とも関係は非常にいいんですが、結論は大分違います。それをいつも申し上げてからお話をするようにしています。私の右側にいる方達は私の後輩ですから、そんなに違った話はしないと思いますけれども、そういう前提でお話をしたいと思います。

 まず、この新安保法制案に対する現時点での私の総合評価を申し上げます。

 第1に各種事態対処の法的根拠が本来は異なるんだろうと思うんです。にも関わらず、それを曖昧な集団的自衛権解釈で一括りにしているところが説明を極めて難しくしていると考えています。

 2番目に今言った点で不満は残るんですが、私は全体としてよくぞここまで積極的平和主義を具現化してきたものだと高く評価しています。ここは「自衛隊を活かす会」の皆さんと違うところです。これまでの歴代内閣、麻生内閣以前の内閣に比べると、格段の進歩を見せたと私は思っています。これからの後退はありえないと思っております。先ほどお話を頂いた先生方や、ここにおられる多くの方はそうは思っていないかもしれませんが、私はこの安保法制を潰して元の木阿弥になることは何の進歩でもない、後退であると考えています。

 3番目は、今後はこれを第一歩として、更に集団安全保障やグレーゾーンにおける武力行使の問題を具体的に解きほぐして、世界の平和に貢献出来るようにして欲しいと考えています。

 これから参議院の審議が始まるわけですが、これらの議論が不十分であった場合には、次期国会以降も議論を続けて、引き続き改善を続けて欲しい。ある人に言わせると「お前は安倍さんよりもっと右翼だ」と言われますが、そういう意味ではその通りだと思います。これで終わってもらったら困るということです。

 具体的にどういう問題があるかということですが、グレーゾーン問題に明確に答えていないということです。去年の春から自衛官仲間、特に海上自衛隊の人から「集団的自衛権もいいけれども、グレーゾーンの問題も早く解決して欲しい」という意見が出ていました。私もそう考えています。これは1978年の栗栖発言問題から出ている問題でありまして、その後何も解決されていなかった問題です。

 米艦防護、最近はアセット(装備品等)防護と言いますが、これは昔ながらの自衛隊法95条を活用していますが、それは決して集団的自衛権ではございません。この基本理念は正当防衛権の行使です。「正当防衛権」と「集団的自衛権」は何が違うんだと聞かれますが、日本語では「自衛」(国際法)と「正当防衛」(国内法)という2つの言葉がありますが、英語では「Self-defense」という言葉で両方の意味を持ちます。そこが大きなお互いの誤解の元です。

 今回、政府がやろうとしているアセット防護の基本理念は、自衛権とは関わりがありません。自衛隊法95条というのは正当防衛はよろしいと書いてあるんです。問題はそれを米軍と日本の間でも一体とするとか、同じ日本でも他の部隊の自衛艦と一緒に、一体として考えるというところで使っているところで、集団的自衛権の行使とは意味が違います。それを集団的自衛権であるかのように言っているところはゴマカシであろうと思います。

 それから、ジプチの自衛隊基地がミサイル攻撃を受けた場合、個別的自衛権を発動できるのかという話がありました。総理大臣が防衛出動を命令する前でも、現地であろうとどこであろうと、部隊が撃たれれば撃ち返せます。これを正当防衛権と言います。正当防衛で必ず撃ち返せるんです。今の自衛隊の人達は、総理大臣の命令を受けなくても、撃たれたならばその撃たれた部隊、撃たれた者が撃ち返すというのは世界中どこでも出来る、日本の国内法で出来るわけです。その説明をしないというのは、私としては非常に不十分であると思います。

 3番目、最も重要な問題は、国籍不明の潜水艦に日本の艦船や米国の艦船、他国の艦船が攻撃された場合の対応事例です。海上自衛隊の人達に言わせるとこれが今一番大きな問題であるにも関わらず、この問題について一切触れていない。だからグレーゾーンの問題は一切解決していないということです。原発や新幹線、高層ビル等への各種攻撃に対する緊急対応も示されていません。これはつまり警察行動、治安行動では対応出来ない場合の問題です。これこそグレーゾーン問題として明確にしておかないととんでもないことになる、ということです。

 次は集団安全保障の措置、その中には有志連合軍への参加も含むのですが、そのような場合における武力行使を含む参加を認めていません。これは去年5月15日に安倍総理自身が言っているんですからしようがないのですけれども、これは実は大きな問題です。

 朝鮮半島事態における米艦や豪(オーストラリア)艦、韓国の艦、フィリピンの艦の防護は集団的自衛権によって実施するのだろうか。その場合、もし集団的自衛権であったなら、予め各国から集団的自衛権の発動要請を受けなければなりません。要請があった場合、首相は防衛命令を発動しなければなりません。これにはグレーゾーンと言われる事態はありません。それ以前に韓国はその要請を日本に出すんだろうか、という大きな疑問があります。

 次に、朝鮮半島有事に対しては国連軍の再編成が予測されます。その場合の支援は、集団安全保障措置への参加になる、ということを国民に説明していません。よく説明しなければいけないと思います。

 それから東シナ海や日本海、太平洋のイージス艦や地上レーダーによるミサイル防衛ネットワークは既に集団的自衛権の枠を超えて、米日豪韓の集団安保体制となっているという事実をきちんと説明して、今や集団的自衛権ではなくて集団安全保障になっているから、これを認めないとお互いに困る、ということを言わなければいけないと思います。

 ホルムズ海峡における機雷掃海は、典型的な集団安全保障措置と考えるべきものであるのに、それを集団的自衛権として実施するというのはいかなる根拠によるのか。私ども軍事専門家にはこれを集団的自衛権で行使するというのは考えられません。細かいことを言うといろいろありますから、後で質問して下さい。

 4番目に憲法問題を更に議論する必要があるということです。政治家は憲法学者と真剣に憲法問題を議論して欲しいと思います。産経新聞(6/30)の「正論」に、私どもの大学の政治学者である櫻田淳氏が論文を書いていますが、こういった論をもっと表に立てて欲しいと思います。櫻田さんは何を言っているかというと、憲法学者はそう言うだろう、しかし私ども政治学者は違うんだと。政治というのは必要なことをやるんだと。必要なことをやる時にはそれがいわゆる愚行であるか賢明なことであるかが問題であって、法律にかかわるかかかわらないかというのは問題ではない、と彼ははっきり言っています。私もそう思いますが、これはまた憲法学者の方々の意見を聞かなければいけないわけで、きちんと正面から憲法学者と議論をして頂きたいと思います。

 それにつけても、日本国憲法と国連憲章、日米安保条約は英米法で出来ていることを国民に説得する必要があるのではないかと思います。英米法というのは良く言えば柔軟ですが、悪く言えば曖昧です。大陸法というのは非常に厳格ですが、悪く言えば非常に硬直です。英米法というのは柔軟に解釈を変更していって、事例が法律になるという性質を持っています。ところが大陸法というのは、一度決めますとその法律は変えないというのが原則です。だからこそ、ドイツの基本法というのは世界中で一番改正している回数が多いわけですね。改正しなければいけないわけです。政治上必要があったら、大陸法は解釈改憲出来ないわけです。だからどんどん改正して変えていくわけです。

 ところが日本の問題は、防衛法は特にそうなんですが、本来英米法であるものを大陸法的に解釈することです。解釈を変更することはいけない、一方でそれだったら政治の必要においてどんどん改正すればいいのに改正しない。このように出来ているということをお互いに承知して、それならどうしたら良いかということを議論すべきだと思います。

 それから辻元議員の質問に対して、岸田外務大臣が「自衛隊員は紛争当事国の軍隊の構成員ではありませんので、これはジュネーブ条約上の捕虜となることはありません」と述べております。この回答は、自衛官は捕虜になる資格もない、つまり交戦資格もないと決めつけたもので私には許せません。これは憲法9条第2項の「国の交戦権はこれを認めない」、「The right of belligerency of the state will not be recognized.」というところに基づくものと思われるのですが、この「交戦権」について日本の憲法学者の方々は不思議と説明をしたがらない。あるテレビ番組を見ていたら、司会者が聞いているのに東大法学部の人は「この問題はちょっと難しいことがありますから」と全く説明しませんでした。

 この「交戦権」というのは、国際法の辞典を見てもどこにも書いてありません。国際法の言葉には無い言葉です。それを憲法は使っている。ところが日本国憲法の中で、個別的自衛権を認めた途端にこれは完全に矛盾するんです。個別的自衛権を認めるということは、戦いをすることがあるわけですから交戦の資格がある。「belligerency」というのは交戦という意味もありますけれども、交戦中の権利「The right of belligerency」ということは、交戦資格であり交戦団体として認めるかどうかという話なんですね。これは本来、個別的自衛権すら認めなかった憲法原案を、彼らが解釈改憲した事実を説明したがらないためではないかと思います。政府側の憲法学者もこの問題について真剣に議論してもらいたい。憲法学者達は個別的自衛権を認めた以上、この憲法上の矛盾を率先して改めるべきではなかったか。それとも個別的自衛権行使にあたっても、日本は交戦資格を持たないということなのでしょうか、そこのところをはっきりして頂きたい。

 改めて、独立と平和、この矛盾するものの均衡については議論すべきだし、これは2月のシンポジウム「現代によみがえる「専守防衛」はあるか」でも申し上げたんですが、独立と平和の問題について政府と国民との間には大きな誤解があるように思います。

 1960年安保騒動の時、岸首相は日本の自立を求めたのに、その時の国民は──私の同級生ぐらいが多かったのですが──、米国への従属を忌避してデモを行ったんです。これは同じことなんです。岸首相が狙ったことと、国民が狙ったことは同じなんですね。それで岸さんと国民が乖離した。今回も同様の動きが見られる。ここはきちんと再調整をすべきだと思います。政府側も現憲法の国際協調を押し出そうとしているんですから、集団的自衛権、つまり主として日米2国間の問題よりも集団安全保障の問題、多国籍軍だとか有志連合軍の問題を前に出すべきではないかと考えます。

 「逆説の軍事論」という私の本が最近出ています。その中でこういった問題を書いていますので是非読んで頂きたいと思います。この本は意外と読者評の評判が良いです。それから雑誌「月刊WiLL」、皆さんはどちらかと言うとリベラルな方ですから「月刊WiLL」なんて右翼の雑誌だから読まないという方がおられるかもしれませんが、編集者の方が「どうも最近の右翼は左翼に対する逆張りばかりで少しマンネリ化している、あなたのような発想で文章を書きたい」と言って、私の聞き役で書いてくれました。私よりもうまい文章です。ですから嫌がらずにぜひ買って読んで頂ければ──図書館で読んでいただいても結構です──、とお願い致しまして私の話を終わらさせて頂きます。


司会 ありがとうございました。この間、「自衛隊を活かす会」は8回のシンポジウムを開いておりまして、冨澤さんは3回目になるんですが、4回目の参加になります渡邊隆さん、よろしくお願い致します。


渡邊隆 元陸将

ゲストのご発言
渡邊 隆

元陸将・東北本部方面総監・第一次カンボジア派遣施設大隊長

 4回も出ているんですね。大変リベラルな、どこから見ても護憲派といわれる方々の集会に元自衛官の私が4回も出たというのは、それ自体、時代が変ったなと感じています。

 冨澤先生とお呼びするんですが、私がかつて防衛庁にいて書類を持って廊下を飛び回っている頃に陸上自衛隊のトップでおられた方の隣でこのような話をするのは大変緊張すると言いますか、非常に戸惑っているところです。

 自衛隊を辞めた今、もう一度、国の安全保障というもの、実際に自衛官が活動しているいろいろな現場、その一番の前提となる戦争の歴史であったり、安全保障のいろいろな考え方であったりというものをもう一度振り返って、1つ1つ勉強しているというのが私の現状です。

 衆議院で110時間でしょうか、非常に長い審議が終わって採決をされ、現在、参議院に議論の場が移っているわけです。私なりに衆議院の特別委員会における審議を振り返って、自分なりに思っていることを申し述べて、それから今後の審議について期待をするところを述べさせて頂こうかと思っています。

 いずれにしても、この種の問題が国会で審議されるということはあまり無いことです。通常国会で特別委員会という特別に委員会を設置をしなければ審議がなされないということ自体が我が国の状況を表しているわけです。

 1991年から1992年にかけて審議が行われたのはPKO法案でした。これも特別委員会でした。その他、武力攻撃対処事態法案など国の安全保障に関わる法案はその都度国会で審議をされましたが、その審議は極めて専門的と言いますか、国民の生活とは著しくかけ離れたところでの審議であったと思います。そのように見えるために一般の国民の方々にとって、理解をするのは難しいと言えると思います。

 ただ今回、特別委員会で百数十時間の審議を経て思ったことは──その良し悪しや結果はどうあれ──、憲法に対していろんなことを感じる国民の意識そのものが高まっただろうと思っています。国民が「我々の国の憲法はどうなんだろう」と思うこと自体、今まであまり無いことでした。その意味で、国民の意識が高まったのは事実だろうということはご指摘したいと思います。

 冨澤先生がご指摘のとおり、今回の安全保障関連法案は、改正をする法案が10法案でこれを一括りに整備法案とし、それから国際平和協力法案というものを新法で1つ、全部で11の法案が審議をされているわけですが、いろいろと問題はありながらも、今まで陽が当たらなかったところに少しずつ陽があたってきたことは事実です。

 その1つがいわゆるグレーゾーンと言われているものです。これは何度も言うように、集団的自衛権とは全くの別物です。いずれにしてもグレーゾーンについて議論されていること、それが法的に一歩進んだ、ということは評価できるだろうと思います。防衛出動に至らない事態への対処、離島対処や弾道ミサイル対処、我が国防衛と直接は関係ありませんが、国外において自衛隊が活動するPKOなどにおける、いわゆる駆けつけ警護と言われている武器使用についても、1つの決着をみたというのが一歩前進かなと見ております。

 ただ総じて、衆議院の議論では論点に具体性が無かった、全くリアリティが無かったというのが偽らざる個人的な感想です。論点がどこなのか、集団的自衛権であったり、集団的自衛権と憲法との関わりであったりというのも1つの論点なのでしょうが、論点自体がお互いの議論のやりとりの中で一向に深まらなかったと思っております。

 自衛官のリスクについても、これが高まったのかどうなのかということでいろいろと議論がありましたが、これは噛み合わなかったというべきものかなと思っています。

 なぜリアリティが無いんだろうと考えているわけですが、実は軍事作戦というのはあまり予め手の内を明らかにしません。ご存知のように「こういうことが分かっている」ということ自体を隠すのが普通ですし、具体的なオペレーション、作戦を公開の場で明らかにすること自体が自分の手足を縛ることに繋がりますので、そもそも具体性に欠けるわけです。

 出来るだけフリーハンドで柔軟性を持って事に対処したい政府側と、なるべく具体的な問題として審議したい野党側の質問は、咬み合わないリアリティのない議論になってしまうのですが、一方で言葉尻や失言をとらえて、それだけを追求するというところに焦点が移ると何を議論していたのか論点が見えなくなってくるということも感じました。

 リアリティの無さの最大の原因は、個人的な意見ですが、戦後70年、日本人が戦争というものとまともに真剣に向き合ってこなかったからではないかと思っています。通常、戦争というものは時とともに段々とその記憶が薄れてきますので、これを次の世代に正しく申し送ること、語り継いでいくことが極めて大事なわけですが、果たして我々はそれを次の世代にしっかりと語り継いで来たのだろうかという気がします。

 おそらく、この中で実際の戦場を経験した人は一人もおられないだろうと思います。そのような方はご高齢で極めて少数になってしまった。私も海外に派遣されましたが、実際の戦場に立ったことはございません。今の陸海空自衛官で、戦場、いわゆる戦争というものに任務を持って参加した者は1人もおりません。そういう意味で考えるならば、政治家も、与党も野党も、学者の先生も官僚も、当然皆さん一般国民も、そして自衛官そのものも本当の意味での戦争を知らない、リアリティがないと結論づけられます。やはり賛成であろうが反対であろうが、一定の正しいリアリティを持って議論をしない限りは議論は進まないのではないかという感じを持っております。

 冨澤先生は私の大先輩ですが、冨澤先生は実際に戦場に立ったことのある方々から教えを受けた自衛隊の第1世代の方です。私は実際に戦場を経験した人から教えられた人から教えられた、第2世代です。今の自衛官の主体は、私のような人間から教わった、第3世代です。教えられたことを次に教えていくということは、教えていくに従って、当然、実体というものが希薄になるでしょうし、正しく伝わっているかどうか、その都度検証し、正しくなかったら修正していかなければいけないことなんですが、戦後70年間、戦争の悲惨さというものは伝わりましたけれども、実際に日本がどういう戦争に巻き込まれたのか、そのようなことになった時にはどのようにすればよいか、国民も自衛隊も政治も、真剣になって語り、次世代に繋いではこなかったのではないかと思います。

 法的なことは専門外ですので簡単にお話させて頂きますが、我が国は一国では存在していないわけで、もはや昔のように鎖国に戻ることは絶対にあり得ないわけですから、現在のような国際的な環境の中で、どのようにして国家として生存し、繁栄し、生きていくのかという国際関係の関与の基本的なスタンス、姿勢、ビジョンを衆議院の審議の中からは私自身は読み取ることが出来ませんでした。その辺の共通意識、ビジョンが我々には必要なのではないかという感じが致します。

 専守防衛という従来の我が国の国家戦略、軍事戦略を、今回は存立事態という新3要件で書き換えることとなりそうです。専守防衛で防衛出動が起きるというのは、極めて明瞭な──良いか悪いかではなくて──、法的には極めて厳格で明瞭であります。実際に直接的、間接的に我が国に侵略があると、それを国会が判定し決議を行って武力行使を行うこと、実はこの辺の基準は実際に安全保障に携わっている者にとってみれば、非常にタイムラグがあると言いますか、対応上問題があったことは事実です。従ってグレーゾーンが出来るわけです。防衛出動に至らない事態をどのように国家として担保するか、実はこれがグレーゾーンなわけです。ですから、防衛出動の厳格な基準を持っているが故に、その前段階がグレーゾーンになるということで、これを今回、存立事態という概念で規定をしているわけですが、これでもグレーでよく分からない。具体的、客観的な事態の基準が私にとっても全く不明であるというのは、やはりしっかりと議論が詰まっていないという1つの現われなんだろうと思っています。

 自衛隊は、防衛庁の自衛隊となって今年で60年が過ぎました。警察予備隊から数えると65年になります。ほぼ戦後の時代を自衛隊として生きてきたわけですけれども、今、新聞の世論調査でも自衛隊を評価する、概ね評価するという人は98%にのぼります。読売新聞とギャラップ社が共同で調査をする日米共同世論調査の「あなたが信頼をする組織はどこですか?」という問いの中で、アメリカは16年間ずっと軍隊が一番です。日本ではこの3年間、自衛隊が1位になっています。自衛隊はもはやかつてのように憲法違反だとか、税金泥棒だとか言われる時代ではなく、ある程度国民に定着し、それなりに評価を頂いているという時代になったんだろうと思いますが、私は自衛官として30数年間勤務しましたが、そのようなことを感じたことは実は1度もございません。そこなんだろうと思います。別に自衛隊をもっと認めてほしいというわけで言っているわけではありません。今、自衛隊に対して国民の方々から頂いている好意というようなもの、評価をしてもいいのではないかと言ったものは、これは60数年間、自衛隊自身が毎日コツコツと積み上げてきた結果です。それについて政治はどのように答えて来たのかというのは、一自衛官としては非常に気になるところです。

 自衛隊や防大の生みの親とも言える吉田茂総理は、昭和32年に大磯の自宅に防大生の一期生を呼ばれて、次のように言われたと言われています。「君達は自衛隊の在職中に決して国民から感謝されたり、歓迎されたりすること無く、自衛隊を終わるかもしれない。批難とか誹謗ばかりの人生かもしれない。ご苦労なことだと思う。しかし、自衛隊が国民から歓迎されチヤホヤされる事態とは、外国から攻撃されて国家存亡の時とか、災害派遣の時とか、国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけなのだ。言葉を換えれば、君たちが日陰者である時のほうが、国民や日本は幸せなのだ。どうか、耐えてもらいたい」と吉田茂は防大生に言ったといいます。自衛官の一部はそう思いながら勤務していることは間違いありません。そのような者に対して国家が一体何をしてくれるかというものを、今回の法案の審議を通じながらいろいろと考えております。


司会 渡邊さんのご発言の最中に、維新の党の柿沢幹事長が来られたんですが──実はこの会場は柿沢さんにとって頂いているんですけれども──、大変お忙しい中でご挨拶をする時間がありませんので、皆さん方によろしく伝えて欲しいということを残されて出られましたのでご紹介をしておきます。

 ゲストの方からのご発言の最後に、このシンポジウムでは陸上自衛隊の方が多かったのですが、空自からということで集団的自衛権の15事例を議論した時に参加して下さいまして、今回も参加して頂きました林吉永さんです。よろしくお願い致します。


林吉永 元空将補 第7航空団指令

ゲストのご発言
林 吉永

元空将補・第7航空団指令

 まず冒頭にお話申し上げたいのは、私の一番気がかりなこと、今日の私のプレゼンテーションのバックグラウンドになっていることを申し上げておきたいと思います。それは何かというと、このような国の存亡をかける重大事を、国会の審議だけで終わらせてよいのかということです。国民がどう決断するか、どう決心するか、その問題を国民自らが問うておくべきだろうということです。

 その事例は1949年にアメリカ合衆国がNATOに加盟、集団的自衛権行使を国民が決心した時の事例に学びたいと思います。それまでアメリカはモンロー主義で孤立主義でした。それをNATOのためにアメリカ国民の血を流すかどうか、2年間、国民的な議論を重ねました。最終的にはヴァンデンバーグ上院外交委員長が中心となった委員会で結論を出すのですが、国民の67%がやろう、という決断をしたわけです。そういう意味において閣議決定で終わる問題ではないと、私は直感的な感じを持っております。そういった、国民が決断すべきことであるという私の信条を背景に、お話を申し上げたいと思います。

 1987年12月9日、当時ソ連のバジャーという爆撃偵察機が沖縄を領空侵犯致しました。この時に航空自衛隊はF-4ファントムという戦闘機がスクランブルされて、戦後初めて外国の軍に対して実弾を撃ちました。これは信号射撃ですから、ソ連機に対して直接撃ったわけではありません。信号弾というのは1分間に4,000発発射できる20ミリ機関砲の中に入っていまして、光でここから出て行けという合図を送るわけですが、ご承知のようにソ連という国は韓国の旅客機を撃墜した前科があります。これは信号射撃が彼らに効果的であるということを否定せざるを得ない事件であったわけです。その国相手に信号弾を撃った。その時に空中で撃ち合いになったらどうなるのか、ということを考えていたか。いや、考えていなかった。どうして信号射撃を命ずる決心をしたのか。規則がそうなっていたから。ということが全てです。国の命運をかける時に法律だけ、或いは規則だけ、procedure(プロシージャー)だけで処置してよろしいか、というのが次の私の課題であります。

 ご承知のように、領空における主権の維持に関わる行動は、航空自衛隊の戦闘機が担っております。すなわち、軍隊が担っています。警察や海上保安庁というバッファーがある領域と違うわけです。ミリタリー対ミリタリーの対峙になっている、すなわち、航空自衛隊は戦争と紙一重のところにいるということです。

 日本では空中において武器を装備して飛んでいるのは航空自衛隊のスクランブル機だけということになります。そこで、空中において瞬時に武器を使って相手に勝る戦闘を行うためには、常日頃から心得ておかないといけないことでしょうけれども、「瞬時」という問題があるわけです。

 正当性をどのように担保するかということについては、はっきり言ってありません。正当防衛であるとか緊急避難ということは瞬時に判断するのは極めて困難です。相手が撃ってからではこちらが撃墜されています。この辺りに航空における武力行使、武器の使用に関わる極めて危険な状況というものが蓋然性として想定されるということです。

 重ねて申し上げれば、状況証拠が希薄な空中において武力衝突に至った場合、こちらが正当性を主張しても聴く耳を持たない相手であると、国が不利益を被ることが予測されます。私は戦闘航空団の司令を拝命しておりました時にパイロットに言い聞かせておりましたのは、自ら犠牲になる覚悟の忍耐が必要であると。正義を担保するためには先に撃ったらいけないということです。

 パイロットに委任される「ミサイルであるとか、機銃の引き金を引く判断というのは瞬時である」と申し上げました。武器が優れていれば優れているほど、瞬時の時間が1/10秒、1/100秒にもなっていくわけです。先ほど規則や手順ということを申し上げましたが、技術の進歩によってデジタル化された世界において武器を使用することになっています。

 部下の教育訓練では、「赤ランプが点いたら引き金引いてご覧、命中するから」と教えているわけです。これはイラン・イラク戦争の時に、アメリカのミサイル艦の一兵士が赤ランプの点灯と同時にボタンを押して、イランの旅客機を撃墜した事件で皆さんご承知のとおりであります。

 防衛出動下令前においては、特に武器使用には、国家において危惧すべき事態を招くリスクが極めて大きい。国の命運をかけるには正当性の確立に危惧すべき要素が多いということです。航空行動には、先程申し上げましたように軍事、非軍事の区分がなく、即軍事行動に移るわけです。

 アメリカでは、航空行動によって戦争に至る危険性を避けるために、9・11が起きる前までは平時における武器使用は大統領に一元化されていました。しかし、大統領に危ないモノが来ているから撃ち落とさなければいけないと報告して命令を待っていますと3分〜4分かかります。音速の3倍のミサイルが飛んでくるとすれば、120マイル、東京〜名古屋間の時間が過ぎてしまう、すなわち火の海になるのを覚悟しなければ、アメリカは迎え撃つことが出来なかったわけです。ところが、その覚悟が非常に大きな代償となったのが9・11です。そして9・11以降は、ホームグラウンド・ディフェンスにおいて武器の使用権限をかなり下まで委任するようになったということです。重ねて申し上げれば、故なき拙速な判断ミスは国の正義を貫けない事態をもたらすということです。

 それから前回にも申し上げたのですが、顔が見える正面に進出して対峙、対処する陸上、海上を担当する警察、海上保安庁、或いは陸上自衛隊、海上自衛隊の作戦行動や、それ以前の事前行動においては、空がどうなっているかということが忘れられています。大切なのは、陸上、海上におけるわが方の行動地域の航空優勢はどちらにあるのかということです。その時に空を支配していなければ負けます。イラク戦争でも湾岸戦争でもそのような状況がありました。戦域に行こうというわけですから、航空優勢をどこまで担保するかということは大きな課題であろうと思います。

 そして、今までの国会における議論では、どちらかといえば、こちらの勝ちいくさの議論しかしていないようです。これはアジア太平洋戦争の戦前と同じです。負けいくさ、失敗の議論が何も行われていません。「失敗したらどうなるんですか」という議論はありません。これは負けを言うことで国賊になった何時かの時期と同じで、そこに戻ってしまうのではないかという危惧さえ感じるわけです。

 2番目に、これは重大なことなのですが、国外において自衛隊が行う兵站活動、後方支援の業務に民間は関係しないのかというと、関係あります。現在でも自衛隊は国内において装備のメンテナンスを防衛産業の助けなしには出来なくなっています。ハンダ付けの、職人気質のメンテナンス時代ではありません。極めて複雑なICT技術など等が組み込まれた装備をメンテナンスしなければいけない。もうセルフメンテナンスは出来なくなっている時代です。そのためには防衛産業から出向して頂くということになります。

 エアパワーは特に顕著な傾向がありますが、外国製装備の多くはライセンス国産しておりますし、国産でも高度な電子機器は自隊整備が非常に難しいですから、自衛隊が海外に派遣されれば装備も持って行きますから、装備に不具合が生じれば、メンテナンスに防衛産業の方にも来て頂くということになります。

 邦人が日本に帰るのを横目に見ながら防衛産業の方は現場におられるわけです。海賊対処を担うジプチには某会社が行っておりました。渡邊先生は海外にPKOで行っておられましたので、先ほど雑談の中でお尋ねしましたところ、かなりの会社が自衛隊とともに海外に行っているということです。中には、現地、地域に不案内ということであれば、旅行会社まで支援、協力に行っているということです。国外における関連企業技術者の現地派遣であるとか、整備支援について、派遣される社員の方々の安全、処遇はやはり考慮しなければいけないだろうと思います。

 自衛隊の部隊派遣と同じ環境に置かれるわけです。そうしますと彼らの立場はどうなるか。自衛隊員だけという認識は捨てて頂かなければなりません。そうしますと国民全体が決心しなければいけないのではないでしょうか。それを申し上げたいのです。安全の保証は自衛隊員と同様に難しい。いわゆるシビリアン、企業の方々の身分や処遇、最悪の事態の補償はどうなるのかということについて、早く検討しなければいけない。既に派遣されている実績があるのですから遅いかもしれない状態にあるわけです。

 本来、政治が思慮すべき戦争に関わる国民の安全は、国民総ぐるみで議論を行わなければなりません。一つは、「集団的自衛権行使を容認するのかしないのか」の前提を設けて総選挙することが考えられます。もう一つは、今回のように、与党が選挙公約に無かった重大事を持ち出してきた場合の世論調査です。

 ここでは現実的な世論調査について触れておきます。そのためには、新聞社が実施する抽出世論調査での賛成や反対、関心の有無が何%に加えて、国民がもっと多く参加した一定の理解に基づく世論調査を実施する必要があります。慶応大学が研究している討論型世論調査というものがあります。このシンポジウムのような議論に参加した後にアンケートをとる方法です。そういったことを広げていく必要があるのではないかと思っています。

 今日は国会の先生方にお出で頂いているわけですが、辛口で申し上げることになりますけれども、自民党の勉強会で社会的に不穏当な講演、議論が行われたということで、自民党の奢り、昂ぶりが批判されるという現象が起きました。私はシビリアン・コントロールに不安を覚えました。戦争を抑止するとか、戦争をしないとか、国民の安全を守るということは、シビリアン・コントロールの責任です。その先生方が、「あいつを辞めさせろとか、新聞無くしちまえとか、それいけドンドン」というような発言を国民に向かって言うわけです。そういう方々にシビリアン・コントロールは任せられないというのが私の信条です。

 皆さんも、私達も含めて、安全保障について勉強不足の面が極めて大きい。渡邊先生も常々言っておられます。日本の学校にその仕組みが無いということです。これは日本人を骨抜きにした占領政策の成功です。今からでも遅くないと思います。こうした安全保障の勉強をしなければいけません。高校生にも戦争の話をしなければいけない。中国や韓国が反日ということで歴史教育を徹底している、それを批判する日本は何も歴史を教えていないということです。それは反省すべきだろうと思います。

 特に国政でシビリアン・コントロールに携わる先生方には猛省を促し、真の勉強をして頂きたいと考えるわけです。批判するだけではありません。渡邊先生も言われたように、リアリティに近づくための勉強の仕組みをどう考えるかということです。高等学校における正しい歴史教育を通して、戦争の本質と軍事力の役割を理解させましょうと。大学における安全保障を必修の科目にしましょうと。今、渡邊先生は亜細亜大学で安全保障を教えておられます。亜細亜大学で安全保障の課程を設置するまで2年半かかりました。「これでようやく大学らしくなった」とコメントされた教授がおられましたが、大したものだと思っています。

 教える専門家の養成のために大学、大学院教育に専門課程の設置が必要でしょう。現時点で行われていますのは、防衛省の教育機関に民間から留学というかたちで聴講に来て頂いて、議論しているという状況です。米国の各軍の大学では、軍の重要な戦略を決める時には何百人という単位で3週間、或いは1ヶ月間、一緒に勉強する機会を設定しています。フランスの大学生は志望する学生が参加して軍事教練や軍事教育、安全保障教育を夏休み等に1〜2週間やります。1〜2週間でそれ相応の単位を修め、履修が修了しますと国家公務員になるためにボーナスポイントを頂けるそうです。冗談で申し上げますけれども、国政に参加される先生方にはこういう試験があってもよいと思うわけです。国家の命運をかける決断を多数政党が行ういわゆる民主主義だけでよろしいか?私は国民の覚悟を問うべき時期が今だと思います。

 加えてメディアの責任についても申し上げたいと思います。各メディアはそれぞれ特徴のある異なった論調を大切にしていますから、それは尊重すべきでありましょう。しかし、日本国の戦略的平和構築に貢献するという文脈においては、目的意識を共通にしたメディアの戦略的な日本国への貢献というものがあってよろしいかと思います。足を引っ張るだけではありません。戦前に行われた「それいけドンドン」の戦争を煽るだけでは困ります。今、日本のメディアはその賢明な判断が出来ると思っています。

 最後に、冒頭で申し上げた法律や手順に依存する危険性に満ちた社会現象について、アナログ的感性の欠落ということを申し上げたいと思います。ICTやコンピューターの発達によって知らない間に、いい言葉で言えばそういった科学技術の世界が私達のパートナーになっているわけです。しかしよく考えてみると、パートナーであるけれども、自ら考えて結論を導く能力、感性に乏しくなっている。人間は知らず知らずの間にICTにコントロールされるようになりつつあるのではないか。

 特に軍事の分野においては色付きのコンピューターディスプレイ上で、アクションの指示ランプが灯ると、ミサイル発射ボタンを押す、レギュレーションに定められた手順を反復訓練していくと、サブコンシャス、無意識にそのボタンを押すようになる、無意識に引き金を引くようになっていくわけです。

 人の勝手な判断、決心で、過ちを犯す蓋然性を局限しているわけでありますが、反面、思い留まるという機会を無くしてしまっている。コンピューターの限界というのは、スーパーコンピューターが現れていますから、おそらく無限に近くなっていると思いますが、やはりアナログの世界の無限性にはかなわないわけです。無限を取り扱えるアナログにおいては、デジタルでふるいにかけて見えなくしてしまう脅威を感知しうる可能性が残っています。台風の中の目標や探知すべきものなどは、コンピューターが自動的にノイズを落としてしまいますから、目標も一緒に、ピックアップしなければならない怪しいものを落としてしまう仕組みになっています。それをアナログがフォローできる、という世界が今や無くなりつつあるわけです。

 私は、体験や感性、人間の五感に依存するアナログというのは、危惧というかたちで安全保障に寄与する、その危惧というものをもっと感じなければいけない時代が来ていると認識しています。


司会 第3部はまず代表の柳澤から問題提起をした上で、議論をしていく方式でやりたいと思います。


柳澤協二 元内閣官房副長官補

問題提起/柳澤 協二

元内閣官房副長官補、国際地政学研究所理事長、「自衛隊を活かす会」代表

 今日は大勢お出で頂いてありがとうございます。レジュメにまとめた論議が尽くされていない論点に触れた上で、本日のゲストの方々のお話に対する私の感想も含めて、「自衛隊を活かす会」の伊勢﨑、加藤両メンバーにコメントを回していきたいと思っています。

 レジュメは7月1日に衆議院の特別委員会で参考人として呼ばれた時の私のレジュメであります。いろんな論点があり、とにかく論点が山積みなので、決して急いで採決すべきではないというメッセージを出そうと思ったものですが、まず1番目に私が感じている大きな4つのポイントに絞って意見を申し上げます。

 1つは集団的自衛権行使の要件である存立危機事態の定義、それから憲法との適合性も全く詰められていない、議論すればするほどよく分からなくなってくるという話です。

 これは、主権者としての国民が、日本がいつ武力行使をするのかということをどのように納得するかという問題です。単なる憲法を巡る神学論争ではなくて、どんなやり方でもいいからとにかく国民が「分かった」という感じになることが大事だと思うんです。

 そういう話を聞きたい時に火事の例が出てきたんですが、火事なら母屋の火も消したらいいんです。国民は誰もそんなことを心配していません。むしろ火事と戦争はどう違うかとことです。戦争というのは、こっちが出張って行けば相手から反撃が来る世界ですから、そこをどのように政治がコントロールして、日本の安全にしっかり対応できるかということを問いたいわけです。そういう議論をしっかりして頂きたいということです。

 2点目、自衛隊員の安全確保であります。いずれにしても任務が拡大して武器を使用する任務を与えてくるわけですから、リスクが高まるのは当たり前なので、それを前提に議論しなければいけないんですが、訓練でリスクは極小化出来るという答弁で終わっているんです。

 それはそうなんですが、ではどんな訓練をするかということです。林さんのお話にもありましたが、ためらいもなく引き金を引く訓練は多分できるだろう。しかし、自爆テロやIED(即席爆発装置)の被害が増えていますが、そういうものに対して本当に有効な訓練なのかということを考えなければいけない、むしろ大きな混乱の中に巻き込まれていく危険性もある。

 それは各国軍隊の例があるわけですから、それをちゃんとスタディしなければいけないだろうと思います。私が官邸にいた経験からすると、そういうことを踏まえて「これなら大丈夫」と納得出来なければ、総理にはお勧めしませんでした、ということを特別委員会でも申し上げてきたところです。

 3点目、国際秩序維持の中で、冨澤さんのお話にもありましたように、積極的平和主義という観点から大いに拡大していくという法律です。

 ただ問題は、イラクに自衛隊員を600人出したわけですけれども、そこでの仕事の成果、その時に日米関係はかつてなく良好と言われたことの外交的な成果というのは、実は今、何も残っていないのではないかということです。

 それは一体何故なのかを考えないといけない。現実に今、自衛隊が出せる人数というのは、数百名という規模だと思うんです。イギリスのブレア政権が行ったように、戦局を左右するような兵力を出してアメリカの意志に影響を与えるんだ、ということであれば──イギリスは8,000人出して200人の戦死者を出したわけですけれども──、それだけの覚悟が必要なんだろう。しかしそういう力がなければ、所詮それは多国籍軍、有志連合へのお付き合いという話になってしまうのではないか。そしてその成果は、自衛隊が侵すリスクの割に、もしかしたら日本人がテロリストの人質にされたり、ターゲットにされるというリスクに比べて、我が国の安全に寄与する度合いがどれだけ増えるんだろうかということです。そういうリスクとコストとパフォーマンスの関係をしっかり分析する必要があると申し上げたわけであります。

 4点目は抑止力がキーワードになっているわけですが、どうもこの抑止力というのが、非常に私は分からない。

 そもそも中国が島を取りに来るかもしれない、北朝鮮がミサイルを撃ってくるかもしれないというのが脅威であれば、わざわざ中東やインド洋を守りに行くよりは、日本の防衛を固めるというのが筋だろうということです。本当に何を脅威だと思っているのかということです。

 もう1点は、アメリカの船を守ることによって抑止力が高まる、そして日本が戦争に巻き込まれることは無くなるとする議論です。これは安部総理が5月15日の法案閣議決定の時の記者会見で仰ったことですが、実際は何をやっているかというと、ガイドラインでも言われているアセット防護のようなことで、例えば米中の海軍が対峙している時に──これは多分、重要影響事態になると思うんですが──、その時に自衛隊も一緒になって加わっていく、そこで抑止するというシナリオなんです。

 抑止というのはそうではなくて、相手が覚悟を決めて攻めてきて、更に戦線を拡大して日本本土にミサイルを撃ってくるような拡大の仕方をするとすれば、こちらもそれに見合った、更に数倍するような損害を相手に与えるという意志と能力があって、そういう拡大の連鎖に耐えてなお相手に損害を与えるという、その威嚇によって思い止まらせるのが抑止です。

 どうもその現場の部隊だけが強ければ抑止力という、この発想が私は分からない。そもそもアメリカ海軍って、自衛隊が守らなければならないほど、そんなに弱いんだろうか?ということです。そこをしっかりと分析しなければいけないということです。

 先ほども話題になりましたが、米艦防護は正当防衛と言ってもやはり他国の軍隊に対する自衛隊の側からの反撃ということになるわけですから、それが戦争の引き金にならないようにするために政治がどう責任を負えるんだというところもしっかりと考えて頂く必要があるだろうということです。

 今日、ゲストで来て頂いた3人の方々のお話にいつも私は大変勉強させて頂いております。冨澤先輩は結論は違うと仰られ、それはその通りなんですが、冨澤さんがご指摘になっている、まだ議論が尽くされていない多くの問題点というのは私どもも共有しているところです。

 冨澤さんの立場で言えば、そもそも日本国憲法の下で自衛隊が存在するところから全て矛盾は始まっているんだから、今回の法制はどうかと言うより今回の法制が政治の責任においてグレーゾーンや海外での自衛隊の活動などについて問題提起をしているんだから、これをテコに更に本質的なところを見直していく契機にしたいという意味で、賛成の立場をとっているんだろうと私は聞きました。

 しかしながら、この法案自体に問題が多いということは、我々と共有していると思います。今までの自衛隊の存在そのものも矛盾を孕んでいた、しかし、今まで1人も殺していない、1人も死んでいないからその矛盾が顕在化してないんです。防衛官僚の実感としては──私もその矛盾を隠蔽するのに一役買っていたわけですが──、その矛盾がそのまま来たのは、やはり撃っていない、撃たれていないからなんです。今後の法案で撃つ、撃たれる関係になっていくことが現実性を帯びてきたことで、私はそれに気がついたんですが、そうするとこれはちょっと待てと。まずそこをしっかり始末してからでないと先に進んではいけないのではないか、というのが私がこの法案に反対する最大の理由であります。

 渡邊さん、林さんの論点についても、お二人は必ずしも賛否ははっきりおっしゃいませんでしたが、非常に本質的なもの、現場として感じる多くの矛盾点を、ある意味大変な勇気を持ってご発言頂いたと思っています。

 こういうところを今後も「自衛隊を活かす会」でも取り入れながら、この先の議論、本質的に国の防衛をどうするのかということ、その方向性については林さんが言われたようにNATOに入った時にアメリカは2年間の国民的な議論をしたという、そういうものが必要になってくると思いますので、その議論の核になるようなものを「自衛隊を活かす会」としても作り上げていけたらという思いで聞かせて頂いた次第であります。

 私の方は非常にまともに括ってしまったのですが、まともに括っただけでは終われない2人のメンバーから今の点も踏まえてコメントを頂戴したいと思います。


伊勢﨑賢治 東京外国語大学教授

問題提起/伊勢﨑 賢治

東京外国語大学教授、元国連平和維持軍武装解除部長、「自衛隊を活かす会」呼びかけ人

 僕と冨澤さんで一体何が違うのかを考えた時に、かなりの部分は全く同じで、でも安保法制に関する賛成・反対の姿勢だけは違う。これはどういうことなんだろう、と。僕は、安保法制に反対をしていますが、安保法制だけが“問題”ではないのです。

 それはずっと言い続けて来たことですが、その「以前からの問題」が、今回の安保法制によって更に大きくなるということにおいてのみ、僕は反対をしているわけです。そして、その問題が結果的にどこで顕在化するかというと、現場の自衛隊、特に陸自。もっと厳密に言うと、国連PKOの現場。今の南スーダンですね。ただでさえ「住民の保護」の筆頭マンデート化で好戦化しているPKOの現場で、自衛隊の任務をより拡大しようとしているのですから。「今まで無事故だったのだから、これからも大丈夫」が政府の言い分。「今まで無事故は奇跡。すべて薄氷を踏む思いで任務をこなしてきた寡黙な自衛隊員の賜物。奇跡の維持は困難。安保法制で任務が拡大したら、なおさら」が僕。

 一番いけないのが、現場で事故が起きて──特に殉職です──、「それは9条のせい」という喧伝に浮遊世論が動いた結果、憲法改正になること。殉職が政治利用されることです。

 反面、この問題の本質、つまり現場の事故の焦点は、自衛隊員の殉職というより、その逆の、自衛隊員が軍事的過失、つまり国際人道法違反、つまり合法的な攻撃目標以外の人間を傷つけることです。このリスクは、国連PKO、そして対テロ戦のような非対称戦では、戦術論の基本に添えなければならないものです。自衛隊の場合、これに対応する法体系がありません。刑法しかなく、国外犯規定で過失が裁けません。国家の命令で行っているのに、そこで起こった過失は、個人の犯罪として隊員個人が責を負わなければならないととれます。

 特記しなければならないのは、この問題は、今回の安保法制だけのものではないことです。廃案にすればいいという問題ではないのです。

 その意味で、安倍政権の出現というのは、これまでの自衛隊の立場、自衛隊の法的な地位の問題を根源から考え直す機会を日本国民にくれたのかなとも思います。たぶん、冨澤さんと僕を微妙に分けるのは、このへんの事情だと思います。

 冨澤さんのお話の中で、憲法問題を更に議論する必要があるということ。僕も全面的に賛同します。冨澤さんが言っておられた「国の交戦権はこれを認めない」「The right of belligerency of the state will not be recognized.」に基づくと思われるが、この「交戦権」について、憲法学者は不思議と説明したがらない、というご指摘。非常に鋭いと思います。Belligerency 交戦権の主体であるBelligerent 交戦主体は、国際人道法では、Party to armed conflictですね。日本は、はたして、個別的自衛権の行使の時も含めて、交戦主体になれるのか、なれないのか。

 僕の安保法制反対派のフォーラムでも、ご指摘の通り、リベラルと呼ばれる人ほど、この問題をしないのです。自衛隊が海外派遣された時は、別に単独のゲリラ部隊として行動するわけではないので、必ず多国籍軍の一部となるわけですね。国際人道法では、多国籍軍の全体が、交戦主体になるわけですが、そもそも、法的に軍ではない自衛隊は交戦主体になれるのか。海外派遣については、交戦主体にはならないということで、「武力の行使とは“一体化”しない」という、メチャクチャなロジックで自衛隊を送り続けてきたのですが。そもそも、個別的自衛権の行使においても、自衛隊は国際人道法上の交戦主体になれるのか。

 衆議院の参考人で呼ばれた時、この自衛隊の法的地位の問題を僕は主張したんです。僕を呼んだのは野党の連合のはずなんですが、僕の陳述が終わった後、誰も僕に質問をしなかったんですよ。ひとつだけ、短い、どうでもいい質問を共産党がしただけです。呼んだ野党もです。つまり、与野党両方が、特に野党の方が、この議論を避けたいんだと僕は思っています。何故彼らは避けるのか。憲法9条の問題になるからです。自衛隊を軍にする、つまり9条改憲の議論になってしまうから。改憲の具体案は与党しかありません。だって、護憲派は、「条文護持」ですから、変えるという行為は、たとえ仮想でもしたくない。でも、そうこうしているうちに、集団的自衛権の行使容認の閣議決定で、9条が大義名分として禁止してきた最後の砦が破られてしまった。9条の完全空洞化です。

 ちょうど2年前、今にこうなるのではないかと予測できた時に、ある野党の党首に──昔からの友人で名前は出しませんけれども──、自衛隊の法的な地位の問題を根本的に問わない限り、違憲行為は、今までもずっとそうであったように、ずっと積み上げられ続ける。その「限界」まで。そうならないように、リベラルの党の側から、自衛隊の法的地位の問題を積極的に政局にするべきだ、と。でも、党として出来ない、と言われました。

 僕は、今回の安保法制で突きつけられた憲法の完全空洞化は、右、左の談合の歴史の結果だと思います。特に左が罪深い。今、野党の国会議員の方々にお願いしたいのは、その談合の過去の総懺悔です。そして、この根本的な問題を、林さんが言われるように、国民の判断に委ねることです。民主主義体制の中で、国民一人一人の自己保存のための役割を自衛隊という集団にどう付託し、どう制限するの法的枠組みを規定するのか。護憲派は、「護憲的改憲」のビジョンを、もうそろそろ考える時期に来ているのではないでしょうか。


加藤朗 桜美林大学教授

問題提起/加藤 朗

桜美林大学教授、同国際学研究所長、元防衛研究所、「自衛隊を活かす会」呼びかけ人

 この間の議論を見ていますと、冨澤さんがご指摘になったとおり、国際政治学や安全保障の研究者からは殆ど発言がありませんでした。

 もう呆れ返って何も発言する必要はないだろうということではないでしょうか。今行われている議論は湾岸危機の時にさんざん聞いた話です。今さら何を言っているんだというのが正直な感想です。

 伊勢﨑さんが言ったように、こうした問題の根源はやはり憲法9条にあります。1946年の第90回帝国議会の憲法制定議会で、憲法の草案の時に、吉田茂首相ははっきりと自衛権の行使を否定した上で「国民の安全はどう守るか」という質問に対して、それは国際平和団体に委ねると述べた。国際平和団体というのは国連です。国連に委ねるということです。

 これは我々国民の側から言うと、私達国民は「政府に武力を持って私達の生命や財産を守ってもらわなくて結構です」ということを国に約束させたわけです。私達はその原点に戻ってもう一度、軍隊がいるのかいらないのか、いらないとすれば、私達の安全は誰がどのように守るのかということを私達自身が決める必要があります。

 私の意見は簡単です。最終的には自衛隊は解体すべきだと思います。国民の安全は国際平和団体に委ねるべきです。これこそカントが夢見た世界市民共和国です。コスモポリタニズムの極地です。それを憲法9条は目標として掲げた。この1点において憲法9条は世界的な先駆性があります。

 ということを踏まえた上で、なぜ議論が進まないのか、積み残された議論が多いのかというと簡単です。今言ったように、憲法の根本問題に触れないからです。これは国民も憲法学者もそうです。今、お二人から話がありました、憲法学者が自衛隊の存在について触れない。なぜか、それは自分達が欺瞞を犯し、偽善を犯していることをよく分かっているからです。明らかに偽善や欺瞞です。自衛隊の様々な便益やサービスを受けながら、自衛隊を認知しない、そのような不当な扱いをずっとし続けた責任は、憲法学者だけでなくて、我々国民にもあります。我々が偽善を積み重ねてきて、ここでこの偽善や欺瞞が限界に来てしまったということです。だからいくら議論しても話が堂々巡りするんです。

 もう1点は、抑止力の話、抑止力が高まる、高まらないという話です。抑止力というのは相手が──具体的に言うと中国ですが──、中国が我々の自衛隊の能力をどのように判断するかによって抑止力が高まるか、或いは効かないかということが決定します。全て抑止力は相手次第です。

 いくら議論しても、中国がどう考えているか分からないんだから結論が出るはずがありません。抑止力の観点からも根源的な問題を解決しない限り、憲法論をいくら議論しても話は進まないと思います。

 冨澤さんのお話ですが、たまたま私が冨澤さんの『逆説の軍事論』という近著の紹介をすることになって詳しく読みました。一番興味深かった点は、これからは集団的自衛権の問題ではなく、集団安保の問題だという点です。私流に解釈すると、戦後、国際社会は国連を作って集団安保を作ろうとした。ところがあっという間に冷戦になってしまいました。先ほど言われたように集団防衛の時代に入ってしまったんです。集団防衛の時代に入ったからこそ、集団的自衛権が必要になってきたんです。ところが冷戦が終焉し湾岸戦争で、国際社会は新たに集団安保の時代に足を踏み入れたんです。これが現在、集団的自衛権と集団安保の問題が混乱している大きな理由だろうと思います。

 集団安保に関して言うと、林さんがおっしゃったように、ICTの発達によって各国の軍隊が共同して作戦を行わざるをえない状況になってきました。アメリカの艦艇にはイギリスやオーストラリアの将校が乗っています。単なる連絡将校でなくて、オペレーションまで参加しています。自衛官もそのうちアメリカの艦艇に作戦将校として乗ることになるのではないかと思います。これは集団的自衛権ではなく、集団安保の流れの中で考えていくべき問題ではないかと考えています。

 そして、渡邊さんが教育のお話をされました。私は防衛研究所に1981年から1996年まで勤務していましたが、当時、最初の数年はまだ特攻の生き残りの方々がいらっしゃいました。実際の戦争を体験した方々からよく当時の話を聞いていました。

 その当時、大学でも安全保障を教えるところはほとんどありませんでした。その結果今になってもまともに日本の安全保障を教えることの出来る教員がいなくなりました。また教員の多くは主にアメリカで安全保障の教育を受けましたから、アメリカ流の安全保障の教育が進んでしまって、安全保障では親米派が多くなる結果となりました。

 これから私達は何をすべきか。私達はこのままではどうにもならないということで安保法制に反対していますが、反対してそれで終わりというわけにはいかないだろうと思います。これは伊勢﨑さんと思いは同じです。では私達国民に何が出来るだろうか。改憲派、憲法を改正して自衛隊を軍隊として認め、自衛権をきちんと認めるという右の立場があります。他方護憲派の人達はどこまで覚悟がありますか?自衛隊を無くし、全く軍隊を無くして、全ての安全を国連に委ねる覚悟がありますか?「覚悟がある」という絶対主義的、原理主義的護憲派の人達に私は期待したいと思いますが、その覚悟を持って反対をして頂きたいと思っています。

 戦後における護憲派の欺瞞について、東京大学の法哲学の井上達夫さんが真っ向から批判していらっしゃいます。私も彼の意見に大賛成です。

 彼は、こうした欺瞞を無くすために憲法9条をいっそのこと削除すれば、と言っています。削除は一種の改憲になってしまうんですが、彼が言っているのは、世界正義論、つまりカントが述べたような世界正義の観点から国家の防衛のあり方はどうあるべきかということを考えた上で、専守防衛をすべきだと主張しています。私も彼の立場に大いに賛同致します。

 とはいえ、彼と若干違うところは、憲法の実践です。憲法に書かれた通りのことをやれということです。憲法前文にもある国際協調です。そして非戦の非武装です。個人で言えば非暴力抵抗主義です。非暴力抵抗主義を個人が行えば、国家における非戦非武装が出来るはずです。私はいつも言っていますが、自衛隊は海外に一兵たりとも出す必要はない。その代わりに私達が彼らの代わりになって海外で国際平和の任にあたるということです。私にはその覚悟があります。皆さんもその覚悟を持って、安保法制に反対して頂きたいと思います。

 これは非常に奇異な意見のように聞こえるかもしれませんが、実はもう国連は個人がボランディアで参加する紛争解決のためのPKO(UNEPS:UN Emergency Peace Service 国連緊急平和部隊)を構想しています。私達もそこに参加することによって、日本の安全保障を高めることが出来るだろうと思います。日本人はこれだけ平和を愛する国民なんだということが世界中に伝わることによって、日本に唯一残された平和大国というブランドを維持できるわけです。私はこの平和大国というブランドが全ての国に対する抑止力になるものだと信じています。


柳澤協二 元内閣官房副長官補

柳澤 いろいろなご意見があります。重ねて申し上げておくと、私はとにかくこのままでは呑めない、あまりにもメチャクチャだという思いで、我々「自衛隊を浮かす会」の呼びかけ人はそこは一致していると思いますが、ただ、皆さん言われているように、これを止めたって終わらないということです。

 逆に言うと、法律が出来たって終わらないんです。自衛隊を実際にこれからどう使っていくかというのは、この法律の下でも今後議論されることになるんです。今、この法律を止めたって、しからばどうやって国を守るんだという問題が提起されてくるわけなので、引き続きそこのところは大いに議論の場を作っていかなければいけないし、我々自身も勉強していかなければいけないし、そして発信していかなければいけないと思います。

 余計かもしれませんが一言申し上げると、法律ができてもこの問題は終わりではないということです。一つの例を言えば、仮に法律ができます。そして自衛隊を派遣しようとすると、国会承認という手続きが必要となります。今言われている60日ルールというのは、法律だから適用されるんです。国会承認には60日ルールが無い。だから、私は反対する人にいつも呼びかけているのは、来年の参議院選挙で野党が多数になってねじれ国会にすれば、この法律が出来ても使えなくなるんですよ、ということを申し上げています。

 だから、来年の参議院選挙はものすごく大事です。今、ワーッと盛り上がっても、時間が経ったらいずれ忘れちゃうんです。大事なことはそれを本当に一人ひとりが自分の中に落とし込みながら、火種を持って問題意識を持ち続けて、来年の参議院選挙で結果を出さなければいけないということです。

 幸いにして参議院選挙というのは、参議院で野党が勝ったって野党から総理大臣が選ばれるわけではない。国政を下手くそにやって来た党がありますが、その党に政権を委ねるという選挙ではないということです。驕り高ぶった与党にお灸をすえるという意味の選挙になるわけですから、これは気軽にやれるんです。

 福田総理の時に何があったかというと、インド洋の給油に関する法律は、60日ルールを使って再議決して通しました。しかし、ねじれ国会で何が困ったかというと日銀総裁の国会承認人事が参議院の反対で通らない。日銀総裁が半年間決められなかったわけです。そういう使い方があるということで、だからどちらにしても諦めずにやりましょう。そして、そのよな意思表示のやり方というのは、小選挙区制の下で、政権交代可能な野党が存在せず、事実上の巨大与党に押し切られる状況にあって、与党をけん制して民主主義を機能させる有力な手段になるのではないかと思います。

 その先には「この国をどうやって守るんだ」という根本的な課題を一緒に考えていきましょう。丸腰でPKOに行く覚悟がなければ反対してはいけないという加藤さんのような言葉では言うつもりはありません。しかし、そういう議論に自分の考えでしっかり入っていくんだ、という覚悟はぜひ持って頂きたいと思います。

 残り少なくなってきましたが、このメンバーで言いっぱなしになってしまいましたので、ゲストの皆さんから更にそれを踏まえて──あまり個々の点でどうこうというのは言いません、そういうディベートではないと思いますので──、再度のご発言を頂戴出来ればと思います。


冨澤暉 元陸上自衛隊幕僚長

冨澤 柳澤さんの先ほどの話には驚いています。参議院と衆議院のねじれについて、私どももこれまで何回も議論致しました。益々もって国会が意味のないものになるという今までの実績がありますので、やはり参議院も衆議院もきちんと議論をして、意見を闘わせて国政を進めていって頂きたいと思います。

 実はこの前、伊勢﨑さんと特別にお話をしました。そこで出た問題は憲法改正の問題なんです。先程も言いましたように、私は現憲法は英米法で出来ているんだから、英米法らしくどんどん解釈改憲をやったらいいじゃないかと。私どもは何十年も前から、政治家から「憲法改正はあと10年かかる」、暫く経ってまた10年経つと、また別の政治家から「冨澤さん、憲法改正はあと10年かかるよ」と。それで私はもう77歳になってしまいました。あと10年経つと生きているかどうか分からない。だから憲法は改正した方がいいと思うんですが、こういう状態ならば、むしろ解釈改憲でドンドン英米法らしくやったらどうかという意見を伊勢﨑さんに述べたんです。そうしたら伊勢﨑さんが食いついて、「冨澤さん、それではダメだよ」と、先ほどの議論ですね。要するに交戦権があるかどうか──「交戦権」という言葉は無いですが──、交戦資格を日本の軍隊らしきものが持つかどうかという話なんですが、それを持たせなければ、とてもじゃないけど戦えない。個別的自衛権においても戦えないんです。それを与えるためには、やはり自衛隊に──自衛隊だろうと新しい国軍であろうと同じなんですが──、そこにいわゆる軍法を決めないといけないという話をされたんです。

 言われてみるとその通りで、軍法で自衛隊員が保障されないと自衛隊はみんな人殺しで刑法でやられちゃうんです。憲法には特別法廷は設けないと書いてあります。だからそこを変えるためには少なくとも憲法を改正しなければいけない。それで私は「参った。伊勢﨑さん参ったよ」と。やっぱり憲法を改正しないと軍隊らしいものは出来ないね、という話になりました。

 加藤さんのお話ですが、完全に国民が非武装と言うか、一切闘争しないというのは非常にいいアイデアですが、それは政策にならないと思うんです。歴史を見ても、インドのガンディーは見事な非暴力を貫いたわけです。貫いたわけですが、最後の段階ではネルーが出てきて、結局、政治家としては貫けなかったんです。彼はイギリスに対しては一切非暴力だったんです。しかし最後に、イスラム教徒とヒンドゥー教徒の戦いになった時に、彼は政治家を降りちゃった。政治家を降りたということは、政治家として一切何もしない、本人は宗教家のように非暴力を貫いたつもりかもしれませんが、政治としてはアナーキー、無政府なんです。

 ですから加藤先生の話はいうならばアナーキーな話で、私は無政府状態を歓迎する話だと思います。これは政策論議にはならないと思います。


渡邊隆 元陸将

渡邊 性悪説と性善説という2つの考え方がありますが、基本的に国の安全保障を担任する担当者は、性悪説でなければ仕事は出来ないと私は思っております。今は手を握ってワイワイ言ってニコニコしているけれども、裏で何かやっているかもしれないと思うからこそ準備ができるわけで、それが奇襲対処にもなるわけです。

 歴史的にどうかは分かりませんが、日本人というのはその辺が下手な国民で、悪人になりきれないところがあります。そういう意味では、外交下手とよく称される1つの原因なのかもしれません。日本の国民性や歴史なども、ある意味で日本人の脆弱性を表しているのではないかと思っています。ただし、一丁何かコトがある時に日本人が見せる団結力、一体化というのは世界的に見ても正に素晴らしいところだと思います。いわゆる針が右から左に振れる──今は左から右に振れるというのが正しいのかもしれませんが──、そういうところがある国民性であるとも言えます。

 したがって、こういう議論はなるべく情勢が危なくならない、平和なうちにしっかりと最悪のことを考える必要があります。時期的に遅いか早いかは別にして、今こういう議論が国民の中でしっかり議論されることは非常に大事なことです。その議論の中身をしっかりと詰められることを一国民として、一OBとして切に希望しております。


林吉永 元空将補 第7航空団指令

 僭越ながら加藤先生、私は加藤先生が大好きなものですから、今日のお話は何を吹っかけてきたのかなと(笑)。何か下心があるはずじゃないかと。後でまた教えて下さい。

 私は生意気を申し上げます。今、国を挙げて行っている議論は何のために行っているのか。私は一つの小さな世界で考えています。それは、息子とか孫の時代に何を残してやれるかということです。

 仰るとおり、私達は戦争に行かなくて済むだろうし、殺し合いに参加することも無いだろう。自衛隊をリタイアしていますから。しかし、次の世代、その次の世代に何を残してやれるか。あなた方は戦争をしなさい、ということを残すのか、それとも体制はしっかりと作らないといけないよ。しかし、万が一の時があったら、少なくとも私達ユニフォームを着ていた者としては、後輩達に命がけで戦って欲しい。そのためのバックグラウンドというものを今、構築してやらなければいけない。それが何なのかという議論だと思っています。

 現代の戦争について申し上げれば、国際的には冷戦構造の崩壊、東側のギブアップによって、絶対的戦争はもう無いだろうと、それでヨーロッパにおいてEUが出来た。隣の国が敵だったヨーロッパが、隣の国がみんなお友達になったわけで、こんな安全なことは無いわけです。

 日本は四周環海、海という自然の防壁があるから安全だという神話は今や崩れました。それは海という一つの、脅威が潜む次元の世界があるからです。そこには何が潜んでいるか分からない、その水中の特性を利用する技術が進歩しております。想像できるのは潜水艦でしょう。しかしこれからは、その脅威が海中でどのように脅威的行動を行うのかという現象を益々危惧させる時代となりました。

 どの国の潜水艦か分からないものに攻撃を受けたなどの話は、実は1983年に石原慎太郎さんが「亡国」という小説の中で書いています。どこの国か分からない黒い船に後をつけられた日本のタンカーが沈められるという筋書きで始まる小説ですが、冷戦という世界においては、どこの国かはだいたい想像がつく。その世界で全ての船員組合がストを起こす、石油がストップする、アメリカは助けてくれない、どうしようか、という筋書きです。石原慎太郎さんは、「アメリカは当てにならないよ」という考えでお書きになったのだろうと思っています。

 次の世代のための平和、安全保障について、私達が過ごしてきた70年間と同じように安心して毎日を送れる状態を引き継いでやらないといけません。国の安全保障に対する体制が、アメリカの孤立主義を捨てたのと同じように変わろうとしている今、どのようなかたちで次世代に残せるかということを考えていきたいと思っております。

 議論のため、あるいは法律を作るため、それだけで終わらせてしまったら次世代は困ると思います。そこに凄く危惧を感じます。

 もう一つお話したいのはイスラム教の問題です。十字軍というのはCrusade(クルセード)と言いました。ジョージ・ブッシュ・ジュニアが9・11以降にクルセードという言葉を使ってしまいました。これに対してイスラムはもの凄い反発を示すことになりました。

 7世紀はじめにイスラム教が出来て以降、キリスト教とイスラム教の対立というは未だに続いているわけです。それがISILなど原理主義者たちを過激に走らせてしまいました。十字軍に対するイスラムの反発がまた現れたと言っても良いのではないかと思っております。

 そのキリスト教のグループに日本は組みするようになっていくわけです。それも覚悟の一つでしょう。イスラム教でもISILは特にあのイスラム帝国を築いた時と同じような考え方を持っています。原理主義が行おうとしているというのは何かと言うと、ムハンマド(マホメット)が教えた一つの信ずべき「六信」の教義を示したコーランの次に来る、「五行」と言って、信者が行うべきことを示した教義の中にジハード(聖戦)を加えようとしているわけです。

 今までキリスト教の世界では、クルセードが聖戦のシンボルでした。ところが、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世が十字軍はひどいことをやったとイスラムなどに謝罪しました。そこで十字軍の神話が崩れていくわけです。そして、国際情勢の中ではISILが武器をもってキリスト教に対してテロという戦法をもって立ち向かおうとしている事件が顕著になっています。新しい脅威です。その新しい脅威について、私達はもっと深刻に考えるべきであると思っています。次世代、その次の世代がどのように対応していくかということを含めて、日本の戦争と向き合う、日本固有の70年間の経験をムダにしない体制を作っていきたいと、そのように今日は強く思いました。


柳澤 ありがとうございます。最初のプレゼンも2度目のコメントも大変深みがあり、そして刺激的なご意見を頂戴しました。加藤朗さんのお名前が何度か出ているんですけれども、追加でご発言があればお願いします。


加藤 私の思いは反対のための反対は止めようということです。第1次安保闘争以来、護憲派と呼ばれる人達は、実はズルズルと後退につぐ後退を重ねてきている。後退のたびに、「いや、ここまでで止めることが出来たのは憲法9条があったからだ」と言っているうちに、もうどうにもならなくなったのが現状です。私達はどうやって自分達の安全や国の安全を守るのか、という議論がどうしても深まらない。いつも憲法の問題、或いは抑止の問題というふうに、ある種の神学論争を繰り返しています。何遍繰り返せば終わるんだろうか、そういう思いで一杯です。私ももう長くはないとは思いますが、それでもこの国が一体どういう方向に向かおうとしているのか、その方向性が今の議論からは全く見えてこない。

 私は今こそ護憲派の人達が、もう一度、原点に戻って、例えばカントが『永遠平和のために』で示したような世界市民共和国といったものを目指すといった新たな目標といいますか、そういうものをもう一度持って安保法制に立ち向かって頂きたいということです。

 私は学生たちと毎年読む本があります。中江兆民の『三酔人経綸問答』です。その中で、洋学紳士君が今の私と同じようなことを言っているわけです。東洋豪傑君は「それでも攻められたらどうするんだ」という議論の中で、「その時は喜んで死にます」と洋学紳士君は答えます。その覚悟があって初めて私達は自分達の安全や国の安全を守ることができます。なんのことはない、これは自衛官が宣誓させられていることです。私達は国民として自衛官にそういう任務を与えておいて、私達自身は安全地帯からああでもない、こうでもないと言っていることはもう許されないんです。このことを皆さんに考えて頂きたかった。


柳澤 伊勢﨑さん、しゃべり足りないと思いますので、どうぞ。


伊勢﨑 冨澤さんをヨイショするわけではないですが、集団安全保障です。もちろん、依然として、クリミアのような旧冷戦構造を象徴する局地紛争はあります。しかし必然的、不可避的にいわゆる集団安全保障、米中露も手を携えなければならないグローバル・コモンズという体制で対処しなければならない問題領域が出てきて、これがどんどん多くなっている。これが、安倍さんが本当に理解しなければならない「激動する国際情勢」の本当の姿です。

 一例を申しますと、アフガニスタンで、アメリカの個別的自衛権、NATOの集団的自衛権の行使で始まったグローバル・テロリズムとの闘い、これは完全に、集団安全保障の世界になっています。グローバル・テロリズムの老舗であるタリバンとの政治的な和解の鍵を握っているのは実は中国です。タリバンの首脳が潜伏しているパキスタンの「ブレない友人」として首根っこを捕まえているのが中国なのですね。アメリカは信用されていません。そして、ここに新疆ウイグル自治区で接する中国自身も、グローバル・テロリズムとの戦いの当事者なのです。

 もう1つの例を示しますと、ソマリア沖の海賊退治です。日本の自衛隊も民主党政権の時からずっと出ております。海賊ですよ。犯罪集団。ニューヨークのギャングの方がよっぽど怖い。でもそれが、アルカイダ系ということで、国際海洋軍事作戦が展開している。はっきり言って、チンケな相手に大げさ過ぎです。じゃあ、意味が無いかというと、あるんです。それは中国も出しているからなんですね。チンケな相手でも、みんなでやるということに意味がある。大国同士が、一緒の目的で何かやることで、一国だけの海域制覇を牽制できる。

 これに、従来の核不拡散、そして、今ではこの核をテロリストが…を心配しなければならない。全ての人類の生存にかかわるグローバル・コモンズの領域がドンドン大きくなって来ているこの国際情勢で、モロ旧冷戦の対立のマインドで、大型犬の足元でキャンキャン吠えるだけの小型犬のようで、今の日本は、哀れです。

 逆に小型犬の我々であるからこそ、グローバル・コモンズ的な領域が更に拡大させ、局地紛争のような障害が現れたときに間に入って信頼情勢するような役割を日本は目指さないといけない。そういうことでプレゼンスを示さなければいけないと思うんです。


柳澤 ありがとうございました。集団安全保障ということを考えた時に、私も典型的なかたちでの集団安全保障、つまり冨澤さん、伊勢﨑さんもお話になっているように、実体やニーズとしてはそういう対応が求められているのだろうと思うんですが、問題になるのは集団安全保障というのは特定の敵を想定して、敵に対する味方というかたちでやっていくことではないと思うんです。

 本来、国際テロリズムにせよ、地球環境の変化にせよ、いろんな人道的な問題もグローバルになるわけですから、共通の敵ではなくて、共通の課題に向かうというのが本来の姿で、私もそうだな、と思いながらも素直に同意しがたいのは、集団安全保障というより、実際には国連でリーダーシップを取れないことを理由にアメリカがイラク戦争を始めているわけです。あれは集団安全保障なのか、自衛権なのかというと、どう見ても自衛権ではないんです。しかし、集団安全保障というからには、国連の安保理の意志の大勢は反対していたということにもう一回決着をつけないといけません。

 アメリカは地上兵力をほとんど出す気が無くなっているという意味で答えを出しているのかもしれないけれども、最後は自分に決める権利があるんだという超大国としての立場を譲ろうともしていません。その辺のアメリカの戦略、政策のゆらぎもあって、集団安全保障というのが、今スパッとコンセンサスになりにくいと言いますか──私が今までの憲法上の話に加担してきた実務官僚だからなのかもしれませんが──、目標としてはいいとしても、現状でこれが集団安全保障ですという、国際平和支援法という恒久法がありますが、あれは敵がいる前提で読める話で、国連が必ずしも武力行使を容認していない場合でも武力行使をするというジレンマができる、それに一定の要件下で自衛隊が行くという法律になっているので、だからそういう観点の議論が必要だと思うんです。

 以前から議論していて冨澤さんの方向性は分かるんですが、冷戦が終わってからの20年の経験を踏まえての集団安全保障だということで、みんなが納得するところにないんです。冨澤さんにその辺のところをお話頂ければ。


冨澤 具体的な話を致しましょう。今、東シナ海は別としても、南シナ海が大きな問題になっています。アメリカや我々に言わせると南シナ海は中国の内海ではない。南シナ海全部が中国の領海だということはあり得ないと考えます。

 中国は、南シナ海は内海であって「全部俺のものだ」と言っているんです。そこで我々は、あの海の公海部分はグローバル・コモンズだと考えるわけです。領海の20キロ以内以外はフリーダム・オブ・ナビゲーション、自由に航海できると考えるわけです。

 それを具現化するために具体的にどうするか。アメリカが何十年も前から盛んにリムパック(Rimpac・環太平洋合同演習)というのをやっています。リムパックというのは日米共同訓練ではありません。昭和56〜57年頃からリムパックというのは環太平洋の海軍の訓練なんです。

 もちろんアメリカが中心ですけれども、日本だけではなく、韓国の海軍もオーストラリアの海軍も入っているし、一緒に訓練をやろうとあらゆるところの海軍が入ってるんです。正に有志連合のかたちでの訓練なんです。訓練をやることによって、グローバル・コモンズを守っていこうということです。

 グローバル・コモンズというのは要するにシーレーンですが、シーレーンというのは、日本のシーレーンとして独占することは出来ない。アメリカのシーレーンでも、中国のシーレーンでも、韓国のシーレーンでもない。みんなのシーレーンであると。これはホルムズ海峡も同じです。湾岸の石油地帯が安全であるということもグローバル・コモンズなんです。

 ですからみんなで集まって訓練をしているわけです。できれば、イランも中国も招くんです。それで一緒に訓練をやれば、機雷をまく人もいなくなるし、中国もシーレーンの妨害なんて出来ないようになるんです。

 最近、アメリカは中国をリムパックに呼んでいます。最初から戦争の訓練は出来ませんから、人命救助の訓練だけをやっていたりするんですが、中国も参加しているんですよ。そうことのを増やしていった方がいいということです。

 ホルムズ海峡も産油国も、日本だけのシーレーンではないんです。機雷がおいてあったらみんな困るから、機雷をおかれたらパッと外す方法をみんなで研究しようと言って、あそこで訓練をやればいいんです。

 私はホルムズ海峡を集団的自衛権で出来るわけがないと言いました。集団的自衛権というのは、どこかの国に侵害された国が「手伝ってくれ」と要請しなければいけません。ホルムズ海峡を侵害された国と言うとイランかオマーンです。イランかオマーンがどの国に「うちの機雷を外してくれ」と要求するでしょうか。日本だけにお願いするというのでしょうか。そんなことはあり得ないです。国際的な海峡ですし、そういう要求のないところに行くんですから、これは集団安全保障でやらざるを得ないんです。

 集団安全保障というのは、世界秩序、世界の平和を守るためにみんなでやろうという話なんです。集団的自衛権というのは、どこかが侵害された時に自分だけでは侵害に応えきれないから、どこか手伝って頂戴よという話なんです。全然意味が違うんです。

 これからは南シナ海の話にしても、ホルムズ海峡の話にしても、ここはグローバル・コモンズだから、みんなで守りましょうと。もちろん一番強いのはアメリカです。アメリカがいろいろとやらないといけないんですが、大切なのは沢山の国が集まって、あのアーミテージが言った──あまり好きな男じゃないけれども──、ショー・ザ・フラッグ、ブーツ・オン・ザ・グラウンドです。どんなちっぽけな国だって旗を立てて参加することがアメリカにとって一番嬉しいことだし、逆に言うとアメリカにあまり独善的なことは出来なくさせることなんです。

 それが集団安全保障の本質だと私は考えて、20年前から言っているですが、残念ながらつい去年ぐらいまでは集団安全保障と集団的自衛権の違いの分かる人が日本にはほとんどいなかったんです。ようやく去年ぐらいからその違いが分かる方が増えてきたので、私は心強く思っていまして、この法律が通ろうと通るまいと引き続きそれを主張していきます。


柳澤 私なりの理解をすれば、基本的には中国という脅威があるから、中国以外でまとまろうよというのは集団的自衛権だけれども、中国にも声を掛けて「お前も一緒にやろうよ」というのが集団安全保障だということであれば、私もその発想に基本的に同意するものであります。

 後は、ISILのようなものをどうしていくかというのは、ちょっと違った切り口を考えなければいけないのかなと思います。そして同じことをやらなきゃいけないのかどうかということは、今後の話として考えなければいけないと思います。

 今日はスピーカーの皆さんが進行にご協力頂いたおかげで、ほぼ予定通りの時間で〆ることが出来ました。この法制の問題の先に課題はある、ということは私達の共通の認識だと思います。またこういうかたちでいろいろと考える機会を作っていきたいと思いますので、今後ともご協力、ご支援頂ければ大変幸いに思います。今日は本当に最後まで熱心にご参加頂きまして、御礼申し上げます。ありがとうございました。

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